イザーク・ジュールは功名心の化身であり、つとめて上昇志向の強い少年である。アラートにて出撃待機している間、これからの始まる実戦に対して緊張することも、尻込むこともなく、むしろ、誰よりも素晴らしい戦功を勝ち取らんと意気込んでいるのが、端的に云えば彼の性格なのである。そうして戦果に飢えている少年はしかし、このときに限っては、出撃待機時に不服そうな表情を浮かべていた。
「──気に入らん」
イザークには、目の敵にしている「好敵手《ライバル》」と呼べる存在がいる。同じクルーゼ隊に属する同期にして同僚、アスラン・ザラである。野心家であると共に努力家でもあるイザークであるが、そんな彼も士官学校は次席での卒業であり、彼がアスランを目の敵にしているのは、何を隠そうアスランこそが彼を越える主席での卒業者であったからだ。
無論、アスランはそうした成績を鼻にかけたり、それでイザークに対しマウントを取ってくるような真似はしない性格なのだが、当たり前のように自分を出し抜いていくその態度は、それはそれでイザークの対抗心を煽っていた。
──ヤツにだけは、絶対に負けてたまるか!
今回イザークが不機嫌であるのは、そんなライバルが今回に限って出撃しないからだ。アスランはクルーゼと共にラクス・クラインを送り届けるため任務に就き、数刻前に前線を離脱した。そういう経緯で、愛機と共に〝ガモフ〟へと移動したイザーク、ディアッカ、ニコルの三名は、今回、再び足つきへの追撃を仕掛けることになっている。
──アスランを抜きにして任務に当たれるというのに、どうして、あのイザークが浮かない顔をしているのでしょう?
気になったニコルが不意に、どうしたんです、と訊ねていた。
「さっきの戦闘だ」
〈はあ?〉
〝バスター〟に乗り込んでいるディアッカが訊ね返す。
イザークは憮然とした面持ちで続けた。
「オレ達は三機がかりで〝ディフェンド〟を追い込むよう命令されていた。だが結局、隊長がいなければ、ヤツを取り逃していたかも分からん」
〈まあ、な〉
「だが、それはいい。結局のところ、オレ達は足つきのモビルアーマーと〝ストライク〟を見逃してるんだぞ」
泣く子も黙る、冷徹にして変幻自在、それでいて、容赦も完膚もない作戦を遂行することで定評あるラウ・ル・クルーゼにしては、あれは些か
クルーゼと云えば、戦場で敵と出逢えば、軍人として最高の作戦の下にすべてを撃沈する、残忍さと冷酷さを伏せ持った人物──しかし先の作戦で、彼は〝ストライク〟と〝メビウス・ゼロ〟──そして、その延長戦にある〝足つき〟の追撃を、初めから諦めていた。隊の戦力を〝ディフェンド〟一機に集中させ、その他〝ストライク〟などは云ってしまえば「どーでもいい」と云わんばかりに無視し、〝ディフェンド〟を鹵獲するためのより確実な手段を用いたのだ。
「──それだけ〝ディフェンド〟を警戒していたってことなのだろうが、いったい、何をそこまで必死になる必要があった?」
あの時、イザーク達は
その後、すぐに〝ディフェンド〟への追撃。鹵獲を目的に機体を翻すよう指示を飛ばした。
「その結果が、これだぞ」
イザークが云う。今にも〝足つき〟が、月本部からの艦隊と合流しようとしているのだ。
──あのとき、沈めておけば。
イザークの不満の理由は、そこにあるようだ。
「鹵獲など考えず、全戦力で足つきを墜としに向かっていれば、こんなことには」
ここで艦隊との合流を許そうものなら、こんなにも、滑稽な話があるだろうか?
たった一機のために、みすみすと一隻を見逃した。今回の戦闘は、そのツケが廻って来たと捉えるべきだ。少数精鋭で名高きクルーゼ隊が、たったひとつの任務のために、これだけ手こずらされている。運もまた実力の内、という言葉が正解にして正論なのであれば、敵艦は
「足つきが月艦隊と合流すれば、この先、どれだけの猛威を奮うかも分からん」
〝ストライク〟もまた、この数日間の間に、確実に成長している。
あの艦と機体を取り逃がせば、その事実は将来的に、ザフト軍に確実な不利益を招く。それでもクルーゼは、一隻よりも、一機を優先した。
──鹵獲した〝ディフェンド〟には、本当に、それだけの価値があったのか?
いや、クルーゼにとって重要だったのは機体ではなく、パイロットの方か。
銀色の仮面の下に一切の感情を殺して隠し、その先にあくまでも事務的で、冷静で、どこか残酷な思考を張り巡らせたような指揮官だ。今回の件も、何か思惑あっての作戦であったことは間違いはないではないのだろうが……
(足つきを撃墜するよりも
どちらにせよ、あの少女の存在は──滅多なことには興味を示さぬ隊長が目をつけるほどに──大きなものとなってゆくのだろう。
生き別れたその少女と再会したアスランが、今、何を思っているのか。
それは、イザークの想像の及ぶところではなかったが。
アスランやクルーゼ、ラクス、そして、ステラを乗せた〝ヴェサリウス〟は転進し、この後、〝プラント〟へと帰国するラコーニ隊と合流する予定になっていた。遭難していたラクス・クラインと、地球連合軍の捕虜として捉えた〝ディフェンド〟のパイロットをラコーニ隊へと引き渡し、彼らに本国へと送り届けさせるためだ。
もうじき、合流予定のポイントまで到着する。廊下を歩いているアスランは、そのときふいに傍らから現れたクルーゼに声を掛けられた。
「アスラン、きみも一度、共に〝プラント〟へと戻りたまえ」
突拍子もなく掛けられた言葉に、アスランは驚く。それはつまり、隊を離れてラコーニ隊に同行しろ、という命令か。なんにせよ、前線に身を置く一端の兵士であるアスランに、前線から退けと云っているのだ。
あまりに端的で、突然の指示に、アスランも目を丸くした。
「隊長、それはっ」
「思わぬことばかりで、色々と混乱しているとは思うがね。だが、状況が状況だ──きみは一度頭を冷やすという意味でも、改めて御父上に会って来た方がいい。閣下には、わたしから既に
クルーゼの云う「話」とは、他ならぬステラのことだろう。
しかし、アスランの表情は曇ったままだ。
「心配はないよ、アスラン。きみは任務の一環としてラクス嬢と彼女を本国に送り届けることになっている。そうでなくても、世間的に見た今のきみは『地球軍から命を賭けて
誇らしげにクルーゼが続け、
「──歌姫を独り占めできる君の立場を僻んでいる彼女のファン以外には……な」
「隊長……!? そんな!」
いったい、どこまで本気で、どこまで冗談なのかと、アスランはたじろぐ。
同時に反論しようとしたが、クルーゼはその隙すら与えず、
「
口元に笑みを浮かべ、云った。
──ステラのことは、既に隊長を通して、父上に知れ渡っている……?
もしもそれが事実なら、アスランには父の反応が気にかかる。ステラについて、どこまで詳しい情報が伝わっているのかは分からないが、パトリックとアスラン。父と息子の間柄として、妹のことで話す機会を設けるべきであるという指示には、納得できる一理がある。
しかし、
「同僚達が出向く戦場に、背を向けろと?」
そしてそれは、アスランの幼馴染が戦う戦場でもある。
そうして自分が戦線から抜けている間に〝ストライク〟が……
──キラが、やられてしまうかもしれないのに……?
キラには、生き残って欲しい。
だからと云って、地球軍に勝って欲しいわけではない。
だからと云って、イザーク達に敗北して欲しいわけでもない。
しかし、自分が今ここで戦場から抜け出せば〝ストライク〟は、どうなってしまうだろう?
──容赦のない攻撃の、標的となるだけだ。
まだ、キラとは和解の余地がある。
キラのことは、まだ救い出せる。
──そう、信じていたいのに……。
そんなアスランの逡巡を見破るかのように、クルーゼが付け足す。
「〝ストライク〟もまた狙えるのであれば、〝ディフェンド〟と、同様の処置を施したいとは考えてはいるよ」
そう云えば、アスランは既に、クルーゼに〝ストライク〟に乗るパイロットの正体を明かしている。
アスランがハッとして、その言葉に耳を傾ける。
クルーゼは遠くを見据えながら、
「善処しよう」
今のアスランには、クルーゼが言い残したその言葉を、信用することしか出来なかった。
「もうじき合流だ。移動の準備に取り掛かりたまえ」
やがて何事もなかったかのようにクルーゼはアスランから視線を外すと、ひとり歩を進め、アスランに背中を向けてしまった。
その場に取り残されたアスランが、小さく息を吐く。
「──アスラン」
クルーゼが立ち去った後、ふと、背後から声を掛けられた。
聞き覚えのある声だった。
振り返ると、そこには、ラクス・クラインの姿が映った。
「ラクス……!?」
ラクスは胸に手を当て、アスランを上目で見遣っている。
──彼女の部屋には、軍艦を出歩かぬよう、施錠していたはずだが?
よく見れば、ラクスの傍らで、見覚えのある桃色の球体が、ぴょんぴょんと飛び跳ねている。
──ああ、そういうことか。
我ながら、なんてロボットを造ってしまったのだとアスランはほんの一瞬、自分を糾弾した。
ラクスは桃色の花のような面持ちに、いつも柔らかな笑顔を振り撒く、国民的歌姫として見映える彼女。──らしからぬ、深い憂いの色を浮かべていた。
「アスラン、御存知でしたの? ステラさんのこと」
「……いえ、わたしも、つい先日知ったことで……」
アスランが、ステラの生存を知ったのは最近のことで、〝ヘリオポリス〟に侵入したことで──「彼女」に出会った。
その言葉に、ラクスが、かける言葉に詰まった。──それだけ彼女にとっても、現状を把握することは難しいことなのだろう。
そんな彼女の混乱を、ひとつひとつ、丁寧に解きほぐしてゆくように、アスランが言葉を、説明を続ける。
「あなたも、既に理解していらっしゃると思いますが……ステラは〝
「やはり、そうなのですね……」
ラクス自身も、素人目にはどれが何のための機材・装置なのかも分からない
〝アークエンジェル〟で身柄を軟禁されていた時、地球軍の軍服を着用していたステラに、ラクスとて、違和感を憶えなかったわけではなかった。しかし、ステラと共に居たキラ・ヤマトの話では、回収された〝ヘリオポリス〟の学生たちは、野戦任官で、是非もなくそれを着ていたのだと述べていた。だからステラも〝ヘリオポリス〟の悲劇に巻き込まれた
しかしその認識はどうやら、間違っていたようだ。
「……詳しい話は、時間がある時にでも。お迎えが上がったようです」
彼らの乗る〝ヴェサリウス〟はこの後、ラコーニ隊と合流した。
アスランはラクス、そして拘束されたステラと共に〝ヴェサリウス〟を後に────彼女達と共に〝プラント〟のひとつ〝アプリリウス・ワン〟への帰路に就いた。
放たれた砲火。飛び交う火線。
交錯するモビルスーツ。
宙域で、戦闘が繰り広げられている────。
〝デュエル〟〝バスター〟〝ブリッツ〟の三機が、〝アークエンジェル〟に攻撃を仕掛けたのだ。
出撃した〝ゼロ〟と〝ストライク〟が、懸命に応戦している。
月艦隊と〝アークエンジェル〟が合流するまでの猶予は、おおよそ一〇分前後と云ったところだ。そうなると、必然的にザフト軍が〝アークエンジェル〟攻め込むことができるのは、その一〇分間だけに限られる。
作戦の遂行時間に当てはめてみれば、あまりにもそれは、短すぎる時間に思われる。
──しかし、それでも。
そう考えるのが通常なのであれば、それこそ、不意打ちの絶好の機会となる。
本艦隊と合流できると信じ込み、足つきは、勝手に安堵していたはずだ。それはつまり、警戒の糸が緩んでいるということ……
「安心と油断は、紙一重だ!」
ディアッカが、せせら笑う。
どれだけの苦戦を免れて来ても、どんな悪運を味方につけていても。
──最後の最後で油断すれば、その瞬間こそが、最大の狙い目になる!
──緊張の色が緩み切った瞬間は、どんな敵も、脆い!
〝デュエル〟を駆るイザークが〝アークエンジェル〟に急迫し、弾幕を一気に掻い潜ると、白亜の船体に取りついた。
ビームを連射し、甲板を損傷させてゆく。
危機を察知したミリアリアが、遠方で〝ブリッツ〟と交戦する〝ストライク〟へと指示を飛ばした。
「キラ、お願い戻って!
遠方で〝ゼロ〟は〝バスター〟と交戦し、〝ストライク〟は〝ブリッツ〟と交戦していた。
先の戦闘までは、〝アークエンジェル〟と、この編成で、機動兵器の頭数は同じだった。
しかし、今の〝デュエル〟を抑え込める僚機は──もういない。
完全に、
「ステラはもう、いない……!」
ミリアリアからの通信を受けたキラは、まるで自分に言い聞かせながら、〝アークエンジェル〟を流し目で確認する。──船体に取りついた〝デュエル〟が、艦を襲っている。
強い焦りが、キラの頭に流れ込む。
〝ブリッツ〟から繰り出されるビームランサーを回避すると、バーニアを吹かし、〝ストライク〟は一気に転進した。そのまま一気に〝アークエンジェル〟へと帰投しようとする。
「ステラはもう、いないんだ……!」
──自分のせいで。
彼女はもう、ここにはいない。
ステラを救えなかった。
自分に力がなかったから、彼女を助け出してやれなかった。
──だから今〝デュエル〟を、自由にさせている。
だから〝アークエンジェル〟が、襲われている。
あの艦には、友達が……フレイが乗っているのに。
──僕が彼女達を、危険な目に遭わせている……?
「ぜんぶ、僕のせいだ! 畜生ぉっ!」
呪うように叫び、〝ストライク〟は至急、〝アークエンジェル〟へと向かおうとした。
しかし当然のこと、背後からこれを追う〝ブリッツ〟が、その進路を阻んだ。
戦闘宙域にビームが散りばめられ、〝ストライク〟の動きを牽制する。
速度を落とした〝ストライク〟へ、すかさず〝ブリッツ〟がビームランサーを振りかざす。
一瞬で振り抜かれた斬撃を、機体を屈めて回避したキラは、抜き打ちにサーベルを引き抜くことで応戦したが、シールドによって受け止められてしまった。
──
敵機を倒す、決定打になるものが……!
元々、互いは出自が同じ機体だ。〝ストライク〟の
「僕が守るしかないんだ……! 僕が……」
キラの命は、ヘリオポリス〟の段階で、ステラに守ってもらわなければ、とうに散っていた
──だから今度は、僕が彼女を守らなきゃいけなかった……!
──でも彼女は、もう僕の傍らには、〝アークエンジェル〟には、乗っていない……!
後悔に苛まれ、キラがそう思った瞬間、
『──必ず、帰って来てね』
ひとつの
キラがハッとして、顔を上げる。
──そうだ。
僕は、帰らなきゃいけない。
艦を、守らねば。
──もう、誰にも邪魔はさせない…………!
その瞬間。
キラの頭の中で────何かが
幼さを残した双眸が、輝きを失う。
虚ろな色が、瞳を覆う。
頭が途端に、冴え渡った。
身体の奥底から、沸き上がるような強い怒りが込み上げる。
まるで沸騰するかのように、全身をめぐる血が
「おまえ達から……! 僕が
もう二度と、同じ過ちは繰り返さない。
もう二度と、後悔はしたくない。
キラはスロットルに手を掛け、一気にスラスターを噴射した。
競り合っていたはずの二機の形勢が、一気に〝ストライク〟の側に突き崩されて行く。
「性能が同じっていうんなら、頼れるのはパイロットの手並みだろッ……!」
──自信を持って。
頭の中に、さらなる
──あなたなら、大丈夫。
まるで、残響のように。
頭に再生される
自分に────自信を持てと。
自己暗示する。
──僕には、できる……!
次の瞬間、衝突し合う〝ブリッツ〟の頭部に、〝ストライク〟が強烈な
不意を突いた衝撃に〝ブリッツ〟のメインカメラが強かに揺れ、機体全体が大きく怯んだ。次にニコルの知覚を大きく上回る速度で、〝ストライク〟は〝ブリッツ〟を蹴り上げる。
蹴飛ばされ、大きく弾かれた漆黒の機体を尻目に、〝ストライク〟は即座に、その場から離脱した。
──速い……!?
牽制出来ていたはずの〝ストライク〟から、途端に引き剥がされたニコルが、愕然とした。
──
元々より持っていた性能を発揮している──それだけだ。
それなのに、敵機の動きは、いつものそれよりも数倍として速く見える……いや、現実に速いのだ。
まるで宙域を駆ける、流星のように見て取れる。
過敏なまでの動作のキレ。一片もの隙の無さが、〝ストライク〟の加速力を数倍以上に、増幅させているかのように。
突如としてコクピットに響いた、背後からの警報音に、イザークはぎょっと目をむいた。──〝ストライク〟が目の前まで迫って来ていたのだ。
「コイツ、いつの間にッ!?」
イザークは咄嗟に、ビームライフルを構えた。
──当たるものか!
〝デュエル〟が構えた銃口の角度から、その時のキラは咄嗟に、そこから放たれるビームの軌道を完全に読み切った。
構えられた銃口が、火を噴いた。
〝ストライク〟は首だけを曲げ、必要最低限の動作だけで、一重にこれを回避する。
──この至近距離で!?
イザークが、驚きに目を見開く。
射撃は見事に回避され、痺れを切らしたように叫ぶ。
「なんなんだ、おまえ等はぁ!?」
咄嗟にビームサーベルを引き抜かんとする。
しかし鬼気迫る〝ストライク〟には、その動作さえ許されず。
大きく蹴り飛ばされた〝デュエル〟は、〝アークエンジェル〟から大きく引き剥がされた。
『──ここまでか!』
ディアッカからの通信が響く。
月本部からの地球軍艦隊の熱源が、レーダーに反応している。
あと数秒で、艦隊の射程距離に入るような距離にあるようだ。
──艦隊の、集中砲火を浴びる前に。
ディアッカは賢明だった。
「ちィッ!」
吹き飛ばされたイザークが、舌を打つ。
──いったい、どういうことだ……。
──また、作戦は失敗に終わるのか?
〝ディフェンド〟を失って、地球軍の連中は今、動揺しているはずだった。
合流前の安心し切った最大の隙を突かれることで、抵抗という抵抗もできないまま、この戦闘は、いつかのようにザフト軍の一方的な形勢で終わるはずだった。
クルーゼ隊の力を見せつけられ、敵の精神はすっかり、竦んでいるはずだった。
しかし、現実は違った。敵は獅子奮迅の活躍を見せた。
「なぜだ……! 〝ディフェンド〟を失ってなお、今なぜ、平然としていられる!?」
〝ディフェンド〟が抜けることで出来上がった空白感は、足つきにとって、戦力面でも、クルー達への精神面でも、非常に大きな悪影響を及ばせたはずだ。
その
心細さに、無意識に気圧されていてもおかしくはないような戦況下で、それでも〝ストライク〟は、これまでに見せたこともない運動性と反応速度を発揮した。
──そこまでの気力が、どこにあったのか。
あるいは、何から生み出されたのか。
なにか、執念にも似たものを────〝ストライク〟は醸し出していた。
〝ディフェンド〟は、とうに彼らの手の、届かぬ場所まで消えているのに。
〝ストライク〟は、〝ディフェンド〟を守れなかったというのに。
まるで────「
現実を頑なに受け入れようとしない「拒絶」の意志が──〝ストライク〟を突き動かしているのような──。
「くそッ!」
そうしてやむなく、イザーク達は撤退していった。
〝バスター〟が飛び去り、〝ゼロ〟を駆っていたムウは、唖然として状況を確認していた。
すぐに〝ストライク〟へと通信を試み、キラの様子を確認する。
『大丈夫か、坊主! えらい活躍してくれたな!』
賛辞を贈るムウではあったが、心の中では懐疑していた。
──あの嬢ちゃんを失った後で、すっかり精神をすり減らしていると思ってた!
それでも〝ストライク〟は、鬼気迫る雰囲気を醸し出していた。
──ただ、俺の杞憂だったのか……?
ムウが深慮していると、キラの様子が、モニターに映し出された。
その瞳は虚ろで、輝きを失っている。
『……おい、大丈夫か?』
再度として応答を求めると、キラは我に返ったように、顔を上げた。
双眸には、光が戻っている。
「あ、はい……なんとか、守り切れました……」
どうやって守り切ったのかまでは、キラ自身にすら、分からなかった。
戦闘の様子を、すっかり憶えていなかったのである。まるで、何かに憑りつかれたようで……。
そうしてキラ達は、〝アークエンジェル〟へと帰投して行った。
〝アプリリウス・ワン〟──
それは、〝プラント〟最高評議会の首座が開かれる場所の名称である。
首座が開かれる都市、というだけあって、現在そこには〝プラント〟最高評議会議長であるシーゲル・クラインや、同じく〝プラント〟国防委員長であるパトリック・ザラが、会議のために滞在していた。
警備の厳重な会議場は、夜通しで会議が長引くことも考慮され、議員達が宿泊できるよう高級な待遇の個室さえ構えられている。また、彼らが体調を崩した時のために、医療室も常設されている。前線からパトリックへ事態の詳細報告のために出戻ったアスラン・ザラや、解放から第一にシーゲルとの面会を希望しているラクス・クライン。──そして、
エレカに乗り、アスランとラクスは共に、施設の入口に降り立つ。
そこでは、愛嬢の生還を心より心配していたシーゲル・クラインが待ち構えていた。彼は降り立ったラクスの姿を認めると同時に、一目散に駆け出すと、その華奢な身体を強く抱き締めた。
暫時の抱擁を交わした後、シーゲルは改めて、ラクスの隣に立つアスランに顔を向けた。
「恩に着るよ、アスラン。よく、娘を連れて帰って来てくれた」
「……いえ」
アスランは掛けられた言葉に、謙遜した、というよりかは、確実にどこか躊躇した面持ちで応答する。
──実際に助けたのは、僕ではありません。
その時のアスランが浮かべた表情には、きっと、そう書いてあったのだろう。
アスランの表情を伺ったシーゲルは、次に渋った表情を浮かべ、低い声調で先を続けた。
「……すまない。気の利かぬことを云ってしまった」
「い、いえ……」
「私も、例の話は耳にしたよ。色々と込み入った事情もあるようだが……まずはアスラン。君やパトリックを、私達としては祝福すべきかな」
シーゲルが、ラクスと目を合わせる。
その言葉を受け、アスランが軽く頭を下げ、ふたりに会釈した。
「──!」
その時、一台のトラックが、アスラン達の横を通り過ぎた。
彼らが目で追ったそのトラックは、施設へと入り、貨物用の搬入口へと進入して行く。──大きな荷物を、丸ごと搬出しているようだ。
その車両を見届けながら、しばし沈黙し、やがてシーゲルが口を開く。
「……
「……ええ」
シーゲルの問いかけに、アスランが小さく頷いた。
捕虜としてのステラは、抵抗されることを警戒して、いまだに医療用ベッドの上に拘束されていた。真っ当な精神状態を保てないと判断された
過ぎ去ったトラックから視線を外し、シーゲルはアスランに視線を戻した。
「悪いが、パトリックは急用で席を外していてね。じきに戻って来ると思うのだが」
そして、気を取り直したように云った。
「立ち話も何だ。上がっていってくれ」
「……はい」
云われたアスランはそのまま、ラクスと共にシーゲルのため、いや、評議会議長のために用意された部屋まで案内された。
そこは、立派な書斎となっており、アスランもラクスも、初めて足を踏み入れる空間だった。決してシーゲルの私有地ではないにしろ、彼が評議会議長として就任している間は、ほとんど彼の私室に近しい空間となっているようだ。大物の政治家や、公的に許可された事情でも持ち合わせてなければ、余人では立ち入ることさえ出来ない部屋であろう。
「──よもや彼女が生きていたなんて、僥倖だ。私には、まだ現実が信じられない……。この目で、確かめて来てもいいかな」
シーゲルはそう云って、搬入されたステラの姿を確認しに、部屋から出て行こうとする。
アスランも即座に、同行しようと立ち上がったのだが、「疲れているだろう」と云われ、その場で制されてしまった。
シーゲルが書斎から立ち去り、部屋に残されたアスランの許へ、ミントティーを入れたラクスがやって来た。清々しい香りが鼻先を抜け、アスランが匂いに誘われ、ハッと我に返る。
華奢な手に差し出されたカップを、恐縮しながら受け取った。
「あっ、申し訳ありません、ラクス」
「いいえ。お父様の仰る通り、アスランもきっと、お疲れのことでしょう」
体力的にも精神的にも、相当なものが溜まっているはずだ。──ラクスはそう思い、アスランの身を按じた。
アスランは鷹揚とミントティーに口をつけ、ゆっくりと口に含んでゆく。
しばし、ふたりの間に沈黙が流れ、独白のように、アスランが呟きを漏らした。
「現実が信じられない、か」
「えっ?」
「いえ。まったく、クライン議長の仰る通りだな、と思いまして……」
逡巡するアスランにとって──数年前まで、この世界は平穏だった。
それはたとえ、地球と〝プラント〟──ナチュラルとコーディネイターが、実は水面下では睨み合っているような「仮初の平和」と揶揄される状態であったとしても。
少なくとも──アスラン達が見ていた世界は、平和だった。
「どうして、こんなことになってしまったのだろう、って……」
兄妹で健全に育ち、父は忙しくとも、母と共に、家族で平穏に暮らしていた。
その過程でラクスと出会い、ザラ家はクライン家と、家族ぐるみで親睦を深めていた。
しかし────数年後の現在。
世界は激しい戦争の渦中にあり、無邪気だったステラは、文字通りに
『──赤いの。おまえもザフトか!』
そう云われ、刃のような視線で睨まれた記憶が、アスランの脳裏に蘇る。
鋭い眼光の奥底に────敵意を超えた、殺意さえ覗かれた。
あの時のステラは短刀を構え、確実に、アスランを殺しに襲い掛かって来ていた。
家族なのに。
──なぜ。どうして?
こんなことになったのか。
アスランの頭では、その言葉ばかりが駆け巡った。
それは、血のバレンタインが起き、アスランが
世の中は、かつてないほどの衝撃と混乱に飲み込まれていた。〝ユニウスセブン〟で暮らしていた二十四万人もの人々が一瞬で消し飛んだ直後だ。核攻撃を免れた他の〝プラント〟内は慌ただしく、アスランとラクスの身辺もまた、落ち着いたとは言い難い頃、ふたりはそれでも、会う約束を取り付けた。
『──ザフトに?』
クライン邸を訪れたアスランが、真摯な眼差しで、軍に志願したことを告げた。それを聴いたラクスが、唖然として
──考え直して欲しい。
そんな言葉が、ラクスの頭に浮かばないわけではではなかった。しかし、たとえ思いついても、実際にそれを口にすることはあり得なかった。アスランとふたりで未来を添い遂げる婚約者として、彼と彼の家族と親睦を深めて来たラクスの本心は、やはり、アスラン自身が軍に志願することを望みはしなかった。そこには、アスランの恋人としての、いじらしく健気な愛想も含まれていたことだろう。
だが、それでもラクスは、アスランがそうした選択と決断を行うことを、まるで予期していなかったわけではなかった。
『戦争がしたいわけじゃない……。母上やステラが殺され、それに復讐したいだなんて、浅はかな考えで云っているわけでもないのです。実際のところ何が正しくて、何がしたいことなのかさえ、今の僕には、まだ判っていないのかも知れない……』
崩れそうな少女を前に、アスランは決意を鈍らせることもなく、真摯に続けていく。
『でも、ぼくは〝プラント〟を守る力が欲しい。こんなことになるまで、ぼくは何もして来なかった。何もしようとしなかった』
だから、軍に志願したのだと────アスランに告げられた。
視線を落としたアスランは、自嘲気味に嗤う。
『愚かでした。母と妹を失って、初めて、僕は現実に気づかされたんです』
──行かないで……。
本心を云えば、ラクスはその時にその言葉を通したかったのかもしれない。
しかし、その言葉は伝えらなかった。
『もう二度と、同じ過ちは繰り返したくありません。大切な人を失う、こんなにも悲しくて、悔しい思いは』
それが、アスラン・ザラの、軍人としての動機である。
母と妹を失い、世界の情勢と現実を思い知らされたアスランは〝プラント〟を守る盾に、そして、剣になろうとした。
大切な人を、もう二度と失わないようにと──。
そして、現在。
その動機の半分を────アスランは
不謹慎なことに、ステラの墓標は、既に〝プラント〟の中に建ててあるのだ。核攻撃を受けた〝ユニウスセブン〟には、誰の遺体らしい遺体はほとんど残されていなかった。それだけ惨い殺され方をされたということだが、アスランはだからこそ、遺体も何も埋められていない場所に、母と妹の墓を建てるしかなかった。そしてそのふたりの墓標に、みずから、軍人としての決意を誓った日があった。
「ステラを見つけた時は、まるで自分の中の常識や、世界が、一斉に
視線を落としながら、ソファに腰かけたアスランは、深いため息をついた。
話を聞き止めながら、ラクスはひとつのテーブルを挟み、彼の向かいに腰を下ろす。
「アスラン……」
ラクスは、伏し目がちなアスランの表情を上目遣いで伺った。
──ひどく……
誰が見ても、アスランは失調したような顔色を浮かべていた。
前線を離れ、平穏な〝プラント〟に帰国したことで、これまで張り詰めていた緊張の糸が一気に緩んだのだろう。心労が祟ったかのように、酷く疲弊している。
ストレスのせいか、睡眠も十分ではないのだろう。その瞳からは、普段のひたむきな活気が消え失せていた。
──アスランの、悪い癖です……。
普段は気丈に振る舞い、何をしても平装を崩さないのに、オフになって糸が緩むと、途端に体調を崩すことがある。──それだけ人に弱みを見せようとしない、強情な一面を持っている。
「私で良ければ、今にでも、御膝をお貸しいたしますのよ?」
「エッ」
唐突な物言いに、アスランがぎょっと目を見開く。
アスランもここに来て、弱気になっている。
しかしそれでも、彼はなけなしの理性を振り絞って、その言葉に返答した。
「い、いえ! 結構です! 私は、大丈夫ですから……!」
「本当に?」
「────」
他人への甘え方を知らないアスランは、唇を固く結びながら、その問いかけに頷いた。
しょんぼり、と肩を落とすラクスを見て、アスランは急に彼女の膝で眠りたくなったが、それでも、彼女の膝の上で眠る自分の姿を想像すると情けなくて、言い返すことも出来なかった。
「……でも、すいません。すこし、眠ります……」
ここの所、アスランにも連戦が続いていた。幼馴染と出逢い、妹と再会する衝撃に駆られ、肉体もそうだが、精神の方も堪えて来ているようだ。
アスランはそうして、束の間、横になり、意識を失った。
起床を求められたのは──それから、どれだけの時間が経ってからだろう。
頭が覚醒した時、辺りはすっかり、夕暮れ時になっていた。夕日が室内に差し込み、景色全体が朱色がかって見映える。
蒼穹から一転して、空は一面、赤色に染まっていた。
「はっ」
慌てて、アスランはその場に飛び跳ねるように起床した。
──まさか、議長の書斎で寝てしまうなんて!
軍人でありながら、気が抜けていたらしい。ラクスとふたりきりになり、すっかり緊張が緩んでしまったらしい。
場所も弁えず、横になったその瞬間に、意識が途絶えた記憶がある。
──相当な疲労が蓄積されていたことを自覚はしていたが、まさか、クライン議長の執務室で……!
とんだ失態だ。
見上げれば、ラクスの姿が映った。──自分を起こしてくれたのだろうが、ひょっとすると、寝ている間、ずっと付き添わせてしまったのかもしれない。
見下ろせば、自分の身体に毛布がかけられている。──そしてこれは間違いなく、彼女がかけてくれたものだろう。
「す、すいません……!」
「とても心地良さそうなお寝顔でしたわ。よく眠れまして?」
「あ、あの。普段はここまで寝過ごすことなどないのですが……!」
軍人たる者として、警戒心は常に持っている自負があるんですが。と付け足す。
「まあ、では私は、アスランに警戒される対象ではないのですね?」
「えっ、いえ! ……あっ、はい。……きっと、その通りです……」
ここに来て、口説き文句のような発言をしている自分を呪った。
──ひどい台詞だ。
ラクスはふふ、と微笑み、アスランに云った。
「────パトリック様がお呼びです」
その言葉に、アスランの背が、凍りついた。
──戻られたのか……。
どうやら、自分が寝ている間に帰って来たらしい。
「アスランに、お話があるそうですわ」
「……はい」
「執務室まで」
ラクスが云い、アスランはその場に、ゆっくりと立ち上がった。
国防長官の執務室の場所を訊ねると、アスランはゆっくりと、その方向へと歩を進めた。
「父上……」
すべての事情は、おそらく、父に伝わっているのだろう。
父との再会を前に、アスランは、どうしようもない緊張感に駆られた。
キラの種割れ記念……。
原作キャラクターのカップリングについては、原作準拠のままになるかもしれませんし、ステラがいることによって、変わってくるかもしれません。ただ、あくまで恋愛小説じゃないので……何とも言えませんが。