~夢見る少女の転生録~   作:樹霜師走

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 オルガ・サブナックの個人データ
「普段は読書が趣味の物静かな男性で、主にジュブナイル小説を好む。また、小説の登場人物に感情移入して泣き出してしまうこともある」
 という設定から衝動的に書きたくなった話です。

 時系列的には、ラウやムウ、キラが〝メンデル〟内で言い争っている時点での裏話だと思って頂ければ。



『スクラップド・プリンセス』A

 

 

 オルガ・サブナックは、読書を好む青年である。

 

 彼の正体は「生体CPU」と呼称される、大西洋連邦──あるいはそれを隠れ蓑にした巨大なネットワーク──が抱える虎の子の鉄砲玉だ。あるいは強化人間とも云うべき、ブーステッドマン──

 端正な顔立ちに、訓練で鍛え上げた女性受けの良い精悍な体格。その出自や経歴など個人情報の一切は抹消されているが、ひと口に「どこにでもいる青年」と形容するには、いささかの遠慮がある。青年の容姿や、身に纏う雰囲気には、どこか高貴さを漂わせるものがあるからだ。

 個人情報という訳ではないが、個体データとして強化インプラント:ステージ「2」と表記され、彼の同僚であるクロトやシャニに比して、精神が安定的に保たれている点が特徴的である。

 そして、やはり趣味が読書であるからか、平時においては物静かな印象が先に立つ青年だ。彼は主にジュブナイル小説を好み、これを静かに読みつくすことが、彼にとっては密かな日常の愉しみであるらしい。

 

「本を読んでいる最中の彼は、涙を流し泣いていた。おそらくは、空想の世界に対しても感情移入ができる〝豊かさ〟を持った人間なんだ」

 

 これは〝ドミニオン〟の船医であるハリー・マーカット氏による証言である。

 言葉を選ばずに云えば、彼らブーステッドマンは凶暴であり、粗野なイメージが先行しがちであり、そんなオルガが「泣いていた」とする証言は、表面的にしか彼らを知らない者達にとっては眉に唾を付けたくなるような話として受け取られる。

 だが実際、ハリーの証言に嘘偽りはなかった。そればかりか、一部の人間にとってはどうやら珍しがるような話でもないらしいのだ。オルガが自分の時間を費やす中で、読み通した小説に感動し涙している場面を目撃したことがあるのは、じつに、ハリーだけではなかったから──

 

 ──例えばクロト・ブエルやシャニ・アンドラス、彼らは既に知っていた様子だ。

 

 さりとて、彼らとて自分以外の人間に注意を払うほどデリケートなタイプではない。むしろ不干渉主義とでもいうのか、オルガと同じように暇さえあれば自分の世界に閉じ籠ることを優先するタイプだったのは事実だ。

 だからこそ、彼らは小説の物語に感動し、思わず涙しているオルガを外野から冷やかしたり、茶化したりするようなことは滅多ではなかった。裏を返せば、オルガ自身もそれをよく判っているから近場に彼らがいても読書できるのだし、そうして小説の世界に没入することができていたのだろう。

 つまり、オルガはハリーが目撃した一度だけでなく、かねてより様々な小説──その中で描かれるストーリーや登場人物、云ってしまえば虚構に過ぎない空想の産物──にも感動できる、ハリーに云わすところの〝感受性〟を十分に残した人間だと見ることが出来る。

 

 ──なるほど、豊かな人間なのだな……?

 

 ブーステッドマンという凶悪な肩書き、そして一度は実際に突き飛ばされたという恐怖体験から、これまでは敬遠してもいたのだが、このことを知ったハリーは、ひとえに感動したという。

 それからというものの、オルガという青年が隠し持つ繊細な一面を認めてからのハリーは、ふいに彼のことを観察するようになっていった。それが個人的な感心から来る行動なのか、医学者としての関心から来る衝動なのかは、本人にも分からなかったが。

 

 ──サブナックっていうのも、きっと偽名だな。

 ──本当の名前は、なんて云うのだろう。

 

 かつて、ステラ・ルーシェという娘に出会っているハリーには判る。強化人間というものは大抵、なんらかの形で地球軍に保護されたり、連れ去られたりした子供達の末路だ。前者はともかく、後者はいざ告発に遭ったとき身元を特定されたくない事情を抱えているため、持って生まれたファミリー・ネームを抹消されているのが大半だ。かつてステラが、みずからを「ルーシェ」と疑うことなく名乗ったのも、そういった措置の結末だったのだから。

 そもそも、サブナックというのはソロモンの悪神を冠する不吉な名称であり、これを彼に与えた研究者が如何に残念な発想をしているのかが伺い知れるところである。ハリーも同じ研究者として、ロマンの無さを痛烈に批判したいところだ。

 

 ──しかし、そんなに読書をして……

 ──小説を通して、彼はいったい何を学び、何を思っているんだろう……?

 

 ひとりの大人として、ハリーはオルガに対し、そんな興味を抱いたそうだ。 

 

 

 

 

 

 意識が戻ると、目を開けた先に、真っ白で綺麗な天井が映った。

 ──ああ、またこの景色。

 朦朧と云い含みながら、フレイ・アルスターは〝ドミニオン〟の医務室で目を醒ましていた。

 

 ──どうにも、また眠ってしまったらしい。

 

 最後に残っている記憶は、真っ黒な宙域戦闘の真っただ中だと云うのに。

 気が付けば真っ白な医務室で目を醒ましたのだから、どうやら自分はまた、戦闘中に発作を起こしてしまったらしい──それも、得体の知れない激痛を伴った。

 

(まったく……)

 

 口を尖らせながら、碌な制御も利かない自身の肉体に、憤りを通り越して呆れてしまうフレイ。

 進水式を終えたばかりの〝ドミニオン〟の医務室には、一点の汚れもない潔白の天井が広がっていた。無骨な医療用機材を除けば、室内はいっそ白ずくめである。このとき彼女には、そんな室内があまりに眩しく、鬱陶しく映った。

 

「おや、目が覚めたかい」

 

 目を細めながら、のろりと体を起こしたフレイに声を掛けたのは、傍らのハリーだ。フレイは眠たげに目を擦り、寝癖は適当にほぐしながら彼に問う。

 

「──アズラエルは?」

 

 尋ねられたハリーは、一瞬呆れた顔をした。

 しかし、まずは問われた質問に答えてやった。

 

「彼なら、自室と艦橋を行ったり来たりしていて、医務室(ここ)には一度も来ていない」

 

 ていうか、起きてからの第一声がそれかい?

 と、ハリーはしごく呆れた顔で付け足す。フレイは彼から視線を外しながら言う。

 

「不安なのよ……もし、あの男に病状が知られたらって考えると」

「最近のきみと来たら、そればっかりだな」

 

 無理もない話ではあるが、耳に痛い言葉を返され、フレイは黙った。何もかも図星であるためハリーの言葉は否定できない彼女であるが、反論することのできたので、不機嫌そうに云い返す。

 

「それを云うなら、もともとはあなたが処方した薬が大して役に立たなかったせいよ。なんでわたしが医務室(こんなとこ)にいなきゃいけないの?」

 

 毒々しさを湛えたフレイの双眸には、みずからの主治医に対する不信感がある。

 ──中枢神経刺激薬(モディオダール)は、睡眠発作を抑える薬じゃなかったの?

 対症療法として効き目があるからと説得されて、これを摂取したのだ。にも拘わらず、現実に睡眠発作は起こった。まるで無意味とばかりの現実だ。

 フレイが云いたいことも分からないでもないハリーは、独自の考察を返す。

 

「戦闘中に興奮しすぎたんだろう。摂取したモディオダールだが、さっきは本来の効能の半分も持たなかったようだよ」

「ふぅん……」

「薬物療法も、完璧ではないってことさ」

 

 ──じゃあ、どうすればいいっていうのよ……。

 思い悩みながら、フレイが不意に視線を上げると、なぜかハリーがこちらをじっと眇めているのに気が付いた。ぴたりと視線が合い、しかもいじらしげにニヤついている。あまりに鬱陶しかったので、フレイは「なに」と云って、彼に発言を許してやった。

 

「ちなみに、きみを医務室(ここ)まで運んで来てくれたのは、サブナック少尉だ」

「あっそ」

「──また(・・)だよ?」

「…………」

 

 言葉の中に、何か恣意的な強調を感じ取ったフレイは、鬱陶しげにハリーを睨む。

 

「……ねえその情報、別に欲しくないわ」

「僕はおしゃべりなんだ、知ってるだろう?」

「うそよ」

「ひどいな。嘘じゃないよ、少なくとも半分は」

「そうね、云いたいことはそれだけじゃない、って顔してる」

 

 目は口ほどにものを云うと伝わるが、その通りだと思ったフレイは、困ったように傍らの機材に頬杖を付き、返す。

 

「──随分と推してるの(・・・・・)ね、あいつのこと?」

「ばれたか」

 

 ハリーは両の掌を上げ、肩を竦めて見せた。

 それは、欧米人らしい仕草だった。

 

「精神病治療の前例でね──『他人との対話の機会を増やし、幸福を感じる機会を多く与えることで、病気を治した』というのがあるんだよ」

 

 何を云われているのか分からず、フレイは目を点にした。

 

「……ちょっと待って?」

「きみも年頃の女の子であることには変わりはないんだし、いっそロマンスのひとつでもやらせておけば、病気の改善に繋がるんじゃないかと思うんだよ」

「待って」

「これは僕が独自に考案してみた、新しい医学療法さ。心理療法(サイコセラピー)ならぬ、恋愛療法(ロマンスセラピー)

「聞こえてる?」

 

 本当に饒舌(おしゃべり)だ、言葉を介在させる余地もない。

 つまりハリーは、いち医学者としてフレイにオルガ・サブナックとの交流を望んでいるのである。それはあくまで治療の一環としての仲介であり、実際に効果があるかどうかは定かではない。試行錯誤と云えば聞こえはいいが、そのじつ、ハリーはフレイに「恋させようとしている」らしい。

 ──研究者って、これだ。

 そんなことのためにオルガ・サブナックを斡旋しているのかと思うと、この男が悪徳業者に見える。どうにも人間の感情を軽んじているというか。まず、ロマンスという言葉に「やらせておけば」って表現を用いること自体、人としてまずどうかと思うが。

 

「恋すれば人は幸せになるだなんて、その発想自体が偏見じゃない?」

「まあ偏見に近いことは僕も認めるが、倫理学的にはあながち間違った発想でもないんだよ」

 

 ひと口に〝幸福〟と云っても千差万別であり──

 これは一概に〝こう〟として云い切れる性質のものでもないのだが、少なくとも、自己実現という一転的な幸福において恋愛が最も手っ取り早い方法のひとつであることは事実だった。何故なら自分が自分であるだけで、相手が自分の存在を認めてくれるから。

 

「医療だって科学だよ。いつだって実験と観測の連続で成り立っている」

 

 非情なことを誇らしげに説かれても特に感嘆できないフレイは、ひたすら呆れていた。なかば諦めの視線を向けながら咎める。

 

「どいつもこいつも医学者って人種は、人様を実験動物ほどにしか見てないのね」

「個より公って云うからね、否定はしない。けど、今回は割と真面目に云ってるんだ」

 

 ハリーは、決して軽率にこんなことを云っているわけではない。

 その証拠に、弁解した。

 

「云うけどね、きみに施せる対症療法なら僕はもう十全にやっている。それでもきみを襲う病魔は抑えられない──とすれば、きみ自身の(ハート)に障害があると思うんだ」

 

 ──というか、それ以外に考えられない。

 付け足され、フレイは不機嫌な顔をした。

 

「なによ。わたしの心が病んでる、とでも云いたげね」

「云いたげ、じゃない云ってるんだ。きみはまず、その歪んだ心の方をどうにかするべきだ」

 

 こういう率直な物言いはフレイは嫌いじゃなかったが、何食わぬ顔で云われると、それはそれで腹が立った。

 

「表面的な症状を抑える薬物療法と違って、心理療法ってのは患者の精神負担(ストレス)そのものに働きかける内面的な治療法だ。僕が今までやって来た医療措置とは一線を画すから、きみにも効果が望めるかも知れないよ?」

 

 要するにハリーは、薬物療法を用いても睡眠病が改善されないフレイに対し、今度は心理療法を用いてみようと考えたのである。

 その結果、フレイに「異性とのロマンスを推奨する」という無神経にも程がある恋愛斡旋行動(キューピッド)に及んだわけだが、それもこれも患者の病状を改善させようと考えた結果であって、一概に彼を糾弾できる性質ではないらしい。何故なら彼はそれを冗談で云っているわけではないのだから。

 

「花の十六歳が、いつまでも戦場に出ずっぱりなんて、やっぱり健康じゃないと思うんだ。ここはひとつ、年齢相応に恋でもすれば、健全な女の子に戻れるんじゃないかな」

「要するにそれ、わたしに発情しろってことじゃない」

「……きみは、もうちょっと他に言い方があるだろ……」

「ないわね、発想に品がないもの」

「胸のときめきは、ティーンエイジャーの特権って云うじゃないか」

「なにそれ、バカみたい」

 

 フレイは、この愛すべき主治医を悉く一蹴した。

 

「じゃあ訊くが、ときにきみは、何をしたときに精神的な充足を得るんだい?」

「コーディネイターをやっつけたとき?」

「云うと思った。ほら、碌でもない」

 

 ハリーは、呆れた。

 

「きみがそんなんだから、他にいい方法が見つからなかったんだってこと、わかってくれ」

「……。わたしは、恋愛ごっこは嫌いなの」

 

 その言葉には、含みがあった。

 ハリーは、心外と云わんばかりに返す。

 

「ごっこじゃないさ! きみには本気で恋してもらわないと意味がない!」

「あなた今、とってもアホくさいこと云ってるって自覚ある? だいたい、わたしにだって自由があるわ」

「そりゃそうだ。だから僕は、推してみただけだ」

 

 薬物によって肉体を拘束されていようと、少なくともフレイは、ひとりの女としての尊厳くらいは約束してもらっているつもりだ。少なくとも精神面まで、外野の研究者に強制される筋合いはない。

 ──人間の色恋なんて、強制しようと思って出来るものじゃあるまいし……。

 そもそも、精神的なストレスを除去しにかかるのが、心理療法なのだろう? であるなら、心理的に負担のかかる(・・・・・・)相手を伴侶に選んでは本末転倒ではないか。いったい何が悲しくて、強化人間の男なんかと──

 

「──負担がかかる? 本当にそうかな」

「……えっ」

 

 フレイは、虚を突かれた表情を浮かべた。

 ハリーは眼鏡のレンズを吹きながら、淡々として云った。

 

「彼は()い少年だと思うけどね、僕は。──きみが知らなすぎるってだけで」

 

 言葉には、云い知れぬ含みがあった。

 フレイは茶化すように「……こないだ突き飛ばされていた奴の台詞とは思えないわね」と不愛想に返したが「あのときは、あのときだ」と、同様にはぐらかされてしまった。

 

「きみはもう少しだけ、周囲の人間にも気を配ってみたらどうだろう」

 

 唐突に提案され、フレイは眉を顰める。そんな云い方をされると、まるで自分が独り善がりに生きているようではないか。咄嗟に心外だと云い返そうとしたが、なぜだか、上手く出来なかった。

 ハリーは視線を落としながら続けた。

 

「今は席を外しているが、彼はきみを医務室に運んで来たあと、きみが眠っている間もずっとこの部屋にいたよ」

 

 想像もしていなかったその言葉に、フレイは感動しようとして、

 

「──まあ八割は読書に耽っていたから、別にきみを看病してたわけじゃないし、要するに自分の時間を医務室(ここ)で勝手に潰してただけなんだけどさ」

 

 できなかった。

 

「部外者って分かったならその時点で追い出しなさいよ、バカじゃないの?」

「医務室の監督者は僕だから、来客をどうしようと、僕の勝手だ」

「仮にも男女よ?」

 

 患者が眠っている手前、部外者が医務室に居座るのを黙認したハリーも、それはそれでどうかと思うのだ。

 

「あの男、本なんて読むのね」

「……。それも、あとで確認して来るといい」

 

 もっと云えば、あの男はどうして、医務室なんかで本を読もうと思ったのだろう?

 フレイは怪訝に思ったが、考えるより前に、ハリーが先を続けた。

 

「きみはきみが思っている以上に、周りの人達に助けられてるんだよ」

 

 フレイ・アルスターは、元は良家の令嬢で、云ってしまえば「温室育ちのお嬢様」である。

 露骨に云えば「傍若無人」──その恵まれた出生ゆえに、己がどれだけ周りの人間に助けられているのか、どれだけ周りに支えられて生きているのか──こうした事実を咀嚼する能力に、あまりにも欠けていた内面がある。

 このときハリーは、そんな彼女の欠点を指摘したに過ぎない。

 

烏滸(おこ)がましい云い方になるが、ぼくは勿論のこと。バジルール艦長だって、きみの病気をアズラエルに報告してないだろう」

 

 それを云われると、フレイには返す言葉がなかった。 

 

「ぶっちゃけ、軍規違反もいいところだ」

 

 云われてみれば、確かにその通りである。ナタルはフレイが疾患を抱えている事実を把握しておきながら、そのことをアズラエルに報告していない。

 それはムルタ・アズラエルという人物が〝ドミニオン〟艦内においてどれほど煙たがられているのかを暗に証明しているのだが、問題はそこではなく、少なくとも情報の秘匿は軍人として重大な軍規違反に相当するということだ。それほどに危険な橋を、あのナタル・バジルールともあろう人物が渡るものだろうか?

 

「バジルール艦長はきみの身を按じているからこそ、この事実を秘匿してくれているんだ」

「軍規違反……! あの、バジルール中尉が──」

「今は少佐な」

 

 本人の前で粗相はしてくれるな、と言いたげなハリーであったが、フレイはナタル・バジルールという人物に対し、かねてより冷淡で堅苦しいイメージしか抱いていなかった。

 だが、その事実を踏まえて考えると、実は非常に思いやりのある、温かな人物であるようにも思える。

 

「オルガくんに至っても同じさ。彼が昏睡したきみを〝レムレース〟から穏便に運び出してくれるから、今もまだ騒ぎにならずに済んでいる」

 

 逆に云えば、彼がいなければ、とっくのとうにアズラエルには勘付かれていたはずだ。

 

「感謝というと可笑しいが──すこしは彼等の心遣いに、きみ自身、気付いてあげるべきじゃないかな?」

「…………」

 

 云われ、初めて気付く。ハリーの云う通り、今までの自分は、どれほど独り善がりであったのか──と。

 周りから向けられた温情に気付くこともなく、自分ひとりで生きているのだと錯覚していた。周りの協力がなければ、自分はもう、この場所には居なかったかも知れないのに──。

 フレイはこのとき、周囲の人間への認識を改めていた。

 

 

 

 

 

 そうして話題に上がったオルガ・サブナックは、現在〝ドミニオン〟の艦長室に呼びつけられていた。

 会話の主は、ナタル・バジルールである。

 彼女はいつになく冷然として、デスクを挟んで前に立つオルガに向けて云った。

 

「──きみは彼女……フレイ・アルスターに、優しく出来る人間ではないはずだ」

 

 唐突に呼び出されたかと思えば、開口一番、そんな説教じみたことを云われ、オルガは眉を顰めた。数刻前まで、オルガは医務室で読書に耽っていた。そんなときにナタルから艦長室まで呼びつけられたわけであるが、如何せんタイミングが悪かった。

 今回、オルガが読んでいた小説は青年向けのSFファンタジーだったのだが、主人公がすでに死別したと思われたたヒロインと再会し、物語が新章へ動き出そうとしている──! そのような佳境において呼び出しを受けたものだから、はやく続きが読みたくて、このときの彼はえげつなく不機嫌であった。……だからだろうか? ナタルから突拍子もない言葉を掛けられ、

 

「ああん?」

 

 オルガは上官に対しては大変な粗相に当たる横暴な態度を、当たり前のように取ってしまっていた。

 ──そんな説教のために、オレの楽しみを奪うんじゃねえ。

 そう云わんばかりの悪態、しかし、それでも理性が介在する余地はあったらしい? 慌てて口を塞いだ彼を見て、ナタルは唖然とした後、わずかに苦笑した。

 

「いや、艦長室に呼び出しておいて何なのだがな。これは別に、上官としてきみに訊いていることじゃないんだ」

「じゃあ、なんなんだよ」

 

 今だけは上官ではないと判った途端、オルガの中から敬語という作法が消え失せた。

 単純である。この少年は意外にも扱い易いのかも知れないな、とナタルは思った。

 

「アルスターが抱えている『疾患』のことは、きみは、もう知っているんだろう?」

「……あー、あの医者のおっさんが、なんか云ってたからな」

「どうして、アズラエル理事に報告しない?」

 

 オルガは、眉を顰めた。人に云える立場かよ、と思ったのである。

 

「きみ達ブーステッドマンと、アルスターは違うのだろう?」

「ああ、違う種類の──人間だ」

 

 気を悪くしないで聞いてくれると嬉しい。

 ナタルは断りをおいてから云った。

 

「つまり、きみ達は旧式の強化人間で、一方のアルスターは、新開発された別種の強化人間というわけだ」

「ざっくり云うな、あんた」

 

 オルガが云えば「性格なんだ」と返って来た。

 ナタルは思案顔で続ける。

 

「分からないな……。彼女が抱えた疾患は深刻だ、ことモビルスーツ・パイロットとしては、あまりにも」

 

 睡眠病(ナルコレプシー)──

 それは日中において本人の意志とは関係なく、唐突に睡眠状態に陥ってしまう脳疾患だ。仮にも人体が電気で動いているものだとすると、日常的に「停電」が起こる欠陥に等しい。それは戦闘中であっても例外ではなく、日常生活においてはモビル・スーツの操縦はおろか、車の運転免許取得にすら致命的とされているほどの疾患なのだ。

 

「それを理事に報告すれば、旧式のきみたちは、アルスターに立場を脅かされることもないのだろう?」

 

 にべもない言い方だが、それこそがナタルであり、出任せを云っているわけでもないのだ。

 いつの時代も、画期的な新製品が開発されれば、旧式は型落ちとして破棄される宿命にある。それは強化人間にも当てはまるケースであり、新型の『エクステンデット』が開発されつつある今、大西洋連邦が『ブーステッドマン』達に拘り続ける意味はそう多くない。

 

「旧型が返り咲くために必要なことは、新型が使い物にならないことを立証する、その程度だろうが……」

 

 だとすれば、なおのことナタルには『リビングデッド』と揶揄されているフレイの病状を、オルガがアズラエルに報告しない理由が分からないのだ。

 ──フレイのことを貶めれば。

 ──新型の強化人間は「欠陥品」だと声高に叫べば、オルガは自分の存在意義を取り戻すこともできるのに。

 他でもない、オルガ自身がその辺りのことを理解しているはずなのに、彼がやっているのは、むしろその逆だ。フレイの抱えた脳疾患を監督者、つまりはアズラエルにひた隠し、彼女の身を案じ、護ってやってしまっている。

 だからこそナタルは、オルガに対して容赦なく訊ねた。

 

「アルスターに優しくする意味が、いったい、きみのどこにあるというんだ?」

 

 無情なこと──

 この上ない発言に、オルガは思わず、不敵に笑った。

 

「あんた、あの女の味方なのか、敵なのか──分かんねえな」

「私は事実確認がしたいんだ。偉そうに云ってはいるが、私も理事に真実を隠している手前、どちらかと問われれば味方さ」

「そういう割には、えげつねーことを訊く」

 

 オルガははぐらかすように目を泳がせた後、しばし考え込む振りをして云った。

 

「いろいろ考えて、割り切ったことだ」

「?」

「あんたに云っても、分からねぇだろうけどな」

 

 そう、この艦長には判らない。

 ──自分たち、強化人間の内情なんて。

 オルガは臆することのない、それどころか挑戦的な笑みを浮かべて云った。

 

「あんたから見ての通り、オレは連合のブーステッドマンだ。こうなる前のこと(・・・・・・・・)は、もう、よく覚えてやしねえ」

「ン……」

「戦って、相手をぶっ壊して、そうやって生きて来た。逆に云えば、それ以外には生き方を知らねえし、生き抜くこともできねえ」

 

 ──殺されるくらいなら、殺す方がマシだ。

 座右の銘というほど殊勝なものでもないが、それを信条に生きることが精いっぱいであることは確かだ。いつだって他人より自分、仲間よりも自分だ。そのような考え方を勝手だと云いたいなら、好きにすればいいとオルガは思う。オルガはあくまでも自分の価値観に従って生きており、その行動概念はどこまでも自己本位、自分勝手なものに過ぎない。

 どだい、戦争の発端となるのは国家や宗教の対立、あるいは主義や主張の違いなどであるが、彼にとってはどーでもいいことなのだ。自分はただ戦争の中でしか生きる術を知らず、敵である者を滅ぼすことでしか生きられない。彼は社会や思想などを背負って戦ったことがなく、大義や正義とやらを信じて戦ったことも一度もない。おおよそ国家や家柄の理想を背負って立つナタルとは、対極の位置にあると云って良い。

 

「生き残ることに執着して、必死だったんだ」

「だったら余計だ、何故……」

 

 だから、戦って。戦って。戦って──

 敵を倒して、壊して、殺して──そうして生き抜こうとした。

 そんなときに、どこの馬の骨とも知れない女が現れた。そいつは自分達よりも優れたモビルスーツを与えられていたのだ。

 そのとき、オルガは悔しかった。なぜだと思った。自分達はまだやれるのに──まだ戦えるのに。

 オルガは生きることに執着していたのだが、しかしふと、考えたことがある──

 

「けど、この戦争が終わったら、オレたちはどうなんだ?」

 

 ──それは、終戦後の自分達のこと。

 

「戦って生き残る。戦争が終わるまで勝ち残る。──けどよ、そうやって本当に戦争が終わっちまったら、オレたちはもう用済みだろ」

 

 地球軍は、強化人間を元に戻す方法を知らない──そうした真実に気付いたときだったのだ、オルガの中で、何かが音を立てて崩れ去ったのは。

 戦わなくても、待っているのは死。しかし、戦って生き残っても、待っているのは死ではないか──?

 

「だからもう、いいんじゃねぇか(・・・・・・・・)って──いつからかそう思った」

 

 ナタルは、絶句した。

 その言葉には、疲弊があった。(よわい)十七歳の少年が抱くには、あまりにも早すぎる。

 

「他人を蹴落としてまで生きようとする意味が、オレの中から消え失せただけだ」

「……それは、ある種の自殺願望じゃないのか?」

「さあな、別に死にたいわけじゃあねぇよ、オレは。まだまだ、壊し足りないしな……」

 

 しかし、ナタルはこのとき、ほんのすこしオルガの疲弊の意味を知ったような気がした。

 ──この少年が戦うのは、もしかしたら、生きるためじゃない……?

 そう思えてしまうほどに、オルガの声には疲弊が混じっているように聞こえた。戦場で破壊の限りを尽くし、戦績を上げる。しかしそれは、見方を変えれば敵からの憎しみを買う行為でもある。

 そういう意味では、彼が戦い続けるのは、生き抜くためというよりは、むしろ──

 

 

 

 

 

 

 我ながらしゃべり過ぎたか、と思いながら、オルガは艦長室を後にしていた。

 ──さて、どうしようか。

 このとき、読みかけていたジュブナイル小説の続きも気になったオルガであるが、呼び出しを受ける前のような意欲は、何故か吹き飛んでしまっていた。あれだけ続きを読みたかったはずなのに。

 

 ──そもそも、この読書の趣味は、一体いつから始めたものだったろうか?

 

 廊下を歩きながら、ひとり考え直す。艦長に伝えた通り、オルガはもはや強化人間になるよりも前の自分を、はっきり思い出すことが出来ないでいた。

 しかし、自分は決して、昔から読書が好きだったわけではないと思うのだ。小説を読む習慣がついたのは、それこそ強化人間になった後からだったようにも思える。

 たとえば、戦闘待機中のアラートで、クロトが携帯ゲームに、シャニがデスメタル音楽に没頭していたことで、

 

『オレにも何か、時間を忘れていられるような趣味があればいい』

 

 ほんの些細な思いつきと、ちょっとしたと興味から始まった趣味と習慣。それが、オルガにとっては読書だったに過ぎない。もっとも、小説を読むことは別に苦ではないし、面白いという感情も確かに内在している。

 中でもオルガはジュブナイル小説を嗜好しているのだが、どうしてそのジャンルが好きなのかも、今ではなんとなく自覚していた。ジュブナイル──最近ではライトノベルとも云うのだろうか? 結局は空想物に過ぎない世界を描いた『夢物語』──それが本当に面白いと感じる、その理由(わけ)も……。

 

 ────考えながら歩いていると、廊下の反対側にひとりの人影が見えた。

 

 燃え盛る炎のような紅い色の髪、上品に結われたハーフアップポニーと、空を宿したような色の瞳。幼さを残しながらも、大人になりかけた美麗な顔つき。

 フレイ・アルスターだ。真っ白なキャミソールの上に桃色の軍服を羽織り、前がはだけたその様は「だらしがない」と云えようが、それを云うなら鬱陶しい両袖を切り落としている自分とて同じだろうと思って、やめた。

 ──起きたのかよ、やっと。

 何と云うわけでもなく、オルガはそう思惟した。

 前のはだけた軍服の下に覗く、キャミソールに浮かんだ膨らみに目のやり場が困る。実際、廊下を歩く〝ドミニオン〟の士官達は彼女を二度見したり、盗み見たりしているようでもある。

 ──だが、アイツは今までずっと、医務室で眠っていたのだ。

 そのときから、彼女はパイロットスーツを脱がされたキャミソール姿であったので、あの恰好は周囲を挑発しているというより、単純に粗末なだけだろう。煽られるだけ馬鹿だよな、とオルガは理知的に自分を納得させた。

 

「──あれ、おまえ」

 

 互いの距離が縮まって、オルガは無意識にそう云っていた。別に話しかけるつもりではなかったのに、フレイに声を発していたのだ。

 フレイはオルガの方を、──相変わらず愛想がねえな、と思ってしまうような──素気ない表情で見返して来た。

 

「なにか?」

「ああ、いや。……なんでもねえ」

「……」

 

 ──綺麗だと、思ったのだ。

 勿論、口には出さなかったが。

 

(──て、これじゃあ周りの馬鹿共と同じじゃねえか)

 

 猿のように盛った士官達(アホども)と同じようなことしか考えられなかった自分に、オルガは額を抱えてしまった。

 ──そう云えば、以前コイツを問い詰めたとき、コイツは自分で自分を美人だって驕ったような台詞を吐いていた。

 まあ実際、この女は確かに美人だと思うし、自他共に認めるだけのことはある。もっとも最近は疲労や睡眠不足によって台無しになっていた感が強いし、本人も実質的に、そういった方面の体調管理はおざなりにしていたようではある。

 だが、このときのフレイには『それ』がなかった。

 男のオルガには詳しいことは分からないが、このときフレイは、それまで諦めたように放棄していたメイクを施しているらしい。ナチュラルめに整えられた睫毛が目元を引き立たせ、淡い桃色のアイラインが、目元をより魅惑的に造形しているように見えた。オルガは読書をする割に婉曲的な表現が自分では出来なかったので、直接的にそれがエロいと感じていた。

 そしてそれは、魅せ方(・・・)をよく知っている女の顔付きだとも思った。

 ──いったい、何があった?

 オルガは不審に思ったが、フレイはついで、こんなことを云って来た。

 

「……〝レムレース〟から降ろしてくれたんですってね」

「ン? ああ、気まぐれだ」

 

 フレイは、視線を逸らした。

 俯きがちに、恥じたように云う──

 

「その、ありがとう」

 

 ──他人に素直に感謝することなんて、滅多なことではなかったからだ。

 医務室を出て来る前、ハリーに指摘されたために、フレイはこうして感謝の念を述べたのだ──が、相手がオルガ・サブナックであることを考えると、どうにもあの男の恣意が働いているように思え、気まずかったが。

 オルガはしかし、心底意外だったのだろう──フレイに対して「あ?」と吐き捨てた。

 

「慣れ合いは、しないんじゃなかったのかよ」

「別に、感謝くらいしたっていいでしょう。気が変わった(・・・・・・)のよ」

「はっ。可愛くねえ女」

 

 オルガは、笑った。

 

「呼び止めて悪かったな」

 

 もとより、廊下の向こう側からやって来たフレイは、オルガが来た道の方向に用があったに違いない。

 が、フレイは黙ったまま、足を動かそうとしなかった。

 その双眸には不貞腐れたような、それでいて何かを訴えるような色が浮かんでいた。怒った、といえば正確ではないが、怒ったような目でオルガを見上げ、その視線の意味を、彼は咄嗟に分かった気になってしまった。

 ──こいつ……。

 が、その先はあえて考えず、一拍置いて、静かに溢す。

 

じゃあ(・・・)──寄ってくか?」

 

 発言に下心がなかったと云えば、それは嘘になるだろう。

 オルガは別に、この女のことが好きでもなければ、相手だって自分のことを好きではないという自覚はある。しかし、少なくとも嫌われてはいない、という自惚れのような気持ちはあったのは確かだ。

 先の視線の中からは、それを確信できた。

 もっとも、オルガもフレイに対して「好き」だとか、そんな高尚な情緒を抱いたことはないし、あくまで成熟しかけの女の肉体を弄べるなら「まんざらではない」という限りなく低俗的な欲望を抱いたに過ぎないのだ。

 

 ──後から思えば、こんなものは賭けでしかなかった。

 ──仮に予想と期待が外れたとして、落ち込むだけ無駄なことだ。

 

 オルガは自分にそう云い聞かせながら、自室へと足を向けた。

 フレイもまた、何も云わずに、男の後に続いた。 

 

 

 

 






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