~夢見る少女の転生録~   作:樹霜師走

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 ※2024/7/12
 リクエストありましたので、無印篇・運命篇にそれぞれ『メカニック設定』を投稿しました。
 以前まで、活動報告の方に投稿していた設定集を再編して記載した内容になります。



『等身大の歌姫』A

 

 

 ZGMF-2000〝グフイグナイテッド〟は、ザフトのニューミレニアムシリーズに属する機体である。

 ザフトの制式量産機となった〝ザクウォーリア〟とは系譜を異にする機体で、迫撃に特化した性能を持つ。武装は大型ビームソードの他、両掌の指部にはビーム砲が内蔵され、何より特徴的なのは、前腕部に格闘戦用の鞭──スレイヤーウィップが内蔵されていることだ。これによる敵機の捕縛や、高周波パルスによる打撃、あるいは直接電流を流し込むことによる攻撃も可能となっていて、機体の高機動と合わせて〝ザク〟以上の凄まじい戦闘能力を発揮する。

 〝ザク〟や〝アリアドネ〟に採用されているような装備換装用のウィザード・システムは採用していないが、その代わり、本機には背嚢にフライトユニットが標準装備されており、大気圏内外での高い空戦能力を獲得するに至っている。

 つい先日、工廠からロールアウトされたばかりの最新鋭機だが、その実態は名実共に最上級のエースパイロットへと授与される機体となっていた。

 

 

 

 

 

 

 ジブラルタルの防衛を果たした後、〝ミネルバ〟は軍本部からの指令を受けてディオキアへ入港した。そこに何があるのか──タリアは懐疑したが、その答えというのは案外すぐに分かった。

 タラップから降りたタリアとアーサーを待ち受けていたのは、随伴の係員と、妙な熱気に包まれた喧騒だった。ザフトの兵士達が興奮した様子で基地の一角に集まっているが、係員の男は上機嫌そうに明かした。

 

「貴方がたは運がいい! ちょうど、慰問コンサートがあるんですよ!」

 

 たちまち巨大なスピーカーからアップテンポのBGMが流れ出す。唖然とするタリアが上空を見上げると、特殊な装飾が施され、鮮やかなピンク色にカラーリングされた〝ザク〟の機影が見えた。その掌の上には、桃色の髪を靡かせた少女の姿も見える。あそこに、いるのは──?

 

〈みなさあーん! ラクス・クラインでーすっ!〉

 

 空から響く透き通るような声と、それによって、地で湧き上がる歓声と嬌声。

 慰問コンサート、まさしくライブといった感じだった。それは、今や評議会議員から〝プラント〟のアイドルへと華麗に転向した『平和の歌姫』──ラクス・クラインによるショーだったのだ。

 

「うっそお! ラクス・クライン!?」

 

 同じ頃、艦内のレクリエーションルームに集まっていたクルー達も、モニターから流れてきた映像に目をむいた。真っ先に反応したのは、彼女のファンを公言しているヨウランとヴィーノの二人だ。

 既に上陸許可は下りている。そんなふたりは目の色を変えたように、我先にコンサート会場へと出て行った。残されたアトラ、ルナマリア、メイリンの三人だが、そんな彼女達も、なんとなくの物珍しさと好奇心が勝った様子で、コンサート会場へと足を運ぶことにした。

 

〈勇敢なるザフト軍兵士のみなさーん! 平和のために、本当にありがとおー!〉

 

 落ちないのかと不安になるが、〝ザク〟の掌の上で踊るラクスは、次いでフェンスに張り付いてそちらを見守っている民間人にも手を振っている。アトラ達と同じように、興味でライブを見にきた地元民のようだ。

 

〈そしてディオキアのみなさーん! 一日も早く戦争が終わるよう、わたくしも、切に願ってやみませえーん! その日のために、みんなでこれからも頑張っていきましょーうっ!〉

「へえー、ラクス様って、こういう活動もされるんだね」

 

 士気高揚を目的とした掛け声に、率直な感想を漏らしたのはアトラだった。

 隣でルナマリアが答える。

 

「そっか。ラクス様って云っても、オーブから来たあんたには、そこまで馴染み深い存在(ひと)じゃあ無いのよね」

「んー、そうだね」

 

 そうなのだ。ルナマリアの指摘通り、アトラがラクスの存在を知ったのは、彼女が〝プラント〟に移住してきて以降の話だ。オーブで暮らしている限りは認知する機会すらなかった人物であり、アトラはけろっとして答えた。

 

「偏見とか先入観とか、ルナ達や、ヴィーノ達ほど持っていないっていうのは事実かも」

「アイツらと同列に語られるのは腑に落ちないけどね……」

 

 ルナマリアは呆れ声で返す。

 ──よくも悪くも、能天気な男達(あいつら)が彼女に向ける目には下心が混じり過ぎている。

 メイリンが補足して返した。

 

「でも、私達にとっても、ラクス様は昔から憧れだったんだよ? 年が近いってこともあって、〝プラント〟で一緒に育ってきたっていう感じがするもの」

「ただ、まあ……私は昔のラクス様の方が好きかな」

「ああ、それは私も」

 

 ルナマリアやメイリンにとって、ラクス・クラインとは、清楚で儚げで、凛とした聖女のような存在だった。今のライブ感とはだいぶ印象が違うが──テロ事件に巻き込まれたという数ヵ月前の出来事は、それほどまでの彼女を変えてしまったということなのだろう。

 しみじみと語る彼女達姉妹の反応に、アトラは複雑そうに返していた。

 

「そーなんだ。その辺りの感覚は、私には、いまいち分からないかも」

 

 釈然としない表情のアトラだが、彼女の目線はある意味で公平だった。思い出補正や身内贔屓、余計な色眼鏡を掛けていないからこそ、彼女は『ラクス・クライン』という存在を神格化することなく純粋に見ることができる。ルナマリアは、そんなアトラをどこか面白がるように云う。

 

「それって、異邦の人間ならではの感覚なのかもね」

 

 移住民であるアトラに対し、隔意をもって云ったのではない。

 ルナマリアという人間は、そこまで性格の悪い人間ではない。純粋な世間話だった。

 

「……マユは、今ごろどうしてるかな」

 

 そのときメイリンが思い出したように溢した言葉に、ぴくりとアトラが反応した。──〝ユニウスセブン〟の破砕作業以来、消息不明となっている同僚について。

 

「私の方でも軍のデータベースにアクセスして、マユの経歴とか、改めていろいろ調べてみたんだけど」

「あんた好きよね、そういうの」

「あのラクス様が、わざわざ身元引受人になるくらいの間柄だったっていうでしょ? おいでになるってわかってたら、マユもきっと喜んだんだろうなーって思って」

「……その辺りの連絡、まだどこからも来ていないんだっけ?」

 

 依然として、大気圏降下後の〝アリアドネ〟の行方は分からないままだった。

 

「マユは」

 

 アトラが感情を抑えた口調で云う。

 

「私達を、裏切ったんだよ……?」

 

 アトラの目線からは、何がマユにそうさせたのかは不明なままだ。けれども、マユが〝ミネルバ〟に帰投するチャンスをふいにして、わざわざ敵陣営の〝レムレース〟を救助しに向かったのは明らかだった。

 今やアトラは確信している。美しい金の髪をなびかせた〝魔女〟──〝アーモリーワン〟で見かけた例の女性と、おそらくマユは知り合いだ。彼女達が内通する関係にあったのかまでは不明だが、いずれにしても、マユの行動は間違いなく軍規違反で、ザフト兵としてやっていくには取り返しのつかないレベルの失態だった。一度はデュランダル議長の計らいで有耶無耶になったが、次はないだろう。

 

『マユはどうして、ザフトに入ろうと思ったの?』

『憧れの人がいたの。強くて、優しくて、可愛くて』

 

 そんなマユと交わした、会話の声が脳裏に蘇る。

 

『でも、いなくなっちゃったんだ』

 

 ──『その人』の後を継ぐために、力を欲したというマユ。

 成り行きで軍に志願したアトラと違い、マユには夢があって、目標があった。他者からの評価に抗うように、懸命に努力と勇気で頑張り続けたルームメイトを、アトラはアトラなりに敬服し、心から応援もしていたのだ。

 

(なのに彼女は、そんな私達を捨てた)

 

 それが現実で、それ以上はなかった。

 少なくとも、アトラにとっては。

 

「アトラ……」

 

 柄にもなく怒気と敵意を露にするアトラを、ルナマリアは気まずげな表情で見届けた。アトラとマユ──そんな二人が、士官学校時代からルームメイトとして仲睦まじくやっていたのを、ルナマリアも憶えている。

 実際、マユがザフトレッドになった──いや、なれた(・・・)──のだって、他ならぬマユが、アトラというルームメイトに〝恵まれたから〟だと彼女は勝手に思っているくらいなのだ。

 

 ──初めから優秀だったが、それにかまけて主体性を欠いていたアトラ。

 ──優秀ではなかったものの、不器用ながらに努力をやめなかったマユ。

 

 そんな二人はまるで対称的で、だからこそ足りないものを補い合って高め合う、良好なバディの関係にあったとさえ思っていたのに。

 

(どこで歯車が狂ったんだろ……?)

 

 ルナマリアとしても、関知しない内に同期らの不和が生まれていることに、気を揉まずにいられない。

 ため息をつくルナマリアであったが、そんな彼女にとって、もうひとつの爆弾が目の前からやってくることになるとは想像もしていなかった。

 

「はあーい」

 

 片手をひらひらと上げながら、堂々とした様子でこちらへと近寄ってくる『赤』の少女──

 気安さすら伺えるその人物は、アグネス・ギーベンラートだった。

 

「アグネス!?」

 

 ルナマリアが声を挙げ、メイリンとアトラもそれぞれに驚いた。

 彼女達にとってみれば、士官学校で別れて以降、配属先を異にした同期生だったのだ。たしか、アグネスは月軌道に配属になったと聞いていたが、そんな彼女が、なぜディオキアに──?

 

「要人警護の任務で来たってわけ! 軍本部ったら、私の魅力にいまさらになって気付いたみたい!」

 

 傍若無人な振る舞いで、アグネスは自信満々といった風に云った。ルナマリアはその様子を見て、どこか懐かしさすら憶える。士官学校時代と、彼女は何も変わっていなさそうで何よりだと思ったからだ。

 

「じゃあ、あの白い(・・)モビルスーツは──」

「そ。あたしの新しい機体──〝グフ・イグナイテッド〟よ」

 

 背部に空戦用のフライトユニットを装備した、明確に〝ザク〟とは系統の異なる機体のことだ。

 今はラクス・クラインのコンサート会場の脇に立っているが、メイリンも目敏く気付いていたらしい。プラント防衛ラインでの戦闘以後、戦功を取り立てられたアグネスは〝ザク〟に代わる〝グフ〟を受領し、そこに自らのパーソナルマークである白と槍のマークも取り入れて、このディオキアに任務としてやって来たのだ。

 

あの女(ラクス・クライン)の護衛ってのが難だったけど。まあ、手段を選んでられないのは私だって一緒よ」

 

 そう云いながら、アグネスがコンサート会場で踊っているラクスに向ける目には棘がある。

 

「正式な発表はまだだけど。そーいうわけで、あたしも今後は〝ミネルバ〟配属になったから」

「えっ!?」

「〝ミネルバ〟に乗るの!? アグネスが!?」

「何よ。何かいけない?」

 

 いけないことはない、と思ったルナマリアだが、事実として驚いたことは確かだ。

 しかし、改めて考えれば妥当な話か? セカンドステージシリーズをはじめ、予定されていたパイロットやモビルスーツが大いに欠けた状態で運用されている現行の〝ミネルバ〟において、代替戦力の補充は不可欠だ。どこかで人員がやってくるとは考えていたが、それがまさか、またも同期のアグネスだとは思ってもいなかった。

 

「でも、だって……」

 

 たしかに、アグネスが探ったような、いけないことは何もない。いわば、手続き的な意味では。しかし、そこでルナマリアはちらりと盗むように、今は傍らで一定程度の距離を保っているアトラを見た。

 ──問題があるとすれば……。

 それは、組織である以上は絶対に逃れられない人間関係においてだった。それはメイリンも認識しているようで、案の定、表情を引き攣らせた彼女がルナマリアに耳打ちしてくる。

 

(お、お姉ちゃん、まずいよ! だって、アトラとアグネスって昔から──)

(──分かってるわよ! 相性がよくなかった、って言いたいんでしょ!)

 

 士官学校時代から、アトラとアグネスは犬猿の仲という表現では生温いほどの不仲だった。その理由は、アグネスが一方的に、アトラのことを目の仇にしていたためである。

 

 ──勿論、最初はそうではなかった。

 

 少なくとも、アカデミーに入りたての頃の二人はまだ、それなりの距離感でやっていたと記憶している。

 だが時を重ね、数々の試験を重ねる中で〝秀才っぷり〟を発揮し続けたアトラが、やがて同期達の間で〝最も優秀な兵士〟=『首席』になることが確実視されるようになった頃、アグネスは露骨にアトラを敵視するようになった。

 もともと上昇志向と自己愛が強いアグネスだが、そこには同性という微妙な問題も絡んでいたのかも知れない。アトラの優等生的で利口な態度すらも、アグネスから見ればお高く留まったように映ったらしく、逆に敵意を煽る破目になっていたのは云うまでもない。

 そして、アトラもアトラで好悪があって、彼女の存在を常に〝下〟に置きたがるアグネスの振る舞いが気に入らなかった部分もあるのだろう。

 

 ──そもそも、明確に自分のことを嫌っているらしい人間を、わざわざ好ましく思う努力をする必要が何処にあるだろうか?

 

 最初がどうであったかは兎も角、幾月か経つ頃にはアトラもアグネスに対し一定以上の距離を取るようになった。その距離はアトラなりの予防線であり、私に近づくなという意思表示だったのかも知れない。

 要するに、人間的に相性が悪いのだ。

 それに拍車をかけ、首席と次席という成績の序列が、二人の亀裂をより複雑なものに貶めてしまっている。アグネスからすれば、周囲の下馬評に反して最終的に首席の地位を勝ち取ったにも拘わらず、卒業後の配属先で、花形の座をまたもアトラに奪われたのだ。

 全ての元凶はデュランダル議長の意味不明な人事のせいだとルナマリアは思うが、それを汲み取ってしまうからこそ、ルナマリアは更なる胃痛の原因がこれから増えるのだと知って嫌な顔をしたのだった。

 

「後で改めてグラディス艦長の所に挨拶に行くけど。本日付で〝ミネルバ〟所属になったから、よろしくねえー」

 

 そう云って、きっぱりと場を締めくくったアグネス。

 そうそう──思い出したように、どこか芝居がかった様子で話を切り出した。

 

「そ・れ・で」

 

 彼女の爪先が別の方を向き、進めた歩が、例の距離を保っているアトラの予防線を軽々しく踏み越えていく。アグネスはアトラの存在を思い出したようにわざわざ向き直り、挑みかけるような口調で云った。

 

「〝グフ〟も〝グフ〟で最新鋭だけど。やあっぱり私、まだ納得がいってないのよねー」

 

 何度も云うが、今期における首席はアグネス。アトラは次席で、ただの二番手に過ぎないのだ。

 ──あたしの方が、あんたよりも〝上〟なのよ。

 上位者には、より強力なモビルスーツが与えられて然るべきではなかろうか。

 

「単刀直入に云うわ。あたしに譲りなさいよ──〝インパルス〟!」

 

 見ているルナマリアとメイリンも、その言葉に緊張した。いきなり当の本人を前にしてこの態度。それでこそ、アグネスらしいとも云えたが。

 

「あんたが乗ってたって宝の持ち腐れよ! アカデミーじゃ技術も評価も私の方が上だったじゃない!」

「……ああ。うん、そうだね」

 

 記憶にも、記録にも残っていることだ。

 アカデミーでの序列は変わらない。あの学び舎での成績こそが、格付けの全てだ。

 だがアトラは、あっけらかんとして云った。

 

「私としても、そういうことなら別に構わないけど」

 

 少なくとも、それはアトラの本心だった。流石に〝そう〟あることを求められているルナマリア達の前では口に出せないが、アトラの志望は、もともと前線で戦うパイロットなどではないのだから。

 アトラの志望は一貫して設計局で、裏方だ。ならば、自分の代わりに〝インパルス〟のパイロットをやりたい人間には、熨斗を付けてでも〝インパルス〟を譲ってやりたい。

 しかし、ザフトという軍事組織が、ギルバート・デュランダル議長が、それを許してくれるかは全くの別問題である。だが逆を云えば、それさえ許せば何も問題はないということだ。許可されあれば、アトラは自身の理想のために、隊を離れて設計局に帰ることを何よりも優先することだろう。

 

「…………」

 

 アグネスは、突き付けた要求が思った以上に簡単に通ったことで張り合いがなさそうだった。けれども油断はしていないらしく、どこか探るような様子で、アトラの反応を伺っている。

 そしてこの場合、その警戒は正しい。真正面から侮蔑の言葉を叩きつけられてなお、云われっぱなしで引き下がるほどに、アトラという少女は良い性格をしていないからだ。

 

「でも、そうやって私に当たるよりも前に、筋は通して欲しかったかな?」

 

 表向きやんわりと言葉を返すアトラだが、温度感の伺えなくなっていたその声音に、ルナマリアは一抹の恐怖を憶えた。

 アトラの目は冷徹に、このときコンサート仕様のピンクの〝ザク〟──その更に向こう側の、着陸前の一機のジェットファンヘリコプターに向けられていた。〝プラント〟の政府要人を乗せた機体だ。その舷窓から、長い黒髪の男性の姿が見えた。それを見て、確信づいてアトラは話した。

 

「要は、デュランダル議長の護衛で来たんでしょう? ラクス・クラインの警護も大事だけど、たかがアイドル一人のコンサートのために、新型のモビルスーツが派遣されるとは考えにくい」

 

 一方で、名実共に〝プラント〟の首脳たるギルバート・デュランダル氏のお忍び来訪に伴う護衛と警護が目的なら、そのような大仰な采配にも説得力が出てくる。

 ──というより、議長の姿が見えたのだから、もう確定したようなものだ。

 云い当てられ、アグネスが居心地悪そうに身じろぎするのが分かる。だが、だからと云ってアトラは糾弾をやめる気はなかった。彼女はつとめて冷めた調子で続けた。

 

「なら、ここに来る道すがら、議長に直接お訪ねする機会くらいあったはずだけど? ──『アトラなんかより私の方が(・・・・・・・・・・・・)お役に立ちますので(・・・・・・・・・)どうか(・・・)インパルス(・・・・・)のパイロットを私にお譲り下さい(・・・・・・・・・・・・・・・・)』って」

 

 わざとらしい丁重な言い回しに、アグネスが図星というような顔を浮かべた。

 たしかに、アグネスはデュランダルにそう云った。いつも通り手練手管の『必殺技』を携え、散々良い子ちゃんアピールをした上で、そのように頼み込んだのだ。台詞の一字一句まで違わなかったのは、なんだかんだ云って、二年という歳月を士官学校で共に過ごし、アトラの方もアグネスの人格をよく把握しているからだろうか。

 

「でも、そんな辞令は私のところに来なかった」

 

 ──そして腹立たしいことに、今後も来ることはないだろう。

 それは最早確信だった。デュランダル議長は、間違いなくアグネスの要求を蹴ったのだ。そうでなければ、わざわざアグネスが自分のところに殴り込んでくる理由がないから。

 アグネスの立場からすれば、正式な書面と共にアトラに辞令を突き付けるのが最も手っ取り早く、同時に、最も小気味良い(ドラマチックな)展開だったはずなのだ。だが、物証となる書類を持ち込まなかった──持ち込めなかった時点で、今回ばかりはアグネスの負けだ。

 

「偉い人に泣いて縋って駄目だったからって、その個人的な憤懣を私にぶつけられても──正直困るよ」

 

 慇懃無礼。ナチュラルに相手を見下しているかのような、ひどく高圧的な物言いだった。

 それはまるで、どちらが〝上〟であるのか分からない──傍で見ていたルナマリアも愕然とするほどの物言いであり、傲岸不遜さで云えば、アグネスが可愛く思えるほどだった。改めて彼女は、ふたりの関係の破綻っぷりを思い知らされる。

 

(まったく。あの人は一体、何を考えてるんだ……)

 

 アトラは面前のアグネスすら通り越して、内心でため息をつく。

 ──ギルバート・デュランダル。

 結局のところ、全ての元凶は彼なのである。

 自分を〝インパルス〟のパイロットに抜擢したところから始まり、今回アグネスの要求すら突っぱねたということは、彼は自分に対し──全くもって嬉しくない──依怙贔屓をかけていることになる。

 そのような鶴の一声をアグネスが面白く思わないのは人として正常な反応で、当事者であるアトラは感心こそ出来ないが、一定の理解を示すことくらいは出来る。議長の秘密主義も深謀遠慮があってのことなのだろうが、そのツケを払わされる現場のことも少しは考えて欲しいものだ。

 

「ふんっ、何よ!」

 

 論破されたアグネスだが、流石の彼女だ、まったく堪えた様子もない。次の手でも考えようとばかりに、怒り心頭な様子でその場から去っていった。

 それ以降、やはりアトラもやや不機嫌な様子になる。沈黙が降りるその場で、メイリンが姉の袖を引っ張って云った。

 

「ねえねえお姉ちゃん」

 

 もしかしなくとも。

 メイリンは今になって気付いてしまった。

 

「アトラって、もしかして人付き合いめちゃくちゃ下手?」

 

 勿論、本人もやりたくてやっているわけではないのだろう。だが人を煽るという点についても、残念ながらアトラは才能があるらしかった。

 本人がどれだけ気を付けていようと、気を付けていて尚、どうしようもないのが人間関係であり、対人能力なのだ。ほんの少しの理解で解決できる程度の問題であれば、アトラは幼少期に壮絶な苛めを受けていないし、もっと云えば、世界から戦争などという言葉は淘汰されているはずなのだから。

 アグネスとの破綻した遣り取りを見る限り、どうにも彼女は方々に『敵』を作る体質のようだ。対人能力という意味では、それこそルームメイトだったマユの足元にも及ばない。

 

「……いまさら……」

 

 ルナマリアも嘆息する。この鈍感な妹ときたら。

 

「それこそ、マユがこの場にいてくれたら、とも思うんだけどねぇ」

「あー、分かる気がする。あの()、なんていうか潤滑油だもんね」

 

 四面四角なアトラの欠点を補って、彼女なら、この場を丸く治めてくれただろうという確信があった。

 

「──いや、でもやっぱり駄目かも」

 

 結果は同じだろうと、ルナマリアは嘆息する。

 今のアトラは、そのマユとさえ、上手く歯車が噛み合っていない状態なのだから。

 

 

 

 

 

 

 シンはディオキアの基地に潜入し、冷や汗をかいていた。

 

「こえー」

 

 今しがた、ザフトのエースを表す『赤』に身を包む人物達のすぐ脇を通った。

 ──なんでも、ザフトでは『色』によって、兵士の能力に階級が割り振られているらしい。

 現在、シンは迷彩用として、現地の諜報員に手渡された緑の士官服に袖を通していた。曰く、赤服の用意もちゃんとあったそうだが、今回の目的が諜報と偵察である以上、わざわざ目立つ色を着る意義はないと断固一蹴されてしまった。シンとしても「恰好いい」から、赤の方を着てみたかったのだが……。

 

「女の子って、こわいんだな……」

 

 ディオキアの基地全体を見て回っても、やはり『赤』を着ている人間などは一握りだ。

 それほどに貴重な存在が、実に三名も同じ場所に集まっていたものだから、シンとしても探る目的で近寄ってみた。だが、そこから聞こえてきた会話内容は、婉曲的に女同士で殴り合っているかのような、少年らしいシンには考えつかないものだった。

 

「赤服を着てるのは、全員〝ミネルバ〟のモビルスーツパイロットか? ていうか、女の子だらけじゃないか」

 

 シンの感覚として、それは異常だ。軍組織である以上、どうしてもむさ苦しい男所帯を想像していたのだ。

 だが現実は華やかで──というより、自分とそう年齢の変わらない女の子ばかりがエースとして名を馳せている状況に驚いてしまう。やはりコーディネイターが集う〝プラント〟の社会構造は、シンの常識を凌駕するものがあるらしい。

 

「偵察ったって──他に、何を調べりゃいいんだ……?」

 

 ひとりは立ち去ってしまったが、その場に残った赤服の女の子たちを尾行してみるか? いや、それじゃまるでストーカーみたいじゃないか? なんとなく気が進まないので、それはやめにしよう。別に、あの女の子達と将来的に戦い合うわけでもあるまいし……。

 ──結局、世界を学んで来い、って云われたって。

 思い悩みながら、シンは呆然とした。

 軍事基地らしからぬお祭り騒ぎ、空から舞い降りてきた、ピンクの髪のアイドルのボーカルとダンス、そしてファン達の地をどもすような歓声は、いまだ基地一帯を賑やかな喧騒で包み込んでいる。だからこそシンは、しばしの間、そのお祭り騒ぎに乗っかってみることにした。喧騒の中に、身を埋めてみることにしたのだ。

 

「────」

 

 シンにとっては、名前も知らないアイドルのコンサートだった。

 だが、改めてその歌声に聴き入ってみると、なるほど、とても綺麗な声をしている。透き通っていて、まるで心を掴まれる感じだ。大勢の人間が彼女のことを親しみをもって『歌姫』と呼び習わし、熱狂的なファンになる気持ちも分かるような気がする。

 よく見ると、そんな歌姫様は容姿だって可愛い上に、身に着けるコスチュームもやけに挑戦的だ。特におっ……いや、彼女独自の豊満なスタイルが強調されるデザインになっていて、上下に激しく揺れ動く彼女を、思わず目で追いかけたくなってしまう。

 ────結局、シンはそのコンサートが閉幕するまで堪能し、結果として何曲も聴き入ったのだった。

 後にして思えば、曲のレパートリーはアップテンポばかりで、それが少しだけ残念に思った。せっかく抜けるような綺麗な声をしているのだから、もっと、ゆったりとした曲調も彼女の声質に合うだろうと思ったし──むしろ、そっちの方がシンは個人的に聞いてみたい。少なくとも、アイドルソングに造詣が深くないシンでさえ、そのように思わせてくれるほどには、少女の歌声はもつれた魂に大いに癒しを与えてくれた。それだけは確かだった。

 

「『ラクス・クライン』……か」

 

 それこそが、アイドルにして少女の名。オーブで暮らしていた頃は聞いたことがなかったが、それは〝プラント〟を代表する歌姫の名であるらしい。今度、もっと時間があるときにアルバムなどをレンタルしてみるのもいいかも知れない──そんなことを、不意に思ったシンであった。

 どれだけ聴き入っていたのか、そうしてコンサートが閉幕し、舞台上からラクスも掃けてしまうと、それまで一か所に集まっていた黒山もまちまちに解散し始めた。シンもまた、良いものを見せてもらった気分で踵を返そうとし──そのとき、何やら怪しげな動きをしている人物が視界に入ってきた。

 ──「ん?」と、シンは目を凝らした。

 それは、私服の白シャツを着用した小太りの男だった。今はステージの脇、日陰と死角になっている部分に潜んでいる。そして、どう見ても軍関係者には思えない。ザフトの制服ですらないというのも決定的だが、それ以上に、姿勢の悪さや身のこなし方、そして怪しさが、どうにも軍人っぽくないのだ。であれば、基地外縁のフェンスにでもよじ登って侵入した一般人か……?

 

「あいつ、何を」

 

 ラクス・クラインのファングッズであろう鉢巻きにキャラクターシャツを着用し、パンツはチャコールのカーゴだ。曇った眼鏡に、無造作な髪は脂ぎっていて、こういってはなんだが、もう少し清潔感を持つべきと思えるような人物──

 それがまるで、人目を憚るようにステージ脇に隠れていて、今度はバックパネルの方に姿を隠していってしまった。それはついさっき、ラクスが掃けていった──更衣用の楽屋があるらしき方角だった。

 

「おいおいっ……」

 

 ──偵察任務とは関係なかった。

 だが、なんとなく嫌な予感がして、シンはその物怪しげな男の後を追った。

 

 

 

 

 

 

「今回のライブも、あんじょうやったでぇ。次もまた、よろしく頼むわァ」

 

 訛り癖の強い喋り方は、ラクスのマネージャーであるキングのものだ。彼は仮設された楽屋の中にラクスを引き入れた後、彼女へと労いの言葉を口にした。

 だが、ライブを終えたばかりのラクスはどっと疲れた様子で、余裕がなかった。彼女はキングから一頻りの賛辞を受け取ると、その後すぐに彼を楽屋から追い出した。一刻も早く、汗をかいた衣装を着替えたかったのだ。

 

〈ハロ! ハロ! エクスキューズ・ミー!〉

 

 そんな傍らで、赤色のハロが、やけに英語っ節の強い言葉を放ちながらゴロゴロと動き回っている。

 

「ハロ! 何度も云っているでしょ? 更衣室には入ってこないで!」

 

 衣装に手をかける前に、ラクスは口を尖らせて云った。

 

〈エクスキューズ・ミー……〉

 

 怒られたハロは、しょげたような音声を漏らしながら楽屋から出ていった。あの赤いハロは、マネージャーのキングに──というより、デュランダル議長の息がかかった人間から手渡されたものだった。

 何の変哲もない球体のボディ、間の抜けた顔をしたささやかなペットロボットあるが、ああ見えて多才──いや多機能であり、録音機能やカメラアイを使用した録画機能も搭載しているのだ。今のラクスはアイドルとして絶大な人気の下で活動している手前、万が一にでも、着替え途中の生写真でも盗撮され、流出してしまえば一大事だ。だから出て行ってもらったのだ。

 

「──♪」

 

 そうして、誰もいなくなった楽屋で着替え始めるラクス。

 口ずさむのは、ラクス・クラインの『静かな夜に』──マッシュアップ風のアレンジが加えられる以前の、どこか静謐な雰囲気で演奏される楽曲だ。

 実のところ、彼女自身はこちらのスローテンポな曲調の方が気に入っていた。こっちの方が、ゆったり落ち着いてハミングしやすいし、けれどもライブでそれを披露しないのは、ひとえにマネージャーからの指示だった。何でも、今の衣装や芸風に合わないのだとか。

 そんなとき、もう再び背後で、ガチャリとドアの開く音が聞こえた。またハロが入ってきたのだろうか? そういえば、鍵を掛けた記憶がない。ラクスは服を着替えた後、辟易した様子でカーテンを開け、その隙間から顔を出して声を挙げた。

 

「もう、ハロ! 何度云わせれば……」

 

 その先の言葉は続かなかった。

 カーテンから顔を出した先、見知らぬ男性が立っていたからだ。

 

「──え?」

 

 愕然と目を見開くラクス。マネージャーでも、ともすればザフト兵ですらない。

 しかし、その顔をどこかで見たことがある──? いや、たしかに見たことがあるのだ。

 その人物は、アイドルとしての彼女のフリークだった。

 

「な、なになに!? 何でここに!? どうやって!?」

 

 蒼褪めながら慌てて身を引くラクスだが、背後は壁だ。それ以上に逃げる場所などない。

 カーテンを押し開けて近づいてくる視線の先の男性は、独り善がりな愛情で歪んだ気味の悪い笑みを浮かべながら「ボ、ボクのラクス様……っ!」などと意味の分からない言葉を発している。行き過ぎた執着心で暴走する男。その巨体が今にラクスに覆い被さろうというときになって──またも背後からドアが開いた。

 ドンッ! と勢いよく開かれたドアから、緑の制服の、ザフト兵らしき人物が稲妻のように駆け込んでくる。

 それは黒髪の少年だった。彼は状況を見るなり、今に倫理的に許されない凌辱劇が目の前で行われかけているのだと断じて、義憤を露わに、男に向かって背後から飛び掛かった。しかし、体格で云えば一回りも二回りも違う。丸太のようにまるまるとした腕から繰り出されるバックブローを、少年は瞬時に見切って避け、その反応速度は、コーディネイターの中でも訓練された者だけが発揮できるものだった。

 体重差のある相手を制圧するには、相手の勢いを利用するのが最善だ。少年は鮮やかに組み合う中で、素人動きの相手の不格好な殴りや蹴りを完璧にいなしながら、最終的にはみずからが下に潜り込む形で、相手の巨体を投げ飛ばして見せた。東洋では巴投げと云われる御業であるが、ラクスには想像も及ばないものだった。

 逆さまに投げ飛ばされた男は、勢いよく楽屋の内壁に激突し、そのままズルリと地に滑るようにノックダウンする。

 

「大丈夫ですか!?」

 

 一方的に勝ってみせた少年が声を挙げ、ラクスは震えながらも答えた。

 

「えっ、ええ……っ。だいじょうぶ……!」

「ったくもう、なんだって、こんなこと……!」

 

 少年──シンは若干の苛立ちと共に吐き捨てる。彼自身、人のことを云えた立場ではないのだが、やはりこの基地全体の警備状況はどうにかしていると思ったからだ。

 

「──怪我は?」

「な、ないわ。ありがとう……」

 

 ひとまずは感謝の言葉を告げながら、ホッとしたラクスは同時に懐疑してしまった。自分を救ってくれた少年──目の前の、自分とそう年齢の変わらない男の子──は、ザフトの制服を着ているから、きっとザフトの士官さんで間違いはないのだろう。

 ──でも、本当に『緑』なの……? 

 それが、ラクスの疑問だった。彼が身に纏っているのは間違いなく『緑』だが、彼が先に見せた電撃的な体捌きは、最早完成された、ひとつの芸術的で流麗なものだった。きっと良い師に恵まれたのだろう(・・・・・・・・・・・・・・・)、完璧なる『一流』に仕込まれた秘伝の体術──ザフトにおいては、それこそ『赤』を受け取っていてもおかしくないような……?

 ラクス自身、格闘技に詳しいわけではないから買い被り過ぎの可能性もあるが、何が云いたいのかというと、先程の一幕にラクスは思わず惚れ惚れとしてしまったのである。まあ勿論、経験としてはもう二度と勘弁して欲しい絶体絶命の窮地、そこに立たされたが故の吊り橋効果もあるだろうが。

 

「──あ、ごめん。俺は別に、怪しい者じゃなくってッ」

 

 このときラクスがよほど熱心な目を向けていたのが、猜疑の目を向けているのだと思ったのだろう──シンは途端に慌てふためいて弁明を始めた。

 

「た、たしかに、尾行してたのは本当だけど。その──あんたをじゃなくて、男を、というか……!」

 

 事情が事情だけに、シンも咄嗟に保身に走ったわけだが、その慌てきった子供っぽい立ち振る舞いと、性格的に嘘が苦手そうなあどけない表情。それらが殺気立っていた先程の夜叉のような目つき、姿、戦闘能力からは、まるで別人のように思える。

 それが、この少年の思わぬ弱点なのだろうか? そんなギャップが、ラクスにとっては少し可笑しく、少し可愛らしく思えた。思わず吹き出し、笑いかけてしまう──そのときだった。

 彼女の視界に、先にノックダウンしたはずの男。投げ飛ばされてなお立ち上がり、少年の背後に忍び寄っていた。その手には割れ物、楽屋に差し入れられたファンからのドリンク瓶が握られている。当然、彼は気付いていない。あんなもので殴られたら、彼は──!

 

「──あぶないっ!」

 

 振りかぶるビンの軌道は、真っすぐに少年の後頭部を狙っている! ラクスが咄嗟に飛びついた瞬間、少年もまたラクスの荒げた声に反応し、また対応していた。

 あまりにも速すぎる一幕。何が為されたのか、当事者であるラクスにも分からない。

 分かったのは、咄嗟に〝夜叉〟の目に戻った少年の顔が、視界に大写しになったこと。次の瞬間には天井が見え、床が見え、おそらく360°以上ぐるりと体を回転させられた後、反動でピンクの髪が大きく広がったこと。

 少年を庇うように前に出たラクスの体を、少年はさらに上回る速度で庇い返し、ラクスの身体を抱き留めたのだ。気付いたときには、二人とも男の一撃を避けていて、少年はラクスの体を抱き留めたまま、男の鳩尾を完璧に脚で蹴り込み、こいつを気絶させていた。もう二度と同じ失態はしない──! 殺気立つ少年の目には、そう書いてあった。男はそれで、完全に意識を手放したのだ。

 

「…………」 

 

 場に静寂が戻り、しばしの間、ふたりは硬直していた。

 シンの方は、男が起き上がってこないかを見届ける必要があったからだし、ラクスの方は何が起こったのかを理解できておらず、状況整理に努める必要があったからだ。

 

「あ、ありが、とう……?」

 

 当惑したような声で、ラクスはまたも、まずは少年に感謝を述べた。シンも憮然とした表情のまま「ああ」と返事したが──どうしてだろうか……? ラクスの声からは、震えが消えていなかった。

 ──目の前の脅威は、たしかに去ったというのに。

 変質者らしき人物は、これによって撃退されたというのに? シンは被害に遭う寸前だった相手を出来るだけ安心させるよう、努めて優しい声色で云った。

 

「もう大丈夫だ! これで、痴漢はやっつけたから!」

「…………」

 

 柄になく逞しく云ってみたのだが、返答はなかった。

 いや、声だけではない。気が付けば、少女は体の方も震え出している。

 でも、恐怖による震えじゃない……?

 

「……ん?」

 

 背後から抱きかかえているだけだというのに、ぷるぷるとした怒りのような感情が少女から伝わってきて、シンは困惑しつつ、純粋に不審がる顔になった。そういえば、さっきから両の手に乗っかっている、この柔らかい感触は何だ……?

 

「きみは、わざとやってる、のかな……?」

 

 え、という言葉を発すよりも前に、少女は勢いよくシンの手から逃れた。驚くべきことに、今のシンでも捉えきれるか怪しい振り向き速度と共に、鮮やかな一閃! すなわち、ビンタによる鉄拳制裁!

 

「アイテッ」

 

 痛くはなかった。痛くはなかったが、その後もビタビタと往復で頬を叩かれ、シンは困惑する。なんとなく理不尽なものを感じたからだ。助けてくれようとして、そうはさせまいと咄嗟に助け返した相手に、今度はビンタされるなんて!

 だがアイドルの少女──ラクスは、ぷんとした怒りと抗議の表情で説き明かした。

 

「私の胸、つかんだでしょう!? なぁにが『痴漢はやっつけた』よ!」

「いっ……!?」

「それも、ずうっと堪能するみたいにぃ~っ!」

 

 その告白に、シンは思ってもいなかったのか、ぎょっとしていた。

 ──じゃあ、さっきの感触は……!?

 思わず両手を見、その頬がみるみる紅潮していく。それこそ羞恥で頬を赤らめている少女の顔と、全く同じように上気した色──

 

「ち、ちがっ……!」

 

 シンは自分の幸運──じゃなかった、不運を呪った。

 ──これじゃあ、このコが怒るのも当然だ!

 痴漢をやっつけた直後、助けた張本人が、また新たな痴漢に成り代わったというのだから。

 

「ご、ごめん! そんなつもりじゃなくて──っ!」

「あーあーそうですか! 助けてくれて、ちょっとカッコいいとか思っちゃって損しちゃった!」

「な、なんだよ! こっちだってわざとじゃなくて──っていうか、それにしたってビンタし過ぎだろ! まじ死ぬかと思ったんだからな!」

「こっちだって婚約者がいる設定でやってるの! 嫁入り前の女のコのおっぱい揉んどいて、開き直るやつがある!?」

「おっ──!? い、いや、そう云われると、ほんとゴメン……っ!」

 

 言葉にすると簡単だが、だからこそ実感する重みもあるものだ。──いや、たしかに重かったが。

 女の子の胸を揉んだ? 子どもでも分かる表現なだけに、このとき自分が完璧にやらかした側であることを、シンは珍しくはっきりと理解していた。

 だからこそ、冷ややかな目を浮かべている少女の顔には、依然として強い軽蔑の色が浮かんでいる。

 だが意外な事に、その色は、シンが思っていたよりもすぐに消えた。──というより、少女の方もシンのことを恩人と理解している手前、さほど重く捉えてはいなかったのかも知れない。それから二人の間に落ちた静寂と沈黙に、やがて耐え切れなくなったように少女は吹き出すと、声を上げて笑い出した。

 

「……?」

 

 けれども、そんな少女に対して、シンは笑っていいのか分からなかった。意図せずとは云え、やらかしてしまった後だったからだ。

 けれども、そんなシンの戸惑ったような表情でさえ、よほど可笑しく──より可愛らしく──少女の目には映ったらしい。彼女は更に楽しそうな様子でお腹を抱えてひとしきり笑った後、ようやく赦しの言葉を発してくれた。

 

「ふふ、冗談だよ」

 

 勿論、例の接触について、何も思うところがないわけではなかろうが、今は些事として置くべきだった。

 アイドルの割に、なかなか大らかな考え方をするものだと思ったが。

 

「さっきは助けてくれて、本当にありがとう」

「あっ、いや……。それは、こちらこそだから」

 

 結果的に、シンの対応が間に合ったから良かったが、あれが間に合っていなければ、少女の方こそがシンを庇う結果になっていたのは明白だった。

 シンはそこで、改めて思う。

 この少女も、まったく女のコ──それも人気沸騰中のアイドルだというのに、己の身を顧みない、思い切った行動をするものだ。とんでもない偏見だが、彼女の立場なら寄ってくる男なんて掃いて捨てるほどいるだろうに、それでも見ず知らずの男──自分なんかのために、みずからを盾にしようとするなんて。

 

(でも、そーいうところも、人気の理由の一つなのかも知れないな?)

 

 危なげに思える部分だが、物は考えようであり、そう思うことにする。 

 しかし不思議なことに、そう考え出した途端、シンはますますもって目の前のアイドルのいちファンになったような気分になった。

 そして、そんな風に少年の心をぐっと掴んで、一瞬で魅了せしめてしまった少女は、今度は安心したような微笑みを彼に向けた。

 

「それじゃ、改めて──」

「──ん?」

「仲直り、しましょ?」

 

 にっこりと微笑みかけ、少女はその手を伸ばしてくる。

 シンは唖然として、目の前に差し出された手と、相手の顔とを交互に見た。

 少女の表情に浮かべられた、その完璧に見えるほどの微笑みは、思わず手練手管を疑う営業用スマイルに見えた。だが、これは俗に云うアイドルの握手会ではないのだから、実態としては違うのだろう。

 少なくとも、彼女はこのとき本心からシンに握手を求めており、そうであるなら、これほどの明朗な笑みを一瞬で浮かべられる、それほどに純真な心根を持つ人物に違いなかったのだ。

 

 ──本当に、末恐ろしいアイドルだと思う。

 

 ──でも、たしかに。

 自分達の出会い方が色々な意味で最悪だったのは、どうやら相互理解しているところのようで、安心した。

 かりかりと頬をかき、このときシンも、照れを隠すように微笑みを返す。アイドルと比べてしまえば下手すぎる笑顔だが、邪念も下心も、このときには勿論ない。このように魅力的な人物とであれば、シンとしても、差し出された手を取らない理由はなかったのだから。

 

「あ、おれ、シン。シン・アスカっていうんだ」

 

 手を取り合って、互いに握手を交わしてから、ようやく気付く。

 ──盛大に遅れたが、自己紹介がまだだった。

 だからこそシンは、自身に課せられた偵察任務もすっかり忘れ、素の感じで云っていた。

 ──対する彼女も、今になって思い至ったみたいだ。

 少女は確かめるようにシンの名を反芻した後、同じく、素に戻った感じで名を明かした。

 

「ミーアよ。ミーア・キャンベル!」

 

 ──いい名前だと、思ったが。

 

「──え?」

「──あっ」

 

 前途多難としか言いようのない──

 原典にして交わるはずのない二人の、それは奇妙な、最悪の出会いであった。

 

 




 一部のファンの方には申し訳ない思いもありつつ、今話より登場のミーアとシンの絡みは、作者が運命篇を執筆する上でずーっと採り入れてみたく、やっと漕ぎつけた念願の展開です。

 と云うのも、原作のミーアは作品主人公であるはずのシンとの絡みが一切なく、もっと云えば、劇中ではアスランにその接点を全て奪われています。ディオキアやジブラルタルでは同じ空間に立っているシーンもあるのに会話はゼロだし、それはそれで構わないのですが、作者の中で、ミーアほどにデュランダル議長の提唱したプランに人生と運命を翻弄されたキャラはいないのです。
 劇場版公開まで、よくシンは「主人公なのに最後まで成長しなかった」とか云われてましたが、それはそれとしてミーアの真実に触れていたのなら結果は違っていたのではないか。ミネルバにいる間、ずっとアスランの対応が悪かったとかいう環境的な要因以前に、シンの中で決意や覚悟、迷いが生まれるとしたら、やはりステラと同等か、それ以上にミーアの方を大いに絡ませるべきだったのではないか、という思いが強くありました。
 結局、作中のシンは中盤で死別するステラの犠牲についてもデュランダルに誘導され「ロゴスのせい」ってことにしてますが、終盤に犠牲になるミーアに関しては「ロゴスのせい」っていうのは通用しませんよね?
 したがって、原作におけるミーアの壮絶な死は、キラやアスラン、ラクスのためのスプリングボードとして扱われますが、彼ら何てその時点でデュランダル議長に反対する立場を取っている人間なんだから別にいいんですよ、そこに踏み板がひとつ加わったから何だって話なんですよ。だったらそこは、そのとき逆方面に突っ走ってるシンのため、議長サイドに引きずり込まれている作品主人公のための踏み板、跳ね板にしてやってもいいんじゃないのと、そんな作者のエゴを今回ばかりは前面に押し出した展開にさせて頂きました。

 それに、登場人物の大半が無印からの続投だったため已むを得ないのですが、ミーアの魅力に関しても多くの人物が偉大すぎたラクスの影に囚われて、誰も純粋に「アイドルとしてのミーア」を評価してなかった気がするのです(ヴィーノ、ヨウラン、後にファンだったと判明しているバルトフェルドなどは除く)。DESTINYを取り扱っているスパロボなどでは、この点についてはよく外伝的に評価されているのを見かけますが。
 その点に関しても、オーブ生まれで神格化されがちなラクスの影を一切知らないシンなら、ミーアという女の子に対し、割と真正面から関わり合うことが可能だったように思えました。少なくとも、ラクスの面影に囚わて、最後まで彼女へ対応しあぐねていたアスランよりは……。

 結局、これはステラを主人公に据えることに根差した小説ですが、ミーアの扱いに関しても、作者の中にはサービスよりエゴがあります。これは今後におけるステラとシンの絡みを奪うものではありませんし、彼ら二人の絡みも今後順当に想定していますが、原典ではあり得なかったこういった組み合わせも愉しんでいただければ幸いです。
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