~夢見る少女の転生録~   作:樹霜師走

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 物語も終盤です、ここまでご愛読いただき感謝です!
 旅は道ずれと云いますし、お暇があれば最後までお付き合いくださいm(_ _)m




『零時の鐘が鳴るときに』

 

 

 

 C.E.71 8月16日──

 地球連合軍艦隊と、ザフト宇宙防衛部隊による〝ボアズ〟攻略戦が始まった。

 戦端は既に────開かれている。 

 月基地から出動した地球軍艦隊から、無数の〝ストライク・ダガー〟が吐き出され、迎え撃つは、精鋭なるザフトの〝ゲイツ〟部隊だ。地球軍艦からは〝メビウス〟のような簡易モビルアーマーも出撃するが、地球軍が「兵の量」で押し込むのに対して、ザフトは「兵の質」を以て善戦した。

 

「この〝ボアズ〟──抜けるものなら抜いてみろ……!」

 

 〝ボアズ〟司令官の男は、物怖じることなく、厳然と指令室の座に君臨する。

 

「人類の更なる発展を願い、生まれ、これを妬んだナチュラル共の云われなき弾圧から逃れようと! 桃源郷を求めた数多のコーディネイター達──〝プラント〟は彼らの安住の地! この〝ボアズ〟は──仙境を護る〝大砦〟である!」

 

 この要塞が破られれば、残る砦は〝ヤキン・ドゥーエ〟のみ──

 通信を聞く前線のザフト兵の指揮は、これらの一喝によって著しく精神を昂らせてゆく。気分高揚を引き起こしたザフトのモビルスーツ部隊は、瞬く間に奮戦し、次々と技量に劣る〝ダガー〟や〝メビウス〟を撃滅させ始めた。

 

「ここから成長を遂げてゆく我らコーディネイターにとって──〝プラント〟は揺籃(ゆりかご)ぞ! そこで安らかに、健やかに暮らす同胞達──我らの『家族』と『未来』を守り抜くために! 勇敢なる〝ボアズ〟守備軍の諸君、いま一度奮い立つのだ!」

 

 包囲網を突破したザフト部隊は、一気に後方に控えた地球軍艦隊まで攻め込み、ドレイク級やアガメムノン級を次々と轟沈させてゆく。

 無論これを〝ダガー〟隊が見逃すはずもなく、この応酬を以て、戦況は完全に混戦状態に陥った。

 

「〝ユニウスセブン〟を撃たれた悪夢を思い出せ! 自由と正義の名の許に、野蛮なるナチュラル共を撃滅せよ! ──〝プラント(・・・・)のために(・・・・)!!」

 

 発破を受け、合唱が始まる──。

 前線で力を奮う無数のザフト兵が──「〝プラント〟のために!」と──復唱し、応えに団結した彼らは、獅子奮迅の活躍を見せ始める。折に運よく防衛部隊を突破した〝ダガー〟も確認されたようだが、要塞に取り付くより前に〝ボアズ〟の対空砲に晒されて散った。全体的に戦況は、ザフト軍に傾きつつある。

 ──所詮はこの程度か! 思い上がったナチュラル共め!

 司令官は、したり顔で鼻を鳴らす。

 が、彼の言葉を聞いていたのは、どうやらザフトだけではなかったらしい。侵攻を開始した地球軍の中にも、この発破を耳にしていた士官がいた。元はザフトが造ったMSに搭乗していたがゆえに。

 

「──地球に生まれ、地球を駄目にした社会のゴミが、奇麗事ぬかしてさ……っ!」 

 

 透き通った声に不釣り合いな、淀み切った侮蔑の声──まだ年端もいかぬ、十六歳の少女には似つかわない発言だ。

 人知れず漏れたそれに呼応するように、要塞の司令部に据えるオペレータ達が、方々から声を挙げ始める。

 

〈インディゴ一三、マーク六六ブラボーに、地球軍の新たな艦影を確認!〉

「なに……?」

〈熱紋照合──アークエンジェル級、一! クルーゼ隊より報告のあった〝黒の主天使〟と思われます! ──その後方にアガメムノン級、四〉

 

 暗黒の天使──〝ドミニオン〟が戦闘宙域に接近しつつあった。

 その特徴的な右舷──

 大きく張り出した両脚を思わせる〝ドミニオン〟の発進口(ハッチ)が開き、内部から紅眼を覗かせる〝亡霊〟が機影を現す。その双眼(ツインアイ)は赫々と照り、激しい憤怒に据わっているようにさえ見えた──

 

(なにが桃源郷よ……! 掃き溜めの間違いでしょ)

 

 まるで、搭乗者の心を感知し、これを体現しているかのように──

 〝レムレース〟に乗り込んだフレイ・アルスターは、無骨なデザインのメットを気密(シール)すると共に、眼前に拡がった戦闘宙域に視線を投げかける。発進口の先に拡がるのは、漆黒にして真空の常闇──その中にいくつもの炎の華が、イルミネーションのように幻想的に咲き誇る。どれもこれも、ひとつひとつが命の散る光輝。音も熱も伝えない宇宙空間で炎が舞う時、その許では確実に命が消えている。

 ザフトと地球連合軍による全面戦争は、もう既に始まっている。これまでの如何なる戦闘より、苛烈さを極めた此度の戦は、最終決戦を目前にした演目としては丁度いい余興となろう。

 

「こちらフレイ・アルスター、出撃()て道を開けます」

〈期待しています。──サ、ちゃちゃっと片付けてくださいヨ〉

 

 通信越しのアズラエルが、鼻白んで告げた。

 わずかに機体が浮き、両脚がカタパルトにリフトすると、機体背部に新たなる追加装備が装着された。

 

〈機体モジュールを選択。GAT-X444スタンバイ──発進、よろし〉

「〝レムレース〟は──〝カラミティ・ストライカー〟で出ます!」

 

 号を発すると同時に、カタパルトから勢いよく鉄塊色の〝レムレース〟が射出されてゆく。背部に多脚の節足動物を思わせる砲撃武装──〝カラミティ・ストライカー〟を装備しながら。

 機体にかかるGの直後、機体は深淵なる宇宙に勢いよく飛び立ってゆく。

 

〈続いてGAT-X252……〉

 

 VPS装甲がオンになり、忽ちに通電した灰色の〝レムレース〟は、ヴェールを剥いだかのように──青緑とオレンジ──ツートーンに色づいてゆく。

 従来のPS装甲と異なり、VPS装甲はバッテリーをより効率的に運用するために、装備や状況に応じた装甲へのエネルギー配分を行う。その副産物として「装甲の色が変化する」という現象が挙げられるが、砲撃戦用に電圧調整を行った〝レムレース〟は、このとき喪われた〝災厄の王子(GAT-X151)〟を彷彿とさせるカラーリングに染まっていた。もっとも、結局は搭乗者の趣味に合わせて任意で変更されることもあるため、カラーリングに深い意味や理由などを求めても仕方がないのだが。

 飛び立った〝レムレース〟に付き従うように〝レイダー〟と〝フォビドゥン〟が後続し、フレイは一気にバーニアを噴かせる。ペダルを踏み込む、その手応えは重い。

 

(──重い(・・)……ッ)

 

 機動型装備(テンペスト・ストライカー)の扱いに慣れたためか胸内で唾棄するが、今回の任務は、あくまでも殲滅──むしろそういった役割を果たすには、機動性に劣る分だけ、この大火力装備(カラミティ・ストライカー)は打って付けだ。

 すると、新手と思しき〝ドミニオン〟の熱源を捉えたザフト軍が、真っ向から彼女達の許へ突貫して来た。──〝ジン〟〝シグー〟〝ゲイツ〟──機種を数えるだけでも飽き足らないほどの迎撃部隊だ。

 

〈うはーっ、いっぱいいるねェ!〉

〈アレぜーんぶ墜としていいんだよね、目移りするーっ〉

 

 正面からぶつかって来るモビルスーツ群に対し、〝レイダー〟と〝フォビドゥン〟が一気に前に踊り出る。それぞれに格闘武装──鋼爪(アフラマズダ)首鎌(ニーズヘグ)を以て迎え撃つ。その機動力と反応速度はコーディネイターのそれを凌駕し、向かって来たザフト部隊は、しかし、これと云う反撃も出来ないまま返り討ちに遭ってゆく。

 

「あんまり適当に暴れると、私の砲火に当たるわよ」

 

 敵部隊を撹乱する〝レイダー〟と〝フォビドゥン〟の後方、無数の砲門を開き、待ち構える〝レムレース〟の機影があった。

 ──これはまさに、褒められた連携だ。

 中・遠距離からの砲撃に特化した今の〝レムレース〟は、敵機の接近を許してはならない。この補助をするため、〝レイダー〟や〝フォビドゥン〟が前方に躍り出て、敵部隊を攪乱しているのだから。

 だが、後方から見て〝レイダー〟は思ったより弾けた動きをし、あろうことか敵陣のど真ん中に突出気味だ。それはコーディネイターを撃滅する『ゲーム』を彼なりに楽しんでいる結果であって、フレイとしても異論はないのだが、あまり無暗矢鱈に動かれると、それはそれで困惑した。後方から掩護射撃を行う彼女の照準作業に心労が祟るからである。

 適当に動き回る〝レイダー〟を誤射し、巻き添えようものなら、撃ったフレイとしては後味が悪いではないか──いくらクロトに過失があったとしても。そう思って親切に忠告を出してやるが、クロトからの返事は、にべもない。

 

〈うはは? オマエが当てるつもりでも当たんねーよ、ばぁか〉

「はあっ!?」

〈ボクらは散々、オルガの後方支援に狙われて来てんだぜ? オマエの砲火になんか、今さら当たるか! ド素人め〉

 

 いったい、何の話をしているのか? オルガの射撃の腕は、彼らを誤まって狙撃するほどに悪かったとでもいうのか? フレイには詳しく分からなかったが、ひとつだけ理解したことがある。

 ──わたしは今、あいつに小馬鹿にされたんだ。

 フレイは花弁のように柔らかそうな唇の片端を、ひく付いたようにつり上げた。

 

「あったま来た、そんなにスリルが欲しいならあげるわよ。懲り懲りするくらいにね!」

 

 次の瞬間〝カラミティ・ストライカー〟──

 そこに構えられた、10箇所を超えるあらゆる砲門が、同時に火を噴いた。

 背部から大きく張り出した高エネルギー位相砲〝アウフプラール・クアットロ〟や、両脇から突き出したマスターアームから伸びる、3連装高エネルギー長射程インパルス砲〝プルフラス〟が一斉に光の矢を放ち──螺旋を描くように束ねられた光条は、やがて〝光の矢〟から〝光の渦〟へとその姿を変えた。

 膨大な熱量を宿した光渦は、僅かに機体を掠めただけの〝ゲイツ〟や〝シグー〟を続々と飲み込んでゆく。宇宙の常闇を切り裂いて進むそれは、一陣の激流──色彩の洪水だ。

 

〈眩しーっ〉

 

 突き抜ける光の奔流を飾るかのように、咲き誇る無数の炎の華──

 そして減衰することを知らない〝レムレース〟の一斉砲撃(フルバースト)は、距離を開いて見るシャニの隻眼に眩しかった。──〝アレ〟が直進した方角にいるクロトから見れば、更に眩しく、そして恐ろしくもあるだろうに。

 

〈ひょえっ──〉

 

 たとえ通信機から間の抜けた男児(クロト)の声が聞こえようと、知ったことではないのである。

 爆発が収まる────。

 光の渦が虚空へ過ぎ去っていくと、その軌跡に生気あるものは何ひとつ残されていなかった。ただ駆逐された鉄の塊が無残に蔓延っているだけだ。モビルスーツが四肢を持ち、なまじ人間の形を模している分、それらが哀れもない姿で転がる様は、死屍累々とは云えないにせよ、地獄絵図と呼ぶに相応しいおぞましさがある。

 生き残ったものといえば、唯一、人面鳥(ハーピー)を思わせるMA形態に変形した〝レイダー〟だけであろう。

 

〈なんつー火力してんだっ、聞いてねーしっ〉

「初めて実戦で使う装備だもの。性能なんて私だって知らないし」

〈マジで殺す気か!〉

 

 が、コーディネイターでも反応できなかった一斉射撃(フルバースト)をかわすとは、やはりクロトは相当な手練れである。

 もっとも、操縦技術に長けているのはクロトだけではない。シャニは勿論であるが、最近のフレイにしても、それは同様である。

 オーブ解放戦におけるフレイ・アルスターの初陣から、数ヶ月が経った今──彼女の『技量』は、彼女の『体力』と反比例して向上傾向にあった。

 数ヶ月に渡って体内に蓄積した覚醒剤は、確実に彼女の健康を害しているが、一方でこれだけの期間を戦い抜き、もしくは訓練し続けた彼女は、また確実に戦闘力を高めつつあった。早い話が「実戦に慣れた」ということで、素人らしい直線的な挙動が以前と比べ明らかに減っている。彼女はいちパイロットとして、力を養いつつある──出撃前に投与された薬物効果(ドーピング)が云々というよりも前に、彼女自身の健常な采配や経験によって。

 だからこそ照準を付けられたクロトが、その正確さにここまで取り乱したのである。

 

〈──道は開いたようですな〉

 

 アズラエルの許に、サザーランドの無味乾燥な声が飛んで来た。

 不仲でありながらも、宙域を猛進し始めた〝G〟部隊によって、ザフト軍の編隊に乱れが生じ始めたのだ。アズラエルは鼻白んで返す。

 

「最新のモビルアーマーを出すまでもありませんネ。この戦闘──ぼくらの勝利で決まりです」

〈では──平和の使者(ピースメイカー)、発進〉

 

 連絡と共に〝ワシントン〟を旗艦とする艦隊が、巨大ミサイルを抱えるように装備した〝メビウス〟を一斉に発進させた。

 世界から異分子(コーディネイター)を撲滅し、より良き平和を創建するための使節団──〝ピースメイカー〟隊である。

 積載された大型の弾頭を確認し、勘のいいザフト兵がこれを撃ち棄てようと〝メビウス〟に猛然と肉迫してゆく。が、脇から放たれた〝フォビドゥン〟のレールガンに貫かれ、悉く撃墜された。暴虐なる〝G〟兵器は、さながら羊飼いとなって、狼の手から爆弾を運ぶ子羊達を護り抜いてゆく。これを期にザフト軍は〝メビウス〟に接近することが出来なくなり、守備隊の瓦解は目前──こうした兆候は〝ボアズ〟司令部にて即座に観測された。

 

〈守備軍の編隊に乱れあり! その後方、地球軍艦隊よりモビルアーマー部隊の出撃を確認!〉

〈偵察型〝ジン〟より入電──モビルアーマー全機、大型のミサイルを積載している模様!〉

「おのれナチュラル共……ッ! 仕掛けてきおったか!」

 

 〝ボアズ〟司令部は、そうして迫り来る〝メビウス〟が『何を積んでいるのか』──

 このとき、既に把握していたに違いない。

 

「〝ベルゴラ〟部隊発進せよ! 奴等が持ち出した禁断の『(ちから)』──奪い取って、奴等の身にくれてやれ(・・・・・)ッ!」

 

 

 

 

 

 〝ボアズ〟に構えられた秘匿ゲートから、青色の機体が飛んでゆく。

 ZGMF-500〝ベルゴラ〟──幾つものハンマーを肩口から引っ提げたような、特徴的な風采をしたモビルスーツ部隊だ。数にして、一〇を越えるだろうか? 独特の編隊(フォーメーション)を組んだ〝ベルゴラ〟小隊が、おもむろに〝ボアズ〟前面の戦闘宙域へ躍り出る。

 

「ああん?」

 

 見慣れないモビルスーツ部隊を目の当たりにして、クロトは眉を顰めた。

 それに似た動揺を表情に顕したのは、着々と〝ボアズ〟近辺に斬り込んでいたフレイにしても同様だ。もっと云えば、後方で彼らを指揮するナタルやアズラエルもまた、存ぜぬ「敵」の登場に、困惑の陰を表情に落としたようだが。

 地球連合軍は〝ベルゴラ〟の存在をこれまで知らず、モノアイでも、ツインアイでも、ましてやゴーグルアイでもない──四ツ目紅球のセンサーアイを光らせたマスクタイプの〝正体不明機〟に目を見張る。

 

「なに?」

 

 見慣れない新型モビルスーツ──

 かといって、直接攻撃を仕掛けて来る様子もない、要するに不気味な「特殊部隊」の出現に、シャニが不機嫌そうに舌を打つ。

 ──なにがしてーの、あいつら……?

 そんなことを思惟していた、次の瞬間である。

 突如として〝ベルゴラ〟の羽──正確には〝バチルスウェポンウイルス〟の発心装置が、孔雀のように拡げられた。十数機にも数えられる〝ベルゴラ〟が全機、指揮官が搭乗しているであろうホワイトカラーの特機を中軸に、円形の編隊を展開し始めたのである。

 

「フォーメーション・ガグンヴォール展開──」

「全機、配置につけ──」

 

 編隊を組むことにより、〝ベルゴラ〟小隊は、より膨大な量の〝ミラージュコロイド〟を放散させてゆく。

 やがて真空中に蔓延するコロイド粒子を圧縮──および「反転」させることにより、広域に対して無量の〝汚染型コロイド〟を放出させた。ウイルス汚染による赤色の透過光の加わった、人間の目にも捉えられる微粒子だ。

 

「〝バチルスウェポンウイルス〟散布完了! ナチュラル共に、ひと泡吹かせてやれ!」

 

 やがて〝ボアズ〟前面、戦闘宙域の到るところにまで〝赤色の粒子(バチルスウェポンウイルス)〟が放散され、〝レイダー〟に〝フォビドゥン〟──および〝レムレース〟──その後方の〝メビウス〟にまで襲い掛かる。

 真紅の波動が──三機の〝G〟と〝ピースメイカー〟隊を呑み込んだ。

 ザフトのMS部隊ならば、こぞって返り討ちにできるクロト達も、相手が質量を持たない微細な粒子となれば、抵抗する術など持ち合わせていない。かくしてウイルスに感染した量子コンピュータは、揃ってOSを強制終了(シャットダウン)させられてゆく。

 

「…………!?」

 

 そうして唐突に訪れる、不気味な静けさ(・・・)──

 フレイが胡乱げな顔を浮かべていると、ややあって、機体前方──システムがダウンし、ぴたりと行動を停止していた〝レイダー〟が、唐突に次の行動を起こした。

 グギギ、と尋常ではない駆動音と共に機体を翻し、腕に引っ提げた鉄球(ミョルニョル)を〝レムレース〟に投げつけて来たのである。思いがけない報復を受けそうになり、フレイはぎょっとする。

 

「あ、あんた何すんのよ! 仕返しのつもり!?」

 

 慌てて機体を駆ったフレイは、鉄球を回避し、すぐさま抗議の声を挙げる。

 これはフレイ・アルスターの持論だが、女は男を試していい生き物だが、その反対は駄目に決まっている。たとえどんな理由があろうとも、男は女に手を挙げちゃいけないのだ。

 だが〝レイダー〟の双眼は赤かった。

 

〈ちげッ──な、なんだこりゃあ!?〉

 

 通信機からは、若干のノイズと共に、慌てふためいたクロトのわめき声が返って来る。どうやら、今の一撃は彼の意思に反したものだったらしい。

 OSを強制終了させられた後、機体の制御権をまんまと敵方に奪われたのか? こうなってしまっては無力な少年は、手綱が千切れて暴れ出した己の愛馬──いや〝人面鳥〟に当惑するだけだ。

 

「っ……!?」

 

 〝レイダー〟が相手では碌に反撃することも出来ず、フレイが唖然としていると、背後からは〝フォビドゥン〟が大鎌を翳し、まるで〝死神〟のように襲い掛かって来た。

 こちらも〝レイダー〟同様に双眼が赤く、これはウイルスに侵食された証拠でもある。当の操縦者も「あーごめん」と口では云っているものの、まるで誠意の感じられないシャニの態度には、肩から脱力してしまう。

 

〈なんだよこのポンコツ、急に云うこときかねー〉

〈ばーかばーか! なんでテメェの機体(レムレース)正常(セージョー)なんだよっ、コロヤロー!〉

「──!?」

 

 クロトの云う通りである。鉄球を投げつけられたとき、大鎌を振り抜かれたとき、フレイはそれらの攻撃を回避した……いや、回避することが出来ていた。

 当たり前の話だが、フレイの意志に、機体が即応したのだ。

 だが、今の〝レイダー〟や〝フォビドゥン〟では「それ」ができない──

 がちゃがちゃと操縦桿を振り回しても、搭乗者の意志に即さない〝レイダー〟と〝フォビドゥン〟に、フレイはひとつの確信をした。

 

 

 

 

 

 後方に待機する〝ドミニオン〟艦内でも、一連の『異変』は感知されていた。

 突如として現れたザフトの新型部隊──それらが放った真紅の波動──これに呑まれると同時に、突如として同士討ちを始めた〝G〟部隊──

 一連の戦況を眺めながら、アズラエルが何かを理解したかのように、憎々しげな顔を作る。

 

「──アイツら、まァた仲間割れなんかし腐って……。懲りないねえ、ほんとうに」

 

 あと一歩で〝ボアズ〟を陥とせると云うのに、仲間割れなんてしている場合じゃないでしょう?

 そう云いたげなアズラエルである。──さっさと、あの不気味なMS部隊を撃破しちゃえばいいものを……。

 作戦さえ大人しく遂行してくれるなら、その存在価値は充分だと云うのに、ついつい関係ないところで不利益を招いてしまうのが、馬鹿な強化人間の悪いところだ。

 しかし、飄々と懸念しているアズラエルの予想を裏切るかのように、そのとき〝ドミニオン〟のオペレータが声を挙げた。

 

「〝ピースメイカー〟隊、転進します」

「──え?」

「こ、こちらに向かってきます──!?」

 

 アズラエルが、慌てて顔を上げる──

 と、見事なUターンを決め込んだ〝メビウス〟の大群が、一目散に〝ドミニオン〟に向かって逆行して来ているのが目に入った。思わず立ち上がる。

 

「な、何考えてるんですカ!? まだ核は〝ボアズ〟に撃ち込んじゃいないのに──」

 

 その顔面は、一瞬にして血走った蒼白である。

 

「──どォして帰ってくるの?」

 

 呆気に駆られた言葉を他所に、艦長席に坐すナタルが、すぐに指示を飛ばす。

 

「〝メビウス〟の挙動がおかしい──! 武器システムに火を入れろ、迎撃準備(・・・・)!」

「はっ!? しかし、あれは我が軍の!」

「宇宙の藻屑になりたいか!?」

 

 核を持ったまま、蜻蛉(とんぼ)帰りを決め込もうとしている〝ピースメイカー〟隊──

 

(あの大群──彼ら全員が、揃って命令無視だとでも……!?)

 

 そんなはずがない──

 そう思う軍人としての心が、ナタルにひとつの決断をさせていた。彼女はこのとき、云い知れぬ不吉な兆候を感じていたに違いない。

 冷徹な声を飛ばしたナタルの目に、迷いはなかった。

 

 

 

 

 

「冗談じゃないわ! 揃いも揃ってコンピュータウイルスにやられたってことでしょ、つまり……!?」

 

 僚機──〝レイダー〟と〝フォビドゥン〟から繰り出される反逆の砲火を牽制しつつ、フレイは強かに毒づいた。

 おそらくザフトの新型──〝ベルゴラ〟が標準装備しているのは、〝レムレース〟に搭載されているものと同じ『バチルスウェポンシステム』だ。無重力空間に対して〝汚染型コロイド粒子〟を広域散布することにより、これに感染した量子コンピュータを強制的にダウンさせ、再起動後、この制御権を完全に強奪(ジャック)するハッキング兵器としての機能を併せ持つ。

 畢竟、ザフトはこの作用を使い、核弾頭を抱えた〝メビウス〟を、まんま〝ドミニオン〟──ひいては地球軍艦隊にぶつけよう(・・・・・)としているのだ。

 だから敵は、こっちが〝ピースメイカー〟隊を実際に発進させるまで、あの得体の知れない特殊部隊を穴蔵に隠して前線(まえ)に出して来なかった!

 

(仕掛けに乗せられた……ッ!)

 

 コンピュータウイルスに侵食され、行動の自由を奪われたのは〝レイダー〟〝フォビドゥン〟〝メビウス〟を始めとする地球軍の機種だけだ。一方でザフトが開発したモビルスーツ──〝ゲイツ〟や〝ジン〟──には一切としてウイルスは影響しておらず、むしろ〝G〟が沈静化したことを機に、奴等は勢いを取り戻しているようでもある。方々では、現実に〝ダガー〟隊が押され始めている。

 ──戦いの流れは変わった。

 パナマ攻略戦でザフトが用いた〝グングニール〟へのEMP対策と同様に、ザフトが開発したモビルスーツには、あらかじめ〝バチルスウェポンウイルス〟に対する抗体投与(ワクチン)対策が施されていたに違いない。

 

(そしてそのウイルスは、この〝レムレース〟にも効果がない)

 

 理由など知らない。

 だが現実に〝レムレース〟は、こうしてザフトのコンピュータウイルスを完全に無効化している。おおかた〝レムレース〟そのものがウイルスを宿した〝病原体〟なことから、同じウイルスには感染しない──とか? 事情はともかく、そういう原理が働いているに違いない。

 ──『毒を以て毒を制す』とは、よく云ったものである。

 思慮している間も惜しい。フレイはちらりと周囲を一瞥し、いいように操られ暴れ回る僚機達と、それに振り回された挙句、喚き散らすことしかできない『お仲間』に深い嘆息を吐く──〝ドミニオン〟に逆行している連合の兵士達も同じだ、まったくもって情けない!

 

「いざってとき、男って頼り甲斐ないんだから……!」

 

 フレイは剣呑な顔を上げ、その視線を前方に展開する〝ベルゴラ〟小隊に固定する。

 ──あんな少数のモビルスーツ部隊で、数一〇を超える地球軍(こっち)の量子コンピュータを一斉にハッキングするなんて、困難なはず……!

 〝ベルゴラ〟の魔の手に掛かった〝レイダー〟も〝フォビドゥン〟も、すっかり機体の制御権を奪われてしまっている。が、それらは実際のところ、撃って来る砲撃こそ強力だが、かと云って脅威ではなかった。

 少なくとも、二機の〝G〟は遠隔操作によって操られた〝傀儡〟として存在するが、これを操っているのはクロトでもシャニでもないし、そうである以上、直接的にフレイが苦戦する理由にはならない。無鉄砲、それでいて無秩序に暴れ回るだけの機械人形を相手に、フレイが手こずる理由など存在しないのだ。

 その証拠に、改めて直線的に大鎌を振り上げ、短絡的に突貫して来た〝フォビドゥン〟の一撃を容易く回避したフレイは、〝レムレース〟にその背中を踏みつけさせた。バーニアの性能が低い分、跳躍の反動で加速し、〝ベルゴラ〟までの距離を詰めたのである。

 

〈オレを踏み台にしたー?〉

「黙ってて!」

 

 踏みつけられたシャニから抗議の声が聞こえたが、知ったことではない。

 フレイは再度すべての砲門を開き、すべての銃口を〝ベルゴラ〟に固定した。マルチロックオンシステムが、遺憾なくその真価を発揮する──コンソール上に半自動的に幾つもの光点が浮かび上がり、フレイは胸の奥から込み上げる情動に突き動かされるがまま、トリガーに手を掛ける。

 

「隊長、ウイルスを無効化したモビルスーツが!」

「……なにッ?」

「悪魔のような〝G〟が、こちらを狙っています──!?」

 

 ウイルスを放散したことで、すっかり安心……いや慢心していたのか。それとも、奪った〝メビウス〟等の遠隔操作に気を取られていたのか。

 いずれにせよ、機体のコクピッドに警報が鳴り響くまで、ザフトの特殊部隊は〝レムレース〟の接近に気付くことが出来なかったらしい。そして──気付いた時には何もかも遅かったことを、彼らはきっと、最後まで理解できなかった。

 指先を訪れた血のめぐりと昂りが、彼女にトリガーを引かせていた。

 

「うッ」

 

 次の瞬間、遠方より放たれた砲火が、一斉にすべての〝ベルゴラ〟を貫く!

 

「さ、最悪だーッ!?」

 

 断末魔と共に、すべての機体は無慈悲なる光の矢に切り裂かれ、拉げ、そして爆散する。

 〝ボアズ〟守備軍が誇る、虎の子の軍勢──〝ベルゴラ〟

 彼等は意外なほど呆気なく、その活躍の瞬間を終えたのだ。

 最期の叫びが示した通り『災厄(カラミティ)』の名を携えて現れた、たった一機の〝亡霊(レムレース)〟──元々はザフトが造り、ウイルスへの抗体(ワクチン)が射ち込まれていた〝テスタメント(・・・・・・)〟の逆襲によって。

 

 

 

 

 

 傀儡は、傀儡師の糸が切れればその支配から逃れるもの。

 〝ベルゴラ〟というコントロールの中枢を失った地球軍部隊は、システムを復旧させ、操られた機械人形から、再び搭乗者の意思を第一に動き出す従順な機動兵器へと実相を変えた。

 

「素晴らしい働きだ、フレイ・アルスター中尉……!」

 

 常日頃は乾き切っているサザーランドの初老の声も、このときばかりは感激と称賛に潤っていた。

 彼は即座に通信機をオンにし、声高に命じる。

 

「〝ピースメイカー〟隊に告ぐ! 全機は〝レムレース〟の後続に付き、一気に〝ボアズ〟を攻め落とせ!」

「はっ!」

 

 紡がれた将校の言葉を信じて、地球軍の兵士が昂然と動き出す。

 戦の流れが、再び変わる──。

 すべての〝メビウス〟は〝ドミニオン〟を避けて通り過ぎた後、ふたたび転進──。

 またも華麗なUターンを決めた後、一斉に〝ボアズ〟に向けての指針を取った。そしてまた、彼等の『護衛』として〝G〟兵器の暴虐が始まる。

 

「おっ応戦しろ、ザフト軍!」

 

 ザフトはこれらの猛攻撃に対し徹底抗戦──だが、勢いづいた地球軍を真っ向から抑え込むだけの地力も、小細工を使って打ち破るだけの搦め手も、もはや残されていなかった。そればかりか、切り札でもあった〝ベルゴラ〟部隊の壊滅により、全軍の指揮は低下する一方。

 打開策は見出せず、前線の兵士達を、激しい動揺と混乱が襲う。もはや最奥(安全地帯)の椅子の上で、偉そうにふんぞり返るだけの司令官の発破などでは奮起できない彼らは、既に烏合の衆と化していた。そしてそれは「前線に明確な指揮官が存在しない」という、ザフトが徹頭徹尾貫いた放任主義が招いた惨禍でもあったろう。

 

「──何が『〝プラント〟のために』だ! この戦いは、蒼き清浄なる世界のために!」

「覚悟しろコーディネイター共! おれたちを散々コケにしやがってッ」

 

 往ったり来たり、を強いられた〝ピースメイカー〟隊の、それは心の叫びだ。

 もしも、あと一歩〝レムレース〟の対応が遅れていれば、彼らは上官が乗る母艦を破壊していたかも知れないし、もしくは、その母艦に撃ち落とされていたかも知れないのだから。

 いずれにせよ、この局面にあって、同胞(ナチュラル)同士で殺し合うなんて論外だ。──奴らコーディネイターは、そうやって戸惑う自分達の姿を見て、けらけらと笑っていたに違いない!

 

「オマエたちは、いつだって高みからナチュラルを俯瞰して、見下すことしかしないんだ!」

「くたばれ、宇宙(ソラ)のバケモノ!」

 

 口々に叫び、士官たちは、それまで大切に抱えて来たミサイルを〝ボアズ〟へと撃ち込んだ。

 最初のミサイルが着弾する────。

 凄まじいエネルギーが炸裂し、着弾点を一瞬にして蒸発させる。それは一瞬にしてすべてを消し飛ばす、狂気の力。冷え切った鋼鉄の要塞は、一瞬にして灼熱が渦巻く煉獄へとその姿を変え、着弾点から迸る閃光は、やがて内部のモビルスーツや戦艦を薙ぎ払い、防護壁を吹き飛ばした後、司令部に据えるコーディネイター達を消し飛ばした。

 難攻不落と称された宇宙要塞〝ボアズ〟は、一瞬にして崩壊──〝それ〟があった場所には、砕かれた無数の岩くれと、ねじくれた金属片だけが漂った。ザフトは大打撃ならびに壊滅的な損害を受け、荒れ狂う風圧にも似た、ナチュラル達の罵声の錯綜は止んだ。狂乱の反動であるかのように、不気味なほど静かな宇宙ができ上がる。

 この戦闘において、地球軍は改めて、ここに解き放たれた『核』という名の力の凄まじさを、然とその目に灼き付ける。

 

 かくして〝ボアズ〟侵攻戦は──より完全にして完璧な、地球軍の勝利に終わった。

 

 

 

 

 

 

 そうして激烈な死闘が繰り広げられた事実など、知りもしない三隻同盟は、このとき辺境のデブリ帯に身を寄せていた。

 正確には身を隠していたのだが、その付近には、一隻の輸送艇が停泊している。

 これと云う活動拠点もなく、諸事情あって〝アメノミハシラ〟を頼ろうとしない彼らは、補給の大半を、こうしてジャンク屋ギルドに依存していた。ザフトや連合──どちらの軍にも属さず、独自の立場を貫くジャンク屋は、こういう時代だからこそ逞しく活動していた。補給を縁に、彼らが三隻同盟に齎してくれる情報は多岐に渡り、そのニュースの一報を受け取ったニコル・アマルフィは、血相を変えて〝アークエンジェル〟の艦橋に向かっていた。

 そして辿り着くと、そこでは、既にマリューやムウといった人物達が顔を揃えて居た。

 

「──月艦隊が〝ボアズ〟へ侵攻したって……!」

 

 ニコルが思わず問うと、モニターの先に映るカガリが答えた。

 

〈ああ、彼らの話ではそろそろか──もしかしたら既に、ってことらしいが〉

 

 カガリは、憤然として続ける。

 

〈もしそれが本当なら、一大事だ……! 早く駆けつけて止めないと──!〉

 

 実直すぎるほど正義感に溢れたその言葉を遮って、〝エターナル〟から通信が入る。

 

〈いや、もう手遅れだ──。こっちの筋で手に入れた情報によると、〝ボアズ〟はもう陥ちた(、、、)

「え……?」

〈事態は既に、最悪の方向に動き始めたようです〉

 

 ラクスの声が響き、ニコル達は、一斉に顔色を失ってゆく。

 

〈──地球軍が、核兵器を使ったのです〉

 

 難攻不落とまで云われた〝ボアズ〟要塞──それが落とされたということは、並々ならぬ戦術兵器が展開されたのだろうとはニコルも予期していた。

 が、よもやそれが、かつて〝プラント〟のひとつを焼き払った核だとは──。

 

「あんま、驚きやしないがね。〝JOSH-A〟の後だし……」

 

 ムウが、自嘲気味に溢す。

 ──自軍の利益のためなら、虐殺すら厭わないのが地球軍だ。

 それは既に〝JOSH-A〟に設置された〝サイクロプス〟が実証した真実であり、彼等は彼等の『敵』──コーディネイターを滅ぼすために、自軍の拠点や兵士さえ斬り捨てることも厭わない集団なのだ。

 そういう意味では、今回、地球軍が攻め入った〝ボアズ〟なんて敵軍の拠点でしかなく、核を手にした彼等が虐殺をためらう理由など、特に存在しないだろう。彼等にとって、コーディネイターは結局、同じ人間ですらない──宇宙のバケモノなのだから。

 

「わたしたちも、動く潮時ですね……?」

〈────はい〉

 

 この一か月、彼らはきっかけを待っていた。逃げ回り、隠れるだけでは目指す目標にはたどり着けない。が、確かに彼らには休憩の時間が必要だった。

 

〈全艦、発進準備! 各科員は、至急持ち場につけ──!〉

 

 その安息も、終わりの瞬間を迎えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 第一要塞である〝ボアズ〟攻略を終えた地球軍艦隊は、補給のため〝ボアズ〟が浮かんでいた宙域を離れ、L5宙域の界隈に停頓していた。と云うのも〝ボアズ〟宙域周辺は、核ミサイルを放った後だ──残留汚染が蔓延している危険性が高く、それを考慮した結果の移動である。

 〝ドミニオン〟格納庫に降り立ったフレイは、暑苦しいメットを脱ぎ、ルーズアップに束ねていたバレットを取った。燃えるような赤い髪が下ろされ、それは汗のためかいつもより重量感を増やしてたが、それでも、ふわりとして無重力の中で滑らかに浮いて流れた。

 機体から降り立ったフレイの周りには、妙な人(だか)りができていた。

 若い──と云ってもフレイよりは年上だが──士官のみならず、技術スタッフまでもが、一斉に彼女の許に押し寄せて来たのである。フレイは訳が分からず、思わず後ずさった。

 

「中尉、ご活躍は耳にしました! 素晴らしい戦果を挙げられたそうで!」

「いやァ、〝ボアズ〟攻略戦(この戦い)に勝てたのは、あなたのおかげですよ!」

「今度、良かったらお茶でもどうですか!」

「てめ、抜け駆けはずりーぞ!」

 

 後半にかけて下心が段々と露骨になっていたようだが、周囲から向けられる信頼と興奮の眼差しに、フレイは目を白黒させた。ややあってから、全員が自分を褒めたたえているということに気付いたフレイは、彼らの高揚が乗り移ったかのように不敵に笑う。

 ──みんなの『関心』が、やっとわたし(、、、)に戻って来た……!

 まず第一に、その言葉が頭をよぎった。

 それを自覚することが、まるで自慰行為をするかのように、彼女の自尊心を満悦に癒してゆく。

 ──わたしの(ところ)に集まって来たこの人達は、ちゃんとわたし(、、、)を見てくれるのだ──決してあの娘(、、、)ではなく……!

 

連合(おれたち)の、勝利の女神ってやつだよなぁ!」

 

 平穏な〝ヘリオポリス〟では、学園の「高嶺の花(アイドル)」みたいに褒めそやされ──

 しかし〝アークエンジェル〟に乗った頃から、誰からも相手にしてもらえず、誰にも相手にされなかったような自分が、この〝ドミニオン〟ではどうだ? こうして賛辞を貰い、ふたたび返り咲けたじゃないか! 

 軍人の癖にコーディネイターを滅ぼす度胸もないような、日和見主義の〝アークエンジェル〟で、誰も彼もが口を開けば「ステラ」「ステラ」──あんな〝太陽〟が持ち上げられたせいで、自分はいつだって〝日陰〟に隠れていなければならなかった!

 ──でも、見て……! やっぱりわたしは正しかった! やっぱりわたしは、評価されるべき人間なんだ!

 周りの士官達の心からの笑顔が、ようやく、そのことに気付かせてくれる。

 御伽の国の〝シンデレラ〟みたいに、不当に扱われていた女の子を、ちゃんと理解してくれる人は、この世界にもちゃんといるのだ。そう、わたしは正しい──でなければ、彼らがこうして、自分を褒めてくれるはずがないのだから!

 

 歓声、笑顔、優待、お世辞──

 周囲から一身に降り注がれる愛情──

 

 そのすべてを、もう一度、独り占めしたい──

 一度はその味を知り尽くし、かつ、父親という最大の愛情の提供者を喪っていたフレイにとって「周囲からの再評価」──それは彼女自身、このときもっとも欲していた、禁断の味だった。

 

 

 

 

 それからしばらくして、各々の士官たちが持ち場に戻ると、ようやくフレイは喧騒から解放された。

 人混みが解散した後、フレイの視線の先に立っていたのは、ブーステッドマンのふたり組だった。遠巻きにこちらを観察していたのだろうか? シャニは相変わらずイヤホンを耳に当てて音楽を聴いているが、クロトの方は、さも物言いたげな表情でこちらを見つめている。

 これだけ長い時間を、彼らが待っているなんて珍しい? ──フレイは、珍妙な顔をしてふたりに寄っていく。

 

「あら、なにかあって?」

 

 周囲からの再評価で、もみくちゃにされた後のフレイは、このとき上機嫌だった。

 対照的に、クロトは沈んだ表情をしていたが。

 

「てめーに随分と活躍されちまったから、ボクたち(・・・・)に対する評価が下がって来てんだヨ」

 

 どうにも、強化人間が常に身の内に孕んでいる『内情』について、文句があるらしい。

 ──ああ、確か前にも、そんなこと……。

 フレイは、漠然と思慮する。

 ──新型のフレイ(わたし)が活躍すればするだけ、旧式のクロト(かれら)は、その立場を危ぶめられてゆく……。

 前にひとりの青年が云っていた内容と同じことを、此処に来てクロトも、ようやく言及する気になったらしい。もっとも、フレイの中では既に一度交わしたことのある応酬(やりとり)だったので、既視感を憶えた途端、取り合う気など失せてしまったが──。

 適当にあしらおうと考えていると、クロトは唐突に、彼女に向けて人差し指を突き出して来た。「人のこと指差さないでくれる?」と教えておいたが、まったく聞いてくれなかった。

 

「というわけで、てめーも次回から『ゲーム』に参加な!」

「はあ?」

「この三人の中で『誰がイチバン撃墜数(ホシ)を挙げられるか』──次の戦闘で白黒つけようぜ!」

 

 そのきかん気に満ち溢れた物言いに、フレイは唖然としたが、やがて不思議と納得してしまった。──なるほど、以前そのことで喧嘩と苦情を吹っ掛けて来たナイーブな彼(・・・・・・)と違って、クロトはどこまでも挑戦的、いつまでも挑発的な性格をしている。

 ──クロト・ブエルは、色々と開き直った考えた方をしている。

 強化人間である自己に対し、これと云う違和感も、さしたる不満も感じていない──いや、感じることを諦めてしまった彼の発言には、

 

『誰がイチバン強い強化人間なのか、実際の戦績で決めよーぜ!』

 

 という、大らかな魂胆が見え隠れしていた。

 それはなんともゲーム好きな、彼らしい幼稚な提案ではあったが。

 

(……わたしは『ド素人』なんじゃなかったのかしら……?)

 

 戦闘中、クロトに云われた形容詞だ。

 そんな自分(トーシロー)に、彼が改めて『堂々の勝負(ゲーム)』を吹っ掛けて来るということは、彼なりに自分のことを認めてくれた、ということなのか?

 ──こいつはわたしを『ド素人』と罵った前言を撤回したくて、照れ隠しみたいに『ゲーム』を吹っ掛けて来たんじゃないか?

 そんな風に都合よく捉えてしまうわたしの心は、いま、きっと自惚れているに違いない。フレイは思わず緩みそうになるはしたない口元を手で隠し、ひとりごちた。

 

(アイツの代わりに、ようやくなれた)

 

 なんにせよ、この瞬間を以て、クロト・ブエルのフレイに対する認識が変わったことに間違いはない。

 RPGで云えば、クロトにとってフレイは、既にシャニと同じステージに立つ『戦友(おなかま)』であり、同時に、獲得した経験値を競い合う『好敵手(ライバル)』ですらある。何が云いたいのかと云うと、フレイは『ぽっと出のモブキャラ』とされていた彼の認識から、見事に昇格を果たしていたのだ。

 

「全力で勝ちに行くから、覚悟しておいてよね!」

「数で競うの? ……大物を仕留めた方がすごくね?」

「戦いは数ッ!」

「いーや、(シツ)だね」

 

 唐突に言い争いを始めたクロトとシャニの様子を、呆れた顔で見守っていたフレイであるが、ややあってから、遠方から白衣を着た男性医師が近づいて来た。

 

「──フレイッ!」

 

 ハリー・ルイ・マーカットである。彼は駆け足で寄って来て、フレイに耳打ちする。

 

「フレイ! 戦闘から帰ったら、すぐに医務室に戻るよう云ってあっただろう!? どうしてすぐに戻って来ないんだ!?」

「周りにもみくちゃにされて……。心配しなくても、今から行くところだったんです──」

 

 云い終わる前にハリーはフレイに詰め寄り、怒った様子で耳打ちする。

 

(この一か月間で、きみは薬の摂取量が異常に増えているんだぞ! 万が一にも薬の効果が切れて、大衆の面前でナルコレプシーを発症したら、そのときは庇いきれないと云ったはずだ!)

 

 ナルコレプシーの発作は、突発的に起こる。

 仮にも発作が起こって、フレイが昏睡状態に陥れば、周囲の者は激しく動揺し、その噂は艦内に流れることになる。それだけは避けなくてはならない。

 

(……わかってますよッ)

 

 毒々しく、体の不自由を嘆くように吐き捨てる。

 ただ、これまで特に関わりをもってこなかった仲間達との会話が、思ったより楽しかっただけなのに──

 今の自分には、彼らと素直に談笑に浸る自由すら約束されていないのだ。

 

「すぐに医務室に戻るぞ! ──そろそろ薬の効果が切れる頃だ。アズラエルに見られてはまずい……」

「……はい……」

「いやー、お見事でしたヨ」

 

 そのときだ。

 パチパチ、という芝居がかった拍手と共に、格納庫に、ムルタ・アズラエルが姿を現したのは。

 

「アズ……!?」

「先の戦闘、お疲れ様でした、アルスター嬢。サザーランド大佐もベタ褒めの活躍でしたので、ボクの方からも労いの言葉を贈ろうと思いましてネ?」

 

 アズラエルの登場に、傍らのクロトとシャニが、言い争いを辞めた。

 クロト達はその立場上、アズラエルを嫌厭している。彼と目を合わせないようにそっぽを向いてしまったのは、高評価を承ったフレイと対照的に、自分達への低評価(、、、)が降ることで、みずからが『廃棄処分』にされる事態を恐れる心理ゆえだろう。

 そうして不快に思われているアズラエルであるが、本人はまったく意に介さなかったらしい。ずかずかとフレイの近くまで、泰然と歩み寄ってくる。

 

「だからこうして、わざわざ格納庫まで足を運んだわけですが」

「……!」

「うっかり耳にしようとはねェ……『ボクに見られちゃまずいもの』って、何なんデス? ハリーさん?」

 

 目つきが、変わった。

 急激に温度の冷えた、目の底の凍てついた表情。アズラエルはそれ自体が刃物のような、鋭い目つきでハリーを見、次に咎めるようにフレイを睨む。フレイは蛇に睨まれたように、びくりと震えた。

 それが「見据える」というより、いちビジネスマンとして、商品の品質を「見定める」ような無機質な視線だったからだ。

 

「──!」

 

 ハリーは、庇うようにフレイの前に出る。

 が、一触即発の空気が流れ出し、それまで穏やかだった場の雰囲気を一変させた。

 周囲にいる技術スタッフの多くが「なんだ……?」と違和感を口にしたが、やがて言葉のひとつも言えなくなるほど、場の空気は沈鬱になってゆく。

 

「まさか、このボクに『隠しごと』──なんかしてませんよネ?」

「……勿論、だ」

 

 ハリーは、決然と云い返す。

 

「ふーん? でも、本当かなァ……?」

「あなたは、わたしまで疑うのか」

当然(トーゼン)でしょ? あなたには前科があるんです──地球軍(ボクら)の不利益になることを承知の上で、エクステンデッドのデータを破棄しようとした、立派な前科がネ」

 

 相も変わらず、粘着質な口調で咎めて来る上司に、フレイは恐怖を感じていた。

 

「あなたを黙って見過ごしてたら、今度はボクが不利益を被るんじゃないか、ってヒヤヒヤしますよ」

 

 結局、フレイもまた、アズラエルから目を背け「我関せず」の態度を貫くブーステッドマンの二人と同類なのだ。己の不利益を被ることが怖い──罪を承知で、自分を庇ってくれた青年とは違って……。

 場の膠着が続き、これという尻尾も掴めなかったらしい。アズラエルは咎める気が失せたのか、それとも興味を失ったのか、

 

「──まァいいでしょう」

 

 と、投げやりな態度に変わった。

 

「どのみち〝ボアズ〟が陥ちた今、次の攻撃目標は〝プラント〟本国です。それで直に決着だ」

 

 白けた口調で、続けた。

 

「これでようやく終わるヨ? この戦争も、キミたち強化人間のお役目(・・・)もサ?」

「アズラエル!」

「ナニを怒っているんデス? 強化人間を治療する方法なら、医学者(アナタ)が頑張ればイイでしょ? そこから先はボクの管轄外だ」

 

 なんて無神経な言葉を使うのだろう。

 が、彼の云っていることは、紛れもない事実だ。

 戦争が終わってしまえば、アズラエルはもう強化人間を製造する事業に出資する必要がなくなり、この分野から手を引いて、ただの企業経営者に成り下がる。

 ──強化人間を作るだけ作っておいて、彼らが役割を果たしたら、後は朽ちるまで放置する……!

 そんな身勝手の皺寄せを食らうのは、医学界の──自分たちのような研究者なのだ。

 

「ボクを責めるのはお門違いですヨ。恨むなら、彼らを救えない現代医療を恨めばイイ」

「それは理屈だ!」

「でも、正しいものの見方。現実です」

 

 この人は、初めから私たちを助けるつもりなんてなかったんだ。

 フレイは事実を事実として突きつけられ、目眩を感じた。理解はしているつもりだったのだ──アラスカに配備された強化人間が、切り捨てられたことを目の当たりにしたときから。

 

 そしてその目眩とは────決して錯覚ではなかった。

 

 頭の中で、ぷつり、と何かが途切れる音がした。

 次の瞬間──途端に意識が朦朧とし、頭が痛み出す。視界が霞みがかったように暗転し、急速に暗黒に包まれてゆく。全身に力が入らない。体はよろめき、次第に前に傾いていくのが分かる。

 疑いようがない。これは、ナルコレプシーの発作だ。

 

(うそ)

 

 ──よりによって、このタイミングで……。

 微睡みに堕ちてゆく意識に、歯止めを掛けようとしたフレイだが、当人の意志でどうにかできる難病ではないのだ。

 フレイはその場に膝を付き、意識を失って、ぐったりと倒れ込んだ。その唇から規則正しい寝息と、その瞼から儚げな一筋の雫を零して──。

 

「フレイ!?」

 

 化狐の尻尾を掴んだアズラエルは、カッと目を開き、血走った目で改めて問い詰める。

 

「さァ! これは一体どういうことか、ご説明願いましょうか、ハリー・ルイ・マーカット!」

「……ッ!?」

「そこに転がった『粗悪品(・・・)』の欠陥(ヒミツ)を──今まで監督者(ボク)に黙っていたってことですよねェ!?」

 

 悪霊にでも憑かれたような、特有のぎらつきを宿したその顔は、まさに悪鬼の形相だ。

 場に居合わせるクロトとシャニは、それぞれ、底知れぬ恐怖に顔を歪める。意識を失ったフレイに向けて、アズラエルが浮かべた表情──それが自分たち強化人間を『廃棄品(、、、)』と見定めた時に見せる、文字通り「ゴミを見るような目」だったからだ。

 シャニは人知れず、声を漏らす。

 

「あいつ、ヤバイんじゃね──?」

 

 ──次の戦闘で、誰がイチバンつえーのか、決着つけようって約束したばかりじゃないか!

 ──なのに、なぜ。どうして……?

 

「なんで、こうなんだよ」

 

 周囲からの期待、それに伴う溢れんばかりの愛情──

 悪魔の力に身を染めた、魔女の魔法にかけられた少女は──しばしの間、それらの幸福の味を堪能したのだ。

 ──しかしその『夢物語』は、今ここに終わりを告げる。

 零時の鐘は鳴り響き、御伽の国の〝シンデレラ〟は、浅はかな現実に戻らなければならない──

 その瞬間が、今ここにやって来たのだから。

 

 

 


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