~夢見る少女の転生録~   作:樹霜師走

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 ※ カガリは出てきません

 ようやく少しは気持ちが落ち着く平和な話が書けたような気がします。


『フル・コミュニケーション』

 

 

 

 ニコル・アマルフィは、心の優しい少年である。

 年齢は十五歳、クルーゼ隊の中では最年少に当たる。それゆえに経験も浅く、軍人としては未熟な部分も多いが、裏を返せば、それは最も若くしてクルーゼ隊に抜擢されたということ。

 

 ナチュラルやコーディネイターを問わず、後天的に養われてるのが、個人の人格である。

 

 ぎくしゃくしがちな同僚間を取り持ったり、他人の身を気遣ったりできるその少年は、人に対してある種の差別的な目を向けることもなく、純粋に接し打ち解けることができる。

 ステラは見知らぬ相手と会話するのは苦手だが、相手と会話をするとき、まずは相手の目を見るようにしている。それは目を見れば、その人物が何を考えているのか彼女なりに判断ができるからだ。目は口ほどに物を語り、美麗に取り繕われた表面的な言葉よりも雄弁なものは往々に存在する。

 

 ──それが、舌足らずなために話すことが苦手な、彼女なりの相手への理解の示し方。

 ──そして、今までネオ・ロアノークという仮面の存在に操られてきた、彼女なりの心懸けだった。

 

 最初に相手の目を伺うことで、相手がどのような人物であるのかを推し図る。

 だからこそ〝アルテミス〟や〝コンプトン〟で向けられた下劣な目には拒否感と嫌悪感を抱いたし、そもそも目自体を覗かせない仮面の者(ラウ・ル・クルーゼ)はいまいち信用する気になれない。

 その意味で云えば、ニコルの目はとても穏やかな色をしていた。彼のことは、なんだか信用できるような気がする。ステラが前にそう感じたことがあるのは、たしかだった。

 

 

 

 

 

 

 ステラとニコルを乗せた〝ディフェンド〟と〝ブリッツ〟両機は、小さな孤島のひとつに漂着していた。といっても、島に降り立った、というよりは座礁した、という表現の方が正しいが。コクピッド内に備え付けられた通信機をいじりながら、ニコルは小さく嘆息つく。

 

「Nジャマーのせいか、電波状況が悪い。救難信号を送っても、何の返答もなしか」

 

 彼らが着陸したのは、インド洋海上に浮かぶ無人島のひとつらしい。ここから最寄のザフト支援基地はおそらくカーペンタリアだろうが、それと云っても飛行支援体のない〝ブリッツ〟や〝ディフェンド〟では到達できる距離ではなさそうだ。今の彼らに取れる行動は、救難信号を送り、友軍からの救援を待つことだけ。Nジャマーの環境下では、信号すら受信してもらえるか怪しいが。

 

(運が良ければ数日、そうでなかったら数週間……? この無人島に居着かなければいけないかも知れないな)

 

 最悪の場合、近隣の赤道連合に救援を求める事態になるかもしれない──そのような懸念をする程度には不安は残されているが、それでもニコルは慌ててはいなかった。アカデミーにて厳しい訓練過程をクリアしている彼は、無人島にも対応できるひと通りの生存術とて身に着けているからだ。

 

(小さな島のようですけど、なんとかなるとは思う)

 

 コクピッドを潜り抜け、外へと身を躍らせる。ラダーにつかまり、海岸の砂地に足を下ろす。そのときニコルは、もうひとりの漂流者に、柔らかな声をかけた。

 

「電波状況が悪く、無線が使えませんでした。もしかしたら、数日に渡ってこの島にいることになるかもしれません」

 

 声をかけた先にいたのは、ニコルと同じ輸送機に乗り合わせ、彼と同様に無人島に座礁したステラだった。

 彼女のことは、アスランの妹として認識していたが、これまで敵対していた経緯もあって、ニコルも詳しいことは知らないままだ。どう接すればいいかも、まだよく分かっていない。

 そう、ニコルの中の最大の不安要素と云えば──期せずして漂着したこの同居人と、このさき上手く折り合いを付けていけるかどうかということだろう。これまで敵対していただけに、話し掛けづらい。

 ニコルとしては仲良くやって行きたいのが、かつての経緯を鑑みれば、あちらに毛嫌いされているかもしれないとおのずと慎重になってしまう。つまり、ニコルには以前に彼女を追い詰めたことがあるという引け目があったのだ。

 声を掛けられた金髪の少女は膝を抱え、目の前に拡がる海を、ただ茫洋と見つめていた。

 

「僕、すこし廻って、あたりに何か役に立つものがないか探してきますね」

 

 無人島ともなれば、浜辺になにか漂流物が流れ着いている可能性がある。

 その中から、何か役に立つものを探し出してくると云う。

 

「…………」

 

 このとき、ステラは無言で、ただ海を見つめていた。

 さざなみが押し寄せては、引き返していく音だけが世界に拡がる。

 ステラは、決してニコルを無視しているわけではなかった、しかしそれでも、彼の言葉にはひとつの反応も示さなかった。

 

 ──やっぱり、嫌われてるのかな……?

 

 返答すら返って来ず、ニコルは「はあ」と息を吐いて、その場から踵を返した。

 

 

 

 

 

 

 

 インド洋の海は、青く澄み渡っており、綺麗な色をしていた。地球においては低緯度に位置する土地柄から月に何度もスコールが訪れるそうだが、さいわい、今日明日にかけて、その心配はなさそうだ。むしろ今は、肌を撫でるようにそよ風が吹き抜け、さざ波が白浜に押し寄せては引いていく。

 青い空が、地平線の果てまで晴れ渡り、とても穏やかな天候だ。休暇か何かでこの南国島を訪れているのなら、絶好のバカンス日和、とでも云えたのだろうが。

 ────やがて、ニコルが周囲の探索から戻って来た。相変わらずステラは、浜辺に膝を抱えて座り込んでいる。肩を竦めてこれを見たニコルは、茫然として考えた。

 

 ──海、好きなのかな。

 

 端正な横顔に浮かぶ少女の円らな双眸は、まるで吸い込まれるように、蒼海を一心に見つめていた。

 その視線につられるように、ニコルも海に視線を向ける。

 

「綺麗ですね」

「うん……」

 

 それは、ニコルの耳に聞こえるか、聞こえないか──それほどまでに小さな返答だった。

 ニコルはそのとき、そっと、ステラの隣に腰を下ろした。

 呆然として、ステラは隣に目線を移す。彼女への気遣いからか、ニコルは彼女から、一応の距離を開いた場所に座っていた。

 

「僕、ずっと地球に来てみたかったんです──」

 

 ステラはその言葉に反応して、きょろり、と目を円らにする。

 ニコルは目の前の海を見つめながら、嬉しそうに先を続けた。

 

「僕、宇宙生まれの宇宙育ちなものですから、地球に降りて来るのって実は初めてなんですよ。だから、正直なことを云えば、今こうやって海が広がっているのを目の当たりにしているだけで、なんていうか……こう、飛び跳ねたいくらい嬉しいんです」

 

 そう云って笑うニコルの横顔は、とても嬉々としていて、本当にステラという同居人さえなければ、ひとりで飛び跳ねてしまいそうな勢いを感じさせる。

 無邪気な笑顔に、ステラはしばし魅入ってしまった。彼に対する警戒の心を、緩めてもよいような笑顔を見たのだ。

 

「ステラも……。うみは、好き」

 

 そのために、自分のことを話す気になった。

 そう、彼女も海が好きだ。

 

「あお色だったり、みどり色だったり、たまに黒かったりするの。お日様が強いときには、きらきら光って、ますます綺麗になるんだ」

「あっ、それは僕も思いました! あと、夕日が沈むときには、朱色く染まるんですよ!」

 

 ふたりは、雲の形がどうの、とか、海の色がどう変化する、とか、そんなちっぽけなことに関心があった。

 それをいちいちアスランに打ち明けては、それぞれにうんざりとした顔を返されるけど、それほどまでに、ふたりは自然が映し出す景色に感嘆していた。

 

「……。本当は、もっと別の形で訪れてみたかったんですけどね、地球……」

 

 ニコルが地球へ降りて来ることになったのは、ザフトによる軍事作戦──『地上部隊の更なる兵力増強』を目的とした〝オペレーション・スピッドブレイク〟のためだ。

 これにより「地球を訪れてみたかった」というかねてよりのニコルの願いは成就したことになったが、かと云って、旅行がてらに各地を自由に動き回ることなど出来るはずもない。今は不幸にも無人島に遭難し、落ち着いていられる余裕など本来はない──にも関わらず、果たしてそれは本当に不幸だったのか? 慌てたり、焦ったりするには、目の前に拡がる大自然があまりにも壮大で、美しい。

 目の当たりにしていると、何もかもちっぽけで、どうでもいいことのように思えてしまう。

 これはニコルの素直な意見────本音だ。

 そんなニコルの言葉に、不思議とステラは惹かれ始めていた。今まではずっと寡黙を貫いていた彼女であったが、だんだんとニコルの言葉に真摯に耳を傾け始めていた。

 

「地球は〝プラント〟よりも、何倍も歴史がありますから、もっと各地を旅行して回って、勉強したかったんですけど」

「べんきょう?」

「そうです。僕、一流の演奏家(ピアニスト)になるのが、子どもの頃からの夢なんですよ」

 

 ザフトという組織は、あくまで正規軍ではなく、名義上は「義勇軍」である。組織に属する兵士のひとりひとりが、平時には本職に就いており、軍人稼業を生業とする「職業軍人」が存在しない。

 戦時である今でこそ、ニコルはザフト兵として勤めて生きているが、彼の本職はピアニストであり、その〝夢〟を追うために、楽聖たちの生まれたままに残されている、地球の古い都市へと訪れてみたかった。

 

「〝ゆめ〟────?」

 

 それは──ステラにとって、あまり聞き慣れない言葉だった。

 戸惑うようにステラは「えっと……」と口籠る。

 おどおどとした挙動を訝しみ、ニコルはああ、と声を漏らし、「ニコルでいいですよ」と笑った。

 

「ニコルは──ピアノが弾けるの?」

「ええ、まあ。つたない唯一の取り柄です」

 

 これまで反応を示さなかったステラだが、次第に、ニコルの話に食いつき始めた。

 ──小動物みたいな子だな……。

 なんて思いながら、ニコルは興味を持って訊ね、

 

「もしかして、音楽に興味がおありだったりします?」

「ううん、あんまり」

 

 その興味はざっぱりと、切って捨てられた。

 

「でも、ピアノは知ってるよ。──ラクスがよく歌ってくれた歌、ピアノが多いの。ラクスの声、すごく綺麗なの。ピアノの音も、すごく綺麗……」

 

 おそらく、ピアノ伴奏のことを云っているのだろう。白黒の二色に彩られた、よく分からない物体から、あんなにも綺麗な音が出てくるとは、ステラも最初は信じられなかった。

 鍵盤から放たれる旋律が、音色として心を安らかにさせてくれる──そんなピアノが、二コルには弾けるというのだ。

 

「────すごいねっ」

 

 ステラはそこで、くすりと微笑んだ。強い日差しに照らされて、金髪の少女の笑顔が、ひどく輝かしく見映えた。金色の花弁が満開に咲くような、柔らかで、眩しいほどの微笑み。

 時間を忘れたかのように、ニコルはしばし、その表情に魅入っていた。他意があったわけではない、が、ステラはもともと可憐な少女であるとは思っていたが──

 ──笑ったら、こんなにも……!

 彼女の笑顔は、初めて見た気がしたニコルである。

 そうして間の抜けた顔をしていたので、ステラは小首を傾げた。

 

「……なに?」

「えっ、あ、いえ……!」

 

 ニコルはすぐにハッとして、我に帰った。

 ただちに己を戒め、謙遜して返す。

 

「ピ、ピアノは、練習すれば、誰にでも弾けますよ!」

「ほんと?」

「勿論ですよ、ステラさんも、練習すればきっと──」

「でも、ニコルはすごい。ステラにはできないことが、できるひとは、すごい」

「そんなことは……」

 

 言葉を放つステラは、心からニコルのことを称賛していた。そこまで褒めるようなものでもない、とニコルは思うのだが。

 謙遜するニコルに、ふるふると、彼女は首を振った。

 

「ううん。だってね、ステラは──ステラは戦うことしかできないから」

 

 けろり、と放たれた言葉を聞き、ニコルが凍り付いた。それまで柔らかだった空気が、一瞬にして凍てついて砕けたような気がした。

 ニコルはただ唖然として、恬として、海を眺める少女を見遣る。今の発言の意味を、彼女は本気で理解しているのか? いや、当然、ステラは自分の言葉の意味をしっかりと理解していた、理解した上で、それを平然と放ったのだ。

 ステラはすこしだけ萎れた面持ちをして、その先を続ける。

 

「だから、ステラにできないことができる人は。──ピアノが弾けるニコルは、すごいひと」

 

 それが、ステラの心音だ。

 ステラは、戦うことしかできない。逆に問いたとしても──

 

 ──ステラから『戦争』を取ったら、後には何が残るだろう?

 

 これまでの日々を振り返えり、ステラが感じたこと。

 〝ヘリオポリス〟でも〝アプリリウス〟でも、彼女は固持して〝ディフェンド〟に乗り込んでいる──「もう戦う必要がないんだ」とキラやパトリックに指示を受けたときにも、彼女はその言葉を押し伏せるように、みずからの意志で戦って来た。

 結局──ステラ(わたし)は戦っていたいだけなんじゃないだろうか。

 戦うことでしか──自分には価値が望めないから。

 誰かに──認めてもらえないから。

 

「そんなことないですよ!」

 

 ニコルは愛想のよい微笑みを浮かべ、その言葉を切り捨てる。

 

「『戦うことしかできない』なんて──そんな悲しいこと、云わない方がいいですよ」

「でも……」

「過去には色々なことを経験されて来たんでしょうけど──だったらこれから、見つけていけばいいんです、増やしていけばいいんです。あなたに出来ること」

 

 洗脳されて来たことを、アスランからは聞いている。

 殺戮兵器(エクステンデット)として育てられ、戦闘能力を身に付けた──。

 しかし、それが彼女のすべてではないはずだ、とニコルは思う。

 

「あなたの〝夢〟は──あなたがこれから、探していけばいいんです」

 

 夢も自由も奪われていた過去から決別して、生きて行けばいいんです。

 ニコルは励ますように、そう云った。

 その一言に、ステラは救われたような気分になった。

 

「あなたには、なにか夢があります?」

「…………分からない。──でも、昔みたいに、みんな平和に暮らしていければいいなって……そう思うの」

 

 キラやアスラン。ラクスや、こうして素直に会話できるニコルが、みんなで笑って話し合えるようなときが来ればいいなとは、切実に思う。

 みんなで仲良く暮らしていければ、きっとそれ以上の幸せはないはずなのに──。

 

「平和は、きっと好き……海と同じくらい」

「それは、僕もですよ」

「……なのにどうして、ニコルは戦うの? どうして、戦争をするの?」

 

 ステラは純粋に、不審がって訊ねた。

 戦争と平和は、はんたいの言葉。平和がいいなって云いながら、どうしてみんな、戦争をしているの? 

 のぞき込むように、ニコルへと身を寄せた。

 

「どうして、ザフトで戦うの……?」

 

 やさしげなニコルは、ステラの中では、どこかキラ・ヤマトに似ていた。

 自分とは違って、彼らは決して、心根から戦争に向いているとは思えない。それは目を見れば、なんとなくわかることだった。穏やかな目つきをしたこの少年に、軍人はあまり似つかわしくないステータスのように思える。

 そんな純朴な問いかけに、ニコルは苦笑して、答えた。

 

「──僕も、きっかけは〝ユニウスセブン〟の一件です」

 

 アスランが軍に志願したのも、ステラの人生が狂ったのも、その一件が引き金となっており、ニコルもまた、それと同様だと打ち明けた。

 

「『何かしなきゃいけないな、僕も』って思ったんです──〝プラント〟を守るために」

「まもる……?」

「そのためにザフトに志願して、守るために戦っているつもりでした。でも、今はなんだか、何のために戦っているのか、分からなくなってきますね……」

 

 云いながら、段々とニコルはしょげ返って答えた。

 ニコルとて、決して、地球が憎いわけではないのだ。たしかに彼自身、地球軍が行った核攻撃には憤りも憶えるが、地球の都市を訪れることが夢であったニコルにとって、地球を壊滅させることは、決して目標ではないのだから。

 しかし彼は、それでも義務感から銃を取り、地球と敵対する道を選んだ。みずからの属する故郷を守るため、その一心を掲げて。

 

「ザフト兵の多くは〝プラント〟を守るために戦ってるんだと思います。進んで戦争をしたい人なんて、いないんじゃないですかね……」

 

 苦笑して放たれたニコルのその言葉は、厳密には間違っていた。

 戦争を産業にしている人間も、たしかに存在する。戦争があるから食べていける者が存在するというのは、それはそれで、ひどい話だとは思うが。

 

「こんなにも綺麗な地球を汚すことが、正義だなんて信じたくはないんですけど」

 

 ニコルはおもむろに、海へと視線を移した。

 そのとき、視線の先で、なにかが飛び跳ねた。

 

「──あっ」

 

 小さく驚嘆する声に、ステラは不審がって海へと目を向けた。

 ──なに……?

 警戒して、ステラがニコルの視線を目で追うと、そしてまたひとつ、海の方で何かが跳ねた。

 

「トビウオがいますよっ! うわあ、すごいや」

 

 そしてそれは、すごくちっぽけなことだった。

 肩透かしを食らったように、ステラはホッとする。しかし、よく見れば本当だ。──トビウオが、あっちでいっぱい跳ねてる……。

 おおよそ、宇宙生まれの彼には、本当に鳥や魚が珍しく見えるのだろう。

 純朴で夢見がちな少年だが、本当に地球が好きなのだろう、見ていると、なんだかステラまで幸せな気分になって来る。

 

 ──海……。

 

 思い立ったように、ステラはそこで、ゆっくりと立ち上がった。

 これまで一切、そこから動こうとしなかった彼女が突然、立ち上がり、ニコルはぎょっとした顔つきになった。

 きょとんとした顔つきは、やがて、目の玉が飛び出るような顔つきに豹変した。

 ステラがおもむろに、パイロットスーツのチャックを下げ始めたのである。

 パイロットスーツの下に着用した、無地の白いTシャツ姿が現れる。元々ザフトに備えてあった男性用のシャツなのか、彼女の華奢な身体には、それはいささか規格外すぎていた。

 タボダボにあまったシャツは、太腿の方まで彼女の姿を隠しているが、その布地の下がどうなっていうのかは考えたくない。考えたら無事に生還しても、アスランに殺されそうな気がした。

 いったい、なにを? ニコルは怪訝な顔をすると、ステラはこともなげに云い抜かした。

 

「うみ、はいろっ」

「エッ!?」

「ちゃぷちゃぷしてて、気持ちいいよ」

 

 ──ちゃぷちゃぷ?

 百聞は一見如かず、というが、海はただ一見して終わるよりも、その身で味わった方が、何倍も素晴らしいものだ。

 ニコルならきっと、海の感動を分かってくれる──。

 だったら、せっかくだし、海水浴した方が良いとステラは考えたのだ。彼女はしゃあしゃあと微笑んで続ける。

 

「いい機会」

「だっ、ダメですよ、服濡れちゃうじゃないですか! 替え(・・)は持ってきてないんですから──」

「? 乾かし方、ステラ知ってるよ?」

 

 いや、それは勿論僕も知ってるんですけど、とニコルがツッコもうと思ったとき、ぐいと腕を掴まれた。

 ザフトではいつも肩身が狭そうにしているが、こういうときは、ひどく強引だ。

 そのまま連れられ、海の方へと駆けて行く。──あああ、まだパイロットスーツすら脱げてないのに!

 

「あの、一応聞きますけど、泳げますよね!?」

 

 アスランの妹で、あれだけうまくモビルスーツを操る能力があるのだ。

 愚問と思ってニコルは訊ねたが、

 

「泳げない。だから浅いところまで!」

 

 意外過ぎる弱点に、ニコルはうわっと額を抱えた。

 やはり引き返した方が……と、ニコルは思ったが、手を引っ張って走っていく彼女は、とても嬉しそうな顔をしていた。それほどまでに海が好きなのだろうが、それを見たら、なんだか引き返す気にもなれなくなった。

 ばしゃん! とふたりが海へと入ったとき──彼女の云う通り、海は「ちゃぷちゃぷ」していた。見るだけの海と、身体で味わう海はまったく違っていることに気付かされる。足元までしか海水のない地点だが、冷たくて、それでも綺麗で、自分の足が見えるほど澄み渡っていた。

 ニコルから手を放したステラが、掌で水をすくって飛ばして来る。──うわ、何するんだこの子!?

 

「しょっぱ……!?」

 

 顔に浴び去った海水が、予想外の味覚を運んで来た。

 思わず苦い顔をして舌を出すニコルに対して、容赦なく水しぶきが飛んで来る。

 舌を出せば出すほど、海水がどうしようもない味覚を運んでくる。

 そもそもの原因は、どう見ても嬉しそうにはしゃぎ回る彼女だ。

 

「この……! やりましたねぇ!?」

「うわっ」

 

 衣服の心配など、もはや考えてはいなかった。

 ニコルは同様に手で水を救い上げ、ステラへと向けて勢いよく飛ばし返した。

 

 ふたりの衣類がびしょぬれになるまで────ふたりは海の感動を共有していた。

 

 

 

 

 

 

 無事にカーペンタリアへと到着したイザーク、ディアッカ、アスランの三名。

 到着するやいなや、管制からの報告を受けていた。航空機材の故障によって発着の遅れていた二機目の輸送機が、どうやら、インド洋上空にて消息を絶ったらしい。元々エンジントラブルを起こしていた輸送機であるだけに、何かの事故に遭ったのか。──それとも、何か戦闘に巻き込まれたのか……。

 様々な原因が考慮されたが、いずれにせよ、その不吉なニュースのおかげで、彼ら三人が身動きを取れずにいることは確かだった。

 

「やれやれ、舌の根も乾かないうちにこのザマかよ」

 

 夕焼けに照らされた部屋の一角で、

 

「だから俺は云ったんだ、足手まといだ、ってな」

 

 先の主張の正当性を強めるために、イザークは不満な面持ちで重ね重ね云う。

 先ほどから落ち着かない様子で立ち往生していたアスランは、その言葉に冷ややかに返した。

 

「不平を云って状況が変わるならいくらでも云えばいい。そうじゃないなら、いい加減にしたらどうだ」

 

 模範的な回答だが、イザークからしてみれば、アスランのこういった「優等生」なところが、最も気に喰わない部分でもある。

 だいたい、不満をだらだらと漏らすことに、何の利得があるというのだろう。

 生産性のない同僚の振る舞いに付き合わされて、アスランの機嫌も傾き始めていた。──何をいまさら。駄々を捏ねまわる稚児(こども)でもあるまいし……。

 

「仲間としてやってくよう云われた以上、拒絶したって何にもならないだろう」

「ふん、現に足を引っ張られている隊長殿(・・・)の台詞かよ、それが? それは貴様は肩も入るよな、なにしろ相手は、大事な大事な妹君なんだから」

「……なんだと?」

 

 嫌味を当て擦られるような口調で挑発され、アスランの表情が豹変する。イザークの露骨な悪意に対して、鏡のように悪意の籠った視線を返したのだ。

 一触即発の雰囲気が場に漂い、斜に構えたディアッカが仲裁に入る。厄介ごとに巻き込まれるのは勘弁、とでも云いたげな面持ちだ。

 

「やめろっての、ふたりとも。大体、輸送機が落っこっちまったってんなら、しょうがないだろ? つうか、ニコルも機体(ディフェンド)も一緒なんだ、そう心配することはないさ」

 

 大気圏、落ちたわけでもないし──大気圏に落ちて、文字どおり死にそうな思いをしたディアッカが云う。

 ニコルだって、伊達に赤を着ているわけではないんだ。

 脇から言葉が入り、にらみ合うふたりが視線を逸らす。──やれやれ、とディアッカは嘆息ついた。

 

「──で? 俺達はこれからどうすんの、ザラ隊長? 三人だけで予定通り〝足つき〟を追うか、それとも、消えちまった二人を探すのか」

「本部も色々と忙しいらしく、隊員の捜索は、俺達(こちら)で請け負うことになっている。俺だって、すぐにでも〝足つき〟の追撃に出たいが、こんなところであの二人を──あの二機を失うのは、得策じゃない」

 

 イザークは芝居っけたっぷりに答えた。

 

「それはそれは、ご聡明な意見ありがとうございます、ザラ隊長。──んじゃ、もう日が暮れますんで、捜索は明日からですね」

 

 既に、日はすっかりと暮れている。云い方は気に喰わなかったが、アスランはしぶしぶと、その言葉に頷いた。

 相も変わらず不機嫌そうに、イザークは踵を返し、部屋から出て行く。ディアッカは肩を竦め、手のひらを返すと、それに続いて出て行ってしまった。

 ひとりその場に残されたアスランは、しばらく落ち着きなく部屋の中を歩き回る。やがて痺れを切らしたように、

 

「だから、参加などさせたくなかった……」

 

 呟き、小突くように拳を壁に叩き付けた。

 

「ステラ…………」

 

 彼女のことを、引き離したげに漏らす言葉とは裏腹に、アスランは、所在なげに歩き回っている。

 忙しない、落ち着きのないそんな動きは、狼狽えた彼の心境の代弁者となっていた。

 そう──心配しているのだ。

 信頼のおけるニコルも一緒で、ディアッカの云う通り、機体(ディフェンド)も共にある──そう心配することはないと思うが、万が一のことを想定すると──。

 居た堪れなくなって、アスランは窓の外──日が暮れ始めた朱色がかった世界を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 夜が更け、ふたりは小さな洞窟の中で、焚火を挟んで座っていた。

 海水にまみれた衣服は、火の傍に吊るされて干されている。

 場には携帯用の食料と、ふたつのカップ、そして用意された毛布の中に、ステラは身を包んで座っていた。

 焚火を眺めながら、ステラは、ぼそりと云った。

 

「何日、ここにいることになるのかな」

「恋しいですか、アスランのこと?」

「……うん、まあ……」

 

 ニコルは上半身だけ衣類を脱いで、毛布を彼女に与えている。

 衣類ももうじき乾くはずだが、本当、自分たちは何をしているんだろう。休暇でもないのに、まして遭難しているのに、海に入って遊んで、服をびしょ濡れにしているなんて。後悔しているかと云われれば、絶対にしていないと答えるが……。

 ぱちぱち、と音を立てて燃え盛る焚火に暖を取りながら、何気なく、ニコルはこんなことを訊ねていた。

 

「最近、アスランと何かありました?」

「!」

 

 勘違いだったら謝ろうと思うのだが、それは彼が地球に降下してから、ずっと気になっていたことだった。

 降下前、ステラはラウと対面したとき、アスランに助けを求めて、彼の服の袖を掴んでいた。それなのに降下後、ふたりの間にはよそよそしいまでの距離が開いていた。単純に開いているわけではなく、なにか、意図的に空けられているような感覚。ステラもアスランも、互いに近寄ろうとしていない硬いものを感じたのだった。

 

「…………っ」

 

 何かあったのか。──それは、ステラの方が訊きたい質問だ。

 ビクトリアからこっち、アスランの態度が急激によそよそしくなったことに、ステラは何の心当たりもなかった。確証があるわけではない──ただ、最近のアスランは変わった。

 〝ヘリオポリス〟からビクトリア基地へ潜入する前までは、かつての兄と同じように、懐かしくて、暖かい振る舞いをしていた。敵対しても、何度も声を呼びかけて来てくれた。なのに、そのあと基地内で再会したときには、アスランはすでにおかしくなっていた。

 例の大地、ビクトリアに────柔らかさとか、暖かさとか、大切なものを色々と忘れて来てしまったかのように。

 

(ニコルは、気づかないんだ……)

 

 こんな質問を投げかけて来る時点で、ニコルは、アスランが変わったことに気付いていないのだろう。

 ──アスランは変わったと思っているのは、もしかしたら、自分だけなのかもしれない。

 上手く言葉で表現することが出来ず、結果的にステラは口籠る。

 

「……」

 

 場に沈黙が流れたそのとき、彼女達の前にある焚火がパチ、という音を立てて、火力の衰えを報せた。

 いけない、と思いつつニコルが薪を足そうしたところ、先んじてステラが薪を取り、それを火の中に投じた。

 

「あっ、ありがとうございます」

「うん……」

 

 余談だが、ステラは、最初に薪に火を付ける作業を手伝ってくれていた。

 それだけでなく、ニコルがモビルスーツまで携帯パックや毛布を取りに行っているとき、ステラは先んじて漂木で物干し竿を作ってくれていた。それはニコルにも作成できて当然の代物であったが、ステラにもそれだけの適応力があったことに、そのときニコルが驚いたのは事実だった。

 

「こういう……キャンプとか、慣れてるんですか?」

 

 宇宙の〝プラント〟にも海がないわけではないが、所詮は造られた水のたまり場──湖のようなものであり、レジャーにキャンプと云った催しは実際の地球ほど盛んには行われていない。そんな中でもニコルがこうした状況に慣れているのは、彼が兵士だからであり、サバイバルの訓練を受けたためでもあるのだ。

 訊ねられたステラは、しかし、ふるふると首を小さく横に振った。

 そうして、これまでに見たことがないほど優しく、柔らかな表情を浮かべ、

 

「前にね。こうやって────助けてくれた人がいたの」

 

 遠い目を浮かべ、答えた。

 短い言葉だったが──それを放った彼女の表情は、ここ最近で一番の輝きを宿していた。

 いつもの表情の、それはどれよりも安らかな笑顔で。

 

「大切な人、なんですね」

「うん、たいせつ」

 

 ニコルは鷹揚と微笑み、そしてまた、場に沈黙が訪れた。

 洞窟の中に、静寂が訪れる。

 ステラは、ぱちぱちと盛る焚火をしばし見入っていると、ややあって、ニコルの頭がこくりと揺れた。小さく驚き、そちらを注視すると、洞窟の壁に背を寄せるニコルは、今にも瞼と瞼がくっ付きそうな、眠たげな顔をしていた。休暇明けとはいえ、降下からすぐに移動命令が出て、疲れが出て来ているのだろう。

 ステラはしばらく面白がって、黙ってニコルの姿を見守った。睡魔と戦い、こくん、こくんと漂っていた頭が、やがて、がくんと沈んで、それきり浮かんでこなくなった。

 それがなんとなくおかしくて、ステラはふっと笑いをこらえた。規則正しい寝息が聞こえ始めるのを確認すると、労わるように、ゆっくりと立ち上がる。

 

「…………」

 

 自分の衣類が乾いていることを手で確認すると、身を包んでいた毛布を、ニコルへと掛けてやる。

 時計はないため、時間は確認できないが、もうじき日付が変わるはずだ。

 洞窟の中から、茫然と外を見つめ、ステラはひとり、思いに耽る。

 

 そうして、夜は更けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 ニコルが目を覚ましたのは、それから数時間後のことだった。

 

 元々、ステラより先に眠るつもりはなかった。それだけに、自分があっさりと眠りに就いてしまったことが申し訳なくて、その場に飛び起きるように目を覚ました。

 気がつけば、毛布が自分に掛けられているし、年下の彼女に、妙な気遣いをさせてしまったのかもしれない。毛布がなくなれば、彼女はほとんど半裸みたいなものだった。自分が寝たとき彼女の衣類が乾いていれば良かったが、もし仮にまだ乾いてないなら、湿った衣類を強要したことになる。

 申し訳なく思いながら、朧な視界で、洞窟の外を見遣った。霞んだ視界や、この場所からではよく分からないが、夜が明け始めているのか、外はすこしだけ明るくなっていた。

 時間にして、明朝の四時前後だろうか。

 

「ステラさん……?」

 

 洞窟の中を見回すが、ステラの姿はどこにもなかった。

 寝起きで視界がぼやけているからではない。彼女はたしかに、洞窟の中にいないのだ。

 心配になって、ニコルはその場に立ち上がる。

 寝起きのために血が回り切っていないような覚束ない足取りで外に出ると、洞窟の外に、ひとり座すステラの姿を見つけた。

 

「……? なにしてるんですか?」

 

 時間が時間だけに、彼女はひょっとして、一晩中起きていたのだろうか。いや、寝不足のような雰囲気ではない。おそらく洞窟の中で、なんとなく目を覚ましてしまったのだろう。

 単純に野宿が落ち着かなかったのか。自分が毛布を奪うような真似をしてしまったからか。いや、そもそも寝込んでいたとは云え、まだよく知りもしない異性と同じ空間で寝られるはずなかったのかもしれない。最後の原因を懸念したときは、かなり申し訳なくなって、ニコルは恐る々る訊ねていた。

 ステラは茫として、空を見上げている。

 

「星──……」

 

 彼女に示唆された方角は、彼らよりも、はるか上空だった。 

 ニコルは不審に思って、空を見上げる。

 そして、絶句した。

 

「わあ…………」

 

 夜明けの空────そこには、ニコルがこれまで、見たこともないような景色が拡がっていた。

 夜空に浮かんでいるのは────無数の光輝だった。

 無人島ゆえ、あたりに人工物がないだけ、星の輝きが、燦々と地上に降り注いでいる。薄宵の星は何万もの光になって、空を覆っている。

 視線を移せば、わずかに地平線の向こう側から、太陽が昇り始めていた。

 日の出の景色だ。

 深緑の丘の向こう側から、ひょっこりと顔を出した灼熱の光に照らされて、あたりはいっそう明るくなっていく。

 

「暁ですね!? ──すごい……すごいや。……信じられない…………」

 

 不謹慎なことだが、遭難して良かったとさえ思えてしまうほどに、それは美しく見映えた光景だった。

 感嘆の言葉すら出て来ないほどに、その景色は、ニコルにとって衝撃的だった。

 夜明けの太陽が悠然と昇り出し、その周囲に、今から姿を暗ましてゆくであろう星辰が、無数に燦然と輝いている。

 まるで────星という小さな光が、太陽という大きな光を支えているかのように。

 ステラはそこで、ぼそりと呟いた。

 

「〝暁〟はね──『アスラン』って意味を持ってるんだって」

 

 咄嗟に言葉を放たれ、ニコルはぎょっとして、ステラの方を振り向いた。

 ステラは太陽を見つめながら、寂しそうな目を浮かべていた。

 

「『ステラ』って名前には──〝星〟って意味があるんだって、お母さんが云ってた」

 

 ニコルは「え……」と言葉を失った。

 それは、まるで今、夜明けの空に浮かんでいる光景を象徴しているかのようだった。

 そんなにも輝かしい、綺麗な名前が他にあるだろうか。

 「暁」と「星」──この壮麗な光景を造り出す、ふたりの主役達の名だ。

 ふたりはきっと、幸せな名前をもらったんですねと云いたかった。云いたかったが、それを口にするには、目の前に居る少女の面持ちがあまりにも暗澹だった。

 

「前にね、夜明けの太陽(アスラン)を支えて輝くのが(ステラ)って、そう云われたことがあるの」

 

 震えた声が、わずかに泣いているように思えたのは、ニコルの勘繰りであったろうか。

 

「でも、どうアスランを支えればいいのか、今のステラには、全然わからくて……」

 

 目の前に拡がる景色は、ニコルにとっては雄大だ、しかし、ステラにとっては残酷だ。

 たしかに。目の前の光景は、星辰が太陽を支えるように展開している──だからこそ、それは今のステラにとって無遠慮に『皮肉』を突き付ける。

 

 ──ステラ(・・・)は、アスラン(・・・・)を支えられてないから。

 

 たた傍にいて支えていたいだけなのに──むしろ最近は、傍にいることで鬱陶しがられているような気さえしている。

 夜空の星は、夜明けの太陽を支えるべきなのに、ステラは全然、アスランの支えになれている気がしないのだ。

 

「〝アークエンジェル〟を撃たなきゃ……アスランの役には立てないのかな……」

「えっ……?」

「人を殺さなきゃ、ステラはやっぱり、誰かの役に立てないのかな……?」

 

 そんなのは──昔のステラと、まったくいっしょなのに?

 そんなのは──いやだ。

 星々の輝きに目を見張る。

 ニコルは小さく訊ねた。

 

「あなたは……アスランを支えたいんですか?」

「それがステラの名前だもの、お母さんがくれた──。でも、今のアスランはね。なんだかおかしい(・・・・)

おかしい(・・・・)……?」

「昔みたいじゃないの。なんだか、怖くなってるの……そのうち、わかる」

 

 降下してから、あまりアスランと会話をする機会もなかったニコルには、よく分からない言葉であったが。

 ニコルはハッと気づかされる。

 

 ──この子は、アスランの役に立ちたくて……それでも、どう役に立てばいいかが分からないんだ。

 

 アスランは隊長に任命されて、これより〝アークエンジェル〟──ステラにとって、かつての母艦──を沈めに向かう。

 己を卑下して「戦うことしか出来ない」と云っていた彼女にとっては、戦うことさえ昏迷してしまうような作戦だ。

 本当にクルーゼ隊長は、なぜ彼女をこの作戦に参加させたのだろう? これでは、まるで彼女をいたぶっているだけではないか。

 ニコルはそんな彼女を気遣って云った。

 

「一緒に戦うってことだけが、アスランの支えになるとは限らない──んじゃないですかね?」

「え……?」

「本人からすれば迷惑なことでも、その人の役に立ちたいと思って為されたことには、きっと必ず、意味があると思います。──だから、無理をしてアスランと同じ道を歩む必要はない、と僕は思うんですけどねぇ……」

 

 ニコルは何気なく話しているのだろうが、その言葉はなんだか、ステラの胸に染みていく。

 結果的に、アスランを想って起こした行動であれば、たとえアスラン本人には迷惑がられても、何らかの形でアスランの役に立つと思うのだ。ありがた迷惑もまた、愛情の形なのだから。

 アスランの傍で戦うことだけが、アスランの支えになるとは限らない──戦うことでステラが精神をすり減らしていくのなら、もっと他に、別の方法があると思うのだ。

 ──無理をして、同じ道を歩む必要はない?

 ステラにとってそれは……その言葉は──

 

「アスランが変な風に変わったなら、あなたが導いて(もどして)あげればいいんですよ。──あなたの知ってる、優しいアスランに」

 

 その言葉は、聞き間違いではなく──

 母レノアの──最期の言葉によく似ていた。

 ニコルはほのかに笑った。

 

「僕は〝プラント〟を守るために戦うんです、そう信じているから戦えるんです。あなたが何のために戦うのかは、あなたが決めないといけませんよ」

「ステラは、アスランをまもるために戦いたい」

 

 本当の歴史は(・・・・・・)アスランを殺した(・・・・・・・・・)────。

 ステラの新たな物語は、その言葉が根底にあるのだから。

 

「だったら、あなたが思う、あなたなりの方法でやればいいんですよ」

「…………〝夢〟のために、戦う?」

 

 云われ、ニコルはハッとした。

 そしてすぐに、はい、と微笑んでうなづいた。

 しばしステラはその場に視線を落とし、ややあって、再び星空を見上げた。

 

「────ステラの〝夢〟……見つかったよ」

 

 ニコルが眠りに就いてから、今に至るまで──ステラはひとりで考えていた。

 自身の理想、夢の終着点について。

 ピアニストになりたいという彼とは違って、彼女それは、決して具体的ではなかったが。

 

「ステラやアスラン、ラクスやニコル、みんなが平和に暮らせる世界が欲しい」

 

 平和な世界──。

 誰もが無数の星のように、同じ方向を向いて、等しく輝ける時代──。

 

「ステラ、踊るのが好きなの」

 

 自分なりの感性で、音がなくても、それでも気分のままに踊ることができる。

 それが、ステラの好きなもの。

 体全体を使って、自分の気持ちが表現できるから──。

 嬉しい時は軽やかに、音がなくても踊れることができる。

 でも、音があったら、もっと幸せ。

 

「だから昔、ラクスの歌でよく踊ってた──だから今度は、ニコルのピアノも聴いてみたい」

 

 純真な言葉に、ニコルは小さく微笑んだ。

 

「ニコルがピアノを弾いて、ラクスが歌う──そして、ステラが踊るの」

 

 それを聞いたニコルは一瞬、青褪めた。つまり、彼女は将来、ニコルにラクス・クラインの伴奏者になれと云っているのだ。

 それが如何にピアニストとして名誉なことか、反対に、どれだけの苦労──実力と実績──を必要とするのか、おおよそ彼女は分かっていない。

 ──でも、いい目標が出来ました……!

 ピアニストとして、俄然やる気が湧いてきたニコルであった。

 

「平和になったら、聴かせて欲しいな」

「分かりました。いつかそんな日が、来るといいですね」

 誰もが手を取り合える、平和な世界。

 それが、ステラの〝夢〟だ。

 

 夢見る少女は、己の名を持つ夜空の光輝に誓った。

 

 絶対にアスランを助けること。──たとえ、どんな方法を用いても。

 そして、

 みんなが平和に暮らせる────そんな幸せな世界のために、頑張ること。

 

 

 

 

 

 

 夜が明け、朝になると、無線が回復した。

 ザフトからの救援がやって来る。

 そうしてふたりは無事に、カーペンタリアへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 




 諸事情により、ステラとニコルは、そこまでドキドキバクバクなイベントは仕掛けてないです。まあ、かなり役得な役回りをニコルが独占した感は否めませんけど。
 ニコルは地球の海や雲にもいちいち感動を示すような「純朴で夢見がちな少年」という表現を見たことがあり、タイトルに用いたステラと似通ってるのではないかなと思いました。彼女も海が好きですしね。

 補足です。

 >星はステラ。暁はアスラン。
 本来なら『消え失せた過去から』で書くつもりだったんですが、
 ステラはイタリア語で「星」という意味で、アスランはヘブライ語で「暁」という意味を持っているそうです。※諸説あるそうですが。

 こんな話を書きましたが、これでも、相当種死のシンの立場を尊重したつもりです。

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