~夢見る少女の転生録~   作:樹霜師走

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『囚われた意思』B

 

 

 

ザフト(われわれ)には戦力で叶わぬということを、足つきは先の一戦で思い知っている。ラクス嬢を人質にさえ取らなければ、支援する機動兵器(ストライク)ら共々、あの艦はあの宙域で沈んでいたはずだ』

 

 先の戦闘とは──地球軍本艦隊からの先遣隊援護のため、足つきがわざわざ戦場へ介入して来た時のことだ。

 先遣隊の数隻を味方につけていながら、足つきはクルーゼ隊を前に、完全に追い詰められた。──それがザフト(コーディネイター)地球連合軍(ナチュラル)の〝差〟だと云ってしまえばそれまでだが、やがてザフト軍、延いてはクルーゼ隊に完全なる勝利が迫った、その瞬間、足つきは最後の手段として、ラクス・クラインの身柄を人質に取った。

 ゆえに、クルーゼ達は戦場からの撤退を余儀なくされたのだ。

 しかし、そう長くない間を置いて、足つきは、その大切な「カード」をみずから放棄した。

 それがいったい、何を意味するのか……ラクス嬢を連れ出した〝ディフェンド〟のパイロットは、本当に把握していたのだろうか?

 

『ラクス嬢を欠いた状態では、我々と再戦すれば、ヤツらは必ず撤退することを選ぶ』

 

 クルーゼの作戦は的中し、やはり、ムウはザフト軍を前に、撤退することを選んだ。

 散開し、イザーク達を分散させた上で、あとは小惑星帯に運を委ねて各機の離脱の成功を祈るという、まるで博打のような作戦に出たのだ。──だがまあ、賭けに出るだけ、ムウも必死だったということであろう。

 ──現状では(ザフト)には勝てないと知っているからこそ、賢明な判断だった。

 だからクルーゼはあえて、ディアッカやニコルにこう命じたのだ。

 

『ふたりには誘いに乗ったように〝ゼロ〟と〝ストライク〟を追撃してもらう。……が、途中で見失ったように装いつつ、どうぞ今回は彼らを見逃してくれたまえ。すぐにイザークと合流し、あわよくば〝ディフェンド〟を戦闘不能の状態まで追い込め』

 

 その指令を聞き、ディアッカとニコルは、怪訝な顔を作った。

 不審に思ったニコルがすぐに、

 

『──あの機体の鹵獲を、視野に入れておいでですか?』

 

 と尋ね、クルーゼは口元に笑みを浮かべ、それを返答として返した。

 上官の命令だ。ニコルはその指令に対して、とりわけた意見も反論もなく、ひとつの指示として従順に承った。

 たしかに、撃墜してしまうくらいなら、危険性は大きいが、敵機は鹵獲した方が、後々こちらの役に立つかもしれない。

 ──でも、どうして〝ディフェンド〟なのだ……?

 クルーゼの指示には、たとえ納得はできても、理解できない点があった。

 

 

 

 

 

 

 〝ヴェサリウス〟艦内に〝シグー〟が帰投し、その腕の中に頭部を失った〝ディフェンド〟の機体を見た時は、ザフト軍の整備士達も息を飲み、言葉を失った。

 着艦した〝シグー〟のコックピットから、パイロットスーツも着用していない白服の男が降りて来る。

 整備士のひとりは慌てたように彼に近寄り、言葉をかけた。

 

「クルーゼ隊長! 鹵獲されたのですか、この機体……!?」

「ああ」

 

 クルーゼは呆気なく答えた。

 

「しかし……」

 

 整備士の男が、まるで膝が砕けたように崩れた姿勢を取る〝ディフェンド〟の機体を仰ぎ見た。

 もともと〝ディフェンド〟という機体は〝ヘリオポリス〟でクルーゼ隊の作戦が成功していれば、今も〝ヴェサリウス〟に配備されていて然るべき機体だ。

 だが、ハイネ・ヴェステンフルスが機体の奪取に失敗し、これまで機体は足つきを支援する敵機として、幾度となく君臨して来た経緯からか。それが今目の前にあることに、不思議な当惑を憶える。

 ──危険では、ないだろうか?

 GATシリーズの中でも〝ディフェンド〟は、〝イージス〟と並んで、武装があらかじめ内蔵されている機体だ。──中にいるパイロットが目覚めれば、予備動作なしで光波を展開し、艦を破壊することも可能なのだから。

 

「あらゆる武装はあらかじめ無効化してある。あの状態では、暴れ回るくらいの抵抗しかできんよ」

 

 クルーゼがどこか愉快そうに諭す。やがて〝シグー〟に続いて、〝デュエル〟〝バスター〟〝ブリッツ〟の三機が帰投し、格納庫に着艦した。

 その各々のパイロット達が、鹵獲した敵機の様子を見にコックピットから降りて来る。隊長、というイザークの声が聞こえ、クルーゼは彼らを目で訴えるように、無言のうちに指示を出した。──それは「コックピットを開放して来い」という、暗の命令だ。

 いくら行動不能に陥った敵機であっても、そのコックピット内を確認するのは、危険が伴う仕事でもある。中で目を覚ましていた敵パイロットが突然、襲い掛かって来る可能性だって考えられる。そんな仕事を、クルーゼに任せるわけにはいかない。──イザークは〝ディフェンド〟の鹵獲自体、色々と納得がいっていない様子だったが、率先してその任を承った。

 イザークを先頭にディアッカ、ニコルが続き、その後方に銃を構えた武装兵が立ち並んだ。

 

「……開けるぞ」

 

 エアロックの解除が寸前まで行き届き、イザークのその声で、後方に展開する武装兵たちが銃を構えた。

 

(〝ディフェンド〟のパイロット────そのツラ……拝ませてもらおうか)

 

 憮然とした表情のまま、イザークは思慮していた。

 パイロットは、本当に何者なのだろう。──この機体は、とてもナチュラルが操縦していたとは思えない。

 イザークの中に芽生えていたのは、敵対心や対抗心から生まれた、小さな関心である。

 一方でイザークの後方に続くディアッカの胸中には、すこしだけ邪な気持ちがあった。軍人としての責務を全うするため、彼もまた憮然とした表情を作り、いざという時のために身体は銃を構えているが、頭の中は浮ついたことを考えている。──いったい、どんな女の子が中にいるのか。

 ディアッカの中に芽生えていたのは、色魔な一面から来る、軽率な興味であった。

 イザークの操作により、〝ディフェンド〟のコックピットが開く。その瞬間、

 

「────イザーク!」

 

 慌てたようなアスランの声が────格納庫に響き渡った。

 振り返れば、格納庫のキャットウォークへ飛び出したアスランの姿が視認できる。──「〝ディフェンド〟を鹵獲した」という報告を受け、目の色を変えて飛んで来たのだろう。

 突然の声に、イザークは不本意にもぎょっと背筋が伸びるような反応を示す。其れがすぐにアスランの声であると理解した彼は、今度は何用だ、と気に掛かったのだが、時を同じくして、眼前のコックピットが開放された。

 ──話など、後で聞いてやる。

 この時のイザークには、静止を求める背後のアスランに注意を向けている余裕はなかった。同僚の声を無視するように、目の前に開かれた空間に注意を集中させた。

 先頭を切り、〝ディフェンド〟のコックピットへと潜り込み、中の様子を確認する。

 

「……どうです、イザーク?」

 

 コックピットの狭い入口は、イザークのような少年がひとり、身を屈めてやっと入るほどの大きさしかなく、背後に続いたディアッカやニコル達は、イザークの背に遮られ、中の様子を確認することはできなかった。

 心配そうに尋ねるニコルに対して、イザークはわずかに間を置いたあと、答えた。

 

「パイロットはまだ、気を失っているままだ。だが……」

 

 だが、という含みのある接続語に、ニコルが眉をひそめる。

 耳の良いニコルであったからか、イザークの声は心なしか、震えているように聴こえて取れた。

 

「ウソ、だろ…………ッ」

 

 そして、それはニコルの単なる勘違いなどではなく。敵パイロットの正体を確認したイザークの声は、明らかに愕然としていた。

 どうしたんだよ、と焦れたようなディアッカの言葉が飛ぶ。その声に我を取り戻したイザークは、すぐにコックピットから出、驚きのあまり口を抑えながらディアッカと交代した。

 次に中に潜り込んでいくディアッカもまた、中の様子を見、数秒として唖然とした。

 しかしすぐに、感心したように口笛を鳴らした。

 

「グゥレイト、こりゃ、たまげた」

「……とにかく、隊長に報告せねばならん。行くぞ、ディアッカ」

「はいよ」

「ニコル、ここを任せる。パイロットを中から引きずり降ろしておけ」

「あ、はい、わかりました」

 

 イザークの指示が飛び、中の様子を眇めていたディアッカが出て来た。

 ニコルはクルーゼ隊の中でも最年少に当たる。年齢は十五歳だ。そのため、階級や権限は同じであるにも関わらず、イザーク達に指示を出されることも多く、ニコルの従順な性格も相まって、彼はよく後始末に追われる節があった。

 イザークとディアッカのふたりが、そのまま機体から跳び降り、下に待つクルーゼへ、パイロットの生存を報告しに向かってしまった。

 あとに残されたニコルが、最後にコックピットへと潜り込んで行く。

 ──あのふたりは、いったい、何をそんなに驚いていたんだろう?

 とにかく、中の安全は確認できた。ニコルは尻込みすることもなく、コックピットの中へと入って行く。

 

「え…………!?」

 

 そして、愕然とした。

 ニコルの視界に映ったのは、華奢すぎるほどの体格の人物である。肩幅は小さい。固定されたシートベルトが、膨らみのあるその者の胸元を、窮屈そうに圧迫している。

 桃色を基調としたパイロットスーツは、一見するとすこし華やかで、戦場には持ち込むには、拍子抜けしているように見える。

 その人はヘルメットの間から、わずかに鮮血が滲んだ、輝くような金髪を覗かせている。

 

「女の子? そんな……それにッ」

 

 ニコルは慌てたように、彼女のヘルメットを取り払い、その顔を覗いた。衝撃で頭を打ったか、頭部から一筋の血が流れている。それも時間が経ち、血液も凝固し、黒く変色し始めている。

 ヘルメットを被り、密閉された汗に乱れているはずの金髪は、なおも眩いほどの輝きを宿す。

 金色の糸を紡いだような髪の合間から覗く、うなだれた少女の横顔は、ひどく端正で。

 ニコル達の想像を絶するほどに、可憐、としか表現のしようがない。

 ──僕と、同じくらいの年齢……いや、あるいは、年下にも見える……!?

 本能的に、ニコルはひとつの可能性を確認していた。

 

「この子、コーディネイターだったのか!?」

 

 コーディネイターであれば、そう珍しい話でもないが。

 顔の形が、どうしてだろう……誰かに────似ているような…………?

 そんな既視感を、ニコルは不意に憶えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 〝アークエンジェル〟の更衣室に──張りつめた重たい空気と、ロッカーを叩く音が繰り返し響いていた。

 ガン、ガン、と──ロッカーを叩く、いや、殴りつけるような喧しい音を立てているのは、キラであった。

 〝アークエンジェル〟艦内のロッカーもまた、軍備のひとつである。元はいち民間人で、野戦任官で今は少尉と名乗る権利を持っているキラといえど、たやすく破損させて良いものではない。温厚な性格をした普段のキラであれば、その程度の節制や良識を利かせることは出来ただろうが、この時のキラは焦り、また、無力感に打ちひしがれたまま、自棄になっていた。

 言葉にならないほどの怒り。キラが拳をロッカーに叩き付けるたび口に出す言葉は、冷静ではなかった。

 呪うような叫び。もう一度、拳を壁に叩き付けようとした瞬間────キラの右腕はロッカーに届くよりも前に、痛いほどの力で抑え込まれた。

 キラはハッとして、力の正体を見る。ムウが傍らに立ち、自分を制していた。

 

「気持ちはわかるが、ヤケになったって、今の俺達に出来ることはねえよ……」

 

 指摘され、あまりの無力感に、キラが唇を噛みしめた。

 

「なんで……どうして、ステラが……!」

 

 ステラは、ザフトに捕まってしまった。

 ──作戦は、上手く行っていたはずなのに……。

 キラの中に、どうしようもない、名状しがたい感情が湧き上がる。腸が煮え返るような憤りが、頭を支配した。

 

「一緒に帰って来るはずだったんです、この場所に! 今頃は隣で、今日も無事で良かったね、って言い合えてるはずだったんだ……!」

 

 それなのに今、キラの隣には、ムウの姿しか映らない。

 ムウの表情は、自分を制するために剣呑で、(かた)くて、何かに憤っているような色を浮かべている。──それはきっと、軍人らしい後悔の表情だ。

 ──そう、僕たちは今、軍として戦っている。

 戦争をしているから、人が笑っている様子なんて滅多に見れたものじゃない。

 幸せを分け与えてくれるような、他者の柔らかな笑みなんて、普段は見れるわけがない。

 それでもステラは、いつも、そんな険しい時間に「光」を差してくれた。

 

『──痛いところには、手を当てるといいの』

 

 あの子だけは、まるで、住んでる世界が違うようで。残酷な現実や思惑から、自分を切り離してくれるような存在だった。

 それがキラにとって、どれだけ大きな存在だったのだろう。

 どれだけの不安や負担を、その存在が、打ち消してくれていたのだろう。

 柔らかな彼女の笑顔が、頭の中に、強く残っている。

 敵に捕まってしまった、ということは──ステラはいったい、これからどうなってしまうのだろう? ──軍人ではないキラには、詳しいことはわからないが。

 

「危害を加えられることはないはずだ。あの子は、いろいろと特別(・・・・・・・)だ。下手に動かなければ、きっと大丈夫さ」

 

 大人の都合で、少女を戦場に送り込み──そして、最後にこのような事態を招いてしまったことに、ムウとて悔恨していないわけではない。

 いつもの飄々とした軽率な振る舞いは既にそこにはなく、ムウもまた、自身の無力さに下唇を噛みしめた。

 

 

 

 

 

 

 「〝ディフェンド〟が鹵獲された」という報告は、艦橋を始めとして、クルーからクルーへと既に伝わり始めていた。

 孤立無援の〝アークエンジェル〟において、艦を支援できる機動兵器(モビルスーツ)の数が減る、というのは死活問題でしかない。

 そのパイロットの行方がどうであれ──「戦力が減った」という揺るぎない事実は、艦に乗り合わせる多くの者達の心を突き、これを弱気にさせた。

 

「少尉の連れていた球状のロボット。──学生達の話では、名称を〝ハロ〟と云うようですが、どうやら〝ソレ〟が、非常に高度な開錠機能を搭載していたようです」

 

 ──おそらく〝ソレ〟が、ラクス嬢の部屋に掛けられた厳重ロックを外したのでしょう。

 通路を歩きながら、前を行くマリューに向け、ナタルが冷静な口調で述べる。

 ナタルの云う「少尉」というのは、野戦任官でパイロットを任されたステラのことだ。今はその彼女が、ザフトに連れ去られた直後だというのに、動揺という感情の一切を排除し、あくまで事務的に紡がれるナタルの糾弾を、内心、マリューはうんざりしたように聞き止めていた。

 ──よくもまあ、この状況で流暢に説教文句が並べられるものだ……。

 

「少尉が本当にザラの姓を持っていたのであれば、クラインの令嬢とは、かねてより親交があっても不思議ではありません。少尉の動向を監視していなければ、あのようなことが起こり得るということも認識しておくべきでした」

 

 ナタルの指摘の通り、マリュー達は、軍人としては致命的なほど迂闊であった。

 ステラが「ザラ」という名前を持っている時点で──これは完全な偏見ではあるが──彼女が本当にナチュラルの味方であるかどうかを、強く疑って掛かる余地があったのだ。まして「ハロ」という、トール・ケーニッヒ二等兵曰く「どこでも開錠ロボ」を彼女が引き連れていることも、あらかじめ把握していれば、あの独断行為も未然に防げたかもしれない。

 然ればその結果──「〝ディフェンド〟の拿捕」という、これ以上ない大失態を────犯さずに済んだかもしれない。

 

「踏んだり蹴ったりなことは、わかっているわ……」

 

 マリューが、気が沈んだようなトーンで返答を返す。

 ラクス・クラインという人質がいなくなった今、艦の自衛のための手段は、徹底抗戦の他なくなった。

 そこでさらに僚機の一機を失い、こちらの戦力は、ただでさえ大幅に低下した。

 艦内にも現状、それによる不安の波が押し寄せている。今回のことがきっかけで、クルー全員の精神状態に悪い影響(・・・・)が出て来ないとも限らない。

 ──中でも〝ストライク〟に乗って出撃してもらわねばならない、キラ・ヤマトには顕著に、今回の影響が出て来るはずだ。

 今回のことで唯一、プラスに働いたこと云えば、ラクスを解放できたことによって、マリューの気持ちがすこし晴れたことくらいであろう。──まあそれも、同時にステラを失ったことで、差し引きという差し引きは、結局のところ、ゼロに等しいのであるが。

 

「でも、それでも今はみんなに……少しでも休む時間が必要だと、私は思うの」

 

 ナタルが個人的に自分を糾弾するのならば、それは構わない。──迂闊だったのはマリュー自身だと、彼女も認めている。

 時に、そのように冷静に状況を俯瞰し、判断できる人間も必要だ。

 だがそれを──今の状態のクルー達に押し付けるのは、間違っているのではないか。

 〝ヘリオポリス〟の崩壊に始まり──〝アークエンジェル〟に乗る者達は、いつだって、望まない状況を度々として強いられてきた。

 ザフトと交戦したり、〝ユニウスセブン〟の墓暴きをしたり、ラクス・クラインを人質に取ったり──過酷な道を歩み、みすぼらしくても、必死になって生き長らえて来た。

 そんな毎日に、そこまでしなければ生き残って行けない日々に、鬱屈した気分を抱えている者もいただろう。

 そこに今回、味方機の一機が拿捕されたと報告も上げれば、この艦の行く末を按じて、誰だって気が滅入ってしまう。

 

「誰もがあなたのように、すぐに状況を受け入れられるわけではないのよ」

「艦長、私は……」

 

 ナタルとて、ステラを失ったことに一切の動揺を感じていないわけではないのだろう。彼女は心外だと言わんばかりに目を丸くし、それを見たマリューがその瞬間、すこしだけナタルを見直した。

 ──ナタルは決して、何も感じていないのではなくて……何も感じていないように、振る舞っているだけなのではないだろうか?

 そんなことに消耗している余裕がないことを、理解しているから……。

 マリューはその時、ナタルに対して、彼女は自分とは決して同じ生き方は出来ない女性であると理解しながら、それでもどこか、関心のような小さな興味を憶えた。

 

 マリューとナタルのふたりが、そうして通路を歩き去る。

 T字路になっているその廊下の陰に────燃えるような紅い髪をした、ひとりの少女の姿があった。

 

「そう、なんだ…………」

 

 その口元には、切り裂かれたような冷ややかな(ほほえ)みが浮かんでいる。

 

「へええ…………あの子、いなくなっちゃったんだ…………」

 

 鬱屈として険悪な、歪んだ何かを瞳の奥にしまい込むようにして、少女は数秒、目を瞑った。

 やがて目を開け、意を決したように──その廊下から立ち去った。

 

 

 

 

 

 

 

 ──声が聞こえる。

 聞いたことのない、変わった声が……。

 いったい、誰だ……。

 

「──とにかく、この()は地球軍の捕虜ですからね。正体はどうであれ、コーディネイターである可能性も否定できません。素性が知れない以上、暴れ出す可能性もあるので、すぐに拘束しておくべきですよ」

「だが……!」

 

 朦朧とした視界が、ゆっくりと開けていく。

 ステラの視界に最初に映ったのは──見知らぬ天井であった。

 己の腹部に、見知らぬ者の、野太い二の腕が回されている。防弾用のケブラーベストを着用した武装兵が、自分を、機体(ディフェンド)から運び出しているのだ。

 ──いったい、何が……?

 途端、ステラの頭に、ズキリとした激しい痛みが迸った。頭でも打ったのだろうか、頭部が痛い。

 

 ──ステラは、頭を打ったの? いつ? どうして?

 

 呆然とそれを咀嚼した時、ステラの記憶が瞬時に、鮮明に蘇った。

 ──そうだ。

 ステラは、負けたのだ。小惑星帯で、敵の指揮官機に仕留められ、そのまま。

 ──ロドニア(・・・・)の時みたいに、捕まった?

 なら、今、ステラを抱えているこの男は────

 

「ざふ、と…………?」 

 

 ステラの口から言葉がこぼれた。

 その声を耳に入れたか〝ディフェンド〟のコックピットからステラを抱えて降りている武装兵が、え、と声を漏らした。

 彼女は目覚め、それに気づいた他の武装兵が、

 

「ほ、捕虜が目を覚ましたぞ! おい────ッ」

 

 彼女を抱える武装兵へ、即座に呼びかけたが──その時にはもう、忠告は手遅れだった。

 ステラが覚醒と同時、ほとんど同時に、彼女を羽交い絞めにして抱え出していた武装兵の顔面に────強烈な肘打ちを喰らわせたのだ。大きく怯んだ武装兵を足蹴に、彼女は大きく跳躍する。勢いを乗せて空中へと踊り出た彼女の身体は、俄には信じられない高度まで飛び跳ね、やがて格納庫の地床へ、しなやかに着地した。

 着地と同時に、衝撃でズキリ、と頭が痛んだ。しかし、そんな些細な痛みに気を取られている余地はない。

 周囲一帯が騒ぎ始め、捕虜の覚醒をひろく広報し始める。鋭く視線を移し、全方位の状況を把握すれば、警戒態勢を取ったザフトの武装兵たちが、ステラを捕えんと、方々から集まり始めている。

 

「──ステラ、やめろッ!」

 

 武装兵たちの足音がバタバタと鳴り響き、その隙間からどこからともなく、ステラの耳に、静止を求める声が聞こえた。だが、ステラはその声の正体を確認するまでもなく、その声が促した指示を拒絶した。

 ここは、ザフトの船。

 ──ザフトは、敵だ…………!!

 武装兵のひとりが、ステラに向けて銃を構えた。そいつの視線は、動くなと言わんばかりの剣気立った気迫に満ち、トリガーには確かに、力の入った指が掛けられている。

 今すぐに発砲してきそうなその剣幕は、とても脅しには見えない。

 ソイツの眼は、下手な動きをすれば、確実に射止めてやる、と言わんばかりに訴えているようで…………

 

 ──下手な動き(・・・・・)……?

 

 そんなもの(・・・・・)は──とうの昔に、昇華した。

 今の〝わたし〟に…………出来るのは────!!

 

「なッ」

 

 格納庫へと現れ、すぐに〝ディフェンド〟へと駆け寄ったアスランは────今、目の前に広がる光景を疑った。

 その場に一発の発砲音が響くのと、目にした金髪の少女が動き出したのは同時のことだった。放たれた凶弾を、少女は、ふっとその場に沈み込むことで回避する。たとえ一瞬でも動揺の隙を見せた発砲の主は、次の瞬間、強烈な少女の膝を顔面に喰らっていた。周囲の武装兵が、青ざめたように一斉に銃を構える。だが、兵士のひとりを蹴倒した少女は、まるで猫を連想させるようなしなやかな動きで伏せ、あるいは跳ね、コーディネイターのザフト兵たちを攪乱していく。

 武装兵達も、ここが艦内であることから、不用意に発砲することは出来ず、攻めあぐねていた。闇雲に発砲し、流れ玉が味方に向かうことを恐れているのだ。

 しかしそれは──彼らにとって、大きな命取りだ。

 少女によって、武装兵達が次々と容赦なく蹴倒されていく。──丸腰のひとりを相手に、コーディネイターの兵士がなんたるザマだ。イザークがこの現場を見たら、それこそ顔から火を噴いて嚇怒するだろう。

 地面に転がる武装兵の頭数が、ふた桁に辿り着いたか、そうでないかのその時、それまでしばし唖然としていたアスランは、現実に引き戻された。同僚であるニコルが、少女の鎮圧のために拳銃を構えたからだ。

 ニコルは赤服で、その腕は確かだ。一般の兵士とは格が違う実力を持っている。

 彼を相手に、今の錯乱したステラでは……

 

 ──殺されてしまう……!!

 

 アスランは咄嗟に不安に駆られた。

 経緯はどうあれ「鹵獲」という形で、ステラはザフト艦に連行され、結果的に生き長らえたのだ。だが、ここで暴れたまま野放しにすれば、射殺されてしまう。

 ──そんなこと、させるものか!

 アスランはニコルの代わりに拳銃を手にし、彼を制した。ここは任せてくれと、そう強く短く言い残して。

 ──殺されてしまうくらいなら、俺の手で鎮圧する。ステラは今、すこし錯乱している!

 アスランがそんなことを思慮していた時──武装兵のひとりが、アスランの足元まで吹き飛び、倒れた。

 目を丸くして、ハッと息を飲んだその瞬間──空中で身を翻す、まるで猫のように小さな少女が、アスランの眼前に飛び掛って来た。

 

「赤いの。おまえもザフトか……!」

「ステラ……!?」

 

 鋭い眼、敵意に満ちた表情──

 「そこ」にあったのは、アスランの知っている妹の顔。────では(・・)なかった(・・・・)

 次の瞬間、少女の手が、ちかりと煌めいた。アスランが咄嗟にその正体を探れば、たった今、緑服兵から奪い取ったであろう短刀が握られていた。

 アスランが握っていた拳銃は、まるで役に立たなかった。期せずして(ステラ)の接近を許してしまい、すぐに拳銃を投げ捨てると、組み合いの構えを取った。少女は芯のない動きで身を翻しながら、アスランに向けて短刀による攻撃を繰り出した。胸の前で何度も翻される刃に、アスランは持ち前の反射神経で反応して見せるが、一方的に攻め込まれ、後退する形になってしまっていた。

 やめろ、と声に出す余裕もない。──妹と、目が合わない。

 ステラはこの時、アスランを「兄」としては認識していないのだろう。彼女の注意は、アスランが今「赤服」を着ていることだけに向けられ、その正体が、自身の兄であることなど想像していないのだ。

 

「ステラ、やめろ!」

「うああああっ!」

 

 アスランはすがるように叫び、静止を求めたが、ステラの記憶の内の「赤服」とは──〝敵〟を象徴する以外、何者でもなかった。

 赤服が殊にザフト兵の中で危険度が高く、戦闘力が比類なきエースである情報を仕込まれていた(・・・・・・・)からこそ──怯えるように、果敢に、苛烈に、そして獰猛に、こうして攻撃を仕掛けて来ているのだ。

 ──こんなに凶暴な姿の妹を見るのは……初めてだ!

 不思議なことに、繰り出される短刀の正確さ(・・・)に、アスランは短刀を避けながら、煮え湯を飲まされるような思いを抱いていた。

 ここまでアスランが無傷で短刀を回避し続けられたのは、アスランが誇る高い身体能力と、反射神経があったからに他ならない。これが仮に並のコーディネイターであったなら、この少女の体術や戦技を前に、完全に屠られているはずだ。

 ──いったい、どこでこんな〝力〟を…………!?

 見たことのない「妹」を前に、アスランも攻勢に転じられずにいた。そんな時、脇からひとつの声が飛ぶ。

 

「アスラン、下がって!」

 

 隙を見てアスランが声が響いた方を見れば、少女めいた柔らかな面持ちのニコル・アマルフィが表情を固め、拳銃を構えている姿が映った。翳された銃口は確実に、アスランの眼前の少女へと固定されている。

 アスランが息を呑むと同時に──意を決したのは、その瞬間だった。

 繰り出される短刀をよけ、回避運動として、アスランがその瞬間、華麗に後方転回を決めた。両手を地床に着けた瞬間、自由になった脚を繰り出し、少女が握る短刀を一瞬にして蹴り飛ばした。腕が叩かれ僅かに怯む少女に対し、瞬時に態勢を整えたアスランが、腹部へと強めの拳を叩きつけた。

 それが、決定打であった。少女は意識を失い、アスランの体に倒れかかった。

 拍子抜けしたような、安堵したような表情で、ニコルが近寄って来る。

 

「流石ですね、アスラン。なかなか手こずっているように見えたのですが」

「え? あ、ああ……」

「しかしどうやら、あまり褒められた状況でもないようですね」

 

 ニコルが言いながら、周囲を見回す。

 イザークが見れば、阿鼻叫喚の絵図となろう。何名ものコーディネイターが、その場に野垂れている。(ステラ)が丸腰であったことが幸いして、命に別状はないように見えるが、当分の再起は望めず、少なくとも医務官の手を大きく煩わせることにはなるだろう。

 

「驚きました。……まさか、僕らが今まで苦汁を舐めさせられていた〝ディフェンド〟のパイロットが、まさか、こんな女の子だったなんて」

「……そうだな」

 

 アスランは生返事を返す。

 その時、〝ヴェサリウス〟艦内に、放送が流れた。

 

『アスラン・ザラ。クルーゼ隊長がお呼びだ。──すぐに隊長室へ』

 

 アデスの声で、放送が入る。

 それを聞いたニコルがアスランへ視線を移し、アスランは怪訝に思いながらも、どこか、自分がなぜ隊長に呼ばれたのかが、理解できているような気がした。

 

「……この子を頼む。行ってくる」

「あ、はい」

 

 アスランはそうして、クルーゼの控える隊長室へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 


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