~夢見る少女の転生録~   作:樹霜師走

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 ※キャラクターの崩壊要素があります。




『ニュー・ゲート』A

 

「地球軍が強いた薬によって、ステラは戦闘能力を人為的に強化されているんだ」

 

 これまでのアスランは、今までのステラにまつわる様々な「不可解」な点──モビルスーツの操縦、ザフト兵を凌ぐ卓越した戦闘力、これまで〝アークエンジェル〟に有志で組していた経緯などの奇妙な経歴──を、この一言で片づけていた節がある。

 

「能力だけを見れば、今のステラはひょっとすると、自分よりも優秀かもしれない……」

 

 だから、この疑念も、その一言で片づけられる。納得することができる。この疑念は、友軍となったステラを視て、アスランが薄々と胸に感じていたことだ。

 兄たる自分自身が、今にも、妹に抜かれようとしている事実が突きつけられた。しかし、アスランはこれまで、その事実に特別な焦りを抱いたことはなかった。

 

 ──たとえ抜かされたとしても、決して『それ』は、妹の力ではないのだから。

 

 ステラの能力は、いわば不正な手段(ドーピング)で手に入れたものだ。それは真っ当な手段で養われたアスランのそれと、天秤にかけるべきものではない。

 ──だからステラの方が優れていても、仕方がない。

 そう自分に云い聞かせることさえ怠らなければ、アスランは今の現実に納得ができていた。しかしそれは、ある意味で言い訳でしかないのかもしれない。己の劣等感に対して、合理化を図っていただけなのかもしれない。

 

 アスランは今回のことを機に、今までのそんな言い訳が、とうに通用しないことを思い知らされた。

 

 ステラは第二次ビクトリア攻防戦において、精神面でも秀でた能力を垣間見せたのである。初めて訪れたはずの地球で、アスランが重力や天候に当惑したにも関わらず、彼女の方は小慣れたように立ち振る舞っていた。敵要塞の弱点を一瞬かつ正確に見抜き、これを突破するための作戦を呈した。戦場に出てからもまた、敵火力を前に動揺した兵達を諌め、みずからも最前線に立ち、突破口を切り開いた。

 これらの功績は、薬物が云々と言い訳できたものではなく、間違いなく、ステラ本人の健常な采配によって成し得たものだった。

 

 アスランの中に、ようやく焦りが滲み出た。

 

 第二次ビクトリア攻防戦を成功に導いたのは紛れもなく、妹の活躍があってこそだった。たった一年の間に妹に抜かされ、戦場においても後塵を喫してばかりだなどと、兄妹としては認めがたい事実であろう。

 

 ──こんなものが、オレの限界なのか?

 

 あのとき力があったなら、妹を守れたはずなのに──墓標を前に誓いを立て、強くなると軍に志願した。

 そうして軍人になってから、肝心の妹に守られてばかりでは、今までやって来たこと(この一年間)は、いったい、何だったのだろう?

 このままでは、だめだ。

 

 もっと『力』を付けなければ、ステラを守っていけない。

 

 アスランは、必死になって力を求めた。

 秀でた妹を超えられるだけの、超然とした力を──。

 

 

 

 

 

 

 アスラン・ザラは、コーディネイターの中でも非常に優秀な人物である。その経歴を調べても、とりわけ士官学校(アカデミー)を総合成績一位の首席で卒業したことのは、誰に話しても恥ずかしくない経歴であるだろう。

 しかし彼の父親であるパトリックは、息子のそんな功績を甘んじて褒めたりはせず、むしろ、当然と云わんばかりに冷たくあしらった。

 アスランとしては、仮に父には褒められずとも、すこしでも自分を認めてもらえるのではないか、と期待していたのだが、それは単なる思い過ごしだった。

 

 ──いつだって、そうだ。

 

 父上はいつも、オレを認めることはない。期待こそしてくれるはずが、かと云って許容してくれるわけでもない。常々、値踏みするような眼でオレを見て、その都度「まだ(・・)足りない(・・・・)」と訴えるような顔をする。そこに浮かんでいるのは、確かな失望──父上の思い描く『理想の息子像』とやらに、オレがまだ到達してないと、そう突きつけるようかのような。

 しかし、オレだって軍人としての努力は怠っていない。父上にとって恥ずかしい息子とならないよう、必死に頑張っているつもりなのだ。

 ──だが、それでも足りない。

 何が足りないのかも、わからない。だからこそ、この数年は顔を合わせる度に失望の目で見られるのが、申し訳なくて、どこか腹立たしくて──努力の報われない、居た堪れない思いをして来た。

 それがアスランの、個人的な悩みでもあった。

 

 ──オレにはいったい、何が『足りない』っていうんだ……。

 

 同時に、同じだ(・・・)、ということに気付く。

 父が「足りない」と主張するもの──それが不足しているから、俺はまだ父に認められない。

 父が「足りない」と主張するもの──それが不足しているから、俺はまた妹を超えられない。

 その答えを見つけ出すことでしか、己は強くなれない、前に進めない。

 今のステラが持っていて、今のアスランが持ち合わせていないもの。それは、パトリックが理想の息子に求めているものでもある。

 

 ──それはいったい、なんなんだ……?

 

 アスランは必死で、答えを探した。

 

 

 

 

 

 

 基地内部へと突入したみずからの妹と、その後に続いた数名のザフト兵──彼らをまとめて連れ戻すために、アスランはその後に続いた。

 結果的にアスランは三番目に突入する形となり、地球軍兵士達は、既に二度の敵──ステラと〝ディン〟部隊──の侵入を経験していたがために、アスランが突入した頃には、とうに落ち着きを取り戻し始めていた。ステラが通り過ぎたとき、弱卒でごった返していた通路には武装兵の集団が仁王立ち、これ以上の侵入者を食い止めんと完全防備で待機しているような状態だった。それによりアスランは、

 

「基地内部にザフト兵が侵入している!」

 

 この事実を冷静に把握していた地球軍の迎撃を、一身に受けるハメになった。

 ──なんて貧乏くじだ!

 嘆きたい気持ちも山々であったが、一斉に銃を構えられた以上、不平を云っている余裕もない。

 

(ひとりで突入しておいて大人しく殺されてやるほど、オレも間の抜けたことはしない!)

 

 意気込むアスランであったが、さすがに多勢に無勢では敵の銃撃を掠め、冷や汗をかく場面が多々あった。

 正直なところ、単独で敵基地に潜入するなど、なんて無謀なことをしてしまったんだろうと今は後悔していた。我ながら冷静じゃない、軍人としては失格の選択だった。士官学校時代の教官であったレイ・ユウキがこの状況を見たら、泣くか怒るか呆れるか……。

 しかし、これだけは云える。

 

(死にやしないさ……! ミイラ取りがミイラになるようなことだけは、絶対にあってはならないんだ)

 

 そう覚悟したアスラン。

 しかし、すぐに「いや……」と思い直す。もっと他に言葉があったはずだ。

 

(──て、そもそもミイラなんて、存在しちゃだめか!)

 

 敵から放たれる無数の銃撃をかわしつつ、ひとりでボケて、ひとりでツッコむ。

 凶弾の雨を物陰からやり過ごし、一気に身を乗り出し、銃撃で応戦する。

 

「なぜ撃って来る、キミ達の負けだ!」

 

 元来、平和主義な優しい性格をしているアスランである。彼の放った銃撃は、吸い寄せられるように敵の銃を撃ち落とし、あるいは、敵の足や腿を撃ち抜いていく。できる限りの範囲で、戦闘力か移動力だけを奪っているのだ。

 ──抵抗しなければ、殺したくなどないのに!

 むろん、常に手加減していられるの余裕もなく、必要であれば即座に標的を撃ち殺すこともあり、どちらかといえば射殺してしまった敵兵の数の方が多いかもしれない。

 快進撃を進めるアスランとナチュラルの間には、やはり、圧倒的な能力差が決然と存在していた。地球軍兵士は集団で立ち向かっておいて、敵兵ひとり撃ち殺すこともできないどころか、逆にこちらが突き崩され始めたのだ。

 ──敵うはずがない……!

 圧倒的な力を前にして、兵士達も諦め始めた。

 アスランは戦意を喪失した者達を追撃してまで撃とうとは思えず──逃げ惑い始めた兵士達を尻目に、通路を駆けて行った。

 

 

 

 

 廊下を駆け抜けていると、アスランは不意に足を止め、その場に立ち止まった。唖然として、立ち位置を見失ったかのように漂い、あたりを見回した。

 そこには──多くの兵士の屍が転がっていた。

 アスランがやったモノではない。此処を通り過ぎた、別者による所業だ。死因を窺えば、その多くが刺殺されているようだ。

 頭の中に、ひとりの少女の姿が浮かんだ。

 

(──ステラ?)

 

 ──彼女が、これをやったのか?

 アスランは、目の前に拡がる光景に唖然とした。

 散らばった死屍の中には、刺殺ではなく、銃殺されているものも存在する。──ともなれば、敵を殺めるために銃を用いたのが〝ディン〟部隊のザフト兵で、一方で短刀を用いたのがステラである、という判断ができる。だが、切り付けられて殺された敵兵の数が、アスランの想像を軽く超えていた。

 視界に拡がるのは、死屍累々の──地獄絵図だ。

 目の前に残る痕跡からは、これまでにアスランが施して来たような殺人に対する迷い(やさしさ)が伺えない。何の躊躇もなく──人を斬殺した痕跡だけが残っている。

 

「──これ(・・)、か……?」

 

 アスランが息を呑み、自然と言葉を漏らす。

 背筋を悪寒がなぞり、ゾッとする──

 

「オレに、足りないものは」

 

 幸運なことに、ステラがどの道を辿ったのかが、アスランにはよく分かった。そこには赤色の軌跡が浮かび上がり、まるで道標のように、積み重なった物言わぬ肉塊が連続しているからだ。

 茫然と歩き出し、道を突き進む度、妹のして来た所業の数々を突きつけられるような気分になる──殊に、敵兵を屠ることは悪行ではない、戦争なのだからと云われればそれまでのことであって、ステラは決して間違ったことはしていない。

 ──だが、これでは、あまりにも…………。

 アスラン・ザラには、殺意たるものが、軍人として致命的に欠如していた。

 優しい性格がゆえに、相手に容赦をかけてしまうことがあり、その都度に己の首を絞めることもある。しかし、この場を通り過ぎたであろうステラはまるで殺戮のための正確なマシーンのように、冷酷に、冷徹に──殺人を殺人とさえ思っていないかのような痕跡を残して、ここを突破している。

 

 己の敵を、容赦なく殺めるだけの『覚悟』──これが今のステラにあって、アスランが持ち合わせないものだとしたら……?

 

 その覚悟を持たねば、アスランは決して、これ以上は強くなれないということになる。

 ──ひどい話だ。

 広間を進めば、すぐに管制室へと続く昇り階段を発見した。

 次の瞬間、管制室からわずかな銃声と、怒鳴りを上げる男の声が聴こえた。アスランの優れた聴覚は、それが撃墜されたはずのディオ・マーベラスの声であるとすぐに理解した。

 

(生きていたのか?)

 

 僚機の生還に安堵しながら、アスランは管制室へと続く階段を昇った。

 そしてすぐに──異変に気付いた。

 ディオ・マーベラスが銃を掲げ、ステラを狙っていたのだ。

 

(なッ)

 

 アスランが物陰に身を寄せる。そして、激しく動揺した。

 ──なぜ、コーディネイター(ステラ)コーディネイター()が敵対しているんだ……!?

 その疑念が直ぐに、アスランの中で直結した。

 ──同じだ(・・・)……。

 ディオとステラは──キラと対峙した今の己と。そして前線で戦う兵士を切り捨てた、ビクトリアの者達と同じだ。ナチュラルとナチュラル、コーディネイターとコーディネイター、たとえ同族同士であっても、意見の相違が争いの発端になることもある。結局はナチュラルもコーディネイターも、本質的には何も変わらない欲深な人間で──愚かしい者は、どこまで行っても愚かしいのだ。

 

 ならば、アスランが敵と見なすべき者は、いったい誰なのだろう?

 

 戦争に勝ち、パトリックの理想のようにナチュラルを滅ぼしたとしても、コーディネイターもナチュラルと本質的に変わらないのであれば、アスランはいったい、これから何と戦っていけばいい? 互いに人間である以上、ナチュラルがいなくなった世界で、コーディネイター同士が戦争を起こすかもしれないのに。

 今、目の前に拡がる世界のように──。

 

 ──『敵』って、誰だよ。

 

 物陰に身を寄せたアスランが茫然として、考え込んだ。 司令部の状況は、明らかにディオの方に非があるように見えた。

 ステラの功績を横取るために、ディオは彼女を殺そうとしている。──あんなやつ、ここの地球軍と何も変わらない。

 

(ステラを撃たせるわけにはいかない……)

 

 アスランは物陰から身を潜め、ひそかにディオに向けて拳銃を向けた。

 だが、銃を構えた手が、わずかに震えている。 

 本当に、この引き金を引いていいのだろうか? ナチュラルと敵対するために養った力を、どうして、コーディネイターを撃つために使わなければならない?

 キラと対峙した時と同様の、同胞を傷つけることへ対する、激しい抵抗感がアスランの中に湧き出て来る。同時に思う──地球軍でひとり戦っているキラは、常にこんな葛藤に苛まれているのかと。

 引き金を引けずに悩んでいるアスランを現実に引き戻したのは、一発の銃声と、少女の短い悲鳴だった。

 

(ステラ──!?)

 

 右肩を撃ち抜かれた少女が、地に倒れた。

 アスランは目を張って、その光景を見ていた。

 ──俺は今、何も……できなかった……。

 その瞬間、アスランの中に、激しい憤怒と後悔が宿る。

 ステラが撃たれるのを、阻止してやれなかった。

 

 ──またオレは(・・・・・)、彼女を守れない……。

 

 何を迷っていたのだろう? このままでは、彼女は殺されてしまうのに。

 血のバレンタインのように、ふたたび彼女を失ってしまうのに。軍に志願して、それでもなお、彼女を失ってしまうのか?

 ──いや、そうじゃない!

 いまのオレには、敵を斃すだけの力がある! もう昔とは違うのだ!

 

『今のオマエには、それだけの力があるのだろう!』

 

 するりと過去から、その声が浮かび上がって来る。

 そうか──父上は、オレの力を認めてくれていた。

 父上が求めているのは、武力であって──思想ではない。

 ──オレは力を奮うことで、初めて父上に認められることができる……!

 父上に認められるだけの、敵を滅ぼす力が自分にはある。

 その力を、いま使わずに、いつ使えというのだ──!?

 

あんな者(・・・・)のために(・・・・)何を迷ってやる(・・・・・・・)必要がある(・・・・・)──!?」

 

 軍人である俺に求められているのは「殺意」であって──「温情」ではない。思考など必要ない、容赦など、知らずに戦えばいい。

 ディオ・マーベラスは、ステラに害を為す敵なのだ。ステラに誓って養ったこの力を、ステラを守るために奮うだけだ。

 敵に対する殺意を抱いたその瞬間────アスランの中で、何かが弾けた。

 

(ステラを──やらせはしない…………ッ!!)

 

 途端に頭が冴え渡り、魂が思考が、霊障に当たられたように澄み渡る。急激に視界がクリアになり、今までの自分が嘘のように、身体が機敏に動いた。

 殺意こそが、オレに足りないものであるのなら。

 

 ──オレはまだ、刃を研げられる────!

 

 銃撃では、確実に息の根は止められない。咄嗟に飛び出し、無防備な男に背後から飛び掛かった。

 自分でも驚くほど身体が軽く、凄まじい跳躍を成功させる。鮮やかな一閃が空間を凪ぎ、短刀が愚か者の首元を──その愚かな欲望ごと──何の躊躇いもなく刈り取ってやる。彼はきっと、自分の死にすら気付けなかったろう。それほどまでに手際のよい、鮮やかな一閃だった。 

 ぼとん、という音が地に転がった後、手に入れた新たな能力に、アスランは快感にも似た高揚を憶えた。

 

「そうか……これか────」

 

 このときのアスランは、ひどく満足していた。

 人を殺めて、こんな心境は初めてだった。今まで鬱陶しくさえあった殺人に対する迷いや後悔を、今はまったく感じていない──人を殺めておいて、今感じているのは、たしかな興奮それひとつだ。

 

 ──オレに欠けていたもの……それは、殺意か……。

 

 敵を滅ぼすことに、戸惑いを憶えていた。

 これまでの問題が、すべて解決したような気分だ。

 だから、ナチュラル殲滅を訴える父に認められることが出来なかった。

 だから、敵を冷酷に切り付けて回った妹を越えることが出来なかった。

 

「くっ……はは……!」

 

 迷いさえ断ち切ることが出来るなら、

 ──オレはまだ、こんなにも『上』にいけるのか……!

 これだけの力を、なぜ、今まで発揮できていなかったのだろう。

 今ならステラを超えられる気がする、父にも褒めてもらえる気がする。

 妹の上を行く優秀な兄、そして父に認められる優れた息子でいられる。

 ならばこの感覚は、決して手放すわけには行かない。

 ──最高に気分が良い。

 アスランはようやくステラを──彼女を守ることが出来たのだ。

 遠き過去の日の願いが誓いが、この瞬間、残酷な形で実を結んだ。

 

 ──彼女を守るだけの『超越した感覚(SEED)』を、ようやく手に入れることが出来たんだ……!

 

 アスランの眼が、戦士の眼差しから、狂戦士の眼光へと豹変する。

 くっと嗜虐的な微笑みが、口元に浮かんでいる。

 

気が(・・)変わった(・・・・)

 

 どうして、この基地のナチュラルを生かして置いたのだろう、彼らはステラに銃を向けたのに。要塞を使い、仲間を奪い、妹を殺そうとした彼らには、施せる慈悲なんてあるはずがないのに。

 どのみち、負傷したステラを連れ出すには安全を確保しなくてはならない。そのための障害は、すべて取り払う必要がある──。

 

「滅ぼさなければ、戦争は終わらないんだろう」

 

 父の言葉が、今ならわかる。──俺達のような家族は、絶対に、平和な世界に辿り着かなければならないんだ。

 ステラは右肩を負傷していたが、さいわい、傷の具合はそう深刻ではなく、後に怯えながら、アスランに左肩を貸してもらうことで〝コンプトン〟まで帰還した。

 彼女を基地から連れ出す前に、アスランは手負いの彼女が生還できるよう、基地内の敵を掃除して回った。

 結果的にビクトリア基地の地球軍兵士は、ほとんどザフト兵ひとりの手によって──無抵抗の者も構わず──全滅した。

 

 第二次ビクトリア攻防戦は、より完全にして完璧な、ザフト軍の勝利に終わった。 

 

 

 

 

 

 

 カーテンが引かれ、すべての光を遮断するよう閉ざされた一室。

 汗の臭いがむっと立ち込める。乱れたベッドの中で、何者かが獣のようなうめき声を上げ、悶え苦しんでいた。

 

「ぐ……うぅ…………ッ!」

 

 布団にくるまった男は痙攣を起こしている。まるで老人のように強かに震える腕を伸ばし、ひとつの薬瓶に手を伸ばす。

 開けられた薬瓶の蓋。しかし次の瞬間、無数の錠剤が床に散らばった。震えた手が落としてしまったのだ。

 男は慌てて手を伸ばすが、苦痛にもんどり返って身体ごとベッドから転げ落ちた。なおも男はすがる様に錠剤をかき集め、飲水も持たずに飲み込んでしまった。

 漏れる声、そこから覗いた金髪は──ラウ・ル・クルーゼのものであった。

 ここは、彼の自宅である。低軌道会戦で〝足つき〟を地球へと逃がしてしまった彼とニコルには、しばしの休暇が与えられていたのだ。

 荒い息遣いがやむ前に、ラウの携帯電話が鳴った。

 

「──くそっ……」

 

 獣のようなうめき声を完全に抑圧し、彼は平常時そのものの冷淡な声で応じた。

 

「クルーゼです」

 

 通信先からは、渋い声で〈私だ〉という音声が届いた。

 

「これは、ザラ委員長閣下。この時間では、まだ評議会の最中では?」

〈こちらの案件は通った。まだ二、三とあるが、そう時間はかかるまい。終わったらまた、キミと細かい話をしたいが、ひとまずそれだけは伝えておこうと思ってな。──真の〝オペレーション・スピッドブレイク〟を任せることになる……キミには、な〉

 

 パトリックの声には、たしかな高揚が含まれていた。すべてが自分の思い通りに進んでいると、確信している男のそれだ。

 その声を聴き、ラウはふっと口元に笑みを浮かべる──冷笑、いや、嘲笑を。口角の片端だけが吊り上る、通信先の主を嘲るような笑み。むろん携帯電話ごしの会話では、これが相手に伝わることはない。

 

「でしたら、次は議長選ですな。──先の演説には、私も感服いたしました」

〈気の利かぬヨイショなどいらぬ。私はただ、ナチュラルの行った蛮行を世に知らしめただけだ〉

「そのお心……いえ、お覚悟に対してですな。世論を突き動かすために、みずからのご令嬢さえも利用なされるとは」

 

 そのときパトリックからの返答に、動揺したような間が空いた──そう感じたのは、ラウの思い過ごしであったろうか。

 まあいい──ラウはあえて話題を切り替えた。

 

「ステラ嬢が拉致されていたという事実に国民はひどく憤り、戦争へ向けて動き始めております──民意は、すでにザラ委員長閣下へと集まりつつあるのでしょう。クラインの後任は、まずザラ委員長閣下で決まりですな」

 

 現議長であるシーゲル・クラインをあえて呼び捨てに、秘密めかして言ってやると、パトリック「はは」とさらに上機嫌に笑った。

 

〈宣言通り、ビクトリアの制圧も完了した──ここまで来れば、もう私が失墜することはない〉

「では、御子息たちも、地上ではさぞご活躍されたのでしょうな」

〈ああ。ステラがそれだけの力を持っていた、というのには驚いたがな〉

 

 その言葉に、ラウはひそかに嗤う。

 ステラの持つ「それだけの力」とは──地球軍が意図して彼女の中に培養した力である。それによって今や地球軍が撃たれているとは、なんて愚かな構図だろうか。

 ──これだから戦争は面白い。人間の醜悪な部分が、露骨に現われる。

 ビクトリアを制圧したのが、みずからの息子達ともなれば、パトリックが上機嫌になっていても不思議はないだろう。「そのことについてだが」と、パトリックからの声が続いた。

 

〈アスランについても、キミにはひとつ、云わねばならんことがあってな〉

「何でしょう」

 

 不審に思うラウに対して、パトリックは上機嫌がちに云う。

 

〈なに、殊にキミを咎めようというわけではない。身構えずに聞いてくれ。──むしろ私は、キミに感謝しているのだ〉

 

 ──感謝?

 ラウは通話越しに、意表を突かれた顔を浮かべた。

 

〈──やはり、あれ(・・)をキミの隊に置いたのは正しかった〉

 

 ラウはそこで、ああ、と言葉の真意を汲み取った。

 

〈地上で進展があったようでな。──あの莫迦息子め、ようやく自分の置かれた立場に気付きおった〉

 

 聞けば、ビクトリア基地に侵攻するに当たり、モビルスーツ戦で凄まじい戦果を挙げたのは、ステラだったということだ。

 機動兵器での要塞の制圧が完了した時点で、基地内部への制圧へと作戦は切り替わり、こちらの際には、アスランがまるで何かに目覚めたかのように著しい戦果を挙げたのだという。

 つまり、敵兵器を制圧したのはステラだが──この直後にアスランが基地内部の敵兵を、躊躇なく殺めて、あるいは拘束して回ったのだという。

 

〈アスランの活躍もあって──ビクトリアのナチュラルどもは全滅したそうだ〉

「それはそれは、血のバレンタインの一周忌に相応しい戦果ですな。亡き母上のため、彼も頑張っているのでしょう」

 

 レノア様も、さぞお喜びのことでしょう。

 ラウはあえて、人の心を突つくような言葉をかけた。

 

〈…………。『戦争は、ナチュラルを滅ぼして勝たねば意味がない』という私の考えを、ようやく理解できるようになったのかもしれんな。これも、キミのおかげだ〉

 

 ラウは笑い、この言葉にいえ、と謙遜して答えた。

 

〈あれはたしかに優れているが、優しすぎる。軟弱な精神が、あれが本来持っている力を殺していた。──キミの許で戦争を学べば、いずれ変わってくれると信じていたが、どうやらな〉

 

 優秀な力──パトリックは、自身の息子(アスラン)に「それ」が秘められていることを知っていた。

 それも、ある意味では当然のことだ。

 第二世代コーディネイターであるアスラン・ザラを、パトリックはコーディネイト(・・・・・・・)した生みの「親」なのだから。

 

 

 

 

 アスラン・ザラの教育は、彼の父親であるパトリック・ザラがすべてを取り仕切っていた。これは、そんなパトリックの持論だが、

 

「あらかじめプログラミングされたロボットと同様に、親の望みに添って成長していくのが、子が務めるべき責務であろう」

 

 それは生まれるより以前の段階で、子が持つ様々な要素を調整できるコーディネイターらしい考え方である。そんな思想を押し付けられた経験のあるラウから云わせれば──それは典型的な愚者の、思い上がった考え方であると云わざるを得ないが。

 パトリックにとっても、子は常に、親が思い描くままに成長しなければならないものである。

 云い方によっては、しごく傲慢にも聴こえるが、優秀な遺伝子を持った子を優秀に育て上げたいと願うのは、親として、ある意味で当然の(たち)ではないだろうか?

 パトリックにとっての第二子であるステラは、優秀というよりも、茫洋とした無邪気な性格に育っている。しかし、それはレノアの教育方針を尊重した結果であり、パトリック自身、彼女が娘であることから英才教育を容赦していた節がある。しかし、一家の長男(アスラン)だけは、パトリックの社会的な立場を鑑みても、決して甘やかすわけには行かなかった。生まれながらの天才として産み落とされた息子を、パトリックはみずからの思想を受け継がせ、厳しく育てることを徹底して来た。

 

 しかしアスランは、父が望んだように成長しなかった。

 

 父の思い描いた屈強な息子像とかけ離れた、あまりに平凡な子に成長したのである。平凡にして軟弱、父が込めたアスランという名の意味や由来も知らないほどの無知──物心がつき、賢知な頭脳を持っていながら──〝プラント〟の未来のために勉学に励むどころか、「戦争など起きるはずがない」と高を括る莫迦息子になっていた。

 取り柄と云えば、母譲りの優しい性格であろうが、優しすぎて、ひっくりかえって優柔不断だった。

 まるでプログラミングのエラーに直面したような、しごく不審な気分に駆られた。コーディネイターといえど、後天的な要因が大きい人格形成までもを調整できるわけではないが、アスランは母と妹が取り上げられる(戦争が始まる)まで、まるで無知蒙昧な少年でしかなかった。父にはそれが、ひどく嘆かわしかった。

 

『自覚を持てアスラン、オマエの母と妹を殺したのは、ナチュラルなのだ! これから戦争がはじまるのだ、オマエにできることをしろ!』

 

 それは〝ユニウスセブン〟への核攻撃の直後のこと。

 

『オマエに秘められた力、持てあますことなく戦争のために奮うのだぞ……! それが殺されたふたりに報いる、唯一の方法だ!』

 

 パトリックにとって、血のバレンタインはたしかに忌まわしい──が、不出来な息子を鍛え上げる、絶好の契機でもあった。ステラの生存の可能性を告げれば、せっかくのアスランの成長が止まってしまうかもしれない。──ならば隠そう。そうすることでこの莫迦息子が逞しく、理想の息子に近づいてくれるのであれば──。

 それからパトリックの意図通りに、アスランはザフトに志願し、一年が経った。

 レイ・ユウキはパトリックの側近を務めていながら、かつては士官学校の教官として、アスランに教鞭を取っていたことがある男だ。

 

『御子息すごいじゃないですか、士官学校(アカデミー)を首席で卒業なされたそうですよ。ザフトレッドです! 褒めておやりになりました?』

 

 嬉々として語るレイに、パトリックは純粋な不審顔を返した。

 

『褒める? なぜだ、あれが優秀なのは当然のことだ』

 

 今さら、それは殊に褒めることはではなかった。

 才能があることは既に知っていたし、今までが宝の持ち腐れであっただけである。

 順当に成長していれば、アスランがその方面で抜きん出た才能を開花させるのは、当然のことであると言い返した。

 

『今まで散々コースを外れて暴走していたのが、敷かれたレールの上に戻って来ただけのことだ』

 

 定められた進路を辿る列車と同様に、アスランは父が描いた道を辿って成長すれば良いのだ。

 アスランには敵を滅ぼす「戦士」としての、素晴らしい素質がある。その資質は戦争のために使われてこそ、はじめて意味を成すものだ。だから軍人にした。

 列車が出せる最高速度を、開発者は知っている。だからこそ列車が本来持つべき性能を、最大限に発揮させてやりたいと思うのは、生みの親として当然のことだろう。

 

『御子息の性格は、軍人には向いていませんな』

 

 アスランの優しすぎる性格を、議員のひとりに揶揄されるように指摘されたことがある。

 ──たしかに、その通りだった。

 アスラン自身母親に似て、とても平和主義な性格をしていた。戦士となるには、あまりにも優し過ぎる。そんな人格が、幼少期の親友との交流を通じて、また、無邪気な妹の面倒を見ていたことで、既に完成していたらしい。

 アスランの長所は、パトリックにとって短所でしかなかった。

 

 ──親として、息子の短所は克服させてやらねばならない。

 

 アスランは他者を傷つけることを恐れている。──「敵を滅ぼさねば意味がない」という戦争の本質が、まるで分かっていない。

 その軟弱な精神を是正せんと、パトリックはアスランを、クルーゼ隊に宛がったのだ。

 冷酷で、信任も厚いラウの許で戦争を学べば、アスランもいつかは、戦争の本質がわかるようになると望みを賭けて。

 

 

 

 

 

 いったい、どのように息子を教育してくれたのか。

 上機嫌になりながら、パトリックはラウへと電話を掛けた。

 

〈今までにない報告だったが、私としても嬉しい報告でな。あれを私好みに変えてくれたキミには、感謝せねばならんな〉

「さしたる言葉も説いていませんが……ただ、地球へと見送る際に、すこしだけ説を説いたまでで」

〈それならそれでいい。あれにはまだまだ活躍してもらわねばならん。娘共々、くれぐれも頼むぞ〉

 

 パトリックは上機嫌に笑った。

 

〈我らの手に掛かれば、地球など……だな。真の〝オペレーション・スピッドブレイク〟については、おって連絡する〉

 

 通話が終わると、ラウはその場にぐったりとうなだれた。緊張の糸が緩んだ様子だ。

 しばし茫と考え込み、まだ弱った声で小さく漏らす。

 

「そうか、アスランが堕ちた(・・・)か」

 

 そろそろだったな、と思う。

 アスラン・ザラ。

 彼はラウにとって、実にいい『駒』に過ぎない。

 アスラン自身が非常に有能で、パトリック・ザラの息子であるという出自を持っている。そして、そんな父にいつしか己を認めてもらいたいという願望を持っていた。

 ──パトリック・ザラは、既に他人の意見を聞き入れる度量など持っていない……。

 生粋の頑固者だ。

 そんな父に認められるためには、アスラン自身が彼と同じ思想を抱くことでしかあり得ない。──ラウはその手伝いをしたまでだ。

 歪んでいくアスランを見ているのは愉しかった。

 壊れていくアスランを眺めているのは愉しかった。

 〝ストライク〟に乗る彼の友人と戦い、死別したと信じ切っていた妹とは、敵対する形で衝撃の再会を果たした。それでも二者とは分かり合えず、親しき者らと戦場で刃を交え、挙句には婚約者を盾に取られ、鹵獲する形で妹と和解できたと思えば、彼女は地球軍によって薬漬けにされていた事実を突きつけられる──。

 困惑、動揺、憤怒、怨嗟──負の感情に苛まれ、身も心もぼろぼろになっていく姿を堪能するのが、実に愉快だった。

 地球に降下する前にも、いたぶりの声をかけた。

 地球に降下してからも、何か、歪んだ感情を抱いたのだろう。

 それがアスランの精神を蝕み、パトリックと同じ思想を抱かせた。

 

「しょせん、親が親なら、子も子ということか」

 

 子が親に似る、という真実には、ラウ自身、気付きたくないものではあるが。

 ザラ。

 なんて利用し甲斐のある────おろかな一家であろう。

 ラウを信じ切り、思い通りに己を操っているのが誰かも知らずに、甘い夢を見続け、戦争を拡大させる父。

 そんな父に認められたいがために迷走し、妹を理解するために悩み苦しみ、敵を滅ぼさんと動き出した息子。

 地球軍に操られ、〝プラント〟を戦争に向けて煽った後、みずからも銃を取り、地球軍に反旗を翻した娘。

 

「最高の家族だな……」

 

 ただでさえ、崩れやすいあの好青年が悪意に蝕まれていく様を見届けるのは、それもまた、残り僅かな人生(・・・・・・・)の一興ともなるだろう。

 そんな姿は、ラウに再確認させてくれる──憎しみや争いこそが、人の本性であるということに。

 アスラン。

 とても気に入った『駒』だ。

 あれにはもっと、沢山働いてもらわねばならない。

 

 この醜い世界を、かき乱すために────。

 

 彼は、あの愚か者──パトリックと、まったく同じ道を歩み始めたのだろう。

 己にあだなす『敵』を殺して、屠って、滅ぼすまで『約束の地』に辿り着けないと信じている、愚か者の息子として……。

 

 ──キミは、そのスタート地点に立ったのだ。

 

 戦争の果てに、やがて必ず訪れる終焉。

 敵を滅ぼした所で、戦争は終わらない。

 ナチュラルもコーディネイターも、本質は変わらない。

 人間が存在する限り、この世界が変わることはあり得ない。

 

 そんな真相真理に気付くときが、やがて必ず────彼にもやって来る。

 

 その暁に、人類そのものに絶望すればいい。

 救いようのないこの世界で、嘆き、苦しむと良い。

 この私と、同じように…………。

 

 ラウは冷たく弱く、小さく────ひとりほくそ笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 




 原作での初のアスランの種割れは、キラに対する「憎しみ」が発端です。
 それからキラと戦い、迷い、ラクス達の言葉や説得を受けて、自分の正義を信じて種割れを起こすようになるのですが、今回は、そうして彼を導く者達がパトリックやクルーゼしかいないため、こういった展開になりました。

 極端な言い方をすれば、アスランが極度のシスコンに目覚めたって解釈も……。





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