~夢見る少女の転生録~   作:樹霜師走

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『造られた者達』

 

 

 生体CPU、通称:ブーステッドマン──

 それは、こと戦闘に特化した生体調整と能力強化が施された、所謂『強化人間』の一種である。

 

 数か月前に放棄されたアラスカ基地にて、人事部からの異動を命じられたハリー・ルイ・マーカットは、連合の新たなる本拠地(グリーンランド)への赴任後、ムルタ・アズラエルが経営する軍事コングロマリットの医務官としての業務に従事するようになっていた。

 医者という職業は、それでいて同時に研究者でもあるのだろう。強化人間を次々に〝製造〟するための画期的な新薬の開発、それが今の彼に与えられた仕事だった。

 

 ──きっかけは、私の小さなミスからだった。

 

 半年程前、新造戦艦〝アークエンジェル〟の船医として着任した彼は、予期せぬ事態であった〝ヘリオポリス〟崩壊の後も、当艦における唯一の医者として乗船を続けた。軍医として、崩壊したコロニーからの避難民の治療や手当て、ときにはメンタルケアなども請け負っていたのだが、ある日のこと、損傷したモビルスーツ〝ディフェンド〟のパイロットの身体治療を担当することとなったのだ。

 そのときの彼の表情というのは見物であり、彼は少女の身体から採取したデータの値のことごとくをみて、大いに驚愕した表情を見せた。

 健康な人間であれば、決して示すはずのない──決して示してはいけない──滅茶苦茶に入り乱れた数値の数々。医療機器の故障、あるいは誤作動であれとすら願った狂ったデータを、ステラの身体は叩き出していたのだ。

 依存性が高く、即効性のある劇物を体中に仕込んだ薬物中毒者──細胞や神経の働きを異常なまでに活性化させ、身体機能を飛躍的に向上させる効能……いや毒素(・・)を持つ、決して手を出してはならない禁断の果実を食したもの。

 しかし、とある側面だけを見れば、ナチュラルがモビルスーツを操るために不足している──反射神経、瞬発力、運動能力、認識力といった──あらゆる能力を底上げする効能も認められ、この一面こそが、結果的に「薬物を用いた戦闘用の強化人間の製造」という、狂気の発想を生み落とす原点となった。

 

 第八艦隊との合流後、ハリーは自己流の研究をもって薬物の解析を行い、やがて「そこに改良の余地がなかった」ことを断ずると、すべてのデータを破棄してみせた。

 しかし、捨てたはずのデータは、どういうわけかフレイ・アルスターによって復旧させられ、それを告発された彼は、転属先で強化人間の製造事業に半ば脅される形で協力することとなる。

 ハリーが出向した大西洋連邦の研究機関では、自然環境保護を提唱するブルーコスモスの資金援助を元に、既に強化人間──いわく「生体CPU」の研究が推し進められていた。

 

 ──遺伝子をもって拮抗できない怪物相手(コーディネイター)には、肉体を強化して対抗しようというのか?

 

 ハリーにとって不可思議だったのは、ステラ・ルーシェという強化人間の実物──ある意味では完成系──が確かに実在していたにも関わらず、施設で働く研究者のほとんどが、自分の持つエクステンデットのデータに目を輝かせたことだったろうか。実際、エクステンデットの研究はどの部署を覗いても未だに執り行われておらず、その代わり、ブーステッドマンと呼称される強化人間の開発が進められていた。

 人体実験の分野において、主力の研究機関はロドニアにあるらしく、ハリーはそこで、詳しい強化人間の説明を先達に受けた。

 

(ブーステッドマンは、こと戦闘能力においては、エクステンデットのそれを遥かに凌駕している──)

 

 そもそもエクステンデットとは、潜行工作といったデリケートな作戦を遂行することのできるよう、兵士としての用途を拡張された(Extendet)者達のことを指し、その精神状態は平時において安定している。

 対してブーステッドマンは、それと比べて強烈な投薬と心理操作が施されており、激しい神経麻痺の反動として人格の凶暴性が高いことが伺えた。そのため繊細な作戦行動には不向きで、彼等の活躍の場は戦場に限定されていた。

 ブーステッドマン用の覚醒剤は極めて依存性が高く、効果が強烈な分、摂取後の覚醒レベルも高くなり、発揮できる戦闘力はエクステンデットの遥か上をいく。

 

(ブーステッドマン達の命運を握る薬物──『γ()-グリフェプタン(・・・・・・・)』……ドーパミンやノルアドレナリンに似た神経伝達物質(ストレスホルモン)に由来する神経麻薬の一種か)

 

 ハリーは自分のデスクに向かいながら、医者としての考察を進めていた。

 その呟きを理解するには、医者としての専門知識を必要とした。

 

(確かにこの薬物は、投与後の著しい戦意高揚と覚醒を促す──)

 

 だが──と、彼はその先を続けた。

 

(効果はあくまで一時的なものだ。効能が切れると同時に、激痛を伴う禁断症状を引き起こす。こんな成分を体の内に取り込み続ければ、人は、いずれ廃人に──)

 

 そこまで考察し、ハリーの中に怒りが湧き出してくる。彼はそれまで読んでいた手許の資料を握り潰すと、苛立たしげに嘆息を吐いた。

 ──やはり、こんな研究は正気じゃない……!

 少なくとも、医術を以て人命を救う医療従事者の行うべき仕事ではない。

 オルガ・サブナック、クロト・ブエル、シャニ・アンドラス──ソロモンの悪神の名を付けられた、まだ年端もいかない少年達。それぞれ強化インプラント:stage「2」「3」「4」と段階的に表記され、その項目は、間接的に薬物中毒の進行度合いを示していた。

 

「少年と云えど、施設に来るまで経歴は一切として不明。──いや、抹消されているのか? あの娘と同じだな……」

 

 頭の中に、金髪の少女のことが思い浮かばれる。誰も、彼女がどこから来たのかを知らない。訊ねても、本人ですら上手く話すことができない。気が付けば〝ヘリオポリス〟に立っていたと云い、それ以前のことは本人が話さないのか、それとも話せないのか、誰ひとりとして知らないのだから──。

 そのとき、部屋のドアが開いた。

 ハリーはハッとして現実に引き戻される。誰何して振り返れば、自分専用に与えられた研究室の入り口に、スーツ姿の痩躯な男の姿を認めた。色の抜けたような金髪に、素肌の白い人種の男だった。その姿を認めた途端、彼はおおっぴらに失望していた。

 

「アズラエル理事……。なにか御用ですか」

 

 入室して来たのは、ムルタ・アズラエルである。ハリーがヘッドハンティングを受けた、軍事コングロマリットの経営者を務める男だ。

 明らかに厭うような口調で云われた彼は、飄々と云う。

 

「そうそう露骨に嫌な顔されると、僕だって傷つくんですけどネ」

「医術者として、大いに胸糞の悪くなる資料に目を通したばかりなのです、誰だってこうなります」

「それにしては熱心に読んでいたような気もしますが……まあ、職業意識が高いことのはありがたいことですヨ」

 

 ──この男とくれば、この調子である。

 ハリーは深く嘆息ついて、「……要件は?」と訊ねた。アズラエルは、相も変わらずねっとりとした口調で返す。

 

「あなたをお呼びのようですよ。お嬢サンが」

「……そうですか」

 

 ふたりは研究室を出て、殺風景な廊下を並んで歩き出した。

 そこは、オーブ領海外に撤退した連合軍艦隊──その旗艦である強襲揚陸艦〝バウエル〟の艦内である。

 並行する二者の間には、気鬱な沈黙が流れたが、これといってアズラエルにはそれを気に留めている様子はない。ハリーは彼への当てつけの意味も込めて、こんなことを云い出していた。

 

「──ご自慢の新型、思うほど働いてはくれなかったようですね」

 

 それは、今の彼に云える最大限の皮肉であった。アズラエルの細やかに整えられた眉が、ぴくりと動いた。

 オーブ解放戦線──

 連合が圧倒的物量を誇っていた先の戦いは、しかし、オーブ軍の底知れぬ軍事力と謎のモビルスーツによる徹底抗戦によって、地球軍の撤退に終わっていた。考慮される遠因は多くあるが、間違いなく最大の要因となったのが、アズラエルが満を持して前線に投入した新型機動兵器──後期GATシリーズの不可解な帰投によるものであった。

 医者であるハリーには、そのパイロットであるブーステッドマンの少年達が、なぜ唐突に、そして命令に背いて勝手に帰投したのかが、手に取るように分かっていた。

 

「先の戦闘、敗因はブーステッドマン特有の欠陥にあるのでしょう。薬剤(グリフェプタン)の効果継続時間が切れることを恐れた彼等は、先もって母艦(バウエル)へ戻り、禁断症状にみずからが行動不能になる事態を防ごうとした」

 

 そう、戦闘時におけるブーステッドマンの致命的な弱点は、薬物依存のために「長期戦に向いていない」ということでもある。

 彼等が、強化人間としての恐るべき戦闘力を発揮するには、高度な覚醒レベルと脳神経活動に起因する集中力を、薬剤の補助によって常に維持しつづける必要があった。無論、その反動や副作用も存在し、薬の効果が切れれば精神は途端に錯乱し、肉体はあらゆる不調を来たす。その弊害として戦闘不能の状態まで陥ることがあり、それは、兵士としては致命的な弱点であった。

 大体、催眠療法と酸素を含めた薬物投与と、生体改造によって人為的に身体能力を拡大させられた生体が、薬物という杖をなくして、いつまでも尋常でいられるはずがないのだ──。

 ハリーは、隣を歩く男を冷めた目で流し見た。

 そう、この男──ムルタ・アズラエルこそが、ブーステッドマンの処遇にすべての責を負うべき人間なのだ……。

 

「オルガ・サブナック、クロト・ブエル、シャニ・アンドラス──投薬が切れるたび、廃人のように堕ちてゆく少年達。そんな彼らが、本当にパイロットとして、これから役に立つと思っておられるのですか」

 

 アズラエルはしかし、ただ鼻白んで答えるだけだ。

 

「一般のナチュラルに、後期GATシリーズのような専用機を扱うのは不可能だ。ナチュラル用の支援OSが完成しても、あんなに複雑な機体、それだけで扱えるはずもない」

 

 前期GATシリーズのモビルスーツが完成しても、かつて大西洋連邦は、それらを操るパイロット選出において、完全に門外漢だった。それゆえに新型〝G〟兵器の実戦配備は遅れ、コロニー内で手をこまねている間に、敵軍に機体を強奪される不祥事を巻き起こす。

 強奪を免れた〝ストライク〟と〝ディフェンド〟が、当初の予定どおり〝アークエンジェル〟に配備されても、これに乗って来たのは「コーディネイターの少年と少女だった」との確たる事実報告もある。これを云い換えれば──「コーディネイターでなければ、結局はモビルスーツは扱えなかった」ということでもあった。

 したがって、以上の様々の経緯を鑑みると、現実はいよいよナチュラルにモビルスーツが不適合であると立証しているようなものだった。

 

 ──やはりモビルスーツは、コーディネイターにしか扱えない代物なのか?

 

 多くの者の中で、当時、この疑問への確信が強まり始めていた。

 そのときアズラエルは、発想を転換させた。

 

 ──通常(フツー)のナチュラルに扱えないなら、それ専用のナチュラルを造っちゃえばいい(・・・・・・・・)じゃないですか。

 

 この道を外れた提案が、遺伝子以外の肉体を徹底的に強化・調整したブーステッドマンを生み出すきっかけとなった。

 コーディネイターそのものを否定している〝ブルーコスモス〟や連合軍上層部の意向としては、いくらモビルスーツの操縦にコーディネイターの高い身体能力が必要と云えど、あの怪物の力を借りるわけには行かない。ならば、と、彼等はどこから連れて来たかもわからない少年や、ジェイク・リーパーのような死刑囚の肉体を改造し、薬漬けにして、コーディネイター並みの力を持たせよう暗躍した。

 したがって、ブーステッドマンは確かにナチュラルだが、それはあくまでも「モビルスーツを操るためだけのナチュラル」として、二度目の生を受けたに過ぎないのである。

 

「〝フォビドゥン〟〝レイダー〟〝カラミティ〟──どれも前期GATシリーズの性能を凌駕する、素晴らしい次世代機だ」

 

 しかし、これを操れる人間がいなければ意味がない。

 

「徹底的に強化された生体CPUでければ、あの三兵器は扱えない。そういう意味でも、ヤツらの存在は我々にとって貴重なんですよ」

「しかし、かといって重宝すべき人員でもないでしょう?」

 

 云えば泡喰ったように、アズラエルはけろっとした。

 

「医者として云わせてもらえば、ブーステッドマンは決して長く持たない」

「まあねェ……」

「なぜソキウスシリーズから撤退したのです? 強力なモビルスーツを操るだけなら、ソキウスにだって可能なことだ。先見的な判断を下せば、将来が約束されないブーステッドマンよりソキウスを量産した方が、遥かに──」

「賞味期限の問題ですかねぇ」

 

 ソキウスシリーズとは────地球連合軍が産み出した、戦闘用のコーディネイターである。

 人が生まれながらに備える服従遺伝子を利用した精神制御を施し、この心理操作により、ナチュラルに逆らうことなく、命令に絶対的に従うようにプログラムされた大西洋連邦の強化人間の一種。

 前時代では、彼等の存在こそが、大戦において常に劣勢だったナチュラルにとっての主要戦力と目論まれていた。しかし、これはブーステッドマンが一定の成功を見せたことによって水泡に帰した。ブーステッドマンが台頭し、存在価値が見つけられないと断じられた彼等の多くは、上層部の決定によって『廃棄処分』とされた。

 効率化を図ったアズラエルの手によって数人の生き残りが出ていたが、そのいずれも〝ネメシスダガー〟のパイロットとして、捨て駒として、先の戦闘でほとんどが戦死してしまったのが実状である。

 アズラエルは、ハリーに問われ、先を続けた。

 

「そりゃあ、戦争の構図ってやつが、時の流れの中で『ナチュラルとコーディネイターの対立』に変遷したのが問題じゃないですか。ソキウス共がいくら使いようのある兵士だと言い張った所で、コーディネイターは所詮コーディネイターだ……。頭のお堅い軍部のお偉いさんなんかは、こういうの、特にこだわったようで」

「不毛なことです。だからといってナチュラルからブーステッドマンを生み出し、同族の寿命を削り取るような真似をする……それで最善ってんですか」

 

 それは、哀しいことだとハリーは思った。

 地球に取り残されたナチュラルの才能と意志は、コーディネイターという異種を容認せず、それどころか彼等の異能に対抗したがるあまり、持てるインテリジェンスを同族を加害することに躊躇なく利用してしまったのだ。その中でも最も悲しいことは、そのことに何の痛痒も抱かなかった自分達ナチュラルに、それだけの背徳心がすっかり定着していまっているという事実に気付けてしまうことだった。

 ブーステッドマンは、戦場に出撃させても、薬剤が切れれば勝手に帰投する。そうでなくとも、度重なる薬剤の投与は健全な身体機能を蝕み、破壊し、出撃を重ねるたび、彼らは確実に廃人へと近づいて行く。これでは、前線に出してても、将来的な意味を込めても、ハリーの云う通り、彼らはおそらく長くは使えない──そんな兵士でしかないのだ。

 アズラエルは、思い直したように云った。

 

「なんだっていいんですヨ。歴史がそんなんだから僕らがいま、もっと実用的で、画期的な新しい強化人間を作ってるんじゃないですか」

「っ…………」

「まだ、試作段階ですけどね?」

 

 会話を続けながら、ふたりは艦船〝バウエル〟の廊下を歩き、ある部屋へと入室した。

 そこは医務室であり、様々な機材が体よく並べられている部屋だった。空間の片隅には、まるでゲームセンターにあるような大型のコンピューターも設置されている──新人パイロットの養成などによく用いられる、モビルスーツのシミュレータであろう。

 疑似的なコックピット。密閉された部屋に、暑苦しそうなメットをかぶり──シミュレータには、ひとりの若い人物が座り込んでいる。

 その人物は、シミュレータにて模擬戦を行っていた。

 モニターに映る敵機──コーディネイターの操るであろうシミュレーション上の〝ジン〟を、鮮やかな手つきで次々と撃墜して行く。

 やがて映像の中で戦闘区域(ステージ)が切り替わると、それまで量産機のみであった敵機の項目には、続々と〝ストライク〟や〝イージス〟と云った高性能のモビルスーツが台頭しはじめた。勿論、対戦しているのは単なる映像データに過ぎない──おそらく、アラスカに帰還した〝アークエンジェル〟が軍にもたらした戦闘データを基に構築されたものだろうが──その人物は、淡々と被弾をまぬがれ、まるで作業のように舞台を攻略してゆく。

 その戦闘力には、目を張る者があった。

 ──すくなくとも、ナチュラルとは思えない反射神経だ。

 アズラエルは、ご機嫌な顔になった。

 

「おやおや、素晴らしいもんじゃないですか。シュミレーターの最高記録、日に日に塗り替えておられる──」

 

 凄まじい戦果は、凡百の一般兵士に叩き出せるような記録ではなかった。

 やがて模擬戦が終わったところで、アズラエルは芝居がかったように、そして、どこか白々しい口調で褒めたたえながら、まずは傍らのハリーへと拍手を送った。

 

「何もかも、あなたが造った試験薬の効果のおかげ──ですカ?」

「──エクステンデット専用の試験薬の投与を開始して、もうじき、二週間近くになるか……」

 

 ハリーは、アズラエルのいうことなど聞かず、そのままそっくり目の前のシュミレータに座る人物へと話しかけた。

 ヘルメットの間からは、赤く長い髪が流れ落ちるように見えていた。

 億劫そうに、ヘルメットが取り払われる。粗末な一般兵用のスーツ──その下から覗いたのは、赤く、燃えるような色をした長髪──。

 そこに座っていたのは、シュミレータに記録された凄まじい撃墜数にはおおよそ似合わない、華奢にして可憐な容姿をした少女であった

 

 

「体調の方はどうかな、フレイ・アルスター」

 

 

 ──顔つきが、少し変わったろうか……?

 以前より攻撃的に、切れ長に尖りを利かせた桃色の双眸が、アズラエルの小さな顔を映す。やがて彼女は視線を滑らせ、ハリーを見ると、以前とは人が変わったように不敵な笑みを口元に走らせた。

 ハリーはしばし、その表情に魅入ってしまう。

 可憐なだけではない。情欲的で、不穏さと不気味さが混じりった面妖な微笑みだ。うら若き十六歳の少女には相応しくないように──とてつもない色艶に溢れている。生来の色っぽさだけでは説明がつかない、たったの数週間で完成された色香──。

 改めて目の当たりにして、後悔がハリーの胸を駆け巡る。──この娘は、すっかり変わってしまった。自分が(・・・)変えてしまった(・・・・・・・)

 

「堅調と云ったら、先生は喜ぶのかしら?」

「……微妙だな……」

「あら、残念。堅調よ、とっても気分が良いわ」

 

 そう云いながら、少女はふわりとして立ち上がる。ハリーは、そんな彼女を沈鬱な面持ちで見据えた。

 フレイ・アルスターは────『強化人間』として、既に生まれ変わっていたのだ。

 〝アークエンジェル〟内に保管されていた「エクステンデットの生体サンプル(ステラ・ルーシェ)」のデータを基に、これを再構築したハリーの試験薬が、彼女に投与されていたのである。

 狂人ブーステッドマンよりも、エクステンデットは、幅広い実用性が見込めていた。まだ臨床試験の前段階にあったエクステンデットの第一号──ともすれば実験台(モルモット)とも云うべき実証役に、フレイ自身が立候補したのである。

 試験薬が投薬された彼女は、いわゆる「プロト・エクステンデット」としての転生を遂げていた。

 二週間近くの投薬を受け続け、すっかり特殊体質となった彼女には──(ブーステッドマンほど過剰な例ではないが)──今や定期的な薬物投与が必須となっているのである。幽艶と立ち上がったフレイは、妙にご機嫌な様子であった。

 

「すくなくとも、コーディネイターをたぁくさん撃墜することができるくらいには、ね……」

 

 妖艶に微笑みながら、フレイは、視線をシュミレータの方へと戻す。

 目線の先には、先の模擬戦の戦績(リザルト)が表示されていた。

 手始めに量産型の〝ジン〟を数十機として撃墜している彼女は、その後、難易度を上げ、前期GATシリーズとの対戦を果たしていた。

 シュミレータ上で『最強』に設定されているのは、数々の不敗神話を残した〝ストライク〟であったが、他の〝イージス〟にしろ〝ディフェンド〟にしろ、これに勝るとも劣らないエース機として設定されている。

 無論、そのレベルにもなれば個々に差が現れるに違いないが、それまで非戦闘員でしかなかったフレイからすれば、そのような連中は総じて『強いやつら』という括りでまとめられていた。

 

 その『強いやつら』の片影を、フレイはたった今、まとめてあしらってやったのだが──。

 

 モニターを見たアズラエルが、すっかり鳩に豆鉄砲食らったような顔つきになる。「もしかして、あの〝ストライク〟まで撃破しちゃったんですか?」となかば呆れたように問えば、「わたしには、必要なことですから」と彼女は云った。

 まさか、最強の映像データを打破されるとは予想だにしていなかったのだろう。「シュミレータのデータ、更新しなきゃいけませんね」と冗談がてらに付け足したアズラエルに、フレイは淡々と返す。

 

「上々ぐらいは、褒めてあげましょうか?」

「褒める? いやァ、褒められるべきはあなたでしょう?」

「たしかに、先生の仰る通りでした。今のわたしになら、どんなモビルスーツだって扱えます。どんな敵とだって戦えます」

「おやおや、随分と頼もしいことですネ」

 

 アズラエルは、感嘆した。

 ハリーは俯きがちに、気鬱な口調で云った。

 

「それでも、無理はしないことだ。──いいね?」

 

 大体、本来のエクステンデットというのは、何らかのリラクセーションルームに入れることによって、精神を安定させる調整を施す必要があるのだ。

 しかし、あいにく『それ』がどのような装置であるのか、現時点では詳しく特定することができていない。研究主任であるハリーは頭を抱えたが、装置の得体が分からないからと云って、被験者をそのままの状態で扨置いてしまうと、経過観察に支障をきたす恐れがあった。

 ゆえに──ハリーはその『装置』とやらの代用品(・・・)として、ひとつの『薬剤』を開発していた。ハリーは白衣のポケットから、錠剤の詰まったガラス瓶を取り出し、徐にフレイへと差し出した。

 フレイの目が、ハリーの顔を映す。

 

「今の君の脳は、薬の効能によって、ある種の覚醒状態にあるんだ。薬物が人為的に全身の細胞を活性化させ、身体が著しく興奮している状態さ……。だが、そんな状態を長いこと維持しようとすれば、脳や全身に大きな負荷がかかってしまう──だから定期的に、その都度、頭と体の両方を休めなきゃならないんだよ」

 

 ハリーが手渡したのは、一種の睡眠薬である。

 薬物によって、一時的・人為的に覚醒した頭を休息させるためには、人間の脳と身体に休眠を促す錠剤が必要だった。

 そして────。

 この錠剤こそが、ハリーが独自に開発した『最適化装置』の代用品(イミテーション)──〝ゆりかご〟の代わりに、エクステンデットの精神を安定させる調整装置としての働きを代行する薬剤である。

 

「人間の脳も、コンピュータと同じだよ。フル稼働しつづければ熱暴走を引き起こし、そうならないためにも、事前の冷却が必要不可欠なんだ。一日に一度のサイクルで、必ずその薬を飲むこと。そして、摂取した後は必ず眠ること」

「何度も聞きましたし、わかってますよ。心配性なんですね」

 

 ハリーは、携行した書類に詳しいデータを書き込んだ。

 被験者、フレイ・アルスターの状態は、極めて「良好」──と。

 

 

 

 

 アズラエルとハリーは、部屋から退室した後、ふたたび廊下を歩き出していた。

 アズラエルは、まるで新しい玩具でも手に入れたあとの子供のように、うずうずとしている様子であった。

 

「被験者の状態も安定しているようですし……? ホントのホントに、トンデモナイ薬を開発してしまったんですねぇ、先生は」

 

 天才とは、正にあなたのような者のことを云う。

 アズラエルは、ハリーのことをべた褒めしはじめた。だが、それも仕方のないないことかもしれない。

 今のフレイは、ブーステッドマン達のように致命的な弱点が確認されておらず、彼等にも引けを取らない戦闘力を発揮していたのだ。思うにそれは、強化人間の監視役を務めるアズラエルにとっては、非の打ちどころのない上々の結果報告であろう。

 しかし──奇妙ではある。

 エクステンデットは、純粋な戦闘力であればブーステッドマンに叶わないはずなのだ。

 本来ならば、在って然るべき「性能」の差を、被験者であるフレイ自身の才覚や意思が埋めているのだろうか? 彼女には、元々そういった才能と性質があったということだろうか?

 

「まだ経過観察の段階です、褒められる筋合いはないですよ……」

 

 ハリーは、尻込みして答えた。

 人体実験のために、若い少女の健全な身体を破壊してしまった──その事実が、彼をいまだ良心の呵責に苦しめる。

 しかし、その機微になどまるで斟酌せずず、アズラエルは能々と云った。

 

「──なんであれ、あの調子なら戦力として十分だ。彼女には、実際にモビルスーツで出撃してもらっても良さそうですねェ」

 

 ハリーは、目を開いた。

 

「まだ、経過観察の段階と云ったでしょう? 彼女を実戦に送り出すなんて、主治医として、とても許可できない」

 

 気を捲し立てて、ハリーがアズラエルへと食って掛かる。

 しかし、アズラエルは淡白に返すばかりだ。

 

「何を悠長なこと云ってるんです? 許可なんて、すぐに取りますヨ」

「これは医療の問題だ。新薬ってのは、どこでどう……どんな副作用が出て来るものか、わかったもんじゃないんだ。まだ経過観察が終わっていないない以上、何が起こるかわからない」

「経過観察ってねェ──それ、いつになったら終わるんデス?」

 

 いつ終わる、と訊かれれば、順当に残り一月は必要になるだろうと、ハリーは答えたかった。

 しかしアズラエルは、それだけの長い期間を待つつもりは毛頭ないだろう。それは、うんざりとした口調から明瞭に判断できることだった。

 

「しかし……! 彼女が危険だ、時期尚早だよ」

「僕らはこれから、戦場に行くんです、命を賭けてね……。常に危険と隣合わせなのは、誰だって同じですよ」

 

 云われ、ハリーはぐっと息を呑んだ。

 やれやれ、と云わんばかりに、説教めいた口調でアズラエルは言葉を紡ぐ。

 

「いいですか、世の中にはね……当たり前すぎて、誰も気に留めないような『さだめ』ってものがある」

 

 子供に聞かせるような口調で云われ、ハリーは奥歯を噛みしめた。

 

「刀剣は人を斬り殺し、拳銃は人を射殺すためにそこにある──道具や兵器ってのは、ただ飾っていれば嬉しいコレクションじゃあない……それぞれひとつ目的(・・・・・)があって造られたモノなんです。人間だって同じだ……だったら『兵士』なんてのは、初めから戦うために存在しているもんでしょう? ──でなきゃ何のために生きてるんです、やつらは?」

 

 兵士は戦ってこそ、兵士としての価値がある。

 そしてフレイは、みずから兵士──それも強化人間の兵士と相成ることを願った。

 それだけの当たり前の真理を、たかだか医者の都合で妨害される筋合いは、アズラエルにはなかった。

 

「彼女はみずから前線で戦うために、危険を承知でエクステンデットに生まれ変わろうとしたんです──そこんとこ、ちゃあんとわかってますよネ?」

「え、ええ」

「大体、先生もご存知の通り、生来のフレイ・アルスターはいち民間人だったはずだ……? そんな彼女がいま、どうしてこんな軍艦なんかに乗ってんデス?」

「…………!」

 

 答えは単純で──フレイ・アルスター自身が、地球軍士官に志願したからだ。

 元の階級は「二等兵」で、艦内掃除や洗濯といった雑用業務ばかり押し付けられていた彼女であるが、ゆえあって今は「少尉」の位を与えられるに至った。

 

「『コーディネイターを滅ぼすために働こう』──そう思ったから彼女は地球軍に志願したんでしょう? そして今の彼女には、コーディネイターを撃ち、ダイレクトにヤツらを滅ぼすだけ有能な素質と能力がある……。だったら、彼女の気持ちにすこしは報いてやらなきゃ……」

「アズラエル理事……!」

「使えるものを据え置く必要がどこにあるんですか、ってことですヨ。経過観察なんて、実戦に出してからだってできるでしょう?」

 

 フレイ・アルスターを籠の鳥にしているのは、治験と同様の形式を通じた探索的な臨床試験を行っているからである。それゆえ模擬戦においても、負担のかからないシュミレータで行っているのであって、本来であれば、無用の負荷を掛けるべきではないのだ。まして実戦経験など論外だろう。実戦が生み出す肉体への衝撃やストレス、あるいは快感といった様々な弊害は、薬物のデータを観察するにあたって、様々な不確定要素を生み出してしまうのだから。

 アズラエルには、それが分からないのだろうか? ……いや、理解してはいるのだろう。しかし彼の態度は、今にも「待ちきれない」と云った風であった。

 

「しかし、そうは云っても、彼女に与える機体(モビルスーツ)なんて──」

「いいえ、あります」

 

 云われ、ハリーは虚を突かれた表情になる。

 アズラエルは、得意げに云った。

 

「ちょうど先日、本部の方に面白い機体が届いたみたいですからネ……」

 

 

 

 

 

 

 翌日──。

 早朝になって、旗艦〝バウエル〟に搬入された新型機の周囲には、多くの人集りが出来ていた。本部の方から、ちょうどこの〝バウエル〟に向けて、新開発された新型のモビルスーツが移送されて来たのである。

 

「四機目……?」

「誰が乗んの、アレ?」

「はっ……」

 

 キャットウォークから、オルガやクロト、シャニの三名が顔を出し、搬入されて来たモビルスーツに目を遣った。三人とも地球軍士官の青い制服を着用しているが、誰もが袖を切ったり、無造作に羽織ったりと、風紀のかけらもない風采をしていた。

 彼等は物珍しげな表情で、その〝新型〟を見遣っていた。普段、互いの存在にすら注意を払わない彼等が、何かに興味を示すことは珍しいことだと云えた。

 運び込まれて来た新型は、格納庫に〝カラミティ〟〝レイダー〟〝フォビドゥン〟と並んだ順、その後方に陳列するように配備された。

 それは、さながら後期GATシリーズに兄弟が増えた、と云った風であった。

 後期GATシリーズは、PS(フェイズシフト)装甲を発展させたTP(トランスフェイズ)装甲を全身に採用している。これは通常装甲の内側にPS装甲を備えた二重構造で、通常の装甲が外殻を覆っているために、ディアクティブモードにおいても、機体のカラーリングが脱落することはない。

 なおも鮮やかに色づいている〝カラミティ〟〝フォビドゥン〟〝レイダー〟の中で、しかし、運び込まれた〝新型〟だけは鉄塊色に彩られ、それは誰が見ても、フェイズシフトがオフになっている状態であると判断することができた。クロト・ブエルには、それが不思議に思えた。

 

「兄弟機っていうわりには、色落ちてね?」

「トランスフェイズじゃねーのかよ、どーなんてんだ、ありゃ?」

 

 そこへ、彼等の親玉を務めるムルタ・アズラエルが顔を出した。

 

「フェイズシフトでも、トランスフェイズでもない──ヴァリアブルフェイズシフト装甲という、まったく新しい位相転移システムが使われてるんでねェ……〝アレ〟には──」

「ああん?」

 

 少年達はアズラエルの顔を認めた途端に、すこしだけ怨めしそうな、鬱陶しそうな顔になる。

 彼等は、決められた役割を果たせなかった先日の戦闘の『お仕置き』として、アズラエルに苦しい目に遭わされているのだ、無理もない。

 

VPS(ヴァリアブルフェイズシフト)装甲──ビクトリアで回収されたGFAS-X1〝デストロイ〟が搭載していた、我々にとって未開の技術が使われていた装甲のことですヨ。大西洋連邦が独自にそこから転用して、今は〝アレ〟に実装されてますがね……」

 

 アズラエルは、キャットウォークから搬入された鉄塊色の新顔──新型のモビルスーツを、満悦そうな面持ちで、改めて眺めた。

 従来の〝G〟兵器を思わせるツインアイに、頭部のアンテナはV字というより、それ自体が刃剣のようなブレードアンテナとしての形状をしている。

 前方に大きく伸びるように突き出した角は、それだけで異彩を放っていた。

 巨大な熊手状のクローは〝ブリッツ〟の〝トリケロス〟を発展させたものらしく、掌底部にビーム砲を内蔵し、手の甲には出し入れ可能な実体剣と、もうひとつ、ビームフィールドを貫くための〝タクティカルランサーダート〟を暗器として備えていた。背部にかけて、これと云った装備(モジュール)が見えない風体はもの寂しい印象を受けるが、恐らく〝ストライク〟と同様に、バックパックを換装することで様々な戦況に対応する仕様となっているのだろう。

 ブーステッドマンの少年達は、そこで〝新型〟から興味を失ったのか、興冷めした様子でその場から離れはじめる。オルガ・サブナックの胸中に、奇妙な寂寞感が流れ込んだ。

 

 ──それって要するに、俺達の玩具(モビルスーツ)より凄い機体(ヤツ)ってことじゃねぇか……。

 

 それがなんとなく、なぜだか面白くない──。

 蜘蛛の子を散らすようにばらけていった彼等を襲ったものは、たしかに、子供っぽい嫉妬(ジェラシー)であった。

 彼等が退散すると、そこへ、入れ替わるようにしてフレイ・アルスターがやって来た。

 アズラエルは、不敵に笑う。

 

「ああ、ちょうどいい所に」

「艦内が何だか騒がしかったので、噂に聞いて」

 

 どうやらフレイは、搬入された新型をひと目見に来たらしい。

 

「どうです? 一応、表面上じゃあ後期GATシリーズの内の一機、ということになっているモビルスーツなんですが」

「〝アレ〟が──わたしの機体ですか?」

「そのとおり……」

 

 アズラエルは、ひどく誇らしげに説明した。

 

「従来のモビルスーツの性能を遥かに上回った、最新鋭の機体ですヨ。詳細はのちほど見てもらいますが……だからこそ、今のあなたに相応しい」

 

 ──少なくとも、実質的な稼働時間の短いブーステッドマンよりは、はるかに。

 嘲るように胸の中で付け足したアズラエルに向かって、フレイは満足そうに返した。

 

「乗りこなしてみせます。すべて、コーディネイターをやっつけるために」

 

 アズラエルは、楽しそうに頷いた。

 

 

 

 

 

 そうして彼女は、今、型式番号をGAT-X444と制定された鉄塊色の〝新型〟のコクピッドに座る。

 GAT-X400番代──

 それは、ビクトリアに墜落した『黒鉄の巨人』のデータを基に開発されたモビルスーツに付けられる型番である。たとえばGAT-X401〝ディフェンド〟のように──ステラ・ルーシェが操って来た、あの漆黒のモビルスーツのように──。

 

(あの()と、同じ……)

 

 何かにつけて彼女に対抗意識を燃やしてしまうのは、父を殺された憎しみからであろうか? それとも、彼女に裏切られたと感じる怒りや悲しみからであろうか?

 

 ──君は彼女と同じだろう? エクステンデットになるのだから……。

 

 かつて、ハリーに云われた言葉を思い出す。

 確かに、これはおかしいことだ。

 自分はエクステンデットの投薬を受け、彼女と同じ強化人間の一種となった。遺伝子操作を受けて誕生するコーディネイターの対比として、ナチュラルが自然に生まれ出でた者を定義する言葉なら、肉体を人為的に増強した自分は、最早コーディネイターでも、ナチュラルですらもないのだろう。

 自分はステラ・ルーシェと同じ立場に立ち、彼女が見ていた景色が、自分にだって見えるようになったはずだ。

 そう、自分は彼女になれたはずだ(・・・・・・・・・・・・)────。

 それなのに、彼女の存在に憎しみを抱くということは、自分自身を嫌悪していることと同じではないだろうか……? この苛立ちは、一体何なのだろう……?

 

〈それでは、オーブ解放戦──そうそうに再開と行きましょうか〉

 

 アズラエルの声が通信機から聞こえ、それを合図に、オペレーターの指令が木霊する。

 全艦に発進準備が言い渡され、間もなくしてすべての連合軍艦隊が動き出した。

 無数の戦闘機が飛び立ち、量産モビルスーツ部隊が次々と発信してゆく。

 例に漏れず、旗艦〝バウエル〟の中でも動きがあった。ブーステッドマンの少年達は、以前より強力な投薬を受け、それぞれに愛機を駆ってハッチから飛び出してゆく。フレイもまたそれに続こうと思ったとき、モニターに、アズラエルの小さな顔が映り込んだ。

 

〈あー、いいですか? マスドライバーと〝モルゲンレーテ〟の工場は壊してはいけません。早々に軍本部を叩いてくれるだけでいいんです〉

 

 フレイ・アルスターは、今回が初めての実戦である。

 もとは民間人で、深い軍事教育も受けていない彼女に対し、次々と指令を出した所で即座に適応などできまい──アズラエルは、あくまでもそう考えており、ゆえに手短に指示を出したあとは放任するつもりなのだ。フレイは、逆にそれが好都合に思える。ああだ、こうだ、と細かく命令されるより、彼女は自由に、気の向くままに敵を倒していたいだけなのだから。

 そもそも、ただ「暴れ回る」ことこそが、彼女のような強化人間にとっては最適な役割なのだ。

 発進準備を整えた彼女は、強化人間に与えられる専用のパイロットスーツに身を包んでいた。無骨なデザインに、角ばったヘルメット。ブーステッドマンの少年達が青色を基調とした服を着用していたのに対し、彼女には、薄い赤色を基調としたものが宛がわれていた。

 ヘルメットの気密(シール)を行った彼女の耳に、オペレーターの声が響く。

 

〈モジュールは〝テンペスト〟を選択──〉

 

 〝エールストライカー〟の発展形を思わせる四基の羽根を付けたバックパックが、機体の背部に接合された。モジュールが装着された途端、鉄塊色だった機体がベールを剥ぐように鮮やかに色づく。

 全身の装甲が通電し、ヴァリアブルフェイズシフトがオンになったのである。他の〝G〟兵器と同じように、機体は禍々しいツートーン──純黒色とモスグリーン──に彩られ、揺らめくように色づく。ブレードアンテナを装着した頭部ツインアイには、怒り狂うような紅蓮色の火が灯った。

 

 ────。

 ──────。

 「G」eneration

 「U」nsubdued

 「N」uclear

 「D」rive

 「A」assalut

 「M」odule

 ──────。

 ────。

 

 不可解な羅列が手許のコンソールに映し出されるが、フレイは特に気には留めなかった。

 細かな英単語には、興味はない。

 ただ、あえて子供っぽく呼んでみるとすれば──

 

「ガンダム……?」

 

 フレイは淡々と、機体を前進させてゆく。

 そのとき彼女の頭の中に、かつての婚約相手の顔が浮かんだ。たったこれだけの簡単な動作ですら、ナチュラルであった自分の元婚約者はできなかったという。

 それは、とてつもなく惨めなことだ、と心の中で嗤う。

 いまの自分は、そうじゃない。

 ──今のわたしは、こうやってモビルスーツを操ることだってできる……。

 それは、彼女が手にした力だ。

 彼女自身が、自分の手で勝ち取った力──たとえそれが、厭世家と研究者の狂気に裏付けられた不正と外法(ドーピング)の産物だったとしても、彼女は決して、この力を恥じ入ったりはしない。

 

 戦争の中では、力がすべてだ。

 力がなければ何ひとつ、成し遂げられはしないのだから。

 

 それをフレイは、身を以て経験した覚えがある。

 かつての自分に力があれば、最愛の父を救い出してやることもできたかもしれない。

 かつての自分に力があれば、敵をすべてやっつけることもできたかもしれない。

 惨めで、苦い思いに身を浸していたフレイは、スピーカーから入って来た声で我に帰った。

 

〈GAT-X444────発進、どうぞ〉

 

 フレイは素早く気持ちを切り替え、機体をハッチの前まで躍らせた。

 まるで体の一部であるかのように、思いのままに動く機体に、彼女はわずかな満足を憶える。同時に、思いのままに動かせてしまう自分に、とてつもない充足感を抱いた。

 

 ──わたしは力を手に入れた。

 

 目の前で家族を殺されるまま、何もできずに泣き喚くだけの幼い子供。

 あれから時は流れた──自分はもう、あの無力な子供ではない。

 

 

 

「フレイ・アルスター──〝レムレース〟発進します」

 

 

 

 声に出したのは──〝亡霊〟の名を冠する機体の名。

 澄みわたる蒼海の上──

 暗黒のモビルスーツが、晴天の空に駆け上がった。

 

 

 

 





 フレイ・アルスターが今話から生まれ変わっている「エクステンデット」は、あくまで実験段階であるものなので、原作に登場した「エクステンデット」とは、すこし定義が異なっています。
 リラクセーションルームの形をとったエクステンデット専用の調整装置──
 多くの者に〝ゆりかご〟と呼ばれた『最適化』装置は、ハリー・ルイ・マーカット個人には決して開発することが出来ません。ハリーは休眠を促す例の装置の代わりに、休眠を促す錠剤をエクステンデットに手渡すことで、フレイの精神状態を保とうと考えているわけなので、現時点では「種死時代のエクステンデットが、そっくりそのまま種時代に転用された」というわけではありません。誤解ないようにお願いします。

 今のフレイは云わば「プロト・エクステンデット」──要するに「実験台」です。
 発揮できる戦闘力はともかく、体調の管理や精神の調整といった問題を前にしては「完成系」であったステラ・ルーシェには、まだまだ程遠い状態だと云えます。

 活動報告の欄に、新たな機体の説明を掲載しますので、そちらも良ければ閲覧ください。今回登場した〝レムレース〟の詳細について掲載しています。
 レムレースは連合が開発した後期GATシリーズではありません。要するに星屑のガンダム試作4号機〝ガーベラ・テトラ〟的な扱いを受けているのですが、詳しくは活動報告へ。

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