『ねえ、あなたの名前は?』
初めて
亡くなった父の葬儀に始まり、死亡に伴う行政府への手続、方々の契約の見直し、遺品整理──当然、移民たる自分の周囲には頼れる親戚もおらず、子供ながらに全てを一人で差配しなければならなかった──で死ぬほど忙しかった日々がようやく落ち着いた後のこと、絶たれた収入源を賄うために、
入隊式を終え、同期達によるレクリエーションが始まってから離れた場所で佇んでいた私に、黒髪の女の子が尋ねてきた。
『ねえ、あなたはどこから来たの?』
その日から私と同じ部屋で過ごすことになったという女の子は、みずからをマユ・アスカと名乗った。
血を薄めたような色の眸が印象的で、あどけないとしか云いようのない顔には、私にはない可愛げがあった。……ただ、いきなりのタメ口は流石に生意気じゃなかろうか?
──云っとくけど。私の方が、あんたより一コ年上なんだからね。
いま思えば無意味なマウント。最初の頃は何度か注意した憶えもあるが、彼女が私に
『──え? オーブから来たの? 本当に!? 良かったーっ、同じ人がいて! あのね、私もオーブの生まれなんだよ! 色んな人に訊いて回ったけど、周りに誰も故郷の話ができる人がいなくって、寂しかったんだ!』
レクリエーションも始まって間もないというのに、彼女は既に大半の同期と挨拶を交わし、適当な世間話も終えた後だと宣った。
──コミュ力の塊か?
自分には到底できない芸当だが、別に羨ましいとは思わなかった。最後になって
『ねぇ、皆あっちに集まってるよ! 一緒に行こうよ!』
ああ、それでも──どう思い返しても刺激的で、半ば暴力的なやり方であったとしても──唯一の肉親を喪い、自覚しないまま心に深い傷を負っていた私を、彼女はたしかに癒してくれた。
人に馴染めず孤立を深め、愚かにもオーブにいた頃と同じ過ちを繰り返そうとしていた私を、彼女がぎりぎりで救ってくれた。私の手を取って、みんなの所へ連れ出してくれたから──。
──たしかに私は、あのときあなたに救われたんだ。
まあ、それ以降のアカデミー生活において、彼女の印象を大きく変えた出来事というのは特段無かったと云っていい。無礼を承知で云ってしまえば、ルームメイトとして生活を共にする程に、むしろ彼女が
座学は大の苦手──悪いのは地頭ではなく要領の方だろうが──実技科目の方でも、特筆すべき点は見当たらない。コーディネイターという怪物の集団、優劣の際立つアカデミーの環境下では明らかな凡人であり、誰かが云ったように「赤服は無理だろう」という評価が妥当な兵士。
けれども、それ以上にひたむきで、優しく思い遣りが有って、酷く努力家な、魅力的な女の子であることも、私はまた理解していったのだ。
『すごいなあ、アトラは。何でも上手にこなせちゃうんだもん、私もアトラみたいにできたら良いのになぁ』
中間試験で手加減をしくじった私が成績トップに躍り出てしまったその日、マユは皮肉でも悲嘆でもなく、純粋な羨望を私に向けた。曇りも淀みも無い、実に女の子らしい無邪気な目。自分にもこんな時期があったのだろうかと思い、いや、果たして本当だろうかと苦笑したものだ。
──そして、初めてだった。
天才的な私の能力を妬み、これをやっかまない人間の反応を目の当たりにしたのは。オーブで暮らしていた人間達は──私が知り得る限りのあの馬鹿共は──散々これを白眼視し、寄って集って私の足を引っ張ってきたというのに。
──あんただって、
そういう意味でのマユはたしかに、私にとって〝特別〟で、知り得る限り最も〝異端〟な存在に違いなかったのだろう。
──仕様がないなぁ、この娘は。
落第寸前で真っ青な顔をしていた彼女に座学を教えてやったのは、まあ、簡単な恩返しのつもりだった。
はっきり云って、思い付きや気紛れの類だ。まさか、そんな私の気紛れに味を占めた彼女が、試験の度に私に泣き付いてくるようになるとは想像もしていなかったけれど。
……ああ、試験前日に泣きながら私の膝にしがみついてきた彼女は、文字どおり私の足を引っ張ったわけだけど。
いま思えば、あれは一度手を貸せばそうなるであろう未来を想定していなかった、私自身の愚かさを嘆くべき出来事だった。
しかし、私にだって正義感はあるものだ。彼女の成績不振をそのまま放置すれば、きっと彼女は
──とはいえ。
家庭教師は本当に面倒で、本当に苦手な業務だった。自分の時間は削られるし、人に教えたことなんてないからどうやれば良いかも分からないし。
それほどの激務で得られた対価は、溢れんばかりの笑顔と心からの感謝、まるで妹を持ったような錯覚。さながら家族のように『アトラ助けてぇー!』と私に泣きついて、心の底から私を頼りにしてくれる存在が本当に面倒で、本当に鬱陶しかった。
──それでも決して諦めなかった彼女のことを、本当に意外に思っていた。
彼女と同じ状況に置かれたとき、果たしてああも図太く在れるだろうか。周囲から寒い目で見られるおぞましい環境の下、目標のため、あそこまで自分を強く持っていられただろうか。
──いいや、私には出来ないに違いない。周りの評価に屈してしまい、とっくのとうに『自分』を見失った私には……。
それでも私には『才能』が残されていたから、彼女の云う通り大概のことは器用にこなせたから、だから生き残ることが出来ただけ。けれども私が持っていないものを、あなたは全て持っていたのだ。可愛げも、夢も、友達も──。
──私はあなたを応援し、尊敬した。
学期末、最終的に成功を収めた彼女は、彼女を軽視していた同期らの順位まで追い抜いて、堂々と赤服に袖を通す実力と権威を獲得した。
他人のことだというのに、それが自分でも意外なくらい嬉しかった。自分以外の人間の成長をここまで喜べるのかと、そんな素直さがまだ自分に残っていたのかと、生まれて初めて思い知ったものだ。
──本当にすごいのは、あなたの方。
出会ったときから考えていた。
そして最近、つくづくとして思うのだ。
──私だって、あなたみたいな女の子になりたかったな。
戦闘が開始された。〝アークエンジェル〟から再出撃したモビルスーツは合わせて四機、メーテルの〝ガイア〟は〝グゥル〟の破損により出撃を見合わせている。
先陣を切ったのは〝メタス〟だった。〝カオス〟と比べてしまえば貧乏な航空形態であるが、ムウはモビルアーマー乗りとしての戦闘勘、そして持ち前の空間認識能力を駆使しながら、ザフトのコーディネイター達を相手取る。
──敵は〝ミネルバ〟……!
現況においてザフトが誇る最高戦力に違いなく、目的はどうあれ、そのような連中を〝アークエンジェル〟に近づけさせるわけにはいかない!
両腕のビームガンを撃ちかけ、パッと散開した〝グフ〟や〝ザク〟。その内の白い機体──〝ザク〟の方だ──がビーム突撃銃で反撃を掛けてくる。その射線は冷徹にして正確だ。
「お……?」
ムウはその一射を避け、一瞬にして機体が交錯する。
ビームトマホークによる迫撃をいなしたその瞬間、奇妙な感覚がムウを襲った。
「なんだ……っ?」
もうすでに戦場で何度も対峙したような感覚。奇妙な好奇心を覚えると同時、この敵は普通とは違う──それだけは確信することができた。
相手は〝ザク〟といえど、ザフトが開発した十分すぎるスペックを誇る量産機だ。寄せ集めのパーツで造られた〝メタス〟で、果たしてどこまで迫れるだろうか。
「何なんだい、きみは! 白いボウズ君っ!」
その声には面白がるような響きがある。
非常に奇妙な感覚だったが、その正体を掴みかねたまま、両者は交戦し続けた。
別の空域では赤い〝ザク〟と〝カオス〟の戦闘が繰り広げられている。ルナマリアの機体はビーム突撃銃を構え、高速飛行するモビルアーマーを狙い撃つ。
敵はその砲火を避けつつ、多数の重火器を反撃として放ってくる。
ルナマリアもこれを躱すが、思うことはひとつ。アトラが設計してくれた『新装備』が無ければ、〝ザク〟はこうも空中で戦えてはいまい、ということだ。
「さすがアトラの発明品ね、〝ザク〟の反応値も上がってる気がする」
空戦需要の高さから、ジブラルタル基地では〝ミネルバ〟にも〝グゥル〟が配備された。
だがルナマリアに云わせれば、あんなモノに乗って戦わされるのは御免だ。機動に制限を課せられること自体、進んでハンデを背負うようなものだからだ。
その点、この〝スカイリフト・ウィザード〟──設計者であるアトラがシンプルに名付けた──は空戦用兵装として魅力的である。緻密精巧なマニューバ操作により〝ザク〟を空に舞い上げる機能を持ち、心なしか〝ザク〟自体もスペックアップしたように思える。しかし──
「──こいつ、腕を上げた!?」
──〝カオス〟のことだ。
スペックアップを果たした〝ザク〟にも、この敵は順応し始めている。放たれるビームを悉く躱し、迫るやいなや、形態変化を行いながらサーベルやクローで接近戦をかけてくる。
ルナマリアは実感する。過去の戦闘データも見ているが、以前までの〝カオス〟はここまでの強敵ではなかった。機体性能は兎も角、単純なパイロットの能力ならルナマリアの方が格段に上だったのだ。
「今は、てめぇらの相手なんてしてる場合じゃねぇ!」
そんな〝カオス〟の中、スティングは息巻いている。メーテルが出撃できない今、自分だけでこの敵らを抑えなくてはならない。
──ネオも、アウルも!
彼にとっては家族も等しい二人は、今も治療を必要としている。だからこそ、いち早くこの場所を切り抜け、目指さねばならない場所がある。
「そのためには、てめぇは邪魔だ!」
凄まじい気迫と共に、スティングは赤い〝ザク〟に向けてなおも迫った。
それぞれが戦闘を始めた中、アグネスは自身の前に立ち塞がった〝ディジェ〟を認め、拍子抜けの表情を浮かべている。
「どういうこと! なんで私の相手が、よりによって旧式なのよ!?」
危機感のかけらも無く口を尖らせるアグネス。出撃してきたモビルスーツの内、自分が一番の『ハズレ』を引いたと思ったのだ。
──よりにもよって、自由飛行も出来ない型落ちぃ?
少なくとも、アグネスの『お眼鏡』に叶う標的ではない。
──あんな小物を墜としたところで、なんら戦果とは呼べないじゃない!
それではいけない。そんなことでは、既に各地で功績を上げているアトラとの〝差〟は広がってしまうばかりだ。
「差? 差って、なんの?」
自分で云っておいて、何を馬鹿な、とかぶりを振る。自分とアトラの間には、そんなにも差があると云うのか?
──いいえ、忘れないで! アカデミーの首席は私!
それでも、やっぱり気に入らないことがある。
つい先日のことだ。アトラはまるで畑の違う設計分野でも名を売ったばかりか、ついに『ワルキューレ』の二つ名まで私から奪った。それが広報用のプロパガンダに過ぎないと分かっていても、
「私には、実績が必要なのよ!」
功を焦るように、アグネスは意図的に〝ディジェ〟を無視した。どのみち〝グゥル〟を使わないと飛べないノロマなど、振り切ってしまえば問題無いと踏んだのだ。
「私は本命を狙う!」
──どう考えても、最初に狙うべきは
大物の一本釣り。他の人間を出し抜いて『伝説の不沈艦』を落としたとなれば、私はもう一度スポットライトを浴びることができる! アグネスは〝グフ〟にフルスロットルを掛けさせ、しかし、その行いは普通に許されなかった。
「ええ……っ?」
アグネスの航路を、背後から〝ディジェ〟のビームが阻んだのだ。その射線は背が凍るほど正確。だが、アグネスはまだ侮ったままだった。
「いいのよ、あんたは!」
──引っ込んでなさい!
アグネスの誤算は、こうして対戦相手の力量を見誤ったことにある。たしかに目の前の〝ディジェ〟は最新鋭機では無ければ、他と違ってワンオフ機ですら無い。
けれども、それを操る者は、敵の中でも随一だった。そういう意味では、アグネスはたしかに『ハズレ』を引き当てたに違いなかったのだ。
「……こいつッ!?」
手指部のビームガンで反撃を行うアグネス。だが〝ディジェ〟は凄まじいリアクションを見せて全弾を回避。ドダイすら機体の一部であるように駆使している──〝
「この、アヒル口がーっ! 」
──遅れを取っている!? 私が!? あんな旧式に!?
信じ難い事実だったが、瞬間移動みたいに敵に迫られ、次の瞬間にはビームガンごと左腕を切断される。アグネスは愕然とした。
「くっ……!?」
〈アグネス!〉
ルナマリアの〝ザク〟が、咄嗟のビームでカバーに入る。なるほど、艦長が『二機一組の陣形を組め』と云ったのが、こうも早くに功を奏するとは思ってもいなかった。
「こいつ、私をコケにして!」
〈無茶は禁物よ、アグネス!〉
制されるが、アグネスは意に介さない。
──何よ、ルナマリアまで! ちょっとばかり
自分だってプラント防衛の任に就き、そこで多くの戦果を上げた。実戦経験は今の所それしかないけれど、あのときは連合の量産部隊を相手に無双できた位なのだ。
──私は強い!
──なのに、その私を苦しめている、コイツは何!?
アグネスは、なおも迫撃してくる〝ディジェ〟を睨んだ。
今までのどんな敵も、ここまで自分を苦しめたりはしなかったのに!
新型らしい〝グフ〟をいなしたステラは、その更に遠方、赤い翼を広げて飛び来る機影を認めてハッとした。
「────!」
──〝インパルス〟!
ステラには分かっていた。あの機体はもともとシンが乗っていたもので、今は別人だ。
パイロットについても、すでに聞き及んでいる。ザフトにおける当代最高の注目株。実際に交戦したステラの所感にも合致しており、危うくこちらが討ち取られそうになった事もあるルーキーだ。
──いずれにしろ、
油断できない理由としては、それで充分ではないか。
ギルバート・デュランダルが水面下で野望する〝デスティニープラン〟──成程、その先駆け的一例として見出された『最強』の戦士。とどのつまり、凶悪な暴力装置の役割を担わ
彼らの〝強さ〟の片鱗、敵にして嫌になる程の才気にも説明がついてしまう。
「〝アークエンジェル〟……!」
ステラは苦々しく呼びかける。
その〝インパルス〟はこちらの迎撃網を突破しつつ、今にも〝アークエンジェル〟に取り付こうとしていた。やはり〝ネモ〟隊では相手にならない──以前会った時よりも腕を上げているのか?
──アイツはステラが止めなきゃ!
強い危機感を憶えるステラであるが、一方で〝ディジェ〟の性能には限界がある。精々〝ザク〟と抗するのが限度である汎用機に、それだけのパフォーマンスを求めるのは酷な話だ。
いや、問題はそれ以前か。さらに躍起になった白い〝グフ〟と赤い〝ザク〟が、息のあった連携でステラの進路を阻む。猛攻を前に、ステラは痺れを切らした。
「スティング! 上から回り込んで!」
〈──やってる!〉
「どっちか一機……っ! 一機でも墜とせば!」
──敵の一角を崩しさえすれば、ステラはすぐにでも〝インパルス〟に向かうのに!
〈オイ、なんだよありゃ!?〉
そんなときだった。
スティングが素っ頓狂な声を上げ、ステラもはっと目を巡らせる。振り返った先の〝アークエンジェル〟右舷ハッチが押し開き、その中から得体の知れない機影が現れたのだ。
「あれは……っ!」
それが表現として妥当かは分からない。だが、ひとえに〝怪獣〟──
そうとしか形容しようのない巨影が、大天使より現れたのだから。
それは、ステラ達が出撃するよりも数刻前のこと。
『マードックさん!』
〝ミネルバ〟来襲の報を受けたマユは、真っ先にデッキの搭乗機へ──
ではなく、そこにいた整備スタッフ達に声を掛けていた。
『どうした、お嬢ちゃん! 〝アリアドネ〟ならもう出せる──』
『──
叫んだマユの視線の先には、整備用シートがかけられた巨大モジュールが横たわっていた。
それも〝グゥル〟同様〝ヘファイストス〟から持ち出してきた物品である。互換性が認められたことで、いずれ〝アリアドネ〟のスペックアップ用に持ってきたものなのだ。
マードックはぎょっとして云う。
『今からか!? そりゃ無茶な注文だぜ!?』
『アトラが来ているんです! 絶対に必要です!』
誰だよと怪訝がるマードックであるが、マユはとにかくその『新装備』の配備と換装を急がせた。
背部装備用のウィザード・パック。いや、系統としてはモビルスーツの全身を装甲するハル・ユニットが近いだろう。だがそれは、規格故に配備に相応の時間が掛かるのだ。
『暇は稼ぐ!』
話を断片的に聞いていたステラは搭乗機に走り掛けざま、そのように告げた。マードックは後ろ頭を掻きむしる。
『だーっ! 分かったよ! おいオメェら、すぐに作業に取り掛かるぞ!』
作業は急ピッチで進められ、そうして完成した〝アリアドネ〟は、もはや〝アリアドネ〟として判別が付かない『異形』へと変貌を遂げた。
──喩えるなら、恐竜。
古代生物を思わせる怪獣的外郭が取り付けられ、象徴的な〝G〟フェイスはそれを模した覆面で偽装された。踵部から四肢、頭頂部にかけて全身を武装コンテナで
──〝ラビュリントス〟
それが新兵装の名称だ。迷宮を意味する言葉であるが、なんといってもこの装備には敵対者を『迷宮』の中に
迎撃や撹乱に用いるには打って付けの装備だからこそ、このときのマユは換装を急がせた。
「マユ・アスカ、〝アリアドネ=ラビュリントス〟出ます!」
──〝デストロイ〟とまでは云わないが。
外貌や規格上、どうしたってソレを彷彿とさせる怪物に、
出撃した〝アリアドネ〟は、以前よりも機体重量が増しているにも拘わらず、それよりも軽やかだった。さながら軽飛行機──性能の底知れなさに舌を巻くマユであるが、彼女はすぐに迫り来る
──〝インパルス〟……アトラ!
対峙したその機体は、ひどく殺気立っているように感じられた。双眼が照り、それが氷雪の中で嫌に赫々しい鋭さをもってマユの目を貫き返す。
進路上に立ち塞がり、マユは通信回線を開いて呼び掛ける。
「待って!」
〈──待たない!〉
「なんでさ!?」
そうは云うものの、制動を掛けた〝インパルス〟のライフルは下を向いていた。アトラの視点からはいきなりの通信だったろうに、まるで予定していたような通信が返ってくる。
〈なんで? なんでっていうのはこっちの台詞だよ、マユ!〉
「……!」
〈あなたこそ、なんで〝アークエンジェル〟に乗ってるの!?〉
──あなたの所属は〝ミネルバ〟でしょう!?
質問というより、糾弾の意図を込めた言葉。今さら釈明して貰わなくとも、アトラの中で何となく察しは着いていたが実際、その通りにマユは釈明の言葉を口にする。
「アトラ、これにはちゃんと理由があるんだよ!」
〈理由があったら軍を勝手に抜けてもいいって? あなたの座学嫌いは知ってるけど──あなたはいったい、どこでそんな思想を拾ってきたわけ!?〉
アトラは確かめるように続ける。
〈
「──聞いてよ!」
マユは叫ぶ。
四角四面で、融通が効かないのはアトラのわるい所だ。
「私、気づいたんだんだよ。これからザフトがやろうとしていること──デュランダル議長が、これから世界をどんな風に造り変えようとしているのか!」
〈──戦争のない世界でしょ!〉
アトラは反応する。
──〝ミネルバ〟を離れていたマユには分からないだろう。
議長はディオキアに降り立った際、そこで〝ミネルバ〟パイロット達を招致したささやかな晩餐会を開いた。そのとき、彼はこう云ったのだ。
『今回の戦争の裏にも、間違いなく〝ロゴス〟が居るだろう。戦争を産業として捉え続ける彼らがいる限り、これからも地球と〝プラント〟の戦争は終わらない』
地球に住む人々の敵意を煽り、民衆を扇動し続ける影の権力者達。今回の戦争の発端にしたって、彼らによる情報工作が原因であると議長は突き止めていた。
そんな彼らを討ち、平和調停を結んだ後に『戦争の無い世界を作る』──それが議長の目的であるはずなのだ。
その話を聞き、たしかにマユは感心した。成程、そういう方法論があるのかと──しかし、あくまで表向きだ。
「そうかも知れない。でも、議長が
〈────〉
「議長は自分の求める役割をこなす人にしか興味が無い。気づいているか分からないけど、アトラ──あなたはその一番の例なんだよ!」
マユは懸命に言葉を続ける。
「痛々しいアトラ、可哀想なアトラ……! 本当は別の道に進みたいはずなのに、
〈っ…………!〉
「本当はイヤなんじゃないの? 子供の頃からずっとやりたかった裏方の仕事を──したかったことをしたいんじゃないの!?」
アトラの場合は設計技術師の道か。
──そして、デュランダル議長はソレを許さない。
それこそマユには認められない話だ。この世界に祝福されて生まれてきた人々には、確固たる自由の下、数多くの未来が示されて然るべきではないか? だが、アトラは激したように返す。
〈──それがなんだって云うの!?〉
アトラは叫ぶ。マユは愕然とした。
〈議長の目指しているのはきっと、
「──!? アトラ、まさか気付いていて……!?」
〈ああ、気付いてないとでも? アグネスを差し置いて大抜擢を受けた私が、よりによって彼の思惑に考え至らないって?〉
ほんの少しの注意を向ければ、ギルバート・デュランダルという男がDNA解析分野の権威──優秀な遺伝子工学医であったことなどすぐに調べがつく。
もちろん、彼がかつて閉鎖されたコロニー〝メンデル〟に在籍していた事実についてもだ。
文献漁りが得意なアトラにとっては容易な調査であって、しかし、論拠とするには十分すぎる。
〈そうだね、私は私の自由を認めない議長にムカついていて──でもね、悔しいけどあの人は……誰より正確に私を評価してくれる! それがどんなに有難いことか──だから私は今もザフトにいる! ムカつくけど!」
レイよりも、ルナマリアよりも、アグネスよりも、誰よりもアトラが〝優秀だ〟と理解してくれているから、議長は〝インパルス〟のパイロットに自分を選んでくれた。
適正に能力を評価されず、それどころか能力のせいで迫害されたオーブとは違う。ほんのそれだけのことで、故郷を捨てて〝プラント〟へ移った甲斐が報われるというものではないか。
〈たしかにマユの云う通り。私がどれだけ設計局に戻りたいと訴えても、けっきょく私は
デュランダル議長はもちろん、仲間である〝ミネルバ〟クルーの誰も斟酌などしてくれない。上長であるタリアですら、だ。
──何がヒーローだ、何が『ワルキューレ』だ!
望まぬ役割を与えられ、拒否権を使うこともできず従属を強いられ続ける。まるで奴隷のように。
──でも世の中なんて、そんなものじゃないか。
この程度の不幸など、社会においてそこら中に転がっている。マユの云うような『人々の尊き選択の自由』が許容されたとして、その道で大失敗を喫するよりマシだ。
たとえばスポーツの世界で〝プロになりたい〟と願った子供のうち、どれだけが本当にその夢を掴めるというのだ? 大人になって身の程を思い知るうち、じつに多くの人間が夢に破れて横面を殴られる。生き存えるにつれ、夢はただ夢でしかなかったのだと、現実の重たさに目を醒ます。
〈マユ、あなたは夢を見過ぎてる! あなたのそれは、自分には選択肢があると思っている人間の傲慢と理想論だ!〉
「誰よりも選択肢を持つあなたが、それを云っちゃうの……!?」
〈道を選べない者は大勢居るんだよ! 生まれつき才能や能力を持っていなかったり、金銭的な余裕がなかったり──〉
アトラは極めて現実的な解答を寄越す。
〈そうやって大抵の人間は、身の丈に合った生き方を選ぶ。まして〝プラント〟の価値観からすれば、職業選択の自由なんてふしだら極まりない〉
この問題は、たとえば〝プラント〟における婚姻統制制度を持ち出すのが妥当だろう。あの砂時計で暮らす限り、自分達には
(──ああ、そうか)
アトラが上長であるタリア・グラディスに心からの敬意を払えないのは、恐らくこの問題と直結している。
──
そのような女性が、あまつさえ軍艦の自室に
〈適正に評価される社会、それの何がいけないの? 適正に評価して貰えないから、今の私の苦しみがあるのに!〉
「苦しさのない生き方なんて無いよ! それでも目標があるから──夢があるから、人は頑張っていけるんだ!」
マユの機体が、大きく手を振る。
「だから私は、今はザフトには戻れない! 議長の計画を認められないだけじゃない──そのために手段を択ばないあの人達のやり方こそを、私は受け入れられないから!」
結局のところ、この場で全てを語り尽くすことは出来ないのだろう。
だが、仮にザフトへ復隊したとして、マユの命運など見えている。議長の欺瞞を知る厄介な存在として、なにかしらの理由をつけて排除されるに決まっている。事実、ラクス・クラインはそうして盤上から消えた。
言葉にする前に、アトラは返した。
〈だから〝ミネルバ〟を捨てて、〝アークエンジェル〟の側に就くの? あなたはそれだけで、今まで世話になったザフトを──私達を簡単に切り捨てられるの?〉
「仕掛けてきてるのはザフトじゃない! 今の私達に、戦闘の意思なんてないんだよ!」
〈なら投降すればいい! 〝カオス〟も〝アビス〟も〝ガイア〟も置いて、その恐竜みたいな〝アリアドネ〟すら放棄して、私達のもとに下れば!〉
「できないよ!」
〈従わないなら! マユ、私は、あなたを討つ!〉
ビームライフルが照準される。
まるで重力すら感じさせないように、マユは〝アリアドネ〟を下降させた。雪の積もる谷底まで急転直下といったふうであり、ロックが外れた〝インパルス〟も、ぴたりと後をつける様子でこれを追う。
〈逃げるな!〉
────アトラの中で、何かが弾けた。
そこから、二機の〝G〟による壮絶な決闘が──
────始まらなかった。
〈!?〉
仕掛けたのは〝インパルス〟が先だった。けれども、放ったビームへの応酬として〝アリアドネ〟は背嚢の武装コンテナをガラリと開く。その中から無数のミサイルが覗き、矢継ぎ早に撃ち出された。
噴煙が尾を引く。白煙が弧を描き、たちまち〝インパルス〟めがけて強襲する。
ハッとするアトラであるが、いまさら実弾なんて! 胸部機関砲をばらまいて迎撃、弾幕でミサイルを叩き落すが、それによる爆煙も凄まじい規模だ。
吹雪だけでなく、噴煙によっても視界が閉ざされてしまう。
(煙をダミーにでも使う気? 小癪な)
だとすれば、視界を害す噴煙から距離を取ってしまえばいい。そうすれば、不意打ち的に相手が迫撃戦を仕掛けてこようと、十分に対応する暇が稼ぐことができる。
アトラは〝インパルス〟を後退させつつ、残弾でミサイル処理を続ける。
が、その読みは外れた。煙の中から続々と飛び出してくるのは〝アリアドネ〟ではなく、さらに放たれる数一〇基もの誘導ミサイル弾だった。どれだけの弾体を処理したのか記憶できなくなった頃、〝インパルス〟のバルカンが弾切れを起こす方が先だった。
「! ええいっ!」
已む形無しにビームライフルで迎撃するが、ミサイルでの牽制攻撃はまだ続いている。
「どこに消えた……!?」
煙に撒かれるとはこのことか。谷底まで追ったはいいものの、索敵のため視界を巡らせたアトラの耳に、直上からのアラートが響いた。
次の瞬間には直上、〝アリアドネ〟のビームライフルが火を噴いている。ミサイルとは比べるべくもない初速の弾体──だがアトラはぎりぎりの反射、ほとんど神速といっていい反応でこれを避けすさっていた。
「避けた!? さすが……っ!」
マユは感心している。
直撃させるつもりも無かったが、その気の無さが、却って相手に猶予を与えたと見るべきか。
一方的な形勢を保持できていたマユであるが、そんな彼女が慌てずに左腕部のシールドを上げるのと、そこに〝インパルス〟の
「う、くっ」
シールドの表面で跳ね返った熱波が雪を溶かし、その残照がマユの視界を赤く染める。ヒリつくような気配を感じたときには、〝インパルス〟は上昇しふたたび接近をかけている。
マユは、しかし慌てなかった。
今度は両脚部のコンテナを押し開き、今度もマイクロ・チャフ・ミサイルを浴びせるように放ったのだ。これによって、またしてもアトラは迎撃と索敵の作業を繰り返さなければならない……。
「また!?」
遊ばれている!? アトラがそう感じるのは、〝アリアドネ〟との堂々の決着を望むが故である。
しかし、こうして遠距離から一方的な戦闘を仕掛けるマユの作戦は、やはり戦略として正しい。
──新装備たる〝ラビュリントス〟とは、つまり追尾ミサイルによる飽和攻撃を主とする兵装なのだ。
その意味において、相手を爆炎と噴煙の迷宮に閉じ込め、対峙者であるアトラの方向感覚を狂わせる。
勿論、これは一度の出撃につき大量の噴進弾を使用するため、
けれども、ビーム兵器の需要が高まる昨今、相対的に実体弾の価値は下がっており、どの基地でも弾薬の在庫を抱えているのが実状なのだ。こうした余剰在庫を処理する目的で、ターミナルの技術者達は〝ラビュリントス〟を組み上げたのだから。
「ミサイルの雨……!? でも、フェイズシフトがあるんだから」
「──あったって!」
覆うようなミサイルの物量の前には、然し者のアトラの射撃でも捌けない弾体が現れ始める。隙を縫った数発のミサイルが、〝インパルス〟の機体を爆圧で押し上げる。
もちろん、フェイズシフト装甲が物理攻撃を無効化する。だが、コクピット内のアトラは揺さぶられるし、防御のために用いられた電力だって相当量だ。
(エネルギー切れを狙うつもり? 舐めるな!)
アトラは毒づく。〝ミネルバ〟からのデュートリオンビーム送電システムを使えば、減らした分のバッテリーを即座に充電することだって可能だ。まあ機体硬直の時間はどうしたって発生するし、
──要するに、戦い様なら幾らでもあるんだ。
マユはどうにも自分を殺すつもりは無いらしい。けれども、そうやって私の気持ちに背いている内は、ぜったいに私からは逃れられない。
そのような状態では、何をしてこようと無駄なのだ。たとえ武装を吹き飛ばされても〝シルエットフライヤー〟を、首をもぎ取られても〝チェストフライヤー〟を換装し、何度だってしつこく蘇ってみせる。エネルギーが切れたらデュートリオンチャージで再充電して、〝インパルス〟だけが持つ潤沢な機体特性を駆使し、地の果てまで追いかけてやる!
つまるところ、この場におけるマユの採択は、徹底的に〝私〟を潰すか、壊すかだ。全力で滅ぼしにこない限り、私がマユを諦めることは決して無いのだから!
「アトラっ……!」
相手の執念に驚嘆を憶えるマユであったが、手許では〝ラビュリントス〟レッグコンテナの
一定の距離を保ちつつビームライフルで牽制をかけるが、そこからの〝インパルス〟は鬼神にでも取り憑かれたようだった。銃口の角度から軌道を読み切るかのように、放つビームのわずかな隙を縫って距離を詰めてくる。
まさしく電光石火。それがどうした、マユは両肩部のミサイルコンテナを全開放した。
「っ……! いい加減に!」
またも爆撃に見舞われ、制動をかけざるを得ない〝インパルス〟──
アトラの激高が飛ぶ。
「マユ! あんた真面目にやりなさいよ!」
「大真面目でしょ!
持たざる者が、持っている者の本気から逃げようというのだ。この程度の不均衡を押し付けて何が悪い?
──その程度で痛む良心なんて、とっくに捨てた!
恥をも捨てたマユの発言であるが、尋常の決着を望むアトラにとって、親友の振る舞いはたとえば土俵の上に鈍器を持ち込むような所業であった。
だが、腕ひとつ、身ひとつで戦えるアトラではないことぐらい、皮肉にもマユが誰よりも知っている。仮にも
──『努力』っていうのは、そーゆーものに克つものでしょ!?
戦術としてスマートでなくても良い、美学として最低だろうと構わない。たとえ不格好な恐竜形態に〝アリアドネ〟を貶めようと、全てを積み込み、全てをぶつけることで〝格上〟に並び立てるのなら、マユは迷わずそれに飛びついてみせる。
──そう、形振り構ってなど居られない。
この〝ラビュリントス〟ならではのごたついた風貌こそ、マユの覚悟の顕れだ。スマートだとか、スタイリッシュだとか、洗練さからは掛け離れた無粋さとスケール感。だが戦いに勝てさえすれば、全て良かろうなのだ。
「────!」
爆撃に揉まれる〝インパルス〟のパワーゲージが、みるみるとすり減らされてゆく。
──まだ、まともに組み合えてすらいないのに!
じりとしてアトラが巡らせた視線の先、いつの間にか、海岸線はすぐ近くまで迫っていた。
「海岸線まで、あと一〇!」
背後につけた〝ミネルバ〟からの猛攻を凌ぎつつ、揺れる艦内でノイマンが声を上げた。
目の前に立ち塞がっていた山脈が切れ、海洋が見えたのだ。
「みんなは!?」
マリューはモビルスーツ隊の現状報告を促す。
出撃した四機──〝メタス〟〝カオス〟〝ディジェ〟〝アリアドネ〟──はすべて健在であり、大きく劣勢に追い詰められた機体もないようだ。
──それどころか、彼らは全員よく戦ってくれている!
ムウは急ごしらえの
中破した〝グフ〟は流石に撤退していき、それを庇うように、赤い〝ザク〟も後退していくのが確認できた。
これにより手隙になったスティングは〝バビ〟や〝バクゥ〟の殲滅に向かい、ステラは制止の声にも拘わらず〝ミネルバ〟本艦への逆襲にかかった。赤い〝ザク〟が懸命な直掩に回ったようだが、ステラはそれすら突破して敵旗艦に大損害を与えた。
〝ミネルバ〟は
「艦長、姿勢制御が! ──これでは追撃できません!」
そんな〝ミネルバ〟艦橋の中、アーサーが危ぶむように云う。
「もぐられたらおしまいだ! 逃げられます!」
荒れている海を視野に入れながら、分かっているとタリアは拳を握りしめる。
──ウィラード隊も既に全滅した!
これだけの布陣を敷いておいて、たった一隻の艦さえ墜とせないのか、自分達は!?
「強い……。これが、伝説の不沈艦の力だって云うの……!?」
初めて敵対して分かる。自分達と『伝説』の間に横たわる、圧倒的な実力の差。タリアはこの戦闘を回顧する。
──何をどうすれば、自分達は勝てたというのだ?
逆に何が足りないから、自分達は勝てないのか。パイロット達の実力? ──いや、そんなものだけではない。
──それとも指揮官である、自分に落ち度があったのか?
ならば同じ艦長として、教えを乞いたいくらいだ。伝説とまで呼ばれる〝アークエンジェル〟の艦長は、いったい、何に恵まれたからそうなることができたのか──。
「…………っ!」
このまま負ける? 反射的に悔しさがこみ上げる。
愛した男に課せられた任務だ、こんなところで潔く諦めるわけにはいかない!
だから、命じたのだ。
「〝タンホイザー〟起動! 目標、〝アークエンジェル〟!」
離れた戦域で、アトラは独白する。
──わたしがあなたに初めて出会った日、わたしから、あなたに問うたことがあった。
『あなたは、オーブが好きなの?』
私には無い──もう信じられない──価値観による質問。
だけど、それを訊ねた後のあなたの笑顔は満点で、答えを寄越すのもすごく早かったね。
『うん! 私はオーブが好き、大好きだよ!』
今はまだ帰る訳にはいかないけれど、すべてが落ち着いたらあの故郷に帰りたいと、あなたは云った。
そうなんだ、と。
他人事みたいな反応をする私に、今度はあなたの方から、質問を投げ掛けてきたんだった。
『あなたは? オーブは好き?』
輝かしいまでの笑みを称えて訊いてくるのが、本当に眩しくて。
──本音を云えば、正直に答えたくて。
そんなにも簡単なことが、どういうわけか、そのときばかりはどうしても出来なくて。
『──
初めて──初めて人に嘘を吐いた。
──自分を守り、
今まで散々、自分の歩調で生きてきたくせに。
(いま思えば、アレはあなたと『仲良し』になりたかったんだな……)
けれどもそれは、軽率で許されざる行いだった。
そうして吐いてしまった〝最初の嘘〟を守るために、私はそこから、もっと深い〝罪〟を重ねた。
最初の〝嘘〟を守るための〝嘘〟──心にも無いことを口にして、有りもしない祖国への望郷を持っているかのように伝え続け、誰よりも無垢な彼女を……マユのことを騙し続けた。
(私達の関係はね、じつは……最初から破綻していたんじゃないかって思うんだ)
本来なら交わるはずのない二人。はじめから価値観を異にしている者同士が、そんな〝嘘〟ひとつのために、誤って結び付けられてしまった。
──それでも私には、あの関係が捨てられなかった。
始まりの〝嘘〟がどうであれ、あなたと友人として過ごす時間は〝本当〟だったから。それが何よりも楽しくて、私の人生において掛け替えないものだったから。
「……本当は、嫌いだったんだ」
あのとき云えなかった〝本当〟を、しかし、今なら云える。
「オーブのことなんて、ずっと嫌いだったんだよ」
〈アトラ……?〉
マユからオーブでの昔話を聞いて、最初に感じたのは理不尽さでは無かった。
単純に目の前の女の子が何を云っているのかが理解できず、のちに彼女が、私とはまったく違う環境で生きてきたことを知った。私と違い、限りなく平凡に近い一般的な幸せに恵まれて育てられた子なのだと知った。私がひとりで泣いているとき、家族や友人に囲まれて笑っていた者の一人なのだと気付かされた。
──ふざけるなと思った。
同じ国に生まれていながら、どうしてそんなに違うのか、と。
〈……うん、知ってる〉
だがマユから返ってきたものは、本当に意外な返答だった。
アトラは「えっ……?」と目を丸くする。
〈私だって憶えてるよ、あの国が好きだって云ってくれた、出会った日のこと。──だって、私にそう伝えてくれたときのアトラは、すごく辛そうな顔をしてたんだ〉
──いったい私は、あの時どんな表情をしていた?
初対面の人間に容易に見抜かれる程度には、ぎこちなく、下手くそな笑みでも浮かべようとしていたのか。
──全てを見抜いた上で、あなたは私に笑顔を返してくれたのか?
詐欺的で、優しさに満ちた微笑み。本当は私が浮かべたかった顔であり、すっかり通用したものだと思っていて、そのじつ、私の方がまんまと騙されていたというのか。
〈アトラはやっぱり、嘘吐くのだけはヘタだよね〉
──アカデミーの成績操作の件にしたってそうだ。
本人の自信とは裏腹に、簡単にバレてしまう程度の偽装工作。痛烈な指摘とは裏腹に、その声音には親しみが込められている。
だが、アトラは云った。
「じゃあっ──じゃあどうして、あなたは話に乗ってきたの? 目の前の人間が嘘を吐いてるって判っていながら、どうしてあんたは──」
あるいは他の
──やっぱりアンタも、私をそんな目で見ていたの!?
アトラの糾弾に対し、マユは〈違うよ!〉と叫び返す。
〈私だって、あなたと仲良くなりたかった! 云ったでしょ、大好きな故郷のことを話せる人は、あなたしか居なかった! 私にとって、あなたは特別な人だった!〉
「────」
〈
本心がどうであれ、わざわざ彼女の〝嘘〟を指摘する意味など無かった。
いつか、心の許した時でいい。いつの日か、本音で語り合えるような間柄になれたら良いと、少なくとも、マユはそう考えていたに過ぎないのだ。
そしてその機会が、よりにもよって今になるなんて──
「だったら──だったら私の隣に居てよ! 友達なのに、どうして離れていこうとするの!?」
まるで幼児のように、アトラは喚いた。
────誰もが、彼女を誤解している。
どれほど早熟な人間だと思われていても、彼女の根幹を形成する部分はまったく違うのだ。母もなく、友人もなく、頼れる親類も無い──果ては父を失い、なかば強制的に大人にならざるを得なかった彼女の心は、虐めを受けた幼年時代で止まっていた。
だが、それでもマユは首を縦に振る訳にはいかないのだ。
〈ならアトラが来て! 私はもうこれ以上、議長の都合や戦争に、ただ消費されていくあなたを見たくない!〉
「できないよ! 私の依って立てる場所はオーブじゃない──〝プラント〟だけだ!!」
〈……この……っ! 分からず屋ぁっ!〉
〝アリアドネ〟が動く。両肩部のコンテナまでバージして、最後に胸郭部のミサイルを全弾放出した。
白煙を引く猛禽のような弾丸が、無数の驟雨となって〝インパルス〟に向かう!
アトラはまたしてもビームライフルを射撃する。だが、マイクロミサイルの全てを抑え込むことは不可能だ。またしても爆炎と黒煙の迷宮が生み出され、その衝撃に揉まれた時、ついに〝インパルス〟のパワーが危険域を示した。
「──しまったっ!?」
フェイズシフトが無効になり、トリコロールが脱落する。
一方で〝アリアドネ〟は、撃ち尽くした全てのコンテナを脱ぎ捨てる。外郭の中から鮮烈なツートーンが現れ、その色こそが、あちらにまだ継戦能力が残っていることを物語っていた。
──負ける、のか!?
ビームサーベルの刃も消えた。このような状態では、ミサイルの一発ですら〝インパルス〟には致命傷だ。
だが、マユはそれ以上の攻撃を掛けてこない。どのみち〝インパルス〟に残されたエネルギーでは、精々〝ミネルバ〟に帰投するだけで限度だと思ったのだ。むろん、デュートリオンビームを受信しようとする気配があるなら対応は別だったが……。
「っ…………!」
踵を返し『大天使』に向かおうとする〝アリアドネ〟を、アトラは呼び止めようとした。
そのとき、母艦から通信が入る。『帰投せよ』──とどのつまり、撤退命令だ。〝ミネルバ〟もまた、眼前の敵に敗北したことを認めたのだ。
──いいや、私はぜったいに認めない!
まだ負けたわけじゃない! 次の瞬間〝インパルス〟の両腰部のホルスターから、アサルトナイフが飛び出した。それを見たマユはぎょっとする。アトラは鋼鉄の刃をぱっとして掴み取り、戦闘の続行を望んだのだ。だが──
〈アトラ!〉
飛びかかろうとした〝インパルス〟を、赤い〝ザク〟が前で覆って止めた。ルナマリア機だ。
〈アトラ戻って! 〝ミネルバ〟がッ──〉
「──うるさい! ジャマするな!」
〈…………ッ!?〉
アトラの怒号が飛ぶ。
だが、この通信回線は〝ミネルバ〟艦橋を含む全クルーに筒抜けていた。突然の声を耳にした者達は愕然とし、感情を剥き出しにした少女の声を聞き咎める。
「艦長!?」
困惑の声を上げたのはアーサーだった。おおよそアトラの怒声など想像したこともなかった訳であるが、これは指揮官から下された絶対命令なのだ。それに対し、明らかな反抗と叛逆の声を上げた少女の態度こそを槍玉に上げている。
「こ、これ、あのアトラの声ですか……っ!?」
「……放っておきなさい、アーサー」
あえて無関心を装った声色でタリアは云う。最近のアトラの言動には目に余るものがあるわけだが、どのみち〝インパルス〟があの状態では戦闘継続は不可能だ。
──たしかに〝インパルス〟単体なら、継戦する手立てはある。
だが、シルエット換装もデュートリオンビームも、結局は〝ミネルバ〟との連携が無ければ成立せず、要は、タリアの認可が降りない以上は許されないのである。
──それに……。
どういうわけか、〝アークエンジェル〟の方も〝ミネルバ〟を沈める気はないらしい。
こちらの損害は砲門やスラスターに限られ、撤退してきた〝グフ〟にしたって、武装やメインカメラをやられただけだ──まあパイロットの方は〝叩きのめされた〟と感じているみたいだが──幸いにも、致命的な人的被害というのはいまだ出ていない。
だとすれば、よもや〝インパルス〟も撃墜されることも無いのだだろう。軍人としては情けない話であるが、今回ばかりは敵の余裕と温情に甘えるしかない。
「そんなことよりもチェン、〝タンホイザー〟は? まだ撃てないの?」
「照準固定します! ──発射可能です!」
「悔し紛れの一発だけど──撃て!」
陽電子砲が臨界し、白い光が砲口から迸る。まばゆい光が海上を走り、いままさに背を向けて飛び立っていく〝アークエンジェル〟を撃つ。
──いや……。
どういう操舵なのか、白亜の『大天使』は回避運動のために、次の瞬間ひょいとほとんど垂直まで艦体を傾けた。陽電子砲は脇を掠め、海面にぶち当たって水蒸気爆発を巻き起こす。
拡散した電磁パルスでレーダーがダウンし、噴霧によって照準も遮られる──ここまでだ。
「……完敗ね……」
まさか、ああもトリッキーな動きで〝タンホイザー〟を避けられるなんて。あんなものまで見せられたら、もはや敗北感すら感じないタリアであった。
〝ミネルバ〟は大事をとって着水し、全ての攻撃を取りやめた。艦橋の窓から、彼らは悠然として空域を去っていく〝アークエンジェル〟を、ただ見送ることしか出来なかった。
「──モビルスーツ隊、帰還します」
チャンドラの報告とおり、追撃を撒いた〝アークエンジェル〟へと、〝メタス〟〝カオス〟〝ディジェ〟──そして〝アリアドネ〟が向かってくる。どの機体も連戦の後とはいえ、いずれも無事だ。マリューはほっと一息をつく。
「収容を確認後、潜航用意。現空域から離脱します」
その一方で、マユは後ろ髪を曳かれる思いで、後にしてきた戦場の方を振り返っていた。
ザフトによるそれ以上の追撃はないようだが、結果として、彼女と〝ミネルバ〟との対立は今回で決定的になったも同然なのだ。
「アトラ……」
マユは気遣わしげな目線を送る。もちろん、戦場に置いてきてしまった親友に向かって。
そんな彼女の声が、耳にこびりついて離れない。
『どうして離れていこうとするの!?』
『うるさい! ジャマするな!』
──あれは本当に、自分のよく知るアトラなのだろうか?
マユの知る限りのアトラは、もっと理知的で冷静な人間だった。普段から自我を出さず──というより、いちいち感情を動かすことに熱を費やすのを非効率に考えるタイプだった。
にも関わらず、そんな今までのイメージを払拭する──いいや、認識を改めざるを得ないほどに、戦場で再会した彼女は衝動的で、何より感情的になっていた。
戦争という過酷な環境が、彼女をそのように作り変えたのか──それとも、原因は私……?
「罵ってばかりじゃいけないよ、アトラ……! それじゃあ、ダメだよ……。よりによって、仲間に向かってあんな罵声──」
あのような有様では、またしても彼女は孤立を深めてしまうのではないか。
マユにとっては、どうしてもそれだけが気に掛かる。
「……大丈夫かなぁ……」
──私と一緒に来てくれたら……。
逡巡するマユの耳に、マリューから着艦を促す通信が届く。マユはハッとして、かぶりを振る。
あえて迷いを断つようにして、彼女は〝アリアドネ〟をモビルスーツハッチへと進み込ませた。
────『エンジェルダウン作戦』
デュランダルが命じた『天使殺し』──軍運を賭けたザフトの一大作戦は、こうして失敗に終わる。
追撃を免れた〝アークエンジェル〟は、予定通りターミナルの医療班との合流を目指し、はるか東方へと舵を切った。
ご要望有りましたので
『メカニック設定(第二篇以降)』
に、今話登場の新兵器を含めた5機分の紹介文を追記しました。