~夢見る少女の転生録~   作:樹霜師走

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 あ、あれ? 主人公は誰だ……?
 と思うほど、主人公が話に登場して来ない最近です。



『アプリリウス・ラプソディ』

 透き通った少女の呼びかけが、街角のスクリーンから流れている。

 通行人達はその声に足を止め、困惑と同情──人によっては怨嗟──の混じった目で、その少女の姿を見遣った。

 

〈──わたくし達は、どこへ行きたかったのでしょう? 何が欲しかったのでしょうか……?〉

 

 非戦を訴える、ラクス・クラインである。

 彼女の声は、透き通るように人々の胸を透過しては打ち、人心に影響を与えてゆく。

 啓発の言葉は、多くの者の心を揺さぶった。

 

〈戦場で、今日もまた多くの血が流れ、多くの命が散って行きます。犠牲の上に成り立つ今、わたくし私達はいつまで、こんな悲しみの中で生きてゆかねばならないのでしょう?〉

 

 平和の歌姫の姿は、ゲリラ放送を通じて〝プラント〟全域に発信されることになった。

 かくした放送に後押しされるような形で、国内では、厭戦気分の機運が高まっていた。

 

〈わたくし達が欲したものは、本当にこのような未来だったのでしょうか? 撃っては撃たれ、撃たれては撃ち返す──けれどどうか、この果てない憎しみの連鎖を断ち切り、争いの日々を終わらせる道を探しましょう〉

 

 しかしパトリック・ザラは、決してラクスの訴求を認めることはなかった。

 そもそも、かくして〝プラント〟市民の厭戦気分が高まり始めたのは、数週間前の〝オペレーション・スピッドブレイク〟失敗、ならびに〝フリーダム〟などのフラッグシップ機の喪失など、ザラ政権の度重なる失態に起因するものである。地上では多くの若人の命が喪われ、遺族の多くは耐え難い悲しみに暮れた。挙句、地上で戦線を維持できなくなったザフトは、ついに地球軍の宇宙への進出まで許したという。地球軍がMSの開発と運用に成功したことで今までの戦局の優位性も崩壊し、戦況的な劣勢は、火を見るより明らかだ。

 人の口に戸が立てられない以上、厭戦の機運は、高まる一方であった。

 ──だが、それを云うなら〝スピッドブレイク〟の情報を地球軍に漏洩(リーク)したのは誰だ?

 ──最重要機密である〝フリーダム〟を、敵国に売り渡したのは誰だ?

 パトリックは、一連の責任がすべてラクス・クラインにあると唱え、巧みな情報操作を行い、国民達の厭戦気分を反転させるよう奔った。彼は断固として、こう云い張る。

 

〈ラクス・クラインの言葉に惑わされてはなりません! 彼女は地球軍と通じ、軍の最重要機密を明け渡した叛逆者なのです!〉

 

 一国の頂点に立つ者として、小娘ひとりの戯言のために、地位を脅かされるわけには行かないのだから。

 

〈戦いなど、誰も望みません! だが、それではなぜ、このような事態となったのでしょう! 思い出していただきたい! みずからが生み出したものでありながら、進化した我々の才能を妬んだナチュラルが、コーディネイターに対して行って来た、迫害と弾圧の数々を!〉

 

 パトリックは、さらに言い募った。

 

〈そこからの独立を願い、自治領を求めた我らに、答えとして行われた──〝ユニウス・セブン〟への核攻撃を!〉

 

 合計、24万3721名もの人々が犠牲になった。

 聖バレンタイン、最悪のカタストロフ。

 

〈憎しみの連鎖を断ち切る──素晴らしい理想です! ですが、それを実現するためにどうすればいいのだと、彼女は仰るでしょう? 敵を憎まず、許しなさいと? 憎しみは憎しみしか呼ばぬから──敵を憎まず、愛しなさいと? それも大切なことでしょう──〉

 

 しかし、パトリックのその言葉は、反語だった。否定の意味を強めるための、いっときの肯定──政治家の話術。

 

〈──ですが、それが誰に云えますか!? 無念の果てに散って行った英霊達──その墓標の前で、遺族達の前で、面と向かって云えるのですか!?〉

 

 愛する家族を殺された者がいる。

 だが敵を、微笑んで許しなさい。

 だが敵を、微笑んで慈しみなさい。

 だが敵を、微笑んで愛しなさい。

 生きとし生けるもののために、憎しみを、優しく包み込みなさい。

 聖女のように──?

 

〈そんなもの、誰に出来る生き方でもありません! この戦争、我々は何としても勝利せねばならぬのです! 敗北すれば、なお暗い未来しか待っていないのだから!〉

 

 理想と現実は、違う。

 声高に叫ぶパトリックに対して、ラクスはしかし、柔らかな声の中に凛とした色を含み、明かす。

 

〈地球の人々とわたくし達は同胞です。コーディネイターは、決して進化した種などではないのです。第三世代コーディネイターの出生率は、年々低下するばかり……わたくし達の存在を定義づける遺伝子操作そのものが、他ならぬ、わたくし達の未来を摘み取っているのです〉

 

 民衆に、動揺が奔る。

 だが、気付いていた者は気付いていたようだ。

 

〈既に未来を作れぬわたくし達の、どこが進化した種と云うのでしょう?〉

 

 パトリックは、嘲笑と憤慨を交えて返す。

 

〈そのための婚姻制度! そういう彼女こそ、わたしの息子──アスラン・ザラと子を成す立場にあったことを忘れてはなりません! 我々の希望を一身に請け負っていながら、それを裏切った彼女の言葉に、決して惑わされてはなりません!〉

 

 対の遺伝子を持つ者同士が、比翼連理の契りを結び、次世代の子を産む──その大役を期待されていた最初の希望が、他ならぬラクス・クラインだ。

 聖クリスマス・イヴの夜、大々的に開かれた婚約発表にて、ザラとクライン、互いの家族が一同に会し、ラクスが星の名を持つ少女と初めて出会った、あのとき──アスランとラクスの存在が大きく報道されるほど、ふたりの婚約はコーディネイター達にとって大いなる未来への希望として謳われ、そして注目された。遺伝子の相性によって弾かれ、子を残せないと分かった途端に引き裂かれた男女は大勢いた。そのような者達を納得させるために、アスランとラクスはいち早く婚姻し、子を成さねばならなかった──そんなアスランの許から勝手に離れていったラクスに対して、酷い裏切りだ、と声高に叫ぶ者も多いのは厳然たる事実なのだ。

 コーディネイターが受けた遺伝子操作によって、受精の成立しない遺伝子同士の配合は数多くあった。世代が進むにつれ、コーディネイターの遺伝子の型は複雑になり、実際に〝プラント〟は、第三世代コーディネイターの出生率の低下を抑止することが出来ていない。

 これを誤魔化す『象徴』としての、アスランとラクスの婚約──

 だが、結局のところ、ラクスはこれを信じていなかったのだろう。仮にアスランと自分が子を成せたとしても、他の者達は──? と。

 

〈惑わすつもりなどありません。ただわたくし達の未来とは、わたくし達自身の、自由な意志が築くべきものと説くだけです〉

 

 半世紀後、自分達の子が担う未来において──

 ──そもそも望まぬ者同士の間に生まれた子ども達が、いったい、どれだけの愛を受けて育っていけるだろう?

 たしかにラクスは、アスラン・ザラに対しては個人的な好感を寄せていた。優しくて、誠実そうな人であると。勿論、それはあくまで以前の彼(・・・・)に対する印象の話だが──ラクス自身、彼に対して寄せていた好意的な感情を否定しているわけではないのだ。

 しかし、結ばれるにしても、そこに制度が絡むのと、自由意思に基づいた結末であるのとでは、意味合いが違い過ぎるのではないか? 結局、婚姻統制を敷いて改善できる程度など、たかが知れているのだ。

 

〈人の未来を創るのは、運命であってはならぬのです!〉

 

 婚姻統制をはじめとした未来に待っているのは、個人の自由が約束されない世界だ。

 自由恋愛を、決して許さない──

 人々の意志を度外視し、絶対的な法案によって塗り固められた確定的な未来に、どれだけの幸福がある?

 

〈いくら婚姻統制を敷いたとしても、コーディネイターのみの未来が永続することは、決してあり得ません。自然(ナチュラル)への回帰もまた、わたくし達には必要なことなのです〉

〈よしんば問題があったとしても、いずれは我々の叡智が、必ずや解決する!〉

〈争いをやめ、融和の道を捜しましょう──求めたものは何だったのでしょうか? 幸福とは何なのでしょうか? 愛する人々を失ってなお、戦い続けるこの日々の未来に、それは間違いなく待つものなのでしょうか?〉

 

 ────そんなある日、パトリックの執務室に一報が入った。派遣していた特殊部隊が、遂に潜伏していたシーゲル・クラインを発見し、これを射殺したと──という。

 パトリックは、ある折から常々疎ましく思いながらも、好悪反する感情を寄せていた男の死を悼むように瞼を閉じる。彼等は第一世代コーディネイターとして、輝かしい時代と、それでいて、苦渋の時代を共に乗り越えて来た盟友だったから。

 アスランやラクス──第二世代のコーディネイター達は、みずからの才能と能力に無頓着だ。子どもの頃から周りは皆コーディネイターで、誰かひとりが格別に優れているわけではない環境に身を置いて育ったことから、自分達がどれほどに優れた種であるかを自覚し、自負しきれていない。だが、第一世代のパトリック達は違う。彼らはナチュラルの中に生まれ、その嫉妬と羨望を一身に浴びながら生き長らえた。そのため自分達の優位性を確固として自覚しており、ナチュラルから迫害を受けてなお、みずからを優れた種として自負し、一方で、ナチュラルを愚かで劣った種として蔑視することにより、真に排斥されるべき者がどちらであるのか──決して見失うことなく、ここまでやってこれたのだ。

 だが、シーゲルとパトリックの袂を分かったのは、まさに今、ラクス・クラインが唱えたことが原因にある。

 優れたコーディネイターですら、完璧な一個の種族として永続することはあり得ない。その可能性──いや危険性が発覚した途端に、シーゲルはナチュラルへの回帰を唱え、パトリックはこれを断固として拒絶した。

 

『よしんば問題があったとしても、いずれは我々の叡智が、必ずや解決する──』

 

 と、そう云い張って。

 

「まだ、娘の方が残っている──」

 

 なんとしても、ラクス・クラインを闇に葬らなければ──。

 パトリックは胸の奥に、そう静かに誓っていた。

 

 

 

 

 

 ラクスが放送を終える。

 彼女達が拠点としているのは、アプリリウス郊外に位置する、云ってしまえばみすぼらしい廃屋の中だった。中にはクライン派の随伴者と、マーチン・ダコスタの姿がある。

 今の放送に思うところがあったのか、彼は不意に、声を漏らした。

 

「──『未来を創るのは、運命であってはならない』か」

 

 それは、先の放送でラクスが発した言葉であった。

 ラクスは、きょろりとして怪訝そうな顔を浮かべる。

 

「はい?」

「いえ、恐悦なのですが……ラクス様が、ああしてご自分の意見を呈されるのは、すこし、珍しいことのように思いまして」

 

 ラクスには、自覚がないのだろう。

 わたくしは、そういう人間でしたでしょうか? と云いたげな表情を浮かべている。

 ダコスタは頬をかく。

 

「その、なんといいますか──ラクス様は常々、民衆に対して、今ある現実への疑問を投げかけてばかりで」

 

 ご自分の意見を、きちんと述べられたことが少ないように感じていたのです。

 付け足されたその言葉に、ラクスは、驚いた顔をした。

 

「そう、でしょうか」

 

 確かに彼女は、民衆に対して指導者を妄信するのではなく、自分自身で苦悩するように呼び掛けて来た。──それで本当に道は正しいのか? 他に道はないのか? 考えなさい、と──確かにそれは、彼女が行って来た訴求活動であろう。

 ──だが、悪く云えば、それは民衆を迷子にさせる行為だった。

 民衆をこれまで信じて来た道から隔離させ、彼等を路頭に迷わせるに等しい行為だった。

 何が正しいのか改めて考えなさい、と云われても、道に迷った民衆はおそらく、口を揃えてこう云うだろう。

 ──では、どうすれば良いのだ? と。

 ダコスタは少し不安に思っていたらしいが、しかし、ラクスはたった今、はっきりと婚姻統制による未来制度を否定した。自分の意見を伝え、その言葉で民衆の心を変えようと演説した。──こういう道はどうですか? この道を進むべきではありませんか? と。

 確かにそれは、曲がりなりにもラクスの中に生まれた変化だった。

 

「……自覚がありませんでしたわ……」

 

 ラクスは、素直に驚いたようであった。

 あらあら、と云って頬に両手を当てている。

 

「『種を撒き。だが、種が育つには水を、光を、栄養を与える者が必要だ』──以前、彼女が仰っていましたよね」

 

 今ある現実に対して、疑問を投げかけるだけでは、民衆は決して動かない。

 民もまた、迷える人間達であるからだ。

 

 ──何が間違っていて、何が正しいかなんて、みんな分からないんだよ

 ──だから、人の言葉を聞くの。人に頼ろうとするの

 

 それは、良い悪い、と云う問題ではなかった。

 それが、人の世の在り方なのだ。今までも、そして、これからも──

 民衆の上には指導者が在って、指導者が指した方向に、民衆は盲目になって進んでゆく。それは先日、地球軍によって陥落したオーブの政治体制にも云えたことであるが、現〝プラント〟にも同様に云えたことであろう。

 ラクスはそこに、疑問の種を植え付けて回った。──本当にそれで良いのか? と。

 が、種が育つには、これを育てる者が必要で、そこにはラクス自身が位置づかねばならないのだろう。何も与えず「勝手に花開け」など云ったとて、そんなことは不可能なのだから。

 

「手酷い喩え方なのでしょうがね──民衆ってのは、植物と同じなんですよ。種を植えたって、指導者が水を与えるまで、決して育たない──花開かない。懇切丁寧に世話してやらないと、描いた通りに育たなかったり、枯れてしまうことだってある……」

 

 ダコスタが感慨深げに云った。

 それもまた、種を撒いた者の責任なのだろう。ラクスは自分の変化を自覚しながらも、前を向いた。

 

 

 

 

 

 

 廃屋の中に、クライン派の男──同志たる諜報員が入って来た。

 ダコスタはその姿を認め、問う。

 

「──何か新しい話は?」

 

 トレンチコートにサングラスをかけている諜報員の男は、外に出て掴んで来たであろう情報を明かした。

 

「地上についてだが、各地のマスドライバーを巡る戦乱に一応の決着がついたようだ。オーブにある〝カグヤ〟とビクトリアの〝ハビリス〟が共に地球軍の侵攻を受け、オーブのものは壊滅、ビクトリアのものは奪還された。……月基地には、地球軍がどんどん上がって来ているぞ」

「オーブが?」

 

 男の報告に、ラクスの反芻がかぶさる。

 諜報員の男は一礼し、先を続けた。

 

「オーブは〝種〟として二隻の戦艦(・・・・・)を宇宙へ送り出し、その直後〝カグヤ〟とファクトリーを跡形なく自壊させ、連合に降伏しました。戦災に遭った、避難民の行方までは分かりませんが──」

「そう、ですか……」

 

 話に上がった、二隻の戦艦──

 其処にどのような志を持った者達が乗っているのか、彼等が何を託されて宇宙(そら)に上がったのか、ラクスは既に、掴んでいるようであった。

 おそらくは其処に、自分と同じ、融和による平和を望んだ者達がいることも──

 

「──では?」

「ええ、予定より早いのですが……動かれた方が良いかと」

「時なのでしょうね。わたくし達も、動かねばならない──」

 

 静かに誓い、そうして、彼女達は行動を開始した。

 

 

 

 

 

 ラクス・クラインが放送し続けるゲリラ演説により、国内はいっそうの混乱状態にあった。

 この事態を重く見たパトリックは、アプリリウス市にある自分の執務室に、息子のアスランを招集していた。すでに、宇宙軍の戦力増強に乗り出していたザフトは、地上に展開していた部隊の殆どをL5〝プラント〟宙域に駐屯させていた。そこには勿論ラウやイザークの姿もあって、アスランもまた、これに便乗して本国に帰還していたのだ。

 〝アプリリウス・ワン〟の執務室──

 招集指示のあったアスランはそこで、ラクスの放送を聞かされ、見せられ、愕然とした。

 

「こんな……」

 

 ──彼女が、本当にラクス・クラインなのか?

 その一念がまず、アスランの胸を支配する。そこには自分の恋人であり、婚約者であったはずの少女の面影はなかった。無邪気どころか、無慈悲な聖女のような──まるで、本当の別人に憑依された雰囲気さえ感じられる。

 アスランは堪らなくなり、デスクを挟んで相対する父に叫ぶ。

 

「しかし、俄かには信じられません! 彼女が〝フリーダム〟の強奪を手引きした──など!」

 

 〝スピッドブレイク〟発動後、長らく地球での任務に当たっていたアスランには、〝プラント〟本国で起きていた一連の事件を把握する術がなく、情報を得るのが人よりも遅れていた。

 だからこそ、このときのアスランには父に打ち明けられた事実の全てが、まるで嘘のように思えた。

 報告された重要事項は、大まかには四つある。その中には世間一般への公表が憚られる機密情報もあって、これを伝えられたアスランが、如何にパトリックに信任されているかが伺える内容となっている。

 

 ──ひとつ、ZGMF-X09A(ジャスティス)がロールアウトした直後、ラクス・クラインの手引きによってZGMF-X10A(フリーダム)の奪取が行われたこと。

 ──ふたつ、逃亡したラクス・クラインの追跡にはステラを遣わせ、アラスカで大破したGAT-X404(ディフェンド)の代替機としてZGMF-X08A(クレイドル)を授与させたこと。

 ──みっつ、ステラの監視役に特殊部隊とZGMF-X11A(リジェネレイト)を就けたのだが、ラクス・クラインとの接触を果たしたはずの彼らは、他ならぬステラに叩き潰されて帰って来たこと。

 ──よっつ、特殊部隊が不在になった隙を突いて、地球連合軍の手によって実働実験中の軍事施設でZGMF-X12A(テスタメント)が強奪されたこと。

 

 歯車が狂い過ぎている──と、全てを知ったアスランは感じた。

 目の前にいる父は、そこに追い打ちをかけるように現れたクライン派の暗躍によっても、ひどく忍耐力をすり減らしているように見えた。

 ──なぜ、こんなことになっている?

 ──なぜ、あらゆる結果が父を裏切るような真似をする?

 アスランは憤りを隠せない。

 

「オマエがどう感じようが、これは事実なのだ。それに、オマエが提出した地球での活動報告に目を通せば、否が応でも真相は見えて来る」

 

 それまで方々に怒鳴り散らして来たのだろう──父の声は、ひどく掠れている。

 アスランはそんな父に対し、ひどく気づかわしげな視線を送った。パトリックは、アスランが地球にて記録した報告書に目を通していた。

 

「かのオーブの地で、三機もの(・・・・)ファーストステージシリーズを見かけた、だと?」

 

 書類の内容を反芻するように、パトリックが声を言葉を漏らす。

 文面に記載されてあることは、大まかに四つだ。

 

 ──ひとつ、奪取された直後のZGMF-X10A(フリーダム)は第一に〝JOSH-A〟へ舞い降り、その後は足つきと共にオーブ連合首長国へ逃れたこと。

 ──ふたつ、そのZGMF-X10A(フリーダム)を奪い去ったのはコーディネイターであり、アスランがインド洋で討ち果たしたはずのGAT-X105(ストライク)のパイロットであったこと。

 ──みっつ、〝フリーダム〟追討のためオーブ連合首長国を訪れた際、そこには既にZGMF-X08A(クレイドル)がいて、当機はオーブ守備軍の一員として地球連合軍と戦闘行為を行っていたこと。

 ──よっつ、同様にオーブの地でZGMF-X12A(テスタメント)の反応を検知し、装甲が一新されていた当該機体は、地球軍に所属していたこと。

 全ての報告に目を通し、パトリックは重い嘆息を吐く。ついで、嘲るような声を溢した。

 

「バケモノ共めが、本性を表しおったか……」

 

 情報の共有を終えたパトリックは、何かに納得した風であった。

 

「私が迂闊だった──なぜ、こんなにも簡単なことに気が付かなかったのか」

「父上……?」

 

 アスランは胡乱げに、パトリックの表情を伺う。

 

「アレが生きていたときから、まずは疑ってかかるべきだった! ──初めからアレは、こうすることが目的だったのだな……?」

 

 その独白は、娘を娘とも呼ぼうとしない、無愛想な云い方をしていた。

 アスランは、父が何を云っているのかが理解できす、茫然と立ち尽くし、その独白の意味を探る。

 

「ち、父上? 何をおっしゃっているのです──」

 

 途端、パトリックは何かを吹っ切ったかのように、割り切ったかのように、顔を上げた。

 そうしてアスランの目を正面から見据え、短く告げた。

 

「よいかアスラン、〝クレイドル〟を奪取して逃亡した『金の髪の少女』……〝アレ〟はすでに私の娘ではない(・・・・・・・)! そして、オマエの妹でもないのだ」

 

 場に沈黙が流れる……いや、応答するべきアスランがしばし、身動きを取ることを忘れた。

 は? と云わんばかりに呆然と口を開き、アスランは立ち尽くす。パトリックの言葉の意味を把握するまで、多少の時間を要した。

 

「アレは初めから、我々を貶めるために送り込まれた偽物(まがいもの)だったのだ」

 

 告げられたアスランの中では、なおも時が止まっている。

 だが、そんな彼に斟酌することもなく、パトリックは冷酷とも云える口調で、淡々と推測のみを述べていく。

 

「我々を油断させるために遣わされた大西洋連邦の間諜(スパイ)──不埒なナチュラル共に洗脳され、コーディネイターを貶めるために造られた地球連合の強化人間……! 初めからそう認知していれば、いったい、誰があのような紛い物を信じたろうか」

「まっ、待ってください、父上」

「私の知っている娘は、とうに失われていたのだろう! ──忌々しき、あの血のバレンタインでな! いま、ステラの形をして動いているアレは、愚かなナチュラル共に、そしてラクス・クラインに踊らされた偽物なのだ!」

 

 それは、パトリックなりに導き出した結論であったのだろう。

 冷静に考えれば、不可解な点はいくつも存在していた。血のバレンタインを切片として、戦争が始まると同時にひょっこりと姿を現した少女。何の因果か、それこそ地球軍が〝G〟兵器を開発していた始まりの地──〝ヘリオポリス〟の中に。そんな彼女はザフトによる〝ディフェンド〟の強奪を阻止し、パイロットとして地球軍艦の戦闘員となり、多くのザフト兵と戦い、しかし、彼女の生存を認めたラウ・ル・クルーゼによって拿捕された。だが、本当はその時点で彼女の素性を疑うべきだったのではないか。

 

(地球軍の人質であったラクス・クラインを渡すために単機でやって来るなど! 捕まえて下さい、と云っているようなものではないか)

 

 あの時点で〝アークエンジェル〟には、ラクス・クラインの身柄を引き渡すことにメリットは存在しなかったというのに。

 いま考えれば、明け透けすぎる罠。

 にも関わらず、パトリックやアスランは拿捕したステラを『生還を果たした実の娘』と信じた。その果てに「ナチュラルに洗脳されていた」という事実に対し、あろうことか同情を働かせてしまった。本来ならば最大限に警戒すべき事実を、彼等はさっぱり等閑視してしまったのだ。

 

 ──なぜか? いや、それは云うまでもない。

 

 それはステラが、彼らにとって『家族』だからだ。

 奇跡的な娘の生還に、喜ばぬ家族がいるのか? 身内に対して甘くなる人間の心理を突く巧妙な罠として、ステラは実際にザフトの懐まで忍び込んだ。ザフトに入隊し、いっとき彼等の信頼を勝ち取る振り(・・)をして──だが〝クレイドル〟という最強のMSを与えられた途端、敵勢力へ寝返り、自分達──他ならぬ『家族』に対して反旗を翻した。

 パトリックは、嘆くように吐き捨てる。

 

「最愛の家族を、平気で裏切る娘とは何だ? 本当に我らを愛しているなら、どうして我らが不利に陥ることをやってのける? ──なぜ我らではなく、クライン風情の味方をする!?」

 

 こうして全てを悟ったとき、パトリックは、とめどない憤怒に駆られた。

 答えは、簡単だ。

 例の紛い物にとって、自分達はもはや『家族』などではない──単なる『敵』でしかなかったのだ。だから容赦なく、自分達を裏切ることが出来たのだ。

 

 ──ならば、こちらも同じように認識するまでだ!

 

 あの娘は、もはや『家族』などではない──単なる『敵』だ。

 無垢で無邪気で、純真だったあの頃の娘は、もう二度と戻っては来ない。

 

「あの娘は既に、死んだものと思え!」

 

 これまで自分達が接して来たものは、ナチュラルによって改造され、改悪された紛い物。敵勢力が造り出した、娘とそっくりの形をした幻影。

 最愛の家族を象り、生来の無邪気な娘との思い出を愚弄する──おぞましきバケモノに、これ以上、事態を引っ掻き回されるわけにはいかない。

 

「子供でも分かる図式だったのだ! 我々は良いように踊らされていた、敵の策略にな!」

「た、確かにステラは我々の許を離れて行ってしまいました……! しかし、だからと云って……!」

 

 アスランは云いながら、父の強引な論理を、反転できる言葉を捜した。

 あとになって思えば、父が次に何を云い出すのか、甚だ嫌な予感がして怯えていたのだろう。

 

「アイツはナチュラルに騙されているだけなんです、本心じゃない!」

 

 だがそれは、結局は感情に身を任せて放たれた言葉だった。

 

「国家機密である〝クレイドル〟を異邦に持ち去った。この時点で〝フリーダム〟と同罪なのだ、何か酌量の余地があるのか?」

「あっ……くッ……!」

「〝フリーダム〟同様、オマエには『〝クレイドル(・・・・・)の撃破(・・・)および(・・・)パイロットの抹殺(・・・・・・・・)』を命じる! ──これは最高評議会議長(わたし)からの勅令だ!」

 

 云われ、アスランは遂に、視界が眩むのを感じた。

 

「で、すが」

 

 相手は、家族の一員なのですよ──

 喉元に突っかかった言葉は、決して声にはならない。

 全てを見通しているからこそ、パトリックは、アスランに言い聞かせる。

 

「そういう身内への甘さが、結果的にこうして我らの首を絞めているのだ。わかるのだよ、アスラン……!」

「え……あ……っ!」

「オマエは賢くなった、私が期待していた通りにな……! ならば判るだろう! アレは既に、我らが愛していたかつての娘ではないことが……! 今のアレは、ナチュラル共に支配された、まったくの別物だということが!」

 

 畳みかけるように紡がれる声に、アスランは混乱した。

 ──ステラは、敵?

 ──アイツは、裏切者……?

 ──アイツは、偽物……?

 久方に再会した、あのときから──?

 

「し、しかしっ……!」

 

 それでも、と、云わずには居られない。

 ──この手で触れて来た感触は、そう、本物だった……!

 再会した時から、アスランはステラのことを偽物だと疑ったことなど一度もなかった。ときおり自分の知らない凶暴な彼女が表に出て、その都度困惑することはあったかも知れないが、そのすべてはナチュラルのせいだと認知していた。

 たしかに、ビクトリアでの戦い以後は、いやに彼女を遠ざけ、素っ気なく接してしまった憶えもある。いま思えば、あのときから彼女にもっと優しく接していれば、こんなことにはならなかったのだろうか? 彼女を孤独にせず、頼れる家族として、ずっと傍にいてやれば──あるいは? 

 ──本当にもう、間に合わないことなのか?

 そこまで考え、いや……と、アスランは胸に決意を抱く。

 ──まだ、きっと、間に合うのではないか。

 そう思ったからこそ、アスランは次の瞬間、口を開いた。真っ直ぐにパトリックを見据えて告げる。

 

「お願いします、父上! オレに、オレにもう一度だけ機会(チャンス)を下さい!」

 

 その言葉を聞き止め、パトリックは間違いなく呆れた顔をアスランに返した。それは一種の失望が混ざったような表情だった。

 鋭い眼で睥睨され、アスランが一瞬、その眼光に怯む。だが、それでも堪え忍び、先を続けた。

 

「オレがアイツを、ステラを説得して見せます! ──〝プラント〟に連れ戻してみせます!」

 

 納得できず、食い下がるアスラン。

 だがパトリックは、厳にして答えた。

 

「──駄目だ! そのような許可は出せん」

 

 拒絶され、いよいよ眩暈がしそうになる。

 だが、アスランはそれでも退かなかった。厳格な一言であしらおうとするパトリックに対し、アスランは見苦しく、それでいて懸命に、食い下がった。

 

 

「──オレが(・・・)医学者になります(・・・・・・・・)!」

 

 

 その瞬間。思いがけない言葉が吐き出され、空気の流れが、ぴたりと止まった。一拍置いて、その意味を掴みかねたのか、流石のパトリックも唖然とした表情を浮かべる。

 医者とは一体、どういう意味だ? そう云わんばかりの──

 それは、アスランが、初めて自分の志を父に打ち明けた瞬間だ。

 父としては、意味不明ではあるにせよ、そのような息子の発言に意表を突かれる形となり、先程と打って代わって真意の説明を求めた。

 

「戦争が終わったら、医療に関する術を学びます。自分にできることを、やります」

「それが、医学だと……?」

「野蛮なナチュラル達が生み出した、強化人間の病気や洗脳や、すべてを取り払えるような……! アイツ(・・・)()人間に戻せるような(・・・・・・・・・)──そういう医学者を(こころざ)します!」

 

 パトリックはそこで、アスランが何を云いたいのかを察した。

 つまりは『自分が医者になるから、彼女を説得する機会をくれ』と──そう云いたいのである。

 地球軍の洗脳を受けた彼女が脅威に見えてしまうなら、その洗脳を除去できる医学者が実在すれば、全ての弊害は消え失せる。

 それはアスランの抱いた、未来に向けた──ひとつの決意であった。 

 

 

 

 

 

 ────本来、何をさせても優秀であるはずの天才、アスラン・ザラはしかし、これと云ってみずからの将来に向けて展望があるわけではなかった。

 パトリックは、そんな息子が蒙昧なままで育って来てしまったことを、みずからの落ち度として語ったこともあるほどだ。だが現実問題、パトリックを始めとする多くの大人に将来を期待されていながら、当のアスランは将来へ向けた積極性に誰よりも欠けていたのだ。そもそも彼が今年になって迎えた十六歳は、すでに〝プラント〟では成人としてみなされ、文官議員であるイザークをはじめ、周りの者はすでに何かしらの職業に立派に着いている者も多いというのに。

 

 ──だが、強いていうならアスランは幼少の頃から、機械を弄るのが好きだったか?

 

 ハロやトリィと云った自作ロボットの数々について、パトリックは友人であり、工学エンジニアでもあるユーリ・アマルフィに話したこともあり、ユーリの方が関心を示してくれていたほどだ。

 いっそのこと、ユーリの所でエンジニアの修行をさせようかとも考えたこともあるのだが、アスランにとって機械工学はあくまでも趣味であり、職業として憧れを持っていたわけでもないらしい。

 

(アスランにとっては、生まれて初めてのことなのではないか? みずからの口から、何かの職業に就きたい、と云い出したのは……?)

 

 語ったのは突拍子もない、医学者としての展望だった。

 父として、パトリックはアスランの言葉を慎重に吟味する義務があった。医学者として要求されるのは、非常に高い水準での知能と知識──レベルが高すぎて、世間一般に「宇宙人」などと大袈裟に評されるほどの頭脳だ。

 

 ──だが、あるいは、アスランならば?

 

 息子の才能に自信と確信を持っているパトリックが、不意にそう感じてしまったのも、また事実だ。

 それは曲がりなりにも、戦争の中で自分の才覚と能力を自覚した、アスランの中に生まれた変化だった。

 

 

 

 

 

 アスランはそうして、父に面と向かって訴えた。

 

「だから、一度でいいんです。オレに機会を下さい……!」

 

 示されたのは嘆願。渋った表情を浮かべるパトリックの中では、今のアスランほど『理想の息子』という表現が当てはまる者はいないだろう。誰よりも優秀で、そんな自身の能力を、父に次いで誰よりも認識している──

 思い描いた通りに育ってくれた、このときの息子の夢を、パトリックは否定できなかった。

 

「ステラの説得に、失敗したときは」

「そのときは────オレが(・・・)撃ちます(・・・・)

「……そうか……」

 

 二言は、ないな?

 確認するパトリックに、アスランは、決意を持って頷いた。

 ふたりの間に、沈黙が流れる。

 目を見合い、互いに心の底を訴え合う。永遠とも一瞬とも取れる時間の後、先に目を逸らしたのは、パトリックの方だった。

 

「……ならば良い、許可しよう」

 

 負けたのは、パトリックの方だった。

 

「数日前のことだ。地上のオーブから宇宙に上がった艦艇が二隻、確認されている。観測隊の話では、その後、それらはL4に向かったものとされているが──」

 

 オーブで目撃したという〝クレイドル〟は、そこに潜伏している可能性が高い。

 パトリックは改めて、アスランの目を見て告げた。

 

「アスラン、おまえには、その追撃の任に当たってもらう……」

 

 その声が震えているように聞こえたのは、気のせいだろうか。

 

「就航を待つ最新鋭艦──〝ジャスティス〟の専用運用艦と、ナスカ級二隻を護衛として手配する。二時間後には、L4に向けて発ってもらうぞ……」

「……ありがとうございます、父上……」

「礼には、及ばん……」

 

 それは、そうだろう。パトリックがアスランに与えた任務は、彼の家族を──娘を、場合によっては抹殺する内容のもの。

 ──動揺を押し殺しているのは、どうやら、父も同じようだ……。

 そう思い、アスランは小さく、哀しい笑みを浮かべた。

 

(どうして、こんなことになってしまうんだ……ッ)

 

 アスランは、ひとり瞑想した。

 ステラが万が一、自分の云うことを聞いてくれなかった場合──〝プラント〟に戻って来てくれなかった場合。

 そのときは『オレが討つ(・・・・・)』────

 この一念に対して、父に誓ったように、アスランに二言は許されない。彼女がテロリストとして〝プラント〟の前に立ちはだかるのなら、自分は、彼女を抹殺するのが使命だ。

 決意は固めた。

 自分が腹に決めた覚悟はもう、揺るぎはしない。たぶん、きっと、恐らくは──。

 

 ──だが、オレは『力』を……!

 ──こんなことをするために『力』を手に入れたわけじゃない……!

 

 その矛盾が、今のアスランを迷わせた。

 妹を守るために手に入れた力──。

 その力で、妹を殺しに向かおうとしている自分が今、ここにいる。

 

 ──オレは、やはりおかしいのだろうか……? 

 ──オレは、間違っているのだろうか……?

 

(戦うことに迷うのは、きっと久しぶりだ)

 

 いつからだろう?

 いつから自分は、何の迷いもなく戦うだけの人間になっていたのだろう? よく思い出せない。

 が、そんなアスランの迷いを断ち切るかのように、パトリックはアスランの肩に手を置いた。それは、ひどく優しい手だった。

 

「……頼むぞ、アスラン……」

「父上……?」

 

 その手の、あまりの優しさに……いや弱さに、アスランは意表を突かれた表情をする。

 パトリックは、視線を落としながら、小さく願うようにして云った。

 

お前まで(・・・・)私の許を離れてくれるな(・・・・・・・・・・・)……」

 

 ハッとして、アスランは父を見返した。

 それはアスランが初めて見るかもしれない──弱気な父の、衰弱した声だった。

 

「もう私には、お前しか居ないのだ……」

 

 このときパトリックは、あるいは、アスランまでもが自分の傍を離れて行ってしまうことを、危惧していたのではないだろうか? そうなってしまうことを、酷く畏れていたのではないだろうか……?

 戦争で、パトリックは妻を殺され、娘を奪われた。

 復讐のため、ようやく手にしたと思った地位──議長の座。戦争を終わらせ、コーディネイターの安寧の未来を築くことが出来ると思った、ほんの矢先のこと。

 現実は、まるでそんな彼を打ちのめすかのように、彼にとって不幸な方向に転落して行った。──アラスカ攻略戦の失敗、〝フリーダム〟の奪取、〝テスタメント〟の強奪、〝クレイドル〟の造反、ビクトリアの陥落──巧妙に逃げ回り、人心を惑わそうとするクライン派の暗躍──それらがパトリック・ザラの忍耐力を揺らし、彼の精神を擦り減らして行った。

 今の彼に頼れるのは信じられるのは、理想の息子に他ならない、アスランしかいなかったのかも知れない。アスランにだけは、自分の傍に残っていて欲しいという──父親となった者であれば誰もが抱く感情を、このときのパトリックもまた、抱いていたのかも知れない。

 

「父上……っ」

「レノアを殺され、ステラはああも変わってしまった──! こんな忌々しい戦争は、今度こそ終わらせねばならんのだ……ッ」

 

 改めて、アスランは実感する。

 そうだ、父はずっと前から、本気で戦争を早期終結させようと、身を粉にして狂奔して来た。

 ──そのために、こんなにも頑張っていらっしゃるではないか……。

 なのに、それを理解しようとしない連中がいる。

 父の努力を嘲るかのように、裏切るような真似をするテロリスト達がいる……!

 アスランは胸の奥に、静かに誓う。

 ──そういう奴等が、父を苦しめているのだ!

 再び自身の中に翳し込んで来た迷いを、断ち切って見せる。

 

(迷いなど────『力』を殺すだけだ)

 

 誰が裏切ろうと、誰が邪魔をしようと。

 

(オレはこの人の──父上の味方だ……)

 

 なぜ、とは聞くまい。答えなど、初めから決まっている。

 自分とこの人は、血の繋がった親子なのだから。

 

 

 

 

 

 

 それから、アスランは出発の準備を整え、〝アプリリウス〟の宇宙船格納デッキに移動した。

 そこには、今か今かと就航を待つ、一隻の新造艦が現存していた。

 淡紅色とも、薄桃色とも取れるボディに、優美な白い翼が印象的な外観をしている宇宙艦だ。両側部には〝ミーティア〟と呼ばれる特殊武装を内蔵し、外観上は、ザフトらしいナスカ級の流れを汲んでいるのか、あちらの無骨な船体を華やかに、そして物柔らかい女性的なデザインに改変したような外貌をしている。

 どうやらこれが、父の云っていた〝ジャスティス〟の専用運用艦だろう。

 

(〝エターナル〟か)

 

 新造艦の名称を呟きながら、アスランは感慨深げに、みずからの乗機──〝ジャスティス〟を、その艦内に移送させた。

 どうにも船内は、核エンジンの整備に必要な専用設備や機材を搭載しているらしく、そういう意味では〝ジャスティス〟の専用運用艦というより、すべての核ジェネレータ搭載機の運用艦、と云った方が適切なのかも知れない。もっとも、現在ザフトの手許に残っている核エンジン搭載機など、それこそ〝ジャスティス〟くらいのものだ。特殊部隊がもう一機の核エンジン搭載機──ZGMF-X11Aとやらを所持しているらしいが、そちらは規格が巨大すぎて、この艦には搭載できないらしい。

 他愛もないことを考えながら、アスランは艦内に降り立つ。

 格納庫がだだっ広い印象を受けるのは、その通りに空間が広いからなのか、それとも、整備士の人間が少ないからなのか。出航前だというのに、嫌に人気が少ない気がした。

 が、アスランはこれと云って気にしなかった。

 キャットウォークの向こう側から、ひとりの男が歩いて来る。顔に痛ましい疵の入った、隻腕の男だ。

 

「ようこそ少年、議長から話は聞いているよ。私はアンドリュー・バルトフェルド──この艦の艦長に新任された者だ、よろしくな」

 

 後末がやや皮肉めいたように聞こえたが、アスランはそんなことが気にならないほど、驚いていた。

 無理もない。目の前に居る男は、元リビア砂漠に駐屯していたザフト地上軍の中でも、名将と名高い人物だったのだから。

 

「『砂漠の虎』……!? あなたが……」

「初めまして、になるな。キミのお父上には生きる場をもう一度与えてもらったクチでね、艦長として、宇宙でも気張らせてもらうとするよ」

 

 生還したという噂は聞いていたが、まさか、そんな大物が〝エターナル〟の艦長を務めていようとは。

 ともあれ、アスランは名高きザフトの名将と共に、これから戦場を駆けられることを誇りに思った。

 下手に新米な人物が艦長だったところで、困るのは、その管轄にあるアスラン自身なのだ。その点『砂漠の虎』と名を馳せたこの男なら──嫌に陽気な口調はともかく──パトリックが見越したように、信頼は置けるはずだ。

 

「……? やけに搭乗員が少ないように見えるのですが、気のせいでしょうか?」

「? この艦は最新鋭艦だが、一方では実験艦としての意味合いも強くってね」

「はあ」

「操艦機構がオートメーション化されている分、少人数での運航が可能になっているんだ」

 

 もっともらしい説明だが、それはアスランが訊ねた質問に対する適切な返答になっているのだろうか?

 不意に思ったが、これと云って不満もなかったため、深くは詮索しなかった。アスランの頭は、これから赴くL4コロニー群でのことで、一杯一杯だったのである。

 

 よって──アスランは、気付かなかったのだろう。

 

 自分が、とんでもない場所にみずから足を踏み入れてしまったことに。

 結論から云えば〝エターナル〟の搭乗員が少ないように見えるのは、アスランの単なる気のせいではなかった。

 実際、降ろされているのだ(・・・・・・・・・)──何人もの、ザフトの正規兵は。

 

 

 

 

 

 時間を少し戻して、それは、アスランが〝エターナル〟に乗船する数十分ほど前のこと。

 クライン派による偽装と護衛を得て、目立つ桃色の髪を隠したラクスが、先に、この艦を訪れていた。

 

「──アスランが?」

 

 パトリック・ザラから直々に、この〝エターナル〟の就航命令が下された。

 そのときラクスは、この艦にアスランが乗船することを知った。

 ダコスタが説明する。

 

「ザラ議長の密命を受け、L4へ向かったオーブ艦の行方を追跡するようです。我々もL4に向かうため好都合ですが、彼は……果たして信用できますか?」

 

 そう、ラクス達もまた、この〝エターナル〟を強奪し、L4に向かったオーブの二隻と合流する算段であったのである。

 だが、その艦にアスランが搭乗するとなると、当然、ラクスは真っ先に身を隠す必要がある。アスランが彼女と志を同じくしている人物であるのなら、隠れる必要もないだろうが──

 

「──ザラ議長の命令を受けて(・・・・・・・・・・・)、ですか……」

 

 最大限に懸念すべき問題は、そこにある。

 仮にアスランがパトリックの信任を得ている人材とするならば、いくらラクスという元婚約者でも、彼がこれに気を許すとは思えない。何より、ラクスは現在、真っ向からパトリック・ザラと対立している立場にあるのだから。

 

「念のため、ラクス様はL4に到着するまで姿をお隠しになられていた方が良いかと思われます。いくら婚約者とは云え……彼はパトリックの息子です。彼が〝ジャスティス〟で艦を出撃してから、すべてを明かしましょう」

「なんだか、アスランに申し訳ないですわね……」

「生き残るためです。あなたは、こんな所で捕まっていい御方じゃないんです」

 

 幸い、この艦は〝ジャスティス〟しか搭載しないため、このさき〝エターナル〟艦内において、異分子はアスランひとりでしかないのだ。

 当然、新造艦である〝エターナル〟の護衛には、ザラの息がかかったナスカ級二隻が随伴するが、そちらはなんとか振り切ることが出来るだろう。

 そんな時、アンドリュー・バルトフェルドがやって来た。ラクスはその姿を認め、小さく微笑んだ。傍らに居たダコスタが口を開く。

 

「首尾の方は?」

 

 男は、飄々とした口調で返した。

 

「ああ、『最終準備』の内容が分からないようなニブい子達には、わるいが艦を降りて貰ったよ? こちとら過酷な旅(・・・・)に出ようとしてるんでねぇ、物分かりのわるい連中を乗せておくほどの余裕は、僕等にはないだろう?」

 

 冗談ぽく紡がれた表現に、ラクスは小さく笑う。

 

「降りてった子達は、今頃、僕が就航記念に奢ったモカでぐっすり(・・・・・・・)さ。二時間は目を覚まさないよ」

 

 こうして新造艦〝エターナル〟は──アスラン・ザラを除く──クライン派の手によって占拠された。

 

 

 

 

 

 何も知らないアスランは、これから起こる未来に向けて僅かな希望を馳せ、この最新鋭艦──〝エターナル〟出航の瞬間を待っていた。

 ────そのときは、想像より早くやって来た。

 予定より数分早かったが、まるで何かに急いたかのように、艦橋ではバルトフェルドが声を発した。

 

〈では本艦は、これよりL4へ出航する。──準備はいいかなぁ?〉

 

 最後の陽気な一言は余計だ、とは、搭乗員の誰もが思ったことであろう。

 すると、格納デッキのメインゲートが開き、艦船前方に、星々の海が露になった。司令部が〝エターナル〟の出向を認めたのだろう。

 駆動音が高まり、噴射口から、一応にガスが噴き出し始めた。

 

〈〝エターナル〟──発進する!〉

 

 揚々とした号令と共に、艦に強い加速がかかり、淡紅色の戦艦は、一気に宇宙空間へと飛び出して行った。

 向かうのは、L4──

 オーブから飛び立った〝アークエンジェル〟と〝クサナギ〟が向かった、廃棄コロニー群である。

 

 

 

 

 

 L4宙域は、地球を回る軌道上で、月を挟んで〝プラント〟の対極に位置している。

 そのため〝アプリリウス・ワン〟から目的地までへの到着には相応の時間を要し、それも、数十分という僅かな時間で辿り着けるようなポイントではなかった。

 おおまかに考えても、二時間程度はかかる計算だ。

 が、その内の四〇分もの間、アスランはひとり、パイロットアラートの中でうずうずと歩き回っていた。何をしているわけでもない、表記した通り、ただ歩き回っているのだ──同じ場所を、何度でも。

 仮にもこの場に、誰かしらの同席者がいれば「いい加減に落ち着きなよ」と二〇分を超えた辺りで制止の声のひとつでも流石に掛けてくれるのだろうが、現在、この艦にモビルスーツパイロットはアスランしか搭乗しておらず、必然的に彼を止める人間はいないし、アラートに入って来るような人物もいなかった。唯一、この場に縁のありそうな『砂漠の虎』だが、彼はいまは艦長なのだ、こんな場所に入って来られるはずもない。

 

 アラートの中には、せいぜいドリンクの自販機しか設備されておらず、誰がどう見ても、退屈で億劫な場所である。

 

 かれこれ、アスランは四〇分もの時間をここで費やしているが、そんな彼の状態を一言で云えば、とにかく落ち着きがない。ビクトリアから最近にかけては、特に冷静、時には冷酷だった彼は、戦地であれば一時間どころか、十時間でも隠密に待機していられるだけの忍耐力を持ち合わせているはずだった。そういった軍事教育も、アカデミーを首席にて卒業した彼は、充分に受けているはずだった。どんなにアスランを嫌っている者でも、たとえイザークであっても、彼に対してせっかちな奴だとか、落ち着きがないなどと云う陰口は叩いたことがなかったほどだ。

 が、そんなアスラン・ザラが、何と云うわけでもなく同じ場所をぐるぐると歩き回り、これほどまでに焦心しているとは、相当なストレスに精神が侵されている証拠なのだろう。

 ……だからだろうか? アスランは〝エターナル〟の総搭乗員数が少ないという、冷静に考えれば致命的な違和感にも気を立てることはなかったし、この〝エターナル〟が、後方に後続する護衛艦──ナスカ級の二隻から、妙に距離を取って航行していても、〝エターナル〟の足は速いのだな、という程度にしか考えなかった。

 

 が、ストレスに侵されても無理はない──。

 事情を知った者は恐らく、口を揃えて、そう云うことになるのだろう。彼が目指す先には妹がいて、アスランは彼女を、万が一にも抹殺しなければならないのだ。

 何を云おうか、どう説得しようか──と妹の前では本人も驚くほど急に口下手になるアスランは、この時間をずっと考え回っていた。仮にも、ステラの説得に失敗すれば、自分は彼女に銃を向けねばならないのだ、誰だって必死にもなるだろう。

 

『もう私には、お前しか居ない(・・・)のだ……』

 

 今もまだ、父の痛ましい声が脳裏に焼き付いている。

 そう──自分は決して、父を裏切るわけには行かない。

 最後に頼られた自分が裏切れば、父がどれほど悲しむだろうか? どれだけ傷つくだろうか? そう思うと忍びなくて、アスランは気が気ではなかった。

 

 ──本当はステラに銃を向けたくなどない……!

 ──だが、戦わなければ、父上に申し訳が立たないじゃないか……!

 

 なぜ、どうして。こんなことになってしまったのだろう?

 ステラもパトリックも、アスランにとっては等しく、大切な『家族』なのに。

 

 ──なのに何故、どちらかを選択しなければならない……?

 

 彼を襲ったのは、払っても払っても消えない、執拗な迷いだった。

 父か、それとも、妹か。

 余人には計り知れないストレスの板挟みに合いながら、冷静なはずのアスランはこのとき、明らかに失調していた。

 

「ステラ────っ」

 

 ──俺が手を伸ばせば、お前はいったい、どんな対応をするんだ……?

 凄まじい不安に駆られながら、アスランはそのまま、L4を目指した。 

 

 

 


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