彼女はある意味で1番健全で1番危うい1日を過ごしてもらいます。
……ただし、彼女も因果からは逃れられませんが。
DBOにおいて魔法というカテゴリーは大別して3種類に分けられる、とされている。
まず第1に『魔法』。INTに依存し、攻撃手段が豊富であり、補助もそれなりに揃っている為、最もスタンダードかつ奥深い。一方で回復系が無い為、突発的な回復手段はアイテム頼りになる。
第2に『呪術』。これは炎系の攻撃が主体としたものであり、『魔法』よりも攻撃的だ。補助も揃っているが、どちらかと言えば個人を強化するものばかりであり、パーティ全体に恩寵をもたらすものは少ない。INTとMYSの両方に補正がかかり、また使用条件も緩いものが多く火炎属性を弱点とするモンスターは多い為、サブウェポンとして仕込むプレイヤーも多い。
第3に『奇跡』。これはMYSに依存して威力を高める。補助と回復の圧倒的なラインナップが魅力的であり、奇跡を持つプレイヤーはヒーラー役として活躍できる。奇跡持ちがいるかいないかでパーティの生存率が激変するだろう。また、MYSを高める事で魔法防御力も高まる為、ヒーラーは総じて魔法使いプレイヤーにとって攻略し難い存在となる。難点として、有用な奇跡……特に攻撃系の奇跡程に使用条件が厳しい為、魔法使いプレイヤー以上に特化型である必要がある事だろう。
今は聖剣騎士団の本部として使用されている古龍礼拝の聖堂、その中に設けられた研究室にて、ユイは今日も≪錬金術≫スキルで生み出した多くのアイテムに囲まれながら、魔法に関する研究を続ける。
聖剣騎士団に保護されて数ヶ月、彼女の役割は聖剣騎士団が探し出した魔法を分析する事にある。たとえば、魔法の当たり判定などは彼女によって解析されたものであり、初歩的なソウルの矢の扱い方に関する教本の作成なども彼女の功績だ。
現在、ユイが頭を悩ませているのは【乱れるソウルの槍】という魔法だ。この魔法は名前だけ聞けば、火力特化のソウルの槍の類似に思えるが、実際には低威力のソウルの矢を連発するような魔法だ。
全弾直撃すれば相応の威力を引き出せるのであるが、そもそもスピード自体がソウルの槍に比べれば遅く、また1発ごとのスタン蓄積値も低い為、スタン耐性が装備抜きでも十分に備わっている高レベル帯ではまず通用しない。
そもそも単発火力が低い為、MYSを高めて魔法防御力を高めていれば、全弾命中したとしてもソウルの槍には及ばない。せいぜい至近距離から魔法耐性がない敵に命中させれば高ダメージが狙える程度である。
だが、そもそもINT特化の魔法使いプレイヤーが接近戦を挑む事態になる事が既に危機的状況であり、接近戦だけならば他にも対応できる魔法は幾らでもある。たとえばであるが、ソウルの剣や上位互換の【ソウルの大剣】が該当する。主な触媒である杖から魔法の剣を生み出す攻撃であるソウルの剣シリーズであるが、実体を伴わず、剣戟で防げない為、近接プレイヤーへのカウンターとしても優秀だ。
とは言え、乱れるソウルの槍自体は比較的低級の魔法だ。高レベル帯で通じないのも仕方ないと言えば仕方ないのだが、最低級のソウルの矢ですら現役として使い道があるのである。ソウルの乱れる槍にも何かしらの価値があるはずだ。
(密集陣形の敵に撃ち込んで撹乱させる? 駄目ですね。乱れるソウルの槍を避けられないような状態なら、貫通特性を持つソウルの槍の方が有用です。だったら、射撃攻撃の仲間をサポートする追撃? でも【浮遊するソウルの塊】や【追尾するソウルの矢】の方が効果的です)
ならば燃費の観点からはどうだろうか? お話にはならない。これを使用するならば、ソウルの矢の上位互換である【ソウルの太矢】を数発撃った方がダメージ量としても牽制としても有効だ。
俗にいう『産廃』の烙印をユイはなるべく押したくなかった。ユイは今や魔法研究の第一人者だ。彼女が『産廃』と決定した魔法は、彼女の意図がどうであれ、蔑まれて本来あるはずの活用法が光を当てられなくなる確率が高い。
保留にしよう。乱れるソウルの槍への考察を止め、ユイは並列して作業していた≪錬金術≫の成果を確認する。
一般的にアイテム作成を可能とするスキルは、≪料理≫などのフレーバー的なものを除けば、≪薬品調合≫と≪工学≫と≪錬金術≫の3つだ。
その名の通り、薬系アイテムの作成に特化した≪薬品調合≫は初期から得られる有用なスキルであるが、人気が高いかと言われればそうではない。と言うのも、≪薬品調合≫で得られるアイテムの代用品は商人NPCが販売しているからだ。デバフを与える毒薬、麻痺薬、睡眠薬は名前や効果時間、蓄積性能など細かい差異こそあるが、蓄積させるデバフのレベルさえ変わらければ構わないというプレイヤーが大半だ。わざわざ貴重なスキル枠を≪薬品調合≫で潰さずとも、コルで薬系アイテムを買えるならばそちらの方がお得だからだ。
だが、これにユイは否を唱えたい。≪薬品調合≫の最大の強みは、現地調達できる事にある。それは長期戦が予想されるダンジョン攻略やゲリラ戦において極めて有効だからだ。時に薬物をセットして武器にデバフ攻撃を追加できる≪暗器≫との相性は抜群だ。
アイテムやオブジェクト作成に特化した≪工学≫は専門性よりも範囲の広さに定評がある。火炎壺系など攻撃系アイテムの作成にもほぼ必須であり、また≪鍛冶≫の発展スキルである為、≪工学≫を得る為には≪鍛冶≫を入手していなければならない関係上、サポート型のプレイヤーに広く好まれている。万能であり、また器用貧乏とは成り得ない優秀なスキルではあるのだが、オブジェクト作成などでは個人の発想、アイテムの組み合わせによる開発では忍耐力が求められる為、万人が同じ能力を発揮できる保証はない。
最後に≪錬金術≫であるが、これは≪薬品調合≫と≪工学≫の両方の特性を持っていると言える。アイテム同士を合成させるスキルであり、種類の異なるアイテム同士を合成させて別系統のアイテムを作り出す事も可能だ。回復アイテムとして優秀な深緑霊水なども≪錬金術≫で作成する素体霊水が必須だ。ユイもこのスキルを所持しているのであるが、その万能性は≪工学≫と同等だ。ただし、エクストラスキルで習得条件が面倒であるという難点がある。
現在、ユイが≪錬金術≫で作成した新たなアイテムには【蒼光石】だ。特殊強化アイテムであり、武器に微弱な魔法属性と魔法を使用する為の触媒機能を付与する事ができるアイテムだ。
魔法の触媒と言えば杖が一般的であるが、このアイテムを使用すればあらゆる武器が魔法触媒となる。欠点として、武器の性能として元から触媒機能を持っている物や杖などに比べれば補正能力が圧倒的に低く、また発動ラグが他の魔法に比べて大きい事だろう。
他にも耐久値の減少など、デメリットは大きいが、それでも杖で武器枠を1つ潰したくないという魔法剣士型プレイヤーには有用となるアイテムだ。今後は聖剣騎士団の新たな目玉商品となる予定である。
市場開拓を担う営業部にユイはまとめた蒼光石の情報をフレンドメールで送信し、彼女はようやく眠らないままに朝を迎えてしまった事を、山積みにされた本や≪錬金術≫をサポートする実験器具のようなアイテムの隙間から差し込む陽光で気づく。
「ディアベルさんに朝ご飯をもっていかないと!」
慌ててユイは立ち上がるも、足下の分厚い辞書のような革張りの古書に躓いて転倒しそうになる。
研究者気質ではないつもりだ。ユイは辛うじてバランスを保っている本の山の間を抜けて研究室から出ながら、欠伸を噛み殺す。単純に、何かに集中していなければ、自分を見失いそうで怖いだけである。
(私は弱いまま。だからクーさんに捨てられた……ううん、分かってる。あの人はとても優しい人。とても良い人。だから、私を巻き込みたくなかっただけなんです)
あの日、地下の迷宮から脱出した日、クゥリは一方的にユイに別れを告げ、聖剣騎士団に彼女を預けた。
それはユイが単身ではこの世界を生き抜けないだろうという彼なりの気遣いだった事は、ユイも察している。だが、それ以上に彼女からすれば、自分が重石だったからこそ、役立たずだったからこそ、クゥリの傍にいる事ができなかったのではないだろうかという考えが頭から離れない。
悪名高い【渡り鳥】。ディアベルは、クゥリはユイを自分の因縁に巻き込みたくなかっただけだと弁解した。理解できるし、納得もできる。だが、それは結局ユイには彼を呪うように続く困難を共にするだけの力が無かったという証左にならないだろうか?
調理場にたどり着いたユイは聖剣騎士団所属のギルドNPCのコックからディアベルの朝食を受け取る。
ユイの仕事は主に2つ、魔法と≪錬金術≫による研究とディアベルの世話だ。後者は食事を届けたり、執務室を整理したりする程度であり、実際にはディアベルが特殊な身の上であるユイを気遣って、2人で話せる時間を作る為のものだ。
盆にパン、目玉焼き、ベーコン、サラダといった実に朝食らしい朝食を並べ、ユイは零さないように足下に気を付けながらディアベルの執務室を目指す。
「おや、ユイちゃんじゃないか」
だが、その途上でユイは聖剣騎士団でも……いや、DBOでも最高齢とされるプレイヤー、アレスと遭遇する。整えられた灰色の髪と蓄えた口髭はいかにも老紳士といった雰囲気を醸し出している。聖剣騎士団のご意見番のような役割であり、年長者として聖剣騎士団をディアベルに代行して取り纏める事も多く、実質的な副団長としての役目を果たしている。幹部たる円卓の騎士の1人であり、高齢に見合わない実力の持ち主でもある。
「アレスさん、おはようございます。今日はお休みですか?」
「いや、午後から仕事が入っていてね。その準備をしていたところだ。ユイちゃんは団長の所に行くのかな?」
好々爺といった、まるで孫でも可愛がるような温和な表情をしたアレスに、ユイは頷いて肯定する。
聖剣騎士団では、ギルドメンバーではないユイは言うなれば彼らの保護下にある部外者だ。故に浮いた存在になるのは致し方ない。そんな中でアレスは何かとユイに話しかけてくれる人物の1人だ。
「お仕事って……また最前線ですか」
「いや、ちょっとした視察だ。危険は無い」
それを聞いてユイはホッとする。3大ギルドの1角である聖剣騎士団は常に最前線に戦力を送り、攻略に勤しんでいる。円卓の騎士達はその大半が武闘派であり、自ら前線に立つ猛者揃いだ。それでも危険が伴う最前線はトッププレイヤーが集った聖剣騎士団でも死が隣り合わせだ。
「ハハハ。わしは簡単に死なんよ。老いぼれではあるが、耄碌したつもりはないからね」
「でも、この前、病み村の攻略でたくさん人が亡くなられたって聞いて、私……」
「……そうだな。あれは痛ましく、また耐え難い犠牲だった」
死した仲間達に黙祷を捧げるようにアレスは瞼を閉ざすも、次に開かれた眼にはいかなる苦難にも屈しないという強さが宿っていた。
「犠牲は戦いに付き物だ。だからこそ、何にも害されぬ力が必要だ。特にギルド間抗争は激化を辿っている。最大の難敵は最前線ではなく、存外志こそ同じでも道を違えたプレイヤーなのかもしれんな」
ギルド間抗争。ユイもよくその言葉を耳にするが、実感は余りなかった。それは彼女の生活の大半が聖剣騎士団の本部で完結している事もあるだろう。だが、人同士が争っていると聞くと、眼帯に覆われた空洞の右目が疼くような気がした。
「ユイちゃんのような才気溢れる子が共に戦ってくれる事を望む者も多い。団長は反対のようだがね。聖剣騎士団の理念は『力ある者が前に立ち、弱き者たちを守る』にある。それをノブリシュ・オブリージュ気取り屋や貴族主義と非難する者もいるが……わしは戦える者が戦わない事が正しいとは思わんな。古い考えかもしれんがな」
「立派な考えだと思います。私も……私も皆さんと戦いたいです」
「そう言ってもらえると嬉しいよ。団長も腹を空かせているはずだ。行ってあげなさい」
ユイは深々とアレスに頭を下げて見送り、執務室へと歩を進める。
聖剣騎士団のメンバーとの距離感の理由、その1つはユイが他のプレイヤーが羨むほどの魔法の使い手でありながら、その力を攻略の為、聖剣騎士団の為に振るわない事にもあるだろう。
以前であるが、ユイはディアベルに最前線に参加したいと要望した。だが、それはクゥリとの約束で出来ないと一蹴されてしまった。その時は素直に引き下がったが、もしかしたら熱意を持ってもう1度頼めば聞き入れてくれるかもしれないと、ユイはアレスの言葉を思い浮かべながら執務室のドアをノックした。
「ディアベルさん、朝食をお持ちしました」
返事が無いのはいつもの事だ。ユイはドアを開けて入ると、執務テーブルに山積みにされたアイテム化された報告書の山を相手に厳しい顔をするディアベルを目にする。
ユイは執務室に備え付けられた珈琲メーカーで、ディアベル謹製のブレンド珈琲を淹れる。以前と比較すれば、美味と呼べる物になったディアベル珈琲は、今では聖剣騎士団の密やかな名物だ。
珈琲カップに黒い液体を注ぎ込み、盆に加えてユイは執務テーブルを挟んでディアベルの前に立つ。珈琲から立ち上る香りを孕んだ湯気がディアベルの鼻を刺激し、その視線を報告書から朝食、そしてユイへと向けた。
「やっと気づいてくれましたね」
ユイの声よりも珈琲のニオイの方がディアベルの意識を引き寄せたという事実にユイは苦笑する。
「声をかけてくれると嬉しいんだけどね、ユイちゃん」
「集中されていたみたいですから。声を掛け辛くて……」
ディアベルは恥ずかしそうにはにかんだ。ユイは朝食がのった盆をディアベルの前に置く。まだ朝食を取っていないユイからしても食欲をかき乱す魅力的な香りだ。ディアベルも早速料理に手を付ける。
最初こそ美味そうに食べていたがディアベルだが、段々とそのペースは落ちていき、最後には悩ましい表情で考え込み始める。
「しっかり食べてください。ディアベルさんは、美味しい物を食べるだけの仕事をして、責務を果たしているんですから」
ユイにはディアベルが何を考えているのか、すぐに察する事ができた。
毎日の食べる物にすら困る貧民プレイヤーが多くいる中、自分は豪勢な朝食を頂く。この食費を回せば、炊き出しなどの貧民プレイヤーへの援助資金を捻出できるのではないだろうかと思案していたのだろう。
的中だったのか、ディアベルは自身を戒めるように目を伏せ、やがて笑みを作って食事を再開する。
「ユイちゃんには敵わないな。分かったよ」
「分かってくれて嬉しいです」
それからしばらくはディアベルの静かな食事をユイは見守り続けた。
頭の中で巡るのは、先程の最前線に立ちたいという決心をどう打ち明けるべきだろうかという悩みだ。交渉はユイの不得意分野であるし、言葉巧みにディアベルから許可を貰うのは彼の誠意に反する。
ならば、ユイが真摯な情熱で訴えれば、ディアベルは認可をくれるだろうか?
悩んでいる内にディアベルは食事を終える。残っているのは珈琲だけだ。
「ご馳走様。ところでユイちゃん、最近はどうだい? 何か困っている事とかあるかな?」
「いいえ。ディアベルさんが手配してくれた研究室は快適ですし、皆さん優しい方ばかりです。でも、外出の度に申請しないといけないのは……ちょっと不便です」
突然の質問に、ユイは思わず悩みを見透かされたかと思ったが、これは恒例のユイの状況確認であると把握し、素直に答える。
あくまで聖剣騎士団の保護下にあり、ギルドメンバーではないユイは個人では転送機能を使用する事ができない。故に、ユイが本部を離れる時は必ず誰かに同行してもらわねばならないのだが、それは結果的にユイの自由を束縛している事になる。
元々魔法使いプレイヤーであるユイは前衛がいた方が安全であり、本領を発揮できる。だからこそ、誰かが同行する事自体は理に適っている。だが、それと自由が無いのはまた別の話だ。
ユイは無意識の内に眼帯に触れる。周囲が焼け爛れ、黒い空洞となった右目を、醜くないと言ってくれたクゥリを思い出す。彼とならば、一瞬でも不自由などとは感じなかっただろう、と今の境遇に満足すべきだという知性と理性の回答の中で気泡のように感情の水底から浮かび上がらせる。
「あの、ディアベルさん。先日お話しした事なんですけど……」
話すならば今だ。ユイは感情に任せて、自分の願望を口にする。
「最前線に参加したい、という話かい? それは断ったはずだよ」
即座にディアベルは一刀両断する。
理由も聞いてくれないのか? 理不尽と分かっていながら、ユイは自分の中で生まれた苛立ちと怒気を感じ取り、それはそのまま声音を荒くさせる。
「でも! 私は誰よりも魔法の扱いに長けてます! レベルもコツコツ上げてます! 皆さんのお役に立ちたいんです!」
アレスの先程の言葉が反芻する。ユイは力ある者だ。ならば、聖剣騎士団にいる以上は弱き者を守る側の立場であるはずだ。聖剣騎士団のトップであるディアベルが、誰よりも先に『力ある者が弱き者を守る』という理念を作り上げた彼がそれを解さないはずがない。
だが、ディアベルは静かに首を横に振る。まるで話にならないと呆れているように、ユイには思えてならなかった。
「ユイちゃん。キミの願いはお父さんとお母さんを探す事だろう? それは最前線じゃなくてもできる事のはずだ。キミに貰った似顔絵を使ってご両親は捜索している。だったら、キミがすべき事はご両親を迎える準備をしてあげる事じゃないのかな」
正論だ。反論の余地など欠片も無い。ユイが地上に至ったのは両親を探し出す為だ。
本来ならば聖剣騎士団の理想も理念も関係ない。ディアベルはユイに仕事を与え、ユイはそれをこなし、報酬として聖剣騎士団は両親の捜索に手を貸している。ユイの拙い、ハッキリ言って幼稚園生レベルの似顔絵では、名前も不詳の両親を探すなど雲をつかむよりも難儀な事であるが、それでもディアベルは人員を駆使してくれている。
「ユイちゃんは聖剣騎士団のメンバーじゃない。あくまで聖剣騎士団が保護しているだけなんだ。だから、キミを伴って最前線に行く事はできないんだよ」
だが、ユイの心は叫ぶのを止めない。
戦わねばならない。力があるならば、聖剣騎士団にいるならば、それを成さねばならない義務があるはずだ。
本当に? ユイは必死に無視する。自分の内側にある、薄暗い部分にある本音から必死に目を背ける。
「だ、だったら、私をメンバーにしてください! 必ずお役に立ちます!」
「……どうして、そこまで最前線に拘るんだい? ユイちゃんにはユイちゃんにしか出来ないことがある。もしかして、最前線に行けば……誰よりも危険な場所で戦えるくらい強くなれば、クーが会ってくれると思っているのかい?」
だが、それはあっさりとディアベルに看破された。
ユイが最前線に出たい理由。それは聖剣騎士団の理念に感化されたわけでもなければ、疎外感に苛まれているからでもない。
あの日、クゥリはユイをディアベルに預けた。この世界で戦わせない為に。【渡り鳥】の因縁で彼女を傷つけない為に。
ならば、もしもユイに力があったならば? クゥリと共に戦い、彼が納得して傍にいさせてくれるだけの力が備わっていたならば?
ああ、そうだ。ユイは自嘲する。全ては自分が弱いからこそ、クゥリは捨てたのだ。だからこそ、クゥリはあれ以来1度としてユイに会おうとはしないのだと、ユイの中でどす黒い考えが頭から離れない。
「クーがユイちゃんに会いたがらないのは、彼なりに理由があるからなんだ。決してユイちゃんが嫌いだからじゃない」
そうであると言うのに、ディアベルはまるで誰よりもクゥリを理解しているかのように答える。
ユイは知っている。ディアベルは定期的にクゥリと連絡を取り合っている事を。彼はそれをユイに隠そうとしなかった。ディアベルには彼の心に触れる機会が与えられている。そうであるのに、ユイには真意を問う一瞬すら存在しない。クゥリはそれを許さない。
「そんなの……分からないじゃないですか!」
「分かるよ」
「たとえ……たとえ、ディアベルさんには分かっても、私には分かりません!」
暴走する感情のままに、ユイは執務室を飛び出した。
廊下を駆け抜け、途中で幾度か聖剣騎士団のメンバーと衝突しそうになるも謝りもせず、あらゆる感情と思考が混ざり合ってマーブル柄のようになった意識のままに、研究室へと逃げ込む。
誰もいない研究室で破裂しそうな心臓を落ち着ける。スタミナは危険域にも達していない。ならば、これはユイの心が膨張し、暴走した証だ。深呼吸を繰り返したユイを襲った津波の名は後悔だ。
「私……最低です」
ディアベルの言い分は至極真っ当だ。彼は聖剣騎士団のリーダーとして冷静な判断を、そしてクゥリの友人としての見解を、ユイに伝えてくれた。感謝こそすれ、詰るなど最低な行為だ。
自己嫌悪に苛まれたユイは額を押さえる。ディアベルに軽蔑されたはずだと、ユイは次に会った時にどんな顔をして彼の前に立てば良いだろうかと頭を抱えたくなる。
「何が最低なのよ?」
「ひゃ!?」
だが、ネガティブな思考を切ったのはユイが普段使う、山積みの本でほとんど全貌が見えなくなった研究室のデスクから聞こえた凛とした女性の声だ。無人だとばかり思っていたユイは、今日は慌てて飛び出した為、研究室に鍵をかけていなかった事を思い出す。
本の山の陰からひょっこりと顔を出したのは、黒のタンクトップと迷彩柄のズボンをした、騎士然とした恰好を好む聖剣騎士団でも異質の姿をした、黒髪のポニーテールが似合う色黒の女性だ。
「マリアさん、どうしてここに!?」
「暇潰し。アンタの研究って面白いから、何か楽しそうな玩具が無いかなって思ってさ」
短剣とハンドガンと格闘戦による接近戦を好む前衛思考のマリアは、魔法特化プレイヤーであるユイとの相性の良さからか、外出の時やレベリングの時などに付き合ってくれる貴重な同性のプレイヤーだ。男性的なサバサバとした性格と円卓の騎士という女傑のせいか、同性からのファンも多い彼女の傍にいるとやっかみも多いが、気さくな彼女は長年の地下生活でコミュニケーション能力が劣るユイも話し易い。
「べ、別に何でもないです。その……ちょっと自己嫌悪していて、それで……」
「何? 団長に自分の女になれとか言われたわけ? 退くわー。そりゃ団長最低だわー」
茶化すマリアに、ユイはディアベルの名誉を守る為に首を横に振って否定する。傍から見れば顔を真っ赤にしている分、否定ではない方向に説得力が伴ってしまうのだが、それなりに付き合いがあるマリアがユイの反応を捉え間違えるはずもない。
「ごめんごめん。ほら、話してごらん。自分1人で悩んでても解決しない事の方が多いんだからさ」
笑ってマリアは子供をあやすようにユイの頭を撫でる。温かな掌に思わず涙が零れそうになるが、ユイはそれを堪えて、クゥリの名前はぼやかした上で、先程のディアベルとの言い争いをマリアに伝える。
窓縁に腰かけてユイの話を黙って聞いていたマリアは、自分の専門外だと言わんばかりに悩ましそうに眉間に皴を寄せた。
「あたしと違って団長は思慮深いからさ、一概には言えないんだけど、あの堅物はユイを心配してるのよ」
「それは分かってるんです。でも、私は『その人』ともう1度話がしたいんです。そうすれば、今の胸のモヤモヤも解決すると思って……」
「でも『その人』はユイに会いたくない、か」
マリアは腰から短剣を抜き、宙に放り投げてはキャッチするを繰り返す。それは思考を深める彼女の所作なのだろう。
「そもそもさ、ユイは『その人』の事をどう思ってるの? 多分『その人』は異性だよね? だったら、ユイは女として『その人』の事が好きなわけ?」
一瞬だが、ユイは質問の意味が分からず、続いてマリアがユイの会いたいという感情が『恋心』に基づくものなのかと問いかけている事を悟る。
どうだろうか? ユイはこれまで考えもしなかったクゥリに対する感情の正体を探る。
恋心とは……少し違うだろう。友情とも異なる。ユイはクゥリに向けている感情が何だろうかと自らの心の奥底に手を伸ばす。
触れたのは業火だ。以前見た夢の中、屍の中に立つ全てを焼き尽くす炎の悪魔。劇場でもう1人の『ユイ』を焼き焦がした怪物。
身震いしたユイは必死に頭からビジョンを振り払う。クゥリについて考えると、時々であるが、あの夢の中の炎の悪魔と重なってしまう。それは、きっとユイがボス戦の時に感じたクゥリへの恐怖心が原因であろうと、彼女は勝手に理由を付けようとする。
『忘れるな、「私」。お前の目の前にいるのが恐怖だ。全てのプレイヤーの敵だ。守るべき者たちの為に必ず「恐ろしいもの」を殺せ!』
だが、もう1人の『ユイ』が唱えた呪詛が絡みつく。
『絶対に忘れるな。パパとママを守る為にも、必ず殺せ。殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ! 欺き、信頼を勝ち取り、油断させ、必ずあの「恐ろしいもの」を殺せ!』
知りたくない。ユイはクゥリへの感情を探れば探る程に、血を凍らせるような、魂を炭化させるような、おぞましい恐怖心が湧き上る事から目を背ける。
「わ、分かりません。ちゃんと心に整理をつけて、会えば……会えば、きっと分かると思います」
搾り出したユイの答えに、マリアは「それもそっか」と同意するだけだった。
これ以上マリアに探りの言葉を投げかけられていたならば、ユイは自分の内側にある、失われた右目のような暗い空洞を覗き込まねばならなかっただろう。そして、それは決して元に戻れない『何か』をユイから引き摺り出すに違いない。
「だったら、あたしからアドバイスできるのは、団長とさっさと仲直りしろって事かな? 団長はユイの事を大切に思ってるからね。今回の事だって兄妹喧嘩したみたいなものだろうから、謝っちゃえばそれで終わり」
そんなものだろうか。ユイは半信半疑であるが、窓縁から下りたマリアにもう1度頭を撫でられ、疑問を払拭される。
「お姉さんを信じなさい。もしもユイみたいな可愛い子が謝っても許してくれないようなウジウジ野郎だったら、団長だろうとこのマリア様が喝を入れてやるからさ」
「……マリアさん」
「ただし! 誠心誠意謝る事! 言葉足らずの団長も悪いけど、感情的になったユイの方が悪いんだから。ね?」
その通りだ。頷いたユイに満足したマリアは、今度は憂鬱そうに嘆息して視線を外す。
「さてと、あたしもそろそろ出かけないと。アレスの爺さんとお仕事があるからね。あの爺さん口うるさいから嫌なのよ。『女が胡坐を掻くな』とか『下品な言葉を使うな』とかさ。あたしがガサツなのは生来の性格って奴なのよ」
そう言って研究室から去ろうとしたマリアだが、ふと思い出したようにズボンのポケットから記憶水晶を取り出す。ユイは一瞬それが何かわからなかったが、以前作成したゴーレムの基礎コンセプトを保存したものだと思い出す。
研究に行き詰った時に暇潰しで考えたものであり、設計データなどはなく、あくまでアイディアの塊だ。故に聖剣騎士団の武器開発部門にも届けていない。
「これ貰って良い? 実はラムダにいい加減幹部としてアームズフォート計画の糧になるような意見を出せって言われてるのよね」
「良いですよ。でも、拙いですからお役に立たないと思いますけど」
「んー、それはラムダとかアレスの爺さんが判断するでしょ! あたしは面白いと思うけどね。『多脚型で安定性を得て、圧倒的な長距離狙撃で敵を近づけず、接近されたら配備された小型ゴーレムとギルドNPC、それにミサイルの飽和攻撃で押し潰す、長距離狙撃特化大型ゴーレム』って浪漫あるじゃん。名前はあるの?」
マリアの問いに、ユイはしばし顎に手をやって、指を立てた。
「スピリット・オブ・マザーウィル、なんてどうでしょうか?」
「なんか強そうね。うん。決定! どうせ採用されないだろうし、ありがたく使わせてもらうわ! それじゃ!」
手を振って研究室を後にしたマリアを見送り、ユイは少し元気を取り戻した自分を感じる。
答えは結局クゥリに会う以外に無いのだ。問題なのは、それがどんな手段で成せるかという事であるが、少なくとも最前線に立つという方法はディアベルの賛同を得られないだろう。
何か良い手は無いだろうか。ユイは研究資料を眺めて気晴らしするも、良い案が浮かばず、少し散歩しようと中庭へと向かう。
気のせいかもしれないが、本部の雰囲気が少し張りつめているような気がした。ユイは不安を感じながら、山頂にある為肌寒さがありながらも、時間帯の関係で日の光が当たる中庭のベンチに腰掛ける。
中庭には修練用の石像があり、経験値やコルこそ入手できないが、多くの聖剣騎士団のメンバーがこれを利用して鍛錬に励む。だが、近接戦を中心とする手練である為、ユイが使用する事はほとんど無い。
どうにかしてクゥリと再会する方法は無いだろうか。太陽の光に答えを探し求めていたユイであるが、当然ながら温かな光は無言だ。
「何か悩み事ですか?」
だが、背後から声を掛けられ、ユイはビクリと肩を跳ねさせた。
振り返ると、淡い紫色の髪をした、知的な眼鏡が特徴的な女性がいた。傍には侍女のギルドNPCがいる為、聖剣騎士団に招待された他のギルドの人間だろうとユイは僅かに身構える。
その胸のエンブレムからして太陽の狩猟団……聖剣騎士団と不仲とされるギルドの人物であるとユイは判別する。
「あ、えと、その……」
初対面の人間に弱いユイはしどろもどろになるが、女性は温和な笑みを崩さず、いつの間にかユイの隣に腰かけた。
どうして背後にいる事に気付かなかったのだろうとユイが思っていると、反対側の廊下をディアベルが足早に駆けていく姿を見つける。恐らく、石像を挟んで逆側のベンチに彼女はいたのだろう。恐らくディアベルが応対していたが、あの焦り様からすると何かしらの緊急事態があったのかもしれない。
「私はミュウです。太陽の狩猟団の人間で、今日は聖剣騎士団との会談に参りました」
「あ、私は……ユイ、です」
自己紹介して握手を求められたユイは、ミュウに流されるままに挨拶する。
外出する時もマリアや他の聖剣騎士団のメンバーが傍にいる為、外部の人間とはほとんど会話らしい会話をしないユイからすれば、いきなり敵対関係にあるとされるギルドの人間と挨拶するなど珍事極まりない。
下手な対応をして、聖剣騎士団との不仲を深める訳にはいかない。ユイは逃げ出したい感情を堪える。
「は、はい。少し悩んでる事があって……」
「こんな世界ですからね。誰もが悩み苦しむのは当然です。私もこの通り、体を少し壊してしまいまして、ディアベルさんにご迷惑をかけていたところなんです」
確かに言われてみればミュウの顔色は悪かった。その手にはホットミルクのような物を持っている。
大丈夫だろうか? ユイは心配そうな表情を見て、ミュウは困ったように眉を曲げた。
「私は安全なところにいますから、その分多くの仕事をしないといけません。それが太陽の狩猟団の為、そしてDBOに捕らえられたプレイヤー全体の為です。それでも、こうした身分に悩みは尽きませんが」
「す、凄いですね……立派だと思います。私には、そこまでできません」
本心からユイはミュウを賛辞した。そして、同時に強いシンパシーも抱く。
聖剣騎士団と並ぶ大ギルドである太陽の狩猟団、そこにも戦うことができず、自身の立場に悩む者がいるのだ。ユイもまたクゥリに会いたいという本心もそうだが、聖剣騎士団との距離感に悩まされているのも事実である。
「どうやら、あなたと私は同じ立場みたいですね」
そっとミュウの手がユイの手に重なる。そして、彼女はにっこりと、まるで完成させられているかのような笑顔を向けた。
「敵対していると言っても、こうして私達は会談し、戦わない道を探しています。ユイちゃん、どうですか? あなたと私は同じ悩みを持つ者同士です。お友達になりませんか?」
「お友達?」
「ええ、秘密のお友達です。誰にも内緒の。いずれ聖剣騎士団と太陽の狩猟団が手を取り合うまでの。不本意ではありますが、我々の仲は良好ではありませんので」
悲しげなミュウの表情に、ユイは一瞬だが戸惑いを覚える。
これは敵と通じる、という物ではないだろうか? だが、ユイは情報漏洩などする気はないし、ミュウは不安そうにユイを覗き込んでいる。まるで自分も共感できる仲間が欲しいかのように。
送られたフレンド登録の申請。ユイは迷いながらも、だが、これも自分を変えていく1歩だと信じて受理する。
「ルールは1つ。互いにギルドの事は話さず、個人としてやり取りする事。良いですね、ユイちゃん?」
悪戯っぽく指を唇に当てて秘密を強調するミュウに、ユイはおずおずと頷いた。
その後、ミュウは元いたベンチに戻って、ユイとはまるで会話1つしていないかのように振る舞って聖剣騎士団のメンバーに連れられて転送された。だが、その瞬間にユイに向かってウインクしたのは、彼女の友情の証だったのかもしれない。
秘密の友人。ユイは少しだけ後ろめたさを覚えながらも、彼女はギルドの利益抜きで突き合おうと言ってくれた貴重な外部の人間ではないか、と良心で追及を押し込める。
そして、日が暮れてからユイはディアベルの執務室に呼び出された。
きっと今朝のお叱りだろう。ユイは覚悟を決めて執務室に入る。そこには、今朝と変わらぬ温和な表情をしたディアベルが待っていた。
「ディアベルさん、あ…あの、今朝は申し訳ありませんでした!」
マリアのアドバイスを思い出し、ユイは最大限の反省の意を込めて頭を下げる。ディアベルはそれを黙って受け取り、やがて彼もまたゆっくりと口を開いた。
「いや、俺の方こそユイちゃんの気持ちも考えないで無神経な事を言ってしまった。許して欲しい」
ディアベルもまた、今朝の言い争いに自分の非を感じていたのだろう。申し訳なさそうに謝罪する。
「ユイちゃん、キミを最前線で戦わせる事は出来ない。でも、本部の外にはキミの力が、知識が必要な仕事がたくさんある。だから、俺に力を貸して欲しい」
「あ、ありがとうございます!」
結局は何も変わっていないが、それでもユイはディアベルを信頼し、ディアベルもまたユイを信用しているという、互いがポジティブに手を取り合っている関係であるという認識ができただけでも前進だろう。
この人を裏切りたくない。思わずユイはミュウとのやり取りを報告しようかとも思うが、仮に自分が告げ口した事で聖剣騎士団と太陽の狩猟団の不和を招いたらどうしようと不安になる。
何よりもミュウはユイとの個人的な関係を望んだのだ。そこにギルドの利益は無い。ならば、ミュウの言う通り『秘密の友人』を貫くべきだろう。
「それと、これはクーからキミに」
そして、ユイの螺旋のようなミュウを巡る思考は、ディアベルが取り出した木箱によって吹っ飛んだ。
今何と言っただろうか? 目を白黒させるユイに、ディアベルはその反応を読んでいたかのように言葉を続ける。
「分かって欲しい。クーはキミをいつも心配している。いつだって、キミの味方のはずだ」
木箱を受け取ったユイは驚愕を拭う事ができないまま、木箱を抱きしめる。
本当に不思議な人だ。ユイはクゥリの顔を思い浮かべる。彼があの日、ユイの右目の醜さを、弱さを、何もかも抱きしめてくれた夜を思い出す。
もう1度あなたに会いたい。涙が零れたユイは、彼に抱く感情の正体など関係なく、自分を置いていった理由なども要らず、ただひたすらに会いたいと望んだ。
以上ユイのターンでした。
これで本エピソードの表サイドは終了です。
次の話は、裏サイド……主人公視点からの物語となります。
この1日を彼がどう過ごしたのか、というところに焦点を当てたいと思います。
それでは92話でまた会いましょう。