夏の日差しと、レベルアップと 作:北海岸一丁目
夢を見た、気がする。
あまり楽しくない夢。
睡眠と覚醒の狭間を揺蕩いながら、碇シンジは抵抗した。
目が覚めたら、覚めてしまったら、現実がやってくる。
思い出したくない事が、見たくない物が襲いかかる。
しかし、眠りにしがみつこうとすればするほど安楽地は遠ざかる。
薄く目を開けぼやけた視界が定まるのを待つ。ようやく見えてきた光景に、シンジは無意識ながら言葉を一つ零す。
「知らない天じょ……」
声を発したのが切っ掛けなのか、耳が声を拾ったせいなのか、あの記憶が次々に蘇る。
巨大ロボット。
血の匂い
使徒。
痛み。
高揚感。
安堵。
目。
ファンファーレ。
ファンファーレ?
自分を捨てた父に呼ばれてこの地を訪れ、ロボットに乗って怪物と戦い勝利、した?
そしてどこかで聞いたようなファンファーレが鳴り響き、目の前に文字が現れた。
そしてその文字を読む前に意識が遠ざかり……。
落ちる寸前に思ったのは、なんて無駄なサービスを、だった。流れを考えれば勝利した事に対する祝福の意味での効果音なのだろうが、そんな事よりもっと強力なロボを作れよと。
思い出し、やや憤りながらシンジは体を起こした。見回してみると、妙に広い部屋にぽつんと置かれたベッド。白で統一された室内。漂う匂い。察するに病院であるらしい。
枕元を探るとコードが繋がったスイッチがある。ナースコールだろう。とりあえずボタンを押し、ボンヤリと考え込む。これからどうすれば良いのかと。
ロボット。エヴァンゲリオン。人造人間と言っていた紫色のアレに乗って、また戦うことになるのか。
父に対して何かを期待していた訳じゃない。否、やはり期待していたのだろうか。今まですまなかった、これからは一緒に暮らそう。そんな甘い願望を。しかし与えられたのは強制と、痛みと、失望と。
自分が乗ると言ったのも、正直、場の勢い的な感もある。怪我を負った同年代の少女が乗せられようとしている事への反抗も。
だが、と、そこまで考えてシンジは違和感を抱いた。他ならない、自分に対してである。
自己分析。自分はこんな事をする人間だっただろうかと。
病室のドアが開き、医師が入ってくると気分はどうか等の問診が始まった。どこかに不調はあるかと聞かれたので、何か色々考えてしまう、と先程までの考えを正直に話したが、無理もないとボソリと呟かれてそれで終わりだった。
医師の診断としては体は完調。いつ退院しても構わないが、ロビーで迎えが来るまで待つようにと言われ、ベッドサイドに置かれた着替えを指し示された。
入院着から第3新東京市に来る時に着ていた学生ズボンとシャツ。L.C.L.という血なまぐさい液体に浸かって駄目になったかと思ったが、綺麗にクリーニングされ袋詰されていた。
この服で訪れたのも、自分にできる最上級のフォーマル衣装がこれだったという程度の意味しかないのだが、父に会うという事が自分にとってそこまで大きかったのかと、今更に気付き、シンジは苦く笑った。
ロビーのベンチに座りながら見るともなしに窓の外を眺めると、この病院はジオフロント内にあるようだった。何がどうなっているのか地下であるにも関わらず光に満ち、緑が生い茂って湖には船まで浮かんでいる。アーチ状の天蓋から生えている構造物が落下したか瓦礫が散乱しているが、それを抜かせば随分と整った綺麗な場所だ。地下という特殊な環境で働く職員への配慮だろうか。
葛城ミサトから受け取ったパンフレットによれば、ここはネルフという国連直属の特務機関だ。そしてその後の事も踏まえて考えれば、エヴァンゲリオンを使って巨大な怪物、使徒と戦う為の特務機関である。それならジオフロント内は施設やら機械やらで埋め尽くされていてもおかしくはないのだが、そうはせずに自然環境を保護したか、あるいは作り上げたかして保っている。そこまでの配慮ができるならば、直前に自分を呼び出して戦わせるという無遠慮加減はどういう事だろうか。
格納庫にストレッチャーで運び込まれた少女はかなりの重症を追っていたが、あの怪我が想定外だったのだろうか。
自分らしくないと再び思いながらも、暇潰しがてらに考えを進めていくが、病み上がりという事もあり疲労感を覚えてシンジは目を瞑った。
いつまで待てば良いのかな。喉が渇いた。自販機はあるけど、財布はミサトさんの車に荷物と一緒に置いたままだし。
そう思った時、視界の隅に白いものが写っている事に気が付いた。
よくよく見ると小さく「メニュー」と書かれている。光の残像が目を瞑っても見え続けるのはよくある事、と放っておこうとしたが、思い返し、目を開いて確認するも、視界内にメニュー等という文字は無い。病院は食事処ではないのだから当然である。
ではこれは何なのか。
目が覚めた瞬間から存在していたが、白で統一された病院内の光景で、白文字が溶け込んで見えなかったのだろうか。
見やすくする為に再び瞼を閉ざし、文字に意識を向けると、カチリ、という音が聞こえた様な気がした。そして視界に枠が表示され、その中に文字が現れた。
想像外の事に息を呑み、声を上げそうになる自分を押さえ込む。
目を開けて周囲を見回してみると、見辛いながらもそれは確かに見える。表示の向こうに、医師や看護師が動いているのだ。
何が起こっているのか。
目を閉じ、表示された文字を読もうとする前に更に枠が展開され、別の文面が現れた。
『中断された処理を再開します』
意味が分からずただだた見入るシンジの視界に新たな文字が現れる。
――――――――――――――――――――
碇 シンジ はレベルが上がった!
筋力が 2 上がった!
体力が 2 上がった!
敏捷が 3 上がった!
精神が 1 上がった!
知性が 3 上がった!
運が 上がらなかった!
5 ボーナスポイント を得た!
5 スキルポイント を得た!
――――――――――――――――――――
あの音、どこからか聞こえてくるファンファーレと共に表示された、何かのゲームの様なメッセージ。
目を開けて音の発生源を探してみるも、どこから聞こえてくるのかも分からない。強いて言えば頭の上の様な気もするが、天井を見てもスピーカーは無い。更に、ロビー内の人間はこれが聞こえないかの様に振舞っている。可能性として考えられるのは、このファンファーレが日常茶飯事か、あるいはシンジにしか聞こえていないかだ。
見回している間にも何度もそれは鳴り響き、十数度に及ぶ効果音、そして「レベルアップ」とやらはようやく終わった。目を瞑ると上がっただの得ただのという文面が並び、しばしの後それは閉じられた。
残っているのは「ステータス」「スキル」「メッセージログ」「設定」の四項目が表示された枠のみ。
分からない。
何が起こっているのか分からない。
どんな意図があるのかも。
シンジはしばし考え、ある可能性に思い至り、身震いした。
人造人間エヴァンゲリオン。「人造人間」である。ここは人ひとりを巨大な形で造り上げた組織なのだ。人を「造れる」なら、人を「改造」する位容易いのではないだろうか。
ミラービルに映ったあの目。潰されてたのが急速に再生し、動くのを見た。肉がブクブクと盛り上がり、亀裂ができてそこから眼球がせり出してくるのを確かに見たのだ。
エヴァンゲリオンは「生きて」いる。
そしてエントリープラグという操縦席を体に納める区画を作られてなお「死んで」ない。
スケールの違いはあれど人造人間であるなら、これは人体改造と言って間違いない。改造の実績は既にあるのだ。
先程から妙に頭が回るのもその影響か。
自分は、改造されたかもしれない。
否定したいが、しきれない。その為の材料が無い。
荒唐無稽なのは分かるが、そもそもエヴァンゲリオン自体が荒唐無稽だ。
激しく打ち付ける心臓を無視し、顔や腕を触ってみるが、感触に違和感は無いし頭に縫い目があるという事も無い。
考えすぎだろうか。
だとしたら、この現象は何だ。
いきなりバタバタと動き出したシンジに何事かという視線が向けられるが、シンジにはそんなものに構ってる余裕は無い。許可や同意も無く改造された(かもしれない)のだ。周囲の事などどうでもいい。
「シンジ君、何やってるの?」
動きを止めて声を掛けてきた人物を見ると、迎えに来たらしき葛城ミサトだった。
意を決して、シンジは問いかける。
「僕の体に、何かしましたか?」
何を言われたのか分からないミサトは、何の事かと問い返した。
体に何かを埋め込んだりいじったり、とシンジが説明を始めると、ミサトは言葉を遮り、携帯電話を取り出して誰かと話し始めた。やや離れ、口元を隠しながらの通話だが、所々漏れ聞こえた言葉には、精神汚染だのといった意味は分からないながらも剣呑なものが含まれていた。
話し終えたミサトはシンジの肩に優しく手を置き、悪夢でも見たのだろうとこれまた優しく語りかけた。あんな事の後だもの、仕方が無いわ、とも。
シンジにとっては夢ではなく、現在進行形の出来事である。ではあるが、この分ではまともな説明は無いだろう。
本人にすら知らされない事をされたのか、もしくは、ネルフとはまるで無関係な事なのか。判断がつかない。
俯きながら考え込む姿を見て落ち込んでいると思ったのか、ミサトはシンジの肩を抱いてエレベーターへと促した。
エレベーターのドアが開くと、そこには長身の男が立っていた。特務機関NERV最高司令官、シンジの父、碇ゲンドウであった。
ゲンドウの着る暗い色調の服を背景にした為、視界に映る白い表示が出たままだという事に今更気付き、どうしたものかと考えたが、シンジはとりあえず「消えろ」と強く念じてみた。意識を向けたら開いたのだから、同じ様にすれば閉じるはず、という考えだったが、どうにかそれは上手くいき、視界の右下の「メニュー」に格納されていった。
改めてゲンドウを見ると、何か不機嫌そうな雰囲気を発していた。何かしただろうか、と考えたが、思い返してみれば先程の一連の行動は父を見ながらやったものだ。向こうからは睨みつけられた様に見えたかもしれない。
謝ろうか、と考えかけたシンジだったが、まあいいや、と放っておくことにした。考えてもみれば、何年も放置された相手にそこまで気遣う必要もない。発した言葉は別の事だった。
「これからは僕もここで働くの?」
「……そうだ」
違う反応を期待していたのか、ゲンドウの返答はやや遅れたものだった。
「お給料とか出るの? 僕、中学生だけど」
「……ネルフには特別権限がある」
「権限があるから『出る』の? 『出さない』の?」
「尉官待遇で出す」
「そう。分かった」
シンジが考えたのは安定した生活の確保だった。
汎用人型決戦兵器などというパンフレットにも載っていないものに、どこからどう見ても機密の塊という代物に乗せられたのだ。何らかの区切りがつくまでは逃げられないのは明らかである。ならばその間の生活を確保すべき、と割り切ったのだ。それに比べれば目の前の人物との確執なぞどうでもいい。
どうでもいい、と片付けてしまえる自分に少し驚きながら、シンジは閉じていくドアの向こう、ゲンドウに向けてバイバイと手を振った。
迎えに来たとはいえ、ミサトの役目はただの案内役であるようだった。次のエレベーターに乗り込み、ムービングウォークやエスカレーターで移動する。
「お父さんの事、苦手じゃなかったの?」
無言だったミサトが話しかけてくるが、シンジはどう答えたものかと迷った。ミサトの車の中での時と比べ、どう考えても心の有り様が違っている。変に頭は回るし、心もだが何か体が軽い気がする。改造、はどうか分からないが、全てが変わっている感覚があるのだ。説明しようにもまだ把握できていない事が多く、結局シンジは「どうなんでしょうね」と曖昧に笑った。
向かった先は本部施設の一室だった。と言うより、病院そのものがピラミッド型の本部内の一角にある様だが。
床はディスプレイとなっているのか、ジオフロントの天井からと思われる本部の映像が映し出されている。何の為かは分からないが。
空に浮かぶかの様な室内で告げられたのはシンジのこれからの待遇であった。給与、階級、守秘義務である。サインや判子は要らないらしい。
説明が住居に関する事に移ると同席していたミサトが異議を唱えた。本部内の第6ブロックなる場所に個室があるとの事だったが、それで良いのかと言い出したのだ。構わない、というか大歓迎である。今までが今までなので、一人暮らしというものにちょっとした憧れを持っているのだ。
だが、彼女はそれが気に入らない様で、シンジの返答をどう解釈したのか、こう言った。良かったら私と一緒に住まないか、と。
「嫌です」
他人と住まなければならない理由が無いのである。給料が出るなら自活に問題は無いし、物欲も薄い方なので散財の危険も少ない。そして何より一人暮らしがしてみたい。目の前に人参がぶら下がっているのだ。飛びつくのを邪魔しないでもらいたい。
真っ直ぐに断られるとは思っていなかったのかミサトは共に住む事によるメリットを色々と並べていくが、シンジは心動かされる事無く、
「お断りします」
と再度拒否した。
説明役の職員はこの場を早く終わらせたいのか、本人もこう言っている様ですし、と締めようとするのだが、それが気に触ったのかムキになっているのか、ミサトはシンジの腕を掴み、引きずって部屋を退出した。この件については私が責任を持つと言い残して。
通路へ出たミサトは手近な端末に飛びつき、どこかへと連絡をとった。出てきた名前からすると相手は副司令なる役職の人物、その次は赤木リツコであるらしい。
シンジの認識では、初対面が水着姿だった女性である。そして状況が押し迫っていたせいでもあるが、エヴァに乗る前に非常にざっくりとした説明をしてくれた人物でもある。考えた通りに動くからとにかくレバーをしっかり握っておけ、というざっくりにも程があるものであったが。
実際「歩け」という思いに反応して歩いたのだからそれはそれで良いのだが、それならレバーは何の為に握ったのだろうか。体を固定する為か。いやそれならシートベルト的なものを付けるべきでは。
シンジの疑問は尽きない。
悩んでいる間にミサトの元に引き取られる事に決定したらしく、シンジは、強制的とはいえ組織の構成員となってしまった以上は個人の意見なんて受け入れてもらえないんだ、と諦観の思いを抱いた。
コンビニで色々と買い込んでのミサトにとっての帰り道で、シンジはどこか高台の展望台へと連れ出された。買い物前にミサトが今夜はパーッとやると言い出したが、何をやるのかと聞かれたがっていると判断したシンジは無視を決め込んだ。希望を台無しにされた事の細やかな仕返しであった。
夕焼けに照らされた街が見える。四角く区切られた区域等が見えるが、建物が少なく殺風景な印象がある。
先程から腕時計を見ていたミサトが、時間だ、と呟くと周囲にサイレンが鳴り響き、機械の駆動音が、次いでビルが生えるかの如く地面からせり上がっていくのが見えた。
使徒迎撃専用要塞都市、第3新東京市。
報道ではここへの遷都等も言われていた様に記憶していたが、それは擬態なのだろう。迎撃専用要塞、つまりネルフはこの街そのものを武器としてあの化物と戦うつもりなのだ。遷都云々は建造費用を集める口実か。
山の向こうへと沈んでゆく夕日を眺めながら、何かが変化した自分を省みた。
これからは全てが違っていくのだろう。そんな予感が胸の内に渦巻いていた。