その瞬間、ラクス達の目の前で、すべてが爆発した。
〝ジェネシス〟から爆光が膨れ上がり、発生した白熱光に呑まれ、跡形もなく鋼鉄の砲城が消し飛んだ。それと時を同じくするように〝ヤキン・ドゥーエ〟の基部からも爆炎が発露し、岩礁と鋼鉄で造られた要塞もまた朽ちていく。
──僕達は、生き延びた。
──他にある、多くの命もまた。
キラには分からない。果たして、これが最善の結末だったのかどうか──
地球と〝プラント〟のどちらも、ついに撃たれなかった。結果的に見れば、大勢の命は救われた。世界は少なからず、地球圏全体を巻き込んだこの結末を歓喜こそすれ、後悔するなどあり得ない。
──それでも、個人として。
ちっぽけな感情すら抑え込めない、このときのキラにとっては、友を救いにいくことのできなかった自分を呪うことしかできなかった。
「ッ…………!」
悔恨に、ぎゅっ、とキラは唇を噛む。
しかし、まさか。
いや、まさに。
そんなときだったのだ。〝アークエンジェル〟において、チャンドラが、むっとしてレーダーを覗き込んだのは。
〈……………?〉
彼は自分の目を疑い、艦のレーダーに、見憶えのある熱源を発見する。〈あっ……!?〉彼はすぐに重い沈黙を破り、その声を張り上げるようにして叫んだ。
〈ほ、報告! 〝ジェネシス〟爆心地より、モビルスーツの熱紋を確認!〉
その声に、ある者はハッとして顔を上げ、ある者は瞳の奥に光を取り戻す。モニターを見つめたまま凍り付いていた者達が、息を吹き返す。最も対応が速かったのはラクスだった。傍らにある〝エターナル〟の管制官へ問いかける。
「照合は──?」
「いえ、磁場の乱れの影響か、こちらのレーダーでは何も──?」
核爆発に伴う電磁パルスの影響だろう。〝エターナル〟のレーダーは一時的に機能障害が発生していたが、一方の〝アークエンジェル〟は違うらしい……?
「──チャンドラさん!」
痺れを切らしたキラは、滅多になく〝アークエンジェル〟へ報告を急かす。
チャンドラは、真摯にその要求に応える。
〈数は、二機だ……! そう、間違いない!〉
モビルスーツの機種までは即座に特定できない。
だが、今は他の者達までもが、必死になって解析を始めている。
──少なくとも、二機であることだけは判るんだ!
チャンドラの叫びに呼応して、今は何もできない〝エターナル〟の管制官が、そのとき倍率を切り替えた〝ジェネシス〟跡地の拡大映像をモニターに照らし出した。キラ達はすかさず映像に目を移し、
「あっ…………!?」
そこに────ちっぽけな〝傘〟を見つけた。
「あれは…………っ!」
彼らは一瞬、自分の目を疑い──
────そして、すぐに信じた。
「ああっ……!」
もはや、機種の特定など必要ない。
あれは。
あんなことが、出来るのは──!
〈機種特定! ZGMF-X08Aの熱紋を確認! ──〝クレイドル〟は健在だ、無事なんだッ!!〉
瞬間、どこからともなく歓声が上がった。
そう──〝ジャスティス〟が引き起こした核爆発と、それによって爆砕した〝ジェネシス〟が放つ強大な衝撃波に〝クレイドル〟は抗い、その全てを耐え抜いてみせたのだ。
俄かには信じられない話ではあるが、モニターに映し出された〝クレイドル〟は、衝撃によって四肢や頭部を失いながらも虹色みたいにめくるめく光波防御帯を展開させ続けている。光波の盾が、傘が、繭が──! 〝ジェネシス〟の爆発から、搭乗者を護り抜いたのだ、確実に、疑う余地もなく──!
「ステラ──!?」
急ぎ通信を繋げたキラであったが、応答はない。
モニターを見る限りでは〝クレイドル〟は微動だにしておらず、中にいる少女達は、揃って気を失っているのだろう。それによりキラの足先が格納庫を向いたのが先か、事態を察したニコルが「キラさん!」と呼びかけるのが先だったか、キラは既に弾かれたように踵を返し、艦橋を飛び出していた。そのあとに遅れず、ニコルもまた艦橋を飛び出して行こうとする。
「──アスランも!」
「わ、わかった……っ!」
艦橋から三人の少年がいなくなり、場に残されたマユは花開くように微笑む。ほっと胸を撫で降ろし、安堵のため息を漏らした。
バルトフェルドも肩から力を抜き、クルー達が、優しく互いの肩を叩きかわすのを見た。
「ステラお姉ちゃん……!」
〝アークエンジェル〟でも同様の安堵が広がって、トールやミリアリア、サイ達は互いに顔を見合わせ、小さく笑顔を交わし合う。
──無事で良かった……。
──本当に……。
あやまたず〝エターナル〟のゲートが解放され、十全には動かないはずの〝ブリッツ〟と〝ストライク〟が、損傷も気にせず飛び出していった。
──さっきまで、戦艦やモビルスーツが激しく撃ち合っていた場所だとは思えない……。
そのときアスランは、漠然とそう思った。あらゆる人と機動兵器を退けさせた漆黒の宇宙が、あまりにも清閑とした世界であったから。
目の前に広がる星の海は今、不気味なほどの静寂に包まれている。今まで我が物顔でエリアを占有していた二つのザフトの巨大要塞──それらもまた、ほとんど同時に消失してしまった。
ニコルもまた〝ブリッツ〟の機体を泳がせながら、畏怖の籠った目で、一帯を見渡していた。数知れぬデブリが蔓延る凄惨な戦闘の傷跡、既に用をなさぬ鉄塊として漂う、数多の戦艦にモビルスーツ……。
その中に、命を使い果たしてしまった人間が幾ほどにいたのだろう……? 自分を含めたすべての「戦う人々」によって演出された、無残で空虚な破壊の痕跡が、彼等に耐え難い喪失感を憶えさせる。あるいはそれは、痛みを伴う実感だ。──どうして、この景色を未然に防げなかったのだろう? という。
暗い目ですべてを見遣っているときに、宙域全体にひとつ、声が響き始めた。すべての人々に希望を訴えかけるような──明瞭な声が。
〈宙域のザフト軍、ならびに地球軍に告げます〉
聴き憶えのある声であるが、誰だったか。アスランは茫洋と記憶を辿りながら、やがては特定の女性を思い起こす。
──アイリーン・カナーバ……?
現プラント最高評議会議員にして、クライン派の筆頭として名を連ねた女性。
しかし、彼女は
〈現在〝プラント〟は、地球軍および〝プラント〟理事国との停戦協定に向け、準備を始めています〉
アナウンスは停戦を求める声明として、所属を問わず全宙域に向けて発信されている。敵味方に関わらず全ての者が声明を聴き届け、ある者は当惑し、ある者は憤慨し、そしてある者達は安堵の深い溜め息を漏らす。
〈それに伴い〝プラント〟臨時最高評議会は、現宙域におけるすべての戦闘行為の停止を、地球軍に申し入れます──〉
──臨時最高評議会?
聞かない単語に事態を呑み込めずにいたアスランに、訳知り顔のニコルが全てを明かした。ニコルは知っていたのだ、現パトリック政権による検挙を免れ、水面下で密かに行動していたクライン派が、幽閉されていたカナーバ以下旧プラント穏健派の脱獄の手引きを行ったことを。これにより勢力を吹き返したクライン派は、大規模なクーデターという形で〝プラント〟最高評議会を奪い返し、パトリック・ザラを失った急進派の残党を拘束し、さらにはザフト司令部を制圧したという顛末を。
もともと、パトリックを失った今のザフトに指導者代行を務められるスケールの人間はいなかった。ほとんど虎の威を借りていたエザリア・ジュールも指導力と求心力を失って、カナーバが〝プラント〟の総統者になり代わったのだ。だとすれば、このアナウンスはアイリーン・カナーバ──正しくは〝プラント〟臨時代表によって発せられる停戦勧告、と云ったところだろう。
「僕達のザフトは、振り上げた拳を、下ろすことに決めたんです」
「……勇敢な、選択だな……」
僅かに嘲じながら、今のアスランには、そう云って返すのが、精いっぱいであった。
「全ては、オレ達の弱い心のせいだ……」
「アスラン……?」
「みずからの
己の過ちから目を背け、碌に知りもせず、また碌に知ろうともしなかった百万のナチュラルに罪を押し付け、あれは悪だと決めつけて、迷いを忘れ、戦い続けたアスラン。
──自分の〝弱さ〟を認めたくなくて、それを隠すためだけに、必死になって〝力〟を求めた。
──だけど、そのじつ自分は、手に入れた〝強さ〟を証明するために
家族を守る力ならば手に入れた。だからもう無力な子供ではないのだと、腹癒せのように周囲に当たり散らし、数えきれないほどの敵を叩き潰し──そのような子供じみた独り善がりを繰り返す内、最後には、その家族にすら見放されていたというのに。
「オレや……オレの父は、それを認めたくなかった。認めようとしなかった」
いつか誰かに投げかけられた言葉が、思考の底に忍び上がる。
『殺されたから殺して、殺したから殺されて、それでホントに、最後は平和になるのかよ──!?』
あのとき、何を思っていたのか、自分はその者に対して「なる」と断言していた。
断言していたのだが、果たしてあれは高言に過ぎなかったのか? 世界のパワーバランスが殆ど一方的な形態にまで落ち着けば、世界は平和になると考えていた。恨みや辛みで意趣返しされることが世界の争乱を招くなら、意趣返しする力そのものまでを奪ってしまえばいいと考えていたから……。
──そして、そうして世界を支配するのは、自分達コーディネイターが席巻する〝プラント〟国家であると、本気で考えていたから……。
耐えられない、後悔と罪悪感。
そこから表情に暗い影を落とすアスランのそれを、次の瞬間、閃光がぱっと照らした。ちかちかと明滅を繰り返しながら、やがて彼らの目の前で閃光は数と輝きを増してゆき、やがては美しい花火のように宙域全体を色付け始める。
──なんだ、彗星……っ?
いや、違う。それは、地球軍艦隊から発せられる帰還を促す信号弾だ。
打ち上げられた一発の瞬光と、それに呼応するようにザフト軍艦隊からも同様の光弾が打ち放たれ、無数の光が一帯を照らし出している。
光の点──と、点。いつしかそれらが繋がり合って、より大きな輝きの線になる。
それは互いの存在を知ろうともせず、互いを拒絶していたナチュラルとコーディネイターを結びつける線。互いの手を取り合わせるための紐のようにして見えた。
そして、それらの輝きが導き出す答えは、ひとつだった。
「戦争が、終わる──!?」
「──前を向きましょう、アスラン」
立ち直るように告げられたその言葉に、アスランはハッとする。
ニコルは周囲の星や光の海を見つめながら、淀みなく続けた。
「何度だってやり直せるんだ、僕達は。少なくとも、そんな明日を生きることを許されたのですから」
「……ああっ……」
「帰りましょう、みんなで──」
かくして〝ヤキン・ドゥーエ〟戦役は、事実上の終戦を迎えることとなる。
こののち、地球と〝プラント〟の間で講和条約が締結され、その実態は両軍の損害過多による「戦争継続の不能」による行動停止に近いものであったが、何であれ、この講和条約の締結により、それまで続いてきたひとつの戦争が、完全に幕を引いたこと──
────それだけは、確かなこととなったのだ。
星色に撃ち上がり、輝く信号弾に満ち溢れる宙──それら光の喧騒の中に、置いていかれたように、ぽつり、と浮かび上がった二機のモビルスーツ。
その片割れは、ニコルやキラ達が無事を祈ってやまなかった白銀色の〝クレイドル〟──損傷により四肢を失い、頭部さえ焼け落ちた片翼の様相は、堕天した天使、と云った風であったが。
そして、それとは違う、もう一機のモビルスーツの熱紋。ニコルは接近するにつれ、その〝黒い塊〟の全貌を明らかにしていった。
──〝レムレース〟……。
二コルは、このとき〝レムレース〟については考えないようにしていた。いや、正しくは「自分が考えるべきことではない」と判じ、意図的に思考の外に出すようにしていたのだ。
──そうで、なければ……。
禍根がないわけではなかった。──あの〝レムレース〟は、〝ジェネシス〟内部にて自分達へ攻撃を仕掛け、それによってステラを〝ジェネシス〟内部に閉じ込めるという、ある意味では因果を作った存在なのだから。
全てに納得していたニコルではないものの、しかし、最終的には当のステラが〝レムレース〟の救済をも望んでいたように思えたから、それについては、部外者に過ぎない自分の考えることではない、と判断したのである。
────様々なことを考えている内に、ニコルは星の海を漕ぎ、目的地まで辿り着いた。
キラ、アスラン、ニコル──各々がコックピットから飛び出し、ぐったりと停頓している〝クレイドル〟胸部装甲に張り付いた。白銀色の機体フレームには看過できない亀裂が奔ってたが、それでも〝クレイドル〟は最後まで瓦解せず、核爆発の衝撃に耐え抜いたという。
ニコルは沈黙を貫くふたりに対して、切り出すようにして云った。
「ボクは〝レムレース〟の様子を確認して来ます」
「ニコル……?」
「キラさんとアスランは、こちらで〝クレイドル〟の確認をお願いします」
役割分担を申し出たのは、ニコルなりの気遣いであったのだろうか?
いや、厳密には違うのだろう……。それが自分の担うべき役割なのだと、このときのニコルは本気で考えていた。それが何故なのか、本人にもよく分からなかったが。
「……わかった。すまない」
アスランの謝意を背に受けて、ニコルは改めて〝黒い鋼鉄の塊〟──にしか見えない、現在はひどくボロボロに朽ちている〝レムレース〟の上体装甲にまで身体を回してた。
間近で見て、感嘆したのは歴戦の損傷により摩耗した〝レムレース〟のPS装甲材だ。しかし、それとは反して全くの衰えを感じさせないのは、コックピット周辺の機構であった。
ぎっちりと密閉されているコックピットハッチを発見し、しかし、それはとても人力で開くような雰囲気ではなさそうだ。であるなら、外付けのキー端末に直接アクセスを掛け、外部からロックを解除するしかない。
「…………?」
解錠作業を始めたニコルがふと視線を巡らすと、一方のキラとアスランは、そのとき既に〝クレイドル〟の胸郭コックピットまで辿り着いていた。ふたりは、協力と云うのも微妙ではあるが、今は二人揃って力を合わせ、白銀色のハッチをこじ開けようとしていた。
いたって原始的な人力──? 聡明なふたりが、この状況で人力を行使しようと結論付けたのは、外部のロック端末が破損していたためか? はたまた、ハッチ自体がそれほどに傷つき、緩んでいたためか? 遠目に確認しただけのニコルからは、想像が及ぶところではなかった。
いずれにせよ、そうした工程の違いのために、ニコルが
ニコルは、そうして開いた〝レムレース〟のコックピットの奥、シートに横たわるパイロットを見つけた。無骨なデザインが施された、地球軍の女性用薄紅色のノーマルスーツ──ステラが着用しているものと同じ。
上体で固定されたシート・ベルトが、その者の胸部を、まるで窮屈そうに圧迫している。
女性──いや、自分とそう年齢の変わらなさそうなその少女の姿は、不自然なほどに質量が欠けて見えた。透明感があるというよりは、存在感がなさすぎるようにも感じられたのだ。
あるいは死んでいるのではないか? ニコルがそう錯覚するほどに生気を失っている少女は、
──死んだように、眠っている……?
それ以上に形容の仕方がないほどに、意識を失って昏睡していた。ニコルはそんな少女にそっと近寄ると、
手に取ったヘルメットは、バイザー部分が割れていた。割れた破片で切ったのか、少女の素肌、額や頬には点々と血筋が浮かび、ニコルにとって何より印象的だったのは、その少女を少女たらしめている麗しく長い髪が、血の色と見紛うほどに、見事な深紅色をしていたことだった。
「あのときの、女の子」
動揺を口に出すニコルであったが、今はいい。どこか安らかな寝息を立てているその人物が、ひとまず呼吸をしていること──生きていること、それだけは確かめられたのだ。
そうである以上、不安など、あってないようなものである。ニコルは急ぎ踵を返し、黒いコックピットを離れて〝クレイドル〟に跳んだ。
「アスラン、キラさん! あちらは無事でした! そちらは──」
だが声を掛けた先、キラとアスランがそれぞれに硬直している姿を見て、不審感に囚われた。
確認は済んだのか──? 咄嗟に訝しんだニコルが、二人にそれぞれ呼びかけても、対応や反応はなかった。ともすれば肩を揺すっても、彼らはまるで氷漬けのように動かなかった。その表情も固定され、人らしい輝きを失った瞳からは感情の流れを読み取ることすら許されない。
いったい、何が──?
痺れを切らしたニコルが押し押しのけるように二人を避けて〝クレイドル〟──そのハッチの奥へ足を踏み入れた。その奥で、ニコル自身が目の当たりにしたもの──
「──────えっ」
ゆらり、ゆらり。
ふわり、ふわりと。
風そよぐように
──〝それ〟だけが、やさしく踊っている。
彼らが〝クレイドル〟のコックピットを覗いたとき、捜し求める少女の姿は、そこになかった。
星の名を持つ金髪の少女は、そこに居なかった。