~夢見る少女の転生録~   作:樹霜師走

39 / 112




『姫違い』

 

 

 

 ナチュラルの家庭──アルスター家に生を受けたフレイは、生誕前よりある程度の容姿を選定できるコーディネイターにも引けを取らない可憐な容姿をしている。

 それは世俗めいた表現をすれば──「美少女」と形容しても差し支えない美貌だ。月並みに陳腐な表現に聞こえるだろうが、燃えるような赤い長髪、大きく円らな双眸、そして抜群のスタイルには、老若男女が振り返ってでも見とれていたい。──ナチュラルだからこその自然な美しさを、彼女は磨き、そして有しているのである。

 以前、フレイは〝アークエンジェル〟の医務官の許を訪れていた。

 医務室には一脚のパイプ椅子が間に合わせで設置され、彼女はそこに浅く腰かけていた。

 

「──〝ディフェンド〟のパイロットについて訊きたい?」

 

 〝ヘリオポリス〟崩壊から今に至るまで、この〝アークエンジェル〟の船医を務める男。

 名を、ハリー・ルイ・マーカットと云う。

 白衣に身を包む男は、赤茶けた色の短髪を綺麗にまとめた容姿に、太縁の眼鏡をかけている。年齢にして、三十代後半と云ったところだろうか。

 ハリーは唐突な訪問者──フレイから突然「ステラについて色々と教えて欲しい」との旨の要求を提示され、片眉を顰め、疑ったような顔をした。当然ながら「いや、でもな……」とハリーは返答に渋った。過去の受診者の情報を不必要に吹聴することは、医者として患者へのプライバシーの侵害に当たるのだ。

 

 ──いったい、どういう風の吹き回しだろう? 今さらになって、彼女のことを聞きたがるなんて……。

 

 怪しんだハリーは「いちおう、理由を訊いておこうかな」とフレイを疑い、警戒の念を押す。問われたフレイは肩を狭め、「私と彼女、ずっと友達だったんです」と事実無根の供述を返した。

 うら若い乙女の、円らな双眸はきょろきょろと泳ぎ、一見すると儚げな印象さえ受ける。それはおそらく、平時の彼女からは想像にも付かぬ姿で、男としての保護欲が掻き立てられるような姿だ。──こちらをやや上目がちに見つめてたり、両腕を内側に狭め、豊かな双丘を強調しているように見えるのは、心なしの勘違いであろうか。

 寂しげな雰囲気が眸が、魔の手となって男の警戒心を紐解いていく。

 

(ここで突っぱね返すのは可哀想だな……)

 

 不覚にも、そう思わされてしまった。

 これが傾国の手練手管だと、云う奴は云うのだろう。

 

「まあ──別に、構わないけどさ」

 

 ハリーは渋々と頷き、それによりぱっと晴れた少女の笑顔が、彼の冷静な判断力を彼方へと吹き飛ばした。

 ──単純な男……。

 フレイは胸底でふっと嘲った。

 

「でも、医者としてはそこまで掘り下げたことは云えないよ。守秘義務ってものがある」

「それならそれで良いんです。わたし、あの()とは〝ヘリオポリス〟では仲が良かったので、心配になって訊いてみたかっただけなんです。──あの娘が今まで、どんな目に遭って来たのかを」

 

 そんな話は聞いたことがない、と思うハリーであったが、この際だ、気にしないことにした。

 彼は一度、咳払いをして、空気を正した。

 

「──たしかに、あの娘を診療したのは僕だよ」

 

 そう。この男は、かつて〝アルテミス〟陥落の折──負傷したステラを治療し、その診察段階において、彼女に薬物使用の既往歴があったことを見抜いた第一発見者でもある。おそらく、医学的な観点だけを云えば「ステラ・ルーシェ」という人物について、この時代の誰よりも、理解のある人物ではないだろうか?

 座椅子の背もたれに体重を預け、ゆったりとした姿勢で、ハリーは口を開いた。

 

「彼女の身体から『奇妙な薬物反応が検出された』という話は、もう聞いてるかな」

「ええ、まあ……それはキラ君から聞きました」

 

 事実である。

 元々、彼女はキラと何度も起床と就寝を共にして来た仲だ、かつて、それくらいの情報は訊き出したことがある。

 ハリーは「そうか」と呟き、その先を続けた。

 

「ザラという上流階級の名を持っていることからも、これは自明だが──キラくんの話では、生来の彼女(ステラ)は、幸福で暖かな家庭環境で生まれ育ったらしい。三年前までの彼女は、無邪気で平凡な女の子で、とても薬物なんかに溺れるような荒んだ家庭環境にはなかったそうだよ」

 

 フレイはやや前のめりに、ハリーの話に聞き入った。

 

「三ヶ月前、キラくんが〝ヘリオポリス〟で再会したときには、彼女はすでに、何者かの手によって薬物の投与を受けていた──てことだ」

 

 淡々と、その先を続ける。

 ──そう……。

 生来のステラ・ルーシェは、機械工学に詳しいわけでもなければ、まして、モビルスーツなんて操れるはずもない、純真で平凡な女の子だったのだ。

 

「彼女の体内から検出された微量の薬物には、ベルセルク効果を著しく促す物質が多く含まれていた。これは人間が持つ能力や人格──中でも攻撃性(・・・)を体現するにあたって必要な感覚を、極限まで研ぎ澄ます効能が見込まれている」

 

 より端的な云い方をすれば、ある種の「覚醒」と「洗脳」作用をもたらす物質が、その薬物には多く含まれていたということ。

 身体面では──身体機能、耐久力、反射速度と、ありとあらゆる身体能力を飛躍的に向上させ、

 精神面では──ありとあらゆる恐怖を抑え込み、好戦的かつ、冷静で効率的な判断力を培養させる。

 そのような物質が、ステラには投与されていたのだ。

 そうして微分ではあったが、ハリーはステラから、そのサンプルを採取することができた。

 

「そんな薬物(ドーピング)のために──ステラという少女は、かつての生い立ちより……似ても似つかぬ変貌を遂げていた」

 

 か弱いはずの存在が、強大な狂気の力を、その身に宿すようになっていた。ごく平穏から一転して、薬物によって、狂気の道へと突き堕とされた悲運の少女。

 フレイは真実を聞き受け、唖然とした。

 

「そんな薬が、本当にあるんですね……?」

「効力が強い反面、依存性のある薬物さ。定期的な投与がなければ、禁断症状を起こしても不思議ではないレベルの……危険な代物だ。医者としては、ステラ君が薬物依存から立ち直れていたことに、素直に驚いたくらいだ」

 

 こんなことを思うのは、不謹慎だけど。と付け足された。

 場に、いっときの沈黙が流れる。

 明かされた内容を咀嚼した後、フレイは確信めいてハリーに訊ねた。

 

「その薬があったから? ──だから、彼女はモビルスーツに乗って、戦って来れたんでしょうか?」

 

 フレイは純真に、真っ直ぐに医務官に問うた。

 やがて目を逸らし、俯きがちに語りかける。

 

「だって、それまでの彼女は────とてもモビルスーツ(あんなモノ)が操縦できるような女の子じゃあ、なかったんですよね……?」

 

 元々のステラはコーディネイターと云えど、非力な──いや、戦争という現実を前にしては、まるで無力な──女の子だったはずだ。

 それはまさに、今のフレイ自身のような────。

 医務官はしばし考え込んだあと、ややあって、ゆっくりと頷いた。

 

「そう捉えるのが、妥当かもしれないね……。ただの一般の民間人に、あそこまでの活躍ができるものか」

 

 まして、まだ年端もいかぬ────あれだけの少女に。

 

「つまり彼女の正体は、人為的に戦闘能力を強化され、戦闘のためだけに改造された強化人間──用いられていたコードネームは、『拡張された者達(エクステンデット)』──」

「エクス、テンデット……?」

 

 彼女が当初から高い戦闘能力を持っていたのは、見方を変えれば「正常」なことなんだ。逆を云えば、それだけの戦闘能力に今、ポテンシャルだけで並ぼうとしているキラ・ヤマトの方がむしろ「異常」なくらいだよ、とハリーは笑えない冗談を付け加えた。

 

「そういう意味では、彼女の戦闘力は、当時の誰よりもズバ抜けて強大だったはずだ……。かつて彼女は〝ディフェンド〟に乗って戦っていたが──その力は、当時の〝ストライク(キラくん)〟をも軽く凌駕していたはずさ」

(でも、あの娘はパパを守ってくれなかったわ……)

 

 その言葉に、フレイは複雑な面持ちを浮かべた。

 百歩譲って、この男の云うことが正しかったとしても──結果的にステラはキラの足を引っ張り、その結果としてフレイの父は殺された。

 ザフトのコーディネイターに。

 

 ──いや、真紅の機体──〝イージス〟に……。

 

 いったいあのとき──何がステラの動きを鈍らせていたのか。何が彼女の──その「強大な力」とやらを殺していたのか。

 それはフレイには分からない。

 

 ──いいえ、分かってあげる必要がないのよ……。

 

 父が守られなかったことだけが、彼女にとっては真実なのだ。──「そこ」にあった原因など、突き止める必要性はないのだから……。

 ハリーは飄々と語った。

 

「エクステンデットに投与される薬物は、投与を受けた人間に狂気の力を与える。これを授かれば、コーディネイターだろうがナチュラルだろうが(・・・・・・・・・)、モビルスーツくらい簡単に操縦できるようになるだろう」

「ナチュラルでも、モビルスーツを簡単に……?」

 

 フレイは、その言葉を確かめるように反芻した。

 そう、ハリー・ルイ・マーカットは、現時点でステラの身体データ──もとい、薬物による強化兵士(エクステンデット)についてのデータを、独占している人物でもある。

 彼はエクステンデットに用いられていた薬物の配合について、独自の方法で、医学的な考察を進めていた。やがて研究の結果──「この技術があれば、たとえナチュラルでも、モビルスーツを操るだけの適応力と判断力を手にすること出来る」という結果を導き出すまでに至った。

 

「モビルスーツは、コーディネイターほどの優れた能力がないと操縦するのは不可能とされていて、一般的に、彼らに劣るナチュラルに運用できた代物じゃないんだ。卓抜した反射神経、瞬発力、運動能力、認識力を必要とし──その点、くだんの薬は、ナチュラルに足りないそれ(・・)を補う役割を果たしてくれる」

 

 それだけを聞けば、ただ単純に『画期的な新薬』として聞こえるのだろう──。

 だが────。

 その言葉の先を考え、ハリーは自嘲気味に笑った。

 

「まあこれも、恩恵だけを見た場合の話であって、実は……副作用の方が効果は(いちじるし)くてね──」

「じゃあ────その薬があればわたしでも、モビルスーツを動かせるようになるってことですよね────?」

 

 ハリーにとって最も肝心の部分を聞かず、フレイは彼の言葉を遮って訊ね始めた。

 フレイの知るところでは、モビルスーツとは、あのサイでさえ歩かせることも出来なかった代物である。彼女が誰よりもよく知っている、あの賢知なサイでさえ──だ。その事例は、モビルスーツの操縦が如何にナチュラルの手に余るものなのかを、暗に教えてくれていた。

 唐突な質問に、ハリーはぎょっとして目をむいた。引き攣ったような苦笑を浮かべ、誤魔化すように返す。

 

「はっ──はは……不吉なことを云うなあ、きみは」

「……。あなたが云ったんですよ」

「あれ、そうだっけ」

「そうです」

「…………」

 

 ──いかん、おしゃべりが過ぎた。

 ハリーは罰が悪くなり、はぐらかすように眼鏡を取り外すと、視線を落とし、レンズを磨き始めた。

 フレイは目を細め、冷ややかな眼で男を見つめる。俯いている彼は、その視線に気づかなかったようだが。

 目を眼鏡に落としながら、彼はぼそりと呟く。

 

「勿論、冗談の範囲で答えるとするなら────キミみたいな女の子でも、モビルスーツを操縦できるようになるだろう」

 

 エクステンデットになれば、の話である。

 我ながら、医者として危険なことを云っているな。

 胸中で嘲ながら、ハリーは続けた。

 

「でもね……僕はそのうち、彼女の『データ』は破棄しようと考えてるんだ」 

「え……?」

 

 フレイは虚を突かれた表情になった。

 ──破棄? いったい、なぜ?

 ハリーは、やや暗い面持ちで答えた。

 

「いったい、誰がそんな薬を──何の目的で造り出したのかは分からない。でも、たしかにそいつは、人の一生を狂わせる(、、、、)代物なんだ。そんなもの、私が持っていても……何の役にも、誰の役にも立たない気がしてる」

 

 ──何の役にも立たない?

 フレイはその言葉に、心外な表情を浮かべた。

 ──この男はいったい、何を云っているのだろう。

 

「例の薬を開発するには、相当な資金力が必要になる。でも、軍ならば、あるいは開発できないことはないだろう。──だからもし、このデータが地球軍の手に渡れば、一部の上層部の人間は、喜んでこのデータを利用しようとするはずだ」

「それは……。でもそれは、コーディネイターと戦っていくためには、必要なことなんじゃ……ないでしょうか……?」

「きみの意見も分かる。たしかに軍人として……いや、軍医(、、)としての僕は、このデータをアラスカへ送り届けるべきなのかもしれない──」

 

 それまで俯いていた顔を上げ、しかし、とハリーは力強く答えた。

 

「でもね────医者(、、)としての僕は、こんな物騒なものを世に出すわけには行かないんだよ」

 

 それは、医者としての、彼自身の矜持(ほこり)であろうか。

 ステラの身体データ、ひいては『エクステンデット』に関するデータをアラスカへ送り届けることで、地球軍兵士(ナチュラル)の何人──いや、何十人……下手ををすれば何百人とが、この「狂気の薬物」の被験者となり、被害者となるのなら──?

 それは医者として、他人の健康を害し、人生を狂わせたことと同義になる。たとえそれが、戦争に勝つために絶対に必要で、軍医としては賢明な判断だったとしても、医者としては、最低の行いでしかないのだから……。

 躊躇うこともない確固とした意志が、その言葉には宿っていた。

 

「僕は後世、マッドサイエンティストなんて呼ばれたくない。……僕には妻と子供がいるんだ──子々孫々に恥じ入る真似は出来ない」

 

 返す言葉を失ったフレイにそう云って、ハリーは深いため息をついた。

 

「だいたい、遺伝子改変(コーディネイター)を嫌った結果、脳とか神経とか、遺伝子以外のどこにどう手を加えても構わないっていう発想は、医者(ぼく)でなくても野蛮に思えるというか……すっかり本末転倒な気がしないか?」

「それは……! ……たしかに、そんな気もしますけど」

 

 彼は──軍人として、あるいは、ひとりの人間として──良心の呵責に悩んでいたのだ。

 だから、なかなかステラ・ルーシェに関するデータ──より正確には、彼女が体内に宿していた薬物のデータを、破棄できずにいた。

 そして、今もまだ────。

 

「いちおう、僕はこのデータについて、もうすこし研究は進めるつもりでいるよ。……改善さえすれば、万が一にも副作用なしでナチュラルにモビルスーツが乗れるようになるかもしれない。すこしでもこの薬に改良の余地が見出せないか、僕なりに研究して見たいんだ」

「……なら、すぐにでも破棄することはないんですね……?」

「アラスカに辿り着く前に、研究に進展がなければ────そのときは絶対に、このデータは破棄するさ」

 

 それは、彼なりの覚悟である。

 ナチュラルである妻と子を守るためにも、この戦争に……コーディネイター達に負けるわけには行かない。しかしそれでも、他人の人生を、平気で狂わせることは彼には出来ないのだ。だからこそ、彼なりに薬物を解析し、エクステンデットといものが何なのか──あるいは、すこしでも薬物の副作用を軽減させる方法がないのかを、独自に研究していた。

 ──最近は医務室に籠りっぱなしで、何かの研究に没頭しているみたいだけど……。

 トノムラはそう云っていたが、その発言の理由が、なんとなくフレイには分かった気がした。

 彼はアラスカに辿り着くまでに、薬物の改善の余地を導き出すことが出来なければ、データを破棄する心積もりでいるのだろう。──心無い者達に、未完成かつ、あまりにも大きな危険性を孕むその資料が、悪用される前に……。

 さいわい、このデータを持っているのは、この世界で彼──ただひとりなのだから。 

 

「ステラという患者(おんなのこ)を診察した────そんな僕の責任だからこそ、第二の彼女(エクステンデット)は、これ以上生み出すわけには行かないんだよ」

 

 そうして、話はそこで終わった。

 

 

 

 

 

 

 どいつもこいつも、家族だなんだと、とぼけたことを云っている。

 〝アークエンジェル〟がオーブのドッグに繋留され、艦内待機を言い渡された彼女達──〝アークエンジェル〟のクルー。

 フレイは廊下に顔を出し、久々にミリアリア達と交流を持とうと、食堂にやって来ていた。

 食堂を訪れると、彼女たち同カレッジの学生たちの輪に入れて貰えた。そこまでは良かったのだが、結論から云って、彼らとの会話は楽しくなかった。いや……楽しくなかったというより、むしろ、彼らの輪に入ったことですっかり気が滅入ってしまった。キラと破局し、ひとりでいることに耐えられなくなって、学生たち──正確には一期先輩だが──と接することで孤独を紛らわせようとしたのに、完璧なる逆効果となってしまった。

 

 ──だってみんな、家族の話ばっかりするんだもの……。 

 

 話の内容が内容だけに、嬉々として騒ぐ学生たちの取り囲まれ──彼女の孤独感は、増す一方だった。

 オーブに寄れたのだから。家に帰れるとか? 両親と面会が出来るとか? 会いたいとか? ──どんなに両親に会いたくても、もう二度と会うことは許されない苦しみを抱えた者の目の前で、よくも抜け々と……。

 彼女がどんな気持ちでいるのか、理解してくれる人は誰もいない。

 だから彼らと一緒にいても楽しくなかったし、ただ単純に、彼らとの隔絶した温度差を突き付けられるだけの形となってしまった。

 やがて日が変わり、夜が明けると、クルー全員に「面会許可が下りた」という話を小耳に挟んだ。オーブに家族がいる者は、すっかりそっちに向かってしまった。トールにミリアリア、サイにカズイ──どういうわけかキラは行かなかったようだけれど、まあ、彼のことは今さらどうでもいいことだ。

 当然、フレイも行かなかった。

 ──なんとなく面白くない。パパはもう、会いに来てはくれない。一生、この先もずっと……。

 暇潰しを兼ねて、彼女は艦内で、当てつけられた雑用の任務をこなしていた。意気揚々と出掛けて行った仲間達に取り残された、さながらシンデレラのように──。

 そんなときだった。

 洗濯物を干していたとき、彼女の頭にふと、ある考えがよぎった。先日のハリー・ルイ・マーカット──医務官との密度のある会話を思い出したのだ。

 

 ──そういえば、あの人の家族は、オーブに……。

 

 昨日、食堂でトノムラはそのような旨の発言をしていた。

 そして同時に、彼はこんなことも明かしていた。

 

 ──最近は医務室に籠りっぱなしで、何かの研究に没頭してるみたいだけど……。

 

 彼が云う通り、ハリーはここ最近──というより、おそらくずっと前から──医務室に籠りっぱなしの生活を送っていた。ほかでもない、エクステンデットにまつわる薬物について、医者なりの研究を行うためだ。

 専門分野に精通したひとりの医者として、解析できない難問を目の前に、試行錯誤を繰り返し、失敗と成功を積み重ね、気がついたら日付が変わっている──そのような調子で毎日を繰り返し、ハリーは連日、居住区に構えられた自室も戻らずに、四六時中、医務室で寝泊まりする生活を送っていた。

 技術者という人種は、はっきり云って、温室育ちのフレイには理解しがたいもので満ち溢れていると云わざるを得ない。

 ──いつもいつまでも解けない問題に向かって……何がそんなに楽しいの……?

 しかし現実として、ハリーは常に医務室に居座り、その席を他の誰かに譲ることをしなかった。そもそも〝ヘリオポリス〟の襲撃によって間に合わせの人員で運営されている〝アークエンジェル〟には、彼の代わりに医務室を担える人手はいなかったこともあって──フレイが医務室に忍び込む隙など、まったくなかったのだった。

 そんなハリーが、今日このとき、ようやく医務室から席を外すことになっているはずだ。他でもない、オーブに住まうという、彼の家族と面会のために。

 

 ──僕には妻と子供がいる、子々孫々に恥じ入る真似は出来ない……。

 

 フレイから云わせれば、それはキバった台詞だ。

 ──何よ偉そうに……誰もかしこも、家族、家族って……。

 しかしそれは、ハリーという人物が、どれだけ家族を大切にしているのかを窺うに、十分過ぎたひとことである。

 案の定、彼はようやく研究を二の次に回し、彼の家族へと面会しに席を外している。医務室を空けている。

 この事実を思い返したフレイは、

 

 ──今しかない……!

 

 そう確信して、洗濯されたばかりの洗濯物を床に投げ捨て、医務室へと向かった。後でみっちりバジルール中尉から叱責を喰らった。

 珍しく、無人となった医務室────そこへ、フレイが忍び込む。面会許可が下りているためか、廊下は寒蘭としていて、途中で誰かとすれ違うこともなかった。

 ハリーが座っていた座椅子の目の前に、軍医用の、立派なコンピュータが構えられている。

 フレイは呆然とそれを眺め、つかつかと歩み寄っていく。

 

 ──この中に、例のデータ(・・・)が……?

 

 フレイはそっと腕を伸ばし、コンピュータの中に、自分用のメディアディスクを挿入した。

 慣れない手つきでコンソールを叩き、操作を進め────試行錯誤の末に、あるひとつのデータを見つけ出した。──「Extended」と英記された名の、厳重な秘匿フォルダを。 

 

「これ、ね…………」

 

 ──良かった、まだ破棄されてない……!

 フォルダの存在を確認し、クリック作業を進めるたび、なんだか、禁断の領域に手を伸ばしているような感覚に陥った。

 

 ──これが、あの娘(ステラ)の秘密…………。

 

 女のコなら、誰しも、世間に対して秘密のひとつやふたつ、隠しごとをして生きているものである。男のコに都合がいい、カワイイ女を振る舞うために。

 しかし今、彼女はいわく「死んでも他人には明かしたくない女のコのヒミツ」に手を伸ばそうとしていた。他人の女の子がに関する、秘め事だ。──我ながら、ひどいことをしていると思い知る。自分はその秘密を盗み取るだけでなく、みずからが地獄から這い上がるために利用しようと考えているのだから。

 自分はいつの間にか、相当な性悪女に堕ちていたらしい。現実を思い知り、フレイはふっと自嘲気味に嗤った。

 きっとここが学校(カレッジ)なら、私は信用を失って、段々と友達を失っていくタイプに違いない。私だって女のコだ、他人には口が裂けても云いたくない秘密のひとつやふたつ抱えて生きている。それをわざわざ暴露するような女とは、絶対に友達になりたいとは思わない。人にされて嫌なことをやろうとしている自分は、きっと息をするのも烏滸がましいような、最低の人間なのかもしれない。

 

 ──でも、それでもいい……。

 

 フレイはきっと顔を上げ、目の前のコンピュータ画面を見据えた。

 

 ──今の私には、どうしても「これ」が必要なの……!

 

 コーディネイターに復讐するために、それは必要なものなのだから────。

 キラに復讐することに失敗した彼女の、それは残された唯一の選択肢(希望)だったのかもしれないが────。

 

 そう。フレイは────医務室にある「エクステンデット」にまつわる全データを、みずからが差し込んだメディアへと盗み取ろうとしているのだ。

 

 強かに震えた少女の手は、彼女の中に残った良心が、懸命に彼女を引き留めている証拠か。フレイの中で──『理性』と『感情』が、まるで天使と悪魔のように、頭の中で応酬を始めた。

 

 ──今ここでデータを()らないと、もう二度とチャンスは巡って来ない……! 今しかない……アイツが医務室(ここ)に居ない、今しかっ!

 

(もう二度と、後戻りはできないのに……? あの人が戻って来れば、きっとまた、彼は研究のために医務室(ここ)に居座ることになるでしょ……?)

 

 ──だからこそ、データを盗むには、今しかないの!

 

(それはもう、取り返しがつかないってことなのよ! もう二度と、資料を返せなくなる……後悔したところで遅いのよ!)

 

 ──後悔? どうして……!?

 

 ひしめくふたりの『自分』が、頭の中で激しい言葉を交わした。

 

 ──私はこの日を待ち望んでた! 戦いが始まれば、ベッドの中で震えていることしか出来なかった私に……! コーディネイターに怯えていることしか出来なかった私にっ! ようやく、復讐のチャンスが回って来たんだ!

 

 みすぼらしい毎日を送り──、

 非力で無力で、ただ救われる日が来ることを夢見るだけのシンデレラが、いつか魔女の手を借りて、運命の王子様と出会うように。

 か弱い私に希望を与えてくれる──これは、そのための魔法の力────。

 おとぎの力がいっぱいに詰まった、さながら夢の国の宝石箱のような────。

 

(それは、開いちゃいけない禁断の箱! あの人が云ってたじゃない! 中に入ってるのは、人の一生を、狂わせる代物だって──)

 

 ──私の人生、とっくのとうに狂ってるじゃないッ!!

 

 その言葉に────『理性』は返す言葉を失った。

 ふたりの舌戦が制され、感情が、理性を軽く凌駕した。理性は、感情に説き伏せられたのだ。

 次の瞬間、フレイの瞳に陰りが落ちた。

 柔らかそうなその口元に、切り裂かれたような(ほほえ)みが走る────。

 

「そうよ……私は、この薬に壊され(、、、)たりはしないわ…………」

 

 そう。

 そんなヘマ、私は絶対にしない──。

 副作用だとか、なんだとか──あの男は説明しようとしていた。

 だが、それはもう関係のないことだ。

 

「だって私は……もう、とっくの昔に壊れてる(・・・・)んだもの────」

 

 既に破壊されたものを、破壊することは、何者にもできないのだから────。

 

 復讐を夢見る少女は、目の前に現れた『魔女』に────〝魔法(外法)〟の力に、そっと手を伸ばした。

 しかし────。

 そいつは〝ガラスの靴〟を作り出してくれるような────心の優しい魔女ではなかった。

 そいつはただ、〝毒〟の入った林檎を手渡すだけの────心の悪しき魔女だったのだから。

 

 フレイは決して──おとぎの国のシンデレラにはなれなかった。

 彼女はただ、目の前に差し出された〝毒〟を幸福と食べ、その生涯を狂わせた、おとぎの国の雪白姫(ゆきじろひめ)に過ぎないのだから────。

 

 そうして彼女は、医務室のデータを抜き取り、己の部屋に持ち去った。

 いつか、このデータが自分のものとなる日が来ることを、希望と疑わず、切に願ったまま────。

 

 

 

 

 

 

 

 非力な人間を狂気へと堕とすほどに、ナチュラルがモビルスーツを操るのには、相当の能力を要している。

 生来より、ハイスペックな能力を持って生まれるコーディネイターでなければ真価を発揮できないモビルスーツを、ナチュラルが操縦できるまで安易な設定に順応させようというのだ。適応には、それ相応の機転と専門知識──そして情報処理能力が必要になることは自明だ。

 やはりモビルスーツの操縦に必要な、莫大な情報量をナチュラルに処理させるのは、抜本的な無理がある。だから人工AIをOSに搭載し、情報処理の大半を演算コンピュータに任せようという発想が湧いたわけであるが、なかなかどうして、これも難航していた。オーブの技術部では、それだけ高性能な演算装置開発の目処が立っていなかったのだ。

 どこをどう改善しても、一向にモビルスーツ──〝アストレイ〟の機動力が向上することはない。

 大西洋連邦との共同開発ですら解決しなかった問題だ、〝モルゲンレーテ〟単独で解決できる日が来るかどうか、定かではないが……。

 

 ──逆に云えば、大西洋連邦は、どうやってGATシリーズを運用するつもりだったのだろう……?

 

 いったい、どこの国に、あれだけ高性能な──OSが極めて複雑な──モビルスーツを操れるナチュラルが存在するというのだ。

 

 ──それこそ、脳か何かを根本的に強化した人間でも量産(・・)しなければ、そもそも……。

 

 なんだか嫌な話だ。

 エリカは不審に思ったが、所詮は他国の事情、そして考えたくもない不吉なことなので、それ以上を無為な想像をやめにした。

 そんな中、先日技術協力を依頼したキラ・ヤマトが彼女の許を訪れ、云われた仕事を、他の技術者があっと驚くような速度で推し進めて来たことを知らされる。

 

「新しい量子サブルーチンを構築して、シナプス融合の代謝速度を四〇パーセント向上させて、一般的なナチュラルの神経接合に適応するようイオンポンプ部の分子構造を書き換えました」

 

 先日の視察ブースの中で、再度〝アストレイ〟によるデモンストレーションが行われていた。

 目の前では先日と打って変わって、見違えるように機動力を挙げた〝アストレイ〟が模擬戦を行っている。──訓練用の棒状ユニットを構え、二機はこれを、しっかりと剣道のように打ち合っている。動きの鈍い老人が、必死になってひっかき合っているだけのような、先日の醜い模擬戦とはまるで別の光景だ。

 

「すごいわね……。それだけの作業を、たったこれだけの合間に!」

「でも、本当に簡素なOSに仕上げただけですから……〝アストレイ〟以外のモビルスーツには、あんまり向いてない設定だと思います」

「とんでもない! これだけの基盤が出来上がれば、あとは私たちの努力次第でなんとかなるわよ!」

 

 オーブが量産しているM1〝アストレイ〟は、75mm対空自動バルカン砲塔システム〝イーゲルシュテルン〟および、71式ビームライフル、70式ビームサーベル、対ビームシールドと、武装に関しては基本的で、いわゆる「歩兵」らしいオーソドックスな装備となっている。ナチュラルが操縦することを前提とした軽火力、簡素な構造および、装甲に用いられる素材もあいまって非常に軽量な機体に仕上がっているのだ。

 キラが造り上げたOSは、基本的にこの軽量な〝アストレイ〟専用に造り出したものであり、量産機であるがゆえの安定性を追求した結果である。一方で、やはり高性能なエース機を動かすには、それ相応に複雑化した設定が必要となって来るということだが。

 

「オーブは島国ですから、地上戦の機体(アストレイ)を量産するより、海中戦や空中戦を視野に入れたモビルスーツを開発した方が建設的なんじゃないか──とも思うんですけど」

「そっちの方は、このデータを基に技術部(わたしたち)でなんとかするわ。まずは基本形となる〝アストレイ〟運用に、あなたの発想を頂けただけで、私達としては大収穫」

 

 大丈夫なんですか……? と、なかばうさんくさい目でエリカをたしなめたキラである。

 不審な目で見つめられ、エリカは弁解するように「私達の技術力はこれでも高い方なのよ」と技術屋らしい自負を口にした。

 

「最近〝モルゲンレーテ〟は、画期的な新エンジンの開発に成功してね。──と云っても、まあ、大西洋連邦から盗用したデータを参考に独自開発を進めたまでだけど」

「はあ……」

「あっ、そうそう。私達に協力してくれた『ご褒美』──とは云っては何なのだけれど……」

 

 そう云って、エリカはキラについて来るように指示した。

 一連の話によると、キラにエリカからの「褒美」があるらしい。慣れない格納施設を抜け、見知らぬ扉の前までキラは案内された。

 隔壁が開き、鈍重そうなドアが開放される。

 案内されるままキラが歩を進めると、そこには──先日の戦闘から見違えるように補修された〝ストライク〟の姿があった。エールストライカーが修理され、〝アストレイ〟のものと同型の、対ビームコーディングシールドが新たに開発されている。あるいは、スペアに開発されていたものをそのまま持ち込んだのかもしれないが。被弾した箇所も補修され、〝イージス〟にもぎ取られた左腕もしっかりと蘇生している。

 

「〝ストライク〟────ですか?」

 

 一見すると、ただ修理されただけの〝ストライク〟だ。

 たしかに、修理してくれただけ、それは「褒美」とも云えるのだろうが──けち臭く不満がってキラが訊ねようとしたところ、思わず彼は〝ストライク〟の背部に目を留めた。

 よく見れば、見慣れない玄色のストライカーパックが、みずからの愛機に装備されていたのだ。

 エリカは満悦そうに笑った。

 

「X-105の──新しい〝ストライカーパック〟よ」

 

 その言葉に、キラはぎょっとして目を見開いた。

 ──では、あれが…………?

 キラは顔を見上げ、改めて新たらに用意された玄色のストライカーパックを見遣る。

 系列としては、ランチャーストライカーに近い、砲撃戦に特化したバックパックだろうか? 〝ストライク〟の広背部に、初見曰く「ごつい」フライトユニットを取り付けたようなストライカーパックで、左右に大きく伸びたマスターアームからは、おそらく超砲身の〝アグニ〟に匹敵するインパルス砲が放射できるようになっているのだろう。ランチャーストライカーと大きく変わっているのは、あちらは固定砲台として運用することが目的のため、大きな推進力を持ったスラスターがないことに対し、こちらは背部ユニットにも、巨大な出力を持つバーニアが増設されていることだ。

 キラはその様相を見て、まず歓喜するのではなく、彼らしく、そのストライカーパックの信用性を疑った。

 

「砲撃戦特化の装備……ですよね? なのに推力が必要なんですか?」

 

 その形状から、性能を憶測すれば──「エールストライカーとランチャーストライカーの長所を統合したようなバックパック」と形容するのが妥当であろうか。

 多機能性を持ち合わせる装備だ。見方によっては画期的にも見えるだろうが、逆を云えば「器用貧乏」を招きやすいという欠点も併せ持つ。それに加えて、玄色の色彩のせいか見た感じとっても『重たい』。多機能ゆえの使い勝手の悪さ、そしてデッドウェイトによる機動性低下の問題は、根本的にキラの戦闘スタイルを阻害する仕様である気がした。

 問われ、エリカは不敵に返した。

 

「云ったでしょう? 最近〝モルゲンレーテ〟は、従来のものを凌ぐ画期的な新エンジンの開発に成功したの。これは、早速それを搭載させた、新世代の装備よ」

 

 聞こえはいいが、それはつまり実験装備(モルモット)ということじゃ……。

 なおも疑り深いキラであった。

 最近、人間不信になっているんじゃないだろうかと軽く自分に嫌気が差した瞬間でもあった。

 

「あれは〝フォートレス・ストライカー〟──大西洋連邦と〝モルゲンレーテ〟が、G計画を共同で推し進める途中で開発された……〝ストライク〟専用のバックパックよ」

 

 つまり、開発への着手自体は、今よりずっと以前に行われていたもの。よって実験機とは云い難い、安定した性能が立証されているということだ。

 エリカはキラに視線を戻し、こんなことを訊ねた。

 

「〝ヘリオポリス〟で開発されていた六機の〝G〟の中で──『X-401だけが一機、遅れて開発された』っていう話は、あなたは聞いてる?」

 

 キラはその問いかけに頷いた。ハルバートン提督が云っていたことだからだ。

 なら話は速いわね、とエリカは小さく微笑んだ。

 

「このバックパックは、そんなX-401の開発と並行して、本来の計画よりも大きく遅れて開発されたもの。エール、ソード、ランチャーと既に三つの装備が完成した後、この四つ目の装備が、急遽として増設されることになった」

「でも──〝ヘリオポリス〟にはなかったんですよね?」

 

 トレーラーでストライカーパック等の必要物資を運搬するとき、キラはこの四つ目の新装備を見ることはなかった。

 それはつまり、初めからこれは〝ヘリオポリス〟にはなかったということだ。

 

「開発の途中で、色んな不備が発覚してね──それらの問題を解決するために、一時的に〝モルゲンレーテ〟に持ち込まれていたの。だから〝ヘリオポリス〟が崩壊したときは、あの事態から喪失を免れることになった」

「不備っていうのは?」

「もちろん解決したわよ。──まあ、詳しいことは、実際に乗って見て、手に取って実感したらどうかしら?」

 

 たしかに、百聞は一見に如かずである。

 そうしてキラは〝ストライク〟に乗り込み、再び視察ブースへと機体を進ませた。

 

「エネルギー総容量──なんだこれ……エール装備の1、5倍…………っ!?」

 

 キラはコンソールに映し出された、新装備の概要に舌を巻いた。

 黒鉄色の見た目から、すっかり重量があると思いきや、新エンジンはよほど小型化されたものなのか、思うほど機体の総重量に悪影響(デッドウェイト)を及ぼしていない。下手をすれば、ソードストライカーとよりも軽いかもしれない。エールストライカーにも引けを取らない推進装置がスラスターには備えられており、総バッテリー容量もエール、ランチャー、ソードストライカー装備時に比べて、おおよそ五〇パーセントも向上している。高火力を誇る機体には、まず第一に加熱しがちな武装のリキャストに必要な冷却装置が懸念されるが、そこにも大きな問題はないようだ。

 多機能ゆえの使い勝手の悪さ──デッドウェイトに器用貧乏──様々な不具合を懸念していたキラであったが、機動力と火力、そして防御力ともに問題はなく、接近戦闘も、エール装備と同様にビームサーベルで補うことができる。

 なにより驚いたのは、大柄なバックパックには分不相応にも見える、籠手型の小さな対ビームシールドだ。小さな盾では、また盾ごと撃ち落とされてのではないかと不安が頭を過ぎったが、どうやら、この籠手型シールドにはX-401〝ディフェンド〟に搭載された装備と同じように、光波技術を用いたエネルギーシールドを展開させる能力があるらしい。

 

「出力の調整次第で、防御面を自由に拡張、縮小させられるってことか…………」

 

 光波防御帯と云えば、キラはその性能を、目の前で堪能して来ている。──それは〝アルテミス〟の爆発からさえ、ひとつの機体を守るほどの強固さを誇るのだ。

 籠手型のシールド自体は小型だが、この上に展開する光波防御帯を拡張させれば、見かけ以上に強固なビームシールドを展開させる。その分、エネルギーの消費も激しいのだろうが、根本的にバッテリー総容量の大幅な向上が、この装備を実用可能としていた。

 よって──高エネルギー長射程インパルス砲〝マガツ〟、105mm単装砲レールガン、8連装ミサイルポッド、ビームサーベル、アンチビームシールドと──非常に多彩な装備を満載していることになる。

 ──これが、オーブの技術力……!?

 強化ガラスの向こう側で、シモンズ技術主任が不敵にウインクしたように見えたキラであった。

 

「──改めて見ると、なんだか〝ディフェンド〟みたいな外観をしてますね」

 

 機体のテストを終え、もう一度キラが改めて〝フォートレスストライク〟を眺めていると、不意に、そんなことが言葉として漏れ出していた。

 黒鉄色の、なんだか妙に禍々しいデザイン。武装に用いられている〝マガツ〟という名称も、どうやらオーブに伝わる悪神の名を冠しているそうで──なんにせよ不穏で、不吉な感覚をにじにじと悪寒に訴えかけて来る気がしてならない。

 エリカはそれまで嬉々としていた様相から一転して、デザインに関しては、ひどく興味なさげだ。──彼女は外見より、中身にこだわる性格(タチ)らしい。もちろん、現在の旦那選びもその結実だったらしいが、すごくどうでもいい解説だった。

 

「〝ディフェンド〟も、このフォートレスストライカーもご先祖様(・・・・)が一緒なのよ」

「ご先祖様?」

 

 キラが訳が分からずに訊ね返すと、エリカは欧米人のように掌を返し、肩を竦めた。

 

「大西洋連邦からの受け売りよ。まあ私も、詳しいことは分からないけどね~」

 

 まるでどうでもいいことのように、彼女は笑いながら歩き始めてしまった。──腐っても技術者、専門外の分野には関心はないということなのだろう。

 

「『どうせナチュラルには扱い切れないだろうから』からって──そのうち廃棄される予定だったんだけど、あなたなら、きっと使いこなせないことはないでしょう?」

 

 たしかに、その発言は的を射ていた。

 にこり、と微笑み、彼女は首だけをこちらへ向けて一言、

 

「あげるわ」

 

 簡単に云い放って、飄々とその場から立ち去って行ってしまった。

 その場にひとり取り残されたキラは、しばし、そこから動くことが出来なかった。

 

 ──また、これに乗って戦わなきゃいけないのか……。

 

 新たな力──。

 それこそシモンズ技術主任の云う通り、従来のものを凌駕した、画期的な性能を持った装備だ。

 いったい、どうやってこんなものを開発したのかは甚だ疑問だが、しかし現実として、それだけの兵器が今、キラの目の前にある。

 

「…………」

 

 迫り来る真紅の機体には、恐怖すら感じた。

 

 ──アスランは、本気で、僕を…………。

 

 わかっていたはずなのに──。

 砂漠で対峙し、そうして彼を追い払ってから、次は油断すれば負けると知っていたはずなのに。

 甘えが、あるのかもしれない。あの優しいアスランが、僕を殺すことなんてないという。そして自分も、アスランを殺すことなんてないって、根拠のない甘えが。

 こうしてオーブに逃げ込むことが出来なければ、きっと自分はあの海域で〝イージス〟に撃たれていただろう。

 それだけの覚悟を、今度は、自分が持たなければならない。

 

 ──大切な親友を、手に掛けるだけの勇気を?

 

 そもそも、そんなものを勇気と表現していいのだろうか?

 キラが茫然と立ち尽くしていると、そのとき、ガチャンと入口の方で重たい音が鳴り響いた。

 ──誰だろう?

 キラは不審がって扉の方を見る。シモンズ技術主任が居なくなった今、この格納庫は、厳重なロックで閉ざされているはずだ。それこそ、軍事機密並みの警戒レベルで──。

 扉は、キーがなければ内側からしか開けられず、キラとて、エリカという随伴が居なければ立ち入ることさえ許されていない厳重な部屋だ。

 今のは間違いなく、そのロックがこじ開けられた音だった。

 不審がってキラがドアの方を見遣る。しかし、誰の姿も見当たらなかった。

 

 その代わり────コロコロと転がって入って来る、水色の球体を見つけた。

 

「うわあああ!?」

 

 キラはその正体を理解して、咄嗟に叫んだ。

 ──なんてこった!  

 そこに現れたのは、海色をした〝ハロ〟だった。どうにも、この厳重なロックをこじ開けて単独でやって来たらしい。

 キラの顔面は真っ青だ。

 

 ──ここの鍵すら平気で開けるのか! なんてものステラに作ったんだアスランッ!?

 

 だが、思い返せばそれは、ステラが〝アークエンジェル〟に残して行った、唯一のものだ。

 いったい、今の今まで、艦内のどこに身を潜めていたのか──。

 考えるのは二の次にして、こんなものがオーブの関係者に発見されたら、色々とまずい気がしたキラは、慌ててハロを抱き留めようと駆け出した。彼が持つ優れた運動力でぐいっと手を伸ばせば、ぴょんと跳ねられ、するりと逃げられた。ひょいと二の腕を掻い潜り、ころころと転がって〝ストライク〟の足許へと近寄って行く。

 

〈てやんでいッ!〉

「てやんでいッ! ──じゃない! 何やってんだよ、こんな所で!?」

 

 ハロをとっ捕まえるのを後にして、キラは気が気でない精神状態で、こじ開けられたドアを閉めに向かった。

 鈍重なドアを閉め、ロックを掛けると、もう一度ハロの方を振り返る。

 

「……迷ったの?」

 

 あくまでキラは、ハロには話が通じるとは思っていなかった。

 ほとんど独り言のように、そう口走っていたのだ。

 キラは駆け寄ることもせず、ゆっくりとハロの許へと歩み寄って行った。

 そうしてハロと同じように〝ストライク〟を見上げ、こんなことをぼやく。

 

「新しい装備だってさ。ステラの機体と、なんだか似てるだろ?」

 

 キラがハロへと近寄り、その隣に、ゆっくりと膝を抱えて座り込んだ。

 ハロに話しかけるなんて、とうとう自分も寂しいヤツだ、と自嘲気味に嗤ったが、次の瞬間、思わぬ言葉が隣から吹っ掛けられて来た。

 

〈──オマエ、コレデ戦うのカ?〉

「えっ…………!?」

 

 ──ハロに、言葉が通じた……!?

 キラは内心仰天しながら、唖然として隣の球体を見据えた。

 それは、確認の問いかけだ。

 キラは渋々と、また前を向いて頷いた。

 

「……そう、だね。僕はこれに乗って戦わなきゃいけない──アスランと……」

〈オマエ、コレに乗る。──ステラ(、、、)オマエの敵にナル(、、、、、、、、)

 

 ──ステラ?

 思いもしない名前を持ち出され、キラはその言葉に、ぎょっとして目をむいた。

 どういうことだろう。

 ──僕が〝ストライク〟に乗る……ステラが僕の敵になる──?

 

(だって、ステラはそもそも、もう〝プラント〟に──)

 

 キラが逡巡していると、その瞬間、ハロが再び動き出した。

 軽快な動きで、魔の抜けた音を連続させながら、再びドアの方へと向かっていく。

 

「あッ、こらハロ! どこ行くんだよっ!」

 

 キラは呼び止めたが、ハロはそのまま、云いたい勝手キラに云い捨てると、ひとりで飛び去って行ってしまった。

 

「……なんなんだよ……」

 

 ハロの云った言葉の意味が、キラには分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 もうじき、日が暮れようとしている──。

 一日中足を棒にして歩き回っても、アスラン達は一向に〝アークエンジェル〟がオーブ国内に滞在しているという証拠を掴めずにいた。とうとう痺れを切らして癇癪を起しかけたイザークが、八つ当たりのようにステラに云い寄ったが、実際ステラは、〝アークエンジェル〟のクルーの誰ひとりと遭遇していないのだから、ハッキリ云って責められる筋合いはなかった。

 仮に〝アークエンジェル〟の乗組員の誰かを見つけたとして、それを素直にアスラン達に報告する気が、彼女にあるのかと云うと────……。

 しかしそれはまた、完全に別問題であろう。

 

「まーさーかー? ほんとに出航したとかいう話はないよねー?」

 

 ディアッカがふざけたように声を挙げる。ふざけてでもいなければ、くたびれ過ぎてやってられないのだろう。

 アスランは疲れを表にも出さず、冷淡に云う。

 

「欲しいのは確証だ。足つきがオーブ国内にいる、いないならいない──という」

「わっかるけどさァ……」

「やはり、第一区画まで潜入できたところで、肝心の中を覗くことが出来なければ、意味はないですよね……」

「内部まで通れる奴とっ捕まえて、中に居れてもらえばいーんじゃないの?」

「って、誰がそうだってわかるんですか」

 

 まったくもって話が進まない。

 実際、ここに来てアスランも苛々していた。どう判断しても──被弾の著しかった〝アークエンジェル〟が、オーブ艦隊からの激しい攻撃の中を掻い潜って、公式発表の通り「オーブから既に離脱した」なんてことにはならないはずだ。

 確実に、この国内にいるはずなのだ。

 それは当然、イザークやニコル、ディアッカに関しては弱気にはなっているが──彼らとて確信しているはず。だが、確証を得られなければ、軍人として迂闊に行動が取れるわけでもない。

 ──いったん捜索を取りやめて、気を取り直して足つきを捜すことから再開するか……。

 ──それとも、ずっとここに張っているか……。

 悩むアスラン達は、それからしばらく、海沿いのフェンスを添って歩いた。

 

 

 

 

 

 ──むしむしする。

 

 焦りに苛立っているアスランの傍らで、それがステラが抱いた、そのときの本音だった。

 一日中キャップの着用を強制されていたせいで、いい加減に、深めの帽子が鬱陶しくなって来ている。帰ってシャワーがあびたい。きもちわるい。やだ。

 ステラも相当疲労しているのだろう、幼い少女らしい駄々が表に出始めていた。

 

 ──このまま〝アークエンジェル〟が見つからなかったら、アスランも考え直してくれるかな……?

 

 必死になって探し回る彼らの中で、実はこの潜入に、ステラは協力的ではなかった。

 

 ──ステラ達が本当に『戦うべき敵』は、もっと他に居る(、、、、)のに…………。

 

 同じ地球軍でも、もっとちがう。

 もっと、わるいひとたちがいる。

 そんなひとたちと、ステラ達は戦わなきゃいけないのに──。

 

(〝デストロイ〟を利用しようとする、悪いひとたちと────……)

 

 戦争のために、破壊の限りを尽くすあの兵器を、喜んで造り出す者達。

 それこそがステラ達が、本当に戦うべき相手ではないのか? 

 そんな考え方が、頭の根底にある彼女にとって──〝アークエンジェル〟などは、倒すべき二の次の相手でしかないのだ。たしかに、そこには「かつての母艦だった」という事実から来る温情も含まれているかもしれないが、戦争を食べ物にしている地球軍の人間達と〝アークエンジェル〟のクルー達を比べれば、どちらを滅ぼすべきなのかは、誰にでもわかることではないだろうか?

 

 だからこそ──ステラは〝デストロイ〟にまつわるデータ、そのすべてを排除しなければならないのだ。

 

 庇護するような言い方だが──〝アークエンジェル〟のクルーは、ステラから見て、いい人ばかりだった。

 マリューにムウ、ナタル──そして、とりわけステラには、医務官の男性が印象的だった。

 コーディネイターである自分を拒絶することもなく、必死で看病してくれた。話していることもまともで、ちょっと過保護でおしゃべりなところはあったけれど──……。

 

(だから。もっと他に、戦わなきゃいけない人がいる…………)

 

 ステラは祈り、このまま何事もなく夜になることを願った。

 ──そうすればきっと、アスランも諦めてくれる。

 だが────。 

 

 そのとき、間の抜けた音が、フェンスの向こう側から響き始めた。

 

 ぴょん、ぴょんと音を立てて──それは着実に、こちらへと近づいて来ている。

 その音を耳に入れた瞬間、ステラの心臓はどきりと跳ね動いた。

 ハッとして、すぐにその場から駆け出す。突然の動作に、イザークはぎょっとして驚いた。

 

「おいッ、どこ行くんだよ!」

 

 苛々しているイザークが、棘のある言葉を放つ。

 ──気まぐれな女だ、何を起こしても、今更不思議じゃあないが……。

 ステラはザラ隊の面々から距離を置くと、フェンスの方まで駆け寄って云ってしまった。

 これを見届けたディアッカが片眉を顰める。

 

「何やってんだ、あれ?」

「さあ、ほっとけ」

 

 イザークは興味を失ったように、ふいと目を背ける。

 しかし、

 

「いや────待て」

 

 アスランは、彼女の奇行を決して見逃したりはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 フェンスの向こう側から聞こえ出す、間の抜けた音────。

 間違いない。

 自分が、ある場所に置き忘れて来た〝モノ〟の音────。

 

 ステラは絶望しながらフェンスへと掛け寄った。

 格子状になったその壁の向こう側に、水色の球体を発見する。

 

「ハロ…………っ!?」

 

 ステラは声を上げ、その声に反応して、球体のロボット──海色のハロはステラの方を向いた。

 コロコロと独自に転がり回るそれは、今ここで正当な持ち主との再会を果たし、これを喜ぶように、ピコピコと音を立て始めた。

 ステラは慌ててフェンスに駆け寄る。

 

「しっ……! だめ、ハロ……! あっち行ってっ!」

 

 冷や汗をかきながら、ステラは掌で追い払うような仕草を見せる。

 しかし、ハロは喜ぶように音を立てるばかりで、その指示には従わない。──無理もない、持ち主(ステラ)と長い間、離れていたのだから。

 

「音を立てないで、あっち行って! おねがいっ!」

 

 ステラは出来るだけ小声で、それでも、必死になって叫び、呼びかけた。

 ──ここに居たら、アスランが、あなたを……!

 そのとき、ステラのすぐ背後へと、駆け寄る足音が聞こえた。

 ステラは絶望した。

 

「……あれは?」

 

 寄って来たのは、アスランだった。

 確実にハロを目に留めて、確認するようにステラへと訊ねる。──いや、確認する必要などない。海色のハロを造り出し、ステラへとプレゼントしたのは、他でもない……。

 

そういうことか(、、、、、、、)…………」

 

 アスランが、確信めいてほくそ笑む。

 ──見つけたぞ、決定的な『証拠』を…………!

 その場に膝を折り、俯いたステラの傍らで──アスランは屈み込み、フェンスの向こうへ、ぱんと手を鳴らした。

 

「来い、ハロ。俺がわかるだろ?」

 

 云われるがまま、海色のハロは、アスランの差し出した手の中へと転がって来た。

 フェンスの合間を器用に潜り抜け、アスランの掌の中にすっぽりと収まって行く。──まるで、正当な持ち主の家に帰るかのように……。

 ハロを抱き留めたアスランが立ち上がり、その後ろに、ニコル達が寄って来る。

 

「それは……?」 ニコルが訊ね、

「ハロか? ラクス嬢が持っているのと同じ……」 イザークが確信する。

「おまえほんとにラクス嬢のファンなんだな」 ディアッカが冷やかしを入れた。

「うるさいわ馬鹿者ッ」 イザークは顔から火を噴いて怒った。

 

 アスランは次の瞬間──

 その場に崩れるステラの帽子を、ゆっくりと脱がし、取ってやった。──もう(、、)この帽子は(、、、、、)必要ないという(、、、、、、、)意味を込めて(、、、、、、)。 

 

「よくやった、ステラ」

 

 その一言が、どれだけ彼女を打ちのめしたことか────。

 海色のハロを抱きかかえたアスランは、想像にもしなかった。

 

「撤収だ。──『確証』は得た」

「はぁ!?」

 

 イザークは訳が分からん、と云った表情で抗議の声を挙げる。

 しかし、アスランは譲らない。

 それどころか、確信に満ちたアスランの表情を目の前にしては、抗議ですら無意味のように思え、すっかり圧倒されてしまった。 

 

 アスランは決断を以て宣言する。

 

 

「オーブ領海に包囲網を張って、足つきが出て来るのを待つ────!」

 

 

 アスランの眼の色は──とうに失われていた。

 

 

 

 

 





 AAの医務官……ハリー・ルイ・マーカットという名で、以降もちょくちょく登場します。
 『アルテミス陥落』B当時じゃ完全にモブ扱いで済ませていたので、完全に後付けになるわけですが、今話から人間性を持たせるために彼にも名前を付けました。
 以前にこの人物を書いた時、かなり話し方が矢継ぎ早で、饒舌なしゃべり方をさせています。今回はその饒舌がおしゃべりとなって、仇になっているようですけれど、「掘り下げたことは云えない」うんぬん云いながら、かなりベラベラ喋っていたような感じがなってます。気のせいです。
 
 次話を投稿する際に、活動報告に新たな機体紹介を追加します!

 

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。