~夢見る少女の転生録~   作:樹霜師走

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『クロス・オーバー』B

 

 自由の翼、ZGMF-X10A〝フリーダム〟──

 それは本来、宇宙に上がったコーディネイター達の希望の象徴として、ザフトの急先鋒となるべく開発された最強のモビルスーツ。だがクライン派の手引きより、戦争を止めようと立ち上がったキラ・ヤマトの手に渡されたことで、その機体はコーディネイターのみならず、全人類を等しく次なるステージへ導くための〝天使〟として生まれ変わった。人類が人類として、真の〝自由〟を勝ち取った暁に、今度こそ訪れるであろう平和な世界──これを照らし出すため希望。平和を実現させるための武力。

 

 ──しかしこれを、矛盾と呼ぶ者は呼ぶだろう。

 

 ただ、少なくともラクス・クラインは矛盾だとは考えなかったようだ。ステラが地球に向かうとき、ラクスは〝フリーダム〟のことをさながら人智を越えた使徒であるかのように喩えていたから。

 

『キラに〝フリーダム〟を託せば、戦場で、より多くの命を救う〝天使〟へと成る(・・)のではないか──』

 

 たしかに〝フリーダム〟は単機での状況制圧能力に秀で、複数の攻撃目標へ向けた同時砲撃(フルバースト)等、その総合火力は他の追随を許さない。

 キラ・ヤマトはこの特性を最大限に利用し、多くのモビルスーツを一斉に行動不能に陥れる戦法を編み出していた。放つ砲撃の照準を数尺ズラし(・・・)、敵モビルスーツの武装やメインカメラのみを優先的に破壊する。被弾した者はおのずと機動力か戦闘力を奪われるのみで、撤退することを余儀なくされる。

 それは憎しみの連鎖を断ち、戦いの中でも相手を生かす『不殺』をモットーとした戦法。云われてみればで考えれば、たしかに超然とした〝天使〟のような戦い方かも知れない。でも──

 

 ──人は、全能にはなれない。

 

 不殺と云えば聞こえはいいが、人間の行うそれは偽善であり、欺瞞である。武装を奪ったから、メインカメラを奪ったから──

 ──だから何だというのだ?

 戦場で武装を失った者が、何事もなく生還できるはずがない。自衛手段も援護もなく、退却することを求められながら、抵抗もままならずに嬲られる人間のことは考えたのか──いや、考えられるはずはない。人の目はそこまで届かない。人の手は二本しかない。

 

 ──その振る舞いは、生かしているつもりで(・・・・)、どれだけの命を殺しただろう(・・・・・・)

 

 それがステラの実感だった。かつて不殺を貫いていた筈の〝フリーダム〟が、結局は自分の都合で振る舞い方を使い分け、暴れ回る〝デストロイ〟のパイロットを殺したことを──残念ながら、ステラはよく知っていた。

 それが善であったか悪であったかはともかく──それはまた別の話であって──だからこそステラは、今は〝フリーダム〟を捜していた。天使でもなければ、悪魔でもないはずの人間──キラ・ヤマトという、たったひとりの少年を確かめるためだけに。

 

「キラ・ヤマト」

 

 件のモビルスーツを託された人物が、かつての幼馴染みであると知ったときのステラの衝撃は計り知れるものではない。だが結果的に云えば、その事実を彼と対峙する前に知っておくことができて、良かったのではないかとも思えている。

 ──おともだち(・・・・・)でしょう……?

 ラクスが云ったとおり、キラ・ヤマトは、ステラの友人だ。

 

(キラとなら、話せる……はず)

 

 胸に不安を抱えながら、ステラは〝クレイドル〟を湾岸の方角へ進ませた。

 

 ──人は、全能にはなれない。

 

 非力どころか、ときには無力。何もかも最良を引き寄せて突き進むことは不可能で、善かれと思って施したその選択の結果が、当人の意図とは無関係なところに強く影響を及ぼすこともある。

 それはさながら、バタフライエフェクトだ。

 風が吹けば桶屋が儲かるように、たった一羽の蝶の羽ばたきが、地球の裏側で大竜巻を引き起こすのだと信じられているように──

 人の手の届く範囲は限られている。ならば、ちっぽけな自分達にできることは、せいぜい目の前で零れ落ちてしまいそうな命を救いあげ、これを守ることだけだったのだ。

 

(だからきっと、だいじょうぶ……)

 

 オーブ解放戦の最中、シン・アスカとその家族は『まもる』ことができた。彼はきっと、あのまま家族と共に港へ走ってゆけたはずだ。

 そうして標的を変え、上空に飛び立った彼女はこのとき、何も知らなかった。気付くことさえできなかった。後世において多くの人々に〝守護神〟として伝承された〝クレイドル〟を、

 

『──〝破壊神〟』

 

 そう嘆いた哀れな少年を、すぐ足許に置き去りにして来たことを。

 彼女は、何も知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 オノゴロ島内陸部でも、激しい戦闘が巻き起こっていた。

 地球軍艦隊が展開する接続水域の方角から、何機もの大型輸送機がオーブ領空に迫る。船体ハッチが開くと同時に、次々と降下を開始する〝ストライクダガー〟が大群となって上陸をはじめる。オーブ迎撃システムやM1隊による対空砲火を潜り抜けながら領土内へと着地する地球軍機の頭数は、オーブ軍の物量を徐々に凌駕し始めていた。

 しかし、それはオーブ軍を退かせる理由にはならなかった。

 

「おのれ……! オーブの底力をみせてやれ!」

「応っ!」

 

 オノゴロをホームとする〝M1〟隊と、侵攻する〝ダガ―〟隊が交錯する。

 そうした戦いの最中、そこへ白亜のモビルスーツが一機として舞い降りた。赤、白、青のトリコロールに彩られ、背部には大きく張り出した大きなカナードと、頭部には鋭いツインアイと張り出したVアンテナが見える。

 ──GAT-X105〝ストライク〟である。

 機動戦用のエールストライカーを装備し、再び戦場に君臨する〝常勝の鬼神〟──しかしこのときの〝ストライク〟は、妙に覚束ない足取りであり、云ってしまえばかなり頼りない動きをしていた。戦場の渦中にあるにしては、一挙手一投足が慌てているように性急であり、まるで素人が操縦しているかのようである。

 

GAT-X105(ストライク)──修復されたというのか!?〉

〈だが、動きが妙に鈍いぞ! パイロットは変わっている!〉

 

 地球軍兵達の指摘どおり、このときの〝ストライク〟はじりじりと覇気もなく後ずさるだけで、あっという間に敵の包囲網を完成させてしまっていた。機体正面の〝ダガー〟がビームサーベルを抜き放ち、及び腰の〝ストライク〟へ斬りかかる。

 と、そこへ、中空から一条のビームライフルが撃ち放たれた。その光条は真っ直ぐに〝ストライク〟へ迫る〝ダガー〟の右腕を肩口から奪い取る。続けて連射されたビームライフルが、周辺の〝ダガ―〟をも次々に被弾させていく。

 

〈新手か!?〉

 

 地球軍パイロットが驚きの声が上がると、彼とは違う兵士のひとりが、東の方角から急速に接近して来る反応を捉えていた。

 突き出した鋭利な両肩、頭部には〝ストライク〟同様のツインアイとVアンテナが見える。落ち着きのある赤紫色(マゼンタ)に染まったそのモビルスーツは、スラスターを点火させて地を蹴るように大きく飛び上がると、中空で鮮やかな変形をしてみせた。四本の鉤爪が機体前方に収束した、その奇抜すぎるデザインは、

 

「──〝イージス〟だと!?」

 

 困惑の声が上がると同時に、モビルアーマー形態へと変形した赤紫色の〝イージス〟は、中枢の砲口から高エネルギ―収束砲〝スキュラ〟を放つ。

 一筋の烈光が、三機もの〝ダガ―〟を呑み込んだ。

 すかさず高速巡航形態からの変形を解き、人型となった途端、〝イージス〟は両腕からビームサーベルを抜き放った。間髪入れず、初陣とは思えない思い切りのよさで、残る〝ダガ―〟の懐まで蹴立つと、あっという間にすべての敵機を斬り倒してしまった。

 

「おーおー、カッコいいねぇ! モビルアーマー乗りには体のいい機体ってわけだ」

 

 GAT-X303〝ヴィオライージス〟──パイロットはムウ・ラ・フラガ。

 太平洋上で中破した〝イージス〟をモルゲンレーテが回収し、独自の技術で修復・改修した可変式モビルスーツ。フォートレスストライカーに試験搭載された新エンジンを採用し、総バッテリー容量が格段に上昇している。全身のカラーリングはムウ・ラ・フラガをイメージした赤紫色(マゼンタ)へと変更されている。

 パイロットを務めるムウ・ラ・フラガは、モビルスーツパイロットとしては新米であるが、モビルアーマーの操縦にかけては天才的だ。

 

 ──〝ダガ―〟なんかに、遅れちゃいられないってね……!

 

 以前キラ・ヤマトがオーブへと提供した、ナチュラル用OSのサポートシステムが実装されたのだ。おそらくは〝ストライクダガー〟とて似たようなものがシステムに反映されているのだろうが、これによって、ムウのようなナチュラルであってもモビルスーツは操縦できるまでになっていた。

 周囲を制圧したムウは、通信回線を開き、傍らでけろりと竿立っている〝ストライク〟に向けて怒鳴った。

 

「ほら! ボーっとしてるとただのマトだぞ! やる気あんのか!」

〈あ、ありますよっ! 俺だって、戦えます!〉

 

 通信先でがなったのは、トール・ケーニヒである。彼がいま乗っている〝ストライク〟もまた、太平洋上の孤島で回収され、モルゲンレーテによって修復されたものだった。

 

「やれやれ、鬼神とも呼ばれた〝ストライク〟ったって、パイロットが変わるとひよっこも同然だな?」

〈云って下さいよ、好きに! これから取り返すんです!〉

 

 云うと〝ストライク〟は意気込んだように、さらなる敵陣へと機体を走らせた。ムウはかすかな笑みを口元に浮かべ、できのわるい後輩を見守るようにして後に続く。

 二機が走り込んだその先で、彼らは少女達がパイロットを務める〝M1〟隊──アサギ・コードウェル、マユラ・ラバッツ、ジュリ・ウー・ニェン──の小隊と合流を果たす。そのまま侵攻してくる〝ダガー〟隊を撃滅してゆく彼らであったが、快進撃もそこまでだ。

 次々に撃破される友軍機を見かねた主力隊〝ネメシスダガー〟が二機、中空を飛行しながら〝ストライク〟一行に駆けつけてきたのだ。

 

「うそ、飛んでるーっ!?」

「当たらないよぉっ!」

 

 〝ストライク〟が、〝イージス〟が、三機の〝M1〟が射撃するビームライフルは、しかし、中空を制する〝ネメシスダガー〟を捉えきることができない。反撃として〝ネメシスダガー〟は高みより追尾ミサイルを放ち、彼らは飛び退くことでかろうじて攻撃を回避する。

 ムウは咄嗟に判断し、みずからの機体をモビルアーマー形態へ変形させた。レストアに伴ってアップデートが加えられた〝イージス〟は、各スラスターの増強により、高速巡航形態であれば大気圏内での飛行特性を獲得したのだ。空を制す者には、同じく空を制して戦いを挑む方が有効であり──ムウは〝ネメシスダガー〟の片割れ、その一機に向けて突撃を仕掛けた。

 

「でぇいっ!」

 

 とはいえ、対モビルスーツ戦に際してモビルアーマーが形勢上不利なのは今さらの話である。変形後の〝イージス〟は空中を飛行することができても、浮遊することはできない。中空を直進することはできても、曲折することはできない。

 つまり〝イージス〟にとって、大気圏内での空戦能力はあってないようなものであり、さりとてムウは、これまでに培って来たモビルアーマー乗りとしての経験を総動員し、驚くべきことに中空の〝ネメシスダガー〟とも真っ当に渡り合ってみせた。

 

「性能差じゃないってこと、教えてやるよ! ひよっこ!」

 

 元々、ムウ〝スカイグラスパー〟によって〝バスター〟とも渡り合ってきた程の男だ。センスと経験則によって磨かれた操縦技量とは、単なる機体性能に埋め尽くされてしまう程に、曖昧で理不尽なものではなかったらしい。

 

〈片割れは俺がやる! 残りの一機、なんとかやれるか!?〉

「……! やってみます!」

 

 そうして地上に取り残されたトールは、アサギ、マユラ、ジュリと連携して〝ネメシスダガー〟を相手取った。所詮はルーキーであり、突けば崩れてしまいそうな彼らに対し、連合の〝ネメシスダガー〟は相当な腕利きが乗っているのだろう──トール達が慌てて放つビームライフルを、敵は鮮やかにかわしていった。

 力量差が目に見える──まるで理不尽な動き。〝ネメシスダガー〟は上空へと飛翔した後、ビームサーベルを抜き放ち、一気に高度を落として〝ストライク〟へと迫る。トールはぎょっとして、ビームライフルを応射した。

 

「く、来るなぁっ!」

 

 トールを掩護するように、他のM1隊も続けてビームを撃ち掛けたが、抵抗も空しく、敵機は易々と砲火をかわしていく。一刻のうちに距離を詰められ、凄まじい突進と斬撃が、シールドを翳した〝ストライク〟の機体を撥ね飛ばす。仰向けになって地に頽れた〝ストライク〟は、思うように機体を起き上がらせることができなかった。

 そこへ、容赦なく追撃が降りかかる。上空から飛来する〝ネメシスダガー〟が、ビームサーベルを突き立ててきた。

 

「うわぁ!?」

 

 ()られる──!?

 トールが絶望に淵に立ったとき、目の前に肉迫していた〝ネメシスダガー〟が、ぎりぎりの所でその動きを止めた。灼熱の光刃は、トールまで振り下ろされなかった。

 

「なっ、なに……?」

 

 驚きに目を開き、アサギが声を上げる。

 次の瞬間、少女達の目の前に陽炎のように揺らめく漆黒のモビルスーツが顕現した。それまでは何も無かった地点に、いきなり出現するような形で。

 ──ミラージュコロイドステルス!?

 初めて目の当たりにする特殊兵装に、少女達が愕然と目を見開き、慌ててそのモビルスーツから距離を取る。しかし、よく見るとそのモビルスーツは、左腕に装着されたロケットアンカー〝グレイプニール〟を射出し、地上に降りた〝ネメシスダガー〟を背後から捕獲、固定していた。事態が呑み込めないトールの耳に、いきなり通信が割り込む。

 

〈動きは止めました! 今です!〉

「えっ……!?」

 

 トールは訳が分からず、しかし、身体はその声の促す通りに動いていた。

 瞬間、〝ストライク〟は腰部両脇ホルダーに内蔵されたアーマーシュナイダーを、目前の無防備な〝ネメシスダガー〟へと突き立てていた。鋼鉄の短刃は、そのまま吸い込まれるように敵機のコクピッドを穿ち、これによって、敵機は操り手を喪った糸人形のように、完全に行動を停止する。

 トールは、命拾いした幸運を噛みしめながら、急ぎ〝ストライク〟を立ち上がらせる。立ち上がるのとは対照的に、目の前の〝ネメシスダガー〟は地に伏せて倒れた。そうしてトールは、視界に映った漆黒のモビルスーツに目を見張る。

 

「〝ブリッツ〟だって……!? それに、その声……!」

 

 通信先から聞こえた声。そして、まるで機体の特性を十全に理解しているような一連の滑らかな動作──まるで熟達のパイロットであるように〝ブリッツ〟を操ってみせた人物の正体を誰何して、トールは驚いた。

 

「ニコル、なのか──!」

 

 参入したGAT-X202〝ブリッツ〟に乗っていたのは、ニコル・アマルフィだった。

 

 

 

 

 

 

 オーブの工廠区を抜け、ニコルはこれまでの愛機、〝ブリッツ〟がどこかにないかと、モルゲンレーテへと向かっていた。

 その道中──彼はひとりの避難民の少年と衝突してしまう。切れ長の黒髪。いや、それよりも見憶えのある血を薄めたような真紅の瞳。強い意志を宿しそうな力強い相貌は、以前オーブへ潜入した際、街角でステラと衝突してしまった少年だった。子供っぽく、丸みを残した顔立ちは、きっとニコルよりもまだ年下で、それこそステラと殆ど同じ年齢くらいではなかろうか。

 

 ──ステラさんの、ご友人だったはずだ?

 

 友人という表現が適切なのかどうか、詳しくはニコルには分からない。なんせ少年を慕っていたのはステラの方だけであり、対して少年の方には、ステラに対する面識は何もなかったように見えたから。

 だが、ことの詳細はともかくとして、普段から人見知りがちな彼女が、あれほどの熱意と感動をみせた人物だ。それは滅多な人物ではないことくらい、ニコルにもよく分かるのだった。

 

 ──前にね……こうやって、助けてくれた人がいたの。

 

 太平洋上の孤島で──

 そう呟いたときのステラの柔らかな面持ちが、花が開くように綻んだのをニコルは知っている。ステラという少女が、たった一度でも心を開いたことのある人物に対し、いつだって一生懸命なのをニコルは理解しているつもりだ。誠実な人間に対しては──舌足らずで不器用で──それでも彼女なりに真摯に向き合う姿勢を知っている。

 だからおそらく、その黒髪の少年──「シン」という名の少年も、かつてステラの心を開くだけの神聖なことをやってのけた人物なのだろうと、そのときのニコルには、なんとなくでも理解することができたのだ。

 

『いけない、キミまで────っ!』

 

 何者かの手によって撃墜された〝ネメシスダガー〟──

 瓦礫となって降りかかる巨大兵器の下に、シンは迂闊にも飛び込もうとした。家族のために。

 

 ──死なせてはいけない! この少年は……!

 

 義務感に突き動かされたニコルは、善かれと思って少年を羽交い絞めにして離さなかった。

 その結果、遠方で立ち竦む三人の人物を──シンの家族を──〝見限った〟と云えば、その通りである。今になって言い訳はしないし、それを認める程度の潔さなら持っているつもりだが、あのタイミングで飛び出して行ったところで、あの三人を助けられる保証などなかった。

 

 ──そう、あるはずがなかった!

 

 だからニコルは、せめてもの選択としてシンをその場に制止させたのだ。

 だが、その選択は、かえって彼を苦しめたかも知れない。目の前で家族を喪い、自分だけが生き残り、悲憤慷慨(ひふんこうがい)を絶叫する少年に、ニコルは兢々とするしかなかった。

 そんなときに、彼らの存在に気付いたオーブの軍人が駆け寄って来た。名をトダカと名乗る、オーブの軍服に身を包む中年の男性だった。

 

『きみたち、大丈夫か!? 早く港へ行くんだ!』

 

 トダカは、全身が脱力したシン・アスカの身体を抱きかかえるように持ち上げた。なかば強引に立ち上がる形になったシンは、魂が虚脱したような状態だった──体の中にあるすべてのものを、先の叫びで果たしてしまったかのように……。

 ニコルは、すっかり気力が阻喪してしまっているそんな少年の姿を見かね、ぎりっと歯噛みする。

 すぐに、少年を抱えるトダカに向けて『僕なら大丈夫です』と返した。

 

『僕には、行かなきゃいけない場所があるんです……! この少年を連れて、港へ急いでください!』

『何を云っている! きみのような子供を放っておくことなどできんよ!』

『──シン君と云ったね!?』

 

 トダカの怒号など、まるで聞こえていなかった。

 ニコルは専心して、シンに怒鳴っていた。

 

『いいかい!? 僕の名はニコル・アマルフィ! 〝プラント〟の──ザフトの、元軍人(・・・)だ!』

 

 その言葉を受け、シンの肩を抱いていたトダカはハッとした表情を見せる。こんなにも幼い少年が、自分と同じ軍人であったとは。

 

『きみも僕と同じ、コーディネイターだろう? この地球の向こう側──〝プラント〟は今のきみをきっと受け入れてくれる! だから、きみは絶対に生き延びなきゃならない! 生き延びて……そして向こうに渡るんだ!』

『えっ……?」

 

 魂が虚脱しているような状態のから、かすかに疑問の声が漏れる。しかしニコルは、言葉を止めなかった。

 ──この戦況を許していては、オーブはそう長くは持たない……!

 だからこそ、ニコルはシンに〝プラント〟への移住を奨めた。いつになるかは分からないが、このような戦争さえなければ、少なくとも〝プラント〟は行く宛てのないコーディネイター達の安寧の地──少なくとも、各地でブルーコスモスが目を光らせている地上よりは、はるかに同胞愛に溢れた安全な地だと云えるからだ。

 

『命を無駄にしてはいけない! 僕もまた戦うから──いいね!?』

 

 ニコルは踵を返し、シンをトダカに預け、走って行ってしまった。トダカは、慌ててニコルへの静止を求める──が、彼はまったく応じなかった。

 シンは、走り去って小さくなっていく背中を、ぼうっとした意識で見届けていた。

 

(あれが──軍人……?)

 

 名を、ニコル・アマルフィと云った。

 冷静な見方をすれば、あの人がいなければ、自分はきっと、今こうして生きてはいない。五体満足でなど、生存していられない。

 自分は、あの人に助けられたのだから。

 ──命を無駄にしちゃだめだ……!

 真剣にして純朴な、その叱責は、全身の細胞ひとつひとつに染み入るようにシンの中に広がって行った。

 

 ──俺は、生き延びなきゃならないのか……?

 

 きっと、そういうことなのだ。

 シンは釈然としない後悔に苛まれつつも、自分は生き残らなくてはならないという決意と、そして義務感が芽生えるのを感じた。

 一方──

 ニコルはモルゲンレーテに駆け込んだ先で、みずからの愛機である〝ブリッツ〟を発見した。

 

『こんなこと、いつまでも続けていていいはずがないんだ……!』

 

 この戦争がいつまで続くのか、ニコルには分からない。しかし今になって、はっきりと分かったこともある。戦争はただ続いているだけではなく、戦火は生き物のようにその規模を増大させながら、もはや世界全体を巻き込みつつある──

 オーブ連合首長国。この地球上に残された、おそらく最後の平和までもが破られた。戦火は多くの人々の人生を狂わせながら──あの少年のような──痛ましい戦争被害者と犠牲者遺族をこれからも増やし続けるだろう。

 

 ──もう本当に、終わらせなくては……!

 

 想いを新たに、ニコルは既に手足のように馴染んだ〝ブリッツ〟のコクピッドへ飛び込んだ。

 慣れた手つきでOSを立ち上げてゆくと、不思議と奇妙な郷愁感が全身を押し包む。

 初めて〝ブリッツ〟に乗ったのは〝ヘリオポリス〟でのことだった。当時の自分は、世間など知らず、自分の故郷さえ守ることができるならそれで良かった。余所の国のことなど、云ってしまえばどうでもよくて、オーブなんて国のことなど、知ったことではなかったのだ。両親の反対を押し切って士官学校に入校したのも、全ては〝プラント〟を──〝プラント〟だけを守るためだった。

 

 ──けれど、もう違う。

 

 あの少年のように、戦争によって悲しむ者は〝プラント〟の他に多くいる。大切なものを奪われた悲しみに打ち拉がれるのは、コーディネイターもナチュラルも同じ。そればかりは〝プラント〟も地球も関係ないのだ。

 

 ──この戦争、今度こそ終わらせなきゃ、誰ひとり報われない……!

 

 自分が元軍人であるとシンに告げたときから、ニコルの中で決心はついていた。

 自分はもう、ザフトに戻りたいわけではない。〝プラント〟で暮らすコーディネイター達の利潤のためだけに、地球を汚し、潰すような作戦にだって賛同することはできない。上からの非人道的な命令に、黙って付き従うことも……!

 

 ──それが戦争だと云うのなら、それこそ僕等を苦しめる『敵』なんだ……!

 

 そして軍人という職業は、戦争というシステムの一部の歯車でしかない。だからこそ、自分はもうザフトには戻れない、戻りたいとも思わない。ザフトで手にした〝力〟は戦争のために費やすのでなく──少しでも戦争を終わらせるためのものとして役立てたい。

 そうしてニコルは、戦争による無用の犠牲を減らすべく、このときオーブ守備隊の味方として出撃したのだった。このとき単機で〝ネメシスダガー〟を撃破した後のムウは、そうして正面に立つ〝ブリッツ〟に向けて通信回線を開く。

 

「一緒に戦うんなら、アテにしたい。……いいんだな?」

 

 ニコルはその質疑に対して、力強く答えた。

 

「──はいっ」

「……! いい返事だ」

 

 そうして──〝ストライク〟〝イージス〟〝ブリッツ〟が──オーブ守備隊として合流を果たした。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、はるか遠方のオーブ領海上で──

 ステラは〝クレイドル〟に空中を泳がせる内、彼女自身がずっと捜していた|〝標的〟を見つけていた。

 蒼海と蒼空の狭間で繰り広げられる、モビルスーツ同士の激闘。交錯する機影、錯綜する砲撃──そんな戦闘の渦中に、見憶えのある……いや、もはやステラにとっては忘れることなど絶対にできないフォルムの機影を発見する。

 

 ZGMF-X10A〝フリーダム〟──

 

 機種を判別した〝クレイドル〟のOSもまた、記号としての機体名称を手許のモニターに映し出す。その文字の羅列を認め、ステラはひくり、と息を呑んだ。

 

(みつ、けた……っ!)

 

 今、目下にいるあれが。

 ──あれこそが、ステラにとっての、死の天使……!

 そう思った途端、身体が震え始める。喉元にまで逆流する不快感。気道がきゅっと狭まったように、喉奥が痒くなる。加速するように荒くなる吐息に、やがて苦しくなり、ステラはパイロットスーツの襟元を苛立たしげにこじ開けていた。

 

「……!」

 

 背に十枚の翼を持つ鋼鉄の巨神。超然とした力は不敗を誇り、人の死を司る、残酷な守護天使。

 ──ステラを、殺そうとした……!

 頭では理解していても、身体や記憶が割り切れないこともあるということなのか。実際に〝フリーダム〟を目の当たりにすると、ステラの全身は猛烈な拒否反応を示しはじめていた。

 あれが再び灼熱の刃を自分に突き立てて来るのではないかと──今は目下にあって、自分のことなど気付いていないであろうその機体が、こちらに気付いた途端に、血相を変えて襲い掛かってくるのではないかと──

 

「……?」

 

 だが目下の〝フリーダム〟は、ステラも知らない──〝クレイドル〟のデータベースにも照合のない──三機のモビルスーツ部隊と交戦していた。

 海上をホバリング移動している砲戦型らしき青紫色、変形機構を有する猛禽のような黒色と、甲羅のような装甲を背負った枯草色。おそらくは前期GATシリーズの性能を著しく特化させた〝G〟タイプだろう。

 開き直って悪の軍勢を自認しているかのような悪人相。サーベルやライフルといった武装オプションを駆使するよりも、砲門そのものを機体頭部や胸部に内蔵させてしまえという荒々しい設計コンセプト。それらは数年先に開発される、ロゴスの〝デストロイ〟の先駆け的であるようにも思える。

 

どっち(・・・)が出す不快感だ……?)

 

 高い機体性能も然ることながら、そのモビルスーツ部隊はパイロット達の高度な操縦技量によって、度々としてナチュラルの反射速度を凌駕したリアクションを見せ続けている。

 だがそれは、どこか挑発的──挑戦的な機体捌きであり、どこか堅実さを欠いた独特のアンバランスだ。石橋を叩こうともしないその好戦的な姿勢は、ともすれば闘争を愉しんでいるかのように映って、それはステラがよく知る者達の特徴だった。

 

(──強化人間)

 

 目下の戦闘から伝わって来る、鬱然とした感触。そして、肌を灼くような死闘による緊張感。ステラは観察するようにして、下空で激しく交錯するモビルスーツ達を俯瞰しつづけた。

 

「────」

 

 自分を殺そうとした〝フリーダム〟──

 ──たしかに、アイツはこわい……。

 近づくだけで、バラバラに斬り裂かれてしまいそうで。

 しかし不気味な気配を放っている、地球軍の新型三機──

 ──コイツらも、なんだかこわい……。

 文字通り正常ではない、歪な何かを、その内に抱えているようで。

 

(何を、そんなに畏れているの……怖い? 嫌い……?)

 

 ──しかし、どちらが……? 悩んでいる、次の瞬間だった。

 海面から〝フリーダム〟を付け狙っていた青紫色の新型が、背負うように装備した長射程ビーム砲を撃ち放った。直下から肉迫する狙撃に虚を突かれた〝フリーダム〟はそれによって態勢を崩し、その隙を突いて猛禽然とした黒色のモビルスーツが強襲を掛ける。左腕に装備された巨大な物理球を射出し、この直撃を受けた〝フリーダム〟は大きく吹き飛ばされた。

 それを見たステラはハッとして息を呑む。

 

 ──あの(・・)〝フリーダム〟が、押されている……!?

 

 常勝。不敗。超然。無敵。最強──

 形容の仕方はいくらでもあり、ステラの中では──好悪はどうあれ──〝フリーダム〟はそれほどに最上位の修飾が相応しい存在であるはずなのだ。これはステラとて例外ではないし、三機の敵から包囲された状況とは、漏れず絶体絶命であるべきだ。しかし、それを一瞬で秒殺し、制圧できるような存在が〝フリーダム〟であり、彼女のよく知る〝悪魔〟でもある。

 

 ──それがまさか、苦戦している?

 ──今にも、やられそうになっている……?

 

 そこまで考え、彼女は改めて思い知った。やはり〝フリーダム〟は全能ではないこと。ひとりで何でも完璧にこなせるわけではなく、ひとりで全てを捌くことなどもできないのだ。

 乗っているのは、ステラと同じ人間で──

 

 ──乗っているのは、きっとキラ・(・・・)ヤマト(・・・)で……!

 

 ステラの知っているキラは、昔から何でも率なくこなせるような少年だったろうか? いや違う、小さい頃から泣き虫で、甘えん坊で、しっかり者のアスランに自分と一緒に助けてもらっていたことの方が多かったはずだ!

 誰かが助けてあげなければ、きっと危なかしくって──云ってしまえば頼りない──そんな彼が今、命を賭して、たったひとりで戦っている……?

 

 ──乗っているのが〝フリーダム(・・・・・)〟だからって、そんな理由で、友達を見殺しにしていいはずがない……!

 

 そう思ったとき、少女の身体は、おのずと動いていた。

 大切な友達を、いま一度『まもる』ために──

 

 

キラ(・・)ッ────!!」

 

 

 咄嗟に呼びかけた先は〝フリーダム〟ではなく、キラ・ヤマト。

 死の天使ではなく、大切な親友だった。

 その瞬間────

 少女は、偏見と先入観を越えて。

 みずからのトラウマを乗り超えて、少女は少年の許に駆けつけていた。

 

 

 

 

 

 

 カーキ色の三機目が、そのとき態勢を崩していた〝フリーダム〟に向けて、胸部誘導プラズマ砲を撃ちかけた。大出力のそれが火を噴き、キラは愕然とした。その射線は確実に、吹き飛んだ先の〝フリーダム〟を捉えていたのだ。

 

「──しまったッ!?」

 

 避けられない射線、屈折する赤色の光条が〝フリーダム〟へ直撃する!

 次の瞬間、キラの視界に月輪のような輝きがう込んだ。白銀色の機体が自分と敵機の間に割り込み、機体前面に展開した月の輪のようなビームフィールドで、敵機が放ったプラズマ砲を弾き飛ばしたのである。

 

「──!?」

 

 見覚えのある光景だ、とキラの意識は呟いていた。それは始まりの〝ヘリオポリス〟での戦闘のとき、空中で態勢を崩した〝ストライク〟を巨大な盾で護り抜いてくれた人物がいたから──

 キラは呆然として、モニターが照らし出した目前のモビルスーツに目を張った。手許のOSが機種を特定し、突如として舞い降りた白銀色の機体が、ZGMF-X08A──すなわち〝フリーダム〟の兄弟機であることを示していた。

 しかし、所詮は言葉の綾に過ぎないとはいえ、それは兄というよりは姉。力強くもどこか女性的な美しさと気高さのようなものを伺わせる外観をしたモビルスーツだった。

 

「……えっ……?」

 

 いったい、誰が……? 少なくとも〝フリーダム〟と同じシリーズであるのなら、それはザフトに帰属する者のはず。

 ──でも、だったらどうして、いま僕を助けた?

 そう考えたとき、まさかと、キラはひとりでに予感していた。余計な期待感のようなものが、ぞくりと彼の胸を強く打つ。

 

 白銀のモビルスーツは、四対の翼を広げ、その内部から光の粒子を大きく放出させている。

 

 翡翠色の光波粒子は大気中で結び付き、大きな球状のビームフィールドを造り出す。キラも何度も見たことがある〝光波防御帯(アリュミューレ・リュミエール)〟──光の繭が〝フリーダム〟と〝クレイドル〟を包み込み、この堅牢な結界を前に、後期GATシリーズは無力だった。

 枯葉色が、青紫色が、黒色のモビルスーツが、自慢の大出力ビーム砲を浴びせかけるが、光波の膜は全ての砲火を弾き飛ばす。打って変わって鎌や破砕球が繰り出されるが、そのいずれも光波の球体を突き破ることはできない。

 と、諦めたのだろうか、地球軍の三機は途端に調子を外したような挙動をした後、どういうわけか転進し、母艦へと帰投していってしまった。

 そして三機が帰投すると、たちまちに連合軍の艦艇から信号弾が打ち上げられた。それは確かに、戦闘の終息を意味した光輝であった。

 

 

 

 

 

 

 素性の分からない白銀のモビルスーツの介入に、キラはしばし、沈黙を保った。

 連合の信号弾が上がった今、すべてのモビルスーツはオーブの領土から引きあげ、専守防衛の理念を貫くオーブ軍も追撃を行うことなく、大人しく休息の時間を迎えた。

 まるで夢から覚めたように、キラはハッとして、目の前の機体に視線を遣った。

 

 謎の正体不明機(クレイドル)は、自分に攻撃して来ない──。

 

 その時点で、キラ・ヤマトは固まった確信を胸に、〝フリーダム〟を〝クレイドル〟と相対させた。

 武器は翳さず、威嚇もせず、ただ一旦、真摯に通信回線に呼びかけていた。余談だが、ふたつの機体は兄弟機であったために、相互の通信コードは簡単に入手することができていた。

 

「──ステラ(・・・)、だろ……?」

 

 キラは恐々と訊ね、その声が届いたのか、相対する〝クレイドル〟が、戸惑うように動きを止めた。それを確認したキラは、続けざまにコンソールを叩くと、通信回線をさらに深くまで接続させた。

 機体のモニターに通信相手の姿が映し出され、キラはぐっと息を呑み込んだ。

 ──ああ……。

 映し出された、曲線的な紅蓮色のパイロットスーツ。ザフトレッドが着用するものだ。

 しかし、丸みを帯びたヘルメットの下に、輝くような柔らかな金髪が覗いている。密閉されてなお、金色に輝くそれは、蜂蜜に金粉を振りまいたかのように可憐だ。ふんわりと癖のかかった前髪の下から覗く、すみれ色の円らな双眸は、茫洋として、鏡のようにこちらを見返していた。

 

 ──やっぱり、きみ(・・)だ……。

 

 袖を通した軍服が変わっても、よく分かる。

 対してキラの方は、以前〝ストライク〟に搭乗していた時から、使用するパイロットスーツを変えていなかった。同じ規格、同じカラーデザインのものを着用していた。

 モニター越しのステラは、その白いヘルメットの下に覗く茶髪と、昔からあまり変わっていない幼い顔立ちの少年の顔を眇めていた。

 次の────瞬間だった。

 眼前の〝クレイドル〟が突如、右手に握ったリンクス・ビームライフルを、キラが乗る〝フリーダム〟に突きつけた。キラはドキッとして、しかし、それが威嚇行動に過ぎないのだと判断すると、きゅっと唇を結び、真っ直ぐにステラを見据えた。

 通信先から、警戒するような声が聴こえた。

 

〈……キラ、キラ・ヤマト……?〉

「……うん、僕だ……」

 

 モニター越しの少女の肩が、がたと震えたように見えたのは、気のせいであったろうか……?

 ステラの唇は、震えていた。

 どういうわけか、今にも泣き出しそうなほど、儚い顔をしていた。

 一呼吸おいて、彼女は滞空する機体から見える下方に目をむけ、破壊の跡も痛々しいオーブの海岸付近を示唆する。少なくともキラの目には、そのように映った。

 

 ──降りて(・・・)会いたい(・・・・)……。

 

 なんとなく──。

 あくまでもなんとなく、彼女がそう云いたがっているような気がして、キラは鷹揚と、彼女の要望に応じていた。

 

 

 

 

 

 

 低く遠雷が轟き、湿った風がざっと吹き抜ける。燦々とした太陽がいつの間にか積乱雲に隠れ、晴天から一転した雨雲が厚く上空を覆っていた。

 大粒の雨が、戦火で鄙びたオーブの大地を癒してゆく。傷ついた島国をまるごと洗い流すかの如く、その様子はオーブという国全体が禊の儀を受けているかのようであった。

 

 水平線の向こうから──もうじき『闇』がやって来る。

 

 昼と夜の狭間にある、半端の刻限。翼を広げた〝フリーダム〟と〝クレイドル〟は、それぞれに相対する形でオーブの海岸付近に降り立った。傷ついた海岸には痛々しい焦土の凹凸が浮かび上がり、雨足の強まった今、そこら中に掘られたような水溜りができていた。

 キラ・ヤマトは、着地した〝フリーダム〟のコックピットから顔を出し、その高みから向き合った形で屹立する〝クレイドル〟の全体像を改めて見渡した。──白銀に彩られたあの新型……アスランが手にした真紅の新型と同じように、おそるべき戦闘力を身に秘めているのだろうか……?

 そこまで考え、キラはかぶりを振った。──きっといま、詮索は無用だ。

 

 ──それよりも先に、やらなければならないことがある……。

 

 キラが辺りを見回すと、海岸線には何やら多くの人影が近づいて来ていた。オーブ軍が、戦闘区域に突如として介入した〝クレイドル〟の存在に気付いたらしい。警戒したカガリ・ユラ・アスハを筆頭に、オーブの武装兵が〝クレイドル〟を遠巻きに監視していた。その人だかりの中には、マリューやムウ、トール達の姿も確認できた。

 キラはふうと息を吐き、一度、心を落ち着かせた。

 一拍置いて、彼は〝フリーダム〟のラダーを使って地上に降りてゆく。すると、〝クレイドル〟のラダーの方も同様に降りて、相手方も同じように地上に降りて来ていた。

 

「おいおい、ザフト兵だぜ」

「何者?」

 

 ヘルメットを着用したままのステラは、遠方で待機する者達による、好奇と警戒の視線に晒された。

 全身がパイロットスーツで覆われ、真っ赤な状態では、遠目から性別も判断できないのだろう。雨も降っており、視界も決して開けているわけではない。

 ステラは、そこでゆっくりとヘルメットを脱いだ。ゆるやかな金髪がふわりと浮かび、うす暗い天候の中で、その明瞭な輝きは嫌でも際立って見えた。

 途端、人だかりの中に巻き起こるざわめきと、どよめき──。

 

「女……?」

「あの()……っ」

 

 おそらく、その中で最も驚いたのはミリアリア・ハウであっただろう。

 彼女は、驚きに開いた口を両手で抑え、傍らのトールが心配そうにその肩を抱き寄せる。トールの方は真摯な眼差しで、見届けるように少女のことを見遣っていた。

 ステラは、真正面に降り立った〝フリーダム〟を、しばし見つめていた。

 いや────見入っていた、と云っても良い……。

 薄闇の中で見る〝フリーダム〟は、やはり、ステラの中の忌々しい記憶と結びついて、天使を象徴したそのシルエットを、残照を背負った悪魔のように連想させた。

 

 ──こんな近くで……〝フリーダム(コイツ)〟を見ることになるなんて……。

 

 正直を云えば、もう二度と目にしたくないとさえ思っていたモビルスーツだ。

 事情はともかく、どれだけの恐怖を〝コイツ〟に植え付けられたことだろう? だからこそ、そんな機体が目の前で大人しく聳立していることに、不思議な当惑を憶える。まるでそのモビルスーツがいきなり起動し、もう一度、こちらに襲い掛かって来るような──。

 無論、そんなことはあり得ない。パイロットの少年は、既にラダーを使って地上に降りているのだから。

 

「ッ…………」

 

 ステラが、振り払うように〝フリーダム〟から視線を外す。

 そのまま水平方向まで目線を下げれば、改めて、機体と同様にみずからと相対した少年の姿が目に映った。見覚えのある、そんなパイロットスーツだった。

 毒気の無い白色と水色を基調とした、すこし痩せっぽちな規格の服。そのメットの下に覗くのは、茶色がかった黒い髪と、優しさを宿した丸い瞳──。

 穏やかで、繊細そうな少年の顔立ちは、見紛うことなく親友として慕って来たキラ・ヤマトのそれであった。ステラは、しゅんと肩を落とした。

 

 ──やっぱり(・・・・)キラなんだ(・・・・・)……。

 

 月面都市〝コペルニクス〟にある幼年学校で、ふたりはかたや実兄を、かたや親友を通じて知り合った。

 四歳の時から、ずっと一緒だった。三人で遊び、笑い、ときには怒られ──。

 記憶を奪い取られていたステラとは異なって、健全なキラには、それらの出来事をつい先日のことのように思い出すことができる。

 当時の彼等は、所詮はこどもで、社会の情勢や親の意向に従うしかなかった。

 十三歳の春──父親が出した避難指示に従って、ステラは〝プラント〟へ移住し、それから数年として連絡が途絶えると、キラの許に初めて入った一報は、彼女が核攻撃で亡くなったとの旨を報せる訃報であった。

 しかし、実際にはその情報は誤りで、彼女は生きていた。──その過程は決して穏やかな道ではなかったが──かつてキラにとって、こんなにも嬉しいことはなかった。

 

 そしてまた────ふたりはこうして、同じ大地の上でめぐり逢うのだろう。

 

 いま、自分達ふたりを隔てるものは何もない。

 向き合ったキラは、そう確信していた。互いに成長し、大きくなった。あの頃のように、互いに互いが、無知な子供ではない。

 自分の意志で、行動する自由を手に入れたのだ。

 

 ──だから僕は此処(・・)にいて、だから彼女も此処(・・)にいる。

 

 そうしてキラは、意を固めたように、少女に向かってその一歩を踏み出した。

 ──びくりっ。

 キラが起こした行動に、最も驚いたのはステラだった。いまだ彼女を警戒しているカガリでも、いちザフト兵を睥睨するオーブ兵でもなかった。

 まだ、現実を受け入れる覚悟ができてない──。

 そのときステラは、自分の身体が、強かに震えてることに気が付いた。

 

「ひっ…………」

 

 キラ・ヤマトを受け入れる覚悟なら、とっくのとうにできていた……。

 でも──キラの背後(うしろ)には…………っ!

 ステラは、思い出すようにして、頭上に見える〝フリーダム〟を見上げていた。

 途端、そのモビルスーツの精悍な頭部(かおつき)が、ひどく恐ろしく見え、脳裏が勝手にベルリンでのフラッシュバックを引き起こす。

 頭が閃と真っ白になったあと、荒れ果てたベルリン街の雪景色が脳裏に浮かぶ。

 舞い降りる蒼い翼、目前へ迫り来る光の双剣──柄まで押し込まれた光刃が、コクピッドごと己の身を灼き尽くす悪夢──。

 

「────ッ!!」

 

 ステラの表情が、絶望に彩られる。

 彼女はハッとして、咄嗟に、ホルスターの拳銃に手を伸ばしていた。それは、本当に無意識の衝動……いや盲動だった。

 

(いやっ──!)

 

 ──アイツが(・・・・)わたしを殺した(・・・・・・・)……!!

 彼女はそのまま、振り上げた拳銃をキラ・ヤマトへ突きつけていた──〝フリーダム〟のパイロットへ、その銃口を当てつけていた。

 それは、迂闊としか言いようのない軽挙だった。

 遠巻きのオーブの武装兵達は、素性の知れないザフト兵がキラ・ヤマトへ銃を構えたことを確認すると、肩から下げていた機銃を一斉に構え出す。無数の銃口がステラへと集中し、キラは慌てたように手を上げた。

 

「彼女は、敵じゃない!」

 

 拳銃を突きつけられてなお、キラは怯まずに云い叫ぶ。しかし、その声はしとしとと降る雨音に遮られ、彼等まで届くことはなかった。

 武装したオーブ兵のひとりが、トリガーを引く指に力を籠めようとする──次の瞬間だった。

 ──バッ!

 彼等の鼻先に、長く華奢な腕が翳された。

 

「──待って」

 

 マリュー・ラミアスである。彼女が両腕を伸ばし、他の兵士を制していたのだ。

 傍らのカガリが、胡乱げな表情になる。

 

「艦長、なにを?」

 

 一拍置いて、トールやミリアリアがまるでマリューに同調したように彼女達の前に立ちはだかった。

 そして、訴えるような口調で、彼等もまた他の武装兵達を諌め始めた。

 

「銃を降ろせよ、あの子は敵じゃない……!」

「おねがい、見守ってあげてっ……!」

 

 事態を呑み込めないオーブ兵達が、そしてカガリが、次々と動揺に呑まれていく。

 その場に居合わせたムウもまた、やれやれと嘆息ついて、同じように前へ出た。

 

「──まっ、そういうことね」

 

 軽い調子で云われ、つまり、どういうことだ? とカガリは困惑した。

 ──あの少女はいったい、何者なのだろう……? 

 カガリはひらすらに懐疑する──〝アークエンジェル〟のこの者達に、これだけの信用を置かれているなんて……?

 

 キラとステラ──ふたりの距離が段々と縮まって行く。

 

 ふたりのことを見届けるカガリは、その状況に釈然としなかったが、ザフト兵の少女は、確かにキラに向けて銃を翳してはいるが、一向に撃つことはなかった。遠目であっても、少女の身体が強く震えていることはわかる。いったい、何が彼女を突き動かしているというのだろう?

 やがてふたりは──手の届く距離まで近づいた。

 正確に云えば、キラの方から、それだけの距離に近寄って行ったのだ。

 

「や、あ…………」

 

 キラが発した第一声は、ひどく頼りなくて。

 それがステラには、とても印象的で。

 

「…………キ、ラ……?」

 

 絞り出すように、彼女は訊ね返していた。

 間近で見て、本人であることなど疑いようはない。それなのに、ステラはいまだに現実が信じられずいる。

 問われたキラは、かすかに微笑み──「うん……っ」とだけ、短く肯定して見せる。

 しかし、いつまでも拳銃を突きつけられたままのキラは今、心底、いつ撃たれるかも分からない恐怖を感じていたはずだ。不器用な作り笑いの下に、硬く結ばれた唇が震えているのを見て、ステラは怪訝な面持ちになる。そうして彼女は、自分が彼に拳銃を突きつけているのだと、そのときになって初めて気が付いた。

 

「えっ……!? あッ」

 

 みずからを無意識に突き動かした狂気──ステラは愕然として、自分の腕を振り下ろした。自分は今、誰を撃とうとしていたのだろう……!?

 ──そんなつもりじゃ、なかったのに……!

 自戒して拳銃を下ろせば、柔らかいキラの表情に笑顔が戻った。

 ステラは、必死で弁明しようとした。

 

「ち、ちがうの! これは……」

「──よかった」

「えっ……?」

 

 ステラは、きょとんとした。

 キラはたどだとしく、しかし、どこか照れたように云った。

 

「僕は君の敵じゃないから……。だから君が銃を下ろしてくれて、良かった……」

 

 ──僕は、君の敵じゃない。

 その言葉を聞いて、ステラの細い肩が、ぴくんと揺れた気がした。

 キラは、ずっと探していた少女の顔を真っ直ぐに見つめた。

 金髪の下に覗くすみれ色の眸が、懐かしく、あどけない。その目は宝石のようにきらきらを散りばめていて、壊れやすそうなまでの美しさに言葉を失う。何者にも汚させてはいけないような、それほどまで無垢な瞳に魅入っていると、段々と身体が吸い込まれていきそうだった。

 大きく円らな、すみれ色の瞳が──はじめてキラの顔を映した。

 キラは慌てて、ようやく次にかける言葉を捜した。

 しかし、捜せど捜せど上手いのが見つからず、戸惑っていると──不意に「ふぇっ……」と、何かが漏れるような声が聴こえた気がした。雨音だろうか……?

 

「ステラ……?」

 

 キラは改めて、ステラの顔を覗き込んだ。大きな眸には、みるみる涙があふれていた。

 ──きっと、これまで色んなことを我慢して来たんだろう……。

 目の前の今にも砕け散ってしまいそうな少女は、まるで栓が外れたように、そこから幼子のように泣きじゃくり始めた。

 降り注ぎ、肌を流れ落ちてゆく雨の雫と分別の付かない涙の滴は、とめどなく、それでいて儚く、少女の眸からぽろぽろとこぼれ落ちていく。

 どうしてか、キラもまたつられて泣き出したいような気持ちになって、胸いっぱいになって、耐えるように息を詰める。

 

「っ…………」

 

 けれど彼は、その感情を誤魔化すようにして、ステラの頭の上に優しく手を置いた。ぽんという音がしたか、していないか──それほどの力加減で手を置けば、その感触を認めたステラの方から、おずおずと顔を上げて来てくれた。

 すこしは、落ち着いたのだろうか? どこまでも純真で、まだしっかりと潤んでいる目に見つめ返され、キラは不思議と、神聖な気持ちになる。

 そのあどけない顔に、自然と訊ねていた。

 

「何に、泣いてるの……?」

 

 けれど、ステラはふるふるとかぶりを振るだけで、その質問には答えてくれなかった。

 ────答える必要など、なかったのだ……。

 ステラは、自分の胸がいっぱいになるのを感じ、同時に、それが何故なのか分からなかった。

 キラは──〝フリーダム〟のパイロットだった……。

 改めて現実を突きつけられてなお、彼を拒絶しないこと自体が、彼女には不思議だった。

 それでも、キラは「僕は君の敵じゃない」と云ってくれた──。

 

 こうやって、やさしく頭も撫でてくれた──。

 

 やっぱりキラは、キラなんだってこと。

 天使でも、悪魔でもない。

 大切な、大切な幼馴染み──おともだち……。

 ──ベルリンで〝フリーダム(かれ)〟と戦った……。

 あのとき、ステラが『悪いこと』をしてたから、だからこの人は駆け付けた。

 そのとき、ステラがキラを知らなかったように、キラもまた、ステラのことを知らなかったのだ。

 

 お互いが(・・・・)お互いを殺し合おう(・・・・・・・・・)としていることなんて(・・・・・・・・・・)────。

 

 ────きっと、誰も知らなかった。

 だからこそ自分達は、こんなにもすれ違って来てしまったのだ……。

 

でも(・・)もういい(・・・・)…………っ)

 

 ステラは胸がいっぱいになるのを感じて、小さく、優しく微笑んだ。

 涙が溢れ出し、そうして彼女は、身を委ねるようにしてキラの胸に、その小さな頭を沈めた。

 キラはドキリとして、一瞬だけ飛び跳ねた。

 しかし、ややあってからゆっくりと肩に腕を回して、ステラのことを受け止めてくれた。安心感が、ステラをやさしく包み込むような気がした。

 

(もう、わかったから────)

 

 人間は、神ではない。天使でも、悪魔でもない。

 そして〝フリーダム〟もまた、操っているのは、たったひとりの人間(キラ・ヤマト)なのだ。

 ステラにとって大切な幼馴染みは、どこまで行っても、大切な友達だ。

 どんな事情があっても、どんなすれ違いがあっても──。

 いまのステラにとって、目の前にある暖かな感触が、キラ・ヤマトのすべてだった。

 

 ──キラは、やさしいね……。

 ──ずっと昔から、変わらない……。

 

 ステラは暖かさに包まれる中で、うっとりと目を閉じた。

 

 

 

 ──やっぱりキラは、キラなんだ…………。

 

 

 

 すれ違いの果て────。

 それは少年と少女が、本当の意味でめぐり合った瞬間だった。

 

 

 

 

 

 




 ムウ・ラ・フラガの乗機に関しては、ネオ・ロアノーク時代でのパーソナルカラーであったように、赤紫のマゼンタ色を基調としたモビルスーツになっています。

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