~夢見る少女の転生録~   作:樹霜師走

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『〝ベルゴラ〟』

 

 ZGFM-500〝ベルゴラ〟──異教に伝わる悪神を連想させるモビルスーツ。

 見たところ、その機体はビームライフルを一挺、掌の先には〝ディフェンド〟に似たビームクロウの発心装置を備えている。ひと通りのビーム兵器を装備しているようだが、それはザフトの機種において初めての試みのように思える──少なくとも、ムウにとっては。

 

〈ここで貴様と、こうして戦えるとはなぁッ!〉

 

 そんな〝ベルゴラ〟を操るのは、ムウにとって宿敵ラウ・ル・クルーゼだ。

 放たれるビームライフルの火線を避けながら、ムウは敵機に向かって反撃の〝イーゲルシュテルン〟を応射する。

 

(あの新型、どういうんだ!?)

 

 ひと通り交戦した中で、ムウは敵の〝ベルゴラ〟という機体が──最新鋭機であるにしては──あまり高性能な機体ではないように感じられていた。正確なことは判らないし、特性についても未解明だが、総合スペックで云えば〝M1アストレイ〟程度しか持っていないようにも見受けられたのだ。しかし、

 

 ──あの異様な風袋(・・・・・)は、絶対に飾りじゃない……!

 

 予感ではない確信が、ムウの頭をもたげる。

 とりわけ気になるのは、その異質な〝ベルゴラ〟の頭部だろうか? 地球軍機のゴーグルアイでもなければ、ザフト機のモノアイでもない。ましてや〝G〟の象徴でもある角付きのツインアイでもない──仮面を付けたような頭部は、四つ目と紅球のセンサーアイが覗いている。

 

 ──見覚えのない機種ってのは、なかなかどうして。

 

 不審であり、これが〝ジン〟や〝ディン〟に似た機体であれば、ムウもここまで慎重にはならなかっただろう。得体が知れないという意味において、目の前の〝ベルゴラ〟は明らかに異様にして不気味であり、かつてムウが対峙してきた何れの機種よりも面妖であったという。

 

(戦闘能力は大したことない……! だがその代わりに、何かおかしな特殊兵装でも積んであるんじゃねぇか……!?)

 

 ムウはこのとき、敵機の正体をひどく警戒していた。

 また、それを操るパイロットのことも──

 

〈わたしも嬉しいよ、ムウ……!〉

「くッ、ラウ・ル・クルーゼ!」

 

 そうして二機は中空で交錯し、しばし白兵戦を繰り広げた。

 

 

 

 

 

 

 迫り来る光点をレーダーが捉えたとき、モニターには馴染み深い〝ブリッツ〟の熱紋が確認された。大西洋上の孤島で『MIA』となった、行方知れずの同僚の搭乗機だ。イザークの脳裏に、まだ自分達よりも年下の、どこか少女めいた顔立ちの少年の姿が浮かぶ。

 

「よくも、ニコルの機体でぇ……!」

「ナチュラルめ! アイツをどうしたってんだよ!?」

 

 怒りに駆られた〝バスター〟が94ミリ収束火線ライフルを撃ち放つ。

 対して、当のニコルが操る〝ブリッツ〟は即座にこれを回避したが、そうして牽制された先へ〝デュエル〟が回り込み、ビームサーベルを抜き放って肉薄する。くっと息を詰まらせながら、ニコルは否応なく〝トリケロス〟を構え、振り抜かれた光刃をシールドで受け止める。ニコルは勢いに任せ〝デュエル〟を突き飛ばし、ふたたび二機からの距離を取った。

 ──さすが、見事な連携だ!

 ニコルは不意に感心してしまうが、おそらくイザークもディアッカも、その息の合った連携を無意識の内にやっているのだろうから、余計に大したものである。ニコルは内心で舌を巻きながら、それでも、今は後退することしかできない。

 

 ──戦闘能力を抑えた代わりに、特殊兵装を搭載しているMSというのは、そう珍しい話ではない。

 

 もともとニコルの愛機であるGAT-X207(ブリッツ)とて、その名が冠する通り〝電撃的な侵攻〟に特化した機種として設計され、その例によって、純粋な戦闘力が他のシリーズ機と比して見劣りがちである。

 砲戦における〝バスター〟、白兵戦における〝デュエル〟──各戦闘分野の王者達が同シリーズに君臨する中、彼の〝ブリッツ〟はどちらかと云えば戦闘ではなく工作の方面に特化している。それは東洋において忍者とでも呼べそうな電撃的な隠密特性であって、〝ブリッツ〟そのものの武装の少なさも相まって、彼の機体は戦闘力で他のシリーズ機に優位性を譲っているのである。

 そんなニコルが現在対峙している敵は、他ならぬ〝デュエル〟と〝バスター〟という各戦闘の王者達。それを操るパイロット二名については最早言及する必要もないだろうが、二対一の状況であれば、なおのことニコルは闇雲な戦いを続けるわけにはいかなかった。正々堂々──あるいは「正面衝突」という騎士道的戦術は、今の彼と〝ブリッツ〟が最も行ってはならない行動のひとつだったから。

 

(フラガ少佐はあの〝新型〟で手一杯。なら、今の〝ブリッツ〟にできることは、陽動くらいか……!?)

 

 だからこそニコルは、発想を逆転させた。もとより絡め手を得手とする〝ブリッツ〟の特性を活かすなら、今やらなければならないことは正面衝突ではなく、できる限りの足止め。尋常な戦闘ではなく、及び腰に徹しての陽動だ。みずからが囮になることで、イザーク達をできるだけ〝ストライク〟から引き剥がす──戦う目的をひとつに絞らなければ、曖昧な立ち回りを許してくれるイザーク達ではないだろう。 

 

(時間稼ぎに、徹するんだ……!)

 

 そうしてニコルは二機の注意を引くようにして、絶妙に相手の行動を阻害するポイントにレーザーライフルを撃ち掛ける。照準先の二機は、左右にぱっと散開し、次の瞬間には、竿にかかった魚のように〝ブリッツ〟への追撃を敢行する。

 ──来た!

 この瞬間から、ニコルは牽制射撃に徹した。逃げ腰というのは一見すると情けない姿のように映るが、この場にあっては正しい戦法であり、立派な戦術でもあった。しかし、そんな〝ブリッツ〟が撃っては逃げ、逃げては撃ち──その臆病ともとれる戦い方に付き合わされ、イザークは不快感を募らせつつある。

 

「イザーク、ディアッカ……!」

 

 自分よりも年上の同期達の名を呟きながら、ニコルは歯噛みする。

 そうして囮役に徹したニコルであったが、状況はそう上手くは運ばなかった。ニコルは次第に、二機の見事な連携と突撃の前に、ジリジリと窮地に追い込まれ始めたのである。

 

(オーブと共に戦うと決めたときから、覚悟はしていたけど)

 

 まさか、こんなにも早くイザークやディアッカと対峙する日が来るなんて。

 ニコルはこのとき、迷っていた。

 

「僕は……『敵』を増やしたいわけじゃないんだ!」

 

 消沈したのち、決然と顔を上げる。ニコルは咄嗟に通信回線を開き、通信先にいる者達へと呼びかけた。

 

「──イザーク! ディアッカッ!」

 

 周波数帯は、以前と同じだったらしい。ニコルの声が届けば、二機はぴたりと動きを止めた。スピーカーから息を詰まらせたような音がしたのち、驚愕の声が上がる。

 

〈──ニコル……!?〉

〈おいおい、嘘だろ……!?〉

 

 同時に、モニターとカメラがオンになり、頭上に同僚達の顔が浮かぶ。

 ふたりは唖然とした表情を浮かべている。……当然だ。戦闘中行方不明となった自分が、ひょっこりと〝ストライク〟と共に現れたのだから。今の自分は、裏切り者、と揶揄されても仕様の無い立場にある。

 ──あの二人のことだ、どんな罵声や糾弾を飛ばして来るだろう……? 

 緊張に身を強張らせていたニコルだが、スピーカーから飛んで来たのは、意外な──そう、本当に意外に思えるほどの温かな声だった。

 

〈ニコル……本当に、貴様なのか──!?〉

〈なんで……? なんでお前が〝ストライク〟と一緒にいるんだよ? ずっと心配してたんだぜ!?〉

 

 普段の皮肉屋らしく振る舞うことを忘れているのか、それとも、あの頃から改心しているのか、ディアッカらしくない発言を間に受けるニコル。すこしだけ呆気にとられたのち、顔を上げて返す。

 

「すいません……。でも、僕はこうして生きてます、生きて戦ってます」

 

 生存していたかつての同僚に、イザーク達は、激しく動揺した。

 

 

 

 

 

〈どういうことだよ、ニコル……? オマエは、オレたちザフトを裏切ったっていうのか!?〉

 

 ディアッカが問い、通信先のニコルは、堪えたような表情を浮かべている。だが、それにしても真っ直ぐに、目を逸らさずにこちらを見つめ返す双眸が、ああ、ニコルらしいな、とイザークは思う。

 ──この少年は、いつだってそうだ。

 抜けているように見えて、実際の能力は自分達に次いで優秀だった。だが、そのことを鼻に掛けたりはせず、どこまでもお人好し──

 いつも、何かと尖りがちな自分達の角を、滑らかに削ぎ落としてくれるような存在。今になって思えば、ことあるごとに隊の中で不和が生じそうになったとき、間を取り持ってくれていたのはニコルだった。何事にも真摯に向き合わんとするその双眸は、間違いなく本物のニコルであると、イザークは不思議と確信してしまった。

 

〈あなた達から見れば、そういうことになってしまうのかもしれません。でも、ぼくは〝プラント〟を裏切ったつもりはないんです〉

「まやかすんじゃない、ニコル! オレたちザフトは、今も〝プラント〟を守るために戦っている! それに歯向かうということが、どういうことか……分からない貴様ではないだろう!?」

〈オマエだって〝プラント〟を守るために、ザフトに志願したんだろうが?〉

 

 ディアッカの云う通りだ。

 ──なのになぜ、そんな少年(ヤツ)が、オレたちの『敵』になる?

 イザークには、ニコルの考えていることが理解できない。

 

(──どいつもこいつも、こぞってザフトを、オレたちを裏切るのか……!?)

 

 まるで、今のザフトが間違っている、とでも訴えんばかりに。

 

(いいや、オレたちが間違っているはずがない……!)

 

 強いて反芻することで、イザークは自分が間違っていないということを確認した。ザラ議長や、それに恭順する母であるエザリアたち──そして前線で戦う自分たちは、間違いなく〝プラント〟国民の自由と正義を勝ち取ろうと戦っている。

 ──この信念が、間違いであるはずがない。

 そう信じているからこそ、イザークには、これに背任するニコルの立場が理解できない。

 

「生きていてくれたことは嬉しい! だが、ことと次第によっては、貴様でも許さんぞ!」

〈イザーク……〉

 

 ニコルはこうして生きていたのに、本隊に復帰しなかった。それだけで脱走の罪に相当する。しかし、それのみならずオーブ軍の残党などと行動を共にしているのだ。そこまで来れば、もはや裏切り者と呼ばずに、なんと呼べばいい?

 

「バルトフェルド隊長にラクス・クライン──! そして、ステラまでもがザフトを裏切った! それに次いで、なぜだニコル? なぜ、お前まで……!?」

 

 イザークは、何も知らなかったし、分からなかった。

 ザフトを去って行った彼らが何を考え、その胸にどんな意志を秘めていたのかを。

 

「脱走した彼らは、いったい、何を考えているというのだ……!? 目立った共通点もないはずの貴様たちが、なぜ──」

〈共通点なら、あります。僕達は、この無益な戦争を終わらせようと……いえ、やめさせようと考えてるんです〉

「なに……?」

 

 戦争をやめさせる──?

 それは、どこか奇異な表現だ。戦争を終わらせる、という表現と似ているようで、明確に違う。どちらも終着点(ゴール)こそ同じだが、前者は第三者の立場にあってこそ云える言葉。

 

〈僕もラクス嬢も……そしてステラさんも、誰も〝プラント〟を敵に回したつもりはありません。でも──だからと云ってナチュラルを敵に回す気も……もうありません〉

 

 これはニコルの話だが、ナチュラルを敵と信じ込むには、彼はすこし、ナチュラルのことを知りすぎた。

 

〈ただ軍の命令に従って、ナチュラルを全滅させるまで戦うこと──そんなのが『おかしい』と思ったんです……! だから僕は、もう一度銃を取ろうと思った──この〝ブリッツ〟に乗ろうと思った〉

「全滅、だと……?」

〈撃てとばかり教えられて来た『敵』というのが、本当は、僕達と同じ人間だってことに気付いたんです……! 地球のみなさんと、僕達コーディネイターと、いったい、何がどう違うって云うんでしょう……!?〉

 

 云われ、イザークは絶句する。

 ──ナチュラルを全滅?

 ──自分達は、そんなことのために戦っていたというのか?

 云われてみればと、すこしだけ懐古する。

 たしかに、今までの自分は何も考えずに地球軍を撃ち、それと引き換えに〝プラント〟を守護して来た。

 ──正当防衛だ。

 敵を討たなければ祖国を守れないと信じていたから、イザークはそうして来ただけだ。何も初めから、ナチュラルを殺したかったわけではない。

 しかしニコルは、その発想自体が間違っていたのだと諭す。

 

〈ナチュラルと殺し合いを続けることが、本当に、僕達コーディネイターのためになるんでしょうか!? 僕には、とてもそうは思えない──だから、本当の〝プラント〟のためになることをやりたい、と思ったんです〉

「だから、敢えて本国と敵対する道を選んだっていうのか……!?」

〈ナチュラルもコーディネイターも、きっと手を取り合えます! 地球も宇宙も関係ない……僕達はそれ(、、)を知っているんです──だからっ!〉

 

 言葉の先は、しかし、割り込んだ通信によって遮られた。 

 

〈────クライン派は、こうも狡猾な手を使うか〉

 

 割り込んで来た、男の声──いやに久しく、その声を聞く気がしたニコルであった。

 はっと顔を上げ、ニコルは通信回線に割り込んで来た声の主──

 例の、ザフトの新型機の方を見据えた。

 

〈クルーゼ隊長……! いえ、クルーゼさん〉

 

 悪意の声を発したのは、ニコル・アマルフィにとって、かつての上官──

 ラウ・ル・クルーゼ、その人のものだった。

 

 

 

 

 

 ラウ・ル・クルーゼは、中空において〝ストライク〟と交戦しながらも、イザーク達の通信を傍受していたようであった。

 口元に冷笑を浮かべ、底の見えない表情で紡ぐ。

 

〈久し振りだな、ニコル。わたしも部隊長として、きみが生きていてくれて嬉しいよ〉

「いえ……僕はもう、ザフトに戻る気はありません。あなたの指揮下に戻ることも、あなたを『隊長』と呼ぶことも、もうないと思います……」

〈それがきみの選択か。……ふむ、役に立たないだけなら、まだ可愛げもあったというものだが──〉

 

 対峙した途端、露骨に愚弄され、ニコルは一瞬堪えた表情を作る。

 

〈造反となると、にべもない〉

 

 だが、ニコルは取り合わずに〝ベルゴラ〟を睥睨した。

 スピーカーからは、まるで流暢な言葉が紡がれる。

 

〈さて。判っていると思うが、ニコルの言葉にほだされてはならんよ、イザーク、ディアッカ。今のニコルは、既にクライン派の手によって錯乱しているようだ〉

「!?」

〈なんです……!?〉

〈アスランを仕留めた巧妙な手口さ。動揺した相手の不意を突く──アスランの仇を討ちに来たキミ等まで、それに騙されてどうする?〉

 

 云われ、イザークはハッとする。

 そうだ。隊長の云う通り、あのアスランでさえ、ステラを相手にして本気を出せず、そうして敗れたのだ。それと同様に、自分達もまたニコルを前にして、かくも当惑してしまっていた。

 

 ──動揺の隙を突いて強敵を下すのは、クライン派の十八番だったじゃないか……!

 

 初めから奴等は、こちらを動揺させることが目的だったというのか?

 ──なんて卑劣で、狡猾な連中だ……!

 クルーゼ隊長に指摘されるまで、まんまと自分達は、敵の罠に嵌る所だった。自分達に対する手札(カード)にニコルに使ってくるなどと夢にも思わなかったが……誰もがそう考えるからこそ、奴等はニコルを使ったのだろう。

 そのことを、改めて思い知らされたイザークであった。

 

「ぼ、僕は錯乱なんて!」

 

 慌てたニコルに、ムウからの通信が飛び込んで来る。

 

「ニコル、あの野郎に何を云ったって無駄だ! 取り合いやしない」

「少佐……!?」

 

 回頭した〝ストライク〟が〝ベルゴラ〟を黙らせようとビームライフルを撃ち掛けるが、目標は良いリアクションを見せ、これを余裕をもって回避してしまう。

 人間の持つ可能性を──いやそれよりも前に、人間そのものを否定してしまうのが、あの男──ラウ・ル・クルーゼだ。

 そんな相手に何を訴求した所で、文字通り、話にはならない。

 

〈ニコル──きみがこれまで何を考え、何を知ったかは、私は知るところではない。だが、きみのような子どもが、この世界の真実を知った気でいるようなら、それは違うな……!〉

 

 それは単な、若気の至りだ、とラウは云う。

 若者の思考と視野と見識の狭さに裏付けられた、とんでもない勘違いだと。

 

〈この世界はね、ニコル──箱庭ではないのだよ……!〉

「……!?」

〈世界はクラインの歌ほど優しくも、甘くも、美しくもない──きみが考えているほど簡単ではないのだよ……殊にこの時代はなぁ!〉

「あの野郎っ、何を──ッ!」

 

 ムウが弾幕を張り、ラウを牽制する。

 しかしスピーカーからは、なおも嘲じる声が響いた。

 

〈分からぬというのなら、わたしがきみに教えてあげよう──! これは上官からの温情と思いたまえ……!〉

 

 次の瞬間──これまで引っ提げられていた〝ベルゴラ〟の〝羽〟が、孔雀のように広がった。

 そこから、赤色の粒子が無量に散りばめられ、赤色光(せきしょくこう)の奔流となって〝ストライク〟へ襲い掛かる。

 敢えておかしな表現をすれば────〝真紅の波動〟だ。

 ムウは咄嗟のことで、慌ててアンチビームシールドを構えた。

 しかし、光の奔流は〝ストライク〟を呑み込み、機体を蝕むように蠢いたあと、何というわけでもなく、次の瞬間に消え失せてしまった。

 

「……!?」

 

 ムウは何が起きたのか、敵が何を発動したのかの判らず、機体を動かそうとした。

 ────だが、不可能だった。

 気付いたときには、〝ストライク〟のOSから応答がなくなっていたのである。何を操作しても、機体がムウの意志に即応しない。ムウは眉を顰め、スピーカーに向けて叫ぶ。

 

「何をした……!?」

〈ニコル、きみはこう云っていたね──『ナチュラルもコーディネイターも手を取り合える、地球も宇宙も関係ない』……! 残念だが、それは嘘だ〉

「……えっ」

〈互いが互いに、手を取り合えぬと断じた愚か者共が、この戦争を始めたのさ……! ナチュラルとコーディネイターが相容れることなど、あり得ないとな!〉

 

 次の瞬間、それまでシステムダウンを起こしていた〝ストライク〟が、唐突に再起動した。

 その精悍な頭部──黄金のVアンテナを張り出したツインアイに、明光が宿る。

 が、その双眼は当来のアクアブルーではなく、何かに侵されたような警報色(アラートレッド)が灯っていた。

 ──ギリリリッ!

 奇妙なほど軋んだ駆動音と共に、覚束ない動作の〝ストライク〟が、勢いよく起き上がる。再起動したかと思うと、途端に〝ストライク〟は、右手に握ったビームライフルを突き立てた。

 ただし、ライフルの照準先は〝ベルゴラ〟ではない──

 

「!?」

 

 ────〝ブリッツ(・・・・)〟だ。

 

『逃げろッ!!』

 

 そのとき誰かに、そう怒鳴られたような気がした。

 ニコルは反射的に、機体を後転させ、〝ストライク〟より放たれた光条を回避した。見間違いではない──確かに〝ストライク〟が、自分に向けて攻撃を仕掛けて来たのである。

 ニコルは、混乱した。

 

「少佐!? いったい、何を!」

 

 訳が分からず、ビームライフルを放ってくる〝ストライク〟に制止を呼びかける。

 

〈…………ッ〉

 

 しかし、ムウからの応答はなく、スピーカーやモニターからは、耳障りな雑音(ノイズ)が響いて来るだけだ。

 ──通信回線を、敵に遮断されてしまったのだろうか?

 考える暇も、ない。

 眼下にあった〝ストライク〟は、まるで何かに取り憑かれたれたように、しゃにむにビームライフルを撃ち放って来るのだから。

 

(OSの暴走──!?)

 

 その言葉がニコルの脳裏に浮かぶまで、そう時間は掛からない。

 ──まるで、野獣のような挙動(うごき)だ。

 とても正規のパイロットが──ムウが、自分の意志で機体を駆動させているとは思えない。

 イザーク達は呆然と滞空しており、どういうわけか〝ベルゴラ〟の動きも見紛うほど鈍くなっている。もっとも、そのおかげでニコルは〝ストライク〟から繰り出される砲火だけに専念することができたのだが。

 唯一、ラウだけが何かを心得ているかのように、滔々と言葉を紡いだ。

 

〈所詮はムウもまた、ナチュラルのひとり、ということかな〉

「クルーゼさん──!?」

〈その身で思い知るといい、ニコル。これが戦争の構図だよ……! ナチュラルとコーディネイターが際限なく殺し合うのさ、いまのきみ達のように(、、、、、、、、、、)な──!〉

 

 〝ストライク〟が、ビームサーベルを抜き放ち、獣のように〝ブリッツ〟に対して突撃を仕掛けて来た。

 相手が〝ストライク〟である以上、ニコルは無暗に、反撃することもできなかった。

 回避と防御に徹することしか出来ず、慌てて〝ストライク〟から距離を開こうとする。しかし、それ以上の加速を見せた〝ストライク〟が、何の躊躇もなくビームサーベルを振り抜いて来た。〝ブリッツ〟はかろうじて〝トリケロス〟で光刃を受け止めたが、反撃できない以上、彼はジリ貧になる一方だった。 

 

〈愚か者達の結末だよ、もはや止める術などない!〉

 

 嘲じる声が通信機より響き、ニコルくっと息を詰まらせる。

 ──フラガ少佐が、ぼくに本気で攻撃を仕掛けて来ているのか……?

 本当に、クルーゼの云う通りなのだろうか?

 ──ナチュラルである彼が、コーディネイターである自分を殺すために、本気で?

 そこまで考え、ニコルはふるふると、首を横に振った。

 

(違う。こんなものは幻術(まやかし)だ!)

 

 冷静に考えれば、判断できないことはない。

 つい先刻の戦闘でも、〝クレイドル〟のドラグーンが〝レムレース〟に「乗っ取られる」という異例の事態が起きていた。大体、ムウがこうして〝ストライク〟で出撃しているのも、そうして虚を突かれた〝イージス〟が被弾してしまった結果ではないか。

 もともと〝レムレース〟は、ザフトにあった新型機(テスタメント)だったのだ。

 そこに搭載されたウイルスシステムの雛型が〝ベルゴラ〟に搭載されていたとて、何も不自然なことはない。とうに〝ベルゴラ〟に実装していた機能を、最新鋭の〝テスタメント〟に流用しただけなのだから。

 

(コンピューターの制御権を強奪する? そんなハッキングプログラムが、現実に存在するのなら……!)

 

 今もまた、あのときと同様の作用が働いているのではないか?

 だとすれば──

 

「僕は騙されません! これはフラガ少佐の意志じゃない──〝ストライク〟の制御を、あなたが奪っているんでしょう!?」

 

 

 

 

 

 数刻前に〝ベルゴラ〟から放たれた〝真紅の波動〟──

 これが〝ストライク〟を呑み込んだ直後、搭乗者であるムウとの通信は途切れ、〝ストライク〟は突如として暴走を始めた。

 この点から、おそらくザフト新型の〝ベルゴラ〟には、〝ミラージュコロイド〟技術を応用した『ある種のコンピュータウイルス送信装置』が搭載されているのだろうと、ニコルは推察した。

 

 通称『バチルスウェポンシステム』──

 

 正式名称はニコルの知った所ではないが、コロイド粒子を媒介に敵の電子機器にコンピュータウイルスを送信し、これに感染した量子コンピュータのコントロールを奪う、一種のハッキングシステムのことだ。

 〝レムレース〟や〝ベルゴラ〟は、あらかじめウイルスに汚染されたコロイド状の微粒子──以下〝汚染型コロイド〟と呼ぶ──を広域に散布することで、敵機を自在に制御下に置くことが可能だ。

 おそらく〝ストライク〟を暴走させたのち、肝心の〝ベルゴラ〟の挙動が鈍くなったのも、ラウが〝ストライク〟を遠隔操作しているがゆえの弊害だろう。

 勿論、今のラウは、制御権を奪った敵機(ストライク)を、忽ちに自爆させることも決して不可能ではないはずだ。

 が、彼が未だにこれをしないのは、制御下に置いた宿敵(ムウ)を見物し、見下し、弄んでいるからなのかも知れない。

 

 ところで、〝ミラージュコロイド〟は大気中では無色透明であり、肉眼で確認することは出来ない。

 

 一方では電磁波を完全に遮断する性質を持つため、視覚的のみならず、レーダー等の電磁機器でも捕捉することが出来ない。〝ミラージュコロイド・ステルス〟を展開した〝ブリッツ〟が無色透明に変化するのも、この性質による恩恵である。

 しかし『バチルスウェポンシステム』にを通してコンピューターウイルスを含有した〝汚染型コロイド〟は、太陽光が差し込むと内部分子の衝突散乱によって赤色の透過光が加わり、美しい赤色に「発光した」ように見えるという。

 

 つまり〝汚染型コロイド〟は、決して無色透明ではない──透き通った赤色だ。

 

 そのため、ウイルスの送信機能が作動したとき、〝レムレース〟や〝ベルゴラ〟から「真紅の波動が拡がった」ように見えたのは、赤色の透過光が加わったコロイド粒子が機体を軸に同心円を描いて波状に広がる現象を肉眼で確認できたからである。背景や周囲一帯が暗黒に包まれている宇宙空間においては、殊に人間の目は、この発光現象を明瞭に知覚することができるのだろう。

 〝レムレース〟によって武装端末(ドラグーンシールド)が奪取されたように、一方で〝ベルゴラ〟は、モビルスーツの機体制御そのものを乗っ取ってしまう強力なウイルス送信システムを搭載している。

 そう悟ったニコルは堪らなくなって、通信機に向かって叫んだ。

 

同じ人間じゃないですか(、、、、、、、、、、、)! 殺し合いをさせるなんて、酷すぎます!」

 

 叫ぶが、クルーゼが取り合う様子はない。

 

〈ラクス・クラインにカガリ・ユラ・アスハ──それにきみ……! 生まれながらの幸福の中で育って来た、キミ達のような子どもには、救えるものなどありはしないさッ!〉

 

 良家という名の温室の中──

 平和という名の『箱庭』の中で、世界を知らずに育った世代の、無知蒙昧な子どもたち──

 その見識の狭さから、彼らは世界を愛する理想こそ皆の理想だと錯覚している。

 現実と理想は違うにも関わらず、現実を捨てて理想に走る。

 箱庭の中で育てられたお坊ちゃんはお姫様は、この広大な世界を、自分達の箱庭だとでも勘違いしているのだろう。

 

〈その身を以て学ぶといい……! きみたち風情に出来ることは、何ひとつありはしないということを──〉

 

 次の瞬間、ふたたび〝ベルゴラ〟の〝羽〟が広がった。

 それを見て、ニコルはぎょっと目を見開く。

 

(……あれは!)

 

 機体内部から、ふたたび〝真紅の波動〟──汚染された〝ミラージュコロイド〟が放出される。それが赤色の真空波のように、勢いよく〝ブリッツ〟まで飛来した。

 

 ──〝ブリッツ〟の制御まで、乗っ取るつもりなのかっ!?

 

 〝ストライク〟と〝ブリッツ〟のコントロールを奪い、ムウと自分を殺し合わせる──そうして彼は、自分に無力感を突きつけようとしているのだ。

 どれだけ綺麗に叫ぼうが、結局、コーディネイターの自分にできることは、ナチュラルを滅ぼすことくらいだということを──。

 

〈存分に殺し合うがいい、それが望みならッ!〉

 

 それが誰に向けた言葉であったのかは、ニコルには分からかったが。

 その瞬間、放出された〝真紅の波動(ミラージュコロイド)〟が──〝ブリッツ〟を呑み込んだ。

 

 

 

 

 

 戦況は、ラウが圧倒していた。

 今しがた〝ブリッツ〟もまた、〝ベルゴラ〟の展開した〝バチルスウェポン〟に呑み込まれた。大体、コズミック・イラ71──現代においては、殆どの機器は量子コンピュータで構成されている。モビルスーツとて例外ではなく、であれば、量子コンピュータに入り込む〝バチルスウェポン〟は、当戦場において究極的に恐ろしいハッキングシステムなのである。

 

「ニコルのやつめ……」

 

 イザークは歯噛みして、ウイルスに呑まれたであろう〝ブリッツ〟を見届けた。

 ところで、ラウの放った〝バチルスウェポンウイルス〟は、〝デュエル〟や〝バスター〟に対しては、完全に無影響である。

 と云うのも『バチルスウェポンシステム』は、コロイド粒子を媒介にコンピュータウイルスを無差別に散布する機能だ。下手をすれば、同宙域にある僚機すらもウイルスに感染させてしまう弱点があった。

 

 これを克服するために、ザフトは自軍の識別コードを持つモビルスーツに対し、あらかじめ『抗体(ワクチン)』を投与していた。

 

 パナマ攻略戦において、ザフトは制圧用に使用した〝グングニール〟の対策として、すべての出撃機に対EMPシステムを装備させていた。これと同様に〝ベルゴラ〟のウイルスが無効になるよう、すべてのザフト所属機にはあらかじめ抗体が投与されていたのだ。

 そういう意味では〝ブリッツ〟もまた、かつてはザフトに所属していた。しかし、結局は〝ベルゴラ〟が開発されるよりも前にザフトを離脱していた事実関係から、これには何の対応措置も施されていないのだ。であるならば、所詮〝ブリッツ〟には、このウイルスに対抗する術はない。

 

〈裏切り者の粛清だ〉

 

 そう云いながら、ラウは〝ブリッツ〟をコントロールしようとした。

 しかし、結果的にそれは出来なかった。

 結論から云うと、このとき〝ブリッツ〟は、奇跡的にウイルスに感染していなかったのだから──。

 

〈なに……?〉

「はは、引っかかりましたね?」

 

 云うと〝ブリッツ〟はビームサーベルを突き立て、反応の鈍った〝ストライク〟のスラスターを削ぎ、これを破損させた。

 推力を失った〝ストライク〟は、為す術なく、煙の尾を引きながら、地表に落下していく。

 次の瞬間には〝ランサーダート〟を翳し、これを〝ベルゴラ〟に向けて続々と射出した。ラウは珍しく目をぎょっと見開いた。驚愕したのである。

 

〈感染していない──!?〉

〈なっ、どういうこった!?〉

 

 ラウやディアッカが、愕然と声を挙げる。

 〝ブリッツ〟では、〝汚染型ミラージュコロイド〟の干渉を防ぐことは不可能なはずだ。

 ──なのに、何故……!?

 イザークも目をむいて思惟するが、ニコルは不敵そうに笑った。

 

「忘れてません? この〝ブリッツ〟には、初めから〝ミラージュコロイド〟の発心装置が搭載されています!」

 

 そう、そもそも〝ブリッツ〟は、みずから放出した〝ミラージュコロイド〟を磁気で安定させ、機体周囲に纏うことが可能だ。

 云い換えれば、正常にして清浄な〝ミラージュコロイド〟を用いて、これを重鎧(よろい)のように纏うことが出来る。

 

「この〝鎧〟がある以上、そちらのウイルスは、この〝ブリッツ〟には届きませんよ!」

 

 〝ブリッツ〟に搭載された〝ミラージュコロイド〟は、全長にして18Mもある巨体(ブリッツ)を、索敵レーダーからも見事に消失させてしまうのだ。これを云い換えれば、その分だけ、コロイド粒子は隈なく機体を覆っているということでもある。

 

 ──それだけ堅固に張り巡らされた〝ミラージュコロイド〟を展開すれば、敵機から放たれた〝汚染型コロイド〟の干渉だって、防ぎ止めることが出来るんじゃないか……?

 

 漠然とした思案ではあったが、結果として、ニコルは賭けに勝利した。

 赤色に透過した〝汚染型コロイド〟は、〝ブリッツ〟に届くよりも前に『見えない壁(、、、、、)』に遮られていた。正常にして清浄な、無色透明の〝ミラージュコロイド〟の障壁である。

 

「一か八かで試してみましたが、うまく行きました!」

〈──はっ! ウイルスを潜り抜けたとは云え、この戦力差、きみはどうするというのだね?〉

「僕は、ひとりではありません!」

〈!?〉

 

 次の瞬間、上空に何かがきらりと光った。これを認めた〝ベルゴラ〟が上空を振り返ろうとしたが、時すでに遅く、放たれた光条によってビームライフルを撃ち落とされていた。

 飛来する〝青い翼〟は──見覚えがある。

 ラウは憎々しげに、その名を呼ぶ。

 

〈〝フリーダム〟──!?〉

 

 気付いた時には〝ベルゴラ〟の頭部が宙に舞い、すべての武装を削ぎ落されている。

 大した性能が約束されていない〝ベルゴラ〟では〝フリーダム〟に太刀打ちすることもできず、ラウは歯噛みする。

 小さく毒づき、彼は悪あがきと知りながら『バチルスウェポンシステム』を放出した。

 コロイド粒子が散布され、鮮やかな赤色光の奔流が生まれる。〝ベルゴラ〟の放つコンピューターウイルスが、みるみる内に迫って来る〝フリーダム〟を真っ直ぐに呑み込んだ。

 

「?」

 

 が、〝フリーダム〟はウイルスの干渉を受け付けず、むしろ〝汚染型コロイド〟を綺麗に跳ね返してしまった。

 ついで、キラの思惟どおり抜刀し、すれ違いざま〝ベルゴラ〟の両脚を切り落とした。一瞬で大破した機体はそのまま、〝ストライク〟と同様に赤茶けた大地の上に転がり落ちた。

 

〈隊長ッ!〉

 

 イザークが後を追おうとするが、その進路上には〝ブリッツ〟が立ちはだかる。

 

「話を聞いてください、イザーク、ディアッカ!」

〈…………!〉

 

 そうしてザフトの少年達は、再び正面から対峙した。 

 

 

 

 

 一方で、地上に墜落していたムウは、完全にOSのダウンした〝ストライク〟を放棄し、無理矢理コクピッドをこじ開けると、傍らに墜落して来た〝ベルゴラ〟に接近した。その手には、セーフティを外した拳銃が握られている。

 

 ──あの仮面野郎、いいように扱ってくれた!

 

 まさか、機体制御を乗っ取られるとは、想像にもしていなかった。

 気を利かせてくれたニコルが、〝ストライク〟のスラスターだけを破損させてくれたから、今のムウは無事にして無傷だ。しかし下手をしていれば、ムウはニコルを手に掛けていたし、ニコルはムウを手に掛けていたのだ。

 ──仲間同士で殺し合う? 悪い冗談だろ……。

 考えていると、墜落した〝ベルゴラ〟のハッチが開き、ザフトの制服を着た金髪の男が飛び出して来た。

 ムウはハッとして、拳銃を構えた。

 

「どこへ行く!」

 

 慌てて銃を撃ち掛けるが、向こうも同様に応射して来たため、ムウは物陰に身を隠し、凶弾をやり過ごす。

 

「今日こそつけるかね、決着を!?」

「何を!」

 

 一発、二発──

 三発と、まだ銃声が鳴り響いた。

 

「──ならば来たまえ! 引導を渡してやるよ、この私がな!」

 

 ラウは挑発しながらも、巨大な円筒状の建物へと駆け込んで行く。

 ムウは銃声が鳴り止んだのを確認してから身を乗り出し、その後を追って行った。

 

 ここはコロニー──〝メンデル〟──遺伝子研究の、聖地である。

 

 


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