~夢見る少女の転生録~   作:樹霜師走

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『ライフ・イズ・ストレンジ』

 

 

「なんでです! なんで、私を行かせてくれなかった!?」

 

 召集を受けたアーサーが艦長室を訪れたところ、部屋の中には先客がいるらしく、扉の向こうから大声が聞こえてきた。

 それはアトラの声だった。彼女もまた呼び出しを受けていたのか──はらはらしながら、アーサーはドアをノックする。

 返答は特に無かった。というより、取り込み中で聞こえなかったのかもしれない。諦めて「失礼します!」と入室すると、中ではデスクを挟む形でアトラが艦長に食ってかかっていた。論題はまあ、推理する余地もない。つい先刻の『エンジェルダウン作戦』の可否についてであろう。

 

「私はまだ戦えた! シルエット換装もデュートリオンビームも、手札はまだ残ってたのに、なんで──!」

 

 アトラは釈明する。

 先の作戦において、アトラは殆どの切り札を使えないまま撤退を余儀なくされている。これを宝の持ち腐れと云わずになんと云う? 自分はまだ実力の──いや、本気の半分も発揮できていなかったのに!

 明らかな喧嘩腰で食ってかかられるタリアであるが、彼女はさばさばと果断にして言い放つ。

 

「戦況全体を見ての判断です。我々の劣勢は明らかだったし、あなただけを特別扱いするわけにはいかないのよ!」

 

 タリアはあくまで正論を説く。

 ──戦力的に、勝ち筋が無かった。

 レイの〝ザク〟は身動きが取れずにいて、ルナマリアの〝ザク〟も似たようなものだ。アグネスの〝グフ〟は赴任後の初陣にしては残念な結末に終わり、本人も今ごろは気を落としているところかも知れない。

 ──それに……。

 共同戦線を張っていたウィラード隊は全滅。さらに云えば、アトラだって敵の戦術とやらに翻弄されているように見えた。まあこれを率直に云えば、アトラはさらにプライドを傷付けられて逆上するだろうし、だからこそ大人の対応として、タリアは頭の中で思考するだけに留めたが。

 

「あのまま作戦を続行しても勝算は薄い。だからこその撤退命令です!」

 

 話を誘導するように、タリアは付け加える。

 

「そんなことより報告書はどうしたの! あなたの分だけまだ提出されていない──あの戦闘で何があったのか、あなたが交戦した〝アリアドネ〟のパイロット(マユ・アスカ)は、あなたに何を語ったの? なんであの娘は、ザフトを裏切って〝アークエンジェル〟に乗っているの!」

「──知りません、何も聞いてません!」

「アトラ!」

 

 そんなはずがないだろうと、タリアは怒鳴った。それがタリアにとっても非常に重要な情報であるだけに、頑なに口を開こうとしないアトラに痺れを切らしている。

 だが、これはアトラなりのささやかな反抗だった。

 何より、これは親友であるマユの名誉に関わることなのだ。彼女が論題にあげたのは『遺伝子による統治社会の是非』──別にアトラの口から説明せずとも、これは遠からず全世界の人間が思い知る内容に違いない。ならば、わざわざ懇切丁寧にいま語ってやる必要もない。

 

「あなたの不満は私だって理解しているつもりです! たしかに〝インパルス〟単体なら、まだまだ戦闘継続は可能だった──つまりあなたは、あなたに付き合ってやれなかった私達に呆れたい気持ちを隠せないのでしょう!?」

 

 図星だった。いや、理解してくれていると言うべきか。

 この期に及んで、アトラは自身の戦闘内容やその後の対応──そして今現在の不遜な態度──に落ち度があったとは露ほども考えてはいない。そんな彼女を、タリアは大人として叱り付けた。

 

「でも、ここは軍隊よ! 自分だけで戦ってるつもりなの!?」

「仕方ないでしょう! あなたがたが弱いから!」

 

 ──どいつもこいつも、私の足を引っ張ってばかり!

 痛烈すぎる物言いだった。

 これまでは自制が利いていたが、その瞬間、ついにタリアの平手が飛んだ。脇で見ていたアーサーがギョッとする。いい音が鳴った後、腫れ着くような痛みと共に、アトラは自分が頬を張られたことに気が付いた。

 

「いい加減、子供じみた物言いはやめなさい! 命令違反、上官への反抗に暴言──あなたが今やっていることは、とんでもなく馬鹿げた軍規違反でもあるのよ!?」

「──知るもんか! 私が頑張ってこなければ、まともに生き残る事も出来なかった(ふね)のくせに!」

 

 脇で見ていたアーサーは、そうして急加速的にヒートアップしていくふたりの会話に圧倒され、しどろもどろになるばかりだ。

 堪忍袋の緒が切れたように、タリアも云った。

 

「罰則よ、艦長権限をもって、あなたには四日間の営倉入りを命じます! あそこで頭を冷やしてきなさい!」

「ええっ!? 艦長っ!」

 

 保安要員を呼び出すタリアに、アーサーが声を差し挟む。タリアはそこでようやく彼の入室に気づいた様子だったが、発言を撤回する気は無い。

 たしかに、アーサーが懸念した理由も分かる。アトラを牢に入れるという措置は、すなわち最新鋭機である〝インパルス〟を凍結させるも同然の措置なのだ。量産機である〝ザク〟や〝グフ〟ならまだしも、あの〝インパルス〟に即応できる者など彼女しか居ないのだから。

 ──ああ、実利的には、そうなのだ。

 だが、なにもタリアも考え無しに決定を下したわけでは無い。

 何を隠そう〝ミネルバ〟には、ジブラルタル基地への引き上げ命令が出されている。向こうしばらく戦闘になるスケジュールも無く、四日もあれば基地に到着できている頃合いだ。処分はそのとき、追って通達するつもりだった。

 

「残念ながら、この件は私の手に余ります。あなたの名誉にも関わることだから、上に直接申し立ての末、司令部にも報告せざるを得ないわ……」

 

 ──内々に処理できる範疇を超えている。

 その言葉の意味の重たさに、アーサーの顔が青くなるのが見えた。

 タリアは少しだけ口調を柔らかく──嘆くように続けた。

 

「あなたの頬を張ったことは謝ります。……我ながら、大人げなかったわ」

「────」

「ただ、それでも罰則は罰則よ。軍規を遵守し、あなたの処分は追って連絡します」

 

 コールを受けた保安要員達がドッと室内に駆け込んでくる。物騒にも銃口が突きつけられ、アトラは冷たい手錠で拘束された。

 アトラの心は頑なだった。しいて事務的に告げるタリアを、敵意の籠った目でねめつけ、彼女の方はひとことも謝罪の言葉を発することはない。

 そんな保安要員らに囲われ、アトラが連行されていく。アーサーは呆然として、タリアは嗟嘆たる思いで、それを見送った。入れ替わるように扉がノックされ、今度はなんだと入室を許可すると、敬礼と共にアグネスがやってきた。

 

「あのう艦長、風の噂で耳にしたんですけど、もし良かったら私に〝インパルス〟を──」

「──あなたはいいから、壊れた〝グフ〟の整備でも手伝ってなさい!」

 

 取り付く島もなく、アグネスは艦長室から叩き出された。

 

 

 

 

 

 

 ────〝ネレウス〟観測基地。

 それは〝ヘファイストス〟に並ぶ、ターミナルが保有する軍需拠点のひとつ。インド洋南部に所在する人跡未踏の火山島であり、もともとは地球連合が管轄する海洋・地震・気象観測を目的に建設された機関だった。

 ヤキン・ドゥーエ戦争の激化によって放棄された施設は、その後になってターミナルが接収したものの、表向きは無人島として登録されたまま。

 それもこれも、周辺海域に暗礁が多く、大型艦が接近しにくいことから軍が重要視していないこと。肝心の秘密基地が、地下深くに隠匿されて確認できないためである。島の露出部では、精々小さな灯台や崩れた観測ドーム、廃墟になった研究棟が見えるのみ。

 

「ターミナルの医療班は、そのネレウス島を拠点に活動している」

 

 ここへの進路を取った道すがらのことだ。昼時の食堂でチーズハンバーグとコーンスープを食していたマユに、同じく昼食に立ち寄ったムウがミックスフライの盛られたトレーを抱えながら、個人的に寄ってきて言及した。

 

「あの班の活動目的は、文字どおり国境を越えた(・・・・・・)人道支援。特に戦後にかけては、大西洋連邦による強化人間の『解放』が目的だ」

 

 総勢で云えば二〇にも満たない規模らしいが、その中でも、特別班として動いているメンバーは三人。

 

「まず責任者で、チームリーダーのハリー・マーカット氏。彼は大西洋連邦の元軍医で、〝アークエンジェル〟、〝ドミニオン〟──そしてロドニアをはじめ、大西洋連邦の(わるー)い研究施設を実際に渡り歩かされてきたドクターの一人だ」

 

 豊富な実務と経験、ノウハウの確かさから事業の第一人者といっても過言ではなく、人柄の面でも彼以上の適任はいない。嗚呼、カウンセラーにしては少しばかりデリカシーに欠けるようだが、そのような欠点がご愛嬌と思われる程度にはチームから慕われており、周囲からの信任も厚い。それは彼自身、件の悪しき研究を断つことに心血を注いできた姿勢から勝ち取った信用と云えるのだろう。

 

「続いて、アレックス・ディノ──アスラン・ザラと呼んでもいいか? 戦場医療に関わる職務性質上、班が攻撃を受けた際の自衛手段として彼が居る。モビルスーツ〝ズゴック〟を用いた偵察や各拠点への連絡役。あと、彼個人は『人道支援』の観点から〝ユニウスセブン〟の破砕作業にも加わったらしいな」

 

 医療班といっても、自活のための自衛力は必要だ。その意味において、彼は俗に云う〝歩く軍事力〟であって、班が持つ戦闘能力の大部分は彼に依存している。交渉に応じない連合の悪しき研究機関を叩き潰して回ったのは彼であり、実際に一騎当千だ。

 まあパトリック・ザラの息子という複雑な身の上に加え、ザフト特務隊からの転向という異色の経歴であるが、それがひとまず容認されたのも、彼自身が〝強化人間の被害者を妹に持っていた〟という背景が大きい。これにより周囲から一定以上の同情と理解が得られ、今の立場に落ち着くに至ったのだ。

 

「そして、フレイ・アルスター。彼女が同行してるのは、彼女こそ強化人間治療の最初の成功例で、端的に治験データそのものだからだ。加えて、アルスター家の令嬢である彼女は各国財界やブルーコスモス、地球連合の暗部にも通じ、情報班として非常に太いパイプを持っている」

 

 患者であり、医療協力員であり、同時に情報提供者といったところか。偵察や鎮圧のために実際に動くのはアスランでも、その彼に情報を供与して動かすのはフレイであり、そこで保護した人間達を治療するのがハリーなのだ。

 一連の話を聞いて、マユの開いた口が塞がらない。もちろん、チーズハンバーグは呑み込んだ後だったが。

 

「なんか、心強すぎません? そのメンバー」

「──だよな? 俺もなにがなんだかよく分からんが、そういう形に落ち着いたらしいぜ」

 

 エビフライにフォークを突き刺しながら、ムウはそんざいな口調で言い放つ。

 まあ、ハリーとフレイの二人は判るのだ。あの二人はムウと同じ〝アークエンジェル〟のクルーだったし、そこから離れた〝ドミニオン〟時代は主治医と患者として、より密に関わることになったと聞いている。

 けれども、そこにアスランが加わった経緯はよく分からない。たしかにステラの兄として、彼の背景には大いに同情の余地がある。けれども、それはあくまで第三者から見た場合の話であって、それは当事者間の遺恨が解決したことを意味しない。

 

「かたや地球連合の急先鋒(レムレースのパイロット)と、かたやザフトの急先鋒(ジャスティスのパイロット)だぜ? あの二人が戦場でどんだけ()り合ってきたか、俺でも想像つくけどな」

 

 あの頃は互いに宿敵であり、語弊を恐れずに云えば、お互いが家族を奪った者同士。そのような二人が、どのように問題を解決したのか──いや、もしかすると永遠に解決しない問題なのかも知れないし、案外、彼らは彼らで目を背け続けているだけかもしれないが。

 

「本来なら啀み合うところなんだろうが、まあ、あの二人の間にはステラが立っている──それだけは確かだ」

「やっぱり、ステラお姉ちゃんが残してくれた影響は、すごく大きいんですね」

「──そうだな。少しずつだが、世界は善くなっている。少なくとも、強化人間を治療する方法は見つかったんだからな」

 

 医療用ベッドに拘束してほどなく、容態が急変したとの急報を受けているアウルを救急搬送しているのも、彼ら医療班の手助けが絶対に必要だからである。

 さもなくば、今の自分達には衰弱してゆく彼を座して看取るしか出来ることが無い。あるいは設備の整った連合の然るべき昏い場所へ、彼の身柄を返還するかだ。

 ──もっとも後者の場合(・・・・・)彼は死ぬまで使い倒される(・・・・・・・・・・・・)運命からは逃れられない(・・・・・・・・・・・)だろうが……。

 思うところは色々あったが、コーンスープと一緒に飲み込んだあと、出し抜けにマユが云う。

 

「それで。なんでムウさんは、アスランさんやフレイさんの話をステラお姉ちゃんに隠してるんですか」

「──お?」

「マリューさんに口止めまでして」

 

 アスランもフレイも、大戦の中でステラと大いに因縁を抱えた。そんな彼らにこれから会いにいくという話を、ムウはステラに話していないのだ。

 さぞ重要な意味があるものと思い、

 

「なに、俺だって、あの()の生還に驚かされた内の一人なんだぜ? これぐらい意趣返ししたって良いじゃないの」

 

 単なる出来心──ステラを〝驚かせてやりたい〟という子供ぽい悪戯心であることを思い知らされる。

 まあ、それを純粋に面白がれるあたりが、ムウらしいのかもしれない。もっともマリューは完璧に呆れていたし、個人的には、マユもあまり感心は出来なかったが。

 

 

 

 

 

 

「──回収したのか、これ?」

 

 モビルスーツ・デッキにて、機体のチェック作業を行っていたスティングが声を上げた。

 そんな彼の目の前には、先の戦闘で接収されたモビルスーツ──アウルの〝レムレース〟が転がっていた。ハル・ユニットだった〝アプサラス〟から飛び出した本体を、そのまま〝アークエンジェル〟が回収した形だ。

 これには、同じく〝ガイア〟のチェックを行っていたメーテルが反応して返す。

 

「うん、アウルを回収するときに、時間が無いからって──整備士のおじさん達が」

 

 マードックのことである。

 地球連合軍との戦闘の直後、すぐに〝ミネルバ〟による追撃が始まったことから、彼らはその場で休まる時間をほとんど設けられなかった。そのため、アウルの身柄を現場で引っ張り出すより、モビルスーツごと回収してしまった方が手っ取り早かったのだ。

 

「ふぅん。コイツが〝レムレース〟ねえ」

 

 何の気なしに、スティングは舐めるように機体の全貌を見遣る。

 ──たしかに、もともとステラが乗っていた一号機(フォボス)とよく似ている。

 さまざまな害獣の特徴を融合させたような、キメラ的デザイン──まあ総じて悪趣味なわけであるが、細かい部分に差異はあれど、誰が見ても悪人相なところが疑いなく〝レムレース〟だ。

 

「──乗ってみたら?」

 

 じぃと観察していたのを、物欲しそうな目と思ったのだろうか、メーテルが気を利かせたように云ってきた。スティングは彼女を見た。

 

「……んだよ、藪から棒に」

「いや、乗りたいのかなって。さっきチラっとスペックだけ確認したけど、さすが〝ファントムペイン〟の最新鋭機。レストアすれば全然使えるし、私達でも操縦できるみたいだよ」

 

 ナチュラル用OSの完成度が、日に日に向上していることの証左だ。メーテルはさりげなく打診したが、スティングはケッ、と吐いて興味なさげだ。

 

「俺は御免だぜ。俺には〝カオス〟が合ってんだ」

 

 それ以上に、言葉は要らない。

 

「何より、アウルのお下がりって部分が気に入らねェ」

「またそんなこと云って──」

 

 だが、少なからず本心だった。

 スティングはこれまで、ネオに教示された訓練の全てを〝カオス〟に乗る前提で積み上げてきた。如何に目の前のモビルスーツが魅力的だろうと、スペックに縋り付いて安直に乗り変えるなど、自分自身のこれまでの努力を裏切る行為に他ならないではないか。

 ──もう、そーゆーのは辞めたんだ。

 それこそ思いついたように、スティングが口にする。

 

「それこそオマエが乗り換えたらどうなんだよ、メーテル? 〝ガイア〟じゃ空飛べねぇし、海泳げねえし……オマエの能力を活かすなら、それが一番だと思うが」

「ウーン、考えなかったわけじゃないけど。──でも、私の〝ガイア〟だってお姉ちゃんから直々に預かったものだし。私の方も、もう慣れたっていうか……」

 

 実利以上の愛着を、メーテルも既に持ってしまっている。

 

「もしアウルが復帰できたら、コレに乗るかな?」

「そりゃダメだ。あいつは〝アビス〟だ」

「また……」

 

 メーテルはメンテナンスベッドの片隅に追いやられている暗灰色の〝アビス〟を見遣る。スティングも同じ方を見るが、その機体はふたたび乗り手を得て、鮮やかなネイビーブルーに色づく日を待っているかのようだった。

 今のスティングには分かる──俺達は、三人で一組なのだ。

 ──三人揃って一人前、と云い換えてもいい。

 今回のような出来事が二度と起こらないとは限らず、だからこそ、今後は一人の抜け駆けも許さない。対抗心や嫉妬心が絡まない訳では無いが、少なくとも自分達は対等であるべきなのだ。

 そんなスティングの中では、アウルがパイロットとして復帰した暁には、問答無用で〝アビス〟の中に叩き込んでやろうと思ってるくらいだ。言葉を受けたメーテルは「でも──」と続け、スティングは「──ああ」と、その視線ごと引き取るように〝レムレース〟を見上げた。

 

「じゃあ、誰が乗るんだよ、コレ」

 

 スティングは答えの無い質問を虚空へと投げつける。

 ──頼みの綱のステラはしかし、まだ〝ディジェ〟から降りる気は無いらしい。

 そもそもそんな気が有ったなら、彼女ははじめから一号機を放棄なんてしていないだろうが。

 

 

 

 

 

 

 アウルの容態はひとまず落ち着いた。落ち着いたといっても、身体的異常──つまりは発熱や嘔吐、苦しみに顔を歪めた状態は変わっておらず、また、有事に備えてベッド上の拘束具も解くことが出来ない現状が続いていた。

 さっきまで、医務室の中は戦場のような慌ただしさだった。もともと正規メンバーで発進できていない〝アークエンジェル〟には現在、ハリーのように医療に通ずる船医が不在なのだ。

 そんな中で、アウルの傍らには常にステラがついていた。彼女は膝を曲げ、医療用ベッドで眠るアウルを見ている。熱が上がれば冷やしたタオルを換えてあげ、悪寒から震え出せば可能な限り毛布をかけてやった。彼女にできうる限りの看病を続けていたのだ。

 

「……うッ……」

 

 そんなときに、アウルはゆっくりと目を覚ました。合っていなかった焦点は、観察した限り正常だ。

 

「……? ……ステ……ラ……?」

「アウル……っ!」

 

 ──わたしの名を呼んだ!

 ステラは驚いた。アウルの意識は回復し、口振りからすると、記憶も取り戻している。

 

「わたしが分かる? アウル……?」

「……え……? アア……」

 

 返事ついでにアウルはいつもの調子で身を起そうとし、出来なかった。激しくせき込み、苦悶に顔を歪めたのだ。

 

「あ、だめだめ、動かないで」

 

 ステラは説く。今の艦に在庫している医療薬や鎮痛剤やでは、今のアウルの体になんの効果も出なかったのだ。

 ──そうだろうなと。

 彼女も何となく分かっていたらしく、いま不用意に動けば激痛が走るだけだと思っている。

 

「ぼ、く……なンでっ」

 

 ステラは、相手の言葉を上手く汲み取れなかった。なんで自分はここにいるのだろう、と問いたいのだろうか? それとも、なんでステラが目の前にいるのだ、か?

 アウルの中では、〝ボナパルト〟で研究員に注射を打たれてから記憶が無い。分かっていることと云えば──もうずっと、覚めない悪夢を見ているようだった感触。

 油断するとすぐにでも消え入りそうな思考の中、アウルは茫洋と考える。ひょっとして今はまだ、その悪夢の続きの中なのではないか? 体がすごぶる痛むし、頭もぼーっとして何も考えられない。呂律も上手く回らないし、目の焦点だって合わない──まるで廃人にでもなった気分だ。

 あるいは、これは最後の夢なのか? どこかの『カミサマ』とやらが、最後の最後に『女神様』に──ステラに自分を鉢合わせてくれただけなのではないか。しかし、その目の前の女神様は、ひどく現実的なことを云う。

 

「助けにきたよ、みんなで。スティングも、メーテルも、ネオも……みんな一緒だ」

 

 ──そのネオは今、アウルとは違う医療用ベッドの上で大事をとって休養している。

 

「なんで、ボク……裏切っタ、のに……?」

「置いていったりしない。迎えに来たんだよ、アウル」

「……っ……カッコわりぃ……」

 

 アウルは顔を歪めながら、それを反対側に背けた。逃げるように、という表現が似合っていたが、実際に彼は逃げたのだ。

 ──消え入りたかった。

 このまま、消えていってしまいたかった。

 ──自分だけは『違う道に行く』って、大見得を切ったのに。

 今のアウルには分かっていた。

 そうして自分が突き進もうとした道は、地獄だった。そこには夢見ていた強さも自由も無く、ただ人形として、死ぬまで使い倒される運命だけがあった。だが、ステラは云う。

 

「そんなことないよ。アウルはよく頑張った。よく耐えてきたよ」

 

 口振りからして、ステラはまるでこの痛みを知っているかのようだ。アウルは怪訝に思って訊ねていた。

 

「……なんでオマエは。ソんな風に、声をかけてくれる……?」

「うん?」

「なんで、ボクなんかについててくれるンだ……?」

 

 アウルは恐る恐る目を戻す。触れ合えるほどの距離でこちらを窺うステラの眸は、慈愛とでもいうのか、暖かさと優しさに満ちて輝いているように見えた。憐みではなく──

 ──こんなときだというのに、期待の気が沸かなかったわけではない。

 どうして彼女は、自分をこんなに心配してくれるのか──それは極めて健康な、少年らしい少年の生理である。しかしながら、ステラにとっては簡単すぎる質問だった。

 

「ステラも昔、こんなことがあったから。そのときもこうやって、すぐそばで話しかけてくれた人がいたから」

 

 よもや特別な感情を期待してしまったアウルであるが、その思いは友愛の言葉でばっさりと切られてしまう。

 ──アア、分かっていた。

 初めから分かっていたことだが、ステラはそーいう人間だった。要は落ち込むだけ無駄なのであるが、アウルが発言の内容自体に興味をそそられたのは事実である。彼は探るように訊く。

 

「それっテ、いつのことなんだ?」

「……いつ? だったかな」

 

 ステラは指を顎に当てて考え込む。

 

「そもそも、その人はもういない(・・・)んだけど」

「いない? 死んジまったのか? ……オマエを置いて?」

 

 だとすれば、なんて不届きな野郎だろうとアウルは思う。

 ──こんなイイ女を放っておいて、自分だけさっさと逝っちまうなんて?

 だが、ステラは苦笑混じりに薄く笑う。

 

「うーん、そーいうわけじゃないんだけどね」

 

 困ったような表情。これは、なんと言語化していいか迷っている時のステラだ。そして事実、ステラが知っている『彼』は、ステラのことを知る『彼』は、この世界のどこにも居ない。

 ──それどころか、彼は私を……。

 微妙すぎる思考が頭をよぎり、ステラは髪を揺らすように頭を振った。はぐらかすように、アウルに儚く笑って告げる。

 

「遠すぎて、もう忘れちゃった」

「……んだよ、ソレ」

 

 アウルは痛みを堪えて苦笑する。イイ女の面をしておきながら、随分とババくさい台詞を云うものだ。

 ──自分達とそう、年齢(とし)も変わらないくせに。

 けれども、時折見せるこの幽遠さがステラらしい。浮世離れしているとでもいうのか、アウルから云わせれば、そういった雰囲気を纏わせているステラの方が、よっぽど遠く見えるというものだ。

 

「頭が痛い。なあ、ボクは──これから、どうなるんだ……?」

 

 がたがた震え出すほどの寒気が襲ってくる。かと思えば、すぐに焼け爛れるように全身が熱くなる。そんな体はさっきから、当人の意志とは無関係に小刻みな痙攣を繰り返している。

 ──このまま、死ぬんだろうか……?

 そんなことを遠く思った矢先だった。ステラはまるでアウルの考えを読み抜いたように、今度は強くふるふると頭を振った。長い金の髪の匂いが鼻腔をくすぐる。どうやら嗅覚は無事らしいと知ったが、それは慰めにしては小さすぎた。アウルは混濁して言葉を募らせる。

 

「なぁ、ステラ……いやだ……。おねがいだ……ボクを、ここにいサせてくれ……」

「──置いていったりはしない。云ったでしょ、アウル?」

「おねがいだよ……! もう、どこにもいかねェから……。オマエたちと一緒に、ボクをいさせて欲しいンだ……」

「──アウル……?」

 

 ステラの手を取って、我を失ったように縋りつくアウルの言葉には、さっきまでの落ち着きがなくなった代わり、異常なまでの感情の昂りがあった。あるいは、死を眼前に実感する者の必死さがあった。

 ──『外』の世界を、初めて知って思った。

 アウルがこれまで滞在していた〝ファントムペイン〟は、彼にとって温室も同然の場所だった。そんな場所で王様にでもなったつもりでいた自分は、しかし、ネオ・ロアノークという後ろ盾を失った瞬間、外の世界では何者でも無いことを思い知らされたのだ。それどころか──

 

「道具みたいに扱わレて……挙句、このザマだ……! こんナに辛い思いは、もう、イヤなんだ……っ」

 

 ──ココは牢獄だ。

 たとえベッドの上の拘束具が外されようと変わらない。彼を閉じ込める牢獄は、薬物に犯された彼自身の肉体なのだから。

 

「ボクは、ボクのことヲちゃんと一人前に扱わないネオに苛立っテた。でモ違った、ネオの方が正しかったンだ……ボクは何も出来ないただのガキで、何にも分かってなかったんだヨ……」

「…………」

「いつもいツも、ネオのヤツ! って思ってた。ケド違う、ネオは──アイツは、そんなボク達を護ってくれてた……」

 

 自分達が普通(フツー)の人間とは〝違う〟ということを、アウルはぼんやりと考えていた。云ってしまえば、自分達は〝特別〟な側の人間なのだと思っていたのだ。

 

 ──だって、そうじゃないか?

 

 地球軍に居た頃、他のフツーのヤツらは自分達ほど素早く動けない、モビルスーツに乗らせたって別に強くない。『劣等生(ドベ)』のメーテルにも遅れを取るようなザコばかりで、そんな連中と比べてしまえば、明らかに自分は『選ばれし者(エリート)』だった。同じナチュラルなのに弱いヤツらは怠慢で、努力が足らないとさえ蔑んでいた。けれども、そんなヤツらが時折こちらに向ける目を、アウルは腹立たしく思ったことがある。

 

 ──憐れみ? あるいは、蔑み?

 

 まるで出来損ないの失敗作(・・・・・・・・・)でも見るような侮蔑の視線。

 ロドニアの研究員達にしたって同種のものを向けてきて、もう慣れたと思っていた。だが、ネオはそんなものらから自分達を守ってくれた。その類のストレスを抱く機会が減ったのは、実力で連中を黙らせるステラが副長にいたことに加え、自分達がネオの腕の中で守られていたからなのだと気づいたのだ。

 今まではそんなことにも気づかず、勝手に増長し、ひとりで思い上がっていた──なんて愚かで、無知だったのだろう?

 

「──ボク、元気になリたい。元気になって、これマでのことぜんぶ、ネオに謝りたいんだ……」

「アウル……」

「今まで、迷惑かけテごめんって──ステラ、オマエにも、伝えたいことが沢山あルんだよ……っ」

「──だいじょうぶ。伝わるよ。……伝わってるよ」

 

 少なくとも、ステラは本心からそう云った。

 その目は間仕切られたカーテンの向こう側を見つめていた。

 

「気を強く持って、アウル。ぜったいに、助かるから」

 

 かつてそうしてくれた人と同じように、ステラは激励の言葉をかけ続ける。

 あのときの言葉はまやかしでも、今は現実だった。ムウの話では、この手の専門知識を持った優秀な医療チームがターミナルにはいるらしいのだから──

 

「だいじょうぶだよ。ネオも元気で、アウルがそう云ってくれるのをきっと待ってる。だから──ね?」

 

 病床の子を母があやすように、ステラは続けた。

 

「それまで、ステラがずっと一緒にいるから。それまではおやすみ、アウル」

 

 ──私達は、またいつでも話せる。

 ステラがそう云うと、ほっと安心でもしたように、アウルの中で何かの糸が切れた。

 瞼が重く閉じていき、彼はそのまま微睡みの中へと連れ去られた。そうして子どものように眠る寝顔は、しかし、さっきと違って安らかに見えた。

 

 

 

 

 

 

 それから、アウルの眠りにしばし付き添った後、ステラは顔を上げ膝から立ち上がった。そのまま仕切りの向こうに目を遣ると、区切られたカーテンにかまわず、左手で払うように奥に進む。

 

「起きてたんだね、ラウ」

 

 そこで動く気配を、ステラは感じ取っていた。

 訪れた先にいたのは、医療用ベッドの上で休養しているラウだった。現在は点滴に繋がれている。そんなラウは粛々として云った。

 

「体が妙に熱を帯びていてな……。息は切れるし、体の痙攣も止まらん──アウルと同じだな」

 

 その内容の重たさとは裏腹に、軽口を叩くように続ける。

 

「それはそうと、君も淑女ならノックくらい憶えた方がいい。表には『面会謝絶』とも書いていた筈だが?」

「──マスクを付けてないから? でもステラだよ」

「そうもそうか……」

 

 出撃後、心身のバランスを大きく崩したことで、絶対安静を余儀なくされているラウ。

 そんな彼であるが、このときばかりは黒いマスクは取り外されていた。かたわらには置いてあるものの、いつ酸素吸入を必要とするか分からない重篤状態が危ぶまれていたのだ。

 そんな彼にとって、面会謝絶は素顔を隠すための当然の措置だった。けれど、ステラにとっては今更だ。ネオは肩を竦めて口を開いた。

 

「アウルの様子は? どうだったろうか」

「白々しいなあ。聞いてたんでしょ、ぜんぶ?」

 

 ステラはじとりとラウを眇めた。──起きてたなら、話しかけてあげたら良かったのに。

 

「ああ、ぜんぶ聞いていた。──というより、聞かせてもらった、か」

意地悪(イジワル)なんだ」

「悦に入っていたのさ。自分が純粋に他人からどう思われているかというのは、なかなか知る機会に恵まれないものでね」

 

 ネオはいつものように悪びれた様子もなく笑った。

 

「まぁ批難囂々の嵐なら話は別だが。己が手放しで称賛されているのを中断できるほど、私は人に褒められ慣れていない」

「卑屈だなー」

 

 感心しないと暗に云われたが、事実良いものを聞かせてもらったのは確かだった。

 まあいいと思ったのだろう、ステラは質問に答えることにした。

 

「アウルの容態は、なりとかなりそうって、ムウの話じゃ」

「──そうか、それは結構だ」

「ターミナルに連れていけば、そこで治療できるって話──信じられる?」

「確信が持てないのだな? だが、信じていいだろう──三年前とは違う。強化人間を治療する方法が、現在はたしかに存在する」

「……はじめから、ラウには分かってたの?」

「君が記憶を喪っている間の出来事だ。世界中で巻き起こった、強化人間の解放運動──その確信は、私の中にもあった」

「本当に、なんでもお見通しだ」

 

 ──世界は善くなってるんだね。

 ここでもまた、ステラは思ったことを口にした。

 

「…………?」

 

 そんなとき、彼女はふと視線をやった先で、ラウと繋がっている点滴のバッグがなくなりかけていることに気付く。病人の彼の代わり、ステラは数歩進んで「変えておくよ」と告げた。

 「すまないな」と言葉が返ってきて、さっきよりも距離が近くなったそのとき、ラウは達観したように口を開いた。

 

「そうだ。私は、この世界の全てを知っていた」

 

 突然の大言壮語。だがステラは慣れているのだろう、付き合う気はないようで、話半分にしながら淡々と輸液バッグとラインを繋ぐ。

 

「君が私の前に現れ、この世界を変えるまではな」

 

 己の武勇伝を語る翁と、それに付き合う……付き合わされる孫娘。

 まるでそんな構図であるかのようだ。ステラは宥めるように言葉をかけた。

 

「この世界には、あなたの知らないことだってまだまだ沢山あるよ。だから、あなたのその〝病気〟を治す方法だって、きっとどこかに──」

「──残念ながら。それはどだい無理な話だ」

 

 聞き咎めるような、言葉を遮る非礼。

 ステラはむっとしたが、ラウはそれすらも凌駕する深い諦念と共に言い放った。

 

「私の〝コレ〟は病気とは違う(・・・・・・)。勿論、強化人間(アウル)の体を蝕む薬物ともな──」

 

 テロメア。

 それは生まれた時から生物が持つ、命の期限。

 云わば、天命のようなもの。

 

「そんなモノに治療法が存在するというのなら、かつての私は──ラウ・ル・クルーゼという人間は、あそこまで生き急ぎはしなかった」

「…………」

「この呪われた身を産み落とした人類に、はじめから絶望もしていなかった。君達と決定的に対峙することも無く、ただのラウ・ラ・フラガとして、人並みに幸福な人生を送ることが出来ていた」

 

 ラウは遠い目を浮かべているが、そんな彼も、今では認めていることがある。

 ──こんなどうしようも無い世界にも、たしかに〝救い〟はあったのだろう。

 血のバレンタインの日、ステラが唯一の生存者となったように。ブルーコスモスの襲撃を受けた幼年のキラ・ヤマトが、母の愛により生かされ、その後もヤマト夫妻の許で幸福に育てられたように──ああ、またか。

 

(この期に及んで、彼のことばかり考えてしまうのだな……私は)

 

 幼い頃の刷り込みのせいなのか? それとも人類の夢である『彼』に、自分はまだまだ希望を見ているのか。

 ──この現実に〝救いの手〟は実在し、けれども、その手は私の許には伸びてこなかった。

 ラウは淡々として思う。自分にとっては、ほんのそれだけのことだった。

 

「今からでも……変えられるよ」

 

 思考を見通したかのように。いつの間にステラはラウの目を正面から捉えていた。その口元は悔しそうに固く結ばれ、絞り出すように言葉を紡いでいる。その顔は脆く、儚げで、いつにも増して幼く見えた。

 

「あなたひとりだけが救われないなんて……そんなこと。だってそんなの、可哀想だよ……」

「さて、それはどうだろうな……?」

 

 あえて挑戦の言葉を吐くように、ラウは天に言葉を投げる。

 

「実際のところ、私の人生にも〝救い〟はあったのだと思う。──君だよ(・・・)

 

 向き直りながら発されたその言葉に、ステラは意表を突かれた顔をした。彼女をそのような顔をさせられたことに小気味良さを憶えながら、ラウは彼女の、穢れも知らないすみれ色の目を見て続ける。

 

「私は君のその優しさに救われていて──もう十二分に、報われた人生を送らせて貰った」

 

 スティング、アウル、メーテル──

 第三の名をネオ・ロアノークとして、小生意気な子ども達にも慕われた人生を送ることが出来た。突けば崩れてしまうものだとしても、久々に家族のような存在に触れ合うことが出来た。

 ラウはその表情に、かすかな微笑みを湛える。

 ステラははっとする。本人曰く「醜い皺の走った素顔」──だが、今の穏やかな彼はどこまでも清々しく、そして若々しく見えた。たとえそれが、幻のように感じられたとしても。

 

「すべては君のおかげだ、ステラ。出来損ないの失敗作として生み出され、恵まれず、報われず、浮かばれず──暗闇の底に沈んでいた私に、きみが光を分け与えてくれた。私の人生を、君が照らしてくれた」

「──そんなこと」

「ああ、そうか。だから私は、君を手放せなかったのだな……? あの戦争のあと、孤立を深める『彼』が心の底から君を欲し──そのことを判っていながら私は、その慟哭を握り潰し、踏み躙った……」

「──彼?」

 

 ステラは訊ね返すが、その言葉は独白の響きをもって続けられた。

 

「全てを承知で、私は君に、かたわらに居て欲しかった。君という存在を繋ぎ止めておくことで、かつて『彼』が見た光を、私だって実感したかった」

 

 そして、実感することができたのだ。

 今ならば、ラウにも分かることがある。

 

「要は私は──『彼』と同じ景色が見たかったのかもしれないな……」

 

 告解に対し、ステラは言葉を詰まらせ、それ以上に継ぐ言葉を見つけることができずにいた。そんな彼女の頭にぽっと手を乗せ、くしゃりと軽く握ったあと、ラウはふっと笑って云った。

 

「もう十分だよ、ステラ。私は、十分良い思いをさせてもらった。だから今度は君が──君こそが、彼を救わなければならない」

「……その彼って」

「スーパーコーディネイター。本来ならば(・・・・・)、この世界の誰も並び立てない至高の天才」

「……! それは──」

 

 咄嗟のことだった。そのとき発作のように、ラウがいきなり噎せた。ああ、ただ噎せただけならまだしも、咄嗟に抑えた掌に血が吐き出されていた。

 ──限界か……。

 ラウは自嘲した。つくづく己を取り巻く運命の皮肉さに。

 いつかこんな日がやってくるとは思っていた。だが、それがまさか『今』だとは……。

 ──死神が迫っている。

 ステラが慌てたように名を呼ぶ。

 

「ラウっ!」

「なんでもない……ッ、かまうな!」

 

 ──今はそんなことよりも、伝えなければならないことがある。

 

「断言しよう、これは絶対だ」

 

 シーツを突き破るほど激しく爪を立てながら、続きを語るラウ。そんな彼には皮肉にも、ここから数歩先の未来が見えてしまっていた。

 成程、これが彼自身の生みの親──アル・ダ・フラガが先代より継承し、父から子へ、血肉と共にムウにも引き継がれた『未来予知』の能力なのか。

 一族の傍流を汲んでいる自分にも発現し、けれども、己の中に流れる血をここまで恨んだことは無い。それほどまでに克明に、手に取るように見えてしまった──

 

「そう遠くない未来、君の友人であるはずのキラ・(・・・)ヤマト(・・・)は、今世紀で最も狂った科学者である父親の名を継承し、必ずや君の前に敵として(・・・・)立ちはだかる」

「────」

「遺伝子こそが神となって君臨する新世界──デュランダルが提唱する〝デスティニープラン〟の調停人として。コズミック・イラ史上最強の力を誇る、遺伝子学上の王として」

 

 彼は人類の夢たらんとするだろう。育ての母の愛も、双子の姉の心配も、夢見る少女の懸念すら振り切って。

 ──だが、それでいいのだ。

 闇に堕ちるということは、必ずしも悪に染まるということではない。闇と悪は等号で結ばれない。ヤマト夫妻の愛に溢れた育て方からすれば当然なのだが、彼はもともと真っ当な倫理観を持つ善良な人間だ。悪事に手を染め、私欲と妄執のため、幾つもの命を平気で溝に捨ててきた彼の父親とは根本から違う。

 ──それでも、彼は父親の狂気に接近しようとするだろう。

 絶対に、そう在れはしないのに。

 

「結局のところ、あの男は最後まで〝善〟の側に立つ。社会の全体幸福を願い、不完全な世界の一切合切を焼き払い、新たなる秩序の下、人々の最大幸福を追求しようとする。──ならば、そんな彼は〝悪〟なのか? いいや、違うはずだ。決してそうではないはずだ」

 

 ──戦争とは、善と悪の価値観が織り成す思想の激突だ。

 

「未来を築く方法論の違いから、御互いが〝相容れない〟と思うからこそ、君達は必ず衝突しなければならない。未来において。そう──これこそが絶対なのだ」 

「……あなたという人は、私達の方が……間違っているって云うの?」

「そうは云わない。だが、既に分水嶺は過ぎている。魔道に堕ち、人類の頂点に立つ〝力〟を手に入れたあの男を止められるのは、疑いなく君しかいない」

 

 ──『頂上戦争』が迫っている。

 そこに立ち会わせる資格を、自分はどうやら持ち合わせてはいなかった。

 ラウにとっては、ただそれだけのことなのだ。

 

「そのような男と戦う勇気が、君にはあるのかな」

「────覚悟は、ある……」

 

 ──キラ……。

 その親友の名を呼ぶと同時に、うらぶれた風景がステラの脳裏に蘇る。月の幼年学校──〝コペルニクス〟──そして、彼と共に暮らした〝ヘリオポリス〟の穏やかな景色。

 ──そう、彼は変わってしまった。

 記憶を取り戻した時、全てがかつて懸念した通りの結果になっていた。

 かつてのアスランと同じだ。己の力を悟り、迷いを捨てた男達が、生来の人格にも関わらず豹変してしまう現象。静謐な雰囲気を纏ったキラが、どれほど強大な存在になるのかを、ステラは確かに知っている気がするのだ。

 だからこそ、誓わなければならない。

 

「約束する。キラはぜったいに、ステラが止めるから……! だから」

 

 ステラはそうして、祈るように続けたのだ。

 

「だから、ラウ……もうひとつだけ、ステラに教えて」

 

 先程の強さはどこへいったのか。ステラは打って変わって弱々しい手で、そっとラウの手を握った。そうして触れた男の手は、血が通わぬほどに冷たくて、病的なまでに震えていた。ステラはその感覚の異常さにぞっとするものを感じながらも、話を続けた。

 

「──〝ユニウスセブン〟で、ステラは夢を見たの」

 

 話が飛んだように思われるが、これは彼女の未来について大いに関係が有る部分だ。ステラは翳った目を落として語り、長い前髪に隠されて、その表情はラウからは見えなくなった。

 ──あれは、母の記憶だった。

 自分のものですら無い記憶。みずからの母と、ラクスの母らしき女が語り合った不穏な企み。──どうしてあんな光景を、自分は視ることができたのか?

 

「キラのことは分かった」

 

 眼前の男は云うだろう。彼こそがスーパーコーディネイター、全世界の誰より優れるべく優れた者であると。かつて世界を混乱に陥れた原初の天才(ファーストコーディネイター)と同じように、次世代に混沌をもたらす異能の怪物なのだと。

 

「でも。じゃあ、ステラは?」

 

 ──まるで霊障に触れるように超然として、不気味な力に取り憑かれている私は?

 

「そういう私は──ステラは本当は何者なの!? なんでステラには、あんなことが出来たの……!?」

「──何故、私に訊く?」

「とぼけても無駄だよ……! あなたは、それについても何か知ってる風だった!」

 

 ステラは問う。

 ──戦死者達の〝声〟を聴くことは以前にもあった。

 人々の無念を、まるで遠くから受信してしまうように。

 

「今だってそうなんだ。なんでかは分からないけど、ステラには今、ラウが何を考えているかが分かる──」

「…………」

あなたが今(・・・・・)何を思ってこんな話を(・・・・・・・・・・)私にしているのか(・・・・・・・・)……! あなたの考えていることが、私には分かるんだよ……!?」

 

 しらを切っても無駄だ。

 ──鮮やかな銀の水晶に囲われた坑道の中、彼は私のこの力に価値を見出した。

 しかし、ラウは云う。

 

「いつか云った言葉を繰り返そう。──そちらは、私の口から話すべき内容ではない。これからの未来、機会があれば世界の方から君に語りかけてくるものだ」

 

 パトリック・ザラですら知らなかった事実。彼女を創った母親()と、創造主たる遺伝子研究員らのごく少数しか知り得ず、殆どの人間が気づいていない真実。

 その真実に辿り着いたラウにしたって、既に一度は滅んだ人間だ。そのような存在が、世界の順序を捻じ曲げてまで語り尽くす道理は無いだろう。

 

「云っただろう? この世界を創っていくのは、未来を生きる君らのような若者だ。遠からずこの世を去る、死に損ないの老人が振り回して良いものではない」

 

 割と誠意をもって答えたつもりだった。

 だが、まだはぐらかされているとでも思っているのか。なおも猜疑の色がステラの顔から消えなかったので、ラウは「そうだな──」と手のひらを返し、観念したように打ち明ける。

 

きみを前にしては(・・・・・・・・)、私も正直に話そう。コレを打ち明けるべきかどうかは、私をして何度も迷った。ここで君に全てを話してしまった方が、今後の世界のためになる(・・・・・・・・・・・)のではないか(・・・・・・)──だが、ふと思ったのだ。果たして君が、そのように嘯きながら動いたことが今までにあっただろうかと」

 

 ラウには分かっていた。ステラが考えている以上に、ラウはステラに注目してきたのだ。その生き方を観察し、価値を測り、本質を捉えようとしてきた。

 

「ああ、君はいつだって一生懸命だった。一生懸命に、ただ目の前にいる(・・・・・・・・)者達を救うことに全霊を注いできた。小さくとも、その星のような輝きを、しかし、私の余計な入れ知恵で曇らせてしまうのではないか。私はそれを危惧した」

「──話が見えてこないよ、ラウ」

「理解させる気の無い言葉だからな──これは。きみが気を揉むのも見当違いだ」

 

 斟酌せず、ラウは続けた。

 

「私は思った。あるいは君は、そのままで良いのかもしれない(・・・・・・・・・・・・・・)。持たざる我々と違い、君は〝特別〟だ。私が何かをするまでもなく、君は目の前で苦しむ人々を次々に照らし、限りなく多くを輝かせる事が出来る器なのかもしれない」

 

 ──最大多数の幸福論(デスティニープラン)が切り捨てる一こそを、君は救ってゆくのかもしれない。

 

「現に、君の存在が、この世界を善い方向に変えた。もっとも君自身、これまでは決して平坦な道のりでは無かっただろう。血のバレンタイン、ロドニア、〝ヘリオポリス〟──連合、ザフト、そして三隻同盟──この戦乱の世の中、すべての陣営を渡り歩き、多くの人間と出会い、別れ──それでもなお生き延びてこられたのは、唯一君だけだ」

 

 その言葉に、ステラは「それは、ただ私の運が良かっただけだ」と返す。しかし、普通の人間には「運が良かろうと出来ないこと」だ。ラウはその返答に苦笑し、少なくともそのときばかりは、心から笑えた気がした。

 

「少なくとも我々には出来ない。その意味において、やはり君は特別なのだ」

「……私は、今まで自分が〝そう〟だなんて思ったこと一度もないけど」

「そうだな。そんな君の在り方こそが、この世界に新たな価値を見出すに値する」

 

 それだけは、伝えておかねばならなかった。

 

「故に、私の口から他に語れることなど無いのだ」

 

 そうして、ネオは締め括る。

 震える指先、口から溢れる血液にも構わず、ステラの双眸を見て云い残した。

 

「この先も、君は君の信じる道を往くがいい。果てはそれが、全てを守ることに繋がっている筈だから」

 

 

 

 

 

 

 ────彼はどうして、そのように語ったのだろう?

 

 深刻な雰囲気を漂わせた彼の会話は、おおよそスティングかアウルが聞けば「ドラマの中で死んでいく親父みたいな台詞」と云って揶揄しただろう。継いで「やめろよ」と強く制し、笑うか、怒るか、呆れるか──

 けれども、ステラはそんな冗談みたいな話にも、最後まで耳を傾けていた。

 そうする義務と責任が、彼女にはあったのかも知れない。そのとき男が何を思い、ステラがそこに何を感じ取っていたのかは、定かではないにしても。

 

 男の言葉は、いつだって本質を付いていた。

 

 救い難い運命の中に置き去りにされた男。

 彼は誰よりも厳しく、この世界の現実を理解していたに違いない。彼の発する言葉や論説は、それ故に厳しく、ときに正しく聞こえ──しかしながらそんな男も、最後の最後で間違いを犯した。

 少なくとも、ステラはそう信ずる。彼ほどの人間であっても、物の見方を誤ることはあるんだな……って。

 

「やっぱりステラは、あなたが期待するような人間じゃないよ」

 

 男は特別なステラが全てを変えたかのように語った。たとえば先の戦争で、本来なら死の運命にあった者を生かし、世界が辿るべき歴史そのものを変えたのだと。

 それはステラのせい? いや、彼女の中では違うのだ。

 世の中というのは得てして儘ならない物であり、ステラが世界の相手になったことなんて一度もない。これまでも、これからも、彼女が思い願った通りに運んだことなど何ひとつ無いのだ。

 

 ──何より『コレ』が、その儘ならない出来事の一つだ。

 

 結論から云う、テロメアだった。天命だった。

 この世界には、そんな彼に施せる、医療そのものが存在しなかった。

 ──ラウ・ラ・フラガ。

 ──ラウ・ル・クルーゼ。

 彼を表す呼び名はさまざまある。

 だが、ここでは安らかに旅立った〝彼〟に敬意を表し、この呼び名を使うことにする。

 

 

 

 

 

 

 ────ネオ・ロアノークは死んだ。

 

 

 

 

 

 

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