~夢見る少女の転生録~   作:樹霜師走

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 【レムレース】
 ローマ神話における悪霊、亡霊を示した言葉──ラルヴァの複数系名詞。




『ディア・シスター』C

 

 

「どーしたんだよぉ、昨日の白いヤツはぁッ!?」

 

 オルガ・サブナックは激昂していた。オルガが交戦しているのは、オーブを守る凡庸なMS群とは明らかに次元を逸する強さを持った蒼翼のモビルスーツだ。

 海上で繰り広げられる戦闘は苛烈を極め、支援機として中空を制するかのような機動を繰り返す紅紫色のモビルアーマーも、彼にとっては厄介を極めていた。

 彼には、これしかない──。

 ブーステッドマン。彼らのような『強化人間』は、戦うことしかないのだ。その命が尽きるまで戦い続けることでしか、彼らに生き残る道はない。

 だからこそ、彼らにとって強敵との攻防と応酬は、ある種の生き甲斐に近いでもあった。一瞬で制圧できる雑魚には価値がない、こちらを苦しめる好敵手こそ、完膚なきまでに撃砕する甲斐があるというものだ。

 

(ああ、そうさ! この蒼い羽野郎(・・・・・)だけじゃあ足りない──!)

 

 昨日、戦場にしゃしゃり出て、コイツを守った白い羽野郎は、まだ戦場に出てきていない。

 

 ──全部だ! 全員、おれがぶっ潰してやる……!

 

 大火力を誇る〝カラミティ〟からの激しい砲火を、飛行する〝イージス〟は持ち前の勘によって捌き切っていた。単一方向への加速しか決められない前時代の機動兵器形態だというのに、その動きはパイロットの奇跡的な直感力と相まって、〝カラミティ〟ら後期GATシリーズの猛攻を凌いでいた。

 ──と、すっかり〝イージス〟に気を取られていたオルガの耳に警報が鳴り響き、彼は慌てて機体を後退させた。上空より襲い掛かる〝フリーダム〟が、猛禽の如きスピードで迫っていたのだ。振り抜かれた光刃をいなし、反撃として高エネルギー収束砲(シュラーク)を放つも、鮮やかにやり過ごされ、舌を打つ。

 大鎌(ニーズヘグ)を翳したフォビドゥンが〝フリーダム〟まで肉迫し、追撃と云わんばかりに大振りな斬撃を繰り出す。〝フリーダム〟はシールドでこれを受け止め、腰部のレール砲を応射。だが〝フォビドゥン〟のシールドは弾丸を阻み、さらにそこに割って入った〝イージス〟が〝スキュラ〟を射かけたが、赤い光が臨界寸前に達した所で、脇の方から飛来した大型の鉄球(ミョルニョル)に阻まれた。〝イージス〟と同じく変形機構を持った〝レイダー〟である。

 砲撃力、機動力、防御力──それぞれの機体の特色とも、特性とも云える性能は、この戦場において遺憾なく発揮され、それらが一様に交錯する光景は、最新鋭モビルスーツ達のきらめきに満ちていた。

 しかし、それは従来のモビルスーツ戦闘から見比べて、あまりに次元のかけ離れた高度なる戦いであったとは、戦闘区域近海の揚陸艇に据える、連合軍士官が後日になって語ったことである。

 

 

 

 

 

 

 大西洋連邦が〝ジェネシスα〟より強奪したモビルスーツ──

 ZGMF-X12A〝テスタメント〟は現在、全身の装甲を新たにすることによって、アドゥカーフ・メカノインダストリー社をはじめとする大西洋連邦お抱えの軍需産業社(スポンサー)が開発した後期GATシリーズの一機──GAT-X444(レムレース)──として喧伝され、その素性を偽装されていた。

 

『──どうして大西洋連邦は、敵国(ザフト)から奪った機体を、わざわざ自国が開発したってことにしてるんです?』

 

 これは改修に携わった現場のメカニックが漏らした一節であるが、このような偽装工作が謀られたのは、端的に云えば大西洋連邦が利権拡大を目論んだからである。昨今の情勢において、強力なモビルスーツを開発・所持していることはそれ自体が国家としての武力を示威するものとなりつつあるが、彼らは他の共同体を牽制することを目的として、自国に〝力〟が誇示したかったのである。

 

『動力に使ってるニュートロンジャマー・キャンセラーを自分達が開発した、ってことにしておけば、当面はデカい顔ができるだろ?』

 

 あるいは──ここから先はMSの性能の話になるのだが──そもそも〝テスタメント〟は戦闘を主目的として造られたモビルスーツではないということか。

 兄弟機である〝リジェネレイト〟を例に持ち出せば、かの機体もまた、戦闘に特化された機体ではないということが分かる。あれは可変・合体・分離──さらには特殊な光学迷彩(ミラージュコロイドステルス)といった複雑な機能を試験するための試作機。あくまでもアグレッサーとして設計されたに過ぎない機種なのだから。

 つまり、同じファーストステージシリーズといえども、〝ジェネシスα〟で開発された〝テスタメント〟は、純粋な戦闘用モビルスーツとして開発された08A(クレイドル)09A(ジャスティス)10A(フリーダム)に比して、実戦向きではないと云える。

 だからこそ、もしも〝テスタメント〟が〝テスタメント(・・・・・・)そのままであったなら(・・・・・・・・・・)、今はこうして繰り広げられている〝三つ巴〟の戦闘──先輩機に当たる〝クレイドル〟や〝ジャスティス〟との正面衝突を行ったとして、勝てる道理はない。〝リジェネレイト〟と同様に、その機体はこと実戦においては、明らかに不利だった。

 

 ──不利である……はずだった。

 

 けれど、大西洋連邦の手に渡り、その技術力による強化を受けた本機は、元が実験機とは思えないほど強力なアーマーとパワーを手に入れた。

 

『もともと〝テスタメント〟は、ザフトが大西洋連邦から奪い損ねたGAT-X105A(ストライク)を模造して造られた機体らしい。最初に検分したときはユニバーサル・デザインを疑うほど、何から何まで〝ストライク〟の規格を忠実に再現する念の入れようだ』

 

 背部コネクターの規格までもが忠実に再現された接収機体は、つまり、地球軍が予め〝ストライク〟用に開発していた〝テンペスト・ストライカー〟をそのまま無改修で着用できることを意味していた。

 ザフトが機体の設計開発を行い、バックパックは地球軍が製造する──

 そうして完成した〝テスタメント〟は、ザフトと地球軍の技術が融合した結晶体と云え、開発部は同機の名を改め、GAT-X444〝レムレース〟とした。

 

『改名は……まあ、ある種のゲン担ぎみたいなものだ。実験用機種〝テスタメント〟は──試作機だからな──端から戦闘に勝つためには(・・・・・・・・・)造られてないが、それでも戦闘用機種〝レムレース〟ならば違う結末を勝ち取れるはずだ、という』

 

 GAT-X400番代は〝デストロイ〟から派生した機体であることを示す型番だ。

 したがってGAT-X401(ディフェンド)と同じように、この〝レムレース〟にも、また最新鋭の技術が満載された仕様となっている。それは、誰の目に見ても明らかなことであった。

 

 

 

 

 

 

 

 苛烈を極めた戦闘は、オーブの領海上のみで繰り広げられているわけではない。領土内、つまりオーブ市街地の上空でも凄まじい戦闘が繰り広げられている。

 曇りのない蒼天の下、繰り広げられる戦闘──

 これを目撃する数多の余人の目に飛び込む色は、まず〝紅〟だ。次に〝黒〟が見え、最後に〝白〟が映り込む。何が云いたいのかと云うと、第一に挙げた〝紅〟こそが縦横無尽に空を駆け巡り、他の〝黒〟と〝白〟を翻弄しているように見えるのだ。いや、気迫という点にはおいては「圧倒」という表現を用いてもいいかも知れない。

 

 鮮紅の〝ジャスティス〟、暗黒の〝レムレース〟、白銀の〝クレイドル〟が一様に交錯していた。

 

 三陣営に所属するモビルスーツの三つ巴の攻防は、しかし、そのじつ〝レムレース〟と〝ジャスティス〟の二機同士の衝突だ。

 というのも、その場に居合わせる〝クレイドル〟は取り違えたように動きに鋭さを失っていて、ほとんど戦闘に対する積極性を失っていたのである。

 

 深紅の〝ジャスティス〟──敵意と隔意の下に繰り出される両剣の斬撃(アンビテクストラス・ハルバード)には隙が無く、冷徹な剣捌きが、ザフトのエース機としての容赦と遺憾のなさを思わせる。

 暗黒の〝レムレース〟──肉迫する〝ジャスティス〟の斬撃をやり過ごし、距離を開いては中距離砲撃に徹している。しかし無造作に放たれる砲火は直線的で、ルーキーらしいパイロット経験の乏しさを露呈させている。

 白銀の〝クレイドル〟──挙動に一切の鋭さを失い、完全に防戦態勢に入っている。二機から繰り出される攻撃を回避、あるいは防御に専念し、茫洋としたその様は、まるで教室の中で立ち位置を見失った幼子のようであった。

 

 熊手のような〝トリケロス改〟で応戦する〝黒〟は、抜き打ちに背部バックパックより〝ネフェルテム〟を放射する。この光の鞭を前に後退した〝紅〟は獲物を変え、次に〝白〟を目指してバッセル・ブーメランを投げ放った。目まぐるしい軌道を辿る光の光輪──〝白〟は慌てたようにビーム・ジャベリンを出力し、飛来する光刃を叩き落とす。その余暇を突くように、急加速をかけた〝黒〟がビーム・サーヴァーを出力し、一気に〝白〟へ襲い掛かる。〝黒〟と〝白〟の剣戟が弾け飛び、打ち合ったシールドが鮮烈な火花を散らした。

 ────〝白〟と〝黒〟の速さは互角。太刀筋の鋭さでは〝白〟き刃が上回るも、破壊力では〝黒〟き刃が圧倒的だ。

 

出力(パワー)が負けている? どうしてっ──」

 

 唾棄しながら、ステラはしかし、いつの間に背後まで回り込んでいた〝ジャスティス〟からの砲火を回避した。リフターより伸長している〝フォルティス・ビーム砲〟をかわしたのだ。目標を捕らえれなかった光条は、そのまま〝クレイドル〟と接触していた〝レムレース〟への追撃を敢行。しかし〝タクティカル・ランサーダート〟を取り出した〝レムレース〟は、次の瞬間には、その光線を切り払って見せる。

 誰が誰を狙ってもおかしくはなく、云い換えれば、誰が最初に撃破されても不思議ではないハイレベルの戦闘。

 しかし──〝クレイドル〟が〝ジャスティス〟に攻撃を仕掛けたことは、一度もなかった。

 

「──〝フリーダム〟も〝クレイドル〟も〝テスタメント〟も、ザフトの誇りを、つくづくおまえ達は!」

 

 これはアスランの持論だが、モビルスーツの性能や操縦者の技量が同等でも、勝敗を決するのはそれぞれの「相性」である。

 徹底した中距離射撃を行う〝レムレース〟に対し、〝ジャスティス〟も砲撃戦は可能だが、近接戦ほど得意なわけではない。根本的な話、〝ジャスティス〟はリフターやビームブーメラン等の多彩なサブウェポンによる牽制を以て敵機の退路を断ち、懐に飛び込んだところを一気に叩く、という格闘戦に特化した決闘機である。つまり、一対一の白兵戦において、機体の真価は発揮されるということだ。

 ならば、とアスランは初めから近接戦に持ち込む好機を虎視眈々と狙っていた。以前〝フリーダム〟を取り逃がした際の教訓から、わざわざ自機が不得手とする砲撃戦という名の土俵に立つ必要はないと断じていたのである。

 対する〝レムレース〟は、〝ストライク〟で云ったところの〝エールストライカー〟を装備しているのが現状だ。いや、比較すれば明らかにそれと性能差があるが、主に〝テンペスト・ストライカー〟は〝レムレース〟の運動性を底上げすることをコンセプトに装着されており、これはリフターを背負った〝ジャスティス〟と同等か、それ以上の機動力を発揮させる。

 〝紅〟と〝黒〟──二機の間に差があるとすれば、〝黒〟の方が中距離砲撃に特化していると云うことであろうか? 

 

「Nジャマーキャンセラーは〝プラント〟が造り出したものだ……!」

 

 そんなものに頼って、嬉しいか!?

 アスランの叫びは声にならず、憤りは剣戟となって〝クレイドル〟の頭上へと降りかかる。

 ──今、ここでコイツらを破壊しなければならない! オーブにも地球軍にも、どちらにも核の力は渡さない!

 だが、振り下ろした両剣は〝クレイドル〟を切り裂くことはなかった。

 咄嗟に両腕の〝エンドラム・アルマドーラ〟が突き立てられ、刃を受け止められたのである。

 

〈──アスランッ!!〉

 

 通信回線から、聞き覚えのある声が飛び込む。ハッとして息を呑み、その声に、彼は珍しく慄然とした。

 回線は深く接続され、巡らせた視線の先に、モニター越しにこちらを覗き込む少女の姿が見えた。

 その声──その顔──……。

 既視感が駆け巡り、彼は、今まで己がして来たことを一瞬で後悔した。

 

「なッ、ステラ……!?」

〈なんで、なんでこんなところにいるの!〉

 

 間違いではない──通信先の主は、アスランの妹で。

 そうして〝クレイドル〟を操っているのは、間違いなくステラだった。

 アスランを、戦慄が襲う。

 

「ひっ……!」

 

 そうして彼は、声を荒げた。

 

「人が悪いな、ステラ……! なぜもっと早く云わなかった!?」

 

 叫びは、〝クレイドル〟に乗っているのがステラだと知っていれば、もっと対応が違っていたと云わんばかりのものだった。

 アスランは慌ててビームハルバードを離し、ビームの出力を解除した。彼女とは、戦闘の意思がないことをアピールしたのである。

 

〈…………〉

 

 なぜ早く云わなかった? とは、ずいぶんと酷い質問であると彼は自覚しているのだろうか?

 対応が遅れたのは、勿論、ステラが通信回線を接続するのに時間が要したからだろう。──が、そもそもの原因はアスランが彼女に怒濤の連撃を仕掛け、彼女はそれをいちいち裁く必要があったからである。

 ステラはあえて言及はしなかったが、戦闘態勢を崩したことを認めると、シールドを降ろし、こちらも戦闘態勢を解いてやった。その光景を訝しがる者がいることなど、当のふたりの頭にはなかったようだが……。

 虚ろだったアスランの眼に、光が戻ってゆく。それは、彼の中の義憤がいくばかりか減殺された証拠であった。

 

ZGMF-X08A(そのモビルスーツ)、てっきりナチュラルに奪われたものと……! オーブのために戦っているもの(、、、、、、、、、、、、、、)だって思ったじゃないかッ」

〈……!?〉

 

 云われ、ステラはなんとも表現しがたい微妙な顔になった。

 前者はともかく、後者はまったくその通りだというのに、アスランは何を云ってるんだろう?

 

(…………?)

 

 一拍おいて、ステラは得心する。

 

(アスランは、〝クレイドル〟がステラの搭乗機(のりもの)だって、まだ知らなかった……?)

 

 無理もない話ではあろう。ふたりが最後に会ったのは〝スピッドブレイク〟の直後だ。それ以降は宇宙に上がったステラの動向は、地球でくすぶっていた彼の知るところではない。

 知っていたことがあるとすれば、彼女が〝フリーダム〟の追討任務に就いている、ということ程度だろうか? 

 要するにアスランは──「ステラが自分と同じ境遇にある」といまだに信じているのだろう。

 おおよそ彼女は、父の指令で〝フリーダム〟を追っていた最中、このオーブで〝テスタメント〟の反応を特定した。同じ核ジェネレータ搭載機であったことから〝テスタメント〟を見逃すわけには行かず、やむを得ず交戦していたのだ──と。

 

 ──そこに問答無用で割り込むなんて、おれはなんて間の悪い男なんだろう……!?

 

 極秘任務と云えばそれまでのことだが、アスランは軽い自己嫌悪に囚われた。

 彼がアプリリウスで〝ジャスティス〟を受領したとき、同じ工廠には〝フリーダム〟と、当時、まだ命名すら行われていなかった白銀のモビルスーツが現存していた。詳細はアスランも知らないが、なんでもそいつは〝ドラグーン〟という未知のシステムを搭載していたがために、パイロットの選出が遅れ、長らく凍結されていたらしい。

 

(あの機体──〝クレイドル〟を、まさかステラが受領していたなんて……)

 

 高度なる空間認識能力と、卓抜した情報処理能力を同時に求められる──ファーストステージ開発黎明期における、過剰な機体。

 レイ・ユウキはそう語り、あれが並のコーディネイターに扱える代物ではないことを明言していた。無論、〝フリーダム〟や〝ジャスティス〟も傑出した才覚を持つ者のみ操縦することの能うモビルスーツだったが、〝クレイドル〟に至っては奇跡的な才覚がなければ扱えないと、暗にそう語られていたのもまた事実であった。

 通信越しに、アスランは反省の色を浮かべた。

 

「いきなり斬りかかって済まなかった……。まさかきみが乗っているなんて、知らなかったんだ……っ」

〈アスラン……〉

 

 当人は気付かなかったが、返答として発された少女の声は、明らかにアスランに呆れていた。

 ──このひと、ステラが味方だってまだ信じてるんだ……。

 まあ、それも無理はない。彼等は、血のつながった家族なのだから。

 しかし、アスランは事態を把握するのが早かった。すぐにキッと顔を上げると、威勢よく声をあげた。

 

「話はあとにしよう。おれ達であの敵を挟み込む! きみは左から回り込んでくれ!」

〈アスラン!〉

 

 制止を求めた声など、いざ知らず〝ジャスティス〟は動き出した。何食わぬ様子で〝クレイドル〟と共同戦線を張ろうとするアスランに、ステラは呆然とする。どうしてこの人は、こんなに人の話を聞かないのだろう……いや、聞かなくなってしまったのだろう?

 しかし、そのときだった。

 アスランと、ステラ──ふたりが交わしていた通信回線に、割り込む者が現れた。音の発信源はZGMF-X12A──それは間違いなく〝テスタメント〟からの音声通信であった。

 

〈なるほどね……〉

 

 アスランの耳に聞こえたそれは、ステラのそれと、よく似た〝声〟であった。

 音声通信の先、その声は妖艶に嗤っているのが分かった。

 

〈連携なんて、兄妹(きょうだい)愛とやらがなせる業かしら? それとも家族愛!? 美しいものねぇ……!〉

 

 回線に割り込んで来た〝声〟に、ふたりは愕然とする。特にステラの方は、以前から、その声を聞いたことがあったのだ。

 

〈えっ……?〉

 

 三機のファーストステージは、姉妹機であるため、互いの通信コードを容易に入手できるようになっていた。おそらく〝テスタメント〟は、そのコードを応用して、ステラとアスランの通信を盗聴していたのだろう。

 割り込んで来た声に、ステラは聞き覚えがある。〝アークエンジェル〟の艦内で、そのときは目を真っ赤に腫らし、自分に泣き叫んで来た少女だった──あるいは、その人の声? まさか……!?

 〝ジャスティス〟と〝クレイドル〟は、揃って行動を停止してしまった。

 

〈まさかこんな所で、あなたたち(、、、、、)と巡り逢えるだなんて、思ってなかった……〉

 

 くすりと微笑む音声は、通信先の〝暗黒〟のパイロットが少女であると、彼女達にすぐ理解させた。

 いや、その淑やかな微笑み方は、どちらかといえば高貴な印象を受ける。豊かな良家に生まれ、何不自由なく育って来た少女を思わせる、それ。

 ステラは、確かめるように声をあげた。

 

〈フレイ……、フレイ・アルスター……!? キラの、おともだちの……〉

 

 確認したが、このとき、ステラは既に確信していた。

 この声は民間人として〝ヘリオポリス〟で保護した、燃えるように赤く染まった長髪が印象的な、可憐な女の子のものではないか。フレイ・アルスター、キラ達よりもひとつ年下で、ミリアリアの後輩だったという。第八艦隊の先遣隊〝モンドゴメリ〟の艦内に父を持ち、ステラは、これを助けることが出来なかった。

 戦火によって父を奪われ、無力ではないにしろ、己の非力に嘆いていたあの少女が、まさか、あんなモビルスーツに乗っているなんて!

 

〈なんで……? どうしてあなたが、そんなモビルスーツに……!〉

 

 〝レムレース〟の動きは、凡百のナチュラルを大きく超越していた。

 OSのサポートシステムを介せば、M1や〝ダガー〟のように一般のナチュラルでもモビルスーツは操縦可能となるが、操従がセミオートな分、それだけイレギュラーな動きには弱いし、反応速度にも限界が生じる。だが、フレイが操る〝レムレース〟には、そのOSが持つ癖のようなものがない。すべて、マニュアル操作で行っているかのような──。

 まして〝レムレース〟は、ザフトが開発したファーストステージの一機であるはずだ。それを自在に制御して見せるなど──軍人ですらなかった彼女に、そんなことが本当に可能なのだろうか……?

 

〈わたしのパパを殺した、あなたたち兄妹……! ずっと許せなかったの……ッ!〉

 

 ステラは、背筋を冷たい指でなじられたような悪寒を憶え、ぶるり、と震えた。

 そうだ──この人に、憎しみの籠った目で睨まれたとき、

 

『──あんたさえ、いなければッ……!!』

 

 ステラは、そう云われたことがあった。

 ──それだけのことを、ステラは、した……?

 全力を尽くしたつもりで、守れなくて、そうして彼女に恨まれた。

 あのときのステラは、自身の非力に打ちひしがれたこともある──けれど、それではあまりにも……。

 

〈決めたのよ。コーディネイターを倒して、この手で戦争を終わらせようって……!〉

 

 フレイの言動は、まるで不穏なものに代わっていた。

 そもそも──と、ステラは確信めいて考える。

 フレイ・アルスターはやはり、純粋なナチュラルだ。平穏な〝ヘリオポリス〟の女学生で、燃えるような赤い髪は同性であるステラから見ても艶っぽく、間違いなく美少女として形容して良い容貌をした、カレッジのアイドルだった。そんな彼女が、暫く見なかったこの数ヶ月間でモビルスーツを操れるはずがないのだ、それだけは間違いない。

 ──そんなの、あり得ないんだ……!

 そこまで考え、彼女はハッと顔を上げた。彼女の中の最悪の可能性が、頭の中に浮かんだからだ。

 

〈──あなた……!?〉

 

 ステラには、目の前で起きている現実に納得する方法が、ひとつしかなかった。

 震える声を聞き留めて、フレイは、口元に切り裂かれたような笑みを浮かべた。

 

〈そう……わたしはあなたと一緒(、、、、、、)。わたしは生まれ変わったのよ……あなたがそうだったように、エクステンデットに──ッ!〉

 

 どれほどの衝撃が、ステラの中を駆け巡っただろう。

 ナチュラルがナチュラルを越えた能力を手に入れる、そのために必要な必然──人体の改造だ。

 それは、愚かとしか云いようのない邪な施術をその身に孕み、刻み込む狂気。

 

〈そん、なっ〉

 

 人為的な遺伝子調整を受けたコーディネイターでも、天然の中に生き長らうナチュラルでもない。

 今のフレイは、双方の定義から解脱した外道者だ。

 強力な薬物に肉体を浸し、削られたその命が尽きるまで、永遠に戦うことを強いられる傀儡人形。

 そうなった者の悲惨な末路を────ステラはよく知っていた。

 初めて〝レムレース〟の存在を察知したときの奇妙な感覚、そして、出会った時に感じた既視感。それは、本質を同じとする同族のみが抱く嫌悪感だったのかも知れない。

 連合軍の研究者に肉体を強化され、エクステンデットとなりて、ドス黒い暗澹色のモビルスーツを、まるで玩具のように楽しんで乗りこなす……。

 かつてのステラと、現在のフレイは同質であり、同一の存在だった。強化人間として始まった第二の人生──その出生も、行動も、考え方も……。

 

「なんだ、何が起きているんだ……? 通信からステラの声がする──」

 

 通信を傍受するアスランは、ひとえに錯乱していた。

 

「ステラの声がふたつ? ステラがふたり……? ステラが、たくさん──!?」

 

 場違いなほど間の抜けた考察を、通信先のステラは完全に無視した。

 

〈だめ……! それは、だめだよ……!〉

〈わたしはあなたから生まれた……! あなたはわたしの先輩であり、お姉さんでもあるのでしょうね……!〉

 

 フレイの云いようは、厳密には間違っていたが、云われてみれば、それに近いものがある。

 云われた方は、激しく戸惑っていた。

 あまりの動揺に、その声は強かに震えていた。

 

〈そんなの、普通じゃない! その黒いモビルスーツから降りてッ!!〉

 

 次の瞬間、〝クレイドル〟が動いた。真っ直ぐ〝レムレース〟へと接近したが、フレイの方は接近を許さず、伸ばされた腕をよけた。

 拒絶的なその動作は、何人にも〝レムレース〟は触らせない、と訴えた風であった。

 

〈これはわたしの搭乗機(のりもの)……! 〝レムレース〟──わたしの新しい力……!〉

〈わかる、わかるよ……でも、だから云えるの! それは危険な感覚だってこと……!〉

 

 地球連合軍の悪意と、恐ろしい力をその身に秘めた──不吉に黒光りする機動兵器。

 かつての自分もまた、それに嬉々として乗り込んで行ったことがある。巨大にして兇悪な力に訴え、敵を滅ぼすことでしか自分自身を守れないのだと、当時は本気で考えていた。

 この時代に悪魔を顕現させたものが〝デストロイ〟であるのなら、破壊し尽くされた破壊者──そこから派生した〝レムレース〟は、まさに悪魔の亡霊、そのものではないだろうか? 守り手として派生した〝ディフェンド〟とは程遠い──〝デストロイ〟の負の面だけを満載したのが〝レムレース〟であるのなら……!

 かつての自分が『そこ』に見え──ステラは、激しく声を荒げた。

 

〈そのマシーンは、みんなの怒りとか、悲しみとか……暗くて、黒くて……〝デストロイ〟なんてものを造り出した奴等の悪意が、いっぱい溶けてるんだ……! それは悪霊だよ!〉

 

 しかし結論から云って、ステラの訴えは、フレイの心に届くことはなかった。

 何故なら、フレイがいまこの道を選んだ原因が、そもそもステラにあったからだ。

 

〈わたしのパパを殺した──あなたたちコーディネイターに何が云えるのッ!?〉

 

 暗黒の〝レムレース〟が、その瞬間より動き出した。

 熊手状の〝トリケロス〟より小型のビームガンを装填し、滞空する白銀の〝クレイドル〟に光弾を連射したのである。

 虚を突かれたステラであるが、対応は早い。両腕のビームシールドを機体前面に展開させ、繰り出された弾丸の雨を防御した。

 

「──ステラッ!?」

 

 傍観し、傍聴することしか出来なかったアスランが、そこで声をあげた。どうやら、その光景がビクトリアの出来事と被ったらしい。

 アスランは茫然とするばかりで行動が起こせず、ただ、場に漂っていただけの自分をすぐに戒めた。

 

 ──おれはまた、見ていることしか出来なかった……!

 

 すぐに〝レムレース〟へとビームハルバードを出力し、勢いよく躍りかかる。両剣を振り下ろし、〝レムレース〟は後転して斬撃をかわす。

 ビームガンによる連射を遮断すると、通信装置から、憎々しげにフレイが舌を打つ音が聞こえた。それが妹に舌を打たれたように聞こえ、兄貴心に凄まじいショックを与えた。が、アスランはすぐに気を持ちなおし、引き締めた。

 おそらく〝レムレース〟が装備しているバックパックは、ビクトリアに配備されていた円盤型の要塞(デストロイ)の武装を小型化・高性能化したものであろう。例の要塞は動力を絶つことで攻略したが、〝レムレース〟は核動力だ。それを遮断する方法はないし、無尽蔵に吐き出される大出力砲撃は圧倒的な脅威であることに変わりはない。

 なおも〝ジャスティス〟が両剣による突撃を敢行すると、逃げられないと判断した〝レムレース〟は、挑むようにビームサーヴァーを抜き放って応戦した。一方の〝クレイドル〟の動きは、まだ、止まったままだった。

 〝赤〟と〝黒〟が激突し、一帯に激しい衝撃波を巻き散らす。

 二機は戦いながら、気付かぬ内にオノゴロ領海の方まで移動していた。海の上で繰り広げられる戦闘の余波に、鮮烈な大波が発生してゆく。

 

〈アスラン・ザラ……! わたしのパパを殺した張本人……!〉

「なんなんだ、君は! なぜおれの名前を……!?」

 

 捕虜となっていたニコル・アマルフィから訊き出したことであったが、あえて発することでもなく、フレイは何も云わなかった。

 代わりに、恨みを返すだけだ。

 

〈そうね、知らないでしょう……? 自分がいちいち殺した相手の名前なんて、憶えていないでしょう!? ──だって、わたしも同じだものっ!〉

 

 仮に、先ほど〝レムレース〟で墜としたM1パイロットの名前を挙げろと云われても、フレイにだって不可能だ。

 それこそが、フレイを救えない何よりの現実なのだ。

 

〈わたしは、あなたに撃たれた大西洋連邦事務次官(ジョージ・アルスター)の娘──! コーディネイターなんて、滅んじゃえばいいのよ!〉

「この子の声、どうしてこんなにッ──」

〈──妹に似ている? そうね、よく云われたもの……。どいつもこいつも、口を開けばステラ、ステラってさ──可愛らしい生娘って、本当に正義よねぇッ!?〉

 

 妹に似た声質でも、口調はまるで違っている、とアスランは感じた。

 片方は舌足らずだが、こちらは結構よく喋る。それもまあ、口を開けば不躾ではないにしろ、不穏当な発言ばかりしているが。

 ビームハルバードを構える〝ジャスティス〟に対し、〝レムレース〟はビームサーヴァーを以て突撃していた。それが如何に無謀な挑戦であるのかは、実質的にルーキーであるフレイには分からなかったようだ。強化人間として生まれ変わった彼女を、戦士として無能と呼ぶ者はほとんどいないだろう。確かに彼女は無能ではなかった。しかし、このときは……どこまでも無謀だった。

 結論から云って、フレイはこれまで通り、中距離砲撃に徹するべきであった。アスランが接近戦を優先するのは、乗機の特性を十分に理解しているからであり、怒りに任せて斬りかかっているから、ではない。

 フレイは、目前の〝赤〟から繰り出される斬撃をいなし、両刀のきらめきを〝トリケロス改〟で受け止めた。すかさず防盾の内側よりビームライフルを放つ──が、〝ジャスティス〟はそのすべてを鮮やかにかわして行く。焦りが一瞬、フレイの攻撃をはやらせ、サーヴァーの軌道が浮ついた。その一瞬を突き、〝ジャスティス〟の光刃がビームサーヴァーのグリップを握る〝レムレース〟の左腕をなかばから斬り飛ばしていた。

 何が起こったのかも分からない、一瞬の早業だった。気付いたときには既に絶ち切られていた腕先を見、フレイはくっと息を詰まらせた。

 

「不慣れなパイロットめ!」

 

 アスランは、勝利を確信したように叫んだ。

 左腕を失い、近接兵器を喪失したフレイは、あまりにも率直に……いや愚直に、ビームシールドを展開してしまっていた。攻勢を破られれば、守勢に回るのがシミュレータでは常識だが、いかんせん、相手が悪すぎた。

 瞬時に脚部の〝タクティカルブレード〟を伸縮させた〝ジャスティス〟が、凄絶な勢いで躍りかかる。エネルギー兵器を切り裂く爪先の刃は、ビームシールドを構えた〝レムレース〟を、翳した盾ごと蹴り飛ばした。光波発生器は切り裂かれ、機体は大きく吹き飛ばされる。

 それは、フレイの悲鳴を呼び起こすには十分すぎる衝撃だった。

 右腕の〝トリケロス〟が弾き飛ばされ、海中に没する。盾を失った〝レムレース〟もまた、そのまま海中に墜落するかと思われた。しかし、フレイは慌てて機体制御を取り戻し、ほとんど海面すれすれを滑空する姿勢を保った──

 

〈このっ──!?〉

 

 ──しかし、その選択が命取りになった。

 フレイはこのとき、あるいは、素直に海に飛び込むべきだったのかもしれない。ほとんど無理矢理な形で姿勢制御を取り戻したフレイであったが、その反動として、機体は即座に次の行動を起こすことができなかった。

 そう、狙ったように直上から〝ジャスティス〟がハルバードを突き立てて来ていても、盾を失っていた挙句、彼女は何の回避行動も取れなかったのだから──。

 ──殺ったッ!

 会心の笑みを浮かべるアスランの耳に、叫び声が響いたのは、次の瞬間だった。

 

 

〈アスラン、じゃまーーっ!!〉

 

 

 渾身の叫び声が上がると同時に、アスランの視界に、陽光に反射した白銀のきらめきが差し込んで来た。その眩さに一瞬でも怯むと、次の瞬間、彼は身に覚えのない、凄まじい衝撃に襲われていた。

 ──ドゴォッ!

 猛烈に接近して来た〝クレイドル〟の飛び蹴り(、、、、)が、いま敵機にトドメを刺そうとしていた〝ジャスティス〟の顔面に直撃したのである。

 

「うぉぉぉぉぉっ!?」

 

 横合いから蹴り飛ばされ、飛沫を上げて海に没したのは、最終的に〝ジャスティス〟であった。

 バシャアン! 盛大に水没して行った〝ジャスティス〟を横目に、状況を掴みかねたフレイは、慌ててペダルに足をかけ、海面から飛び離れた。今の一撃──〝クレイドル〟に助けられたとは思わなかった。助けられる筋合いがなかったからである。

 見れば、〝クレイドル〟はどんな武装も構えることなく、竿立つように浮遊していた。馬鹿にしているのだろうか? と思ったが、それは、明らかに戦意がないことを示す姿であった。と云っても、格好を云えばフレイとて似たようなものだ。手持ちが可能な武装はすべて喪失し、残った武装などバルカンや背部の〝ネフェルテム〟に限られている。初陣にしてはすこし物足りない戦果──フレイは決まりの悪さを憶えながら、それでも〝クレイドル〟の方を向き直し、機体を相対させた。

 〝白〟と〝黒〟──対照的な輝きを宿した二機が向き合った。対話を望む〝白〟に比べて、〝黒〟はあらゆる対話を拒んだような外観をしていた。

 

(潮時、かしらね……)

 

 左腕は断ち切られ、右腕の〝トリケロス〟は喪失した。〝トリケロス〟は盾と銃が一体化された複合兵装防盾であり、使いようによってはサーベルも出力できるが、かといって、あらゆる武装を其処に詰め込み過ぎではないだろうか? こうして喪失してしまったら、〝レムレース〟の戦闘力は半減してしまう。こういった弱点は〝ブリッツ〟の運用データを参考にすれば、明らかに事前に克服できたはずだ。あとで整備士に文句のひとつでも云ってやろう。

 フレイは深く嘆息ついて、改めて〝クレイドル〟を見据える。

 

〈ずっと何考えてるのか分からないような子だったけど……お礼のひとつでも云うべき?〉

 

 目の前の〝白〟は、不躾な〝赤〟と違って、まるで戦意が感じられなかった。

 通信先からは、諭すような声が聴こえた。

 

「あなたは帰っちゃだめだよ……! 地球軍の船に……っ」

 

 それが猫を撫でるような声のようにも聞こえ、フレイは一抹の不快感を憶えた。

 

〈どうしてよ……? そろそろブーステッドマンの薬も切れる頃合い──わたしも〝この子〟も補給を受けなきゃ……。こんな成りじゃ、あなたを撃ち殺すことなんてできない〉

「戦えば戦うほど、あなたは自分で自分を苦しめる──強化人間って、そういうものだから……」

 

 ステラ・ルーシェは、目の前の〝レムレース〟とフレイ・アルスターを否定することが出来なかった。……だからだろうか? 彼女の心は、無意識に彼女との融和を求め、しかし、方法が分からずに彷徨っていた。

 彼女を否定してしまうことは、つまり、自分自身を否定してしまうことだと潜在的に感じていたからだ。

 

「その黒いマシーンは、あなたを戦いに引き込むだけだよ……っ!」

〈たとえそうでも、構わないわ。そのために、わたしは此処にいるのだから──! あなたたち兄妹と、コーディネイターを引き裂くことを夢見ながら、わたしはこうして戦っているの……!」

 

 狂気に満ちたその信念は、曲がらない。

 

〈望んでなったわけじゃない、そうするしか他に道がなかったのよ……! 強化人間なんかになり果てた、わたしのこの気持ちが、あなたに分かって!?〉

「…………!」

 

 分かるのだ──。

 分かるからこそ、痛むのだ──。

 それが、フレイには伝わらないのだろうか?

 ステラの声は、彼女に届かないのだろうか?

 そのとき、〝レムレース〟が機体を翻した。通信先から、フレイの一転した物静かな声が響く。

 

〈また、戦場で会いましょう……。エクステンデットの、お姉さん……?〉

 

 そうして、ひとえに遠ざかってゆく黒い背中を、ステラは追わなかった……いや、追う気になれなかった。屈辱も怒りも感じることはできず、彼女はただ魂が抜けたように、遠のいてゆく暗黒の機体を見送る。

 茫洋と滞空し、これと時を同じくして、連合軍の艦隊が信号弾を射出した。鮮やかな光輝が打ち上げられ、またも、地球軍のモビルスーツ部隊が撤退してゆく。──どうやら、新型の〝G〟兵器のパイロット、ブーステッドマンらの薬能時間も切れたようでもある。──キラたちの方も、無事なんだろうか……?

 そのとき、海を割って〝ジャスティス〟が海中から飛び出して来た。蹴り飛ばしておいて、その存在をすっかり失念していたステラは、ハッとして背後を振り返る。〝ジャスティス〟は〝クレイドル〟に高度を合わせ、正面から相対した。深紅の機体は、なにか、憤怒や恥辱から生まれる険しい気を全身から放っているように見えた。

 

〈どういうことだ、ステラ……!?〉

 

 通信機から響いたアスランの声には、激しい怒気が混じっていた。

 以前までのステラが聞けばすっかり竦み上がっていたであろう、地鳴りにも似た響きを持つ、兄の怒声。しかし不思議なことに、今のステラはまるで物怖じしなかった。堂々とアスランと対峙し、これまでなら抱いていたであろう恐怖心のようなものを、まるで抱かなかったのである。

 それは妹としてではなく、ひとりの人間としてアスランと対峙する覚悟が、彼女の中に生まれていたからだろうか……?

 アスランは、説教するような口調で云い募った。

 

〈なぜあんな、馬鹿な真似をした……!? おれに任せていれば、仕留められた相手だというのにッ!〉

 

 そう──〝クレイドル〟が邪魔をして来なければ、アスランは間違いなく〝レムレース〟を撃破することが出来ていた。

 〝レムレース〟のパイロットはまだ実戦慣れしていないようで、実際、戦いの中でそう感じ取って見せたアスランの直感は敏く、正しい。しかし逆を云えば、その手の敵は、実戦慣れする前に倒しておかねば、これからさらに厄介になって行く可能性と危険性を孕んでいる。

 どんな仮想(シミュレータ)の中で、どれだけの研鑽を重ねても、それは実際の命の応酬の中で培った能力には、到底、及ぶものではない。そういう意味では、数多の死線をかいくぐって来たステラやアスランに、フレイ程度のルーキーが敵うはずもないのだが……あくまでもそれは、現時点での話ではないか。

 ましてサーベルの出力差があったように、不可解なことに機体性能だけを云えば、あちらの方が優れていたような気がする。ここで見逃したことは、凶悪な禍根を未来に残したことと同義ではないかと、アスランは直感的にそう感じていた。

 

〈結果、みすみす取り逃がして……! あれは〝テスタメント〟だ……きっとナチュラルに強奪された、核を積んだ機体なんだ! なら、破壊するしかないじゃないか!?〉

 

 ステラは、云った。

 

「理屈じゃ、ないの……」

〈なに……!?〉

「あの人、ステラによく似てた……。ステラとおんなじだったんだよ……! だから──」

 

 説得こそすれ、撃破などできるはずもない。

 変わり果てた彼女に、ステラ自身が最も厭っていた言葉──『死』を与えることなど、到底、できないと感じたのだ。

 

「強化人間で……黒いモビルスーツを、おもちゃみたいに乗りこなして……! あれはステラだったのっ、だから!」

 

 そんな自分が、いま、こうして祝福されて生きていると云うのに。

 どうして、彼女には死を与えることができるだろう?

 どうして、自分の身に起こり得た悲劇を、誰かの身に繰り返させなければならない?

 同じことを繰り返すだけでは、何も変わらない──そういうものではないだろうか?

 アスランはしかし、怒鳴った。

 

〈それは感傷だ! 正しいものの見方をしろ!〉

「──アスランの云う正しさって、ステラが思ってるのと違うもんっ!」

 

 アスランは、絶句した。

 

〈な、なに云ってるんだ……! おれ達はザフトだ……! ザフトの正義に従うのが務めだろう!?〉

 

 それは、アスランの本心から放たれた言葉であっただろう。

 ザフトの正義──それは今や〝プラント〟の総意であり、そのすべてを背負い立つパトリック・ザラの、かねてよりの意志でもある。

 すべてのナチュラルを滅ぼし、コーディネイターたちの、よりよき未来を創世する──。

 ならば、そんな父の願いを叶えるために戦う──それが自分たち、血肉を分け与えられた者達が成すべき使命ではないか。

 

〈そのために、君は〝フリーダム〟の追討任務に就いたはずだ! 〝テスタメント〟も同類だ! 誰が乗っていようと、おれ達はそれを破壊する義務がある〉

「アスランはまた、そうやって〝フリーダム〟を破壊しに来たんでしょ……」

〈それが、おれの任務だからだ! こうしてオーブへ来たのだって、もともとは〝フリーダム〟を捜しに──〉

「そうやってまた、アスランはキラを殺すんだ(、、、、、、、)!」

〈っ……!?〉

 

 放たれた言葉に、茫然とするアスラン。

 彼はすっかり返す言葉を失い、ふたりの間には、重たい沈黙が流れた。

 沈黙を破ったのは、ステラだった。

 

「知ってるんだよ、ステラ。あの〝フリーダム〟に乗ってるのが、キラだってこと……! キラがなんのために戦っているのかだって、聞いたんだ……!」

〈なッ……〉

 

 アスランは唖然とし、同時に、ステラが供述を訊ね返したい気持ちを、必死で堪えた。

 キラが何のために戦っているのかを聞いた? それは、ステラがキラ本人と直接的に接触したということではないか。

 ──なら、キラは今、どこにいるんだ……!?

 アスランは喉から言葉が出掛けるほどに詰問したかったが、キラという存在を肯定してしまっては、またも妹の反感を買うことになりそうで、云えなかった。情けない話である。連合軍なら誰もが畏れる〝ジャスティス〟のパイロットたるものが、たった一人の少女を前に口籠っているのだから。

 まあそれも、無理もないことなのかもしれない。彼が以前、常勝の〝ストライク〟を単機撃破して見せたとき、周囲のザフト兵が褒めそやす一方で、ステラだけは精神的にひどく荒れ、抗議したことがあったからだ。

 

 ──うそつきッ

 

 薄情者と顔に書いてあったそのときの彼女の眼には、強い軽蔑が混じっているように見えた。

 ──あんな目で見られるために、おれは力を付けて来たわけじゃないというのに……。

 過去にひたったアスランは、かぶりを振り、それらの日々の記憶を振り払う。

 ──そうだ……もう、彼女にあんな目で睨み返されるのは、御免だ。

 昔はもっと純真であどけなかったというのに、いつから彼女は、あんなに険悪で鋭い目つきを浮かべるような女の子になってしまったのだろう? ……いや、それもまた、彼女を野蛮な強化人間になど貶めたナチュラルのせいだ。やはり、何もかもナチュラルの仕業なのだ。けっきょく、父や自分がやっていることは何も間違ってはいない。ナチュラルを倒さなければ、すべての過ちは終わらない。そのために〝フリーダム〟は、絶対に野放しになどしてはならない。

 だというのに、ステラには、どうしてそれが伝わらない?

 

「前にアラスカで、アスランは〝フリーダム〟を墜とそうとしてた……! あのときから、アスランは〝フリーダム〟に乗ってるのがキラだってわかってたんだ──わかってて、またキラを殺そうとしてたんだっ!」

 

 そう、アスランはすべてわかっていて、それをステラには黙っていた。当時はまだ無知だったステラが〝フリーダム〟に植え付けらえたトラウマに震えていたときも、アスランは彼女の恐怖感覚に付けこむように彼女をそそのかし、刷り込むように〝フリーダム〟を悪者と──敵と認識させようとした。

 つまりアスランは、もう一度、ステラを騙してキラと戦わせようとした。──以前〝ディフェンド〟を〝ストライク〟を交戦させたときと、まるで同じように。

 さすがのアスランも、事実を肯定することができなかった。認めてしまうと、すべての逃げ道を塞がれてしまうと考えたからだ。

 弁明のしようもなく、しかし、なんとかして弁明しなければならない。険悪なステラを落ち着かせ、彼女を、どうにか納得させるだけの言い訳はないのか。

 アスランは慌てて反論しようとして、

 

 

〈〝フリーダム〟に乗っているのは……キラじゃ、ないぞ……〉

 

 

 ──と、後で口に出したことを死にたくなるほど後悔する言葉を、そのとき……吐き出していた。

 吐き出してから、アスランは全力で後悔した。

 もっと他にマシな嘘はなかったのだろうか。彼女を説得させるだけの言い訳は──?

 しかし、時間は待ってくれなかった。

 云い切ってしまった以上、後の祭りである。慌てて口を塞いでも、出て行った言葉が戻って来るわけではない。言葉は真っ直ぐに通信機に伸び、回線を通してステラの耳に、そして頭に飛び込んで行った。

 

「~~ッ!?」

 

 声を受け、ステラは頬を紅潮させ、モニター越しのアスランを睨んだ。

 その目に浮かんでいるのは、呆れと、怒りと──反発の情であった。軽蔑の目に既視感を憶え、アスランは、自分が吐き出してしまった言葉の愚かさを再確認した。大体、キラに会ったという少女に対し、キラはいない、などという妄言がどうして通じるだろう? おれは馬鹿か。どうしてこういうときに限って、おれは口が下手なんだ!

 

「また、そうやって──ッ!」

 

 頬を真っ赤に紅潮させたステラは、気が付けば背部〝リノセロス・リニアキャノン〟を翼から切り離し、両の手に構えていた。唐突な動作に、アスランはどきりと背筋を伸張させた。

 ──まさか!?

 次の瞬間、そのトリガーは躊躇なく引かれていた。いくつかの音速弾が問答無用に放たれ、アスランは真っ青になって、慌てて攻撃を回避した。

 

〈なっ! 何をするんだ! ステラ!?〉

 

 当然、抗議の声を荒げたアスランであるが、ステラは本気で当てる気よりも、すこしでも思い知ってほしいという念の方が強かった。〝ジャスティス〟の装甲はフェイズシフトが用いられており、実体弾を跳ね返す強度を持っているのだ、レールガンなど直撃しても致命傷とはなり得ないが、反抗という態度を表すには十分だった。

 アスランとしては、以前にもステラと対峙したことはある。ラクス・クラインの身柄を譲渡してもらう際、〝ディフェンド〟は銃を構えて〝イージス〟を牽制した。が、実際にトリガーが引かれることはなかった。しかし、今は違う。今のステラは、なんの躊躇いもなく──。

 そうしてまだリニアキャノンの射撃は続いた。アスランはただ、それらをかわしてゆくだけだ。

 

〈やめろ! もうやめるんだッ! 反抗期か!?〉

「そうかも! ステラは成長したよ! でもね、成長してないのはアスランの方だ……! また性懲りもなくっ──」

 

 『〝ストライク〟に乗っているのは、キラじゃない』──結局、真っ赤な嘘でしかなかった、あのときと同じ方法が、ステラに通じると思ったのだろうか? そう云っておけば、ステラは騙されてくれるとでも思ったのだろうか?

 ──アスランはいったい、ステラを何だと思ってるの……?

 結局、アスランとパトリックも、彼等は彼等の中で、時間が止まっているのかもしれない。

 パトリックは母を亡くしたあの日から、アスランはビクトリアで自分を亡くしたあの日から、まるで同じことを繰り返そうとしている。過去に囚われたまま、それぞれ母と妹の仇を取ることしか考えず、見えず──時間が流れていることを完全に忘れてしまっている。だから、成長していないという表現がしっくり似合ってしまうのか。

 

〈よせっ!?〉

「それだけのことをしたからっ!」

 

 地球軍との戦闘が収束したオーブ本島において──〝赤〟と〝白〟──彼等の操る二機が、激しく上空を飛び回る光景は、いささか目立ち過ぎた。

 なにかしらの騒動が起きていることに気付き、いくつかのM1部隊が海岸線の方までやって来た。

 駆け付けた兵士のひとりが「赤いモビルスーツ、あれも連合軍機か!?」と声を荒げ、「いや、さっきまで〝クレイドル〟を掩護してたぜ?」と否定の声が上がる。だが「じゃあなんで、〝クレイドル〟がドンパチやってんだよ?」と当たり前の疑問が上がった。

 オーブ兵は、先日の一件で〝クレイドル〟を「協力者」として認定していたため、その〝クレイドル〟が激しくレール砲を撃ち放っている〝赤色の正体不明機(ジャスティス)〟を、さしずめ「執拗に撤退しない連合軍機」と断じた。ステラがリニアキャノンを放てば、それに加勢するように地上のM1部隊が〝ジャスティス〟に砲火を放った。

 多勢に無勢とは、まさにこのことだった。

 

〈くそっ! ステラ、なぜ──〉

 

 地上から放たれる砲火を、アスランはぎりぎりの所で回避してゆく。

 まるでステラが、M1部隊を味方につけているかのような状況に、アスランは懐疑した。──どうしてオーブの連中は、おれだけを狙撃して来る!?

 

「アスランとステラが信じてるものはちがう……! いま分かった、ステラはアスランと一緒にいるべきじゃないってこと……!」

〈!?〉

 

 『無理をしてアスランと同じ道を歩む必要はない』──ニコルはかつて、ステラにそう云ってくれた。

 きっと、アスランが変わってしまったのは、自分が傍にいた結果なのだのだろう。それが分かった以上、アスランの側にいても、彼を正してあげることなど出来ない。

 『アスランが変な風に変わったなら、あなたが戻してあげればいい』──そのためには、敵対してでも怒らなきゃいけないときがある。フレイも、アスランも、自分のせいで豹変してしまったというのなら、その責任は自分が果たすまでだろう。そのためにステラは、アスランと同じ道に心中することはできない。さっきのように蹴り飛ばしてでも、彼の目を醒ます必要があると感じたから──。

 

〈や、やめろ! まさかオーブと共に……!?〉

 

 慌てて手を伸ばしたアスランであるが、気付くのが、あまりにも遅かった。

 よく見れば、海岸線には大量のM1部隊が集結して来ていたのだ。騒ぎを聞きつけたモビルスーツ部隊が、一斉に〝ジャスティス〟へ砲火を浴びせかける。察し物のアスランも、迫り来るビームの驟雨に対しては慄然とするばかりだった。ほとんど面のように収束して襲い掛かるビームライフルを、アスランは機体前面にビームシールドを展開して受け止めるのが精いっぱいだ。

 重要な会話を邪魔してくれる! さすがに腹が立ったのか、アスランは咄嗟にM1部隊にビームライフルを翳した。が、射線上に〝クレイドル〟が盾のように割り込んで来たため、翳した銃は降ろす他になかった。

 

〈──ええいッ〉

 

 それでも、引き際を判断できるだけ、彼は賢明だったのかもしれない。

 アスランは即座に〝ジャスティス〟を転進させると、オーブの領空から飛び去って行った。

 

「…………」

 

 ステラは、茫洋とその背中を見送った。

 ──アスランは、やましいよ……。

 ステラはこの瞬間から、決定的にザフトと袂を分かったことになる。

 いつかアスランを、昔みたいな優しい彼に戻してあげることは、できるのだろうか? そこまで考え、ふるふると、かぶりを振った。

 

(できるか、じゃない──やる……)

 

 やらなければならない。

 それが、ステラの責任なのだから──。

 

 

 

 

 

 オノゴロから離脱したアスランは、オーブ軍の有効射程距離から離れたことを確認すると、機体の速度を落とし、一旦、オノゴロの方を振り返った。まるで、やり残した未練でもあるかのように。

 いや、実際、未練はあるのだろう。

 彼は横合いから砲火を放って来たオーブ軍のせいで、ステラを説得することが出来なかったのだから。

 

「まさか、オーブと共に戦うつもりなのか……?」

 

 許された行為ではない──わかっていても、アスランの頭には迷いが生じていた。

 きっと、相手がステラでなければ、理路整然と理論武装を完璧なものとして、そいつを裏切り者と断じて斬り捨てていたはずだ。しかし、相手がステラとなってしまえば……。

 ──この力、なぜアイツを傷つけるために奮わなければならない……!?

 どうしてステラは、わかってくれない?

 いつから彼女は、あんな風になってしまった? 昔からずっと、おれの云うことは聞いてくれたはずなのに……。

 

「──くッ」

 

 憎々しげに吐き捨てると、そのとき、〝ジャスティス〟のレーダーに見覚えのある熱源が接近していた。

 オーブの領海にて、後期GATシリーズと交戦していた──〝フリーダム〟であった。

 

「〝フリーダム〟──キラ……!?」

 

 アスランは、愕然とした。

 

 

 

 

 

 後期GATシリーズ〝カラミティ〟〝レイダー〟〝フォビドゥン〟を退けたキラ達は、オーブ本島に向けて機体を返していた。

 その帰路において、キラは見覚えのある深紅のモビルスーツを発見する。

 以前、アラスカで対峙した兄弟機──ZGMF-X09A〝ジャスティス〟である。

 

「アスラン……!?」

 

 どうして、ここに。

 キラが唖然とすると、傍らの〝イージス〟もまた反応を特定したのだろう、ムウの声が上がった。

 

〈あれは? また連合の新型か……?〉

「いえっ……」

 

 すると、間を置かず〝フリーダム〟の通信機に音声が入って来た。

 云うまでもなく、それはアスラン・ザラの声だった。

 

〈やはり、おまえか……キラ!〉

〈アスラン……! どうしてここにッ〉

 

 言葉は交わすが、キラはいつでも刃を抜けるよう、グリップに手を掛けていた。

 しかし、一方のアスランはすっかり興ざめしているようで、戦闘態勢を取ろうとはしていなかった。

 

〈やはりお前が、アイツをまやかしたのか……!〉

「えっ……?」

〈アイツは取り戻す──! 必ずなっ!〉

 

 云うと、〝ジャスティス〟は機体を返し、さらにオーブから離れて飛び去って行ってしまった。

 なんだったんだ? とムウの疑念の声が上がり、取り残されたキラはただ、茫然とした。

 

(ステラの……ことか……?)

 

 今のキラには、アスランの言い残した言葉の意味が、よく分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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