※本話では原作の『ステラ・ルーシェ』に対し、より大きな設定改変要素が含まれます。本小説が始まってから百十七話目、非常に今更な警告ではありますが、重ねてご注意下さい。
熱波が全身を煽る。大気圏への突入、その逃がしきれない熱が、コクピッドの中にまで浸透している。
ステラの意識は混濁し、いま己が起きているのか、あるいは眠りの中で夢を見ているのかすら判別できない。
憶えているのは、マユと名乗る少女に奇妙な名で呼ばれ、そこからは頭が割れるように痛くなって──嗚呼、駄目だ。頭が痛くて、何も考えられない。
──体が熱い。
全身の血が、まるで沸騰しているかのようだ。
コクピッドの中、警報は耳障りに鳴り響く。周囲の計器類は常に滅茶苦茶な数字を叩き出している。
狭くて、怖くて、たまらなく苦しい。
──誰か……。誰か、たすけて……!
ステラは幼子のように、心の中で救いを求める。
きっと以前にも、同じことを思ったろうか? 狭苦しいコクピッドの中は、まるで人間を閉じ込める棺桶のようだ。刃を象った灼熱に押し込まれ、自身の体が溶けてゆくような悪夢を、私は前にも見たことがある。
──蒼い翼……〝フリーダム〟……?
立ち昇る黒煙と、焦熱の地獄絵図。
──あれは荒れ果てた
──これは、あれは夢だったのか。
そのとき、私を救ってくれたのは。
──おかあさん……?
黒髪の女性のイメージが浮かび、ステラはその華奢な腕を伸ばす。
──レノア。
そう……そうだ。それが私にとって、大切な人の名だ。
洛星の〝ユニウスセブン〟──
破砕され、散りばめられた、死者達の墓標──
破片となった聖地の、そのどこかに、彼女達の魂は漂っている。
「たすけて、お母さん──」
想いを飛ばした、次の瞬間。
ステラは、これまでとは全く異なる〝夢〟を見た気がした。
宇宙に健在したかつての〝ユニウスセブン〟の中には、鮮やかな青の人工海洋が広がっている。その海洋上に、ぽっかりと浮かんだ島々がある。
そこに構えられた閑静な高級住宅街は、緑が豊かで、陽射しも広く筒抜ける非常に温暖な土地だ。この場所は農耕事業に適していて、とある大きな屋敷の中にも、かなり大きめなビニールハウスが構えられていた。
ハウスの中ではキャベツをはじめとした多くの野菜が自家栽培され、その傍らに農耕用エプロンを着用した女性の姿が見える。お腹がやや大きい、妊娠中らしい黒い髪の綺麗な女性だ。
──ステラは、その人を憶えてる。
彼女は『レノア』と云い、この〝ユニウスセブン〟に暮らしていた農業博士の一人だった。
──私は、何を見ている……?
──何を、見せられている……?
己の肉体はなく、第三者の視点から撮影された映画でも見ているよう。比喩ではなく、自分が意識のみの存在になったみたいで、ステラは呆然とした。
──これは、記憶? でも……。
自分の過去を思い出すことは、これまでに何度もあった。
──でも、これは明らかに違う。
──これは、私の記憶ですらない……。
まるで他人の夢や記憶を、奪い取るみたいに覗き見ているようだ。
──でも、誰の?
レノアの? 既に死んだ人間の記憶を……?
他ならぬ
とある朝の景色。
庭先で園芸を行っていたレノアの許に、ある一人の女性が訊ねて来た。それは、まだ二歳にも満たなさそうな桃色の髪の少女を抱きかかえた女性だった。
よく見ると、抱えている子どもと容貌がとてもよく似ている……いや。
──ご懐妊おめでとう、レノア!
友人としての気安さすら感じられる口調で話した女性は、まるで平和の歌姫、ラクス・クラインの生き写しであるようだった。
──いや、違う。
その心地よい声色も、柔らかな立ち振る舞いも。
──嗚呼、きっとそうだ。
これを視たステラには分かった。
ラクスの方こそが、彼女に似せられているのだと。
──本当におめでとう……! 貴方達の間に、二人目が生まれるなんて!
お腹をさすりながら、レノアは女性からの賛辞を受け取ると、微笑みながら言葉を返した。
──ザラ家の間に生まれる、二人目の子ども……?
超音波検査により、このときには既に、女の子であることも判明していた。
──まあ! ラクスと同じ女の子なのね……!
感嘆と共に掌を合わせるその女性らしい仕草もまた、やはりラクスとそっくりに思える。
それから突然の来訪者を歓迎するように、レノアは女性をファウンテンが飾られた中庭のテラスまで誘い出した。白いテーブルでアフタヌーンティーを共にし、心地良いそよ風が、彼女達の柔らかな髪を撫でる。
気兼ねない会話の中で、レノアは感慨深そうに言葉を紡ぐ。
「お互い、同い年の男の子と女の子を授かるなんて──すごい偶然よね」
その母親らしい穏やかな目は、今は屋敷の中の子ども部屋の中で、玩具を使ってじゃれ合っている二人の赤ん坊に向けられている。後にハロやオカピなどの機械いじりが大好物となるアスランはロボットの人形を空に飛ばしているし、後に平和の歌姫と冠されるラクスはいじらしく可憐な着せ替え人形を使っておままごとに興じている。
二人の母親は、その夢のように優しい空間を遠目から見守った。
「──それだけじゃなくて、あの子達は対の遺伝子を持って生まれたそうじゃない?」
貴方にも、シーゲルの方から話がいったと思うのだけれど。
レノアは思い出したように付け加えた。それぞれの子ども達の遺伝子検査を行った結果、最近になって新たに判明した事実がソレだったのだ。
──対の遺伝子。
その大仰な単語は、当時の、そして現在に至るまで〝プラント〟国内に敷かれている婚姻統制に対する解答だ。少子化に直面している〝プラント〟においては遺伝子の型が組み合う者同士の婚姻しか認められていないのだが、アスランとラクスのペアについては、偶然にもこの問題を通過できる組み合わせであることが判明したのだ。
「将来的にはあの子達を婚約させるんだって、シーゲルもパトリックも息巻いていたわよ」
「………………」
「勿論、そうなってくれたら、私も嬉しいわ」
貴族社会とは内縁での団結を重んじる傾向にあって、その団結における最も有効的な方法が、レノアが提示したような縁戚化だ。文化や知識、教育の継承。縁戚化により政治や社会における明確な対立を回避し、内縁に基づいた密接な氏族同士の団結と連携強化を促進する。これらは西暦の時代より紡がれてきた貴族社会の明るい面であり、人口比で見れば圧倒的に少ない少数派の貴族──ここでは〝プラント〟のコーディネイター達が該当する──が、その遺伝子プールを維持しながら生き残ってゆくための知恵だった。
宇宙に上がってきたコーディネイター達は、
「──貴方の方は最近どう? 子育ても大変だろうに、もう職場へ復帰する予定だって聞いたけど、本当なの?」
どうにも思ったような返答は来なかったらしいが、話を持ち直すように、レノアは訊ねた。
レノアの本業は農業博士だが、現在は休職中である。教育に関する「魔の二歳児」という先達の忠告が示す通り、現在はよちよちと勝手に動き回るアスランの面倒を見るので手一杯だ。
そんなレノアであるが、向かいに座る女性の稼業は聞き及んでいた。遺伝子工学を専門とする学者──在籍しているのは、たしか〝メンデル〟という研究所だったか。
──いろいろ、やりたいこと、やってみたいことも多いのよ……。
彼女達はいずれも、専攻する分野を持った優秀な科学者だった。
だが、パトリックとシーゲル、今は黄道同盟で奔走する互いの夫を介する形で、このときはもう親友と云えるほどの間柄だった。だからこそ、こうして気兼ねなく物が云えるのであり──
「ラクスもまだ二歳なんだし。仕事に戻るのは、もっと後からでもいいのではなくて……?」
その打診は、彼女達の将来を──ラクスの次の子をも見据えた、友人としての助言だった。
けれども女性は、きっぱりと言葉を返す。
自分達に、これ以上は必要ない、と。
夫と共に、これ以上を求めないことにしたのだ、と。
──いいのよ。ここだけの話、ラクスは普通ではないのだから。
そう謳う彼女の細やかな掌の中では、小さな指輪が転がされていた。
シルバーの輝きを放つその中に、何らかの文字、メッセージが彫られている。
何と彫ってあるのかまでは、遠目に覗いただけのレノアにも分からなかったが。
次の瞬間。
──ねえ、レノア……?
唐突に手を握られる。
レノアは驚き、手を握った彼女は悪戯っぽく笑ってみせた。
あるいはそれは、悪魔の囁きだったのか。
ある意味でレノア以上に愛おしそうに、彼女の子宮を見つめながら女は云った。
──もし良かったら、貴女の
いいえ。
これから世界に祝福され、生まれ出でる貴女達の娘を。
胎内に宿る、次なる
──
感情を覗かせない目。
透き通ってはいるが、真意を汲み取ることのできない声色。
その問いかけに対し、どうして? と、レノアは母として正当な問いを返す。
同じく母親であるはずの女は、しかし、薄く嗤って聖女のように言葉を紡いだ。
──『
──この世界に
彼女達の研究テーマは、コーディネイターを越える〝種〟を創り出すこと。
そう嘯いて笑った女の笑みを、レノアは決して忘れはしないだろう。
──ねえ、レノア。
──いい? これは
その秘密の行いが善だったのか悪だったのか。成功だったのか失敗だったのか。結局のところ、レノアには分からない。しかし、あれは女の秘密などという言葉で、本当に片付けてしまっていい問題だったのか。
銘々の夫達ですら、生涯を通じて知る得ることは遂になかった秘密。その子供っぽい妻達のささやかな悪巧みと裏切りは、あるいは告発すべきほどの背信ではなかったのかも知れない。
けれども、単なる親の思い付き、あるいは都合で子供に業を背負わせるような行いは、後世において身勝手極まりないと弾劾されても仕方のない所業ではなかろうか。
「──『この世界に光明を齎す、素晴らしい存在』……」
星の子のように、人々の心に光を与えて回る者──
それは親としての祈りや願いから付けられた、神秘の名の筈だった。
──嗚呼、その筈だった。
そこに科学の力が。
人間の深い欲望の力が、付け加えられるまでは。
「私は、失敗してしまった」
レノアは深く──そう深く反省の言葉を口にしながら、自身の罪を告白する。
──娘が
ラグランジュ4に押し入ったブルーコスモスの過激派が、遺伝子研究を盛んに行っていた当施設を破壊した。コロニーはバイオハザードを引き起こし、関係各所のデータもまた不自然なほど徹底的に破棄された。レノアが娘──そのときはまだ胎芽だったが──を託した女性も、それ以降の消息が掴めなくなったことから、そこで働く研究者達が、彼女の受精卵に何を施したのかはレノアの目線からは不明なままだった。
「でも、だからこそ私は、もう決してこの子を手放さない」
だからこそレノアは、そこから無事に生まれてきてくれた娘を、兄と共々それまで以上に大切に育てた。精一杯の愛情を注ぎ──何も知らない父親の方は兄を厳格に育て上げるのだと云って聞かなかったけれど──娘にはできる限りの自由と平穏を与えた。政治家の子でありながら、兄と違って公衆の舞台には姿や名を出すことを許さず、それは少女の出生の神聖を生き字引く、レノアにしかできない守り方でもあった。
──その名に込められた皮肉を知りながら、罪滅ぼしのように、レノアは『
それ故に、誰もが真実を話さなかった。
誰も知らなかった。
語ることも出来ず、今となっては知る者もいない。
それが、真相だった。
──だから今になって、あなた達は
見せる。見せられている……?
──いや違う、これはステラが
何らかの力を使い、他人の精神に干渉することで。
──他人。この〝ユニウスセブン〟で死んでしまった者達。
ステラと同じ故郷の中で、刻を過ごした者達の残留思念。まさか最初に
──こんなものを見せて、私にどうしろっていうんだ。
嗚呼、ステラは唾棄する。彼らの賢き選択を。
同じく血のバレンタインの核攻撃に巻き込まれ、しかしながら彼らと違って唯一生き延びたステラに対し、余計な重荷を増やそうとしている彼らの無責任さを。
──私を、私のままでいさせてよ……!
記憶の中で、ステラは必死でかぶりを振る。
誰もが──みんなが邪魔をする。ロゴスはまたステラの記憶を奪い取って、今度はお前達が、知る筈のない私に余計な記憶を与えてくる! ああ、全くもって邪魔な記憶だ、不要な力だ!
──こんなの要らない……! こんなの必要ない!
──ステラはただ、みんなと平和に過ごしていたいだけなのに……!
少女がいやいやをするように、ステラは頭をもたげ、何度もかぶりを振った。
やがて、巨大な思念による映画が閉ざされ、空間が溶けていく。ステラの意識は足元に吸い込まれ、それは、奈落の底に引きずり込まれる感覚とよく似ていた。
──墜ちていく。
昏い闇の中に。
灼熱の機体の中に。
──誰か。
誰でもいい──本当の私を見つけ出して……。
そうして少女の意識は、もう再び闇の中へと落ちていった。
【ラクスの母親】
劇場版や小説版で僅かに描写された以外、現時点では情報が少なすぎるため、口調から何から全て作者のオリジナルでぼかしています。メンデルの研究員であったことが判明しているため、彼女の友人のレノアを介する形で本話の展開に繋げました。
【精神干渉】
ステラが獲得することになりそうな能力ですが、この新たな設定のために今までのステラの話を改変したり、展開や文章をいじったりした部分などは特にありません。
強いていうなら無印篇で「ジェネシスが発射された際に断末魔が聞こえた」「ステラは他者の悲鳴を自分の中に受信してしまった」という描写には適用できそうですが、アレを書いたのは劇場版公開前どころか相当前ですし、まあ設定的に改変する必要もなさそうなので、あえていじらないままで残しておこうかなと思ってます。キラと一緒にメンデルを訪れた際のステラの反応についても。
今回のステラは本来の意識的な目線から物事を見てますが、これは〝記憶が戻った〟ということではなく〝抑えつけられていて表に出て来られない深層的な部分で話している〟というような設定です。わかりにくい……
残念ながら次話からはまた記憶を取り違えられているファントムペインなステラが続投する予定です。