~夢見る少女の転生録~   作:樹霜師走

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 いよいよ無印終盤。
 第四章、スタートです。




第四篇
『強さの意味を、知りたくて』A


 

 マユ・アスカは、オーブに暮らしていたコーディネイターである。

 年齢は十二歳。一般的な庶民家庭に生まれ、裕福ではないにせよ、これと云った不自由のない家庭環境で育った。家族構成は、父、母のほか、年のふたつ離れた兄がいる。

 彼女の両親は、諸侯国で誕生した第一世代コーディネイターだ。世界中で高まりつつあった戦争の機運が嫌気が差した彼らは、ナチュラルとコーディネイターを差別化しないオーブへと楽園を求め、こうして移住生活を送ることを選んだのだ。

 オーブでの日々は穏やかだった。数日前に、地球軍が攻め込んで来るまでは──

 

「────」

 

 霞んだ視界が開け、マユ・アスカは、朧気に目を覚ました。知らない天井が目に映る。

 ──ここは、どこ……?

 声は……出なかった。喉が潰れているわけではなく、全身にまとわりついた倦怠感が彼女にそれを許さなかった。脊髄を始めとする心身のあちこちが、大脳と違ってまだ休眠状態にあるのだろう──微かな意識だけが回復した彼女は、とてもみずからの身体を起き上がらせることができないでいる。

 ──空、は……?

 マユは、自分が何を考えているのかが分からなかった。だが、此処に至るまでに残った彼女の最後の記憶は、空が──『黒い空』が自分の頭上に落ちて来た記憶だ。蒼穹の代わりに暗黒に染まった『空』が、だんだんと自分の視界に大きくなって来て──そして。

 

 ──生きてる……。

 ──わたし、生きてる……?

 

 うつらうつらと、顔を傾ける。医療ベッドの上に眠った自分の傍らに、オーブの制服の上に白衣を着用したひとりの女医が座っている。デスクの上でカルテか何かを見ているのか、その横顔は真剣だ。そのためか、目を覚ましたこちらに気付いた様子はない。

 それは、オーブ所属の軍医だ。きっと、自分を助けてくれたのだろう。

 ──お母さんはお父さんは……お兄ちゃんは……。

 心配なことは数多くあった。が、彼女はまず、自分が生きている、ということに安心感と幸福感を憶えてしまったのだろう。ほっとした温かな気持ちが胸の中に溢れると、彼女はふたたび、抗えない睡魔に支配された。

 

 ──生きているなら、まだ、明日がある……。

 

 それが、どれほどの幸福か。幸せの価値を感じながら、彼女はふたたび目を瞑り、まどろみの中に落ちて行った。

 それはオーブの棄民────マユ・アスカが、意識を取り戻した瞬間だった。 

 

 

 

 

 

 

『〝クサナギ〟も〝アークエンジェル〟も当面物資に不安はないが、無限ではない。特に水は、すぐに問題になる』

 

 レドニル・キサカの指摘を受け、宇宙に上がった〝アークエンジェル〟と〝クサナギ〟は、L4宙域航路への指針を取っていた。

 L4に位置するコロニー群は、開戦の頃から破損し、続々と破棄されているものが多い。したがって、今となっては宇宙軍の手が殆んど及ばない閑散宙域となっており、当面の水不足を賄うためには格好の場所と云えた。中でも稼働しているコロニーはいくつか点在するようで、実際、地球連合軍と〝プラント〟間の戦争に辟易した者達が共存するコロニーも存在しているとの噂だ。自給自足を貫ける住処としては、充分な環境を持ち合わせていると云える。

 

 彼らはそうしてL4宙域に向かい、繋留地として、ひとまず無人のコロニー〝メンデル〟を定めた。

 

 コロニー〝メンデル〟──

 その正体は、遺伝子研究者が『禁断の聖域』とも呼び習わした聖地である。が、結局のところ〝メンデル〟を繋留地に選んだマリュー達は、おおかた「かつてバイオハザードを引き起こして破棄されたコロニー」という程度にしか認知していなかったのではないだろうか?

 停泊し、二隻が様々な準備を整えている内に、日付が変わった。ステラは〝アークエンジェル〟居住区の自室で、深い眠りに就いていた。目を覚ましたのは翌朝──正確には日を跨いでから数時間後に、ルームマイクから、友人の声が聞こえたときだった。

 

〈ステラ、起きてる? 朝早いけど、起きる時間だよ〉

 

 云いながら、ミリアリアは自分が妙なことを云っている、と思った。四方を暗礁と深淵に包まれた宇宙空間では、朝という時間を視覚的に認知することが出来ない。──でも、他にどういえばいいんだろう? どうにも適切な表現に困ったらしいが、咄嗟に出てしまったものは仕方がない。

 ミリアリアの一言が、枕元の音声機から響き、ベッドの上で眠っていたステラは目を覚ました。まだ重たい眸を空け、うとうと、とした様子で顔を上げた。

 

「……?」

 

 ステラはそこで、自分が布団もかけずに熟睡していたことに気が付いた。どうやら昨夜にかけて〝クサナギ〟のドッキング作業など、もろもろの準備を手伝っていたため、部屋に戻るなり倒れ込むように眠ってしまったらしい。

 しかし、それも無理もないことだった。そもそも彼女は〝アプリリウス・ワン〟を出発してからこっち、まともに休息した憶えがない。ラクスとの邂逅、〝リジェネレイト〟との戦闘、大気圏への降下、〝フリーダム〟との邂逅、キラとの痴話……いや重大な喧嘩、第三波にも及ぶオーブ防衛戦──

 

 ──ほんのちょっとの間なのに、色んなことがあった。

 

 床に足を下ろし、ステラはサイドテーブルの蛍光灯まで手を伸ばす。電灯をオンにすれば、薄暗い部屋の中、ほとんど半裸の自分の姿が等身大鏡に浮かび上がった。少女っぽい純白のスリップの上、ボタンのはだけた薄紅色の軍服をジャケットであるかのように羽織っている。

 一言で云えば、無防備な恰好だった。いくら疲れが堪ってたとは云え、制服を羽織ったままで眠ってしまうとは彼女も思わなかったのだろう。いけないなぁと考えつつ、うとうと立ち上がる。

 覚束無い足取りで歩を進め、ミリアリアが待っているであろうドアのロックを開錠した。ウィン、と音をたて、自動開閉式のドアが開く。部屋の外にはミリアリアが──そして、彼女の後ろにはキラとトールも立っていた。彼らは三人組だった。

 

「!?」

 

 キラとトールは、ドアから出て来たステラの半裸姿に、飛び跳ねた。

 ──起こしに来てくれたんだ……? まだ眠そうなステラは、片目を擦りながら、うっとりとしてキラとトールの姿を認める。

 が、彼らはそのまま凄い勢いでそっぽを向いてしまった。そのふたつの横顔は忽ちに真っ赤に紅潮していき、ステラは意味が分からなかった。

 

「ちょ……ッ!」

 

 一拍遅れて、ミリアリアが声を上げる。

 後方の二名をギロッ! と睥睨し、ふたりがそっぽを向いているのを確認すると、たった今部屋から出て来たステラの肩を掴み、その身体を室内に押し戻した。そしてまた、ウィン、とドアが閉まる。

 

「……ミリアリア?」

 

 きょろりと見上げて来る双眸は、たった今、自分がどれだけの邪心を男達の中に植え付けたのか微塵にも自覚がないらしい。ミリアリアは詰め寄って、そんな彼女を思わず叱咤していた。

 

「だ、だめじゃないステラ、そんな恰好で出て来ちゃ!」

「……え? でも起きる時間って」

 

 寝乱れた姿の少女は、どうやら、ミリアリアの起床を求めた声にひたすら純朴に答えたかっただけのようだ。

 あまりの純粋っぷりに、ミリアリアは、うっ、と声を漏らして怯む。

 が、すぐに少女の寝癖を整えてやり、

 

「いいから、部屋から出る時は、まず着替えるの! あなたは女の子なんだから!」

 

 そしていい? 男はみんな野獣なの!

 云われたステラは、いまいち意味が分かっていない様子だったが、云われたことにはこくり、と頷いて見せた。てくてくと踵を返すと、改めて正装に着替え始めた。見届けながらミリアリアは、もう、とばかりに額に手を当てていた。

 ──まさか、こんな格好で部屋の外に出て来るなんて……。

 いや、確かにルームカムを鳴らしたのはミリアリアで、ステラも他に同伴者がいるなんて想像してなかったかも知れない。でも、それにしたってアウターの下に下着姿で出て来るなんて、根本的な貞操観念に欠けてない?

 

(この子は、そそっかしいわ……)

 

 まるで母親のように、思う。

 ミリアリアはそのとき、そっと胸にひとつの決意をした。

 

 

 

 

 

 部屋の外で待機していたキラとトールは、顔の熱が引くのを待ちながら、互いに沈黙を貫いていた。

 ──まさか、朝一にあんなもの(・・・・・)を見てしまうとは……。

 決して今に始まったことではないが、ステラには、いつも驚かされる。そんなときキラは、傍らのトールがひどく意地の悪い顔を浮かべているのに気付いてしまった。ニヤニヤと口元を緩ませながらこちらを向いて来るので、触らぬ神に祟りなし、と自分に云い聞かせ、キラは、あえてトールを無視するように顔を背けた。

 

「なあ」

 

 が、こっちを向いてくれないことに痺れを切らしたのか、遂にはトールの方から声を掛けて来た。キラは畜生、と思いながらも、そんなトールから逃れることは許されなかった。なぜなら彼らは親友だった。──親友って何だろう?

 

「キラってさ」

 

 そんなトールに、何を問われるかまでは分からなかったが、どうせ碌でもないことだろうという確信はあった。キラは観念したように、トールの方を向く。なに、と云わんばかりの憮然とした顔をできるだけ装っていたのだが、

 

「ステラと一緒に風呂とか入ったことあんの」

「ぶふっ」

 

 そして、やっぱり碌でもないことだった。トールは、思ったことは口にするタイプだった。キラは噎せ返り、一気に噴き出した。

 

「な、んで」

「いや、ステラってなんか……ああいうところ抜けてる、っていうか、ぜんぜん気にしない所がある、っていうか」

「ゲホッ、ゴホッ」

「も、勿論、小さい頃の話だぜ!? でもホラ、気になったんだよ!」

 

 トールはひとり、納得したように頷いている。

 

「四歳の頃からの幼馴染みなら、いくらキラがヘタレ……奥手だろうと、そりゃあ一回くらいは」

「いま何て言おうとしたの、ねえ」

 

 ただ咽ているのか、咳払いなのかもわからないような、雑な咳を吐き出した後、キラは呆れるようにトールを睨んだ。

 

「いやでもさ。ステラが今もあの調子なら、今だって誘えば一緒に入れるかも──」

「──入れませんッ」

 

 声を発したのは、ミリアリアだった。

 部屋のドアが開き、彼女は外の──自分達の──会話をしっかり聞いていたのだろう、その声には凄まじい怒気が混じっている。主にトールに対しての。

 見れば、彼女の後に続いているステラは、すっかりいつもの服装に戻っていた。あ……と尾を引くような、惜しむ声が思わず漏れかけたが、漏らした瞬間にミリアリアに殴られそうな気がしたので、慌てて口元を引き締めた。ミリアリアは激したように云う。

 

「──今後! この子のそういう方面の教育は私が担当することになりましたので、そこのところ、お二人はちゃあんとご理解くださいっ」

 

 ヘンなこと考えたって、ぜったい阻止してやるんだからね。

 付け足された言葉には、溢れ出る女子としての軽蔑が混じっていた。トールは胡乱げに問う。

 

「誰が決めたの?」

「わたしよ!」

 

 ええっ、とトールは悲鳴を挙げた。

 あまり正直なのもどうか、とキラは思った。

 

「いやけどさ、ミリィにも──いや、ミリィなら、わかるだろ……?」

 

 トールは急に真剣な顔つきになって、まるで開祖にでもなったかのような口調で大らかに説く。

 ミリアリアの心の底から呆れたジト目に気付いていないのだろう、哀れだ。

 

「俺とキラは、いつまでもステラには純粋でいて欲しいなあ、と思ってるわけでさ──」

「ちょっ、トール、僕まで巻き込まないで──」

 

 キラは慌てて抗議したが、肝心の声は小さかった。

 それは、なまじトールの意見に賛同している証拠かも知れなかった。

 

「女の子の〝ありのまま〟を受け入れてあげることも、男としては、大事なことだと思うんだよな……!?」

 

 それはとても良い言葉であり、もっともらしく聞こえたのだが、そういう綺麗な言葉は、もっと大切な場面に取っておくべきだと思う。

 トールってこういうとき、大概に損をしているよな、とキラは感じた。

 

「ステラには余計なことは教えない方がいいよ──そう! ステラは、いつまでも純粋なままでいてくれた方が絶対に」

「イチバン不純なこと考えてるヤツが、なぁに偉そうに云ってんだか」

 

 男ってやっぱサイテー。

 冷徹に吐き捨てると、ミリアリアはぷんすかと音が立ってそうな足取りで、ずかずかと歩いて行ってしまった。

 

「あっ、ミリィ!」

 

 開祖から一転、彼女を入信させることに失敗したトールは、浮気がばれて弁明する夫のように、情けない動作でその後を追って行った。

 場に取り残され、事態を呑み込めていないステラが、キラに問う。

 

「──お風呂、一緒に入りたいの?」

「──いや、いいよ……いいんだよ、ステラ」

 

 

 

 

 

 

 それから、ステラには〝クサナギ〟内のコンテナの積み下ろし作業が任されていた。

 オーブから飛び立って来た〝クサナギ〟は、本来の就航予定日よりも早い出航を迎えることになったためか、本調子とは云えない状態にあった。情報処理能力に長けたキラは、艦橋での調整作業に追われており、午前中のステラは、格納庫での仕事が宛てられた。

 午後にはそんな彼等と持ち場を交代する予定だが、格納庫の中には、ムウの乗る〝イージス〟や、他にも稼働しているM1〝アストレイ〟が数機として確認できる。

 

〈少佐! そんなことはわたし達がやりますっ〉

 

 通信機から、快活なアサギの声が聞こえる。彼女にとってムウは『〝エンデュミオン〟の鷹』であり、雑用を任せられる人物ではないのだろう。が、ムウの方はのんびりと返す。

 

〈いいんだよ、これも訓練のひとつってね。──きみ達だって、宇宙でのシミューレション経験はあるんだろ?〉

「そうよ」

 

 そこに、マリューが割り込んでやる。

 

「モビルスーツの操縦にかけては、あなた達の方がずぅっと先輩なんだから、うーんとコキ使ってやればいいのよ」

 

 取り付く余地のないきつい言葉に、ムウは尻込みした。

 

〈あ、あの、艦長さん……。まさか、まだ根に持っていらっしゃるんで?〉

「なんのことか 大概 心当たりがありませんわ」

 

 云うと、ぷつり、としてマリューからの通信が切断される。

 ──切れちまった……。

 ふたつの意味で突っ込みながら、ムウはやれやれと云わんばかりに呟く。

 

〈くう、モテる男はつらいのね〉

〈自分で云わないでください、そーゆーこと〉

 

 釘を刺したアサギは、冷めたジト目を浮かべていた。

 その傍らには、コンテナを抱えた〝クレイドル〟の姿もあり、作業中のステラにもまた、他のM1からの声が掛かった。ジュリ・ウー・ニェンである。

 

〈──あなたも無理しなくっていいのよ、わたしが代わってあげるからっ。昨日からずっと作業で、疲れてるでしょう?〉

 

 いざという時、それは自分よりも〝クレイドル〟の方が遥かに戦力になる、という気遣いから放たれた言葉であった。

 共有した話では、このステラという少女は、宇宙戦においても比類ない戦闘力と気転を持っているらしい。デブリを加速のための足場に利用するなど──それは彼女がかつての搭乗機の特性から身に着けた技術であったが──おおよそ、ルーキーであるM1隊に真似できるような御業ではない。

 が、ステラの返答を待たずして、その対岸からもう一機のM1が寄って来た。その機体は、コンテナを抱える〝クレイドル〟に肩を置いた。マユラ・ラバッツである。

 

〈ねえねえっ、あのキラっていう男のコ、あなたの彼氏なのっ?〉

〈カレ、シ……?〉

 

 それはステラが、初めて耳にする単語だった。

 ジュリが呆れたように云う。

 

〈もぉマユラ! いまは作業中よ、公私混同も甚だしいわよーっ〉

〈あんっ、いいじゃないの~。あんたは彼氏がいるんだから!〉

〈そ、そんなんじゃないけどっ!〉

 

 どうなの、どうなの。

 期待して訊ねて来るマユラに、ステラは対応が困る。

 

〈あの繊細な顔立ちとか、守ってあげたくなるような感じとか~! 結構わたしの好みかも~〉

〈もう、マユラの悪い癖が……〉

〈ね、ね? 要らないんなら譲ってよお〉

 

 キラは物じゃない、という突っ込みが頭に浮かんだが、いったいマユラは、男をどういう目で見ているのだろう、とジュリは思った。

 ステラは、彼氏と云う意味は分からなかったが、ステラなりに云えることを云った。

 

〈……でもキラは、なんか、けっこう頼りないから──ちゃんと守ってあげられる人じゃなきゃ、認めない──〉

 

 それは、弟を狙う女の子に対して、姉貴が云うような台詞だった。

 マユラの云った「守ってあげたくなる感じ」という評価に対しては、ステラも、確かに賛同できる。キラはときおり危なかしくて、実際、ステラが今まで何度も助けて守って来て──逆に守られたこともあるけれど──そんなキラを守れるのは、あるいは今は自分だけだ、という自惚れではない感覚が彼女に内在しているのもまた事実だった。実際そこには、ルーキーに過ぎない今のマユラでは〝フリーダム〟を守ることが出来ないという、私情を抜いた冷静な判断も相まっている。

 云われたマユラは、打ちひしがれたような悲鳴を挙げた。

 

〈あ~んっ。じゃ、もっといっぱい訓練して、強くなってやるんだからー!〉

 

 云いながら、あくせくと作業に戻って行くマユラ機を、ジュリは笑って見送った。

 動機は不純だが、結果的にそれが彼女の努力に──強さに繋がるなら、それは良いことではないだろうか? ジュリは思わず感嘆の声を漏らした。

 

〈上手なのね──〉

〈えっ?〉

〈……ううん、何でもないわ〉

 

 そうして少女達は、午前の作業を終えた。

 

 

 

 

 

 作業を終え、パイロット控室に上がったステラは、そこで、当番を交代するキラと出会った。

 

「おつかれさま、疲れてない?」

「だいじょうぶ」

 

 キラは薄く笑うと、そのとき同室のドアが開き、カガリ・ユラ・アスハ──というらしい──が入室して来た。

 

「キラ……」

 

 漂うような憂いを帯びた表情は、とても深刻そうだ。

 カガリはキラの傍までやって来ると、硬い声で彼を呼ぶ。

 

「ちょっと、いいか……?」

「あ、うん? いいけど……」

 

 躊躇いがちな声に、ステラはなんだか、重たいものを直感した。

 ステラはキラとすれ違うようにして、

 

「じゃ、いくね」

 

 とだけ残して、気を利かせて部屋の出口に足を向けた。キラは戸惑いがちに、うん、とだけ返すと、ステラはそのまま慣性に従って控室の出口へ向かった。

 が、それでも少し気になったので、ステラはちらりとキラ達の方に視線を向けた。すると、視線の先のカガリは一枚の写真を取り出し、キラに何かを打ち明けている風であった。女性と、その腕に抱かれた双子の赤子の写真だ。カガリがキラに持ちかけた話というのは、どうやらその写真が一枚噛んでいるらしい。

 

(──写真……?)

 

 退室したステラは、その言葉に思う所があるようで、彼女もまた自身の胸ポケットから一枚の写真を取り出した。精悍な体格の男性と、そっくりな容貌をした少年が手を繋いでいる写真だ。

 と──そこへ、その写真を目撃した当の人物が通りかかった。ステラと同じように午前の当番を終えた、ムウ・ラ・フラガである。

 

「──ちょうど良かった。その写真のこと、ちょっと訊きたかったんだ」

 

 思えば、この写真について詳しく話す前に、ステラはオーブからの離脱作戦に向かってしまった。

 ムウは改めて話がしたかったようで、まるでカガリと同じように──それでいてムウにしては珍しい──深刻な顔つきで寄って来た。

 

「それなんだが……。いったい、どこで?」

「貰ったんだよ、ザフトに居たときに。ラウ・ル・クルーゼって、ザフトの人に」

 

 そのときムウの顔色が変わったように見えたのは、気のせいだったろうか。

 ステラは、出来るだけ相手にちゃんと伝わるよう、頑張って口数を増やした。

 

「大切にしてた写真なんだって、ラウは云ってた。この写真はね、ラウが、アル・ダ・フラガって人と一緒に映ってる写真、で」

 

 云いながらステラは、自分がいま何を口走ったのか、反芻してしまった。

 

「──フラガ(・・・)?」

 

 確かめるように、目の前に立つまったく同じ姓をした男を見上げる。

 ムウは気まずそうに、だが、重たい声音で呟いた。

 

「ああ。アル・ダ・フラガは──その写真に写っている男は、おれの親父だよ」

「え……!?」

「だが、なぜアイツと、親父が……ッ?」

 

 写真の中の親子──だろうか?──は、非常に仲睦ましげな瞬間の様子をシャッターを切られている。といっても、手を繋ぐなど初めから互いの信頼関係がなければ成り立たない行為だが、ムウが気に掛かっているのは、それよりもっと記憶の奥深い所にある記憶ゆえだ。

 写真の中の少年は、ステラの話では、恐らくラウ・ル・クルーゼその人だろう。見た限り、おおよそ少年期の頃に見えるが、それは、他ならぬムウ自身が父に育児放棄されていた時期と的確に重なる齢付近でもあった。少年期のムウは、ある日を境に父からの愛情を一切として受けなくなり、そして、ある日を境に再び寵愛を受けることになった。まるで何事もなかったかのように。

 ──そのことと、何か関係があるのか……?

 感傷に浸るムウを現実に呼び覚ましたのは、ステラの声だった。

 

「お父さんにも等しい人だったって、云ってた、よ」

「…………」

「それで、ぜんぶ」

「そうか……」

 

 ムウは不完全燃焼を起こしながらも、だが、すぐにいつもの彼らしい振る舞いを取り戻した。

 うだうだ考えたところでしょうがない、とでも考えたのだろう。 

 

「ありがとな、話、聞かせてくれて」

「うん……」

 

 そう云って、踵を返して遠ざかってゆくムウを、ステラは首を傾げながら見送った。

 ──ラウとムウが似ていると感じるのは、何か原因があるんだろうか……?

 漠然とそんなことを考えるが、しかし、彼女は忙しい身分だった。ムウと入れ替わるようにして、今度はニコルが向こう側からやって来たのである。

 

「マユさんが目を覚ましました、医務室に」

「…………! わかった」

 

 そうして彼女は──〝クサナギ〟の医務室へと向かった。

 

 

 

 

 本国からの指令を受けて〝アプリリウス・ワン〟を出航した〝エターナル〟──ならびにナスカ級〝ヘルダーリン〟〝ボイジンガー〟二隻は、予定よりも少し早くL4宙域の界隈に差し掛かっていた。もっとも、それは〝エターナル〟の船足が速かったことに起因するのだが、作戦をこなす上では弊害とはなり得ないだろう。

 

〈……静かだな〉

 

 通信機から、バルトフェルドの声が聞こえる。

 既にアスランは〝ジャスティス〟のコックピット内で、発進待機の状態にあった。オーブ所属艦二隻の潜伏先として、パトリックはこのL4宙域を目星として付けた訳だが、それと云っても、明確な確証があるわけではなかった。あくまで観測隊が予測した経路から割り出した座標であり、結局は、正確な敵の位置など判るはずもない。

 つまりL4宙域に侵入してからは、索敵作業は最終的に、彼等自身で手探りで行う必要があったのだ。

 

〈ホントのホントに、こんなところに連中が居るのかねぇ? おじさん不安になって来ちゃったよ──もう後戻りは出来ないってのに〉

 

 どこか含みのある云い方だが、作戦の失敗は絶対に許されない、という意味だろう。

 名将らしい職業意識の高さだ。アスランは心中で感服するが、察し物の『砂漠の虎』も慣れない宇宙空間で気が滅入っているのか、いささか後ろ向きな発言を溢していた。その言葉の本当の意味を知らないアスランは、部下として、バルトフェルドを励ますような声をかけた。

 

「L4には、まだ稼働しているコロニーがいくつかあります。だいぶ前ですが、不審な一団がここを根城にしているという情報があって、宇宙軍は調査したことあるんです」

 

 駐屯部隊として、ずっと地上(リビア)に滞在していた艦長では、御存知なくても仕方ありませんよ。

 アスランの言葉は、軍人として優しかった。

 

「住人は既にいませんが、設備だけが生きているコロニーもまだ多くあるはずだ。テロリストが根城にするには、格好の餌場であると自分は考えます」

〈そりゃあ、心強い情報だ。そんな風に裏付けながら云って貰えると、ますます希望が持てるよ〉

 

 バルトフェルドは、感嘆した。

 

〈なかなかどうして、きみはその年でちゃんとした軍人をやっている(・・・・・・・・)ね、よくモノを知っている〉

「いえ……」

〈優秀な部下を持てて、ボクは幸せ者だよ。ザラ議長閣下も鼻が高かろう〉

 

 何か思案するような沈黙の後、バルトフェルドは云った。

 

〈だが、要するにボクらはその『稼働しているコロニー』とやらを(しらみ)潰しに調査して行く他ないな〉

 

 結論に至るのは案外、早かった。

 結局、ここから先は手探りなのだ。仕方がない。バルトフェルドは旗艦〝エターナル〟の艦長として、随伴する〝ヘルダーリン〟と〝ボイジンガー〟に通信回線を開いた。

 

〈あー、では本艦隊はこれより、現L4宙域に潜伏中とされる、テロリスト船団の捜索任務に移行する〉

 

 その指示に対し、随伴艦からの異論はない。

 が、バルトフェルドはその先を続けた。

 

〈──なお? 旗艦である本艦(エターナル)は高速巡航艦であるため、ナスカ級とは別行動とさせて貰うよ〉

 

 たしかに、在来MSの機動力を超越している〝ジャスティス〟等の最新鋭機の専用母艦として、〝エターナル〟はこれまで最高速力を持っていたナスカ級戦艦すらも凌駕する速力を持っている。

 逆を云えば、在来の戦艦と連帯行動を取る限りは、どうしても速力において突出しがちになる、ということだ。ゆえに〝エターナル〟は、ここからはあえて単独行動をしようという。もっともらしく聞こえるが、しかし、それは本当に的確な判断なのだろうか? 当然、そうして疑問に思う者が〝ヘルダーリン〟の中にいたようで、その艦長が抗議の声を挙げた。

 が、バルトフェルドはのんびりと続ける、

 

〈本艦は〝ジャスティス〟を護衛に就けている。──問題はない〉

 

 たしかに、アスラン・ザラが操る〝ジャスティス〟は、パイロットの華々しいまでの多大なる戦功とその絶対的な強さがザフト軍の中で独り歩きして、かたや「勝利の代名詞」として謳われる伝説的存在となりつつある。

 地上におけるパナマ侵攻戦では、地球軍が開発した新兵器〝エクソリア〟をたったひとりで撃破し、その直掩機である〝ネメシスダガー〟を撃滅し、作戦を勝利に導いた。パイロットであるアスランは〝イージス〟を犠牲に〝ストライク〟の不敗神話に終止符を打った英雄であり、最高評議会議長パトリック・ザラの息子。疑う余地のない猛勇と、輝かしいまでの功績によって、その名は宇宙軍である〝ヘルダーリン〟〝ボイジンガー〟の中にもあまねく浸透していた。

 そのような〝赤色の英雄〟を──単機ではあるにせよ──〝エターナル〟は当艦の護衛に就けると云っているのだ。それだけでは心許ない、と思う者もいるだろうが、それは彼の実績と猛勇を知らない部外者が吐く言葉である。

 

〈では、後で落ち合おう。──念のため、キミにも出撃して貰おうかな?〉

 

 アスランは云われ、俯いていた顔を上げた。

 

〈索敵範囲を広げる。きみは出撃後、周囲になにか異変があったら知らせてくれ〉

 

 いくら〝エターナル〟といえど、単独で索敵を行うにも限界はある。

 その点、核ジェネレータで動く〝ジャスティス〟は、もはや機体のバッテリーを気にする必要がない。半永久的なスタンドアローンが実現になっている以上、いつまでも艦内に収容されている意義はなかった。 

 

「了解──〝ジャスティス〟出る」

 

 そうして〝エターナル〟はナスカ級二隻の許を離れ、高速で飛び去ってゆく。

 その護衛として、アスラン・ザラひとりを付けながら。

 

(待っていろ……)

 

 誰に云っているわけでも、ない。

 それでもアスランは、まだ見ぬ者達に向けて、そう決意して宇宙へと飛び出して行った。

 

「──〝ジャスティス〟の発進を確認。彼は行ったか……」

「──お疲れ様です、バルトフェルド艦長」

 

 が、このときのアスランは知らなかった。彼は兵としては天才的に有能だったが、将としては、いまだ致命的なものに欠けていた。

 アスランが出撃すると同時に、艦橋の中にひとりの少女が姿を現す。涼やかな笑みと共にやって来た少女──桃色の髪を一本に束ね、戦国の将を思わせる陣羽織を思わせる服に身を包んでいる。バルトフェルドは改めて、確固として意志の固まった彼女の姿を認め、にやりと笑った。

 

「いえいえ、狭い室内に閉じ込めるような真似をして、申し訳ない」

「ふふ、ピンクちゃんと戯れておりましたので、決して退屈ではありませんでしたわ」

 

 涼しげに微笑む少女の腕には、桃色の球形ロボット──ハロがすっぽりと収まっている。

 バルトフェルドはそれを見て、苦めに笑った。

 

「そのピンクちゃんもまた、彼に貰ったものでありましょう? 彼はとても好い少年だ、いささか真面目がすぎるほどにな」

「彼ともまた、共に手を取り合いたいと、切に願うものですが」

 

 一瞬、表情に陰りを浮かべた少女は、あるいは、今まで婚約者として慕って来た少年の覚悟を決断を、既に見通している風であった。

 が、すぐに切り替えたように、その愛らしい顔を上げた。

 

「では、参りましょう──」

 

 完全に独立した〝エターナル〟の中──

 永久の平和の歌姫、ラクス・クラインが──指揮官席に着座した。

 

 

 

 

 

 

 

 マユ・アスカが目を覚ました。

 と云っても、それは正確に数えれば三度目のことで、ニコルの表現には大袈裟があった。が、なんにせよ、まともに面会ができるまで意識が回復したのは今回が初のことであったため、そう認識するのが必定であろう。そんな〝クサナギ〟の医務室では、既に医療ベッドを起き上がらせ、意識の回復したマユが上半身を起こした状態にあった。

 既に、これまでに至るまでの経緯は、船医であるオーブの女医の方から明かされたのだと云う。オーブが連合に降伏したこと。家族とは離れ離れになってしまったこと。そうして今、宇宙に上がって来てしまったこと──

 

 戦災に巻き込まれ、命すら危ぶまれた十二歳の少女にとって、並べられた真実は重たすぎる現実だった。

 

 ここから先は担当の女医が配慮したのか、マユに対してマユの両親と兄は総じて「行方不明」という言葉で濁され──いつまで誤魔化せるものか不安は残るが──それを明かされたとき、マユはひとえに泣き続けたらしい。泣き疲れたのか、そこで再び眠りに就いてしまった彼女だが、今日の午後になって、もう一度、穏やかに目を覚ました。ゆえに、これが三度目だ。ニコルがステラを呼びに来たのは、そんな彼女の心理状態が、ひとまずは落ち着いてからだったのだ。

 入室すると、そこには、足が動かなくなった現実を受け止めた幼気な少女が、車椅子に乗っている姿が映った。

 

「あ……」

 

 その痛ましい姿に、ステラは思わず目を背けた。あれは、自分が彼女を守れなかった結果だと、まるで自分を責めるように。

 医療用の包帯がまだ額を覆っているが、足以外の容態は徐々に回復しているらしい。マユは入室して来た人物の姿を認め、正直云って、自分よりもわずかに年上の──彼女の兄と年齢が変わらないような──ステラの姿に、ぼんやりとした対応を示した。

 

「このひと、が……?」

 

 女医に確認を求め、尋ねられた方は、こくりと頷いた。

 ステラは、女医がマユに何を云ったのか、この時点では何も知らなかった。マユは車椅子を動かし、不慣れな動き、遅い動きで、ゆっくりとステラの方に向かって来ようとした。それを認めたステラは、恐がりながら、怯えながらも彼女の方に寄って行った。

 ──このひと、が……?

 その言葉の先を想像すると、ステラは、恐ろしくて堪らなかった。

 ステラは確かに、今まですべてを「善かれ」と思い、マユのために行動して来た。だが、ひょっとしたらマユは、こうして宇宙になんて上がって来たくなかったかも知れない。地球に残って、シンを捜したかったかも知れない。

 ──そう、ぜんぶ、ステラの勝手だった。

 改めてこうして、目の前で出会って、そのことで、もしかしたら恨まれているかもしれない──と、ステラは感じていたのは、事実だったのだ。

 だが、すべては杞憂だったのかも知れない。

 マユ・アスカは、ステラが想像しているより、か弱い女の子ではなかったのかも知れない。もっとずっと、強い少女だったのかも知れない。彼女はステラの姿を目の前に認めると、

 

「──ありがとう(・・・・・)、お姉ちゃん──」

 

 そう云って、小さく微笑んだ。

 ステラは、言葉が出ない自分を、その瞬間に自覚した。

 

「……え……?」

 

 マユは、柔らかな面持ちをしている。

 ぜんぶ、聞かせてもらったんです、と続けた。

 

「お姉ちゃんが、わたしを助けてくれたって──あの〝白いロボット〟に乗ってたの、お姉ちゃんなんだって──。教えてもらいました」

 

 その幼稚な表現は、少女が本当に戦争とは無縁の世界で暮らして来た現実を、赤裸々に語っているようだった。

 マユもまた、自分を戦火から護り抜いてくれた〝クレイドル〟のことを憶えていたのだろう。そのパイロットが彼女であることを、女医やニコルの方から聞かされたようだった。その後〝ネメシスダガー〟が墜落して来たことについては、誰の責任でもない、ということが分かっているようでもある。

 

わたし(・・・)たち(・・)を助けてくれて、ありがとうございました」

 

 家族に対する配慮も含めた、暖かな言葉だった。

 ──この人がいなきゃ、マユもお兄ちゃんも、みんな助からなかったんだ……。

 今のマユには、真実の側面が判っていた。

 

「────」

 

 ステラは、口を手で覆っていた。その目には大粒の涙が浮かんでいる。

 『ありがとう』──

 その一言に、すべてが報われた気分になって、今まで胸の奥に貯め込んでいたものが弾けたのだろう、溢れ出したのだろう。ステラはその場に膝を折り、崩れた。すると自然と視線の高さが一致するようになり、彼女は震えた声で、

 

「ごめん、ね……」

 

 それでも、救い切ることなど、できなかった。

 後悔し、震えた声で言葉を紡いだ。

 

「ごめんね、ごめんね────っ」

 

 彼女自身の脚のことか、それとも、救い切れなかった家族達のことか──? だが、真実は理解したつもりでいたから、マユはふるふるとかぶりを横に振った。

 金の髪色をした年上のその少女は、自分達を救ってくれた恩人は、やっぱり綺麗な人であってくれたのだと、自然とマユはそのときに感じ、嬉しかった。容姿的な意味などではなく──涙に濡れたすみれ色の双眸は、自分達を兇暴な戦火から護り抜いた人とは思えないほどに儚くて、無垢で綺麗な、それ自体が輝きを宿した宝石みたいだ。今にも壊れてしまいそうな眸が自分を映し、マユは自然に、やさしい人なんだ、と分かった気になって、どうしてか、自分もまた泣き出したいような思いに駆られた。

 でも、さっきまで自分は、たくさん泣いたのだ。

 もう、十分だ。

 この人はきっと、こんなにも壊れやすそうなのに、それなのに頑張って、必死になって、自分達を守ろうとしてくれた。

 それが判るから、マユは自分の涙を隠して、それでも目尻に雫は浮かんで、目の前の「お姉ちゃん」の頭を胸に寄せた。

 

「ありがとう、ステラお姉ちゃん」

 

 云うと、ステラは幼い子供のように、小さな声を挙げて泣いた。

 ──頑張ったんだ……そうだよね……?

 それは、その場に居合わせた誰もが、少女の中の優しさを労った瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 


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