~夢見る少女の転生録~   作:樹霜師走

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〈 Overlap 〉
 意味合いとしては「重ねる」です。

 最新話、どうぞ。

 


『オーバーラップ』

 

 

 

 

 ラウの執務室に呼び出しを受けたアスランは、廊下を進みながら、ひとり複雑な面持ちで逡巡していた。

 考えているのは、クルーゼが自分に伝えようとした言葉の、その真意である。

 帰投したアスランに、クルーゼが伝えたかったこと。

 

『きみが望んでいることを、してやろう──』

 

 アスランは、その言葉をクルーゼ本人から聴いたわけではなかった。アスランが〝イージス〟に乗り、ラクス・クラインを迎えに行っている間に、彼がアデスに伝言を頼んだものである。

 ──望んでいること?

 アスランの望みとは、正直なところ、迷いの多い現時点では彼自身にもよく分からなかった。

 大局を捉えて見れば、戦争のない世界、とでも云っておくべきだろうか? 軍人としてモビルスーツを操り、人を殺して戦場を回っている自分が、そんなことを願うとは烏滸がましいことであろう。そんなことを思うと、嗜虐的な気持ちが込み上げて来たが、しかし実際、それもひとつのアスランの願いであることに嘘偽りはない。仮にも平和を願わぬ人類がいるのなら、そんな人間の考えとやらは、アスランには到底理解できたものではないだろう。

 ──あるいは、最近で云えば……やはり、妹のことだろうか。

 妹ともう一度、手を取り合って、共に暮らせれば良い。共に〝プラント〟へと戻れれば良い。──再会を果たした当初は、そう思っていた。そう思って、何度もステラに、腕を伸ばした。

 しかし何度も────ステラ自身に、その腕を振り払われた。

 ステラにも、今は「守りたいもの」があるからと──.

 決して撃つ気はなかったのだろうが、妹に銃を突き付けられ、言葉を拒絶され、アスランは最近、ザフトで戦っている自分自身に迷うことが多くなった。呆然と愁いに耽ることが多くなった。

 

『────だれかを〝守ってあげたい〟と思う気持ちに、間違いなんて、ない!!』

 

 妹に叫ばれた言葉に──その時、アスランは返す言葉を見つけられなかった。そして今も、それを説き伏せられるだけの力強い答えを、見つけられずにいた。

 ──正論だ。

 誰を守ろうと、誰を大切に思おうと。それは個人に約束された自由である。

 兄として、言い返せないことが情けない。

 あそこまで決定的に、妹に主張を返されたのはアスランも初めてのことであった。幼き日までの妹は、ぼんやりとしていて、どこか危なっかしくて────それでも、兄の云うことは何でも素直に聞き入れてくれるような従順な娘だった。今が反抗していると捉えているわけではないが、しばらく見ぬ間に彼女は成長し、放たれたその言葉には────彼女自身の、確かな意志が感じられた。

 ──オレだって……〝プラント〟を守るために戦ってるんだ……。

 互いに守りたいものを守るために戦っている。その上で、ステラと対峙してしまったのだから、もはや、これはどうにもならないのではないか? とも考えられ、途方に暮れていた。

 だからと云って、ステラを撃つことなど考えられるはずもなく。なんとかして、彼女を説得させなくてはならなかった。そのためには、口下手で定評のある自分には、彼女と話すだけのまとまった時間と、それ相応の豊富な言葉が必要だと考えた。

 

「オレが、望んだこと…………」

 

 クルーゼの執務室のドアの前に辿り着き、すうと息を吸う。

 そして、一歩を踏み出した。

 

「失礼します」

 

 熱を感知した自動ドアが開く。視界の先に、必要最低限の家具だけを備えただけの、殺風景な部屋が拡がった。

 クルーゼはゆったりと椅子に坐し、腰かけていた。

 相変わらず、風変わりな銀色の仮面によって男の表情は窺い知れないが、醸している雰囲気は、いつもと比べてるとどこか柔らかいように感じた。

 ──ひょっとすると、機嫌が良いのかもしれない。

 〝ディフェンド〟を鹵獲できたことで、そんなに態度が変わるものだろうか?

 すくなくとも、アスランがそう判断できるほどには、クルーゼが浮かべている微笑みは、いつもよりも邪気のないものであった。

 

「急に呼び出してすまないな」

「いえ」

 

 クルーゼはアスランに視線を向け、鷹揚と話を切り出した。

 

「きみの方も、わたしに色々と云いたいことがあるのだろうがね」

「は……?」

「おや、無かったかね?」

「あっ……い、いえ」

 

 ないのか、と訊かれれば、あります、と声に出したくなるほどの疑念が、アスランの胸中には溢れていた。

 ──なぜ〝ディフェンド〟だけを、突如として鹵獲などしたのか。

 ──なぜそんな作戦を、自分にだけ黙って、隊長達で済ませてしまうのか。

 訊きたいことは多くあったが、クルーゼの方も、それを解決するために、こうしてアスランを呼びつけたであろうことは既に察しが着いていた。

 アスランが尻込みしていると、そんな時、クルーゼがふ、と不意に哂った。哂われた方が、怪訝な貌を浮かべる。

 

「アスラン。きみは軍人としては非常に優秀だが、驚くほど軍人に向いていないな」 

 

 褒められたのか、貶されたのか。それすらも分からない唐突な言葉に、アスランは目を丸くした。

 ──自分ひとりで解決しがたい心理的な問題にぶち当たると、動揺の色が露骨に表情や挙動に現れる。

 そう云った意味で、クルーゼはアスランを、軍人には向いていないと形容した。

 イザークから聴いたよ、とクルーゼが云う。

 

「〝ディフェンド〟のパイロットを務めていた金髪の少女。──彼女は、きみの妹かな?」

 

 アスランの眼が、驚きに見開かれる。

 ──どうして。

 なぜそれを、知っているというのだろう……!

 アスランの表情に、またも激しい動揺の色が浮かぶのを認めたクルーゼが、確かな手応えを得たように、不敵に哂う。

 

「〝ヘリオポリス〟での一件を経てからのきみの動向は、どこか不自然だ。隊長のわたしとしては、普段は真摯な隊員の面持ちに蔭が潜むようになれば、心配のほどはするさ」

 

 上官の鑑のようなしごく聴き心地のよい台詞ではあるが、これがクルーゼの手練手管だと、云うやつは云うだろう。巧みな話術で詐欺のように人を操ることがあり、思わずそれだけで納得してしまいそうになる発言が、人間の感情をすべて把握した上でわざと放たれているのかと探ると、時にその存在が、恐ろしくさえ思えてしまう。

 クルーゼが言及しているのは、アスランによる、突然の命令違反に強奪機(イージス)による出撃要請から始まっている。

 普段より、欲と云った図々しさを表に出さぬアスランの自己主張が、突如として強くなったのは──クルーゼが、彼を〝ヘリオポリス〟に遣わせてからだった。

 以前の報告では、かつて、月の幼年学校での幼馴染が〝ストライク〟に乗っているという事実に困惑しただけだ、と述べていた。しかし、どうにもクルーゼは、その限りではないと踏んでいた。

 そして今回、突然の、ラクス嬢の身柄の返還が起こった。

 道徳的な観点から。という理由だけで、彼女の身柄を渡してくれる地球軍兵士が居たのなら、未熟な愚か者だとクルーゼは嗤っただろう。しかし〝ヴェサリウス〟に通信を寄越した敵機のパイロットは女性で、ひいては女の子で、ラクス嬢のことを呼び捨て(・・・・)にしていた。

 多くの者が──まして、婚約者であるアスランまでもが敬称を用いるラクス・クラインのことを──地球軍所属とはいえフルネームでもなく──敵パイロットは無意識に「ラクス」と呼んでいたのだ。

 ──まるで、遥か昔から、彼女と親睦があったかのように……。

 複数の事実から判断して、クルーゼは自力で、その結論に至った。

 

「ステラ・ザラ。──わたしもザラ国防委員長には、色々と懇意にして頂いているからね。名くらいは聴いているよ」

「隊長……!」

 

 ──やはり、底の知れぬ(おかた)だ……。

 アスランは切れすぎるクルーゼに、畏を成すばかりであった。

 

「彼女が生きていて、よもや〝あんなモノ(・・・・・)〟に乗っていようとは……思いもしなかったがね」

「…………はい」

 

 アスランはそこで、大人しく事実を認めた。

 クルーゼの言葉が、滔々と紡がれる。

 

「いや、わたしとしても、事実を事実として確かめたかっただけなのだよ。心配せずとも、彼女はきみの妹で、政府高官の御令嬢だ。ミゲルやハイネを討ち取った仇敵だとは云え…………危害を加えたりはしないさ」

 

 ──すくなくとも、わたしはね。

 強調されるように付け足されたその言葉にはどこか、アスランの心を痛める、皮肉にも似た響きを持っていた。

 

「この件は、第一に、きみのお父上に報告させて頂く。そうなれば、彼女の存在を隠しても無駄になる。この艦のクルーが真実を知るのも、時間の問題かな」

「…………」

「報道で伝わるか、己の口で打ち明けるか──それはアスラン、きみが選ぶといい」

 

 それが〝プラント〟の情勢にどのような影響をもたらすかどうかは分からないが、ステラの存在は、すくなくとも公表されることになるだろう。

 そんな彼女にミゲルやハイネを撃たれ、ザフト兵の中には、少なからず個人的に「〝ディフェンド〟のパイロット」に怨みを持っているものとて居るはずだろう。ステラの素性を明かしておいた方が、艦内はひょっとすると、広い意味で安全になるかもしれない。

 その時、隊長室に構えられた通信が鳴った。

 クルーゼが応答すると、医務室からの連絡が上がった。

 

「──捕虜(かのじょ)が意識を取り戻したそうだ。きみも、行くかね?」

 

 捕虜、それはつまり、ステラのことだ。 

 アスランは、それに頷く。

 そうしてふたりは、医務室へと向かった。

 

 

 

 

 医務室に向かい、入室した先で、アスランは目を逸らしたくなるような光景を目の当たりにした。

 医療用ベッドの上に横たわる金髪の少女が──拘束具によって、胴、腰、両腕、両脚と、完全に自由を奪われていたのだ。

 一度、ザフト兵の拘束を振り払って暴れ出した経緯も考慮されれば、当然の処置ではあるのだが、実の妹がそのような仕打ちを受けていることに、アスランとしては苦渋の表情を隠せない。

 入室して来たふたりの姿を確認した医務官の男が、声を発す。

 

「鎮静剤を投与して、意識レベルを意図的に落としています。意識はありますが、だからといって、暴れ出すほどの気力はない状態です」

 

 暴れ出しては手が付けられなくなりますから、という説明が耳に入ったかどうかも怪しいほどに、アスランが悄然として、一歩一歩、医療用ベッドへと歩み寄って行く。

 まるで吸い込まれているかのように、我を忘れてベッドへと向かうアスラン。その間、クルーゼは後方で、医務官から少女のカルテの説明・解説を受け始めた。

 一歩一歩と近づいていく度に、もう二度と手が届かないと思っていた少女の姿が、大きく、はっきりと目に映る。

 バイザー越しでもなく、モニター越しでもなく、肉眼で。眼の前に姿が見える。

 うなされるように、ステラは首だけを動かしていた。医務官の云う通り、意識はあるようだが、呼吸は弱々しく、瞳は半分しか開いていない。顔色も悪くどこか疲弊しきった印象を受けるのは、おそらく鎮静剤の影響で、意識さえもが朦朧としているからだろう。

 

「ステラ……!」

 

 顔を覗かせたアスランは、これまで必死に包み隠していた、妹への感情を爆発させた。

 これまで、誰にも見せず、悟られるわけにも行かなかった「歓喜」という感情を、ここに来て、ようやく吐露することが出来たのだ。──この場に居合わせる医務官にも、クルーゼにも、既にこの少女の正体を憚る必要はないのだから。

 感情を包み隠さず、したたかに震えた声で、彼女の名を呼んだ。

 

「アス……ラン…………?」

「ああ、ああ。そうだ……!」

 

 弱々しい声に、涙が出そうなほど表情が強張った。

 これまで、何度も何度も伸ばして来た腕が──今なら(、、、)届く。小さな手を取れる。もう二度と離すまいと、華奢な肩を抱き留めることだって出来る。

 朦朧とした意識の中で、ステラも弱気になっているのだろう。アスランが目の前にいることで、安心したような笑顔を浮かべている。まるで昔の日々に戻ったかのようだ。

 

「…………!」

 

 感動が言葉にならず、ステラの掌を取り、ぎゅっと握りしめる。

 機体を拿捕する形でしか彼女を連れて来る方法は無かったのには遺憾の念を感じぜざるを得ない。だがこの瞬間のためだけに、アスランはクルーゼに強い感謝の念を抱いた。

 

「命に別状は……ないんですよね?」

 

 心配になり、暫時の邂逅の時間を味わった後、アスランはステラから視線を外し、後方でクルーゼと話す医務官の男に訊ねていた。

 なにしろ、コクピットの中で気絶するだけの衝撃を受けたのだ。

 

「ああ。今のところは(・・・・・・)な」

 

 男の言葉に、アスランは懐疑した。

 意味を訊ねようとしたが、その時、クルーゼが会話に割って入った。

 

「華奢な娘だ。とても、我々を何度も苦しめた存在とは思えぬな」

 

 医務官に笑われたそれは、泣く子も黙るラウ・ル・クルーゼにしては珍しい冗談めいた発言であった。

 前に歩み出たクルーゼが、アスランの隣を位置取る。

 医務官から受けたカルテの説明(、、)を受けて、心に余裕が生まれるほどにクルーゼは上機嫌になっていた。その声にはどこか、抑えきれぬ興奮を含まれているように聴こえて取れた。運や運命がみずからに味方した、と確信しているような男のそれが。

 その時、今まで半分まで開いていなかったステラの眸が──大きく、見開かれた。

 

「ステラ?」

 

 アスランが怪訝そうに訊ねる。

 ステラは弱々しい声で、しかし、明らかに声に驚きを含めて、クルーゼの貌を見据えている。

 

「ネ…………オ…………?」

「?」

 

 クルーゼの頭に、疑問符が浮かんだ。

 間違いなく、ステラはクルーゼを見据え────そう呟いたのだ。

 ──誰かと、人違いを起こしているのだろうか。

 ネオ、という名を呼んだ途端、ステラの様子が豹変した。

 

「ネオ……ネオ……っ!」

 

 波打った金色の長髪。精悍な体格。そして、目を覆った仮面…………。

 声か、匂いか、気配か。──いや、判然と分からずとも、どこかが、あまりにも似通っている。

 ステラの中で、面影が重なる。

 目の前の人物と、思い出の中の人物が──。

 呆気に駆られたアスランが、クルーゼに振り返る。仮面の男は、嗤っていた。

 

「隊長……?」

「……ふっ」

 

 そして、これまでアスランが見たこともないような、優しい色を口元に浮かべていた。

 全身を強固に拘束されていながら、ステラはまるで、縋るように目の前の「仮面の男」に腕を伸ばし始めた。助けを求めているかのようだ。

 クルーゼは微笑みを返し、やがて、ゆっくりとその顔を近づけた。そして、ステラの耳元まで口を寄せると、

 

「そう慌てることはない。今は気をしずめ、ゆっくりと休むといい。私はどこにも行かないよ」

 

 まるで赤子を癒すかのような声で、言葉を掛けた。

 その言葉を聴き、ややあって、ステラの表情に安心しきったような緩い色が浮かぶ。やがて力尽きるように瞳を閉じ、すうすうと、規則正しい寝息を立て始めた。

 これまでは際限なく暴れていたというのに、クルーゼの指示には、驚くほどに従順だ。医務官がぎょっと目をむいた。

 

「驚きました。お知り合いでしたか?」

「いや、初対面だ。おおかた、私に誰かを重ねて見ているのだろう」

 

 先程の赤子を癒すかのような声から一転して、クルーゼの声は、淡白ないつものそれに戻っていた。態度というチャンネルが、鮮やかに切り替わっていたのだ。

 それが少しに気に入らず、アスランは呆気にとられる。しかしクルーゼにも、あのように暖かで柔らかな声が出せるのだ、と思い、新たな発見をしたような気分になったのは確かだった。

 

「──よほど、慕われていた人物と重ねて……な」

 

 その声には、どこか不気味な含みがあった。

 

「この娘には、私にも、分からないことが多いんです」

 

 事務的に、アスランがそこで言葉を続けた。

 

「私の知っている彼女は、モビルスーツなどを操縦できるような人物ではありませんでした。それに……」

 

 先刻、格納庫での一連の記憶が蘇る。

 あの時のステラは──まるで、前線に身を置く戦士のように見えた。感覚は鋭敏に研ぎ澄まされ、触れれば切れる、抜き身の刀のような雰囲気を放っていた。

 コーディネイターは、先天的に高い身体能力を確約されている。しかし、ステラが発揮していたものは、とても素人が才覚や潜在能力(ポテンシャル)に頼っただけで繰り出せるようなものではなく。戦闘訓練を受けているザフト兵の知覚を超越する、文字通り、彼らを蹴散らすほど圧倒的な動きだった。

 彼女が繰り出した攻撃の、ひとつひとつの正確さ(、、、)は──アスラン自身が、身を以て思い知っている。赤服である彼さえもが、煮え湯を飲まされた思いを抱いたのだ。

 アスランが、視線を落とす。

 

「本当は……血のバレンタインで」

 

 ──死んだはずだったんです。

 アスランが思わず、そんなことを口走ろうとした。

 しかしその先は、クルーゼによって制された。

 

「そんな君には非情なようだが。この娘の抱える問題は、どうやら、それだけ(・・・・)ではないようだよ」

「え?」

「この娘には────これまで、多くの薬物を投与された経歴があるようだ」

 

 アスランの身体が────凍りついた。

 クルーゼの言葉に、医務官が頷いた。

 カルテの説明の中で、クルーゼは先んじて、その報告を受けていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 医務官から紡がれた説明を受け、アスランの頭は、かつてないほどに混乱していた。

 ──薬物投与の経歴あり。

 それが示唆する事実が、どれだけ凄惨なものであろう。

 正常なる普通の人間であれば、そもそもの前提として、薬物など、生きていく上で不要なものである。それが絶対に必要なものでない以上、道に腐った無法者や、道を外した外法者達だけが、そういった存在に手を伸ばすのだと──すくなくとも今日、この時まで、アスランはそう考えて生きて来た。

 ──しかし、ステラが……?

 最後に薬を投与したのが、いつ頃の話になるのか、正確に割り出すことは出来なかったようだが、体内から検出された物質の量から逆算して、おおよそ数年前のことだと云う。

 人間の肉体に、本来は存在しない物質等が、ステラの体内から検出されたわけだが、医務官によれば、そう云った物質のほとんどは、既に体内から抜け落ち「肉体が持つ自然免疫力によって死滅して行っている」らしい。

 これを言い換えれば、ステラは確実に────薬物を投与していた過去から立ち直り、健全な人間に近づいて来ている、という理解もできるだろうが、薬物を投与していた事実たるものは変わらない。

 ──まさか、地球軍に……?

 長期間の失踪。常人の反応速度を超えた白兵戦技。薬物投与の経験。高度なモビルスーツの操縦技量。

 どれをとっても、貌を顰めたくなるような特徴である。もしかするとステラは、これまで地球軍に操られて来たのかもしれないと────その想像に至るまで、そう時間は必要とされなかった。

 茫としながらアスランが休憩室へと足を運ぶと、中では、イザーク、ディアッカ、ニコルの三人の姿があった。どうやら、話題性あふれる〝ディフェンド〟のパイロットについて、面白おかしく議論を行っているようだ。

 

「だから俺が云いたいのは、あのパイロットが俺達(ザフト)の敵で、今まで散々地球軍で暴れ回ってたってのと、顔が可愛いってのは、また全然、別問題ってことであってだなァ」

 

 お調子者で、軟派なディアッカ・エルスマンが議題の渦中に腰を据えており、イザークが反論する。

 

「愚か者! 俺達がヤツひとりのために、どれだけの損失を払って来たと思っている! そのような浮ついた考えを敵に抱くこと自体、間違っている!」

「だからさ、別にあのパイロットの経歴を許そうってわけじゃないっての。ただ事実として、可愛かっただろってことよ」

「たしかに、僕はもうすこし、経験の深い精悍な人物が〝アレ〟を動かしているのだと思ってました。正直、あんな華奢な女の子だなんて、想像が及ばないというか……」

「もう少し心に余裕を持とうぜ? ラクス嬢にも引けを取らなかったっつか、もう一回、顔だけでも覗いて来ようかねえ」

「俺達は軍人だぞ!? なんだこの浮ついた談話は!?」

「緊急会議みたいなもんっしょ」

「なんのだ!?」

 

 やれやれ、と嘆息ついたニコルが、アスランの姿に気づいた。

 ディアッカもまたその姿を認め、言葉を投げかける。

 

「よぉアスラン。おまえはどう思う? あの〝ディフェンド〟のパイロット」

 

 どう、と訊かれてもも、今まさにそのことに悩んで、頭がパンクしそうなのだが……。

 

「……あそこまで高度な戦闘技術をどこで身に付けたのか、気になる次第だな」

 

 間違ったことは、云っていない。

 

「かーっ、イザークといいオマエといい、もの分かりの悪い野郎ばっかだなァ。おまえらバカかよ」

「バカは貴様だ」

「女に興味あるやつはいねえのかよ」

 

 軍人をやっているから。女性に触れる機会が少ないから。

 また、男しかいないこんな環境だからこそ、性をテーマに時には()な話題も交え、無礼講に盛り上がりたいというものだ。

 そんなディアッカの機微に理解を示してくれたのは、ミゲルやハイネ、ラスティくらいのものであった。しかし運悪く、すでに彼らは全員としてこの艦に乗り合わせていない。艦に残っているのは、

 

「女など、軍紀を乱すだけだ」

 

 ──これである。

 あいつらの代わりにおまえら一回死んで来い、と思ったディアッカであった。

 

「でも、コーディネイターでしたよね。それがどうして、地球軍の味方などしていたのでしょう?」

「さあな。というか、いきなりラクス嬢を返してくれたり、たまにわけ分からねぇことするよな」

「ふん。どちらにせよ機体(ディフェンド)がザフトに渡った以上、あの者には用はない。今は捕虜の扱いを受けているが、今まで散々暴れ回ったのだ。裁判を待つ間もなく、処断されるだろうさ」

「ええ、勿体ねえ」

「ディアッカ」

「……いや、それはない」

 

 アスランが最後に、ぼそり、と言葉を発した。

 それを聴いた一同の視線が、アスランへと集まる。イザークが気に入らなそうな顔をする。

 

「……へえ。なんだって? あいつが罰せられないとでも云いたいのか?」

 

 イザークがせせら笑う。

 その疑念は当然のものだ。現実的に考えて、〝ディフェンド〟はザフトが誇るモビルスーツ〝ジン〟を何十機として撃墜し、エースパイロットを数機として沈めて来た。

 正真正銘の敵、ザフトにとっての弊害として立ちはだかった。

 それだけの被害を出した敵パイロットの実力には、目を見張るものがあるにしろ、たとえコーディネイターであったとしても、容赦されるとは考え難い。いや、むしろコーディネイターであるからこそ、祖国(プラント)に反逆していた咎は重いはず。

 アスランはあくまで、感情を交えぬ淡白な声調で返す。

 

「罰せられないとは云っていない。ただ、無下に首を刎ねられるようなことはない、と云ったんだ。すくなくとも、裁判を待つ身にはなるだろうし、情状酌量の余地もある」

「アスラン?」

「これはまた、随分と肩入れするじゃんか。惚れたか?」

「そんなんじゃない。……ただ」

 

 ディアッカがあまりにも相変わらずで、わざとらしくアスランがため息を吐いた。

 

「────あれは、おれの妹だから…………」

 

 ぴしり。

 ────と、その場が凍てついた。

 

「……はあ?」

「……なに?」

「……アスラン?」

 

 あまりにもアスランらしからぬ冗談に、一同が呆気に駆られる。

 前々から気に喰わないヤツではあったが、ここまでユーモアのセンスのない野郎だとは思わなかった、と胸中で吐き出したイザークである。 

 

「妹…………?」

 

 唯一、その中ではニコルだけが、その言葉に動揺こそすれ、発言を肯定的に捉えていた。

 ──少女が誰かに似ていると思ったのは……確かだったからだ。

 

「……マジで?」

 

 ディアッカが声を上げる。

 アスラン自身も、中性的と形容するよりかは、完全に女性的な顔立ちをしている。初対面の人物が遠目からアスランを見れば、多くの余人が、彼を女性として認識するのではないだろうか?

 それだけ、母親譲りの秀麗な外見をしている。反対に、妙に融通の利かない性格は父親に似ているそうなのだが、金髪の少女の顔も、どこかアスランと似ているように……見えなくもない。

 ──コーディネイターであれば、たとえ親と子が似ていなくても、誰も強い違和感を覚えない。

 人為的な遺伝子操作・改変が可能となった時代から、コーディネイターの第一世代は、生まれ出で来る「我が子」の顔立ち、瞳の色、髪色と──外見的な特徴から、身体的な潜在能力までもを、まるでカタログショッピングで購入するかのように自由に選択できるようになった。子息の外見や能力を、ある程度の範囲、もしくは支払った金額によって相応に自在となるのが、第二世代以降のコーディネイターの出生の特徴である。むろん、後天的な要因が大きい人格形成まで支配できるわけではないが、娘が両親から大きくかけ離れた外見を持っていたり、髪の色が大きく異なっていたとしても、そこに大きな不義は働いていないのが、彼らコーディネイターの世界なのだ。

 驚異的な身体能力。そして、優秀すぎるモビルスーツの操縦技量。

 アスランの妹である、というその言葉は、冗談と捉えるには妙な現実味を帯び過ぎていた。

 

「血のバレンタインで、生き別れたんだ。それから行方が分からなくて……やっとのことで再会したと思ったら、既に〝アレ〟に乗っていた」

 

 今まで可愛い、可愛いと連呼していただけに、妙な気まずさが、ディアッカの中に押し寄せた。

 アスランの説明は続く。

 

「何度も投降を呼びかけて、でも聴かなくて。ずっと行方がわからなかったと思ったが、まさか、あんな──」

「────ふざけるな!」

 

 その瞬間、イザークが、アスランに喰ってかかった。

 言葉の先を遮るように襟元を掴み、背中を壁に叩き付ける。

 ニコルの静止の声が飛んだが、それは熱を帯びた彼を止めるだけの冷水とはならず、イザークの感情は高ぶっていた。

 

「何度も投降を呼びかけて来た……!? そのヤツに、俺達がどれだけ殺されて来た!?」

 

 イザークの糾弾は、第一に「ステラがアスランの妹である」という事実を差し置いた内容から始まった。

 それはそもそも、にわかには信じられた話でもないが……。

 

「今までの戦闘の中で、キサマはヤツに対して! 手を抜いていたということかぁ!?」

「…………」

 

 手を抜いた、という表現には語弊があっても、すくなくとも、心理的に大きなブレーキが働いていた、迷っていたことに変わりはなかった。

 そしてそれは──足つきの〝もう一機(ストライク)〟に対しても……。

 

「ミゲルも、ハイネも! 多くの同胞を、ヤツによって撃墜されて来たんだぞ! 仮に血縁関係があったこと(それ)が事実だとしてもなあ! 行方が分からなくてとしらばっくれたところで、今になっては、それも貴様の咎だ!」

 

 監督不届き。──とでも、云うのだろうか。

 妹を手放した〝ツケ〟によって、アスランは戦友(ハイネやミゲル)を失った。

 あるいはアスランは〝ディフェンド〟に乗っていたパイロットの正体を知ったその時から、敵機に対して温情を抱き、本気で戦おうとしていなかったのかもしれない。そこに生まれた甘さが、ミゲル達を屠った原因になっていたとしたら。

 

「血を分けた兄妹だからと云って……許された話ではないのだぞ!」

「わかってるさ……!」

 

 ──だがイザークとて、まだ、知らないことの方が多いんだ。

 幼き日に地球軍に拉致された彼女は、地球軍による誤った教育(マインドコントロール)を受け、ザフトに敵対するように仕込まれていたかもしれない。自制が効かず、ザフトを撃つように制御されていたのかもしれない。──不可抗力で従軍させられていたとして、彼女に国家反逆罪を充てつけるには荷が重すぎる。

 ──そうだ。

 きっと────そうなのだ。

 地球軍に操られていた。────そうでもなければ、あのステラが、自分と対峙しようなんて、思うはずがない……!

 アスランの中で、情緒が乱れ、思いを巡らす内、そうであって欲しいという願いが強くなっていった。

 

「ふんッ」

 

 そこでイザークが、アスランから手を離した。

 ──血のバレンタインで生き別れた妹と、再会できたというなら、同僚として、すこしでも祝ってやるべきなのだろう。

 あんなにも忌々しい出来事は、イザーク自身も心から嫌悪しているからだ。

 崩壊した〝ユニウスセブン〟からの生存者が、たったひとりでも増えたことがわかった時点で、〝プラント〟の行方を憂う者として、嬉しくないはずが無い。

 ──だが、喜べないのは……その者によって、多くの同僚を殺された事実があるからだ。

 アスランが、苦し紛れに弁明する。

 

「……敵パイロットの身体から、本来、人体が持たないはずの物質が多く検出された。地球軍に拉致されたその日から、なにか、歪んだ教育を受けさせられて来たのかもしれない…………」

 

 それを聴き、全員が驚愕に目を見開く。

 アスランがあえて「敵パイロット」という表現を用いたのは、そこにアスラン自身の血縁者としての温情を排除して、イザーク達にあくまで、客観的に見た同情の余地が、情状酌量の余地があることを示すためだ。

 

「それが、本当なら……」

 

 ニコルが云う。

 

「地球軍が用いた非人道的な行為を見せつける……これ以上ない広告塔になりますよね……」

 

 広告塔と云っても、表現を変えれば、それはただの見世物だ。

 そう云った意味では、アスランが云った通り、ステラがそのまま処断される可能性は極めて低い。ましてその人物は、現〝プラント〟国防委員長(パトリック・ザラ)の娘である可能性も示唆されているのだから。

 この時のアスランは、なにか得体の知れない、大きな危機感を憶えていた。

 ステラが戻って来てくれたことは嬉しい。

 しかし、それがどこか、世界に不吉な匂いを運び出したような気がする。ステラが〝プラント〟に戻って来たことで────その事実が大いなる戦争と、憎しみの呼び水になってゆく気がして────。

 アスランは、強い不安に駆られた。

 

 

 

 

 

 

「……キラ、まだ部屋から出て来てないの?」

 

 〝アークエンジェル〟の食堂で、ミリアリアが心配そうな面持ちで云った。

 会話の主は、同じテーブルを囲んで話す、カレッジの同級生一同だ。

 キラはステラの機体〝ディフェンド〟が鹵獲され、敵機からの奪還に失敗し、帰投してから、ずっと部屋に籠ってしまっているのだと云う。むろん、ステラが敵艦に連れ去られてしまった事実を認めた時、トールやサイ、とくにミリアリアは、強い憤りや悲しみを感じたことには変わりないが、中でもやはり、キラは心が打ち砕かれるほどの後悔を抱いたのだろう。

 出撃しておいて、彼女が目の前で連れ去られて往く姿しか、見られなかったのだから。

 一同が重たい顔を浮かべていると、そんな時、食堂の入口に、フレイ・アルスターが現れた。その姿を認めたサイが、その場に立ち上がる。

 

「フレイ」

「あ、サイ……みんなも」

「食事、まだだったんだ。一緒に食べようか?」

「ううん、お腹すいてないから」

 

 ではどうして、食堂に顔を出したのか、サイはふと疑念に感じた。

 

「それより、キラは……?」

「え?」

 

 まさか、フレイの第一声に、キラの名が呼ばれるとは思わなかったサイである。

 怪訝がる彼に、フレイはしおらしい声で続けた。

 

「さっきまでの私、パニックになっちゃって。その拍子に、キラには、ひどいこと云っちゃったし。……それと、もうひとりの女の子(・・・・・・・・・)にも、ちゃんと謝りたくて」

「フレイ…………」

 

 もうひとりの女の子。──その言葉に、食堂の面々の顔が沈む。

 フレイは、父親であるジョージ・グレンをザフトに殺されてから、帰投したキラとステラに、暴言にも近い、心ない言葉を充てつけようとした。彼女を鎮めようとしたサイによって未遂には終わったが、態度として、ふたりには強く当たってしまったことは確かだった。

 そんなフレイも、今は落ち着きを取り戻している。冷静になった彼女は、途端に申し訳ない気分になり、こうしてキラ達を探しに来ているのだろう。

 親愛なる父を殺されていながら、それでもキラ達を労わってくれる……。

 ──やっぱり、いい子だな……。

 サイは改めて、親同士が決めた婚約者とは云え、目の前にいる彼女が、十分に魅力的であるということを改めて思い知った。

 ──でも、そうか。

 部屋に籠っていたのは、キラだけではなく────父親を殺されたフレイもまた、部屋で休息を取っていたのだ。

 そして、だからこそフレイは知らないのだろう。

 その後に起きた戦闘で、ステラがザフト軍に連れ去られたこと。だからもう────〝アークエンジェル〟には乗っていないことを。

 サイは沈んだ声色で、フレイに一連の旨を説き明かした。

 

「──連れ去られたって、そんな……!」

 

 フレイは信じられない、という風に口を塞いだ。

 サイは苦しそうな面持ちで、先を続ける。

 

「ザフトの目的は分からない。でも、なぜかステラだけが……敵機に捕まったらしくて」

「わたし、まだ、あの子にちゃんと謝れてないのに……」

 

 しおらしい態度で、その事実に悲しんだフレイは──

 そうして────事実を詳細に確かめ終えた。

 

「キラなら今、きっと自分の部屋だと思うよ。キラも、そのことで責任感じて、すごく落ち込んでるみたいだから……」

「……そう、なんだ」

 

 フレイは沈んでいた顔を上げ、云った。

 

「なら、私、キラにちゃんと謝って来る。ステラって子には、ほんとに取り返しのつかないことしちゃったけど、今はそのことも含めて、しっかりと、キラに私の気持ちを伝えたいの」

 

 その言葉に感服したサイが、

 

「わかった。なら、俺もついていくよ」

 

 進言したのだが。

 

「ううん、ひとりで行かせて」

 

 と、短く断られてしまった。

 そうしてフレイは、キラの部屋へと向かった。

 

「……キラ?」

 

 フレイがキラの部屋の前まで辿り着くと、フレイも気を利かせるようにドアは開けず、その場で、声だけを発した。

 部屋の中で、キラは────どうやら、眠っているわけではないらしい。

 眠るに眠れなかったのだろうが、ややあって、ドア越しに声が返って来た。

 

『……フレイ?』

 

 ドア越しに、その前に立つ人物を誰何する、キラの声。

 その声は、ひどく枯れたように掠れて──もしかしたら、この部屋でひとり、苦痛と後悔に涙していたのかもしれない。

 ──それだけキラにとって、あの女の子が、大切だったってこと……?

 フレイが複雑な心境を抱きながら、声を続けた。

 たった一言、フレイが声を発しただけで。

 

「私って、分かってくれたの? …………嬉しい」

『え、いや………』

 

 しかしまた、ドア越しに放った声でも、キラはすぐに声の主が自分(フレイ)だと理解してくれたことに、わずかな感動を憶えた。

 フレイ自身は気付いていなかったようだが、キラがまだ〝ヘリオポリス〟の工業カレッジの学生で居た頃、彼女は、キラの憧れの少女だった。それは今でもそうかは分からないが、当時のキラは、フレイにろくに口も効けないことにしどろもどろとしていたし、間違いなく、異性を対しての好意の視線を向けていた。

 フレイの声が遠方で響けば、キラの心蔵は高鳴り、身体もおのずとそちらを向いた。それだけキラにとって、フレイの声は、強く頭に残っているのだ。

 対するフレイは、キラのことなど、ここ数日の一件を経て、認めるようになっただけで、その対応に驚いた。

 

『……嬉しい(、、、)?』

 

 呆気に駆られたキラの声が──ドア越しに響いた。

 フレイはその言葉には返答せず、言葉を続けた。

 

「キラ。身構えないで聴いて欲しいの。わたし、あなたに謝りたくて来たの。……さっきは、ひどいこと云っちゃったし、その、ごめんなさい」

 

 中からの返答が、途絶えた。

 

「あなたは必死で戦ってくれたのに、あの時はあたし、それを、わかってあげられなくて……」

 

 それでもフレイは、懸命に言葉を訴えかけた。

 

「ステラって子の話も、サイに聞いたわ。キラはそれで責任を感じてるって。……私も、あの子にはちゃんと謝れてなくて……」

『フレイ……』

「そのことも全部含めて、反省してるの」

 

 ──反省、だなんて。

 キラは、そんなことないとばかりに首を振った。

 キラがフレイの父を守れず、優先してステラを助けに上がってしまったのは、哀しいことに、キラも認める事実なのだ。

 フレイだって、今は辛いはずなのに……。

 そんな立場に置かれて、人を思いやることなんて、難しいはずなのに……。

 

「あなたに会って、ちゃんと謝らせて欲しいの。……あなたさえ良かったら、このドアを、開けて欲しいなって……」

 

 フレイはこう云ったが、特別、居住区に構えられたキラの部屋には、旋鍵機能などついていない。艦内では滅多なことでは鍵など付ける必要もないため、という理由の構造ではあるが、それでも、捕虜を閉じ込めておくために必要な部屋等、数か所には鍵があるようだ。

 フレイから飛び込むように部屋に入り込むのでは、キラに悪いと思ったのだろう。

 キラがみずからドアを開けるまで、フレイは、ドアの前からの距離を置いた。

 ややあって────ドアが開いた。

 フレイは、その場から動いていない。キラが立ち上がり、ドアを開けたのだ。──まるでフレイの気持ちに、応えるかのように。

 ドアが開き、そこに立つ、キラの姿が目に映る。フレイは目に涙を溜め────

 

「キラ────っ!」

 

 駆け出すと、キラの胸に、大きく飛び込んだ。

キラが驚いたように目を見開くが、突然、恋焦がれるほどの思いを寄せていた、憧れの少女に抱き着かれ、その勢いを、受け止めるように彼女の身体を支える。

 そして同時に────錯覚に陥った。

 キラ、と名を呼んだその「声」が────あまりにも、ステラの放つ「それ」に似ていたから…………。

 

(ステ、ラ…………!?)

 

 どうして。

 その瞬間から、キラの頭に幻覚が見え────幻聴が聞こえ出す。

 

「ごめんなさい。私、どうしてもキラに謝りたくて……!」

 

 ──違う。

 

 キラが逡巡する。

 ──謝るのは…………僕の方だ。

 少女の身体を抱き留める掌に、自然と力が籠った。

 ステラ。──〝ディフェンド〟に乗っていた。

 ──僕は君を、助け出してやれなかった……!

 必死で助けを求めた彼女を、自分は救い出してやれなかった!

キラがその時、腕に抱いた少女の身体は、儚いほどに小さくて、柔らかくて。

 触れて来たぬくもりは、以前、少女を抱いた時のそれと、まるで近しくて。

 放たれた声は────ステラの声と、あまりにも似ていた。

 激しい後悔に苛まれるキラが、茫然と、その腕に抱き留めた少女を見下ろす。

 目の前に、映ったのは。

 蜂蜜に金粉を振りまいたように耀く金色────ではなく(・・・・)、花が燃えるように輝く紅色────。

 

 ──違う。

 

 ステラじゃ、ない。

 キラが「視」ていたのは、ただの幻だったのだから────。

 

「フレ、イ……」

 

 ──そうだよな……ステラがここに、いるはずがないもんな……。

 震えた息を吐き、キラの顔が沈んだ。

 

「……僕、は」

 

 震えた声を出すキラの顔を、胸元から、フレイが涙を溜めた上目で見上げた。

 

「僕は、誰も守れなかった……」

 

 そのことを、キラはひとり、この部屋でずっと悩み、抱え込んでいた。

 ──力がなかった。

 何かを守るだけの力。敵を黙らせるだけの、それだけの力が────。

 フレイのお父さんも、ステラのことも守れずに、無情にも訪れた現在(いま)、この時──。

 キラは怖いのだろう。

 そんな力不足が重なれば……きっと、いつかはこの(ふね)だって守れないと、そう考えるのが。

 いつかは、友達も、フレイも、全員を、そして、自分さえもを守れない気がして……。

 

「そんなことないわ……。あなたは一生懸命に戦ってくれている、それを責められる人なんて、誰もいないのよ……」

「でも、僕は……」

 

 キラはこの時、自然と心音をフレイに吐露していた。

 これまでの〝ヘリオポリス〟の生活の中で、フレイ・アルスターは決して、キラと卑近な距離にいた存在ではなかった。それなのに、そんな彼女にキラは今、不思議と弱音を吐けていた。

 抱いた想いは、かつてまで、完全なキラの一方的なものでしかなかった。一方通行でしかなかった想いが、今この瞬間には、繋がり合えていると思えたのだろう。

 フレイが真っ直ぐにキラを見上げ、キラもまた、彼女の存在をを素直に見据えられている。

 あるいはキラは、ステラの声とフレイのそれを重ねることで──無意識下に、救済を求めているのかもしれない。

 フレイの(こえ)から放たれる「慰め」が、あまりにも心地良くて──酔わされる。

 彼女の激励は、キラにとっての強い錯覚を誘って、まるでステラに励まされたような────壊れかけたキラの心を繋ぎ止める、大きな働きをもたらしたのだ。

 

「自信を持って。あなたなら、きっと大丈夫……」

 

 その時、第一戦闘配備を知らせる警報が、艦内に響き渡った。

 ──守らなきゃ……。

 キラの目が見開かれ、すぐに出動しようとする。

 そんな彼を、フレイは呼び止めた。

 

「フレイ?」

「あなたばかりに、こんな重荷を背負わせてごめんなさい……。私だって、戦争なんて嫌よ。早く終わらせたい……あなたに私が、代わってあげればいいのに……」

「そんな……フレイ。君には無理だよ!」

 

 こんなにも華奢で、壊れやすそうな優しい少女が、モビルスーツなんて──。

 

「フレイの言葉、すごく嬉しかった。────それでも僕は、行かなきゃ」

 

 ステラのことは、立ち直り切れていない。

 しかし、それに悔やんで出撃が遅れれば、今度のキラは、この艦すら守れない。

 だから、出撃しなくてはならないのだ。

 

「フレイの思いの分も、僕は戦うから、さ──」

「キラ……」

 

 今にも崩れそうな、キラの言葉を癒すのは────。

 

「必ず、帰って来てね」

「……! うん……!」

 

 いったい、何なのだろうか────。

 

 キラ自身にさえ────「なに」に縋っているのかが分からずに。

 

 そうして、キラは〝ストライク〟へと向かった。

 

 

 

 

 





 > 最期に薬を投与したのが、いつ頃の話になるのか、正確に割り出すことは出来なかったようだが、体内から検出された物質の量から逆算して、おおよそ数年前のことだと云う。

 という文章を綴りましたが、解説です。
 これは、転生によってステラの体内からほとんどの薬物が死滅した、という証拠を示す描写であって、ステラが実際に数年前から薬物をやめているわけではありませんので、誤解ないようにお願いします。

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