LCAM-01XB〝ドミニオン〟とは、大西洋連邦が開発したアークエンジェル級二番艦に相当する〝アークエンジェル〟の姉妹艦である。
大天使の名を持つアークエンジェル、それよりも上位天使に相当する主天使に当たるドミニオンとは、黒色を基調とした塗装や多少の仕様変更を除いて、ほぼ〝アークエンジェル〟と同等の機能を持つ。
姉妹艦である〝アークエンジェル〟は、もともと『不沈艦』とまで崇められた戦艦なのだ、その有用性を汲んだ二番艦が製造されるのは、これまでの実績を鑑みれば正当な流れであった。
地球連合軍司令部は、この艦の艦長に、かつて〝アークエンジェル〟の副長を務めていた、ナタル・バジルールを抜擢した。
それは結果として皮肉な人事であったが、そもそもの門出や素養、そして経験──どれをとっても、司令部はナタル以上に適任な人材を居ないと断じていた。
こうして中尉階級からの異例の大抜擢を受けたナタルは、華々しく〝ドミニオン〟艦長へと就任したのだった。
とはいえ、ナタルにとって〝ドミニオン〟は小慣れた戦艦と云える一方、クルーの違いなど様々な相違点から不可思議な寂寥感を抱かさせられる場所でもあったようだ。見慣れた戦艦、けれども見慣れぬクルーに囲まれる艦内は、異邦を訪れたときの孤独感とよく似ていた。
そして、〝ドミニオン〟への同じような人事異動があったとすれば、軍医のハリー・マーカットと、フレイ・アルスター二等兵も似たようなものだろう。
厳密には、フレイはこのとき二等兵ではなく、すでに少尉の階級を与えられていた。モビルスーツ・パイロットとして抜擢されるためには、最低でも少尉以上の階級が必要とされたためである。
しかし、ナタルは良くも悪くも堅実な性格であり、そのような野戦任官めいた抜擢は好ましく思えないのだろう。そのためか、フレイのことを二等兵と呼ぶ癖が抜けていなかった。
〝ドミニオン〟に赴任したナタルの許に、フレイとハリーの人事異動が知らされたのは、つい先ほどのことだった。
時間を戻して数時間前、彼女の許に月艦隊司令部から将校が訪れ、ひとつの連絡を入れた。
『国防連合産業理事、ムルタ・アズラエル氏が、例の新型部隊のオブザーバーとして〝ドミニオン〟に御同乗なされる。頼んだぞ』
腫れ物を当てつけられた気分であったが、実際、そう解釈して間違いではないのだろう。
第三次ビクトリア攻防戦に勝利し、マスドライバーを入手したアズラエルは、みずから宇宙に上がって戦いにきた。目的は定かではないが、そんな男が連れて来たのは、不気味な研究者達と、不愛想にして礼節のない三名の少年達だった。どうにも後者は上層部が秘密裏に開発を進めていた『ブーステッドマン』──つまるところの〝人間兵器〟らしいのだが、いずれの少年もその素性は謎に包まれ、ただ『戦うだけの人間』として不親切に扱われていた。
そんな中に、見知った顔を見つけたときは、ナタルも驚いた。
少年達とは別の種類の強化人間──ナタルにしてみれば、何がどう違うのかもよく分からないが──の中に、『プロト・エクステンデット』もとい『リビングデッド』と呼ばれている、フレイ・アルスターその人を見つけたのである。
「あの三名の少年と、フレイ・アルスターはパイロットではなく、装備なのですか?」
「人間というより、モビルスーツの部品扱いみたいなものです。仕方がない」
「いったい、何があったのです?」
ナタルは〝ドミニオン〟艦内の医務室を訪れていた。またもアークエンジェル級の医務官を務めることになった、ハリー・マーカットに詳しく事情を聴こうとしたのだ。
「その……強化人間というものを、自分はよく知らないもので。アルスター二等へ──あっ少尉が、そのような生体改造の被験者になった、などと急に云われましても、俄には信じられません」
元よりナタルは、代々続く軍人家系の生まれである。
そのため、軍内部のことには人より詳しいという自信と自負を持っていたし、軍そのものに対する忠義も信頼も厚かった。しかし、そんな自分が全く知らない内情があったことを知らされ、ナタルの話し方には言葉を噛むほどの動揺と、それと同程度の躊躇があった。
無知であったことを恥じている風な物言いだが、そんな彼女がおかしく思え、ハリーは気軽な口調で見当違いと返した。
「強化人間なんて存在を知ってるのは、軍の中でもほんの一部でしょう。性質上、迂闊に公にできるものではありませんからね」
付け足されたその言葉に、ナタルは顎に指を当てた。
「では、今のアルスターは、ステラ・ルーシェと同じような強化人間──ということですか?」
「同じ、という部分が厳密には違います。たしかに近い性質を持っていることは事実ですが……〝アークエンジェル〟にいた頃、フレイは僕のコンピューターから、他ならぬ彼女の生体データを持ち出したことがあった」
おそらくフレイは、データを盗掘することによって、ステラと同等にして同質の〝力〟を有するエクステンデットになろうとした。それが彼女の、当初の計画であったことに疑いようはないだろう。
「けれど、所詮は僕個人の能力では、その『エクステンデット』を完全に再現することはできなかった」
結論から云えば、フレイは完成された『エクステンデッド』に生まれ変わることができなかった。それはひとえに現代の技術不足が招いた結果であり、ハリー個人の能力による限界というものだった。
「僕は、彼女が求めていた
アズラエルはハリーを恫喝し、新薬を急造させた。勿論、ハリーは乗り気ではなかったし、断れるものなら断りたかったが、人質を盾にされれば従わざるを得なかったし、何より彼には、医学者としての矜持があった。新薬の出来如何によっては、大勢の人間の人生が狂わされてしまう以上、彼は事業には全力を注いだ。それが本懐であったかどうかは別にせよ、少なくとも、与えられた仕事に対して〝責務は果たした〟と胸を張って云える程度には。
しかし、あくまでもハリー・マーカットという個々のレベルで製作された『それ』が、本来の完成された薬品であるはずなかった。
「──それは完成された新薬を開発しきれなかった、僕の落ち度と云えるでしょう」
「……パイロットの養成訓練も受けていない子どもが、モビルスーツを操れるようになったのです。貴方が開発した薬品は、つまるところ、意図していたものと副作用が異なった、というだけで、現実に効果があったのでは?」
ナタルには分かるし、だからこそ冷徹で客観的観点から意見を呈す。
たしかに大西洋連邦が抱えていた新星たる精鋭パイロット達──前期GATシリーズのパイロットとして予定されていた者達──ですらモビルスーツの操縦を満足に行えなかった以前の惨状を思えば、子どもでさえモビルスーツに対応できるようになるハリーの新薬は、まさに夢のような……画期的な発明であると述べることが可能だろう。
けれど、ハリーはあくまでも個人的な主観の上に立ち、それでも、と続けた。
「フレイの立場からしてみれば、その副作用ってのが何より厄介なのです。彼女に脳疾患が見つかったことが知れれば、アズラエルは黙ってない」
薬物投与の副産物として、フレイは脳に疾患を患った。
ナルコレプシー。日中において突然、耐え難い眠気に襲われる睡眠発作の一種だ。彼女の場合は、薬物により脳細胞が活性化を繰り返した結果、脳髄そのものが委縮し、突発的に睡眠発作を起こしてしまうものと診断されている。
「彼女は〝レムレース〟を預かっている身です。軍略的に重要な機体を授かっている以上、体調不良は言い訳にはならない。……健康面で個人的な問題が浮上すれば、更迭されたって文句は云えないでしょう? そうなれば彼女は、二度と表舞台へは戻って来れなくなります」
それは夢のような新薬が招き出した、心ない弊害と云える。
薬物さえあれば、人間に才能は必要ない。つまるところ、たとえどんなに優秀な人間であっても、すぐに〝交換〟ができるということ。
「まあ、ブーステッドマン達に比べれば禁断症状も少ないし、精神的にも彼女の方が安定していることは事実です。だがタイミングが悪ければ、戦闘中に睡眠発作が起こる危険性だって考えられる……」
第三次ビクトリア攻防戦において、フレイは戦闘終了後になって唐突に睡眠発作を引き起こしている。当時は──どういうわけか──オルガがひとりでに医務室に連れてきてくれたので、大騒ぎになる前に彼女を治療することができたが。
「意識すら失うほどの睡眠発作が、仮にも、戦闘中に発症してしまったら?」
フレイの抱えた脳疾患は、モビルスーツ・パイロットとしては、あまりにも致命的なペナルティである。
この事実がアズラエルの耳に入れば、彼は真っ先に最重要機密〝レムレース〟のパイロット交代をせがむだろう。そうなれば、有効性の見込めない『リビングデッド』の開発事業は即刻中断され、その第一被検体であるフレイは、容赦なくモビルスーツパイロットを降板──
──いや、
不吉な懸念を口走っているとき、医務室のドアが、おもむろに開いた。ドアの向こう側に立っていたのは、他でもない、フレイ・アルスターだった。
「フレイ……!?」
ハリーは、思わず立ち上がった。
──今の話、聞かれたか……?
気まずげな表情を浮かべたが、どうやら、内容までは聞こえなかったらしい。
フレイは室内にナタルの姿を認めると、軽く礼をした。そのまま、ずかずかとハリーの方へ歩いて行く。
「アルスター……」
ナタルは、久しく見るフレイの姿に、ただ唖然とした。彼女はまず、切れ長に尖ったフレイの双眸に対して、攻撃的な変化を認めた。
しかし、それが霞んで見えてしまうほど、少女の目元にはくっきりと隈が浮かんでいる。おそらくは睡眠習慣が、彼女の中で完全に狂っている証拠なのだろう。
変わり果てたフレイには、以前のような、容姿に対する積極性が完璧に欠落していた。
それは非常に悪い意味で、彼女の中から人間らしさ──少女らしさ──が、失われつつある証拠のように思えた。
(これが、強化人間の末路なのか)
無論、彼女の中にも、まだ年頃の乙女らしさが辛うじて残っているのか、部屋を出る前、目元にコンシーラーを塗って来たようではある。だが目元だけが殊に厚塗りになった化粧は、むしろ部分的な違和感を増幅させ、患部を悪目立ちさせているようにも見える。
──化粧は、ただ塗れば良いという問題ではない……。
女性としてナタルはそう感じたが、それに気付けない時点で、やはり今のフレイは尋常ではなかった。
彼女はハリーの前に立ち、ぼそり、と云う。
「アズラエルには云った?」
自分に見つかったナルコレプシーのことを云っているのだろう。
ハリーはかぶりを振り、静かに返す。
「云ってない。云えば、きみが危ないだろう」
「同情ね。まあいいけど」
使えないと断じられた強化人間の末路など、想像するに簡単だ。
ハリーは云うついで、白衣のポケットから錠剤の入ったひとつの薬瓶を取り出した。手を差し出し、その薬瓶を手渡す。
「頼まれていた薬だ。『中枢神経刺激薬』──呑めば、摂取後向こう一時間は、睡眠発作を抑えられる」
医学界では、モダフィニルと呼ばれる物質を体内に摂取させることにより、睡眠発作を抑制する効能が認められている。ハリーの云った中枢神経刺激薬は、別名「モディオダールR錠」とも呼ばれ、ナルコレプシー治療の第一選択薬となっている薬剤だった。
「出撃前に摂取すれば、戦闘中に昏睡するような事態は未然に防げるはずだ」
ハリはーはついで、不吉なことを付け足す。
「と云っても、身体を騙すための薬だから……効果が切れれば副作用はある。騙し騙しだが、何も処方しないよりアズラエルの目だって誤魔化せる──だから渡すんだ、いいね?」
「……ありがとう、いろいろと……」
「フレイ……」
戦闘中、フレイが睡眠発作を起こすことは、すなわち、死に直結する死活問題である。これを克服するために、せめて戦闘時には睡眠発作が起こらぬよう、ハリーは、中枢神経刺激薬を処方した。
今のハリーに出来ることと云えば、その程度だ。
フレイは薬瓶を受け取ると、そのまま踵を返して退室しようとする──寝る間も惜しい、と云わんばかりに。あまりの惨状を見かねたナタルが、そんな彼女を呼び止めた。
「そこまでして、戦うのか──」
「これが今の、わたしが生きる意味ですから……」
フレイは日に日に、自分が摂取する薬物の量が、異常に増えていることを自覚していた。
生体強化に始まり、覚醒剤、睡眠薬、そして神経刺激薬──これらを一日に何度も服用している彼女は、明らかに健康状態をみずから害しているはずだ。かと云って彼女は、この習慣をやめようとは決して思わなかったし、思えなかった。驚くべきことに、彼女はすっかり自堕落な生活に慣れてしまっていたのである。
──戦うことをやめてしまったら、
云われ、言葉も返せないナタルを後目に、フレイはそのまま退室してゆく。
もの寂しい背姿を見送り、ハリーが深く、嘆息ついた。
「〝レムレース〟から降りない限り、彼女の病状が改善することはあり得ない。それどころか、悪化して行くばかりだと云うのに」
「生きた人間の魂を吸い取るモビルスーツとは? ──〝レムレース〟、まさに亡霊ですよ」
ハリーはさらに、皮肉げに付け足した。
「そんな〝亡霊〟を操るのが、リビングデッド──生きる屍とは、笑えない冗談だ」
一方、コロニー〝メンデル〟港内では多くのメンバーが顔を合わせ、今後の方針についてを検討していた。
その場に居合わせるのは、当の三船を率いている人物──〝アークエンジェル〟からはマリューにムウ、〝クサナギ〟からはキサカにカガリ、〝エターナル〟からはバルトフェルド、ラクスとキラ、そしてステラといった顔触れが並んでいる。
「当面の問題は、やはり月だと思われます。現在、ビクトリア基地を奪還した地球連合は、マスドライバーから次々と部隊を月基地に送り込んでいると聞いています」
「おそらく、本拠地はプトレマイオスでしょうね」
マリューは眉を顰めた。
「それにしても、宇宙への戦力移転なんて……。
「だろうな。ザフト──いや、パトリック・ザラも、既にそれを見越して動いているはずだ」
そのパトリック・ザラから、直々の登用を受けたバルトフェルドが云う。
もともと、地上部隊所属だったバルトフェルドが〝エターナル〟の艦長に抜擢されたのも、ザフトが〝スピッドブレイク〟以後の弱体化から、地上に戦線を維持することが難しくなったからである。
ザフトにおいて『砂漠の虎』の名を知らない者はおらず、適性はどうであれ、そんな英雄を〝エターナル〟艦長に担ぎ上げることで全軍の戦意高揚を促そうとしたのだろう。
「地球連合の総攻撃に備え、ザフトもまた〝ボアズ〟や〝ヤキン・ドゥーエ〟に戦力を結集させている」
それは予言ではない、断言だ。
「始まってしまうのか……? 地球軍とザフト──いや、ナチュラルとコーディネイターの、全面戦争が……」
カガリが不安げに、沈鬱な表情で問う。
──もう、事態はそこまで急進してしまっているのか?
バルトフェルドは、やむを得ない、と云った風に続ける。
「元々、地球には〝プラント〟と決着を付けたがっている連中が沢山いるからな。そいつが軍人であれ、無辜であれ……今や口を揃えて唱えているだろう? あー、『蒼き清浄なる世界のために』ってね」
「よせよ……」
ムウが嘆息まじりに苦言を呈すが、バルトフェルドは「ボクが云ってるわけじゃないよ」と大袈裟に肩を竦めた。
「ただ、地上でザフト軍を率いていた身としては、単純に実感なんだよ。ブルーコスモスが唱えるお題目、環境保護を隠れ蓑にした原理主義者の思想ってのは、すでに軍上層部だけの主義主張に留まらない、無辜に広がったひとつの民意の形なんだってことがな」
そう云えば──と、キラは思い出す。初めてリビア砂漠、バナディーヤでバルトフェルドと出会ったときも、ブルーコスモスの思想に啓蒙されたテロリスト達が、彼の自治する街に向かって攻撃を仕掛けていた。
──宇宙のバケモノは出て行け! 蒼き清浄なる世界のために!
と、嘆くように連呼して。その意味でバルトフェルドは、民間人すらそうして唱えている地球の実状をよく知っているのだろう。
「なんでコーディネイターを討つことが、蒼き清浄なる世界のためになるんだろうねぇ? そもそも、蒼き清浄なる世界ってのが何なのかは知らんが」
「…………」
「当然〝プラント〟としては、そんな理由で討たれるなんて真っぴら御免だろう。──トップは防戦に出て、抗うさ」
「ブルーコスモス、厄介なもんだよ……ったく」
「形も拠点も、実際のところ、実体すら存在しない──思想だからかな」
指導者はいるだろうが、指導者を倒したところで、思想が消えるわけではない。
それは、個々人ひとりひとりの心の奥に、根強く息づくものだから。
「──大体、この〝メンデル〟に起こったバイオハザードだって、かつてブルーコスモスの関与が疑われているだろう?」
「そうなのですか?」
マリューが驚いたように、メンバーの顔を見遣る。
それにはキサカが答えた。
「数年前、ここで起こった事故は結構な騒ぎになったからな。かつて〝
「へえ……」
キラは何となく、そんな話を聞いていた。
ついで、バルトフェルドが云う。
「遺伝子改変を忌み嫌うブルーコスモスにしちゃあ、黙って見過ごすわけにはいかない場所だったってことか。……ま、だからといって遺伝子以外の部分を乱暴にいじくり回すことが、反面正義とも思えんが」
「──!」
「これはボクが、まだリビアにいた頃の話だが──バイオフィードバックを用いた洗脳教育や違法薬物を用いた『戦うためだけに造られた人間』ってのを、ブルーコスモスの連中は好んで育てていると聞いた」
一同の目が、数人を除いて、とある一ヵ所に集結した。
無論、内容が内容だけに、流し目ではあったが……。
「コーディネイターという存在が、いくら連中にとってバケモノのように見えていようとさ……反対にボクらから見りゃ、そうやって敵を殺すためだけに造られた強化人間ってヤツの方が、よっぽど薄気味悪いバケモノに思えるがね」
「バルトフェルド艦長」
そのときラクスは、妙な剣幕で咳払いをしたという。バルトフェルドはあっけらかんとして、自分が何か失言でもしたのか、と云うような不審を湛えた表情を返す。
が、無理もないことだろう。バルトフェルドはこのとき、彼が云うところの「薄気味悪いバケモノ」が、この場に居合わせることを知らないのだから。
「……地球軍は、ロドニアに研究所を造って、そこで、たくさんの強化人間を造ってるんだ」
一同の視線が、朧気に声を発したステラの方に向けられる。
そこには痛ましげな視線であったり、なんでそんなことを知っているんだ、と云わんばかりに驚愕とした視線もあった。
「コーディネイターの力に対抗できるように、薬で肉体を強化されて、それでも
生きるか死ぬかは、彼らの成績と性能が決定づけること。仲間──いや、仲間と呼ぶことすら許されない同僚達を殺し、また、それにいつ殺されるかも分からない極限の精神の中で麻痺した心は、相手を殺すことでしか生き抜く術を知らないという、歪んだ彼らの闘争心のみを着実に作り上げていく。
狂気に染まった
「だから、薄気味悪いって云うのは、ほんとだよ……」
顔を伏せ、俯いた少女の様子から、バルトフェルドは事態を察した。
先のはまず紛れもなく、バルトフェルドの失言であったのだと。
「一度でも投薬を受けちゃった人は、もう後戻りできない。投薬を受け続けないと、身体が衰弱して、あとあと、なんにも考えられなくなって──」
「──もういい」
なかば強引に、キラが話を終えさせた。
「もういいよ、ステラ」
マリューが、俯いて云った。
「……ひどい時代よね」
「ああ……」
それでも、とキラは続けた。
「でも、だから僕達は諦めちゃいけないんだと思います。──こうして、違う立場の人達が、同じ
連合から脱走して来た〝アークエンジェル〟、ザフトから脱走して来た〝エターナル〟、オーブから送り出された〝クサナギ〟──
そして、地球軍が抱えた深い闇を知るステラを筆頭に、方々の世界を知る者達が、同じ世界を夢見て集結している。
これは、マリューの云うようなひどい世界の中でも、輝こうと思った者達が、懸命に迷い、そうして生き抜いた結果──その必然なのだ。
「そのことを、僕達は忘れちゃいけないんだと思います」
「創りたいと思いますわね──そうでない時代を……」
希望を捨ててはいられない。
新たな世界のために、場に居合わせる一同は、その言葉に強く頷いた。
キラが〝アークエンジェル〟内の通路を渡っていると、背後から、声がかかった。
それは、ステラの声だった。
「──キラっ」
シューズを使った彼女は、慣性で移動していたキラよりも早く追いついて来て、彼の目前までやって来ると、装置から手を離した。
慣性のまま、思ったより早いスピードで飛び込んで来る少女の身体を、キラは慌てて受け止めた。
「おっ、と……。どうしたの?」
「あのっ、さっきは──」
──さっき?
キラは目を巡らせながら、そのことを考える。
ステラはついで、咲いたばかりの花弁のような、柔らかな笑顔を浮かべた。
「──ありがとう……っ」
その笑顔は、それまで沈鬱そうだった陰間に差し込んだ、曙光のように眩しく輝いていた。
──ああ……。
鷹揚と云われ、キラは咄嗟に思い出す。さっき、自分がステラの言葉を遮ったときのことを云っているのだろう。
ステラが強化人間のことを語るとき、あのとき彼女は、完全に昔の自分を虐げているように思えた。それは確信ではなく、単なる憶測に過ぎないが──説明という名の自傷行為を行っている彼女が、あまりにも居た堪れなくて、痛ましく思えて、キラは、ほとんど強引に話を遮っていたのだ。
それゆえに、キラとしては恩着せがましいことをしたつもりではなかった。ただ純粋に彼女のことを想っただけに、これと云って意識していなかったのだろう。
が、ステラにとってはひどく救われた行為であったようだ。そのことを感謝され、キラは小さく、横にかぶりを振った。
そう、キラにとっては「どういたしまして」と返すようなことではなかったのである。
「でも……」
しかし、曙光に雲間が指し、ふたたびステラの表情に陰りが落ちた。
キラはしごく怪訝そうに、その顔を覗き返す。
「あの人が云ってたこと、ほんとのことだから──。ステラ、薄気味悪いよね……? キラもやっぱり、そう思ってるよね……?」
「ステラ……」
バルトフェルドも、悪意があって云ったわけではないのだろう。そもそも彼は、ステラとの面識がなかったため気を遣う意味が見い出せなかったのだろうが、ある意味では、彼の云っていることも正しい。
遺伝子操作は、より良き未来を望んだ人間が行った行為だったはずだ。科学にせよ、医療にせよ、宇宙開拓にせよ、あらゆる分野でコーディネイター達が頭角を現し、世界は前進して行った。しかし、ナチュラルはそれを妬むようになり、いつしか彼等の異能に対抗するべく、戦うためだけの強化人間を造り出してしまった。
──戦時以外では、まるで何の役にも立たない、狂気の産物を……。
確かに常識的な見方をすれば、そんなものを量産している地球軍……いやブルーコスモスの方が、遥かに狂っているように見えるだろう。
ゆえに強化人間は、客観視すると確かに薄気味の悪い存在なのかも知れない。しかしキラは、おずおずと上目遣いで見上げて来る少女に対し、優しく返した。
「思ってないよ──僕にとって、ステラはステラだ。何も周りと変わらない」
「でも……!」
「適当に云ってるわけじゃない。僕は昔から君を知ってるから、そう思うし、そう思えるんだ──きみはずっと、僕の知っているステラだよ」
宇宙に上がる前は、ステラの変化に戸惑ったこともあった。そんな小さなことから、勝手に当たって、喧嘩したこともあった。
しかし、それすらも乗り越えて、キラは改めて、そう思う。──彼女はきっと、本質的には、何も変わってなどいないのだ、と。
「どんな生まれ方をしたのか、どんな育てられ方をしたのか──それはきっと重要じゃない。そこから、どう生きているかが大切なんじゃないかな──」
そして今のステラは、間違いなく、前を向いて歩いている。
そう思うから、キラはそっと、受け止めたステラの両肩に手を置いてあげた。
「だから──ねっ?」
そっと笑いかけ、ステラは
「……! うんっ……!」
嬉しそうに、小さく頷いた。
────その激励で、心が落ち着いたのだろう。
一拍置いた後、肩に置かれたキラの手を、彼女は自身の髪に触れさせた。キラは突然の誘導に対し、小首を傾げる。
「?」
「あの……。そのっ」
ステラは珍しく、もじもじとしているようにも見えた。
それは滅多に見られることはない、彼女の年頃、それ相応の恥じたような挙動であった。
「ステラの、髪……」
「髪?」
「最近、すごく、悩んでて……。そのっ、長い方が、みんな可愛いって思うのかな、って──」
そして、云っていることも、年頃の少女らしい内容だった。
それは非常に良い意味で──彼女の中から人間らしさ──少女らしさ──が再生されつつある証拠のように思えた。
しかしステラにとっては、重大な問題だったのだろう。
何がきっかけだったのか、本人も憶えていないが、彼女は最近、本格的に自分の髪型について迷うようになっていた。
ラクスやマユや、マリューと云った、彼女の周囲の女性は、多くが落ち着いたイメージのあるロングヘアーをしている。その点ステラは、自分の金髪が肩上で切り揃えられていることに、つい違和感を憶えてしまったのだろう。
勿論、ロドニアの研究所に入所していた頃は、長髪など訓練に邪魔かつ鬱陶しいものでしかなかっただろうし、自分の容姿など、そもそも気にかける必要がなかった。それ以前の幼少期にしても、母レノアの真似をしてミディアムヘアにまとめていた傾向がある。
──でも、もう十四歳だし……。
すこし大人っぽくなってみたい、と思うのも仕方がないことだろう。
その点、ミリアリアは彼女より二歳年上でありながら、短めの髪型をしている。が、彼女は自他共に認めるほど元気な性格で、むしろ今の髪型が最も似合っている印象がある。本人自身が気に入っているように。
一方、ステラは自分が間違っても元気な性格だとは思っていないし、あまり短い髪型は似合ってないのではないか? と迷うようになっていたのである。
もっとも、彼女の中ではそれ以前に、ラクスに対する憧れが強かったのだろう。年頃の女の子らしく、一部は嫉妬でもあるのかも知れないが、ラクスの麗しいロングヘアーが童話の中に登場するお姫様を連想させ、純粋に素敵だと感じていたのだ。
それは思春期らしい、乙女の相談事であった。
それを男子であるキラに相談するあたりは、まだ抜けている部分があるのか、それとも、キラを個人的に信用しているのか────
「そのままでも充分いいと思うけど……急にどうしたの?」
「でもラクスとか、髪が長いから──キラは、そういう女の子の方が好きなのかな……って」
────それとも、キラ自身に答えて貰わねば、意味がなかったのか。
「うん? ラクス?」
が、キラは答えるべきことには気づかず、しごく不思議そうな顔を浮かべた。
もっと反応すべき所があったのにも関わらず、なぜそこでラクスの名前が出て来るのか、キラには意味が分からなかったのである。
「ステラは、ラクスみたいになりたいの?」
そのときステラは、何かを諦め、先を続けた。
「お姫様みたいで、素敵だなあ……って」
「うーん。けど、ステラはラクスとは違うだろ? 君は君だ──さっき云ったことと、きっと同じだよ」
「……?」
「誰かに憧れることは良いと思う。でも、だからって
その言葉には、なぜか、含みがあった。
(──人と重ねて、僕はあの子を傷つけた……)
キラは、聞こえないように、そう云っていた。
ステラは、突然陰りの落ちたキラの顔を、覗き込むようにした。
「キラ?」
「……あ、うん? だから君は君で、君がやりたいようにすればいいと僕は思うんだ。今のままでも、きみは充分っていうか」
そう云って、キラは気を持ち直したように、にこりと笑う。
ステラは、その言葉を受けて、すこし悩みが晴れたように笑った。
「トールも云ってたけどさ。僕も、ありのままでいてくれるステラの方がすき……いやそのっ……
慌てて云い直し、キラは耳を真っ赤にした。
それは、やましい気持ちで云っているわけではなかった。
またお風呂に誘って欲しいとか、
──下着姿のまま、また部屋から飛び出して来て欲しいとか、別にそういうんじゃない……!
だが、彼女が無理に背伸びをしたり、無理に誰かの真似をして、自分らしさを見失うことはない──あくまでも純粋に、そう感じたのは事実だった。
むしろ、彼女が持っている柔らかな雰囲気の方が、他の皆が、憧れるものがあるだろう。そして、誰にも真似できないものでもある。
──それこそ、ラクスでさえ……。
どこまでも純真な性格は、先天的にも後天的にも、どうにもならない天性の素質だ──それを彼女自身から手放してしまうのは、非常に勿体ないことのように思えた。先天的な才能を弄れてしまう
──ましてステラはいま、ようやく『自分らしさ』を取り戻して来てるんだから……。
しかし、と思ってキラは顔を伏せた。
思い切って好意を伝えようとしたのに、慌てて訂正してしまう当たり、やっぱり自分は度胸がないと思う。
──こんなことじゃ、トールに散々云われても仕方がないじゃないか……。
もっとも、ステラに「好き」と伝えたところで、それを彼女がどういう意味で取るのかは、目に見えているような気もするが……。
一方で、ステラはしかし、キラに純粋に云われて、嬉しくなった。
結局、キラはラクスみたいな女の子が好きなのだろうか? 答えを聞くことは出来なかったけれど、キラはどこまでもキラらしくて、悪く云えば朴念仁だったけれど、一方で彼は、価値観を押し付けるようなことはしなかったのだ。
──『ありのままでいい』って、そう云ってくれた……。
きっとキラは、ラクスにも、自分にも、誰にでも優しいのだろう。
──ありのままの女の子を受け入れる、そういう優しさを持ってるんだ……。
ステラは改めて幼馴染みの長所を見つけながら、その場から踵を返して行った。
(まだしばらくは、この
不思議とステラの中には、そう思える気持ちが残っていた。
悩みごとが、ひとつ晴れたような気がした。