SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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前置きしますが、本作は健全です。
繰り返しますが、本作は健全です。
なので、今回のように娼館が舞台にはなりますが、直接的な表現などは限りなく控えさせていただきます。
ご了承ください。




Episode12-13 One day~ある傭兵の場合3~

 この世で最も古い職業は娼婦と傭兵である。

 自身を『労働力』として売買し、金銭等を得るこれらの職は『卑しい』と蔑まれていながらも根強く現存し続けている。

 すなわち、需要と供給のバランスがあるからこそ、傭兵も娼婦も成り立つのであり、それを蔑む者は等しく人類文化を蔑んでいるのと同一であると考えるべきだ。もちろん、それの是非や道徳的観念は別として、である。

 そもそも性的欲求とは子孫を残そうとする本能に由来するものだ。X染色体とY染色体……性差による遺伝子交配システムを作り出した時点で刻み込まれたプログラムと言っても仕方ないだろう。故に、それを御するとは生物としての本質を否定することであり、また律する事が出来てこそ人が他の生物とは決定的に異なる理性的生物としてステージが1段上である事の証明とも言えるだろう。

 

「ようこそ、可愛いお客様。もしかして、こういう店は初めて?」

 

 つまり、何が言いたいのかというと、オレがこの状況にあって狼狽し、なおかつ挙動不審に視線を泳がせ、顔を火照らせて今にも現実の肉体が蒸発しそうな程に発熱しているのは、オレが性的に未熟だからではなく、文化的道徳観念に基づいた貞操意識によるものだと言いたいのだ!

 ……言い訳はこれくらいで良いだろう。受付カウンターでにっこりと笑う、胸を強調するようなドレスを着た右目を前髪で隠した妖艶な女性プレイヤーを前に、オレは完全に借りてきた猫状態で硬直していた。

 堂々と正面から挑んだところまでは良かったのであるが、突如としてクレナイがクラウドアースに連絡を取らねばならないと言って離脱し、1人取り残されたオレを優しい眼差しで女性プレイヤーで見つめている。

 

「私は【ハル】よ。この店のサブオーナー……女の子達の管理人でもあるわ」

 

「ど、どどど、ども」

 

「そう硬くならないで。これは普通の事よ。あなたくらいの年齢で少し興味を持つのは何ら恥ずかしい事は無いわ」

 

 ハルさんはオレを待合室のような受付カウンターの傍にある、L字型のソファと丸テーブルが配置された場所に誘う。ここはまだエントランスであり、娼館というネガティブなイメージを覆すように全体的に白色の照明が扱われている。冬場という事もあって暖炉では煌々と火が盛り、床のタイルはピカピカに磨き上げられていた。

 正直な話、オレが勝手に想像していた娼館はピンク色の派手な証明によって感性を麻痺させるようなものだっただけに、まるで普通の上級ホテルのような内装に若干度肝を脱がれているのが現状だ。

 ちなみにエントランスには他にも屈強なギルドNPCが2体、それに従業員服だろうか、ホテルマンのような恰好をした男性プレイヤーが受付カウンターの奥で珈琲を傾けている。

 

「【リック】、お客様にお飲み物を。ココアで良いかしら?」

 

「は、はいぃぃいい!?」

 

 完全に裏返った声で返答し、壊れた人形のように何度もうなずいたオレにハルさんは温和な笑みを浮かべる。正直な話、インモラルな場所で働いているだけに、こんな対応をされると思ってなかったオレとしては、もはや心理的サンドバック状態だ。

 ホテルマン風の男性プレイヤー……リックと呼ばれた男はまだ若い20代前半だろう。ココアを運んできた彼もまた、犯罪ギルドの人間とは思えない程に柔和な顔だ。

 

「ココアにマシュマロは?」

 

「お、おお、おねが……ぁ!?」

 

「ふふふ。緊張しないで。じゃあ、特別サービスで3個入れておくわ。はい、どうぞ」

 

 マシュマロ入りココアを手渡されたオレは、そのどろりとした甘さに若干の落ち着きを取り戻す。ああ、そう言えば母さんも冬の日にはよくココアを作ってくれたっけ。

 しかし、このココア1杯でも150コルはするだろう。これを無料サービスで提供するとは、この娼館は余程経営状態が良いのか。なんか、それはそれで『黒字』とはどういう意味か分かるだけに微妙な気分だ。

 DBOでは倫理コードが存在しない。即ち、VR空間上でプレイヤーを縛るのは社会で育まれた共通的道徳観念だけだ。そして、それは軽々と崩壊し、人間は理性という毛皮を剥ぎ、中の欲望と本能に塗れた血肉を露出させていく。

 それが汚らわしいという人間もいるだろうし、むしろ開放的であると喜ぶ者もいる。オレはどちらでもないが、茅場の後継者がわざわざ倫理コードをDBOに組み込まなかったのは、人間の悪意がより露見し易くなるからだろう。

 

「お客様の年齢を伺っても良いかしら? よろしければお名前も」

 

「ね、年齢は……19歳、です」

 

「あら、てっきり15歳くらいだと思ってたわ。童顔なのね」

 

 よく言われます、はい。大学では中学生扱いとか普通でした。夜の街を歩いていたら警察官に補導されるのはデフォでした。

 それもこれもSAOに囚われた3年以上で成長期を潰されたからだ! お陰でオレは発育不良著しいんだよ! おのれ、茅場晶彦! この恨みは末代まで忘れんぞ!

 

「名前は……その、言わないと、駄目か?」

 

「いいえ。お客様の顔を覚えるのも私の仕事の1つ。後でメンバーズカードを渡すから、次回来店の時からはそれを提示して頂戴ね」

 

 なるほど。まぁ、確かに娼館に出入りするヤツが一々名前を名乗っているわけないか。男性プレイヤー同士ならばともかく、女性プレイヤーとかの目には耐えられないだろうしな。

 ココアを半分ほど飲んだオレは、一息入れて自分が店の雰囲気に呑まれていると自覚する。

 そうだ。オレが娼館に足を運んだのはエレインが身受けしたという女性プレイヤー……十中八九、同じギルドのメンバーであり彼の恋人でもあったアイラの行方を探る為である。

 恐らくだが、アイラとエレインは同所に潜伏している。アイラの居場所さえつかめば、エレインも芋蔓で確保できるという算段だ。

 その為には娼館のサブオーナーであるというハルさんから情報を引き出さねばならないのだが、彼女をどう攻略したものだろうか。正直な話、アウェイの時点でオレの敗北は濃厚だ。その為にも人生経験豊富そうなクレナイが傍にいてくれれば幾分か楽になったのであるが、肝心要の時に姿を消しやがった。

 

「さて、まずは本店【ムーンドロップ】のシステムを説明するわ。まずその1、女の子への暴力は禁止。貴方は大丈夫だと思うけど、興奮するとサディスティックな自分も知らない一面が現れる時があるわ。注意してね。それに、女の子達はレベルが低い子が多いから、下手にSTRが高い人のパンチだとHPが大きく削れてしまうわ。もしも全損させてしまったらどうなるかは言わないでも分かるでしょう?」

 

 なるほど。確かに言われてみればその通りだ。オレのレベルは40でSTRも低めであるが、それでもレベル1でなおかつチュートリアルボーナスを1ポイントとしてSTRに配分していない者からすれば数倍にも到達する。

 一応だが、ここは個人所有の店なので安全圏化しているが、それでも安全圏の恩恵を得られる人数は厳格に建物や土地の規模によって定められている。この娼館ならば、せいぜい20人が限度だろう。ゲスト登録枠はその半分だから、せいぜい10人か。

 

「だったらゲスト登録すれば良いじゃねーか。それじゃ駄目なのか?」

 

「ふふふ。お客様はまだ若いわね。安全圏のお堅いガードがあったら出来ない『楽しみ方』もあるのよ」

 

 ……大人の世界って怖いわー。オレ、さっさと大人になって酒を飲みたいと思ってたけど、なんか未成年のままの方が良いような気もしてきたぞ。

 

「ルールその2、お支払いは前払い制。よく居るのよね。楽しむだけ楽しんで、実はお金を持っていなかったって人が。飲食店と同じで、1度サービスとして提供してしまったら返品できないから、前払い制にしているの。トラブル防止の為よ」

 

「……その言い方だと、後からできたルールだよな? 昔はどんな風に対応してたんだ?」

 

 これは情報を引き出すチャンスだ。ムーンドロップの背後には犯罪ギルド【フォックス・ネスト】がいる。というか、ここはその経営だ。

 フォックス・ネストは数こそ多いが、比較的穏健派の犯罪ギルドである。主にインモラルな店舗の経営を行っており、どちらかと言えば犯罪ギルド寄りという表現が適切かもしれない。

 困ったようにハルさんは眉を曲げ、頬に手を置いた。どうやら昔、余程酷い事があったらしい。

 

「あるギルドのお偉いさんが部下を引き連れて来店してね、遊ぶだけ遊んでコルが足りなかったのよ。名のあるギルドだったし、仲間に連絡して足りない分を持って来させればよかったんだけど、やっぱり外聞とかを気にしたのでしょうね。『足りない分はまけろ』って喚いちゃったのよ」

 

「ああ、あれは大変でしたね。確か聖剣騎士団の方じゃありませんでしたっけ?」

 

 飲み終えたココアを下げに来たリックも話に加わる。どうやら彼もその場に居合わせていたようだ。

 というか、聖剣騎士団の連中も娼館とかに来るのか。ディアベルのイメージがどうしても先行しているオレだが、考えてみればアイツみたいな清廉そうなヤツばかりが集まっているわけじゃないか。

 それもお偉いさんって事は幹部……円卓の騎士の誰かか? それとも騙りか? まぁ、この辺りの情報はゴシップネタになりそうだし、今度それとなくパッチにでも聞いてみるとしよう。何か面白いネタを仕入れられるかもしれない。

 

「それでお酒も入っていたみたいだから大暴れされてね、私達にはまともに上位プレイヤーの方々と戦える人はいないし、だからチェーングレイヴの方に来ていただいたのよ」

 

「爽快でしたね。たった2人で8人の上位プレイヤーを制圧したんですから。惚れ惚れしちゃったなぁ。しかも、1人は女の子ですよ、女の子! 俺、情けなくなっちゃいましたよ」

 

「レベル制だから仕方ないわ。リック、貴方には貴方の仕事があるのだからね」

 

 和やかな会話であるが、重要な情報が幾つか紛れ込んでいた。

 フォックス・ネストとチェーングレイヴは関係は良好であり、相互協力に近しい間柄かもしれないという事だ。即ち、エレインのアイラの身受けに関する動向はフォックス・ネスト側のリークによって把握されていた確率が生まれたわけだ。

 今回の騒動の隠れた肝として、これはクラウドアースの内部粛清に関わる事件という事以外に、チェーングレイヴからすれば大ギルドの構成員を殺害するという、下手すれば全面戦争にも発展しかねない火種だという事だ。今頃チェーングレイヴは血眼で、あらゆる情報網を駆使し、エレインの居場所を探しているだろう。

 だとするならば、既にエレインが身受けしたという情報はチェーングレイヴ側に漏れているという前提を成立させた方が良い。事件発生から3日目で、まだチェーングレイヴ側からアクションが無いとするならば、娼館側にはアイラの居場所に関する情報は無かったか、既に情報が古くて役に立たなかったのかのどちらかだ。

 どうする? 探りを入れても情報を得られないかもしれない。というか、個人的にこれ以上この場にいては、オレには早すぎる『大人の世界』に踏み込んでしまうかもしれない。

 

「ごめんなさいね。お客様からすれば、こんなお話退屈なだけよね? それじゃあ、そろそろ女の子の紹介を始めようかしら」

 

 いや、もう少し待ってください、お願いします!

 だが、俺の願いも虚しく、ハルさんは1冊のファイルをアイテムストレージから取り出すと、まるで絵本でも子供に見せるかのようにオレに寄り添ってファイルを開く。もう少し離れてください。あなたの分厚すぎる胸部装甲が腕に当たって心拍数が危険域に達しそうなんです!

 ファイルの中には、それぞれがポーズを取った女性の写真が収められていた。写真の下にはプレイヤーネームか、それとも偽名かは定かではないが、それぞれの名前と趣味や好きな食べ物などのどうでも良い情報が記載されている。

 容姿は可愛い子から普通の子まで様々だ。人数は全部で20人から30人程だろうか。これ程の数がいるとは、正直侮っていた。

 彼女らは自分の意思で娼館で働く事を選んだのだろうか? それとも借金の為、仕方なくここで働く事を余儀なくされているのだろうか? チェーングレイヴとの関係を考えれば、借金の方が濃厚そうだ。

 ……いや、シリアスに考察している場合じゃねーだろ! 人生最大のピンチだろ!? この窮地をどう脱するのかだけを考えろ!

 

「【ネール】ちゃんなんてどうかしら? 何事も最初が肝心だし、彼女なら優しくリードしてくれると思うけど」

 

「え、えと、その……あの……っ!」

 

「【ウェンナ】ちゃんは……あの子は表情が暗いからお客様には罪悪感が強いかもね。でも、性欲は強い子だから、すぐにノリノリで逆に――」

 

「うわぁあああああああああ! うわぁあああああああああ! タンマ! ストップ! ウェイト! Wait! Wait! Wait!」

 

 立ち上がったオレはゴキブリの如く店の隅に移動する! あれ? これって逆に逃げ場無いんじゃない?

 

「ごめんなさい! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! 興味本位だったんです! オレ、ま、まままま、まだ、そういうのは早いって言うかその……!」

 

「ハハハ! 男らしくないぞ! 別にコルが足りない訳じゃないんだろう? だったら、何事も経験さ!」

 

 滅茶苦茶良い笑顔で白い歯を輝かせながらグーサインするリックに、コイツが娼館で働いているのは薄暗い過去があるからとかではなくて、爽やか系エロ馬鹿だからかと即座にオレは理解する。いや、理解したところで状況は好転しないんだけどさ!

 

「こら、リック。あまりお客様を困らせても駄目でしょう? でも、本当に可愛い子ね。今時の男の子って、こんなにピュアなの? 今は飢餓系男子が流行ってるんでしょう?」

 

「いやぁ、お客様は天然記念物級だと思いますよ? あれ? もしかして、キミってファーストキスとか夢見ちゃうタイプ?」

 

 しかもリックが段々と馴れ馴れしくなっているんですけど!? それに、ハルさんの妖艶さも何かこう……不健全な方にどんどん傾いて、なんか顔がエロティックに赤みを増しているんですけど!?

 というか、ファーストキスとか大事にして何が悪いんだよ!? そういうのは、好きな子というか……嫁っ子とするものだって隣の家のおばさんも言ってたもん!

 

「あ、もしかして図星? 図星図星? え? マジで? いかんなぁ。いかんですなぁ。キミ、恰好からして上位プレイヤーだろう? 常に戦場に置く者は、その分だけ子孫を残そうという本能が働くわけだよ。分かるよね、キミぃ! つ・ま・り、キミがここに足を運んだのは、恥ずかしがることが無い欲求なのさ!」

 

 オレの肩に腕を回し、拳を握って力説するリックを払い除け、オレは必死に呼吸を整えようとするが、いつの間にか背後に回り込んだハルさんに両肩をつかまれる。あ、ヤベェ。勝手にこの人レベルが低いと思ったけど、オレよりSTR上だぁああああ!?

 生温い、背筋を震えさせるようなハルさんの息吹が耳を撫でる。骨抜きにされかけたが、何とか精神力で耐え抜いたオレの首にハルさんが腕を回してくる。

 

「お客様みたいな人は珍しくないのよ? 土壇場で踏ん切り付かないなんてよくある話。普段はゆっくりと落ち着かせてあげるんだけど、お姉さんもたまには貴方みたいなピュアな子と『遊ぶ』のも悪くないなーって思ってるのよねぇ」

 

 そして、こっちもこっちで肉食!? てっきり、仕方なく娼館の管理人しているのか、あるいは仕事に真面目に取り組むだけのプロフェッショナルかと思えば、もしかして普通にエロい事が好きだから適材適所されているだけなのか!?

 

「フハハハハ! 安心したまえ、お客様! ハル姐さんは仕事に着く前に女の子の研修を執り行う『指導係』でもあるから一流さ!」

 

「全然安心できねーよ!」

 

 というか、『指導係』ってつまり……『指導』ってわけかぁあああああああ!? もう、オレも思考がグチャグチャ過ぎて意味分からねーよ!

 おのれ、茅場の後継者め! ここまで……ここまで計算していたというのか!? ここまでがトラップだったというのか!? ふざけんじゃねーぞ!

 

「フフフ! 久しぶりに滾って来たわぁ。最近は『指導』ばかりで、男とはご無沙汰だったのよね。大丈夫。特別価格で楽しませてあげるわ。私が貴方を『男』にしてあげるからね?」

 

 ようやく、オレは自分が今まさに『狩られ』、『奪われ』、『喰われる』側であると理解した。こ、こここ、これが被捕食者の立場か! まるでアナコンダに絞殺されるカピバラの気分だ!

 助けてくれー! 助けてくれー! クレナイさぁああああああん!

 オレの願いが通じたのか、玄関の扉が開かれ、冷たい外気が流れ込んでくる。だが、雪を踏み鳴らし、肩に詰まった白雪を払いながら入店したのは、スキンヘッドの頭をした紺色の長衣を纏った30代半ばくらいだろう男だ。

 

「あら、いらっしゃいませ、マクスウェル様。今日はどのような御用で?」

 

 先程までの艶やかさを引っ込めて、ハルさんはオレから離れると恭しくマクスウェルと呼ばれた男に頭を下げる。リックも余所余所しく、まるで逃げるように受付カウンターの方へと足早に移動する。

 どうやらこの態度、お客ってわけじゃないみたいだな。オレは注意深くマクスウェルを観察し、その首に小さくではあるが、十字架に鎖が巻き付いた刺青が入っていることに気づく。

 チェーングレイヴ! オレは臨戦態勢を取りそうになるが、そもそもチェーングレイヴ側からすれば、せいぜいクラウドアースよりも先にエレインを探し出したいという程度だろう。だが、油断はできない相手だ。

 オレは咄嗟にマフラーを口元に引き寄せ、首を曲げて前髪を垂らして顔を隠す。ハルさんやリックはオレが【渡り鳥】と気づいていないようだが、このマクスウェルという野郎からはただならぬ雰囲気を感じる。

 

「新人を連れてきた。面倒を見てやってほしい」

 

 そう言ってマクスウェルが指を鳴らすと、2人のややデチューンされた感があるマクスウェルに似た長衣を着た2人のギルドNPCが1人の女性プレイヤーを連れてくる。

 年齢は20歳前後。オレとそう変わらないだろう。怯えた犬を彷彿させる、嗜虐心を煽るように震えている姿を見て、彼女が望んでこの場所に来たわけではないのだとオレは理解する。

 

「名前は【リンダ】。年齢は21歳だ。借金総額は利子を含めて62万コル」

 

「リンダちゃんね。こんにちは、私はハルよ。この娼館のサブオーナーで、女の子たちの管理人をやっているわ」

 

 安心させるように笑顔を向けるハルさんに、リンダはおずおずと頷く。彼女の肩を優しく抱き、ハルさんの胸に彼女の顔が埋まる。

 その様子を淡々と見守っていたマクスウェルの目に感情らしい感情は無い。それは見慣れたというものでもなく、擦り切れたというものでもなく、純粋に興味が無いからなのだろう。あくまで、彼は仕事として足を運んだだけに過ぎないのだ。

 

「本日の要件は以上で?」

 

「いや、例の件だが……何か情報は?」

 

「アイラちゃんの行方ですか? 申し訳ありませんが、先日お渡しした以上の事は何も……」

 

「……そうか。それなら構わん。それよりも支払いの用意を頼む」

 

「では奥で。申し訳ありません、お客様。しばらくお待ちいただいていても?」

 

 願ってもいない要望だ。即座に逃亡させてもらおう。オレはどうぞ長々ごゆるりという願いを込めて頷く。

 しかし、やはり当たりか。オレはふらふらと左右に揺れながら、精神力を回復させながら娼館の外に出る。

 

「エレインの恋人のアイラはここで働いていた。それを身受けしたのも確実だな」

 

 そして、マクスウェルというチェーングレイヴでも高位にいるだろう男は、アイラの行方を探している。つまり、娼館側が情報を隠蔽でもしていない限り、ここで得られる情報からはエレインを追跡できないという事だ。

 ふりだしに戻る……か? いや、まだだ。せめて娼館側が保有していた情報さえ閲覧する事が出来れば、そこから何かしらの手がかりが得られるかもしれない。

 悩んでいるオレは娼館の雪が積もった前庭を歩きながら、どうにかして情報を得る方法は無いだろうかと頭を悩ませる。

 

「そもそも『支払い』って何だ? みかじめ料ってわけじゃねーだろうし」

 

 フォックス・ネストとチェーングレイヴの関係から洗い出してみるか。そこから見える物もあるかもしれない。

 

 

 

「『支払い』って言うのはね、借金を抱えた女の子を娼館がお金を出して『買う』って事だよ」

 

 

 

 だが、突如として雪を踏み鳴らしながら、1つの声がオレの耳を擽る。

 

「チェーングレイヴはね、借金を抱えた支払い能力が無い女性プレイヤーを売りとばすんだ。でも、娼館とか経営するのは面倒だから、友好ギルドであるフォックス・ネストにお金で買い取ってもらっているんだよ。それで借金をチャラにするんだ」

 

 それは少女の声だった。振り返れば、まるで灰色の空から舞い落ちる雪とダンスを踊る様に、2匹の大きな狼を連れた黒紫の少女が踊っていた。

 凍えるような冬の風と靡くのはパープルブラックのロングヘア。胸部には丸みの帯びた薄型の胸当て。青紫のロングスカートを靡かせて、腰に指す剣は『アイツ』を彷彿させるような黒の片手剣。

 

「よく誤解されているけど、チェーングレイヴは『戦う為』だけの犯罪ギルドなんだ。犯罪ギルドとしてのノウハウは持っているけど、麻薬系アイテムの売買や市場開拓、娼館や賭博場の経営も大半が他の犯罪ギルド任せなんだよ。お仕事の大半が取り立てとか用心棒なんだ」

 

 無邪気。そんな表現が似合う微笑だが、その目元を覆うアイマスク型の鈍い銀色の仮面のせいで、それが真実か否かは窺い知れない。

 

「お兄さん……で良いよね? 多分、ボクよりも年上だと思うし」

 

 ふわりとオレの前まで跳んだ少女は仮面越しでオレの顔を見上げる。息が触れそうな程に近しい距離などであるが、そこには色っぽさよりも子どものような無垢さが際立ち、それが逆に彼女の純然たる色気のようにも感じる。

 その首から下げるペンダントは、チェーンが十字架に絡まっている。それはオレも馴染みになったチェーングレイヴのエンブレムそのものだ。

 だとするならば、こんな少女もまた犯罪ギルドの1員なのだろうか? 一瞬信じられないような気もしたが、思えばアスナも攻略の鬼だか何だか言われていたが、元々は良家のお嬢様だったという事を現実世界に戻ってから知って愕然としたし、先入観は危険という事だろう。

 

「あのお姉さんもね、随分と借金から逃げ回ってたんだ。他のギルドに匿ってもらってて、でもボクたちが怖いから助けを求めた人たちに僅かな情報料で売られた哀れな人なんだよ。マクスウェルさんとかはドライな人だから、あまり気にしないけど、少し可哀想だったなぁ」

 

 くるりと反転し、雪を蹴り上げて2匹の狼の鼻先にぶつけた少女は、怒った狼たちに追いかけられる。それを笑いながら少女は逃げ、飛びかかられた狼の舌を擽ったそうに受け入れる。

 恐らくモンスターの類だろうが、ここまでの友好関係があるとなると≪調教≫で飼育したモンスターではなく、≪テイマー≫スキルでテイミングしたものだろう。オレも初めて見たが、確か聖剣騎士団の幹部の1人が≪テイマー≫スキル持ちだったのではないだろうか? 極めて希少なエクストラスキル……準ユニークスキルとも言われる≪テイマー≫持ちのプレイヤーまでチェーングレイヴにいるとは恐れ入る。

 

「お兄さんは娼館に来るタイプじゃなさそうだし、何か探しに来たんだよね? 教えてあげても良いよ。ボクね、暇なんだ。マクスウェルさんと一緒に来たんだけど、『女の子は入っちゃ駄目だ』って言われちゃって。だから、ボクと遊んでくれるなら、何でも1つ質問に答えてあげる」

 

 腰の片手剣を意識させながら、少女は誘うように問う。普段のオレならば誘いに乗って剣戟でも楽しませてもらうのだが、オレの本能が止めておけと警告している。

 今のオレは武器を新調したばかりだ。まだ癖をつかめていない。敗色は濃厚だ。

 だが、それも一興か。オレは仕方ないとばかりに背中に背負う黎明の剣を抜く。

 

「勝負はデュエルで、形式はHP半分までの『ハーフ』で。それじゃ、行くよ!」




相変わらず、ドタバタでカオスな1日を過ごす主人公。他の皆は色々あっても1つや2つなのに、このハードラックっぷりです。
最後の少女は……まだ正体不明という事で良いでしょう。

それでは、85話でまた会いましょう。

追記-2015/05/31-
R-15タグの追加をした方が良いとアドバイスを頂いたので、この度追加させていただく事に成りました。
健全? それは投げ捨てるものです。
R-15タグが付いちゃったので、タグの範囲内で『これは不健全すぎる』とボツにしたネタをふんだんに使わせてもらうとしましょう!

……R-18はなりたくないですね、さすがに。

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