~夢見る少女の転生録~   作:樹霜師走

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『平和の国』

 

 明朝、朝またぎ──

 水平線から太陽が顔を出し、濃い霧があたりを覆った明朝、オーブに潜んだザフトの連絡員の許に、アスラン達──『ザラ隊』の面々は集まっていた。工作員の手引きによって、オーブ国内に潜入したのである。

 

「──ようこそ、平和の国へ」

 

 にやりと人の悪い笑みを浮かべた男。彼は手際よく、ザラ隊の面々のひとりひとりに〝モルゲンレーテ〟のものらしい作業服を手渡して行く。

 

「アンタら目当ての探し物を捜すには、工場区を歩き回るのが一番と見た。そいつは十中八九、この島にある!」

 

 そう、オーブ国内を徘徊して回るには、この作業着がカモフラージュの役割を果たしてくれる。オノゴロは軍事産業の島でもあるため、誰も違和感は抱かないだろう。

 手渡されたのは、簡素な造りをした上下肢を繋ぐ作業服(オールインワン)だ。無地に近い灰色に着色されたそれを、サイズ上、ニコルに続いて最後に手渡されたステラであったが、連絡員の男は彼女にだけ、念を押したように説明をつけ加えた。

 

「ザラ隊、紅一点のお嬢ちゃんだな? 悪いが、あんたも作業着(こいつ)で我慢してくれ」

 

 そう云って手渡された制服は灰色で、そっくりそのまま、アスラン達に支給されたものと同じものであった。隣のニコルが声を漏らす。

 

「つまり、男装しろってことですか?」

「『四人と紅一点』より、『五人の野郎共』の方が怪しまれねえだろう? 極力、騒ぎを起こすのは御免だからな」

 

 つまりステラは他のメンバーと全く同じ服を着用し、さながら男の子であるように振る舞えと云うのだ。不満がないわけではなかったが、抗議する意味もあまりなかったので、ステラは指示に渋々と従った。

 ややあって彼らは物陰に分かれ、手渡された衣類に着替え始める。男性であるアスランたちは、すぐに連絡員の許に帰って来た。

 

「完璧だ」

 

 制服というものは、異邦の者達をも平気でその国の景観に溶け込まわせるものである。

 長くオーブに滞在するその男が、どこからどう見ても違和感なく、その作業着に身を包んだアスラン達は、オーブの作業員にしか見えない。

 ──扮装は完璧だ。

 しかし遅れて、ステラがその場に現れた。

 

「あっちゃあ……」

 

 その姿を確認(チェック)した連絡員の男が、思わず額を手で包み込んだ。──華奢な彼女の体格には、手渡した作業服は、いささか大き過ぎたのかもしれない。

 ステラが身を包んだ作業服は、手足の丈が、すっかり余っていたのだ。皺が寄って、布地が余りに余り──いわば「萌え袖」の状態だ、非常に歩きにくそうである。

 ぶかぶかで、だぼだぼの作業着でおろおろとしている少女の姿に、イザーク達は不意にも赤面してしまった。咄嗟に、各々の方角へと目を背ける。

 

 ──なんだ、これは……!?

 

 いったいどうやったら、作業着の女が萌えて見えるのだ……!?

 イザークは己の理性に訴えかける。

 保護欲が掻き立てられる容姿だが──これはこれで、別の意味では(、、、、、、)何かと「アリ」ではないだろうか、と思えてしまう絵面であった。

 

「ほっ、他にサイズはないんですか? これじゃ、いくらなんでもちょっと怪しいですよ」

 

 ニコルが震えた声で云い放つ。

 ──やっぱり、女の子が作業員に扮装するのには無理があったのだろうか……?

 連絡員は首を横に振った。 

 

「急ごしらえだからな、替えはねえよ。……身に余った部分は、ピンかなんかで誤魔化すしかない」

 

 そうでもしなければ、いくらなんでも、女の子であるとばれてしまう……いや、性別を問うよりも以前に、ひとりの人間として明らかに違和感がある。

 結局、ステラの扮装を「より完璧な男の子」に近づけるために、微妙に時間を喰ってしまうザラ隊の面々であった。

 

 ──遊びに来てるんじゃないんだから……。

 

 アスランやイザーク、ディアッカの全員でステラを取り囲み、安全ピンであそこを削ろう! いやこっちが先だ! と騒ぐのが、妙に愉快な思い出になったニコルであった。

 やがて場が落ち着いたところで、連絡員はアスランにオノゴロの地図と、工場区の大まかな見取り図──そして、彼ら自身の偽装IDを手渡した。

 

「そのIDで、工場の第一区画までは入れる。だが、その先は完全に個人情報管理システムでね。……急にはどうしようもない」

 

 連絡員は弁解し、アスラン達の服装をチェックするように目を走らせたあと、やっぱり、ステラに目を留めた。はあ、とため息をついて、肩を竦めた後、ステラの前に立つ。

 ──眩いばかりの金髪が駄目だ、目立ちすぎる(、、、、、、)

 やれやれ、と嘆息ついた作業員は、彼らが着替えている間に取って来たであろう、作業服とセットのブリムキャップを差し出した。これを突きつけられたステラは小首を傾げたが、彼は、ステラのさらさらな金髪を眺めながら云った。

 

「ミディアムヘアが幸運(さいわい)したな。その髪結って、中に隠しな──ブリムを被りゃ、今よりずっと男の子(マシ)に見えるだろ」

 

 手際のよいことで、男はキャップと一緒に、数本のヘアゴムを差し出した。

 なるほど、金髪を帽子で隠そうという魂胆か──。これを眺めたアスランは、男の機転に感心した。

 そうして、云われるままにステラはヘアゴムを受け取った。

 肩上で切り揃えられた後ろ髪を、うなじの先で一本に束ね始める。ガーリーボブの金髪は、滅多に結うことはないのだが、久々に髪型を変えた気がしたステラである。

 ヘアゴムを口に咥え、馬の尻尾(ポニーテール)を作り出すた姿を見て、またも異性達は不自然に目線を逸らす。さすがは女の子だ、手際よく髪を束ね終えると、作業服と同色のキャップを深めにかぶり、アジャスターの隙間から尻尾の部分の金髪を解き放った。

 

「できた」

 

 その声に、一同の視線がステラへと戻っていく。そしてすぐに、ひゅう、と横目のディアッカが口を鳴らした。見方によって、彼女は「髪を結った金髪の美少年」に生まれ変わっていたのだ。

 我ながら完璧だ、とどこかのプロデューサーのように感嘆する連絡員の男であった。──これなら、誰も怪しまれることはないだろう。

 

「まっ、無茶はしてくれるなよ。──獅子は眠らせておきたいんでね、くれぐれも目立ったこと(、、、、、、)はしないように」

「わかりました」

 

 他でもない、アスランが誓う。

 そうして、アスラン達はオーブ国内へと潜入した。

 

 

 

 

 

 

 

「まさか、こんな形でオーブに来ることになるとはなぁ」

 

 〝アークエンジェル〟の食堂の中で、トールがさすがに感慨深げに云った。無理もない。〝ヘリオポリス〟出身の彼らにとって、このオーブは故郷も同然の場所なのだ。──宇宙の庶民階級で生まれ育ったキラやカズイには、厳密には正しくはない表現だが、それも彼らは今、地球軍の士官として故郷を訪れているわけであり。

 生まれ故郷と云えど、勝手に降り立つことは許されない。

 艦はドッグ内に繋留され、彼らには、艦内待機が言い渡されていた。暇を持て余したクルー達はなにとなく、食堂に集まる傾向にあった。

 

「上陸許可、出ると思います?」

 

 ミリアリアが、おもむろにそんなことを言い出す。

 トールは彼女の発言の意図を察し、「家族?」と訊ねた。ミリアリアは「うん……」と弱々しく頷いて見せた。

 カレッジに通って不慮の事態に巻き込まれた彼ら学生達と違って、彼らの家族は崩壊した〝ヘリオポリス〟より、このオーブへと無事に送られたとハルバートンは云っていた。

 つまり、会えるかもしれないのだ。こんなにも身近な場所に──同じ国内に居合わせているのだから、十代の少年少女なら、誰だって顔くらい合わせてみたいと思うだろう。しかし、トノムラからの返答は曖昧だ。

 

「今のところは上陸どころか、面会すら出来るかどうか……。こうやってオーブが俺達を入国させてくれただけでも、けっこう驚きもんだからな。この国から取ってすりゃ、俺達は敵ではないにしろ、味方でもないんだぜ?」

「やっぱり……この艦造ったのが、やっこさんだからかな」

「さあ」

 

 トノムラとロメオが食堂に居合わせ、少年たちの質問に答えている。

 その会話を、キラもまた同席して聞き入っていた。家族──といえば、きっとキラの家族も、このオーブに今は移住しているはずだ。

 

 以前まで、両親とは当たり前の存在だった。

 

 あの朝、母カリダはいつものように寝坊したキラを叱り付け、それでもキラは、暖かな布団の中で垂涎して眠っていた。それを叩き起こすため、カリダはキラの自室にステラを遣わせた。きっと彼女は早起きしたのだろう。すっかり朝食を済ませ、ホルターネックのドレス──私服──に着替え終えていた彼女は、パジャマ姿で惰眠を貪るキラの布団を勢いよくひっぺ返し、枕を奪い取ると同時に、抜き取ったその枕で彼の顔面を思い切り殴りつけた。突然の寒さと柔らかな痛覚が引き起こした最悪の寝覚めだった。どうしてもっと早く起こしてくれなかったんだと、寝坊した自分を棚に上げたキラの文句に対し、カリダはステラがいなかったら完全に遅刻ね、とにべもない正論を当てつけた。

 いつもと同じ朝──あのとき、あの日のうちに何が起きるかなど、誰も予想などしていなかっただろうに……。

 平時では鬱陶しいとさえ思えた親であったが、今こうして離れてみると、懐かしく、恋しくさえ思える。けれど今──両親に出会ったら、キラは再会を喜ぶよりも前に、ひどい言葉を彼らに掛けてしまうような気がする。

 

 ──どうして、僕をコーディネイターなんかにしたんだ。

 

 その事実のせいで、どれだけ自分が苦しむことになったか、わかってるのか? ──分かっていても、この言葉を両親に投げ掛けてしまう気がしている。

 そう思うと、心から家族と再会したがっているミリアリアやトール、同席する彼らとの間に心理的な温度差を痛感した。なんとなく彼らとの会話が面白くなくなって、キラは立ち上がり、食堂を出ていく。すると、曲がり角で誰かと鉢合わせになり、ぶつかってしまった。

 

「あっ」

「いたっ」

 

 食堂を出た途端、その曲がり角で、キラは柔らかで華奢な人影とぶつかった。

 燃えるような赤い髪──フレイ・アルスターだ。

 互いが互いを確認した途端、葬儀所のような重い空気がふたりに流れた。

 

「──フレイ、ごはん?」

 

 これを目撃したミリアリアが、気を利かせたのかフレイへと呼びかける。

 フレイは恐る恐る頷き、キラと彼女は、言葉も交わさずに離れた。フレイはそのまま、気まずそうにミリアリアの隣へと着席して行った。

 

「そう云えば、この艦の医務官もオーブの出身だったような気がするな」

 

 トノムラがそんなことを言い出し、傍らのサイは小首を傾げた。

 

「医務官って、あの人ですか?」

 

 くだんの人物は、以前、ステラの看病をしてくれた人物である。──記憶には、なかなかの饒舌家だった覚えがあるが。

 

「ああ、たしかな。最近は医務室に籠りっぱなしで、何かの研究に没頭しているみたいだけど、妻子持ちって聞いたからなあ。家族にくらいは会いたいんじゃないか?」

「へえ……」

 

 その会話を、フレイは大人しげな目で、しっかりと聞き入っていた。

 

 

 

 

 

 

 オーブが、地球軍の戦闘艦である〝アークエンジェル〟を匿うことを受諾した最大の理由は──当艦が持ち得る『〝ストライク〟のこれまでの戦闘データの譲渡』、そして、『キラ・ヤマトというコーディネイターの〝モルゲンレーテ〟への軍事協力』を要請するためである。

 当然、得体のしれない国として定評のあるこの国に、軍の最高機密であるそのようなデータの類を悠々と手渡せるはずもなく、例によってナタルは激しく抗議したが、結局のところ、オーブ国内に繋留され、軽度の監禁状態に置かれた今、彼らに実質的な拒否権はなかった。オーブからの要請を拒み続ければどうなるのかは──ナタルとて〝アルテミス〟にて充分に味わっているはずだ。

 公式発表では、既に〝アークエンジェル〟はオーブを出航したと、ザフトに虚言を吐いているとも説明されている。

 そこまでの便宜を図ってくれているのに対して、何も差し出さないわけにも行かない。代わりと云っては何だが、莫大な代価を払おうにも、そのような資金の余裕も今の艦内にはないのだ。まったくもって増援や補給部隊を寄越してくれる気配のないアラスカに助けを求めても、望み薄であることは明白だ。

 

「〝モルゲンレーテ〟への軍事協力か──坊主には、また悪いけどな……」

「彼、疲れてました……?」

「ああ。例の────ほら、あの機体。あれが相当、堪えたみたいでな」

 

 口籠って云ったムウの発言の意味を、マリューはしっかりと汲み取っていた。

 これまで驚異的な戦闘力を発揮し続けて来た常勝の〝ストライク〟であったが、先の戦闘では、完全に追い詰められていた。敵の数に、というわけではなく──マリューの分析が正しければ、X-301の〝イージス〟たった一機に対してだ。対ビームコーティングシールドを失い、各部にも損傷を受け、しまいには左腕を持っていかれたそうだ。

 大破した〝ストライク〟を見るのは初めてのことであったが、運が良かったのか悪かったのか、オーブは、その部分の修理までも受け持ってくれるという。

 戦闘から夜が更けた翌朝、オーブは早急に〝アークエンジェル〟と〝ストライク〟の修理に取り掛かっていた。

 キラはエリカ・シモンズという女性技術者と共にエレカに乗り、特殊エレベータにて地下の巨大な工場区へとやって来ていた。そうして目の前に拡がる光景に、キラはしばし、言葉を失った。並べられたモビルスーツ群、まるでコレクションであるかのように陳列されているそれらは、ほとんど〝ストライク〟と見まがってしまうほどの形状をしていた。

 おびただしいほど大量に並んだモビルスーツたちに、キラは息を呑んだ。

 

「これが中立国オーブの────本当の姿だ」

 

 並べられた数多のモビルスーツ、莫大な軍事力を裏に潜めた国──。

 これが本当に、平和の国と呼ばれる国の正体なのか──?

 

 ──この国はいったい、これを何に使う気なんだろう……?

 

 背後から聞き覚えのある声が聴こえ、振り向いた先には、ラフな格好をしたカガリ・ユラ──改め、オーブのお姫様であると先日露見した、カガリ・ユラ・アスハの姿があった。

 お姫様という身分が分かっただけ、深く頭を下げた方がいいのかと困惑するキラであったが、どこの世界に、タンクトップとカーゴパンツを履いて工場をうろつき回る上流階級のお嬢様がいるのだろう。身の置き場を失ったように困惑するキラに、エリカは飄々と声を掛けた。

 

「そう驚くこともないでしょう? ──〝ストライク〟だって〝ヘリオポリス〟にあったんだから。あそこだってオーブだもの」

「これはM1〝アストレイ〟──〝モルゲンレーテ〟社製のモビルスーツ。──オーブの護りだ」

 

 そう説明され、困惑しつつも、キラはさらに工場区の先へと案内された。

 〝アストレイ〟は「はぐれ者」といった意味を含んだ言葉であり、オーブが自国の理念を曲げ、大西洋連邦軍との共同開発から技術を盗用して開発されたという点から、その名が名付けられた。あるいは、当世では人を殺す兵器としてでしか定義されないモビルスーツを、人を救うために運用することから、運用目的が「王道ではない」という、皮肉な願いを込めて命名された節がある。

 

 結局、オーブが中立国という立場を貫くためにも、武力が必要であるということ。

 

 非武装では理念すら掲げられず、独自の理念を貫き通すために、他国からの圧力に屈さぬほどの意志を通すために、やはり武力が必要なのだ。

 エリカがキラを連れて行ったのは、視察用のブースであった。強化ガラスの向こう側に、先に見た〝アストレイ〟──今度はパイロットが乗っているようだ──が、三機並んでいた。

 

「アサギ、ジュリ、マユラ!」

 

 エリカがインカムに向けて声を放つと、ブースの中──正確には〝アストレイ〟の中から〈はあーい!〉という甲高い声が響き、キラはぎょっとした。

 ──い、今のが、操縦者の……!?

 それは、あまりにもかしましい、黄色めいた声だった。おそらく、キラと年端も変わらぬ少女達が乗っているのだろう。

 

〈あっ、カガリさま!?〉

〈あら、ほんとだ!〉

〈なぁにー? 帰って来たの?〉

「──悪かったな」

 

 ブースの中にカガリの姿を見つけた少女たちが、モビルスーツの外見とはあまりにもそぐわない華やかな声を放つ。キラは思わず目眩を起こしそうになった。

 アサギ・コードウェル、ジュリ・ウー・ニェン、マユラ・ラバッツ──この三人は、オーブ陸軍に所属する兵士であり、現在、このM1〝アストレイ〟のテストパイロットとして出向している人物達である。

 彼女たちは、たしかにカガリという良家の令嬢──まあ、とてもそうは見えない──に向けて「さま」を付けているが、勝手にひとりで家出して、ひょっこり返って来た彼女をいじっているようだ。相当、気の置けない間柄なのだろう。

 

〈隣のコ、なに? ちょっとカワイイじゃない!〉

 

 自分のことらしい、ということに気が付くと、キラはぎくっと身を引いた。

 

〈やぁだ、カガリさま! 家出とか云って、実は駆け落ちぃ? 水臭いんだから~〉

〈いいなーいいなー、あたしもそんな素敵なカレシ欲しいなーっ〉

〈がさつで乱暴でとんちんかんなカガリ様ですが、どうぞ末長くよろしくお願いします~〉

 

 随分な云われようだ。

 しかし案外、的を外してもいない発言だけに、キラは思わず吹き出しそうになった。

 

「はいはい、再会の挨拶はそこまでにして──今日はお客様がいらしてるんだから」

〈えー! そのコ、お客様だったのぉ?〉

〈なんだぁなんだぁ、あたしてっきり、物好きにもカガリ様をもらってくれる人がいるんだとばっかり!〉

〈でも、それもあり得ないかぁ。あはは〉

 

 相も変わらず、散々な云いようを暴露した。

 

「……おまえら、あとで憶えてろよ……」

 

 地鳴りにも似た声調で、カガリが唸った。

 やれやれ、と嘆息ついたエリカであったが、次に端正な面持ちになると、インカムに向けて声を放った。

 

「──始めて」

 

 号令に従って、何かのデモンストレーションが始まった。

 ブースの中で、三機の〝アストレイ〟が起動し……。

 

「……えっと……」

 

 キラは言葉を失った。

 目の前の〝アストレイ〟達は、ギシギシと腕を伸ばしたり、足を踏み込んだりしている。──恐るべきのろさで。おそらく中国拳法のフォームを取っているのだろうが、あまりに鈍重な動きのためか、太極拳のようにしか見えない。そのうち少女達が〈あちょー〉とか言い出しそうである。

 とてもうら若き乙女たちが操っているとは思えない、老人のような動きだ。

 これがデモンストレーションであると、判断して良いのか恐悦微妙である。「遅くね?」と誰か痛快なツッコミ役がいるとしか考えられない、新喜劇の間違いではないだろうか。

 

「ひどいな」

 

 突っ込んだのは、例によって竹を割ったように真っ直ぐなカガリであった。

 

「これでも倍近くは速くなったんです。新しいOSを入れましたから」

「でもこれじゃ、何の役にも立ちゃしない、ただの的だぞ」

 

 辛辣な言葉に、マユラからの抗議の声が上がる。

 

〈ひっど~い、ひとの苦労も知らないで!〉

「ほんとのことだろうが! 敵だって知ってくれないさ、そんなもん!」

 

 手厳しい意見は、なおも続いた。

 

「もっとこう、機敏に動けないのかよ。せめてハエが留まらないくらいに……」

〈ハエなんて留まってないもんっ!〉

「訓練場にハエがいないからだろ、それは」

〈あーっ、云ったなぁ!? もう怒った! こうなったらカガリさまより先にカレシ作ってやる!〉

「それとこれとがどういう関係があるんだよ!?」

「はいはいはい、やめやめ」

 

 しかし、これがオーブと云う国の、軍事力の実状である。……いや、正確には「ナチュラルの限界」と評した方がいいのかもしれない。

 大西洋連邦と〝モルゲンレーテ〟の共同開発による〝G〟計画においても、大西洋連邦は機体自体を完成させても、肝心のパイロットについては完璧に門外漢だったのだ。

 操作系──およびオペレーション・システムに関しては、当段階では完全にナチュラルに可能な領域を超越した操縦技量を前提としており、大西洋連邦ですら、人員不足の問題を先送りにしていた。だからこそザフトに強奪なんて不甲斐ない結果を招いたのではないかとも思えるのだが、いまさら、それは云ってもしょうがないことだ。

 結局、〝モルゲンレーテ〟社内においても、操作系の問題は一向に解決の目処が立たなかった。

 モビルスーツはコレクションではないのだ。機体はあっても、それを充分に操る者がいなければ、どこまで行っても宝の持ち腐れでしかない。

 だからこそ、

 

「技術協力をお願いしたいのは、あれのサポートシステムのOS開発」

 

 あらゆる分野で一流と呼ばれるだけの素養を手に、生まれ出でるコーディネイター達。彼らでしか操れないとされるモビルスーツを、ナチュラルが操ろうと云うのだ。彼らと対等の立場に立つには、人工AIに情報処理の大半を任せるしかない。

 今のところ、オーブはそれがうまくいっていないのだ。だからこそ、コーディネイターであるキラに、その技術協力を申し出たのである。

 

「……オーブはあの機体を完成させて、どうするつもりなんです?」

 

 どう? と聞かれ、エリカは意表を突かれた表情を浮かべた。彼女は技術者だ。機体を開発することが役割であって、その運用目的にはあまり深い関心はない。

 その問いには、カガリが答えた。

 

「おまえも知ってるだろ? オーブは他国を侵略せず、他国の侵略を許さず、他国の争いに介入しない──これは、そのために必要な力さ」 

 

 そう、オーブはこの巨大な軍事力を、決して他国に見せびらかすようなことはしない。

 この軍事力が、もし仮にも必要になったとき(、、、、、、、、)──そんなときが来ないことが最善なのだが──国を守るために、秘密裏に持っておかねばならない力なのだ。

 

「オーブはそういう国だ。……いや、そういう国のはずだった、お父様が裏切るまではな!」

「あーら、まだおっしゃってるんですか? 〝ヘリオポリス〟が地球軍のモビルスーツ開発に手を貸していた──などと、そんなことはウズミさまはご存知なかったと、前に何度も……」

「そんな言い訳が通ると思うのか、国の最高責任者が」

 

 いちいち厳しい言葉だが、正しい言葉でもある。

 エリカは呆れた様子で答えた。

 

「だから、責任はお取りになったじゃありませんか」

「叔父上に職を譲ったところで、結局はあれやこれやと口出ししているんだ、けっきょく、何にも変わってないじゃないか」

「呆れた……。あれほど可愛がっていたお嬢様がこれでは、ウズミさまも報われませんわね。それでは、ほっぺのひとつも叩かれます」

 

 云われ、カガリは罰が悪そうな顔を浮かべた。

 会話がやみ、エリカは改めてキラの方を振り返った。

 

「戦時である今でこそ、中立を貫くこのオーブは、難しい立場にあるの。だから私達はこの〝アストレイ〟を──あなたの〝ストライク〟のように強くしたいの」

 

 はあ……、と頷くキラに、エリカは不敵な笑みを浮かべた。

 

「あとで、キミには他に見せたいもの(、、、、、、)があるの。よろしくね」

 

 云われたキラは、その言葉の意味が分からなかった。

 

 

 

 

 

 

「──見事に平和ですね、街中は」

 

 繁華街を抜けながら、ニコルが不意に声を漏らした。アスランも静かに頷く。

 その背後にはイザーク、ディアッカと並び、ステラが最後に続いていた。

 

「昨日領海で、あれだけの騒ぎがあったってのに……呑気なもんだぜ」

「中立国、だからですかね……?」

「どいつもこいつものどかな顔しやがって! ここは桃源郷か何かなのか!?」

「イザーク、声が大きいぞ」

 

 イザークが八つ当たりのように騒ぎ散らす。

 しかし立場上、彼らは目立ってはならない──そっと釘を刺すアスランであった。

 

「ここだけでも平和なら、それはいいことじゃないですかね」

「どこが? あんなモン造っといて、自分たちだけのうのうとしてるって、卑怯ってんじゃねーの?」

「でも、政府が犯した過失の責任を、国民に当てつけるのは、すこしお門違いな気もしますよ」

 

 彼らの会話をよそに、作業服のステラは、ぼんやりと繁華街を見回しながら歩いていた。

 行き交う人の往来が、とっても喧噪な街だ。すれ違う民間人は、スーツを来た男性や、制服に身を包んだ女子学生など様々で、見ていて、そして歩いていて飽きが来ない。

 

 ──残念なのは……。

 

 街を散策し始めてから、ステラは当初こそ目を輝かせていたが、今ではすっかりしゅん肩とを竦め、俯きがちに歩いていた。

 オーブの街中は、小国ながら非常に栄えていた。

 高層ビルが建ち並び、至るところに透明なガラスが巡らさっている。そう、街を歩いていると、嫌でも多くのショーウィンドウに、自分の姿が度々とまる映しになるのである。

 

「…………」

 

 深く被った灰色の帽子に、みすぼらしい灰色のオールインワン──全身が灰色に彩られ、

 

(コンクリート人形だ……)

 

 と、ステラはみずからを意味の分からない表現で喩えた。

 何が云いたいのかというと、殺伐とした男の子みたいな格好なのだ。いや、実際に男の子に見えなければ困る(、、、、、、、、、、、、)のだから、そう見えて当然なのだが……。

 こんなにも賑やかな街では、もっと解放的になっていたくなる。でも、こんな格好ではしゃいでしまうと、きっとアスランに怒られるような気がするから、それもできない。

 ステラの横を、綺麗なドレスに身を包んだ女の人や、オシャレな格好をした女の子が通り過ぎた。思わず二度見したくなって、振り返りながら歩いていく。

 

(いいなー)

 

 沈んだため息を漏らしたステラは、茫然として歩を進めていた。

 そのとき────ちゃんと前方を確認していなかったのだろう、曲がり角から突如現れた人影がいることに、彼女はまったく気が付かなかった。

 

 どんっ

 

 交差点の角でぶつかり、ステラは大きくよろめいた。鍛えているのか、大柄ではないが、たくましい人影にぶつかったようだ。

 衝撃に尻もちをつくかと思われたその瞬間、ぐいと腕を引っ張り上げられた。そうして、抱きかかえられるような形で、彼女は背後の人物に抱き留められた。

 一連の物音を聞き取ったアスラン達が、咄嗟に振り向く。工作員に云われたとおり、彼らは決して「目立ったことはできない」のだ。──その分だけ、神経質にもなっていた。

 

「いったた……、ちゃんと前見て歩けよなー」

 

 アスランの眼に映ったのは、妹を背後から抱える────黒髪の少年であった。

 年齢にして、彼よりも二歳ほど年下だろうか? 切れ長の前髪から覗く赤い瞳には────なにか強い意志を感じる。

 歩み寄り、アスランは少年へと話しかけた。

 

「すいません。うちの()が──」

 

 アスランはあくまで作業員を装い──そしてステラを妹ではなく、弟と名乗らせ──、謙って答える。

 イザークは興味なさげに視線を外し、ディアッカも飄々と振る舞い、ニコルは人の良い笑みを浮かべた。彼らは内心──その黒髪の少年が当たり屋でないことを心から願っていた。ここで騒ぎを起こされたら、一貫の終わりだ。

 少年はカットソーの上にメッシュニットという、流行りの若者らしい格好をしていた。平和な国と謳われる国の住民らしい、健全な少年らしい格好である。

 黒髪の少年は、遠方に作業着姿のアスランの姿を認めたらしい、不満げに云った。

 

「工場区の人? 弟さん? ちゃんと注意して歩かせてくださいよ」

「ええ、本当にすいません……」

 

 よく見れば、少年はバースデーケーキの入った袋を手に引っ提げていた。

 どうやら、神経質になっていたのは向こうも同じらしい。

 

「……それは?」

「ああ、これ。今日、母の誕生日なんです。だから誕生日ケーキ、崩れちゃったら大変で」

「そうですか……それは大変な失礼を」

 

 云いながら、アスランは少年の許へと寄って行く。

 少年は抱きかかえたステラの身体を離すと、そっとアスランの許へと送り出してあげた。

 手放した少女の表情が、愕然としていることにも気づかずに────。

 ステラの身を戻したアスランは、礼儀正しく頭を下げた。

 

「では、俺達はこれで──」

 

 アスランがステラの手を取り、踵を返す。

 少年に背を向け、別れを告げようとした、その瞬間────背後から「おせっかいだと思うんすけど」と、少年のひとこと多い爆弾発言が投げ掛けられた。

 

「弟さん、工場で働いてるなら、もっと体鍛えさせた方がいいっすよ! ──抱えたとき、胸板ぷにぷに(・・・・)してましたから!」

 

 時が止まった。

 ぴきっ────と音を立てて、場の空気が一瞬にして凍り付いて行く。

 何気ない言葉の爆弾が投下され、アスランの──妹の……いや、少年からすれば「弟」の身体をまさぐられたらしい兄貴の心の中で、大爆発が巻き起こる。

 地獄の業火は彼の心を焼き尽くした。

 アスランが────凍てついたように表情を失う。

 

 ──ぷにぷに…………?

 

 あいつ今、なんて云った……?

 爆発の余波か────口元から、湯気のような高熱の煙を吐き出し始めたアスランである。鬼の形相に豹変し始める同僚──もとい、誇り高き隊長の姿に、隊員たちはぎょっと目をむいた。

 アスランはギギギ、と音が鳴りそうにぎこちない動作で、ゆっくりと少年に振り返り──、

 

「もう一度云ってみろこの野郎────ッ?!」

 

 口から大量の煙を吐き出しながら、今にも少年に飛び掛かろうとした。

 ──くれぐれも、目立ったことはしないように。

 ──わかりました。

 そう誓ったのは、アスランだろうに!

 

「ああッアスラン、ダメですよ! 隠密行動中なんですから騒ぎを起こしたらッ!」

「離せッ、離してくれニコルッ!」

「おい、俺に『声がデカい』って注意したのはこいつだよな」

「こいつ妹のことになると取り乱すよな」

 

 飛び跳ねようとするアスランを、ニコル、イザーク、ディアッカの男三人がかりが制し始めた。──これはこれで、珍妙な絵面である。

 突然、温厚だと思っていた年上の人物がキレ出し、少年はわけが分からなかった。

 

「なっ、なんだよ、おれは親切で云ったのに! そもそも男同士でぶつかったんだから、非はそっちにあるはずだろ!?」

 

 少年は懸命に弁解した。たしかに、一連の流れで汲めば、その主張は正しい。

 もしも本当に──金髪の子がアスランの弟であったなら、という話だが──。

 制されてなお、アスランは呪うように叫んだ。

 

「ぷにぷにって……。ぷにぷにってなんだぁー!?」

「事故ですよアスラン! ただぶつかった拍子に、きっとステラさんの──」

 

 きっと彼女の、ある部分にぶつかったんだろう──。

 そう云おうとしたニコルであったが、次の瞬間。

 そのニコルが、顔からボッと火を噴かした。

 話に上がったある部分のことを、記憶の中から思い出したのかもしれない。ボッという音を立てて、赤面するニコルである。

 

「──えっ?」

 

 アスランはきょとんとして、不審な視線を、少年からニコルへと移した。

 真っ赤に顔を紅潮させた、絶大な信頼を寄せていた後輩が──恥ずかしそうにアスランから目を背けている。

 ──ニコル? なんだ、今の「ボッ」って……!?

 アスランは混乱し始める。

 そういえば────……。

 ニコルは以前、ステラとふたりで『南国の無人島に遭難した』と云っていた。

 俺の知っているニコル・アマルフィは純粋なヤツだ。まさか、そういうことはなかったと信じていたが……南の孤島でか? 何があった? あの遭難で、何があったぁッ!?

 

「ニコル? ニコルぅ!?」

「ななな何でもないです……アスラン……」

「嘘をつけぇ!」

 

 ──まさか、身内からも『裏切り者』が出て来るとは!

 さらに暴れ出すアスランをよそに「こいつは馬鹿か」と顔に書いてあるイザークとディアッカは、冷ややかに状況を解説した。

 

「ディアッカ、アスランはあんなヤツ(アホ)だったか」

「今までステラを遠ざけてた分、実は近づきたくてしょうがなかったんじゃないのか」

 

 優秀でありたい兄ゆえの、プライドが邪魔をして。

 

「ほら、ビクトリアから様子が変だったし」

「ふはは、なるほど」

 

 簡単に納得したふたりである。

 

「おまえらなんなんだ! おれだって、おれだってまだなぁ!?」

「ダメッ! それ以上云っちゃダメですアスラン! あなたのファンの女の子は〝プラント〟にも多いんですから!」

「ていうか──『まだ』って発言は色々とダメだろ」

兄妹(きょうだい)だからって許されたことじゃなくね?」

 

 すっかり蚊帳の外となった少年は、目を丸くして目の前の会話を聞き入っていた。

 どうやら、仲間割れを始めたらしい。

 工場で働くより、どこかで漫才師をやった方がいいんじゃないだろうか。

 

(とッ、とにかく──! 今は潜入中なんですから、多少のことには目を瞑らないと!)

 

 ややあって、アスランを落ち着かせることに成功したニコルである。

 

(あっ、ああ、すまない──冷静じゃなかった……!)

 

 心を落ち着かせるアスランであったが──

 次の瞬間、話の傍らにいたステラが、突然、その場から駆け出した。

 

 

 

 

 ──どういう、こと……?

 

 ステラは状況が呑み込めなかった。

 ぼーっとして繁華街を歩いていたら、誰かとぶつかった。そして、ぐいって腕を引っ張られて、だれかに抱きとめられた。

 大柄なひとじゃなかった。

 でも、その腕はすごく力強くって、ステラの身体を受け止めても、しっかりとその場に構えていた。

 

 ──聞き慣れた声だった。

 

 ぶっきらぼうで、ちょっとだけ乱雑なようにも聞こえて。

 でも、その奥にはたしかに──あったかいやさしさが、たくさん込められていて──。

 抱きとめられて、振り向いて、そうして震えた。

 切れ長の前髪、目に映ったのは怖いはずの『赤』い瞳──でも、その色は怖くない。

 燃えるみたいに、強い心を宿した『赤』──それだけは、残酷な色じゃない。

 

 ──まもる。

 

 そう教えてくれたひと。

 その想いを、最後まで貫こうとしてくれたひと。

 強い心が、宿った色だったから────。

 気が付けば、ステラはその場から駆け出していた。

 

シン(、、)────!」 

 

 そうして──どういうことか、オーブに現れた少年に抱き着いた。

 

 

 

 

 

 突然、作業着の「弟さん」に抱き着かれ、黒髪の少年はその場に卒倒した。

 歓喜のあまり、勢いよく突進され、少年は体重を支えることができずに、その場に倒れてしまったのだ。

 床に仰向けにのし倒され、少年はひたすら喚いた。

 

「うわぁ、なんだっ!?」

 

 ──やめてくれ、俺には大切な妹がっ! 俺には衆道の趣味はないんだー!

 訳が分からずじたばたし出す少年に、まるで猫のように抱き着き始める妹────。

 アスランは目線を落とし、ふっ……と笑った。

 

「すまない、俺はやっぱり冷静じゃなかった……」

 

 絨毯爆撃(目の前の光景)が、アスランの心を焼き尽くす。

 そうして再び、口から大量の煙を吐き出した。

 ぐいっ、と服の袖を肩口まで捲し上げ、叫ぶ。

 

「なあアイツ()っていいか────ッ!?」

「アスランーーッ!?」

「冷静に考えたらここで殺っておいた方が────ッ!!」

「おいまたかッ!?」

 

 最近のアスランらしい発言を持ち出され、ふたたび男三人がかりでアスランを取り押さえ始めた。

 肝心の少年は、ひたすら頭の上に疑問符を連続させている。

 

「ちょ、あんた、どういう──!?」

「?」

 

 ステラは呆然として、少年──「シン・アスカ」の顔を見上げた。

 まるっきり間の抜けた顔。そして慌てふためいた顔。懐かしい。海岸で服を乾かし合っているときに浮かべていたそれと、まるで一緒だ。

 間違いなく────シンなのに。

 肝心のその少年は、ステラをステラとして理解してはいなかった────。

 鍛えているであろうニの腕で、少年は少女の身体を引きはがした。

 

誰だか(、、、)知らないけど(、、、、、、、)、ちょっと待ってくれよ!」

「シン────?」

「えっ、なんで俺の名前──?」 

 

 ぎょっとして驚いたそのとき、傍らから、幼い少女の声が響いた。

 

「お兄ちゃん見っけ! ──て! 何してるのっ!?」

 

 それは、少年と同じように黒い髪をした──まだ年端もいかない、幼い女の子だった。

 

「ま、マユっ! 助けてくれっ!」

 

 少年は喚き、ちッ、とイザークは舌を打った。

 ──まずい、騒ぎ過ぎた……!

 辺りを見れば、奇異がった周囲の民間人たちが、自分達を見つめていた。

 

「お兄ちゃんから離れてください!」

 

 咄嗟に「マユ」と呼ばれた少女は、駆け寄って少年の許に走る。

 それと同様に、アスランもステラへとにじり寄った。──勿論、目の前の少年に「この、莫迦野郎ッ!」と怒鳴りつけたい気持ちを必死で堪えて。

 

「ステラ、ずらかるぞ。これ以上はまずい」

 

 云いながら、アスランはステラの衣類の襟をつかんだ。

 

「あんっ」

「変な虫にくっつくな」

「やーだー」 

 

 そうしてステラは、ずるずると引っ張られて行ってしまった。

 

「……なんだったんだ……あの人たち…………?」

 

 訪れた静寂の中、少年はひたすら、頭に疑問符を浮かべていた。

 まるで、嵐のような人達だった。

 金髪の少年に関しては、初めから俺のことを知っているようだったし──。

 

(でも…………)

 

 見上げられた円らな瞳は少年のものというより、まるで、女の子みたいな目をしていたけどな────。

 ──いったい、何だったんだ……?

 消化不良を起こしながら、そっとその場に立ち上がる少年。傍らの妹が激昂するように叫んだ。

 

「何やってるのお兄ちゃん! ケーキ! ケーキがっ!」

「ああッ!?」

 

 少年は慌てて手許に視線を落とす。

 卒倒された影響で、ケーキの包装された箱が、べこべこに凹んでいた。中身を確認せずとも、中がどうなっているのかは想像がついた。

 

 ──父さんからケーキ代もらってたのに! これじゃ、俺の自腹で買い直さなきゃいけないじゃないか!

 

 黒髪に赤い瞳の少年──

 シン・アスカは、既に見えなくなった者達に向けて──、

 

「憶えてろよ、こんちくしょぉーーっ!」

 

 呪うように、声の限り叫んだ。

 

 

 

 

 

 繁華街を抜け、これよりアスラン達は港へと向かうことになる。──勿論、軍港に堂々と〝足つき〟が置いてあるとは思えないが、それでも、何らかの確証を得るためには、足を棒にして動き回るしかないのだ。

 ステラはそれでも、このときいまだに茫然としていた。引き返したい気持ちを抑えて、かろうじてアスラン達について着ている状態だ。

 

 ──シン……どうしてここに?

 

 二年前の今──シンはこの国にいた。

 その傍らには、シンのことを「お兄ちゃん」と呼ぶ、見知らぬ女の子。

 アスランを「お兄ちゃん」と呼ぶことのある自分のように──それなら、あのマユという少女は、シンの──?

 シンには、妹がいたんだ…………。

 

 ──でも、シンはステラのことがわかってなかった。

 

 男装をしていたから? ちがう。

 もっと根本的に、シンはまだ、ステラに出会ったことがないからだ。

 するりと、記憶が蘇る。

 

 ──誰だか知らないけど(、、、、、、、、、)

 

 それは、たしかに理解はできても、すくなくとも、彼女にとってショックなひとことであったことには変わりはなかった。

 ステラは俯きがちに考える。

 ──うーん……。

 せっかく出会えたのに、こんな形だなんて。

 ──また、オーブに来る機会はあるだろうか?

 ──また、彼に出会う機会はあるだろうか?

 それに────シンは、ステラを完全に「男の子」だと思っていた。

 できるなら、もっと違う形で…………。

 

「…………」

 

 繁華街を抜けていると、彼女はふと、高層ビルの巨大テレビモニターに目を留めた。

 最新モデルのエレカ──そのコマーシャルが放映されているようだが、ステラが目を留めたのは車ではなく、その宣伝役を務める、ラクス・クラインの姿の方であった。ステラにとっては、慣れ親しんだ姉のような存在だが──ラクスは世間一般から見れば、女優として、こういった仕事も受け持っているのだろう。

 すると、ステラの傍に居た男女を交えた高校生のグループがが、同じようにそのコマーシャルに目を留めた。そしてすぐに、女の子がかしましい嬌声を挙げ始めた。

 

「きゃーっ、ラクス・クラインよ! わたし大ファンなの!」

「お姫様みたいで、素敵よね! わたしも好きーっ!」

「俺も好きだぜ! なんていうかこう、理想の女の子だよな!」

「ああいう優しくて可愛い女の子、カノジョだったらいいよなー!」

 

 これを盗み聞きした傍らのディアッカが、人の悪い笑みを浮かべる。

 

「──だとさ?」

「何故、俺に聞くんだ……」

 

 当のラクス嬢の婚約者である、アスランはげんなりとして答えた。

 モニターに映るのは、たしかに、平和の歌姫と呼ばれる、ピンクの波打つ長髪が特徴的な女の子。

 過ぎ去っていく女子高生たちを振り返り、ステラは、

 

(髪、伸ばそうかな……)

 

 ふと、そんなことを考えた。

 そうすれば、きっと────。

 

 

 

 

 

 

 ドアが開き、その奥から両親の顔が見えた途端、少年たちは一目散に駆け出していた。

 先日、ミリアリアが口にした希望が、一部でも叶ったのである。「両親に会いたい」という切実な願い。上陸し、家族が暮らす家に帰ることは立場上の問題で叶わなかったが、それでも、両親がこちらのドッグに足を運ぶことで、彼らは両親と再会することが出来たのだ。トールやミリアリア、その両親たちが再会し、歓喜の抱擁を交わす。

 

 そして、その中には──先日、話に上がった〝アークエンジェル〟の医務官の姿もあった。

 

 彼の妻と、そしてその子供──まだ年端もいかない、六歳くらいの女の子だ──と涙ぐんだ再会を果たしている。

 ということは──彼は久々に、〝アークエンジェル〟の医務室を開けている、ということでもある。

 

 医務室が、すっかり留守になっていたのである。

 

 誰もいないはずの医務室のドアが、こっそりと開いた。

 忍び足で入室する人影。

 

 そこに現れたのは、フレイ・アルスターであった。

 

 彼女には、迎えに来てくれる家族がいない。──いや、より正確には、いなくなった。

 両親と再会する者達の輪に、彼女は入ることが出来ない。

 だが────この医務室が留守になる瞬間は、彼女は付け狙っていたのだ。

 

 その掌の中に────医務室のデータを回収するための、メディアを抱えて────。

 

 

 

 

 





 『〝アルテミス〟陥落B』
 にて登場したAAの医務官、再登場。
 次回は、彼とフレイとの会話から、再び平常運航で再開して行こうと思います。

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