フレイの咄嗟の思い付きは、ラクス・クラインを人質に取るというものだった。
民間人に過ぎない彼女が、先の自分達の劣勢を冷静に判断できたとも思わないし、本人としても〝ただ怖かったから行動した〟程度でしかなかったろう。
だが、
けれども、結局は間に合わなかったし、誰も〝イージス〟を止めることができなかった。
劣勢だった。あの状況では誰もが手一杯で、最も〝モンドゴメリ〟の近くにいたキラだって、やはり糾弾される謂れはない。
──少なくとも、理屈の上ではそうだった。
けれども人の感情というのは、それほどに単純なゼロサムで成り立っているわけではないらしい──
ラクス・クラインを人質に取り、〝アークエンジェル〟は難を逃れた。
しかし、補給のために合流した先遣隊は全滅し、彼らはふたたび孤立無援の状態へと逆戻りとなっていた。
──ザフト軍は撤退したが、そんなものは見せかけだ。
敵は後退したに過ぎず、このまま何事もなく見送ってくれるはずがない。
──状況に変化が生まれれば、すぐさま攻撃は再開されるだろう。
それを見越してか、戦闘が終わった〝アークエンジェル〟艦内は、今も依然として慌ただしかった。
──この状況下では、態勢を立て直すことくらいしか、今の〝アークエンジェル〟にできることはないのだろう。
キラはステラを支えながら、医務室まで向かっていた。居住区の廊下を渡っている中、脇にあった食堂から引き裂くような悲鳴が耳に入ってくる。
何事かと考えるよりも前に、その悲鳴がフレイ・アルスターの上げたものであることを理解したキラは、それを見過ごすことができなかったらしい。彼はステラに「ちょっと待ってて」と声をかけ、ひとり先に食堂へ向かった。
「──返して! パパを返して!」
少女の慟哭。普段の端麗な彼女からは想像もつかないほど、衣服も髪も乱れ狂った様子だ。
だが無理もない。彼女は先の戦闘で父を喪った。
いや、奪われたというべきか──
サイの胸に縋っていたフレイだが、食堂へやってきたキラを認めた途端、フレイはギっとしてと彼の方を睨む。
「嘘つき!」
状況が理解できていなかったキラは、唐突に激しい剣幕を向けられて怯む。
「私、見てたのよ!? 〝アークエンジェル〟のブリッジで、貴方の乗る
「フレイ……」
無知な子どもが放つような表現を聞いた途端、キラは目の前で泣き崩れる少女が、本当に戦争など知らない世界で生きてきた女の子であること思い知る。
「どうしてパパの船を守ってくれなかったの!? あのとき、あなた『大丈夫』って言ったのにィ!」
「フレイ、キラだって必死に──」
サイはキラを気遣い、彼女を諌めようとしたが、彼女は興奮している。
当たり前の擁護など、今の彼女には通用しなかった。
顔を真っ赤にして、フレイが叫ぶ。
「どうして……! どうしてあの
場の空気が音を立てて、凍り付いたような気がした。
その一言は、場にいる一同を唖然とさせるには充分だった。
果たしてそれは、どういった真意で放たれた発言なのか。
「フレイ……?」
「ステラって名前の
「え……あ……っ」
キラは愕然とし、返す言葉を失ったという。
あのとき〝イージス〟と交戦状態にあったキラは、ミリアリアの通信により、冷静な判断力を失った。
〈〝ディフェンド〟が危ないの!〉
その言葉にハッとしたキラが視線を〝ディフェンド〟に向ければ、どういうわけか、汎用型の〝ジン〟──それも一機だ──を相手に追い詰められているステラがの姿が映ったのだ。
──まさか、どうして!?
よもや彼女が〝ジン〟を前に追い詰められているとは思わなかった。ステラ先日においても凄まじい戦功を立てていただけに、キラはそのとき余計に困惑したのだ。
──彼女を、失いたくない!
今になって思えば、それはキラの都合でしかなかった。
気が付けば彼は〝モンドゴメリ〟から距離を取って〝ディフェンド〟の救援に向かっていたのだ。その光景を見たフレイが、何を思い、何を考えたのか……。
「パパを返せ……」
怒りに震える瞳の先に、苦しみに震える少年の姿が映る。
「戻してよ。ぜんぶ元に戻してよぉ……ッ!」
そのときになって、サイが庇うようにフレイの身を抱きしめた。愕然としたキラが言葉を喪っていると、その背後からステラが室内に顔を覗かせる。
「……?」
ステラは呆然としていたが、会話の中に、自身の名が上がっていることを気にした様子だ。
「ステラ」
ミリアリアが、不意にその名を呼び、
「──あっ」
同時に彼女は名を呼んだことを後悔した。その声に反応したように、一同の目がステラに向いたからだ。
ぎゅっとして集まった視線に、ステラは身を跳ねさせたあと、怯えるようにキラの腕に身を寄せた。所在なげに戸惑った少女の姿を、そのときフレイは鋭い目で睨む。
「ゆるせない……」
なによ、
──
だから──?
──だからキラは、私のパパより、その
フレイの中で、怒りが沸々と湧き上がる。急速に沸騰するような怒りに身を委ね、
「あんたさえ、いなければ──ッ!!」
それが、フレイの口をついで出た言葉だった。
──そうよ。
コーディネイターなんて、初めからいなければ──
「──フレイ!」
フレイの腕には自然と力が篭り、隅々まで手入れが行き届き、綺麗に整えられた彼女の爪が、縋っているサイの腕に深く食い込んだ。まるで女の子の力とは思えないほど強く締め付けられ、サイの表情が苦痛に歪む。
「──キラ、ステラを連れて、ここから出て!」
「サイ……!?」
「いいから、早く!」
サイとしては、これ以上にキラ達を傷つけたくないからと遠ざけるつもりだったかもしれない。だが、捉えようによっては明らかな拒絶として、キラの心を深く抉る。
動揺したキラはすぐにステラの腕を取ると、食堂から出て行った。
「……まもれなかったから?」
廊下を抜け、食堂から離れた場所で足を止めたとき、ステラが訊ねた。
「あのひと……泣いてた。泣くのは、かなしいから……。ステラが味方を、まもれなかったから……?」
──だから、あの女の子は泣いてたの?
「ステラひとりのせいじゃないよ……。フレイのお父さんを守れなかったのは……僕達みんなが、弱いからだ……」
だから、ラクスを人質に立てるより他に生き残る術はなかった。
キラとて、民間人を盾に取るようなやり方に最初は憤懣を憶えたが、そのような方法しか取れなかったのは、自分たちに〝力〟がなかったからだ。
避難民を乗せたこの艦を沈めさせる訳にはいかない。そこには、あの艦長の苦悩とてあったはずだと──冷静になれば、キラにも理解できる。
「ラクス・クライン──もし彼女がこの艦に居なかったら、僕達は全員、もしかしたら、あそこで」
「──らくす?」
割り込むように、ステラが反応を示す。
「ラクス・クライン? そのひと……」
円らな眸をさらに丸くしているステラに、キラは怪訝な顔を返す。記憶を失っていると告げた彼女が、誰かの名前に反応を示すのは珍しいことだったからだ。
キラは目の色を変え「知っているの?」と訊ねようとした。そのとき、
《──ハロ!》
二匹? いや、二体のハロがキラたちの前に飛び出してきた。
ピンクの〝それ〟は、突如としてキラの顔面めがけて飛んできて、咄嗟にその右手に受け止められた。ブルーのもう一体は、そんなキラの回りをぴょんぴょんと跳ねて回っている。
「な、なんだ。これ?」
怪訝そうに顔を上げるキラ。
と、ひとり悠然と歩いているラクス・クラインの姿が視界の先にあった。
ふたりの目が、ばったりと合う。
「ピンクちゃん! そんな所にいましたのね」
ラクスが、キラの持つピンク色のハロを見、感嘆の声をあげる。
「まあ、あなたが捕まえてくださったのですね、ありがとうございます」
「な、なんでこんなところに」
対するキラはぎょっと目をむいた。
──ラクスは今、部屋の中で軟禁状態にあるはずだ。
彼女は決して今となっては〝アークエンジェル〟が生き延びるための人質だ。そんな彼女が、監視もつけずにひとりで艦内を出歩いているなどおかしな話だった。
「ピンクちゃんは、お散歩が好きですのよ。だからお部屋の鍵などは、本当にすぐに解錠して出て行ってしまいますの」
──いったい誰だ、そんなデリカシーのないロボットを作ったのは。
キラは思わず、額を抑えた。
「──そしたら! この艦にも、ハロがいますのね?」
「え?」
「そこにいる、マリンちゃんですわ」
──マリンちゃん?
海色のハロを示唆されながら、キラは「あなたのものではありませんの?」と続けられた。
「ハロは、てっきり私だけのものだと思っていましたので、驚きましたのよ?」
「は、はあ……」
キラは、いまいち彼女の話のテンポについていけなかった。
──っていうか、そもそも「ハロ」って何なんだよ……。
不思議とキラは、彼女と同じようにゆったりと話すステラと会話しているような気分になったという。浮世離れしていて、微妙に会話がかみ合っていないところなどはそっくりのような気がする。
「それで、ぜひともマリンちゃんの持ち主の方にお会いしてみたいなと思いまして。──それで、この艦を回っていたところですの」
そんな理由で、敵艦を観光しようとは。
大した度胸だと、キラは感心する。
いや、文字どおり彼女は実際の大物ではあるのだが。
「えっと……」
キラが対応に困っていると、足元の「マリンちゃん」が突然キラから離れ、遠くへと跳んでいく。
ぴょんと間抜けな音を立てながら離れて行くそれは、まるで「そこ」が正当な帰り家であるかのように、後からやって来たステラの手にすっぽりと収まった。
ステラは手に乗ったそれを見つめ、言った。
「部屋から出ないように云ってたのに。わるい子」
キラはきょとんとして、訊ねる。
「それ、ステラの? ──えっと、ハロ、だっけ」
「うん。部屋の鍵、勝手に開けて出てきたみたい」
「ええ、それにもその機能ついてるんだ」
短く答えたステラは、叱るように人差し指でハロの頭を叩いた。ハロはきゅうとダメージを負ったような音を発し、目が罰印に変化する。
まるで戯れているようだ。その微笑ましい光景に、キラは不覚にも頬が緩む。
──それにしても、ふたりが同じロボットを持ってるなんて、偶然だろうか?
よもや、部屋の鍵を勝手に開けられるような機能を持った〝これ〟が市販されているわけでもないだろう。
そこでキラは思い出したようにして、背後のラクスへ振り向いた。
「えーっと、あの子だったみたいです、あのハロの持ち主。名前は、ステラって云うんですけど…………」
紹介しようとラクスに声をかけ、キラはその言葉の先を噤む。
ラクスが、そのか細い手で口を押さえ、絶句していたからだ。
整った双眸は大きく開かれ、普段のゆったりとした彼女からは想像もつかないほどに驚愕を露わにしている。
キラには訳が分からなかったのだが、そうして彼は、まさかと思って今度はステラに目を回した。ステラの方もまた、小さく口を開けたままだった。
そこだけ時間が止まったように硬直しているふたりの少女に挟まれ、キラはこの時、何をどう対応していいのか、分からなかった。
「ステラ────!?」
沈黙を破ると、以前からその名を知っていたように。
ラクス・クラインが、少女の名を呼んだ。