~夢見る少女の転生録~   作:樹霜師走

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 この話のどこら辺が閑篇なのか、誰か教えてくれ……!




『幼馴染の分水嶺』

 

 

 

 コロニー〝メンデル〟から持ち帰った資料の中に、キラ・ヤマトが「とあるノート」を見つけたのは、この半月間のこと。

 彼らが研究所から持ち帰ったレポートの中には、たとえばラウ・ル・クルーゼの出生について記された抄録もあって、キラやムウはこれを拝見したことで「ラウ・ラ・フラガ」その人が、クローニングによってテロメアの問題に苦しんでいる真実を把握できた。

 

 ──では、その資料を記したのは、いったい誰だったのか?

 

 資料の中には勿論、みずからの手でラウを作り出したヒビキ博士の学術書も含まれていた。だが、ありとあらゆる真実を、素人には解読困難な学術書(それ)よりも、はるかに分かりやすく記述していた手記もあった。

 その手記を書き残した人物は、ラウの肉体に起きていた異変をいち早く察知し、彼に与えられた『運命』を記録した男。ラウが製造された〝メンデル〟に籍を置いた、DNA解析分野における医学的権威。それでいて、ラウ自身の数少ない知己のひとり──そのような人物が残した手記を拝見して、キラは感銘を受けた。

 

 ──いま、これを読んでいる〝きみ〟は、どんな世界を幸せだと思う?

 

 それは学術的なレポートというよりも、日々の憶え書きのように麗筆で連ねられ、今のキラにも理解しやすい、むしろ反応しやすい内容となっていた。

 

(どんな世界……? それはもちろん、家族とか友達とか、みんなと一緒に……静かに穏やかなに暮らせる世界があるのなら、それが一番、幸せなんじゃないかな)

 

 顔も知らない、まして、どんな人物なのかも分からない──

 それでもキラは、このノートを通じて男性と会話しているような気分になったという。ステラにも、ムウにも云わず、このノートをこっそり自室に持ち込んだキラは、まるで食い入るように、この帳にひとり目を通していたのだ。

 撃たれては撃ち返し、撃っては撃ち返される限りない応酬。その連鎖を断ち切ることで、誰もが手を取り合って暮らせる世界が来るのなら──おそらくは「それ」が、キラが思い付くことのできるより善い世界の在り方であるのように思える。

 

 ──だが昨今において、コーディネイターとナチュラルの溝は深まるばかりだ。

 ──本当に愚かなことだとは思わないか? 人が、同じ人を差別するなんて。

 

 たしかに、キラもそう思う。ラウは云った──この世界、および今という戦争の時代は、人々の差別が繰り返された結末であり、もはや止める術はないのだと。

 しかし、それでもキラは護りたい世界があると云った。世界の破滅を渇望していたラウとは対照的に、キラはこの世界を護りたい。呪うのではなく、祝いたい。ナチュラルとコーディネイターが、互いに手を取り合って暮らしていける世界を見届けたい。

 そして、筆者の男性(このおとこ)は──「それ」を実現させる方法(・・・・・・・)を知っていた。

 ただ戦争を止めるだけでは、根本的な解決にはならない。だからこそ、誰か、あるいは何かが、戦後の世界を徹底的に管理し、統制し、指導する必要がある。そしてその男は、未来から永劫に戦争を根絶させる方法や、世界をひとつの方向に席巻する方法まで提唱している。ナチュラルもコーディネイターも憎み合うことなく、むしろ相互に尊び合う世界を。

 

「──!」

 

 男の唱えた方策(プラン)を読んだ、このとき──

 今のキラには「それ」が酷く斬新で、また魅力的な方法であるようにすら思えた。

 

 ──いつか人は、このような不幸から解放される。偏見、差別、妬み、憎しみ……そんな生身の衝動から自由になり、より幸福な世界で生きられるようになる。

 ──人と人とが互いに敬意を払い、己の持てる才能を捧げ、共に未来を切り開いてゆく世界。誰も、誰かを虐げたり、憎んだりしない……争いや貧困は過去のものとなり、人々は愛し合って生きる。すべてにおいて平等な、平和で穏やかな世界へ。

 

 まるで童心に溢れた少年のように、希望に溢れた表現がそこには綴られている。所詮は理想論だろうと、心なき者らが口を揃えて揶揄するであろう夢物語を、全く以て真剣に説いている。

 筆者は科学者だ。定石のない理想主義(イデアリズム)を厭い、どこまでも現実主義(リアリズム)を探究する職業人種。だからこそ公式的に世界の不幸を受け止めながら、それでも諦めず熱心に語る言葉には、無責任な妄想のみではない──平和を望む確かな情熱が感じられた。

 

 ──そんな時代を、いつか私は築きたい。

 

 そしてこれは、書末に残された男の名。

 

 ──私はギルバート・デュランダル。

 ──私は決して諦めない。

 

 会ってみたいと思った。

 心から平和を切望する、このギルバート・デュランダルという男と、いつの日か。

 

 

 

 

 

 

 コロニー〝メンデル〟──

 多くの遺伝子学者が口を揃えていう所の〝禁断の聖域〟を、キラ達は訪れていた。L4宙域周辺に敵影はなく、すでに偵察を終えていたキラ達は、そうして〝フリーダム〟と〝クレイドル〟をコロニー内に降り立たせ、周囲の探索に向かった。

 すべては、水場を確保するための偵察である。今回ステラはキラの護衛として、基本的には彼に付き従うままに行動していた。そんな彼女を先導するキラであったが、彼はまず、使える資源を探しに行くより前に、

 

「行きたい場所があるんだ」

 

 そう告げて、ひとつの施設に足を向けた。辿り着いた先は、巨大なボルトが天に突き向かうようなシンボルが特徴的な、奇妙な外観の研究所だった。そこは遺伝子改変にまつわる特別な研究機関──このコロニーが〝聖地〟と呼ばれる所以となった不可侵の聖域。もっとも、人の往来のなくなった今は、単に廃墟と云った方が正しいか。

 照明は全て落ちていた。ホールは吹き抜けになっていて、天井から差す光によって微かに周囲の様子が見て取れる。そんな薄闇に呑まれた暗がり──施設内の闇の中へと、キラは無言で、まるで魂ごと吸い寄せられるように入っていこうとする。

 宵の中に消えいってしまいそうなキラであったが、そんな彼がまるで遠くへ行ってしまうように思え、ステラはすぐに後を追おうとした。だが、彼女はふとエントランスに差し掛かったところで、その足を止めた。背後から差し込んだコロニーの光が、自身の影を造り出し──真っ直ぐに伸びた己の影は、施設内部の暗闇に喰われてゆく。

 

 ──なに、ここ。

 

 研究所を前にして、ステラは奇妙な──そして不気味な──既視感を憶えた。施設の中はしんとして静寂に包まれ、しかし、その静けさの中に、不気味な質量を感じる。まるで、手を伸ばせば押し返して来るような──

 深淵の奥深く、闇の中から吹き抜けて来る風──いや、匂い?──を知覚すると、彼女の心臓はドクリと異常音を発し、昂り、激しく脈動し始める。それは、防腐水溶液(ホルマリン)の鼻を突く臭いだ。風に混じったかすかな刺激臭が、彼女の中の遠い記憶を呼び覚まし、彼女を無意識に怯懦させる。

 ──ロドニアの研究所(ラボ)と、同じ……!

 云い知れぬ興奮がステラの全身を支配する。忽ちに熱を帯びた細胞が、目前の施設へ立ち入ることに猛烈な拒絶反応を示しているかのようだ。

 そうして唐突に歩みを止めた彼女を不審に思ってか──キラはようやく我を取り戻し、駆け足気味にステラの許まで寄り戻った。

 

「どうしたの? 何か、あった?」

「ここ……! すごく、いやな感じ(・・・・・)がする──」

 

 キラは、ハッとした。

 ステラの表情が、云い知れぬ恐怖に歪んでいるのを認めたからだ。

 

 ──まだ入り口(エントランス)……でもステラは、この奥にある『モノ』を直感的に感じ取っているのか……!?

 

 この〝聖域〟を一度だけ訪れたことあるキラには、この先に待ち受けるものが何なのか全てが分かっている。ラウ・ル・クルーゼ──その人によって開かれた真実の〝扉〟──その向こう側にあったものは、

 保護性の防腐液を湛えた、数々の培養槽──

 鈍く輝く、無影灯を備えた手術台──

 ガラスケースの中、鑑賞物のように並べられた胎児達──

 結局のところ、この遺伝子研究所にしたところで、残虐非道な人体実験の場であることに変わりはなかったのである。

 

(そんな所に、ステラを連れて来るべきじゃなかった……!?)

 

 今になって、キラは己の浅慮を呪った。彼女の古傷を抉り出すような場所に、他ならぬ彼女を連れて来るなんて、いったい自分は何を考えていたのだろう?

 ──いや、むしろ何も考えていなかったのだ。

 何の配慮も出来ないから、そいつを無神経と云うのだ。途端に申し訳なくなったキラは、肩を抱き憔悴するステラに、できるだけ穏やかな口調で告げた。

 

「ごめん。じゃ、此処ですこし待ってて。奥には、僕ひとりで行って来るから──」

 

 ──すぐに戻るよ。

 妹をあやすような笑顔を浮かべたキラは、そう云い残して施設の闇の中へ赴こうとし、ほとんど咄嗟にステラがその腕を掴み、引き留めていた。

 

「ん……?」

 

 引き留められた腕に少女の掌を感じながら、キラはステラへと振り向いた。華奢な腕、震えた掌でキラの腕を掴んだ少女は、自分自身が取った行動の意味が理解できていないようであった。

 それは、無意識に伸びた手だったのか……? ステラは呆然としながら、自身の手とキラの腕を交互に見つめている。震えた声、懇願するような面持ちで云う。

 

「ご、ごめん。でも──この研究所は、だめ(・・)……」

 

 ──だめ?

 ステラが思いのほか強い力で掴んで来たことに、キラは困惑していた。ただ引き留めることを目的とするにしては、少し痛いと思えるくらいの力強さ。怒り、怯え──複雑な感情をその円らな瞳に宿すステラだが、その手はまず間違いなく、闇の中に導かれようとするキラを行かせまいと、この場所に引き留めようとしていた。

 

「進むと、キラまで変わっちゃう(・・・・・・)──そんな気がする……」

 

 まるで未来を予知したような口振りに、やはりキラは困惑したという。彼としては半信半疑な様子だが、不思議とこのときのステラには、直感と確信があった。

 

(キラまで変わっちゃう、気がする──ビクトリアの、アスランと同じみたいに……)

 

 隠し通すことが出来ないぐらい、ステラは不安そうな表情をしていた。それでも、キラはそんな彼女に対し首を横に振った。彼は腕を掴むステラの手をやさしく解いてあげる。

 

「ごめんね。でもこれは、僕のためなんだ。行かせて欲しい」

 

 短い言葉の中には、云い知れぬ含みがあった。人には誰しも目的というものがあり、他人に何を云われようと譲りたくない部分もあるということか。少なくとも、キラにとって今回はそのケースだった。

 否定というより、拒絶されたような感覚になったステラは失意の表情を浮かべ返したが、それでも彼女は次にぎゅっとキラの腕に身を寄せた。それは引き留めようとしているのではなく、不安を誤魔化すようにすり寄る動作だった。

 ──だったらせめて、おいていかないで。

 念を押しながら、儚いまでに美しいすみれ色の双眸が、そのように訴えた。キラはしばし考えたが、やがて観念したように頷く。

 

「わかった。じゃ、一緒に行こう」

 

 ぎゅっ、とキラの腕に胸を寄せる少女に対し、雑念も邪念もなく、キラは真っ直ぐに施設の奥を見据えた。

 その足を進めると、腕にしがみつくようにしていたステラもまた、堪えながらに歩を進めた。それは、どちらが護衛なのか分からなくなる絵面になっていたが、言及したところで、特に意味はなかった。

 

 

 

 

 

 

 施設を進むにつれて、ステラはこの研究所が、己の出所したロドニアの研究所と、同等にして同質のものであると確信し始めていた。遠い日の記憶が彼女の脳裏に走り出し、とうの昔に置いて来た感情が頭をもたげ、ステラを中から食い破ろうとする。

 悪夢のような研究所での毎日から、ステラは懸命に自分を切り離す。ステラはすり寄ったキラにすべてを委ねるように、その腕に力を籠めた。急に強まった力に気付き、キラは優しく囁く。

 

「苦しかったら、戻ってもいいんだよ」

 

 すっかり竦み、肩を小さくしているステラは、それでも震えた声で返した。

 

「いっしょに、いさせて」

「……そう?」

 

 キラを一人で行かせてしまうと、もう二度とキラが帰って戻って来ないような──あるいは、闇に揉まれて別人のように変わり果てて帰って来るような──

 いずれにせよ、キラがもう手の届かない所へ行ってしまうような気がした。云い知れぬ不安が頭を過ぎって、離れなかったのだ。

 

 ──ヒトが変わるのなんて、一瞬だ。

 

 ふと目を離した隙に、別人みたいになって帰って来た男を、ステラはひとり知っている。

 しばらくして、二人が進む先に無機質な広い空間が現れた。そこに覗くのは、無数のガラスケースと、その中にうずくまる物体? ──いや、それらは赤子になるよりも前に成形を終えて朽ちていった胎児達の姿だった。

 

「あれが、僕のために生み出されたきょうだい(・・・・・)

 

 明かされた言葉に、ステラは目をむいて驚く。

 ──不気味だ。

 屍が保存液に浸されているという点では、ロドニアの研究所と大して変わりはなかったが、ステラはできるだけ凝視しないように務めた。

 

「──『最高のコーディネイター』って、何なんだろうね。やっぱり、戦うための人間──ってことなのかな」

「えっ……?」

 

 傑出した身体能力と反射神経は、戦場において非常に強力な武器になる。だからこそスーパーコーディネイターとして生み出された自分は、戦場でしか本領を発揮できない人間なのか。他の分野では、まるで役に立たない天才──そもそも、そんな人間を本当に天才と云ってもいいのだろうか?

 

「唐突に『人類の夢』なんて云われたってさ。……それで得てきたものと云われても、戦ったり、人を殺したりする才能くらいでしょ?」

 

 そうでないなら、では、救いたい人間ひとり救うこともできない『人類の夢』とは何なのだろう? 救いたかったフレイを救い出すこともできず、あまつさえ彼女の目の前で〝カラミティ〟を撃破した自分。そうすることしかできず──むしろ、そうすることで余計に彼女を苦しめた自分が、本当に『人類の夢』などと呼ばれるべき人間なのか?

 

ラウ・ル・クルーゼ(あのひと)が云ったとおり──〝力〟だけが、僕のすべてなのかな」

 

 無力感を独語するように紡がれた言葉に、ステラは返す言葉を必死で捜した。

 

「……でも、ステラは」

「ん……?」

「昔のキラを知ってるよ。戦うだけが全部じゃないキラだって、知ってる──」

 

 元よりキラは、心の優しい男の子だった。ナチュラルだとか、コーディネイターだとか微妙な話を抜きにしても、好感の持てる少年なのだ。少なくとも、ステラにとっては。

 ──生まれがどんなだって、関係ない……。

 いくら強大な力を持っていようが、そこだけは変わらない──いや、変わらないでいて欲しいとステラは切に願っている部分がある。

 

「どう生まれたか、じゃなくて──どう生きるかが大切なんだって、前にキラが、ステラに云ってくれた」

「……! そう、だっけ」

「キラは、ずっと昔から、やさしい男の子だよ! だから、その……」

 

 どこにでもいるようで、そのじつは、どこにでもいない優しさを持っている男の子──ステラにとってキラはそういった人物であり、普通の男の子だと信じていた彼が、実はステラ以上に、ヒトの欲望によって生み出されていた。

 ──そんな真実を聞かされたときは、ステラも驚いた。

 しかし、かつて敵対した〝フリーダム〟が当代最強の怪物であったことを思い出せば、動揺すると同時に、不思議と納得してしまった自分がいたのも事実ではある。

 

(最高のコーディネイター。それが、本当のキラ──キラ・ヤマト)

 

 そう、今はまだ優しくて、穏やかなキラ。

 ──でも……。

 いずれ力に溺れ、迷いや悩みを断ち切るようになったキラという人間が、どれほど強大な存在に──どれほど手の付けられない(・・・・・・・・)存在になってゆくのかも、ステラは知っていた気がする。戦場にあっては誰ひとり敵わず、本当の意味で『最強』の名を欲しいがままにしているキラの未来を、彼女はたしかに記憶したことがある──気がする。

 

(できるなら──ずっと、今のキラのままでいて欲しい、な……)

 

 それが叶うのであれば、ステラはキラにはずっと今のままでいてほしい。

 それは嘘偽りのない彼女の本心であったが、口内で思惟するだけで、言葉には出来なかった。それが結局は、ステラ個人のわがままに過ぎなかったから。

 弱くて儚くて、ときに頼りないような少年であっても、ステラはそういう人間味のあるキラの方が好きなのだった。

 

 

 

 

 

 

 分水嶺(ぶんすいれい)という言葉がある。

 それは物事の方向性が決まる分岐点。人生に当て嵌めて云えば──「運命の分かれ目」とでも云うのだろうか? その者の行方、未来を左右する大切な局面を〝山稜〟で喩えた言葉である。

 

 雨水は複数の水系に分かれ、そして流れ出す。

 ひとつの水系を流れ出した雨水は、分水嶺を越えて他の道に渡ることはできない。道中、ふたつの水路が合流しない限り。

 人間に喩えてもそれは同様であり、人生には常に複数の分岐点が存在し、その者が望み選んだ方向に人生の時間は流れてゆく。逆に云えば、分水嶺において一度でも進む道を誤れば、人生はもう後戻りできないし、他にあり得たはずの未来に渡ることもできなくなってしまう。道中、奇跡でも起こらない限り。

 そういう意味では、分水嶺とは「複数の未来から、たったひとつを取捨選択する人生のターニングポイント」──とも云える。

 

 たとえば、アスラン・ザラの分水嶺は、ビクトリアだったとステラは考えている。

 

 そもそも、アスランがその穏やかだった人格を一変させることになった最大の原因は、ビクトリアにおいて、彼自身が戦士としての己の資質に気付いたことにあった。キラと同様、確かにアスランはMSを操縦させれば右に出る者はいないほどの実力を持っており、しかしその性格は、戦争には不向きと云えるほどに優しく、甘い。

 だからこそ彼は、そんな本来の自分を切り捨てることによって戦士としての未来を選び取り、その他の未来を諦めた。ステラにとって優しい、家族としての未来を。

 

(アスランは自分の力に気付いてから、暗くなった)

 

 ──自身に秘められた才能や資質に気付いたときが、分水嶺であるのなら。

 こうして最高のコーディネイターとして──天才としての資質に気付いたキラもまた、ひとつの分水嶺に立っていることになる。その者の生き方を根本から変えかねない人生最大のターニングポイントを、キラは、ステラを前にして目の当たりにしていることになる。

 

遺伝子研究所(ここ)に感じた気持ちのわるさは、たぶん──不安)

 

 ここは、ヒビキ博士が狂気の夢を追った聖域だ。そんな遺伝子研究所を訪れることによって、キラはこうして、極めて天才的な自分の可能性に気付いてしまった。

 アスランは当時、みずからを『戦士』として改める決断を行ったのだが──ひょっとして、キラまでもがみずからを『天才』に改めてしまうのではないか? その無情の決断のために、今までの穏やかで優しい人格を一変させてしまうのではないか? そのような危惧が、ステラの中に渦巻いて離れなかったのだ。

 

(そんなの、やだな……っ)

 

 もはや疑う必要もないほどに、ステラは、キラに対して一定以上の好意と信頼を寄せている。

 しかし、それも結局のところ、キラがあくまで平穏でやさしい男の子として──彼女の親友としてあってくれる限りの関係でしかない。そこに絶対はないし、キラに対して申し訳ないとも思うのだが──たとえば力に溺れ、力に驕った『天才的なキラ』が彼女の目の前に現れたとき、ステラは、そんな風に変わり果てた彼をこれまでのように信じ、好くことはできないだろう。

 

 ──なぜなら、それ(・・)はステラの恐怖(トラウマ)の対象物だから。

 

 かと云って、キラ自身がみずから望んでそうなった(・・・・・)なら、それを恋人でもない今のステラに止める権利はないし、結局は彼女の都合でしかないのである。

 だからこそ言葉にはしなかったが、ステラがこうして恐怖や不安を抑えて彼に同伴したのは、キラにそんな風に〝変わってほしくない〟──と心のどこかで願っていたからだ。分水嶺に少年ひとりを送り込むことで、人格が一変してしまう事態を防ぎたかったからだ。

 ここまで束の間の思慮の後、キラは場所を移し、とあるオフィスまで足を進めた。訪れた先にはヒビキ博士のオフィスと同じように、無数の研究資料が保管されている。見渡す限り書冊に溢れた光景に、ステラは少し目が回るような気分になる。

 

「僕が〝メンデル〟に来ようと思った理由はさ。自分の能力とか、未来とかに、ちゃんと向き合わなきゃいけないな……って思ったからなんだ」

 

 たしかに、そのようなことをムウに云っていた記憶がある。

 するとキラは、オフィスの中をごそごそと物色し始めた。これが誰のオフィスであるのかステラには判らなかったが、キラはいま、何か探し物をしているようでもある。

 

「僕には『スーパーコーディネイターとしての未来もある』なんて唐突に云われても、実感がないんだ」

「……分かる話かも……」

「僕は『これからどうやって、どんな風に生きて行けばいいんだろう?』──そう悩んでたときに、ひとつのノートを見つけた」

 

 ステラは、小首を傾げた。

 

「そのノートは、僕にこう云うんだ──『分からないのなら知ればいい。初めから人は、迷うことなく、正しい道を進んでいけばいいんだ』って」

 

 人生の分水嶺において、己が進むべき道が、キラには分からなかった。

 ──このまま何も聞かなかった振りをして、昔みたいに平凡な子どもに戻るべきなのか?

 それとも、

 ──最高のコーディネイターとして、世界のために、この奇跡的な能力を捧げるべきなのか?

 結論の出ない自問自答に、キラは他人の力を借りようとした。

 

「僕は──僕の人生の『正解』が知りたかった」

 

 己の出生を知ったいま、これからの自分は、どう在るべきなのか──?

 そういった「正解」を知ろうとしたがために、キラはこうして〝メンデル〟を再び訪れる気になった。このコロニーの中にある、とある男の研究室へ辿り着くために。

 

「──あった。これが、僕の探し物」

 

 ステラはキラに歩み寄り、屈み込んだ彼の手許まで、一気に視線を落とした。

 キラの手には、色褪せた数冊のレポートやノートが取られていた。おそらく、この〝メンデル〟に籍を置いていた遺伝子科学者が残していったものだろう。

 ──いったい、キラは何に興味を持ったの?

 疑念に思ったステラは膝を折り、キラと視線の高さを揃えた。そうしてキラが回収した資料の表紙に目を遣る。

 と、表紙のタイトルには、こう書かれてあった。

 

 ──Be advocated "Destiny Plan"(我、運命を提唱する)

 

 著者の名は『Gilbert=Durandal』──

 ステラにとって、どこかで聞いたことのあるような名の男が記した、ひとつの学術書であった。

 

 

 

 

 

 キラの求めた資料を回収したふたりは、間違っても居心地が良いとは云えない研究所を出た後、近場の建物に入っていた。

 表看板の文字は薄れ、何の店までかは特定できなかったが、中を見るにテーブル席とカウンター席が立ち並んでいたことから、そこが軽飲食店(バール)であることはすぐに理解できる。人気の失せた廃棄コロニーとは云え、慎重に資源を漁って見れば、立ち並ぶボトルやドリンク類の中には、いちおう口に入れても問題ない程度の代物はあるようだ。

 適当な調査を終えた後、とりあえずカウンターに腰かけたステラであるが、そんな彼女は、なぜか椅子の上だと云うのに膝を抱えて体育座りをしている。

 ──パイロットスーツで良かった……。

 あれが軍服だったら──と思うと、すこし安堵のような、すこし惜しむような気持ちも同時に流れて来たキラであるが、それはそれで可愛らしい姿勢であったので、特別触れようとはしなかった。

 キラはステラから距離をおいてテーブル席に坐し、机上に先程の資料を広げている。

 

「有史以来、人類はずっと争いを続けて来た──権利を主張し、利権を求め──それもこれも、根底には『自分達の生活をよくしよう』っていうエゴがあった」

 

 達観したように語るキラは、すこし、遠い存在になっているように見えた。

 自分に与えられた能力を知り、前進したと云えば、決して間違いではないが──なんとなく面白くなくて、ステラは不機嫌な顔をしていた。

 そんなステラの表情の変化に、キラはまるで気が付いていない。

 

「そういう意味じゃ、戦争は、人をよりよく活かすための必要悪だったのかも知れない。人々が互いに傷つけ合いながら、そうしてこの世界は出来上がって来た──」

「……」

「──でも、それをもう、終わらせられる時代が来るかも知れないんだ」

 

 それは彼が先ほど云った、戦争を引き起こす最大の原因を取り除くこと──

 つまり、人間のエゴ、そのものを刈り取ってしまう世界を提唱すること。

 

「この資料を書き残した科学者(ひと)は、すくなくとも、そんな世界を築く方法を知ってるんだ」

「それが、ですてにー・ぷらん?」

「そ。──〝デスティニー・プラン〟」

 

 ステラの発音がえげつなく悪かったのは、それが、彼女が初めて耳にした言葉だからであろう。

 

「ヒトの根幹──遺伝子にまで手を伸ばして来た、それは僕たちコーディネイターが生まれた世界、コズミック・イラの究極の形。生まれついての遺伝子によって人の役割を決め、適性ある方向に人類すべてを、それぞれ導いてあげる『人類最高の救済システム』だ──て、ここに書いてある」

 

 難しい話をされて、余計に不機嫌になったステラは、とりあえず目の前に陳列されてあったボトルに手を伸ばした。

 何のボトルなのかは知ったことではないが、口にしてみたら意外とおいしかった。

 

「遺伝子を解析することに始まって、人の特性を知り、それに従った能力主義の社会秩序を構築する。そうすれば、すべての人間は分相応の範囲に収まって、今の僕みたいに(・・・・・・・)あれやこれやと迷うことも、悩むこともなくなる」

「…………」

「間違ってしまうくらいなら、初めから正しい道を──然るべき相応の軌条を進めばいい。この科学者は、そういう世界を謡ってる。人間に与えられた〝運命〟そのままに──ヒトが世界のために、能力を捧げて生きていく世界を」

 

 それは、徹底的な管理と統制が織り成す社会。ヒトが生まれた時から決められた人生を歩み、疑問を持つことすらありえない、許されない世界。

 人は、自分に与えられたそれ以外、それ以上を知らず──望まず、欲しがらず──そうして絶対的に「奪われない」法規を造り出すことによって、人間同士の対立を永遠に抑止する。

 誰にも、何者にも脅かされない、絶対秩序に統制された理想郷の実現──

 

「そこにあるのは、きっと、ひろい意味での安寧じゃないかな」

「……キラは、世界にそうなってほしいの?」

「遺伝子操作や遺伝子解析だって、人類がその長い歴史の中で大切に育んで来た、科学技術の結晶でしょ? 科学で平和な世界を席巻する──『人類の叡智が人類を救う』って話なら、それって素敵なことじゃない?」

 

 戦争を終えても、またどこか、いつか他の戦争が起こるなら、ただの歴史の繰り返しだ。しかし人類は、そうやって繰り返された争いの歴史の中で、科学という名の能力を高め──確実に前進して来た。傷つけ合いながらも発展して来た。

 ──それもこれも、いつか戦いの歴史を終わらせるために。

 そうして大器晩成した科学力こそが、この世界に安寧と平穏を齎すのなら、それは人類が文明の発展の先に行き着いた、ひとつの究極の結末ではないか。

 

「ラウ・ル・クルーゼって人に云われたんだ──『きみが人類の夢ならば、人類くらい救ってみせろ』って」

 

 ラウに云われた言葉が、すくなくとも、キラの中には影響していた。

 ──人類を救うのは、人類の力に他ならない。

 ──究極の人類の救済システム、それが〝デスティニー・プラン〟

 遺伝子操作によって管理された世界を実現させるためには、ならば、遺伝子操作によって天才として生み出された自分がその役割を全うすべきではないだろうか? キラは〝メンデル〟を訪れることによって、新しい道標を得た気がしていたのである。

 

「スーパーコーディネイターとして僕にできることと云えば、今の世界に対して、そんな在り方を呼びかけることなんじゃないかなって思ったんだ」

「…………」

「ステラは、どう思う?」

 

 このとき、ステラはキラの訴えた世界の様相を想像していた。

 ──遺伝子によって、完全に役割を統制された世界……?

 たしかに、そんな世界が実現すれば、人々の対立はなくなるだろう。だがそれは、人々から自由意思を完全に剥奪するのと同義ではないのか? 悩むこと、迷うことはたしかに不必要、無意味になる。だが、それというのは、つまり──

 

「ステラは、やだなあ」

 

 ステラは、ぽわーっとして云う。

 が、考えなしに見えて、その発言は物事の本質を捉えた。

 

「だって役割のままに生きてたら、ステラは、キラの敵だったから」

 

 それまで感動していた風なキラの表情だったが、その一言をもって凍り付いた。

 嘘ではなかった。ステラは、生体CPUとして生きていた頃は実際に〝デストロイ〟で〝フリーダム〟と戦ったし、仮にもパトリック・ザラの指示に従っていれば、その先〝クレイドル〟で〝フリーダム〟と戦っていたはずだ。

 ステラが本当に、与えられた役割に従うだけの傀儡であったなら、何度もキラと交戦し、互いに傷つけ合っていたはずだから。

 

「まよって、これでいいのかなって、なやんで──だからステラは、キラのところにきたの」

 

 ──自分の意志に従って、行動する。

 それは、かつての彼女ではあり得なかった行為だった。

 勿論、所詮は一回の兵士に過ぎない彼女には、何が正しいのかを神のように見極めることなど出来なかったが、だからこそ、みずからが後悔しない行動に務めて来たのだ。結果的に父親を裏切り、ザフトからはテロリストと罵られて今、周囲から顰蹙を買う決断をしてしまったということなのだろうが──それでも彼女は、自分にできる最善を尽くして来たつもりだ。

 そこには、少なくとも未練はないし、後悔もない。

 だが、キラの云う〝運命〟に従った世界というのは、その最善、ないし人生の『正解』を他人から強制されるということではないのだろうか? 本人の自由意思とは無関係に、物言わぬ遺伝子を解析することに始まって、人格や個性を無視して個人を決定づけてしまうのが、その世界ではないのか? 

 ──仮にもキラが、ヒトが役割のままに生きた世界を「正しい」と感じているんなら……。

 ステラがこうして、キラの隣にいること──それ自体が、そもそもの誤りということになってしまう。だからこそステラは、率直に訊ねていた。

 

「ステラがキラのところにきたの、めーわくだった?」

 

 問われたキラは、唖然とする。

 ──迷惑? そんなはず、ないじゃないか……!

 むしろ嬉しかった──彼女が自分の意思で、自分の許に来てくれたこと。自分を助けてくれたこと。それは紛れもないキラの本心であったが、だからこそ彼は、こう返した。

 

「そ、そんなことない──! ……? だったらぼく、なんか、矛盾してるね」

「うん」

 

 ヒトが与えられた役割に収まる程度の存在ならば、そもそも、二人が同じ地平に立つことなんてありえないのだから。 

 

「あれ……。なんか、分からなくなって来たぞ……?」

 

 それまで運命によって制定された世界が、彼としては正しいと信じて疑わなかったのだろう。

 ステラという別角度からの刺激を受けたのが影響したのか、今のキラはそんな世界が不自由のようにさえ思え、頭を抱えて混乱し始めた。

 ──いや実際、不自由なんだ……?

 そこは自由のない世界──運命によって強制された世界なのだから。

 ──なら僕は、何が云いたかったんだっけ……!?

 結局、キラは孤独の中で考え続けて、最良の答えが導き出せるほどに余裕のある正確をしていなかったのだろう。今回、ステラが傍にいれくれたことは、彼にとって非常に幸運な出来事だったかもしれない。延々とひとりで暗澹と考え続けていたら、もしかしたら、進む道を間違っていたかも知れない──〝メンデル〟という、彼にとっての最大の分水嶺の中で。

 

「だからキラは、天才なんかじゃなくたっていいんだよ」

 

 ステラはぽけーっとしながら、本心からそう云った。

 

「天才ぶる必要(ひつよー)だって、ないし……」

「えっ……?」

「キラは、ちょっと頼りないくらいがちょうどいい」

「ひ、ひどいっ」

 

 そもそも、似合わない話ではないか──ともステラは思ってしまう。

 優しくて、穏やかで、泣き虫で、そういう彼を昔から知っているステラにしてみれば、そんな彼が急に人類の上に立つ天才になろうとしても、違和感のある話だし、それはそれで似合っていないと思える。

 ────そう考えると、今日はやけに頭の回転が速かった。

 ステラは何故かこのとき、云いたいことをつらつらと発言していた。

 

「……。だいたい、そうやってさとった(・・・・)感じのキラ、ステラすきじゃない」

「え? そう?」

「うんっ、キラは今のままでいいの! 今のままがいい!」

 

 言葉には、異常なほどの感情の昂りがあった。

 ──ステラが、やけに饒舌だ……?

 咄嗟に懐疑したキラは、次の瞬間、ステラの頬が真っ赤に紅潮していることに気付いた。

 

「──? ステラ?」

 

 キラは、思わず立ち上がった。ステラの傍らに、妙な酒瓶が置いてあることに気付いたからだ。

 呂律が回っていないから、薄々感じ取ってはいたが、

 

「──もしかして、きみ」

「……。ふぇ?」

「お酒呑んだでしょ!? 未成年が!」

 

 指摘され、ステラはとろんとした目で、カクテルの瓶に視線を戻す。キラは慌ててカウンター席まで駆けつけた。

 そんなキラに視線を戻し、目を合わせたステラは、にへらと明け透けに笑った。

 

「あ~。おさけ?」

「いやいや、ひとりで半分開けてるし」

 

 慣れない液体を胃に通したせいかしゃっくりが止まらず、忽ちにひっくひっくと喉を鳴らし始めたステラを、キラは慌てて云い咎めた。

 

「でもこれおいしいよお?」

「おいしいよ、じゃなくて! ああもうっ、何やってるのさっ」

 

 人が真剣に悩んでるときに!

 ─────だが、よく考えると、落ち度はこちらにあったのだろう。

 そもそも自分は、彼女を不気味な研究所を連れ回したばかりか、その後も深刻な話に一方的に付き合わせた。

 これでは気を発散させようとして彼女が酒瓶を手にしてしまっても、彼女ならばやりかねない。

 

 ──いやステラのことだから、単純にカクテルとジュースを間違って口に放り込んだ可能性が高い気もするけど……

 

 この際、どっちでもいい。判っていることはひとつだ。

 ──もしかしなくても、これは確実に酔っている。

 ステラはどうにも、お酒を飲むと無防備になるタイプらしい。

 ──素面(しらふ)でも無防備? それはいま言及することじゃない!

 普段臆病に見えるほどの寡黙さはなりを潜め、ステラはふわふわと昂揚しているようだった。なおもカクテルを口に含もうとするステラの手を、キラは慌てて掴み止めた。

 

「ちょっ、だめだってっ」

「やだ」

 

 それでも、縋るようにステラはボトルを離そうとしない。

 

「わがまま云わないでさ。ほら、いい子だから──ね?」

「やだ~!」

「──ああ、まったく!」

 

 出来心に従順な稚児から着火装置(ライター)を取り上げる父親のように、キラはすこしばかり必死になってボトルを奪おうとした。ぐいっ、と強引気味にボトルを引っ張り上げるが、しかし、ステラは竿に釣られた魚のように、それと一緒に引っ付いて来た。

 カウンター席から態勢を崩したステラは、そのままボトルを取り上げたキラにぐったりと倒れ込み、

 

「うわ」

 

 抱き留めようとしたキラも、自分の体重をまるで支えようとしない少女の身体を支えきれず、そのまま床に倒れ込んでしまった。

 ──ガシャアンッ

 テーブル席に後頭部から突っ込んだキラは、木製の調度品をぶちまけながら仰向けに倒れた。手に握っていたはずのボトルが傍らに転げ、瓶口から内容液が床一面に拡がってゆく。

 

「痛った」

 

 ──女の子ひとりも支えきれないのか、ぼくは?

 恥ずかしいというか、格好悪いの一言である。唐突だったのもあるが、慣れないことをすると失敗するとは、いったい誰が云った? キラはちょっと頼りないくらいがちょうどいい? 何もこんなときまでステラの云った通りにならなくてはいいじゃないか。

 一方のステラは、キラの胸に頭を埋め、なんかを訴えているようでもある。顔を上げないのは、恥ずかしがっているからではないのだろう。

 これもひとつの抱擁の形であったが、抱き合っているとは云えない状態ではあった。

 アルコールのおかげで体温が上がり、少し汗ばんだ身体が、キラへと凭れかかる。直に触れるステラの体温に、キラの鼓動は速くなった。

 

「……大丈夫? どうしたの?」

「キラが変わっちゃうのも、ぜんぶ、やだ……」

 

 キラの動きが、止まった。潤んだ瞳に、頬を紅潮させながら、甘い声でそんなこと言われても、困った。

 ──やたらと甘い匂いがするけど、きっとこぼれたお酒のせいだ、そうに違いない。

 ぐったりと体重を預けて来る少女は、キラの胸元で泣くように云った。

 

「こわいひとに、なって欲しくないの……キラには」

「ステラ……」

「キラにはそのままでいて欲しい──もう、失いたくない……」

 

 アスランのように、別人みたいになって欲しくない。

 酔っているからか、このときステラは、云いたいことを云っているようだった。

 

「むかしに戻りたい……むかしみたいに、キラとアスランと──みんなといっしょに……」

 

 普段から我慢していた何かが、栓が外れて溢れ出てきているようだった。

 

「──ねえ、なれるよね……?」

「……どうだろう……戻りたい、よね……」

 

 共感を示すことは出来ても、賛同はしてやれない。

 キラには、ステラに苦笑することしか出来ない。ステラの言葉をはっきり肯定してあげることが、今の彼には出来なかった。

 

「ス、ステラ……とりあえず、離れよっか!?」

 

 これ以上は、色々と駄目だ。

 自戒しながらキラは慌てて告げるが、

 

「……ステラ?」

 

 返答は、まるで返って来なかった。それどころか、もたれかかる重みは増すばかりだ。

 耳を澄ますと、同時に規則正しい息遣いが聞こえて来た。気疲れか、それとも酔い潰れか、そのまますぅと眠りについてしまったようだ。

 

「え、うそ」

 

 キラはひたすら、途方に暮れた。──いったいぼくらは、何をやっているんだろう……?

 

 

 

 

 

 

 〝クレイドル〟を抱えて〝エターナル〟に戻った後、キラはステラを彼女の自室まで送り届けた。

 薄闇の部屋の中──わずかな光を照り返す金髪と、その下に覗く色白の肌が、すこし紅潮して、やけに色っぽく見えた。彼女をベッドに寝かしつけた後、しばらくその寝姿を見守っていたキラであったが、しばらくすると、室内にラクスがやって来た。

 

「ラクス」

「コロニーの中は、だいじょうぶでしたか?」

「ああ、うん」 

 

 返事を返すと、キラはふたたび視線をステラへと戻した。

 ラクスもまたキラの隣までやって来て、同じように視線を揃える。しばしの沈黙の後、キラは思い切って、傍らのラクスに打ち明けていた。

 遺伝子操作によって制定された、運命的な世界のことを。

 

「────遺伝子が〝王〟として君臨する世界、ですか?」

「コロニーの中に資料を見つけたんだ、これなんだけど」

 

 示された資料を見、ラクスは目を見開いて、驚いた顔をした。

 まさかキラから、そんな言葉を耳にするとは思わなかったのだ。

 

「しかし、与えられた役割のままに人間が生きる世界なんて──傲慢ではありませんの?」

「やっぱり、ラクスもそう思うかな?」

「ええ、どうしても、そう思えてしまいますわね……」

 

 ラクスは、云った。

 

「夢を見ること、未来を望むこと──それはわたくし達すべての命に与えられた権利だと、わたくしはそう思います」

 

 望みのすべてを摘み取れば、確かに戦争は二度と起こらないだろう。

 ──しかし、そんな世界が、本当に自分達の望んだ世界だろうか?

 戦争を止めたいと思っているのは本心だ。

 が、だからと云って、すべての人間を遺伝子によって管理・統制する──? 逆に云えば、それは制度にそぐわない者は淘汰されたり、矯正されてしまうことではないか? ラクスが懸念に思っていると、キラが先を続けた。

 

「ステラが云ってたんだ──『もし役割のままに生きていたら、ステラはキラ(ぼく)の敵になっていた』って。

 それを云われて、よく分からなくなった。『自由』と『運命』──ふたつがあれば、ヒトの未来は、どっちが創るべきなんだろうって?」

 

 ラクスの中で、答えは既に決まっていたのだろう。

 ラクスはこのとき、ステラを支持して発言した。

 

「人生に──『正解』なんて言葉は存在しませんわ、きっと」

 

 それはキラの想像を、真っ向から否定する言葉。

 

「すべての人は──ときに間違い、悩み、遠回りして道を選ぶ。

 間違ってやり直すことは、同じ到着点(ばしょ)に至るにしても、間違わず真っ直ぐに進むこととは違うでしょう? 迷い悩むことは、決して無駄でも、不幸でもなく──ただただ、その者の糧となる人生の賜物なのです」

 

 重要なのは分水嶺を越えること。そしてその先に待ち受ける目標地点(ゴール)にいち早く辿り着くこと──ではない(・・・・)

 重要なのは目標地点に辿り着くまでに、どんな道を巡ったか、どのように進んで来たのかであって、

 

「挫折も、迂回も、迷走も──その人に大切なことだと思います」

 

 キラは、うちひしがれた気分になる。

 

「──だからぼくも、これから迷って、悩んで行かなきゃいけないのかな……」

「それは、ステラがすでに通った道でしょう? 何が正しいのか、何と戦わなければならぬのか──それは決して他人に答えを求めるものではなく、みずからで決める」

 

 結果、ステラはザフトか連合、どちらかの立場に立って戦うことを辞め、両者の間に立つことを決断した。

 ラクスと同じように。

 

「自由の中で、自分に何が出来るのか──それは、キラがこれからの人生で探していくものだと思います」

「──そうだね、その通りだ」

 

 ステラに、ラクスに云われて、キラは気付いた。

 今のキラには、スーパーコーディネイター以外の未来を選ぶこともできるのだ。

 ──選択する自由が(・・・・・・)が許される世界、だからこそ。

 たとえば、運命によって定められた世界では、確かに戦争は起こらないかも知れない。

 しかしそれ以前に、そこは、気になる異性に好意を持つことすら許されない世界でもあるのだ。

 そうなれば、人は何のために生きているのだろう? 自由意思では何一つ得られず、勝ち取れず、求められない世界には──確かに安寧はあれど、いったい、どんな幸福があるのだろう?

 

「……ぼくはちょっと、どうかしてたのかも知れない……」

 

 こうしてキラは、自身の分水嶺を越えて行った。

 

 

 

 

 

 重たい頭をもたげ、ステラはしばらくしてから目を醒ました。

 室内はうす暗く、ぼーっとしていた彼女だが、頭が覚醒するにつれて状況を把握しはじめた。

 

「う、ん?」

「起きた?」

 

 キラの声だ。キラが傍らにいて、ずっと看てくれていたらしい。

 

「あれ? ステラ、なんでここに……」

「ああ、憶えてないんだ? 途中できみ、眠っちゃって」

「……どうして?」

 

 まるっきり記憶が抜けているのだろう。

 キラは苦笑したが、ステラは頭を起こそうとして、まだ少しくらくらしていることに気が付いた。

 よろめきかけた上体をキラが支えてくれると「まだ寝てていいよ」と告げられた。言葉に甘えて、ふたたび横になることにする。

 頭がやけに重い──こんな感覚、久しぶりだ。

 

「ありがと、ステラ」

 

 ステラは、きょとんとしてキラを見返す。

 キラは、しみじみと云った。

 

「きみと話せて、すこし、自分と向き合えた。──ぼくは何も、背伸びしてまで『スーパーコーディネイター』である必要なんてないんだって」

「……うん……?」

「いままで通り──きみの『親友』のままでいいんだって、そう思えたんだ」

 

 もしかしたら、心から〝デスティニー・プラン〟に賛同していたかも知れない自分。

 そんな考え方を変えてくれたのが、ステラだったのだろう。ステラ個人としては、キラが遠くなってしまうような現象を防ぎたかっただけにせよ。

 

「これからも、よろしくね」

 

 云うと、キラはそっと立ち上がり────

 横になったステラの額に、そっと唇を落とした。

 

「!?」

 

 ステラは、一瞬何が起きたのかが分からずに、ぼーっとした。

 が、キラはすこし照れたように頬をかいたあと、「じゃ、じゃあ……っ」と震えがちに云い残して、そのまま部屋を出て行ってしまう。

 ──バッ

 ステラは布団をひっくり返して、その中に蹲る。ベッドの上──身をよじり、ごろごろともんどり打ったその音は、部屋の外に出て行ったキラの耳にもよく響いていた。

 

 

 

 

 




 >お酒に酔ったステラが奔放に動き回る話
 を書いてみたくて着手したのに、何がどうしてこうなった? 作者には平和な話を書くセンスがないんでしょうね。

 アスラン・ザラの分水嶺はビクトリア → パトリック化
 シン・アスカの分水嶺はオーブ →   ロンド・ミナ化
 キラ・ヤマトの分水嶺はメンデル →  デュランダル化?

 の予定でしたが、キラの変化だけは防ぐことの出来たステラでした。作者的にキラは、無印篇の人間味のある彼の方が好感が持てているので、こういった展開にしています。

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