~夢見る少女の転生録~   作:樹霜師走

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『モラトリアム』A

 

 ビクトリア基地が陥落し、数日が経った。

 明けの砂漠の司令部では、マリューやムウ、ナタルの三名と、サイーブ・アシュマンをはじめとする明けの砂漠の構成員の数名が会議を開いていた。サイーブから齎された情報によれば、ほんの数日前に、地球連合軍が所有していたビクトリア宇宙港が陥落したようだ。これを機にアフリカは完全にザフトの勢力下となり、日に日にザフトの勢力図は拡大している。つまり、これ以上アフリカからの出発が遅れるようなことにいなれば、〝アークエンジェル〟への追撃は激しさを増すだろう。

 そうした判断の下、彼らは今、アラスカへ向かうための航路を再検討していた。

 

「あの艦は、大気圏内じゃあそう高度は取れねぇんだろう? 山脈を越えられねぇとすると、あとはジブラルタルを突破するっきゃないか」

「この戦力で? 無茶云うなよ」

 

 ムウは掌を返して、肩を竦めた。いくらジブラルタル基地の戦力がビクトリアへ出払ってると云っても、戦艦一隻で突破できるほど、かの前線基地の設備は甘くはないだろう。

 彼はそうして、すかさず代替案を口にする。

 

「紅海へ抜けて、インド洋から一気に太平洋へ出る航路を選べば、比較的、ザフトの勢力圏を迂回して回れるだろ?」

「ですが、紅海へ抜ける途中で、ジブラルタルへ引き上げているザフトの地上艦隊に鉢合わせするという可能性も、捨て切れたわけではありません」

 

 マリューの言葉に、ムウは引きつった表情を浮かべた。

 ──たしかに……。

 ビクトリア基地が陥落し日が経った今、艦隊がジブラルタルへ引き上げている可能性は充分に考慮される。万が一にも時が重なり、道中で艦隊と遭遇するようなことになれば、たかだか一隻の〝アークエンジェル〟など一瞬にして撃沈させられてしまうだろう。

 だが、あくまで可能性だ。ジブラルタル基地を正面突破するよりは、はるかに安全に見込みのある航路であることに違いはないではないか。

 

「遭遇しないことを祈るしかないんじゃない? そこはさ」

 

 ムウが曖昧に答えると、そこでサイーブはにやりと笑った。──人の悪い笑みだ、よほど嬉しいことでもあったのだろう。

 

「そんなアンタらに、救いの吉報だぜ。ビクトリアに攻め込んだザフトの艦隊の──七割(・・)は壊滅したそうだ」

「ええっ!?」

 

 あっさりと放たれた言葉に、マリューたちの驚愕の声がかぶさる。

 ──それほどの打撃を、ザフト軍に与えておいて……!?

 ビクトリアの地球軍──南アフリカ統一機構に、それほどの戦力が残されていたとは聞いたことないのだ。

 

「オレも現地の人間じゃないんでな、詳しいことは知らねえ。だが、たしかな筋で得た情報だ」

 

 いったい、ビクトリアで何が起こったのだろう? 

 思い悩んだムウであったが、こんな砂漠のど真ん中で考えたところで答えなど出るはずもない。事実は事実として、すんなりと受け入れて見せた。

 

「要するに、ヤツらは疲弊してるってこった。もし紅海へ抜ける途中で艦隊に遭遇したとしても、あるいはアンタらなら突破できる可能性もある。──『砂漠の虎(・・・・)を退けた(・・・・)アンタらなら(・・・・・・)な」

 

 そう、それがサイーブの上機嫌の理由である。

 彼の云う通り、数日前に〝アークエンジェル〟と〝ストライク〟は、このリビア砂漠に駐屯する『砂漠の虎(アンドリュー・バルトフェルド)』の率いる地上部隊と交戦し、これを打ち破った。アラスカへ向かうための障害も消えた今まさに、アラスカへ向けての航路を再検討している最中なのだから。

 話を傍聴していたマリューが、嘆息まじりに声を漏らす。

 

「一難去ってまた一難、ですか。今に始まったことではないけれど、さすがにこうも連続しちゃうと、こっちも参っちゃうわね……」

 

 文字どおり、泥臭い思いまでして『砂漠の虎』を突破したと思えば、今度は、ビクトリアから引き上げているザフト軍の地上艦隊と遭遇する可能性がある? この艦は、いったい、どこまでついて(、、、)ないのだろう。

 だが、今まで幾重にも窮地を経て撃沈していないことを考えれば、あるいは、かなり幸運なのかもしれない。

 何が云いたいのかと云うと、幸運というものは、それが幸運であることに気付けて初めて実感できるものであり、普段通りの生活の中では、なかなかその感覚にはあり着けないということである。

 そんな脇、ナタルからの鋭い指摘が飛んだ。

 

「『戦闘を極力回避する』という判断に異論はありませんが、艦隊に怯え、ザフトが完全に過ぎ去るのを待っているわけにも行きません。こちらには燃料の問題もありますし、なにより〝ストライク〟を、いち早くアラスカに届けなくては」

 

 南アフリカ統一機構が壊滅した今、アフリカは完全にザフトの勢力圏となった。

 ナタルの指摘も正しい。敵陣のど真ん中に滞在しておいて、安全な時間を期待する方が間違っているのだ。 

 だが、ムウはまた別の問題で曇った顔をした。

 

「燃料の問題なら、仮に今出発したとしても不安だな。こっちから太平洋は、寄港なしで一気に突っ切れるような距離じゃないだろう? 途中でどっかの中立国に匿ってもらうとか、そういうことは出来ないもんかね」

 

 何気なく言葉を発するムウ。

 司令部の傍らにいたカガリ・ユラが、その言葉に反応したように見えたのは、ムウの勘違いであったろうか。

 

「……賭けるしかないわね」

 

 マリューはげんなりと、しかし、決意を以て答えた。

 こうして〝アークエンジェル〟はアフリカを抜け、紅海へ出る航路を取ったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 明けの砂漠との別れを告げた〝アークエンジェル〟は熱砂の大地を離れ、紅海へと出立した。

 浮かんだ艦の上、キラはひとり、甲板の上に膝を抱え、座り込んでいた。

 直射日光が強く、乾いた風も勢いが強い──リビア砂漠の天候は、決して生身の人間にとっては心地よいものではなかったが、キラは艦内に籠る気分にもなれず、こうして、外の空気を吸いに来ていた。

 

「…………」

 

 思い出すのは『砂漠の虎』──アンドリュー・バルトフェルドという、とある男の記憶。

 彼は突然、キラ達の前に現れ──そして、去って行った。

 キラが戦場で戦い、そして殺したからである。

 

 ──キミは、寂しいのかね?

 

 バルトフェルドがキラに話した問いかけは、おそらく、キラにとっては図星に他ならないものであったろう。

 実際のところ、キラの心をひどく蝕んでいたのは寂寞感だ。『守りたいものを守るために戦う』──そのためにみずからが手を汚し、同胞を撃たねばならないという状況が生み出す孤独感に他ならない。

 

(でも、以前までは僕だって、孤独(ひとり)なんかじゃなかったんだ……)

 

 キラの傍らには、いつも同胞の少女がいた。

 ステラ・ルーシェ。不必要な戦災に巻き込まれ、それからはただ「できるから」という理由だけで戦うことを強いられたキラに対し、空虚な激励でも、憐みの同情でもない、確かな共感を分かつことのできる──少年にとって親友と云えるほどの少女がいてくれた。

 

 そんな少女の存在が、彼にとっては──何よりの慰めであったのだ。

 

 だが、そんな少女を目の前で奪われてから、キラは次第に心の均衡を崩していった。たったひとりで戦うことを強いられるうちに、彼はやはりおかしくなっていった。おかしくなっていったから、キラはすぐ傍らにすり寄って来た別人の少女──フレイ・アルスターの〝声〟に彼女の〝それ〟を思い出し、懐かしむようにして、偶像への偽りと肉体的な慰めを求めてしまった。

 言葉を選ばずに云えば、それはフレイの婚約者であるサイ・アーガイルから彼女を寝取るという行為でもあり、ひどく歪な盲動のようにも見えるが、それは、一種の心の防衛機制と云えた。

 崩れかけた心の均衡を取り戻すため、そして、何よりも孤独感から自分を守るために、キラはおのずとフレイにステラを重ねたのだ。それからは後ろめたい恋人関係になった二人であったが、破局のときは、意外に早くやって来た。

 

 別れ話の発端は、些細なことである。

 

 キラがバルトフェルドの屋敷に案内されたとき、キラに恋人を奪われたと自虐的になったサイが、不在のキラの代わりに〝ストライク〟を操ろうと、半ば自暴自棄に機体に乗り込んだのである。当然、キラでしか操縦することの能わぬ〝ストライク〟は、ナチュラルである彼に制御できるような代物ではなく、彼は機体を一歩として前進させることも叶わず、機体はその場に頽れ、地に這いつくばるような姿勢になって停止した。

 四肢を着いた〝ストライク〟の姿は、まるで──人が天に許しを請うかのような姿勢だったと云う。

 ──本当に許しを請うべきは、サイではないというのに……。

 いつも理知的で、冷静なサイ──彼をそこまで暴走させた原因を造り出したのはキラなのだ。

 フレイがキラを挑発したから──

 キラがフレイにステラを重ねたから──

 そんなことから彼らの友情は歪んでいったのだ。

 無断で機体を動かした咎により、サイは独房での一週間の禁固を言い渡された。

 

『サイ……バカよね。あなたに叶うはずなんてないのに……ほんとに、バカなんだから……』

 

 苛立たしげに放たれるその言葉は、語尾にかけて、切なさや、悲しみの情が濃くなっていた。

 震えた声が本心の顕れであると理解したキラは、不意に身体を強張らせた。

 ──きっとフレイは、今でも、サイを想っているんだ。

 だから、彼女が云う『惨めなこと』をしてしまったサイ。しかしそれも、フレイに振り向いて欲しかったがゆえの行動に違いないのに──彼のそんなの行動が苛立ちを覚え、同時に、彼を労わってやりたいと思っている。しかし、当の裏切り者のフレイにはそれすら許されず、その事実にまた苛立っているのだ。

 

『やめよう……』

 

 それは、キラの口をついで出た言葉だった。

 

『えっ?』

『もうやめよう、フレイ、こんな関係。こんなの不毛だよ……身勝手なことだってわかってる、でも──』

 

 キラが、フレイに破局話を持ち掛けたのだ。

 その選択が、どれだけ彼女を傷つけることになるのかは、覚悟の上だった。

 

『間違った、間違ったんだよ……僕たち』 

 

 フレイは今も、サイを愛している。

 自分と寝たのは、きっと同情からだ。──当然だ。自分はコーディネイターで、フレイの大嫌いな、バケモノじみた存在なのだから。

 キラも今は、フレイを愛せないでいる。

 彼女と寝たのは、現実逃避をするためだ。──同胞とはなり得ない彼女に、かつて、ひとりの少女が与えてくれた安らぎを求めていただけなのだから。

 

 こんな関係はもうやめよう、僕たちの関係は相思相愛なんかじゃない──。

 はっきり云って、一方通行にさえ(・・・・・・・)なってなかった(・・・・・・・)んだよ───。

 

 キラはフレイにステラを見て、孤独な自分の心を繋ぎ止めようとした。

 フレイはキラに憎しみを抱き、砕けてしまいそうな自分の心を復讐心で保った。

 可哀想なキラ。

 可哀想なフレイ。

 同胞を失い、戦場でひとり戦う孤独に苛まれた少年と、父親を殺され、他に身を寄せるものを失った孤独な少女。

 互いに傷を舐め合うだけの、互いを尊重する気持ちを欠いた、疑似的な恋愛関係に過ぎない。

 ──こんな関係、続けていていいはずがないんだ……!

 偽りの感情の上に成り立った関係は、どこへ向かうことも、どこにも行き着くことは出来ないのだから。

 

『なによ……それじゃあなた、わたしにあの娘を(・・・・)重ねてた(・・・・)、ってこと……?』

 

 キラから打ち明けられた真実に、フレイは失調したように叫んだ。

 キラは決してフレイを求めていたのではなく──ただ、ステラの暖かみ、やさしい言葉を求めていただけだったということを。

 

『屈辱だわ……! なによ、それ!』

 

 キラの言葉は彼女にとって、屈辱に他ならなかった。

 ──あの女と、わたしが……!?

 パパを殺した、最大限の原因を造り出したあの金髪の女と、自分が、そんなにも似て見えた?

 不気味な腕に、全身を抱かれたような感覚──激しい悪寒が、フレイの全身を迸った。

 

『なによっ、そんなの!』

 

 過ちに気付いたから、だから別れようって云うの!?

 身勝手だ──! そう叫びたかったが、身勝手なのはフレイも同じだった。サイとの婚約を一方的に打ち切って、勝手な都合でキラとの関係を迫ったのだから。

 これは、そのツケが回って来たのだろうか……。

 

 ──どうして、こんなことになってしまったんだろう……。

 

 ふたりはそうして、破局して終わった。

 

 

 

 

 

 キラが艦内を動き回る気になれないのは、誰かと、すれ違うこと自体が嫌だったからだ。何をしていても、どこにいても、なんだか罪の意識(うしろめたさ)に追いかけ回される。いつでも誰かに後ろ指を差されているような感じがして、心が落ち着かないのだ。

 だがそれも、仕方のないこと──ひとつの「報い」として、キラも受け入れていた。それだけの非道い裏切りを、自分は働いてしまったのだから。

 ──今の僕には……すこしこの艦は、狭すぎる……。

 フレイと破局した話は、当然、同じカレッジの同級生の耳にも入ることになった。彼らは彼らなりにキラのことを気遣ってくれているが、それでも、キラにも非があったことは確かなのだ。

 キラがひとりで考え込んでいると、脇から、ひとつの声がかけられた。

 

「──四六時中死んだ顔しているな、おまえ」

 

 ハッとして顔を上げると、そこにはカガリ・ユラの姿が認められた。

 ぎょっとして立ち上がり、慌てたように声を出す。

 

「あ、れ……? キミ、なんでこの艦に?」

 

 これから砂漠を出ようというのに、どうしてこの娘は、この艦に乗ってるのだろう。

 キラは唖然とした顔をすると、カガリは心外そうに返した。

 

「そっちの艦長に頼んで乗せてもらったんだよ。──その……わたしも色々あってさ」

 

 呆れたように、キラはカガリを見ている。呆れられているのは、キラの方だと云うのに。

 カガリはいつもの調子で、ぶっきらぼうに訊ねた。

 

「気分が浮かないのか?」

「……うん」

「そっか。実は、わたしもだ」

 

 それは、キラが初めて見るであろう、どこか憂いを帯びたカガリの横顔であった。どうやらカガリもまた、外の空気が吸いたくて甲板に出て来たらしい。

 キラは意外そうに尋ねた。

 

「カガリは嬉しいんじゃないの? だってほら、砂漠の虎を撃てたんだし」

「それは嬉しいさ、それが私の当初の目的だったんだからな。──でも、ああして生身の……というか、等身大の敵ってヤツを突きつけられたのは、なんだか初めてみたいな気がして……その、色々と堪えるものがあるんだよ」

 

 こういうとき、キラはカガリが羨ましく思える。

 彼女は、とても素直である。

 どんな相手にも、真っ向からぶつかって行こうとする。こうして本心を打ち明けることも、厭わずに打ち明けてくれる。こうして本音で語れる相手がいるだけ、自分は随分と彼女に救われているのかもしれないと思った。

 今まで、カガリは自己満足の正義で戦っていた。守りたいものを守るために戦う、だから、奪おうとするヤツらには遠慮はしない。しかし、カガリがそうして敵対して来た『砂漠の虎』もまた、ひとりの人間なのだ。

 砂漠の虎は、以前、屋敷に彼女たちを招いたとき、こんなことを云っていた。

 

 ──戦争には制限時間や得点のようなものはない、スポーツやゲームとは違うんだ。

 ──ならば何で勝ち負けを決めればいい? どこで終わりにすればいい?

 ──敵であるものを、すべて滅ぼして……かね?

 

 アンドリュー・バルトフェルドもまた、どこかこの戦争という現実に対して、迷っているひとりの人間のように見えた。擁護するような云い方をすれば、暖かみのある人間であった。あのときの彼は、キラとカガリを屋敷に閉じ込め、撃ち殺すことも出来たが、あえてそうせず、モビルスーツに乗って現れ、敗れ、死んで逝った。

 ──あの男はいったい、何が訴えたかったのだろう……?

 敵を倒したというのに、いつものような達成感が味わえない──カガリにとって、不思議な感覚だった。

 あれだけ戦うことに自信と誇りを持っていたカガリがそんなことを云うもので、キラはからかうように声を漏らした。

 

「キミもヘンな子だよね──突拍子もなく〝ヘリオポリス〟にやって来て、それからこんな砂漠でレジスタンスやってる、なんてさ」

「〝ヘリオポリス〟から地球軍やって、おまけに〝ストライク(あんなもの)〟動かしてるおまえにだけは云われたくない」

 

 返されたのは、にべもない返答で。 

 

「そういえば、あのとき──〝ヘリオポリス〟にはもうひとりいただろ?」

 

 云われ、キラはドキリとした。

 言いよどむことなく、カガリは先を続ける。

 

「ほら、金髪の女の子だよ。あのときキャットウォークから飛び出して、わたしの目からは、それっきりだったけど」

「あの娘なら、今は〝プラント〟だよ」

 

 カガリが指しているのは、きっと、ステラのことだろう。どうやら、カガリも彼女のことはいまだに憶えているらしい。

 ステラが今、何をしているのかは、キラには分からない。──だが、パトリックが行った放送の内容を考え見れば、おそらく、政治上のプロパガンダに利用され、〝プラント〟に移送されているのではないだろうか。

 だとすれば、戦場に赴くキラからは、ひどく遠い世界に移されたことになる。

 

 ──もう会えることも、きっとないんだろうな……。

 

 しかしそれは、かつて、一度はキラが望んだ結末でもあった。

 戦争なんてない、暖かい世界に返してやれればいい。

 その願いが叶ったと云えば、きっと喜ぶべきなのだろうが、彼女が身近にいないことで、こんなにも寂しさを憶えるとは、正直、考えもしなかった。

 

 ──またいつか、会えるといいけど……。

 

 戦って、戦い続ける自分に、果たして、そんな日はやって来るのだろうか──?

 そのとき、艦内に警報が響き渡った。

 第二次戦闘配備を知らせる警報だ。

 

「敵────!?」

 

 また、戦わねばならない。

 キラは目の色を変えて、格納庫──〝ストライク〟の許へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 砂漠を航行する〝コンプトン〟艦橋の中でも、同じように戦闘配備を知らせる警報が響き渡った。

 オペレーターの声が上がる。

 

「これは……! 飛行する未確認の熱源(アンノウン)を確認! この速度、大きさ……おそらく、戦艦クラスのものと思われます!」

「なに? こんな場所でか?」

 

 セルマンは眉を顰め、その報告を聞き届ける。その顔には、わずかに汗がにじんでいた。

 無理もない──今の〝コンプトン〟において、出撃できる機動兵器(モビルスーツ)は限られているのだ。

 数日前のビクトリア攻防戦において、セルマン隊を始めとするザフト地上艦隊は甚大な被害を出しながらも、ビクトリア基地を制圧することに成功した。しかし、作戦は制圧した時点で終了したわけではなく、生き残った少数の人員を総動員させ、ビクトリア基地のマスドライバー、ならびに要塞の解析作業に遣わせている。──隊員のみなが、連日の疲労を蓄積させた状態にあるのだ。

 むろん、ジブラルタルからの人員の応援を要請し、今頃は別艦隊がビクトリアへと向かっているはずだが、疲弊したセルマン隊には帰投命令が出ており、そのため彼らは今、応援と入れ替わるような形でジブラルタルへ戻っている最中だった。

 その道中に、まさか未確認──地球軍の戦艦と遭遇するとは、想像にも及ばない。

 アフリカは既に、ザフトの手中にある。帰りこそは安全な航行になると、セルマンも高を括っていたのは事実だった。

 

「──地球軍と、判断されますか?」

 

 オペレータの声に、セルマンはああ、と声を返した。

 

未確認の熱源(アンノウン)ともなれば、そう判断するのが妥当だろう。……しかし、こんなザフトの勢力圏内で、いったい誰が?」

 

 モビルスーツもパイロットも、共に満身創痍の状態だというのに、ついていない話だとセルマンは嘆いた。

 

「出撃可能なモビルスーツは、どれほど残されているか?」

「先日の戦闘で、我々もひどく消耗しています。出撃可能な機体はあるのですが、その数にパイロットが足りていません」

 

 要塞攻略戦において、数少ない生き残りであったはずの〝ディン〟部隊は、しかし、パイロット達が基地内部で全滅している。それに加え──〝ジン〟や〝シグー〟ならびに〝ゾノ〟や〝バクゥ〟と云ったモビルスーツ部隊は、ほとんど壊滅した状態にある。

 現在、出動できるモビルスーツと云えば、それこそ〝コンプトン〟艦上で支援射撃に専念していた〝ザウート〟部隊と、そして──

 

「──セルマン艦長!」

 

 そのとき、アスランが、艦橋へと飛び出して来ていた。

 放たれた声に、セルマンは振り返り、

 

「アスラン・ザラ」

 

 どこか以前と目の色の変わった──ように思える──少年の姿を認めた。

 アスランはきびきびとした声調で、セルマンへと訊ねる。

 

「この警報は? 戦闘配備ですか?」

「ああ、前方に未確認の熱紋が探知されてな。それも、大型の戦艦クラスのものだ」

「……!」

「まだ分からんが、地球軍所属の戦艦かも知れん。我々がビクトリア基地を陥としたことで、晴れてアフリカ大陸はザフトの勢力圏となったという矢先に、これとはな……」

 

 とんだ世間知らずもいたものだ、とセルマンが皮肉を溢す傍らで、アスランは顎に手を当て思案する。

 ──イザークとディアッカは、たしか〝足つき〟の追撃の任を負って、この近傍の砂漠地帯に派遣されたはずだ……。

 そのような場所で、ザフトにとって見慣れない熱紋があるとするならば、おそらく、それは。

 

「このまま予定通りのコースを進めば、おそらく、戦闘となるだろう」

「分かりました。では、自分は〝イージス〟で待機します」

 

 アスランは即座に状況を判断したのか、敬礼して云うと、踵を返そうとする。

 その様子を見て、セルマンは不意に疑ってしまった。

 

 ──なにか、変わったな、この少年は?

 

 抑揚のない声音や、声初めて会ったときとまるで異なる目の色が、自分にそう思わせるのか?

 大袈裟な云い方かもしれないが、セルマンから見て、今のアスランは初めて挨拶を交わしたときと別人のようだ。そもそも生来の彼は、ビクトリア基地の地球軍兵を殺して回るような者には見えなかったというのに──。

 

 ──戸惑いが消えた、とでもいうのだろうか?

 

 先のビクトリア攻防戦にて何があったのか? だが、確かに何かに吹っきれた様子を伺えば、軍人として非常に従順になった。だがそれは悪く云えば、軍人として生き急いでいるようにも見える。

 セルマンはどことなく不審感を漂わせたその様子を心配に想い、次の瞬間には、口を開いていた。

 

「待ちたまえ」

 

 呼び止められ、アスランが立ち止まってセルマンを振り返る。

 

「深追いはするな。これは命令だぞ、アスラン・ザラ……」

 

 釘をさすような命令に、アスランは純粋な不審を湛えたような顔つきになる。

 セルマンは一度嘆息つき、状況の説明を追って続けた。

 

「今現在、我が艦隊はビクトリア攻防戦での消耗が著しく、云わば満身創痍の状態にある。とても地球軍の戦艦と真っ向から交戦できるような状態ではないし──それに、我々はビクトリアで手に入れた『データ』を、無事にジブラルタルに持ち帰る任務があるんだ」

 

 セルマンは、感情から云っているわけではない。

 現在〝コンプトン〟から出撃可能なモビルスーツなどは、指を折って数えても片手の中で収まってしまう程度のものなのだ。そのような状態で地球軍の戦艦に真っ向勝負などを仕掛けても、勝算は低く──むしろ返り討ちに遭う可能性の方が高い。

 であるなら、彼らは彼らで、当初の任務であるビクトリア要塞の『データ』を、確実にジブラルタルへ持ち帰ることの方が優先的だ。

 

「せっかく難攻不落の要塞を墜とした後なんだ。こんな詰まらんところで、我々は沈むわけにはいかない。──きみもきみの妹を、いたずらに危険な目に遭わせたくはないだろう?」

 

 付け加えられた念押しは、明らかに感情論で発された言葉であったが。

 

「いま、我が隊でマトモに動けるのはキミくらいのものだ。──だからこそ、絶対に深追いはするんじゃないぞ」

「……わかりました」

 

 アスランはそう云って、艦橋から出て行った。

 

 

 

 

 

 

 命令を煽ったアスランが、パイロットスーツに着替え、更衣室を出る。

 更衣室から足を一歩踏み出したところで、艦内にさらなる放送が響き渡った。

 

〈敵艦を特定! 確認された熱紋は、例の〝足つき〟と呼ばれる新型の地球軍の新型特装艦のものと断定される!〉

 

 アスランの眉が、ぴくりと動いた。

 ──やはり……!

 そのアナウンスは、イザークやディアッカ、ならびアンドリュー・バルトフェルドという名将の敗北を暗に意味している。また、そんなことを平然とやってのける地球軍が、只者であるはずがないということも。

 ──そんなことが、できるのは……!

 思索するアスランであったが、そのとき、彼の背後から共に出撃する〝ザウート〟部隊のパイロット達の声が上がった。

 

「なんだよ、その〝足つき〟ってのは?」

「クルーゼ隊が仕留め損ねて、地球に降下して来た、地球軍の新型艦だよ。何でか知らんが、アフリカ砂漠のど真ん中に落っこちて来たからって、あの『砂漠の虎』が追撃の任に当たっていたらしいが?」

「こんな場所で俺達と鉢合わせるってことは、その虎までもが破られたってことになるな……!」

 

 意外がる兵士達の談議をよそに、放送の声は続いた。

 

〈現在、当艦はまともに交戦できる状況ではない。敵艦の動きを見つつ、臨機応変に対応されたし〉

「──つまり今回の戦闘は、あくまで『敵艦を撃墜すること』が目的ではなく……『生き延びること』が最優先事項ってことか?」

「逃げ腰の戦ってことか? まっ、今回は仕方ねえか」

 

 決して誤った判断ではないだろう。ザフトにおいて屈指の「精鋭」と名高いクルーゼ隊の包囲網をすり抜け、地球への降下後も、名将『砂漠の虎』を破ったと推定される敵の新型特装艦を、数機の〝ザウート〟と〝イージス〟だけで仕留めきれるとは思えない。

 勿論、アスランの〝イージス〟は当てにするべき強力な戦力だが、そもそも、それらはクルーゼ隊からの出向だ。逃げ腰の戦、という単語に不満げな顔を浮かべるアスランであったが、二十代らしい隊員のひとりが、そんな彼の肩に、とんと大きな手を置いた。

 

「オレたち〝ザウート〟部隊は後方で、キミの機体の支援に徹する。援護は任せろと云いたいが──今回の作戦は、あくまでも〝コンプトン〟が離脱するまでの時間を稼ぐだけでいいんだ。砂漠の熱を帯びすぎるなよ?」

「砂漠のお土地柄は、色々と気難しい(・・・・)からな。キミもあんま無茶すんじゃねえぞ、ビクトリアみたいにな!」

 

 忠告の意味を掴みかねるアスランであったが、そうして兵士達がアラートへ向かおうとしたので、アスランもまた続くように、場を駆け出そうとした。

 

「まって」

 

 そのとき背後から静止を求める声が上がり、アスランは足を止めた。

 男性から発されたものではない、柔らかで高い声。足を止め、アスランがゆっくりと振り返ると、そこには、右肩から腕先までを石膏帯(ギプス)で固められた金髪の少女の姿があった。

 ステラだ。彼女はどこかおどおどとした様子で、アスランを上目がちに見つめている。

 

「〝足つき〟って……〝アークエンジェル〟のこと?」

「ああ、そうだ」

 

 抑揚のない声で、アスランはステラの問いに答える。

 震えた声で、ステラは先を続けた。

 

「アスランは、あの艦を討つの?」

「なぜ?」

「だって、あの艦は……」

 

 ステラはしょんぼりとした様子で肩を落とし、段々とその視線を落としている。

 ──だって……〝アークエンジェル〟には……。

 このとき、ステラもまた〝アークエンジェル〟と、よもやこんな所で、こんなにもすぐに鉢合わせするなんて想定していなかったのだろう。無論、彼女がザフトの旗の下で戦うことになった以上、いずれ、いつかは必ず、割り切らなければならない問題ではあったのだが──

 

 ──ステラはザフトになって、地球軍と戦うって決めた……!

 ──だって地球軍は、あんな〝デストロイ〟なんかを悪用しようとする、悪いヤツらばっかりがいる軍隊だから……!

 

 でも、だったら。

 

 ──なら、お世話になったマリューさんや、ムウって人も、悪い人なの……?

 

 微妙でもなければ些細でもない、明らかな違和感が、ステラの中に芽生え出す。

 ──あの人達は地球軍でも、ステラを、道具のように使おうとはしなかった……!

 ときに過酷な判断も求められては下していたようだが、少なくとも、軍人として以前に、人としての厚意や良心が見え隠れしている人物が多かった。彼女達が悪者であるだという言葉を信じるのは、今のステラには、すこし難しい要求だったのだ。

 そんな彼らと、家族であるアスランが敵対して戦う姿を見ていることしか出来ない──というのは、やはり、ステラにとって心の休まるものではない。

 

「残酷な云いように聞こえるかも知れないが、ステラ──それが戦争だ。軍人である以上(・・・・・・)、誰もが覚悟していることだ」

 

 アスランは、あくまで毅然として答える。

 彼にとっては名前も知らない「マリュー」や「ムウ」──彼女達は地球軍の軍人であり、ザフトの敵なのだ。そうである以上、兵士であるアスランと銃を向け合うこと──それは仕方のないことなのかも知れない。

 ──でも、それでも……!

 ステラは顔を上げ、最後の希望に縋りつくように訊ねた。

 

「じゃ、じゃあ、キラは……っ!?」

 

 友の名を呼ばれ、アスランの目が一瞬だけ見開かれる。

 

「軍人じゃない……! そのっ、民間人のみんなは、もう〝アークエンジェル〟には乗ってない……んだよね?」

 

 ステラの友人であったトール、ミリアリア、サイ、カズイ── そしてキラは、元を辿れば決して軍人ではない、あくまでも民間人だ。

 問われたアスランは、咄嗟に思い出す。

 

(そう云えば、そんなことを以前……)

 

 あれは、ステラを説得するためだったか? 

 アスランは一度、全く根拠のないことをステラにさも事実であるかのように話したことがあった。例の〝アークエンジェル〟が第八艦隊との合流を果たした際、人道的立場から「全ての民間人は解放された」という、それらしい作り話を──。

 

 ──ああ、あれは嘘だ。

 ──いや違う、嘘になった(・・・・・)んだ……!

 

 アスランには分かる。ステラの云う民間人達は、今も〝アークエンジェル〟に乗っている。全員が、とまでは云わないが、少なからず、キラは確実に違いない。

 ──でなければ、いったい、誰に『砂漠の虎』が破れたというんだ……!

 ザフトの名将を討った者が、そこらへんのナチュラルであるはずがないのだ。そして、キラが艦に残っているのであれば、ステラの云うトール達とやらも、おそらくは……?

 

 ──だが、仕方がない。それも自己責任だろう。

 

 地球軍の第八艦隊は、民間人に対しては少なからず下船する機会を与えるだろうという、アスランは観測的な発言をしたつもりでいたのだが、それでも、その「彼ら」というのが地球軍の戦艦に、地球軍士官として居残る(・・・・・・・・・・・)決断をしたというのなら、アスランにはこれを討つ意味が充分にある。

 アスランは真実を喉奥まで呑み込むと、不安がるステラに向かって優しく微笑みかけた。

 

「何の心配もないよ。その……民間人達は、もう全て解放されたって話は前にしただろう?」

「でも……っ」

「きみが不安がる必要はどこにもない。あの艦にはもう、きみを苦しめて来た地球軍士官(・・・・・)しか乗っていないのだから」

 

 赤子をあやすかのように鷹揚と語り掛け、アスランは微笑む。

 ──それがひどく薄っぺらい微笑みであることに、彼は気付いているのだろうか。

 言葉を受けたステラは、なおも困惑した顔で、上目遣いで訊ねる。

 

「……ほんとに(・・・・)?」

「……ああ」

 

 疑るような、ステラの言葉と目──これらから目を逸らし、話を打ち切るように、アスランは背を向けてしまった。

 そうしてアスランは背を向け──〝イージス〟へと乗り込んでいった。

 

「…………」

 

 ひとりその場に取り残されたステラは、まるで立ち位置を見失ったかのように、その場に漂っていた。

 ──これは、単なる勘違いだろうか。

 ここ数日間で、アスランは、ステラの知らない顔をするようになった。

 冷たくて、硬くて、恐ろしくて──パトリックにも似た表情をするようになった。

 言葉のひとつひとつに、暖かみがない。

 作戦中ともなれば、それは顕著に現われる。

 

 ──最近のアスランは、なんだか不穏(ヘン)だ……。

 

 以前までは、もっと優しかったのに────。

 ステラはひとり、不審な気持ちに囚われた。

  

 

 

 

 

 

 

 

〈過ぎった予想は外さないもんだな、この艦は!〉

 

 ムウが皮肉まじりに〝スカイグラスパー〟のコクピッドの中で叫んだ。──その機体は〝ストライク〟の支援を目的として運用される、大気圏内用の戦闘機である。

 『不可能を可能にする男』を自称するムウであったが、なかなかどうして──かたや〝アークエンジェル〟は想定される可能性──いや、危険性という名の地雷をいちいち踏みしめ、起爆させていく戦艦であるらしい。

 まさか、明けの砂漠と物議を醸した懸念が、こうして間もなく現実のものとなるとは。

 

〈どんだけタイミングがいいのよ、この艦は!〉

「レーダーに探知されたのは、ビクトリアから引き上げているザフトの部隊なんですよね?」

 

 同じく〝ストライク〟へと乗り込んだキラが、通信越しにムウに訊ねる。

 

〈ああ、噂じゃあかなり疲弊してるってことだったが、それでも、どう出て来るかは分からん。オレ達も、いつでも出撃できるようにしとかないとな〉

 

 実際、ビクトリアへ向かったのはザフトの艦隊と訊いているが、今現在、確認されている敵は、たったの一隻だ。

 どうやら、ザフトが「壊滅的被害を受けた」という情報は、嘘ではないらしい。

 しかし、過酷な戦闘を経て、疲弊しているのは〝アークエンジェル〟とて同様である。できれば、ここでの戦闘は回避したいところだ。

 

あのオッサン(サイーブ)の云ってた情報が確かなら、やっこさん方の戦力は、ビクトリアでほとんど壊滅してる。連中もこんな場所で、俺達となんか戦いたくはないだろうさ〉

 

 少なくとも〝アークエンジェル〟の名は、名将『砂漠の虎』を破ったことであまねく売れているはずだ。

 それは決して、孤立無援の艦としては良い意味ではなかったが、今回ばかりは、良い方向に働いてくれることを願った。

 

〈俺達に発進命令が出ないのも、牽制のためだろ? 藪蛇は、お互いに勘弁ってことかな〉

「なんにせよ、あちらの出方を見るしかなさそうですね」

 

 一縷の望みに掛けて──〝ストライク〟や〝スカイグラスパー〟が出撃せず、〝アークエンジェル〟に戦闘の意志がないことを表明すれば、疲弊した〝コンプトン〟とて、無暗に状況を交戦へと持ち込まないかもしれない。

 ──今はお互いに、目の前の敵艦を相手にしている余裕などないはずだ。

 下手にモビルスーツを出撃させて、相手を刺激するのは賢明な判断ではなかった。

 

 

 

 

 

 

「射程圏内に入っているはずだが、撃って来ないな?」

 

 〝コンプトン〟の艦橋では、肉眼でも噂の『大天使』の姿が確認できるようになっていた。

 進行方向に〝足つき〟の姿はあるが、まだ、迂回できるだけの距離は開いている。互いに射程距離には入っているが、このまま大人しく進路を変更し、あの艦から逃げるという方法も残されていた。

 しかし、やはりセルマンにも、コーディネイターとしてのプライドというものがある。

 ナチュラルの戦艦を前に、進路を変更するということは、己の劣勢を認めるということだ。そうすることで、多くの命が救われるのであれば是非そうしたいが、畏を成したように逃げ出すというのは、何か腑に落ちない。

 

「もしかして、あちらも疲弊しているのでは? 交戦の意志はない、ということではないでしょうか……?」

 

 オペレーターの考察が飛ぶ。

 もしそれが本当なら、好都合な話だ。

 セルマンは戦闘を回避できる可能性が示唆され、安堵したような、それでいて真っ向勝負を仕掛けられないことが悔しいような、複雑な気分に駆られた。

 そんなとき、ドッグから通信が開かれた。

 発進許可を求める、アスラン・ザラからの通信だった。

 

「もうすこしだけ時間をくれないか。敵の出方を見たい」

〈このまま、何もせずに敵前逃亡すると?〉

 

 アスランの言葉には、痛い所を突く棘があった。

 敵前逃亡?

 云い方は気に喰わないが、たしかに、見方によってはそういう捉え方も出来る。

 今現在の〝コンプトン〟は、要塞についての重要な『データ』を抱えているとは云え、要塞自体がザフトの手に渡った以上、それはいつでも持ち去ることが出来るものである。唯一の品物ではないのだ。それを口実に敵艦の前から退くと云うことは、見方によっては「臆した」と揶揄されても、おかしくはないのだ。

 セルマンはしかし、むうと難色を示した。

 

「……しかし、今の我々に勝ち目があるのかね。例の艦は、かの『砂漠の虎』を討ったと思しき強敵だ。軍人としては、利益(リターン)の見込めぬ戦闘を行うのには、賛同しかねる」

〈『勝算がないから』と──強敵に立ち向かうのを臆すれば、我々は実際に難攻不落の要塞へと勇猛果敢に飛び込み、散って行った英霊達に合わせる顔を失います〉

 

 うっ、とセルマンは返す言葉を失った。

 やはり、痛い所を突いて来る言葉だ。

 アスランの指示は、決して「最善」とは云い難いものである。

 有力なモビルスーツが〝イージス〟しか見込めない以上、噂の『大天使』を撃沈させることは難しいと、普通は考える。ここで戦闘を回避するか、戦闘に持ち込むか──この取捨選択を迫られたとき、軍人としては、まず前者を選択すべきだろう。そうすることで、無用の損害を抑え込めるかもしれないのだから。

 

 だからこそ、アスランはセルマンの情に訴えているのだ。

 

 セルマンが兵士想いの男であることを知っているからか、あえて、第二次ビクトリア攻防戦で散って行った者達のことを話に持ち出した。圧倒的な力を持った要塞に勇猛に立ち向かい、若い命を散らして行った兵士達に対して──〝アークエンジェル〟ごときに、彼らの長たるセルマンが退けば、英霊達(戦死者)に対する礼を損なうことになるのではないかと。

 

(まったく……痛い所をついてくれる)

 

 ここまで云われては、セルマンも黙って引くわけにもいかない。

 

「──たしかに、ここで臆していては、彼らに合わす顔がないな……」

 

 たしかに、相手は強敵だ。

 この戦力では撃墜することは叶わずとも、こんな辺境──ザフトの勢力圏内──をうろうろしている時点で、〝アークエンジェル〟は今後もおそらく、地球軍の制空権に向けて航行を続けるのだろう。

 ──追撃(トドメ)は、他の隊に任せればいい。

 撃沈は無理でも、すこしでも損害を与えることが出来れば僥倖──そう考えれば、リターンのない戦闘ではない。結果的、ザフト全体の利益につながるのなら、ここで大人しく退くことは、正解ではないのかもしれない。

 この発想に至らしめることこそが、アスランの狙いであったのかもしれない──だとすれば、これは彼の思惑通りだなとセルマンは自嘲するが、死んで逝った若者たちを想えば、もはや退くことは許されないだろう。

 まったく、誰に似たのか──頭のキレる少年になったものだ。

 

「先攻できるのは〝イージス(キミ)一機(ひとり)だぞ。わかっているな?」

 

 自信があっての提言だろうな? と訊ねれば、はい、ときっぱりとした声が返って来た。

 ならば、良い。

 セルマンはモニター越しのアスランに剥けてに、ひと差し指を天に突き立てた。

 

「──十分(、、)だ。それ以上の戦闘継続は許可できない」

〈わかりました〉

 

 セルマンは顔を上げ、遠方に据える『大天使』を見据えた。

 

「──モビルスーツ隊、出撃! 〝足つき〟に、せめてもの一矢を報いれやれ!」

 

 失われた、ザフト兵達のために。

 〝コンプトン〟から一基の〝グゥル〟がうち放たれ、これをめがけて──真紅の機体が飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

〈敵モビルスーツ部隊、展開を確認しました!〉

 

 ミリアリアからの声が飛び、ムウは小さく毒づいた。

 

〈やっぱり、大人しく見逃してなんてくれないってことかよ〉

「いいかんじ……だとは思ったんですけどね」

 

 〝コンプトン〟は、先んじて攻撃を仕掛けて来なかった。

 特定されてから、攻撃が始まるまでは、明らかに時間差があった。

 

 ──彼らは、なにか迷っていたんじゃないか……?

 

 本当は、彼らも戦いたくなんてないんじゃないのか、というのがキラの抱いた疑念である。心から戦意があるのなら、熱源を確認した途端、攻撃を仕掛けて来るはずだ。

 

 ──いったい、何を思って、戦闘を始めようとしたのだろう……。

 

 〝アークエンジェル〟のハッチが開放され、そこから〝スカイグラスパー〟が発進して行く。

 キラもまたカタパルトへと〝ストライク〟を進め、展開される〝エールストライカー〟の装着を待つ。

 

 砂漠の大地において、もっとも有効な装備は〝エール〟である。

 

 三基あるストライカーパックの中でも、最も高い推進力を持ち、高い機動力が発揮できる。決め手となる武装に欠けるが、汎用性が最も高いのだ。

 ランチャー装備は、主砲(アグニ)によるエネルギーの消費が早すぎる。

 ソード装備は、大振りの剣を重力下で振り回すには、いささか重すぎる。

 よって、砂漠の虎を討ち破ったときと同じように──〝エールストライカー〟が最も有用だ。

 

〈これは……!?〉

 

 キラの許へ、そのときチャンドラの声が上がった。

 

〈敵艦から出撃した機体を特定! この反応は──X303〝イージス〟です!〉

 

 放たれた言葉に、キラの心臓はドクンと跳ね上がった。

 ──まさか。

 どうして、なぜ?

 

(アスラン…………!?)

 

 その事実に、キラが驚きに目を見開く。

 ──彼が、どうしてここに……?

 

(僕はまた、キミと戦わなくちゃいけないのか──アスラン……!?)

 

 撃たねばならないのは同胞──。

 ちがう。

 もっと大切な、もっと親密な──親友だ。

 

 ──アスランと、対峙しなければならないのか? 

 

 まだ、いっぱい話したいことがあるんだ──。

 昔みたいに、いろんなことを打ち明けて、アスランに解決してもらいたい。

 もっといろいろな、話を聞いて欲しい。

 それでも今は、彼と──大事な友達と?

 

「戦うしか、ないのか…………!」

  

 トールや、ミリアリア──彼らを、守るために。

 発進、どうぞというミリアリアからの声が響く。 

 

「キラ・ヤマト──〝ストライク〟行きます!」

 

 白き戦士が、再び戦場に飛び出していく。

 赤い閃光と、再び相見えるために。

 

 

 

 

 

 

「──ストライ……ク……?」 

 

 〝コンプトン〟の中で、ステラは白い機体の姿を認め、唖然としている。

 赤色の四基の翼。青と赤と白、単純色のトリコロールに、角のあるVアンテナ。

 GAT-X105〝ストライク〟──。

 ステラにもまた、とても見覚えの、そして思い入れのある機体が、敵として現れている。

 あの機体には、キラが乗っていた。

 

(でもアスラン……キラはもう、船から降りたって)

 

 ステラは震えた瞳で、真紅の〝イージス〟を目で追った。

 キラはもう、軍から解放されたって云ってた。

 だから別人。

 敵となった〝ストライク〟は出撃して来たけれど。

 

 ──今はもう、別の人が〝ストライク〟を動かしているんだよね……?

 

 胸がきゅっと締め付けられたように、苦しくなる。もどかしくなる。

 動かそうとすれば、痛みの走る右腕を見つめる。──この腕が動かせないせいで、自分は、その事実すら確認しにいくことが出来ないのだ。

 襲ってくるのは、とてつもない不安────。

 どうして、こんなに胸が痛むのか、ステラには分からない。いっそ最適化を受けて、忘れてしまいたいと思えてしまうほどの息苦しさ、もどかしさを憶える。

 

 顔を上げて、もう一度、白亜の機体──〝ストライク〟を見据えた。

 

 敵となったあの機体には、もう、キラは乗ってないんだよね……?

 

 

 

 ──そうだよね……アスラン…………?

 

 

 

 不安に駆られた今のステラには、状況を見守ることしか出来なかった。

 

 

 

 

 




 砂漠の虎編に関しては、大きく割愛しています。(><)
 地球に降下した〝アークエンジェル〟は、戦力的には原作とまったく相違ないので、順調に原作通りにことが進んだ体で物語が進んだと考えていただいて結構です。

 ただ、原作と唯一の相違があるんですが、ステラが居ることで、キラとフレイの破局がはるかに原作よりも早いということです。

 目的のために平気で嘘をつくあたり、アスランがだんだんとパトリックに似て来ている気がします……。

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