夏の日差しと、レベルアップと   作:北海岸一丁目

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第四話

 

 今日の帰りなら時間取れるけど、どうする?

 燃えるゴミをマンションのゴミ置き場に置いて登校する道すがら、着信した携帯電話から聞こえてきたそんな言葉に、シンジはお願いしますと返事をした。相手は青葉シゲル。ネルフ本部のオペレーターである。

 共に楽器を特技としている共通点から交流を持ったのだ。指の皮が剥けた等の話をしていく内にシンジはシゲルの扱うギターに興味を持ち、暇を見て一緒に楽器店に行くと約束していた。電話はその確認である。

 未成年者への配慮か、訓練や実験があっても夜になればシンジを帰宅させてくれるが大人はそうは行かない。使徒の出現を監視する必要から、また朝昼夜という区割りに従っていられないという状況から勤務時間は長いし休みは少ない。前回の使徒襲来から三週間、今日になってようやく二人の退勤時間が重なったのだった。

 

 シンジがギターに興味を持ったのは、実のところ最初は話を合わせる方便であった。楽器を扱えるという取っ掛かりがあったので向こうに合わせれば話はより転がると考えたのだが、何度も話したりたまたまシゲルが持っていたCDを借りて聞いたりしていく内に本当に興味を持ってしまった。何より魅力なのは金額であった。特に消耗品の。

 楽器本体は安物を、安物と言っても数十万円はするが、持っているから良いとして、チェロの場合、弦も弓毛も数千円から、弓本体は数万円から、上限は天井知らず。中学生にして自分の給料で生きていく破目になったシンジにとってこの出費は大きい。すぐさま交換しなければならない訳でもないが、金額が大きすぎるのだ。

 それに対してギターの弦は数百円から。魅力的すぎる金額である。初期投資としての購入代金はかかるが、後はこまめに手入れして大事に扱えばそこまで金がかからないというのは嬉しい。やっていると言うより辞めていないだけのチェロより、やってみたくて始めるギターの方が健全だろうとも思う。まあだからといってチェロを捨てる訳ではないが。

 勿論今日店に行ってその場で買うつもりは無い。初任給は口座に振り込まれており予算的には問題無いのだが、やはり高い買い物は自分の目で見た後に検討の時間が必要と思うのだ。

 

 

 

 浮き立った心を鎮めつつ学校へと到着し自分の席につくと、シンジは音楽プレーヤーを取り出してイヤホンを耳に押し込んで外界を遮断した。再生ボタンを押すとシゲルのお気に入りのバンドの曲が流れる。これも借りてコピーしたものである。今までクラシック一筋であった自分の体にロックを、ポピュラーミュージックを馴染ませる為だ。どちらかと言えばロックよりポップスの方が好みなんだけど、とは思っているが、タダで聞けるのだから文句は無い。そして何か背中に突き刺さってきている視線を無視するのにも有用だ。

 最近減ってきている自分に向けられる視線だったが、今日は何故か強いものを感じる。面倒くさいなと、シンジは机に突っ伏して目を瞑った。授業まで寝るつもりであった。

 

 

 

 《碇くんが あのロボットのパイロットというのはホント? Y/N》

 

 唐突なチャットメッセージが端末に表示されたのは、数学教師がいつも通りにセカンドインパクトの話を始めた時だった。何度も聞いている内に分かってきたのだが、この教師はこの話をするのが大好きなのだ。授業をここまで進めると予め決めておき、そこに達するまでの一時限分の内容を時間を詰めて行い、そうした後に黒板に「セカンドインパクト」と書き込んでから始めるのである。ふと昔の記憶が蘇って話し始めるのでは断じてない。話をする為に授業を内容を圧縮しているのだ。週に一度以上は語られる内容だが、導入はともかく細部は異なり、時にはまるで違うエピソードも差し込まれる。しっかり聞いていれば面白い話ではあるのだが生徒の殆どは興味を持っていない様で、注意もされないのをいい事に友人とこっそり話をする時間として認識されている。

 かく言うシンジも別の教科のテキストを読みながら話を聞いていたのだが、だからこそメッセージに意識を割く余裕は無い。勉強が楽しいという珍しい中学生にクラスチェンジを果たしたシンジにとって、読む、聞く、で手一杯である。故に、メッセージを無視する事にした。

 

 《ホントなんでしょ? Y/N》

 

 緩いながらも守秘義務はあるし、言いたくなったら言っても良い程度の許可もあるが、誰から送られたメッセージかも分からないものに返答する義理は無い。そしてシンジは学校で「授業を受ける」以外の事をする気が無い。飾らずに言えば邪魔である。

 再度表示されるメッセージだったがやはり無視。ややあって、背後から「つまんないの」と女子生徒の呟きが聞こえてきたのも、周囲から失望の溜息が聞こえてくるのも無視であった。送り主が誰だろうと、どれだけ注目されていようと、名前も不確かな相手の好奇心を満たして差し上げる理由がシンジには無いのだ。

 結局そのままチャイムが鳴り、老教師の話は中断となった。と言うより、学級委員長のヒカリの号令で終わらされた。シンジ以外は誰も彼も、真面目な部類の彼女ですら最後まで聞く気が無いのだった。

 

 

 

 昼休みとなると同時にシンジはイヤホンを耳にねじ込んだ。触れるな、関わるなといういつものポーズである。プレーヤーをポケットに入れ、弁当を片手に屋上へと向かう。この所は胃の容量が増えたらしく、弁当箱にはおかずのみ詰め、そこにおにぎりを三つアルミホイルで包んでいる。こうなる前は放課後にコンビニで菓子パンを幾つか買って食べていたのだが、それではどこか物足りずコストパフォーマンスも悪い。以前の学校で運動部所属の生徒が、パンだと腹に溜まってる気がしない、と言っていたのを思い出し、なるほどなと実感するシンジだった。

 

 いつも通りフェンスにもたれて床に座り、音楽プレーヤーをポケットから取り出して床に置く。弁当を広げて食べ始めてしばらくすると珍しく屋上への客がドアを開けた。男子生徒が二人だ。シンジは一瞥した後はそちらを見るでもなく食事を続け、どんな用か知らないけどさっさと出ていってくれないかな、と考えた。基本的に無人だから使用していた場所である。もしここの常連となるなら新たな場所を開拓しなければならない。

 面倒くさいなと、最後のおにぎりに手を伸ばした時だった。太陽が遮られ、弁当に、体に影がかかった。はて、と見上げればそこにはジャージの生徒が腕組みをして立っていた。

 よく見れば学校指定のものではなく、そういうものに疎いシンジでも知っている大手スポーツメーカーのジャージ、つまり私服であった。制服改造や私服登校となれば、方向性はよく分からないが、これはひょっとして不良の類かもしれない。

 転校生が威を示そうとする不良生徒に絡まれるのはよくある話だ。しかし転校してから既に約三週間である。初動が遅すぎるのではなかろうか。

 考え続けるシンジにジャージ生徒は何事かを話している様だったが、イヤホンを通して音を送り続けるプレーヤーに阻まれ何一つ伝わらない。と言うより、シンジは最初から彼の相手をしようとはしていなかった。ジャージの確認をした後はアルミホイルを開いておにぎりにかぶりついてぼんやり考えていたのみである。強いて言えば、早くどこか行ってくれないかな、程度の思いしか無い。

 そんなシンジの態度が気に入らなかったのだろう。ジャージ生徒はシンジの前に置かれている弁当箱、飲み物、プレーヤーをまとめて蹴飛ばした。

 

「聞かんかいコラぁ!!」

 

 耳からイヤホンを引き抜かれたシンジに聞こえてきた最初の言葉はこれであった。

 それに対しシンジの答えは素早く返された。仁王立ちしているジャージ生徒と、座っているシンジ。互いの位置の関係で狙い易い、男にとっての絶対的な急所。即ち、目の前にある無礼者の股間への正拳突きである。

 

「オ、ゲェァ!」

 

 戸惑うな。やる以上は最大効率を目指せ。

 戦闘訓練での教官の言葉である。

 理由は知らないがあからさまに敵対しているのだから、攻撃して文句を言われる筋合いもやった事に対する後悔も無い。

 何かを吐き出す様な呻きを発して倒れるジャージ生徒を見やりながらシンジはやおら立ち上がると、今更になってもう一人、眼鏡をかけた男子生徒がいるのに気が付いた。特に表情も見せないままシンジが視線と向けると顔を青ざめさせながら後退る。こっちは何もしなくていいかと判断し、飛ばされた弁当箱の元へと歩み寄ると散らばった中身を拾って入れ始める。それが済むと音楽プレーヤーを確認するが、叩きつけられたのか部品が割れて散乱し、素人目にも明らかに修理は不可能な状態だった。

 一つ溜息をついて諦め、プレーヤーをジャージ生徒の近くに放り投げると、弁償してねと声をかけ、弁当箱を包んで立ち去ろうとした。

 

「ま、待たんか、い……!」

 

 呼び止めるジャージ生徒に振り返ると、床に転がったまま痛みに耐えて脂汗をダクダクと垂らしながらもシンジを憎々しげに睨みつけてくる。さっきの一発はともかくここまで恨まれるような事をしただろうか。

 

「お前、お前があのロボットのパイロット言うんはホンマか……?」

 

 授業中と同じ事を聞かれたがシンジに答えるつもりは無い。弁当をぶちまけられて、それでも普通に対応出来るほど優しく穏やかな訳ではないのだ。

 しかし、先日の戦闘で妹が怪我を負った、パイロットであるお前がヘボだったからだ、との言葉を聞くと方針を変えた。

 

「その怪我、何時頃なの?」

 

 ジャージ生徒は一瞬何を聞かれたのか分からない様子だったが、何かを考える様な仕草の後、昼過ぎだと言った。

 シンジは本部であの戦闘の推移を飽きるほど見ている。使徒との戦いの教材として使える記録がそれしかないためだが、それが故にすぐに気付いた。自分に罪は無いと。

 確認の為に怪我の前後の様子を聞くと、シェルターにいたら爆発の様な地響きの後に瓦礫が降ってきて妹が、との事だった。

 地響きというのは戦略自衛隊の設置したN2地雷の余波だろう。シンジ自身もミサトの車の中で体験したもので、あの時点ではシンジは非戦闘員である。指揮系統の関係上、パイロットであるシンジの責任どころかネルフですらあの件は無関係だ。

 一々彼らに説明はしない。自分を恨みたければ勝手に恨めと思いながら更に問う。シンジがパイロットだと言い出したのは誰か。

 ジャージ生徒は知らないのか眼鏡生徒の方を見る。シンジ、そちらに目をやると怯えながら答えた。言い出したのは知らないが学校中で噂になっているのだと。巨大ロボットが戦う状況から逃れる為に疎開が進むこの時期に転校してきたのだからきっと関係があるのだと。

 シンジの思いは、だから学校は嫌だと言ったんだ、である。口に出してはこう言った。

 

「君は僕がパイロットについてハイともイイエとも言わないのに、僕の物を壊したんだね?」

 

 と。

 続けて問いかけようとしたが、新たに現れた人物によりそれは遮られた。

 

「碇くん。非常招集。先、行くから」

 

 未だギプスの取れない綾波レイだった。端的すぎる言葉を残して立ち去る彼女を見送るとすぐに非常サイレンが鳴り始める。

 深く深く息を吸い、ゆっくりと、肺が空になるまで吐く。こんな奴らに関わってはいられない。気持ちを切り替え校門に向かい駆け出すシンジに眼鏡生徒が何かを言いかけたが未遂に終わった。何かを言われても無視したのだろうが。

 

 

 

 保安部の回した車に乗り込み、地下へと収容されていくビル群を遠く眺めながら本部に到着すると、すぐにプラグスーツ、生命維持や神経接続の補助機能を持たせたパイロットスーツに着替えてエヴァへと搭乗する。出撃のタイミングは発令所で指揮をとるミサトの指示待ちだが、状況を確認する為にエントリープラグ内に映像を投影してもらう。

 見ていく内に疑問が浮かんだシンジは通信で発令所に問いかけてみた。迎撃用のミサイルが効いていない様だが、パレットライフルの弾はあれよりも威力があるのだろうか。

 リツコの答えは否。前回の襲来ではA.T.フィールドの壁を崩せずN2兵器ですら足止めにしかならなかった。それを基準に考えるならばそれ以下の威力しか持たない火器は無いも同じであるという。

 A.T.フィールドとは使徒の持つ一種のバリアーだ。展開されるとほぼ全ての攻撃を無効化する壁となる。それを中和できるのはA.T.フィールドのみ。エヴァンゲリオンのA.T.フィールドのみである。これが使徒にはエヴァでしか対抗できない所以であった。

 

「最終的には接近戦になるわ。シンジくん、頼むわよ」

 

 リツコの言を受けてミサトから激が飛ぶ。臆するな、覚悟を決めろという事だろう。

 シンジとしても負けて死にたくはない。力強く、はい、と頷いた。

 

 外の映像を見ながら発進の時を待っていると音声のみの通信が入った。このタイミングで? と首を捻りながらつないでみると、発信者はシゲルであった。

 

「すまない。ギターはまた今度な」

 

 こんな状況で言う内容か?

 いつもの軽い調子で、しかし申し訳なさそうに言うシゲルに一瞬頭に血が上りかけたが、すぐにその意味に気付きシンジは笑った。

 これは気遣いだ。無事に戻れという労りだ。生き残れという激励だ。

 発令所は今修羅場だろう。直接武器を振るう訳ではないが、彼らも自分と同じく戦っているのだ。その貴重な時間を自分の為に使ってくれた。

 有難い。戦いに備え、知らずの内に緊張していたシンジの体から余計な強張りが消え、代わりに胸の奥に熱が灯った。シンジはそれを何と呼ぶのかは知らない。だが体中に広がっていくその熱を不快なものだとは思わなかった。

 

「頑張ります……!」

 

 返したのは相手の言葉とはつながらない一言だけ。だがそれでも伝わったはずだと思う。

 目を瞑り、集中を高める。

 

 負けられない。

 負けない。

 

 エヴァンゲリオンによる迎撃開始予定位置まで、使徒は残り数kmと迫っていた。

 

 

 

 

 

 






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