『悲しみを教えて』──
──と。
ステラがまだネオの傍にいた頃、地球軍所属の
──その頃の
定時的に訪れる
記憶には、大切な人との思い出も。
手元には、たったひとつの貝殻さえ。
何ひとつ残らない、残すことは許されない頃の自分がいた。
──よろこびも。
──かなしみも。
不要と判断された記憶や感情を、まとめて抹消されていた自分。
ステラが強化された人間だったから、必要だった措置。
──でも、
──何かの拍子に、ふっとむかしの記憶を思い出すことがあったから。
刻まれたように心に残る記憶、印象の強い記憶。
それだけは、ひょんなことから蘇ることがあった。
例えば──シンとの思い出。
彼のことを思い出すことが出来たのは、きっと、最適化を受ける前のステラが、それだけ彼との思い出を大切にしていたから。
──自力で蘇った数少ない記憶は、ステラが、それだけその記憶を大切にしていたという〝あかし〟──。
でも。
──シンとの思い出だけが、
消え失せた過去から、誰かが呼んでいたの。
──それはシンじゃない。だれ…………?
浮かびかかった記憶の破片を、手繰るように求めた。
思い出せない、やさしい声。
懐かしくて、あたたかな声。
消されかかった記憶の海原で──何故、知らないはずの
「ステラ・ルーシェ」は強化人間として──ぬくもりを与えられたことなんて、なかったはずなのに。
『ステラはきっとやさしくて、ヒトを大切にする────そんな女の子になるのよ』
頭に浮かんだのは、黒色の髪に、翡翠色の瞳をした
──うつくしくて、やさしそうで、きれいなひと……。
母様……おかあ、さん……?
ああ、と嘆いて、思い出す。
これは、はるか昔の記憶。
消されたはずで、消え切れなかった、大切に遺された思い出の記憶。
C.E.70,2/14 ──〝ユニウスセブン〟の宇宙港。
アスランの滞在先の〝プラント〟へシャトルが出航する──直前の記憶だ。
ステラは十二歳だった。
でも、これから〝ユニウスセブン〟を出発しようという時、ステラはひどく怯えていた。
ステラはそれまで、たったひとりで宇宙へ飛び出した経験がなかった。ひとりでシャトルに乗ったことはなかったし、もっと云えば、母様の許を離れたこともなかったからだ。
──いつだって傍にいてくれたお母様。
底無しに拡がった
ひとりでシャトルに乗り、その宇宙を飛び越えなくてはならない。──そんな、不安だらけの初めてのひとり旅だった。
ひとりでちゃんと辿り着けるだろうか。
途中で事故になんて遭わないだろうか。
不安に強張る
『だいじょうぶよ、ステラ。たとえどんな場所に行ったって、きっと父様が見つけ出してくれるから』
頭に疑問符を浮かべて、なぜ父様なのかと問う。
〝コペルニクス〟でも〝ユニウスセブン〟でも、父様は、ずっと家を空けていた。
そればかりか、幼い頃から、一緒にいた記憶すらあまり残ってない。
──
父様は忙しいと云っていた。
〝プラント〟のために働いているから、仕方がない。
父様は〝プラント〟のことが大切で、家族のことなんて、考えていないのだと思ってた。
『それはちがうわ、ステラ』
母様は云った。
あなたがもし行方不明にでもなれば、父様は持てる権力を出し尽くしてでも、あなたを探し出すでしょうと。
なぜ、と問えば。
あなたたち
『知らないでしょう? あなた達の名前には──パトリックと私の、切な願いや祈りが込められているの』
わたしはその話に、興味を持った。
──ステラに付けられた……名前の意味?
そんなの、考えたこともなかったから。
旅立ちの不安を忘れたように、ステラは目を輝かせる。
母様はステラの不安がすこしでも紛れるように、余談としての、その先を続けてくれた。
『アスラン。──あなたの兄様に、暁の名を与えたのは、父様』
ナチュラルとコーディネイターが歪み合う世界に、いつしか太陽が昇る瞬間を願って。
『ステラ。──あなたに、星の名を与えたのは、
ナチュラルとコーディネイターが等しく、誰もが無数の星の様に輝ける時代を祈って。
混沌とした今に太陽が昇り、その世界で、誰もが等しく輝ける時代が来ることを待ち望んで。
父様と母様、ふたりの想いが────息子と娘に、名前として与えられたのだと教えられた。
忘れないでと、母は云う。
何も不安がることはないと。
ステラ達の存在そのものが、父様の願いであり、母様の祈りだから。
ステラ達の名前そのものが、ふたりの深い愛情の顕れなのだからと。
──知らなかった。
父様のあのしかめっ面からは、想像も付かないほどの愛情を思い知った。
『夜明けの太陽を、星辰は支えるように耀くでしょう。──だからステラはきっと、アスランを支えて生きていくの。ステラは女の子で、私の自慢の娘だもの。きっと、それが出来るわ』
ステラは首を傾げた。
『できる、のかな……。母様は、父様を支えられてる?』
『ええ、そうよ。あなたの父様は、私が居ないとすっかりダメな人だから』
『ほんとっ!?』
ええ、とレノアは答えながら、悪戯っぽく笑う。
あのしかめっ面が──だめなひと?
『あの人に訊いても駄目よ? 訊いたところで《何を馬鹿な! レノアは私が支えてるんだ!》なんて、あの仏頂面がふんぞり返って云うでしょうから』
頬に手を当て悩ましげに話すレノアは、パトリックの真似でもしているのか、科白の箇所で声を太め、仏頂面を作る。
割と冗談で云っているみたいだ。
その物真似があまりにも可笑しくて、自然と笑いがこぼれた。
笑ったことが父の耳に入れば、確実に拳骨のひとつでも貰うけど。
でも、ステラが笑えば、母様も朗らかに笑われた。
むしろ、今は笑ってあげようという気分でもあった。
『男なんて、みんな同じで鈍いんだから……。女の助けがあるから、男はしっかりやっていけるのよ』
なのに、男にはその自覚がないの。
──要するに、男はみんなバカだということだろうか?
次の瞬間、母様はずいとステラに顔を寄せ、怒ったような顔を作った。
『だからステラ、これだけは覚えてなさいね……! パトリックを支えているのは、いつだって私なのよっ』
『わ……わかった』
念に念を押す母様の背後に、激しく盛る黒い炎が映って見える。
優しい母様が、珍しく鬼に見えた。──よほど、父様に我慢していることでもあるんだろうか。
黒い炎は、すぐに消えた。
『──でも、あの人ったら筋金入りの頑固者だから、それだけ苦労も多いの。大変な人だけど、本気で支えてるつもりよ、私は』
その時、乗船を促すコールが鳴り響いた。
いけない、と声を漏らすと、母様は改めてステラの身なりを整え始めた。
『……向こうでアスランに会ったら、ひとり暮らしで、きっと寂しがってるでしょうから、いっぱい遊んであげるのよ』
あなたは
そのように輝けと云われ、ハッと気付く。
母様は「ステラ」の名に────そんな想いも込めたのかと。
兄を、しっかりと支えてあげられる妹であるように────そう望んで?
小さく微笑んで、母は云った。
『もし……もし、アスランが間違った方向に進んだら。ステラ……あなたが、それを正してあげるのよ……?』
それが、あなたの役目でもあると。
母は笑って、ステラを見送った。
そして。
それから、数分後────核ミサイルが弾けた。
〝ユニウスセブン〟は────無惨に散った。
それによって────母様は、亡くなられた。
まさか、夢にも思わなかった。
その言葉が──母様から聴いた、最後の言葉になるなんて……。
それから、いろんなことがあった。
気が付いたら、友達と云えるような仲じゃなかったけど、アウルやスティングに出逢って。
ネオが現れて、ステラ達の世話をするように……ううん、いま思えば、ネオはただ、ステラ達を監督していただけかもしれないけど。
──いろんなことって、誤魔化した言い方かもしれない。
でも、それをひとつひとつ丁寧に説き明かしていくのには、今はちょっと耐えられない。
思い出したくないくらい、ひどいことをして来たから。
どうして、これまで何も疑わなかったのかな。
──過酷な戦闘訓練で「おなかま」を何人も屠って来たことに。
──ベルリンで逃げ惑う、何の力も持つはずない人々を虐殺することに。
ああ。
疑うより前に、それが「わるいこと」だと考えたことさえ、あの頃のステラは無かったのかもしれない。
──だって、最適化があったから。
記憶は、
苦しいことは、何も覚えていなかったから。
悲しむことも、必要のないことだったから。
地球軍で戦って来たステラは、間違ってる────。
アスランは、そう云った。
──でも、なんだか、それも間違いじゃないような気がしてる……。
記憶を蓄積できるようになって。
最適化の影響を受けなくなって。
ステラの見ていた世界は、なんだか、大きく変わった。
迷うことができるようになった。
疑うこともできるようになった。
──今まで信じて疑わなかったものが、急に「へん」に見え始めた。
地球軍が、本当に「いいこと」をしているのか。
本当は「わるいこと」ばかりしているんじゃないか。
そんなことで、悩むようになった。
悩んだけど、答えはうまく出なかった。
なら、ステラはどうすればいい?
今まで信じて来たものを、いっそ憎んでみればいい?
ステラを操って来た、地球軍に敵対すればいい?
でも、それって、ザフトの味方をするってことになる。
地球軍が「わるもの」だって云うなら。
じゃあザフトは、実は「いいこと」をしてたの?
──
信じられない。
分からない。
戦争が、こんなに難しいものだなんて知らなかった。
モビルスーツに──〝デストロイ〟に乗って、ぜんぶ壊せば、ぜんぶ撃ち落とせば。
そうすれば戦争は終わるなんて、そんな言葉を、昔は信じられていたのに。
殺す方にも、殺される方にも、同じ悲しみがあるって知った。
当たり前だ。だって、ナチュラルもコーディネイターも、人間なんだもの。
殺す側はいつだって、殺される側にも回るんだ。
いつ殺されるかも分からない不安に怯えながら、相手を殺して回ってるんだ。
ならステラは、誰のために────戦えばいい?
また、闇雲に何かを
──これから、何を信じればいい?
そう思った時、ステラはふと考え付き、その場に起き上がった。
拘束具は、既に取り払われている。
〝アプリリウス・ワン〟に構えられた部屋で、ステラはそこから抜け出すこともなく、ひとり考えていたのだ。
──今はもう、地球軍に戻ろうなんて気にはなれない。
それを見越したアスランの進言とパトリックの措置によって、今は解放されている。
(そっ、か)
与えられるのを待っているだけじゃ、今はもう、だめなんだ。
与えられたままに、地球軍に従っていた頃のステラは間違っていた。
アスランの言葉に応じたわけじゃなく、自身で思う。──
──何を信じていくのかは、すべて自分に賭かってる。
何が正しくて、何が間違っているのか、答えを見つけなければいけない。
でもその答えは、きっと簡単には見つからない。
ならせめて、後悔がないように、自分が「最善」だと思うことをしよう。
「ステラは──ステラが今、信じられる〝もの〟を信じる…………」
そう考えた時、
今のステラには疑えないもの。
今のステラにも迷えないもの。
そんな──ステラの中にある、たったひとつの「屹然と確立したもの」を見つけた。
それはどんな時も、どんな事態になっても──
確固として、わたしの中に聳え立っていたものを見つけた。
──「ステラ」という、名前だ。
ステラが「ザラ」として生きていた時代も、「ルーシェ」として操られていた時代も、この名前だけは、絶対に揺れ動くことはなかった。
ひとつだけ定まっていた──今も昔も変わらない──この名前だけは、ステラは今も信じられる気がする。
「ステラ」という名と、その名に込められた願いや祈りには────信じるだけの価値がある。
いや……ちがう。
この名を与えてくれたヒトの想いには────応えなきゃいけない気がする。
ナチュラルとコーディネイターが等しく、誰もが輝ける時代が来るように。
たとえ小さな光でも、みんなが輝いていられる世界が来るように。
わたしは「ステラ」という名に込められた母の愛に、応えて生きて行くべきなんだ。
(だから
みずからの名に込められた意味。
亡き母に掲げた、祈りの形がこの名前だ。
だからステラは、この名に込められた想いを信じて生きる。
──そうだ。
──
「アスランをまもる」
それこそが、ステラが今
そして、母が望んだこと。
──アスランを守る、支えるように生きていく。
──アスランが、もしも間違った道に進んだ時、それを正してあげられるように生きていく。
それがこれから、ステラが行っていくべきこと。
──
それを正してあげるため、わたしは戻って来た。
だとすれば、母の祈りが──今になって叶ったのではないか?
あるいは、母の想いが〝デストロイ〟の爆発から──ステラを守ってくれた……?
ステラはふと、そんなことを思った。
「云わなきゃ」
この
わたしは「
──だって、お墓詣りにさえ、まだ行けてないんだ。
誰もが輝く平和な世界に貢献することが、今は亡き、母に報いる唯一の償いだと思ったから。
そうしてステラは、パトリックの執務室へ向かった。
頑固者のパトリックが、唯一、云うことを聞くようにしていた人物──それがレノアだったのではないか、と勝手に妄想しています。
パトリックにとって、レノアは車のハンドルのような存在で、ブレーキの役割も果たしていたのではない。
パトリックが向かう先を唯一、コントロール出来る人物。また、間違った進路を取った時や、スピードを出し過ぎた時、これを抑え込める唯一の女性。
旧友であるはずのシーゲル・クラインの意見さえ、パトリックは中盤から、もはや聞き入れる度量を持ち合わせていません。
パトリックが徹底的な武断思想に走ったのも、レノアを失ってからですし、仮にレノアが生きていたら、パトリックは原作ほど暴走しなかったのではないかと勝手に思ってます。
原作キャラクターのイメージが崩れる描写が、この話から出て来ます。
「~夢見る少女の転生録~」では、ステラを主人公に置くことで、彼女が悩み、成長していく物語に(作者が書きたかったので)挑戦しています。
読者の方も(びっくりするほど)増えていらしてるので、ここらで先にお断りを。
登場キャラクターの大きな成長や変化は、キャラクターの崩壊要素と紙一重です。
原作では、最後まで幼子のような人格のままで終わったステラが、この小説では、政治家の娘に生まれ変わっています。
つまり、舌足らずでも済まされていた原作と、対極にあります。
ラクスやカガリのように、ステラにも政治家の娘として、物語を通して強い信念を抱いて貰おうと思っています。
彼女もまた、ある程度の主張力を養って行くことになります。
舌足らずな、原作のイメージが、すこしだけ崩れてくかもしれません。それをあらかじめご了承ください。