~夢見る少女の転生録~   作:樹霜師走

84 / 112
『プライマリー・ウェーブ』A

 

 

 C.E.71年8月21日──

 ブルーコスモスの盟主、ムルタ・アズラエルを主導者とする地球連合軍艦隊が、〝プラント〟本国への進撃を開始した。第一波戦力として〝ドミニオン〟ほか〝ドゥーリットル〟を旗艦とする主要戦艦二五〇隻、および補助艦艇一〇〇隻、積載される機動兵器はMA含む三〇〇〇を凌ぐ大艦隊が出撃。

 なお、月基地にはこれに匹敵する相当数の第二波戦力が温蔵されており、連合軍は二段構えの措置を取って決戦に臨んでいた。

 決戦には決戦なりの準備が必要だ。過剰戦力は却って遊兵を量産させてしまうという戦略的な見方もあるが、然るべき激闘が予想される以上、戦力はすこしでも保険をかけて置いた方が良い、という判断がそこには働いていた。

 かくして空前絶後の大艦隊を用意した地球軍に対し、ザフトが実戦に投入した戦力は前線戦闘要員八〇〇名、前線支援要員(核ミサイル迎撃部隊を含む)が四〇〇名ほどの防衛部隊。火力、武装から云えば決して貧弱ではないが、数字で見れば遥かに劣る。それでも〝オペレーション・スピッドブレイク〟で被った大打撃以来、急激な失速の目立っていたザフトとしては、急場でかき集めたにしてはなかなかに上出来な戦力と動員数かも知れなかった。

 

 プラント最終防衛ライン──〝ヤキン・ドゥーエ〟宙域においては、既に戦闘が始まっている。

 

 核攻撃隊──〝ピースメイカー〟という秘蔵戦力を持ち合わせる地球軍は、憂慮のない快進撃を進めていた。

 畢竟、戦場において雌雄を決するのは〝勢い〟である──現時点でこの勢いを掌握している地球軍の猛攻は、止まらない。

 対して、ザフトは〝デュエル〟や〝バスター〟等、結集させていた既存のMS戦力を遺憾なく実戦投入していた。ザフトそのものが創設二年の若い組織とはいえ、昨年の第一次ヤキン・ドゥーエ攻防戦やグリマルディ戦線、少なからず場数を踏んで生き抜いた宇宙軍のベテランも点在しており、これに若手のパイロットが足並み揃えて出撃している。

 前代未聞と述懐しても相違ない戦力を準備したザフトではあるが、如何せん、やはり地球連合が誇る頭数には匹敵できなかったらしい。兵士各個の技量はともかく、兵団全体の物量では明らかにザフトが劣っており──絶対多数と人海戦術に物を云わせて突っ込んで来る地球軍の勢いに押され、守備隊の最終防衛ライン(ファイナル・ディフェンサー)は、刻々と後退しつつあった。

 そんなとき──

 

「アスラン・ザラ、〝ジャスティス〟出る!」

 

 正義の剣が〝ヤキン・ドゥーエ〟より飛び立った。バーニアの蒼い燐光の尾を引きながら、深紅の機体は常闇を疾駆する。

 アスランが防衛ラインまで飛び入ったとき、彼は目の前に映る〝ダガー〟の……もはや部隊ではなく、大軍と称するべき物量の軍団を見回した。

 操縦桿を握る手に、力が籠る。軍団の中から一機の〝ダガー〟がサーベルを抜き放ち、果敢にも〝ジャスティス〟に躍りかかって来た。だがアスランは泰然として、その場から動かない。

 

「────」

 

 次の瞬間、挑んで来た〝ダガー〟は返り討ちにされていた。そいつは〝ジャスティス〟に一閃を振るったつもりで、逆に光刃(ラケルタ)でコクピッドを貫き返されたのである。

 高熱を帯びた光の刃は、鉄の装甲を融解させ、中にいた操縦者を瞬間的に焼却する。駆動系が落ち、〝ダガー〟のゴーグルアイから命の灯が消える──と、〝ジャスティス〟は〝それ〟を足蹴にし、残骸(ぬけがら)を〝ダガー〟隊の許へ帰してやった。それは操縦者であるアスラン・ザラの挑発であり──恫喝。

 ──ピリッ……

 物云わぬ〝ジャスティス〟の〝G〟フェイス──その翡翠色のツインアイが、ゴウと輝いた。その明光は、敵のモビルスーツ大隊を煽り、挑発した。

 破竹の勢いで進んでいた〝ダガー〟隊に、緊張と動揺が奔る。

 

「ヤツは──パナマ防衛戦で暴れたという、ザフトの紅い特機じゃないか!?」

「流石、最後の砦(ヤキン・ドゥーエ)──〝伝説〟のご搭乗か……!」

 

 伝説。そう持て囃す彼らの間で流れていたのは、パナマにおいて怪物的な巨大兵器(エクソリア)を単機撃破し、地球軍に大打撃を与えたとされる〝深紅の審官《ジャスティス》〟の伝説だった。

 これまでに相手にして来た量産機(ジンやシグー)とは、明らかに異なる威圧感。触れれば切れる抜き身刀のような鋭さが、鈍く赫耀と輝くその機体から放散されている。

 ──コイツは、格が違うぞ……!?

 全身に張り巡らされた、幾多もの刃を振り翳す処刑人。古における魔女狩りの歴史を繰り返す差別主義者(レイシスト)でありながら、絶対正義(ジャスティス)の名を冠する鮮血色の審問官。幾重にも返り血を浴びてその色(・・・)に染まったような〝ジャスティス〟は、このとき、さぞ悪魔的なプレッシャーを放っていたに違いない。

 

「しかし、だから何だというのだ! 相手は単機だ、取り囲んで応戦しろ!」

 

 〝ダガー〟隊の小隊長が語気を荒くして叫ぶ。

 ナチュラルである彼らにとって、元よりザフト兵のひとりひとり(コーディネイター)は格上の強敵だ。それは科学的な意味で自然な問題であり、そんな敵に対して、何も尋常の決闘を挑む必要はないのだ。彼らはあくまで、彼ららしい〝数に物を云わせた戦い方〟を徹底すれば良いのだから。

 そこから地球軍のMS部隊は、中距離から連携し〝ジャスティス〟への一斉砲撃を仕掛けた。一見すると逃げ場のない苛烈な波状攻撃。無数の光条が〝ジャスティス〟に襲いかかるも、敵はビームシールドで光条を弾き、あるいは悉くを回避した。

 動揺に駆られた〝ダガー〟隊を尻目に、次の瞬間〝ジャスティス〟は颶風のように〝ダガー〟隊の間を駆け抜けた。赤い閃光が戦場を突き抜け、駆け抜けざま、ビームハルバードがあらゆる敵機を穿つ。すれ違いながら続々と相手を切り裂くその様は、無造作にして無慈悲なる通り魔と云った風であった。

 

「なッなんなんだよォ、アイツはぁッ!?」

 

 圧倒的物量で包囲し、潰走させる人海戦術。

 戦術として間違っていないが、結論から云えば、彼らは戦う相手を間違えたのだろう。人海戦術にだって限界はあるし、弱点はある。たとえば〝ジャスティス〟のように「数の暴力」が通用しないデタラメな相手(・・・・・・・)に進路を阻まれた場合だ。

 多勢に無勢、その圧倒的優位性から生まれる〝戦術〟が通用しなかったとき、連合軍の兵士達は、どれほど〝戦闘〟をすることができるのだろう?

 

「見物だな、地球連合軍(・・・)

 

 このときのアスランを突き動かすのは、正義の怒り──義憤と呼ぶべきもの。

 それからは一方的な戦闘が展開されるようになり、間違いなく、たった一機の〝ジャスティス〟の介入によって連合連合軍の勢いが削がれ始めた。

 

(──それが、オレの役割なんだ!)

 

 そもそもザフトにおける〝G〟──ファーストステージシリーズは、コンセプトとして単機で戦局を覆すことも想定した最強のMSとして完成している。

 

 そして今現在、これの専任パイロットであるアスラン・ザラの鬼気迫る目的意識や戦闘能力と噛み合って、この一角を担う〝ジャスティス〟は当初のコンセプトを十全に果たしつつあった。

 

 そもそも、単機によって大群を圧倒する、などという戦術理論は、少数精鋭主義の究極であり、用兵思想としては華麗である。華麗であるがゆえに万人が憧れがちだが、そんなものが実現するのはフィクションの世界だけであり、実際の用兵学上で取り扱われることは非常に稀である。

 にも関わらず、パトリック・ザラはZGMF-X08A(クレイドル)を始めとする最新鋭MSに過度ともいえる期待と熱望を寄せ、最新鋭ワンオフ機の開発と製造を急進した。

 おそらく、彼はZGMF-X08A(クレイドル)ZGMF-X09A(ジャスティス)ZGMF-X10A(フリーダム)──三機の特性を活かした〝最強のMS部隊(コンクルーダーズ)〟を編成し、それぞれの連携運用と八面六臂の活躍による地球軍の一蹴作戦を構想していたに違いない。

 

 発想としてはザフト特有のモビルスーツ偏重主義に通ずるものがあって、それなりに批判もあったようだが、今となっては見当違いな理論でもなかったかも知れない。

 現に、アスランは〝ジャスティス〟単機で戦況を変えつつあり、そんなパトリックの理想を体現しはじめていた。パトリックが提唱し続けた少数精鋭理論が決して間違いではなかったことを、彼の息子はこのとき、その実力を以て証明してみせていた。

 

(この〝ヤキン〟を抜かれれば、〝プラント〟まで進路を阻むものは何もない)

 

 今回の〝プラント〟防衛戦──最大の目的は、ザフト兵の多くが〝プラント〟への「核攻撃の阻止(・・・・・・)」と話すはずだ。

 けれど、実際の〝プラント〟は数基の反射ミラーを破壊されるだけで人が暮らしていくための環境を維持できなくなってしまう。それが真空の直中(ただなか)に築かれた〝プラント〟最大の弱点であり──その反射ミラーとは、強力なビーム兵器を撃ち込まれるだけで壊れかねない造りになっているのだ。

 頑丈ではあるが、無敵ではない。そしてそうである以上、自分達が喰い止める相手は、何も核攻撃隊だけではない。〝プラント〟に向かおうとする地球軍のモビルスーツ、その全てであるべきなのだ。

 ──たとえ一機でも、撃ち漏らすわけにはいかない!

 だがアスランはこのとき、それを無理難題だとは思わなかった。思えなかった、という方が正確かも知れないが、あまり難しく考える必要はないと判断したのである。

 

(向かって来る地球軍を、全滅させる)

 

 ──とどのつまり、それだけのこと。

 元より敵を倒すのが、自分たち軍人の務めだ。

 かえって作戦が分かりやすくなった思えば、特に困惑する余地もない。

 

「出会った以上は、逃さない──!」

 

 ──出会った『敵』はすべて(・・・)倒す……!

 戦場を駆ける〝ジャスティス〟は、連合軍のモビルスーツ部隊を撃滅して回った。

 

 

 

 

 

 

 

 熱病に冒されたような激しい戦闘が展開される一方、それら狂乱の宴とは、まったく雰囲気のかけ離れた空間があった。それは閑散とした〝ドミニオン〟艦内の営倉である。

 注射器を持ったひとりの男性士官が、その中に入っていく。

 そいつは営倉に入るや否や、牢の中でぐったりと()せっていた無防備な少女の右腕──その滑らかな素肌に、液状の刺激剤を()ち込んだ。これにより強制的に意識を呼び起こされたのか、微睡(まどろ)みの中からうっすりらと目を覚ました少女を、男は強引に引っ立てる。

 

「出ろ、アズラエル理事がお呼びだ」

 

 フレイ・アルスター。

 彼女は投獄のため、クリップの類である髪留めを看守に没収されていた。それにより、いつも上品さを漂わせるハーフアップの総髪(まとめがみ)が、このときばかりはストレートに解かれている。上衣もまた、薄手のタンクトップが一枚だ。解放的な白日の下で見れば、挑発的とでも浮ついた形容の仕方はあっただろう素朴な格好も、牢獄の中……それも薄い暗闇の中で見てしまえば、みすぼらしさを強調させるだけだった。

 そんな彼女の営倉を訪れた男は、次に少女を縛る手足の枷を外し、鉄檻を開き、扉の向こうに少女を誘導した。やけに偽悪的な面差しを浮かべ、

 

「良かったな。まだ貴様には、名誉挽回のチャンスがあるというわけだ」

 

 咄嗟に放たれたそれは、そいつなりの激励だったろうか? 虐待的な目覚ましで叩き起こされたこともあって、フレイは眉根を寄せながら、そいつの言葉を意図的に無視した。

 応じてやる必要もなかった、といった方が正しい。そもそもフレイは名誉が欲しくて戦っているわけではないのだから、そいつの言葉は見当違いも甚だしいのだ。

 天涯孤独にして、これ以上は失うものすら持ち合わせていない今の自分(わたし)が、どうして名誉を欲すると思うのか? 名前も知られていないような、背景がお似合いのモブ人間に知った風な口を利かれると腹が立つのは、彼女が狭量だからだろうか。

 

「外に、出るのかい?」

 

 男に連れられ、退出しようとしたそのとき、声が聞こえた。

 フレイは歩を止め、聞き慣れたその声の方を振り向く。視線の先に、幽閉された主治医の姿がある。沈黙が数拍として流れた後、フレイは随伴した士官に問う。

 

「……彼は出られないの?」

「あの男には前科がある、貴様と同等に扱うわけにはいかない」

 

 云われ、フレイは押し黙ってしまった。

 なるほど。二度に渡って()を出し抜こうとしたハリーは、厳罰に処されて然るべきというわけか。放たれた言葉を受け流すように、フレイはみずからの主治医の方を見直す。

 

「あなたとは……。ここでお別れってことに、なるのかしら」

「知ってたさ。いつかこんな日が来るってことは。実際のところ、とっくの昔に覚悟していたんだ。──キミの睡眠病(やまい)が発覚した、あのときからね」

「……そう……」

 

 フレイは気鬱そうに視線を落とす。合わせる顔がないと云うのは、こういうときのために用いる言葉だった。

 

「ごめんなさい……。わたしのせいで、あなたまで巻き込んで」

 

 その言葉を耳にして、ハリーに驚きがなかったといえば嘘になる。

 まったくもって、らしくない。フレイにしては素直すぎる──というのはあまりにデリカシーに欠けるのだろうが、彼女がみずから何かを謝るのは、事実として初めてのことだったから。 

 

「気に病まなくていい。僕は、キミのためなら死んでもいいと思ってるんだ」

「……なにそれ。くさい台詞」

「そうだね。でも、少なくとも今は本気でそう思ってる」

「やめてよ……」

 

 間違わなくとも、それはハリーなりの、遠回しな告白だった。

 それを受け止めてしまったフレイは、図らずも返答に詰まる。いや、男性に告白されるのは初めてではない──というか、彼女の場合は両手で数えても足りないくらいに経験があるわけだが、不思議と自惚れる気持ちも、またかと辟易する気持ちも、このときは微塵にも沸いてこなかった。

 

 ──どうして、このタイミングで。

 

 けれど、今になってハリーが心の裡を明かしたのには、相応の理由があるようだ。あるようなのだが、フレイはその理由を聞き糺そうとはしなかった。

 正直なところ、訊ねる気にならなかったのもあるし、わざわざ口に出させるようなものでもないと思ったのだ。内心でどう感じようと、どのみち受け入れるわけにはいかないものであり、拒絶する相手にそれを訊ねることがどれ程に酷であるのか、フレイの方にも常識や節度というものはある。

 

「えっ、……と……何なのよ? ていうか、君のためなら死んでいいとか……。こっ恥ずかしくって、奥さんにも云えたことないでしょ」

 

 云えばハリーは、なんとも表現しがたい怪訝な顔を返す。

 

「? まあ、そうなるかな」

「そういう綺麗な言葉は、場所を選ばなきゃさ……。もっと大切な人達のために取っておかないといけないものじゃないの……?」

 

 どうかしている、とでも云いたげに彼女は主治医を見咎める。

 そもそも、ハリーの家族──妻と、娘がひとりいるのだと前に云っていた──はオーブで暮らしていたと聞く。過去形を用いたのは、以前の話だからだ。少なからずオーブは一度戦災に呑まれた国であり、小規模な島国とはいえ、戦争に巻き込まれたの後に行う人探しとは、これでいて難しい。

 ──話によると、避難船に乗ったまではいいが、それ以降の消息が掴めていないらしい?

 最近では宇宙に浮かぶとされる〝理想郷〟とやらに助けを求める民間人が急増していて、その大半が祖国(ふるさと)を追われたオーブの棄民であるとの噂が流れている。フレイも何度か耳にしたことがあり、勿論、あくまで噂話でしかないが──仮に真実なら、決して表舞台に出て来ないその〝理想郷〟とやらに、ハリーの家族達の足跡を辿る何かしらの手掛かりがあるようにも思える。

 つまりは何が云いたいか、目の前にいる男は歴とした妻帯者であり、愛娘を抱える一家の大黒柱なのだ。今頃は家族の無事を祈っているべき者が、自分のような子供──しかも往きずりの女に生身の告白をしているようでは、男として──父親としての株が大暴落にも程がある。

 

「娘さんが可哀想でしょ」

 

 最愛の父を持つ一人娘の気持ちであれば、フレイにもよく理解できる。

 少なくとも彼女であれば、最愛の父親がどこぞの若い女と不貞行為を働いていれば、そんな現実は絶対に耐えられない。浮気が発覚した暁には泣いていじける確信があるし、ひいては非行に走り、反抗を繰り返し、父親の足を引っ張るくらいには盛大にグレてやろうとさえ思ってしまう。

 だからこそ、彼女は目の前にいる〝父親〟が、典型的な吊り橋効果に煽られたように自分に不貞発言を行ったのが許せなかった。……そう、確かに許せなかったのだが。

 

 ──悪い気は、しなかった。

 

 そんなフレイの胸中には、今までに憶えたこともない昂揚が湧き立ったのは事実だった。自分で云うのも烏滸がましいし、胸を張って云えることでもないのだが、フレイは理想が高い方であり、少なくとも生前は自身の父親の御眼鏡に適うような一定の水準(ハードル)を恋人に求めていたのは確かだ。

 であるから、これと云って華のない男性からの申し入れなら即座に断って来たし、中でも〝一目惚れ〟を理由に交際を始めることは何よりのタブーだった。幼い頃から父親の影響かコーディネイターに対する偏見が強かった彼女は、云ってしまえば整形次第でどうにでもなる異性の外見より、人格や器量にこそ美徳を見出すようになっていた。そして、これは決して間違った価値観ではないという自負もある。

 どれほどの美形と持て囃されようが、よく知りもしない内と恋愛関係になるなんてことはあり得ず、学生時代はそれで何度取り巻きに「勿体ない!」と詰られたかも憶えていない。だからこそ、理知的で柔和なサイ・アーガイルと婚約が決まってからは、彼ほどに「いい男性」はいないと、本気で考えてもいたのだが。

 

 ──あれから、本当に色々あった。

 

 サイとの婚約を一方的に破棄し、以降はふたりの男と関係を持ってきたフレイであるが、今回まったく別方向からの告白を受け、意外にもたじろいでいた。今回の相手はよりにもよって所帯を持った男であり、背信的と分かっているにも関わらず──〝まんざらでもない〟と述懐しても許される程度の感情を抱いてしまったのは、事実だったのだ。

 ──きっとこれが、妻帯者と判っていながら男に不倫を働かせる、しょうもない往きずり女の本音なのだろう。

 そのように判読すると、不思議と納得の行ったフレイであるが、反面自分がさらにどうしようもない女に堕ちて行くような感じがして、そんな自分がますます嫌になった。

 

(でも、彼は自分の命を賭けてでも、私によくしてくれた)

 

 ここから先はフレイの完全な偏見だが、そこらへんの見目(ガワ)だけ優れた薄っぺらなコーディネイターと違って、ハリーには確かに中身があった。ここでの中身というのは、人間性というか、暖かみと呼ぶべきものだ。

 ──見返りを求めず、善意によって、自分のような厄介者にも優しく接してしてくれた。

 きっと他人を見下すことしか出来ないコーディネイターには、そんなことはできないのだろう──フレイは本気でそう信じており、だからこそ、そんなハリーに告白を受けたことが、彼女の心に嬉しかったのだ。

 

「誤解しないで欲しいんだが、僕はきみが想像しているような、善良な人間ではないよ?」

 

 気付かぬうちに、熱望の眼差しを送っていたらしい。そんなフレイの感謝の想いは、しかし、当の本人に謝絶されて返される。

 

「えっ?」

「僕がきみを見捨てておけなかったのは、確かに、きみを助けたいと思っていたからだ──でも」

 

 嘘は云っていない。ハリーはこれまで、フレイのためにあらゆる善意を払って行動していた。フレイを医務室に匿ったり、予防薬を処方したり──

 それらは彼にして対価を得られない慈善活動であったため、ハリーはフレイのために自己犠牲を働いたようにも映るだろう。実際にフレイはそう信じ──「どうしてこの人は、こんなにも私のために善くしてくれているのか?」──同時に疑念に抱えていたから、そんな彼を営倉送りにしたこの現実を、彼女なりに後悔もしたらしい。

 だが、ハリーから云わせれば、その認識は完全に間違ったものでもあるようだ。

 

「誰かために何かをやってあげるってさ、まったくもって気持ちがいい行為だったよ」

「……?」

「傲慢な人間の性かな。自分以外の人間に手を差し伸べると、ある種の陶酔感を味わってしまえるのだから」

 

 陶酔感──あるいは優越感、とでもいうべきか。人間は「善かれ」と願って自分以外──特に弱者の手助けをするが、ハリーに云わせれば、そこには大抵とてつもなくナチュラルに相手を見下す心理が働いているという。

 弱者に対して同情(・・)し、不憫な者達を恵まれた立場から憐むだけの上から目線(・・・・・)──

 にも関わらず、人間はその「他人を見下した感情」を、ある折をもって正義感と錯覚する。この子には自分がついてなきゃだめなんだ、この子は自分が護ってやらなきゃだめなんだ──と。

 

「それが自分に自惚れているだけの安っぽい充足感で、相手を格下と見なしているがゆえの優越感だってことにも、気付かずに」

 

 フレイには、発言の意味が推量できなかった。

 

「だから正義を貫くというのは、実は悪役を演じるより遥かに簡単なことに思える。何よりも、自分に酔っているだけでいいのであれば」

「……何を……?」

「きみは、僕が正義を貫いた人間だと勘違いしているようだ。でも違う──僕がきみの手助けをしていたのは、正義感からでも、善意からでもないんだよ」

 

 大抵の人間は善意に見返りを求め、払った厚意に相応の対価を欲している。人助けを率先して行い──けれども何の感謝もされなかった場合、大抵の人間はこれに不満に抱くだろう。それでも不満に思わない、心が平穏でいられる者は、無償で善意を提供できる〝善良な自分〟とやらに誇りを持っていたい自己陶酔者だろうか?

 どれだけ美しい言葉で飾り繕ったところで、そうそう人間の本質など変わらない。そしてそれは、ハリーとて例外ではない。かく云う彼もまた、フレイのために善意を払い、そのじつ対価を受け取っていた。そしてその〝対価〟とは、目に見えるものではない──

 

「僕がきみの手助けをしていたのは、僕自身の罪の意識から逃れるため──。弱い者を救い続けることで〝善良と思われる自分〟に、ただただ酔っていたかったからだ」

 

 ハリー・マーカットは、かねてよりフレイ・アルスターを『リビングデッド』として中途半端にしてしまった過去に強い責任を感じていた。

 だからこそ、以降の彼は医務室にフレイを匿い、恋愛対象としてオルガ・サブナックを紹介してみたり、──まあ後者については只のお節介だったが──何よりも積極的にフレイの面倒を見るようになっていた。今になって思えば、それらは彼の個人的な、彼のための贖罪だったのではないか。

 

「負い目があるから、僕はきみに優しくできた。たったそれだけのことなんだよ」

 

 告白は告白であったのだろう。

 さりとて、ハリーの口から明かされたものは『愛』のそれではない──

 ただの『罪』──罪の告白に過ぎなかったのだ。

 

「きみの理想像とは程遠い、俗物であるはずだ」

 

 他ならぬフレイを〝救う〟ことで得られる奇妙な陶酔感は、ハリーの中に根付いた罪悪感を良い感じに(・・・・・)払拭してくれた。

 フレイのために行動しているように見せかけて、彼は本当は、自分のために行動していたに過ぎなかったのだ。

 

「偽善だった、すべて。──自己満足と云ってもいい」

 

 病のために追い詰められた少女を、懸命に庇い続けた──

 そうすることで自分は最悪の人間ではないのだと、単純に思い込んでいたかったのだ。そもそも彼女を病気にさせたのは、他ならぬ自分であることを棚に上げながら。

 

「善意の裏側で見返りを求め、みずから掘った穴を埋めることで恩を売る詐欺師。こんなにも不純な人間が、自己犠牲など出来るものか。すべては、僕の勝手な欺瞞に過ぎなかったんだよ」

「どうして、そんなこと云うの? わたしはあなたに、本当に感謝してるのに──」

「云わずにはいられなかった。こんな人間に、誰かから感謝される謂れはない。最後くらい、他ならぬきみに僕を嫌悪し、糾弾して欲しかった」

 

 フレイはこれから「外に出る」らしいが、そうなれば、もう二度と自分達が会う機会はないだろう。そのことについては、ハリーがもっともよく理解していたつもりだ。きっとこれが、今生の別れとなることも──。

 ハリーは、漠然とした関係のまま、フレイと離別するのが癪だった。

 

 ──そうだろう? 僕は彼女に、嫌われるべき人間なのだから……。

 

 だからこそ彼は、今になって己の罪を打ち明け、きっちりとフレイに嫌われたかった。

 既に幸先短い受刑者なのだから──しっかりケジメをつけた上で、彼女との今生の別れがしたかった。

 が、当のフレイからの返事は、彼の想像をゆうに超えていたようで。

 

「……いやよ……」

「えっ……?」

「いやだって云ったの! 卑怯じゃない、そうやってわたしから逃げるなんて──だいたい、それだって先生の自己満足じゃない!」

 

 口を尖らせたその拒絶の仕方は、実に、フレイらしかった。

 ここでハリーのことを否定すれば糾弾すれば、納得するのは誰だ? 彼ひとりじゃないか。結局、彼は今だって自己満足のために、敢えてわたしに嫌われようとしている──自分が「気楽になりたいから」と。

 

「だったら、意地でも嫌ってやらないわ」

 

 嫌がらせみたいに、感謝してやる。

 ──好きで、い続けてやる……。

 それがこのとき、フレイの出した結論だった。

 

「たとえ罪滅ぼしでも、自己満足のためでも……『あなたはわたしに優しくしてくれた』──その事実は変わらない。それにわたしは、そんな先生に助けられていたんです」

「いや、しかし……」

「だから嫌って欲しいなんて──そんな馬鹿、二度と云わないで」

 

 それは、フレイの本心だった。

 ナタルからの温情にしても、オルガからの愛情にしても、ハリーを通して気付かされたことが多くある。育てられたことが多くある。年齢こそ父と娘ほどに離れてはいたが、このとき確かに、フレイは彼に対する親愛を抱いていたのかも知れない。

 ──この瞬間で、お別れではあるけれど……。

 これからフレイは、おそらく出撃になる。最後の戦いに向けて。

 

「────そろそろ、良いか」

 

 それまで黙っていた地球軍士官の男が、切り出すように云った。

 語りたいことは語り尽くしたのか、フレイは小さく頷き、改めてハリーに背を向けた。

 

「……。医務室の棚の中に、薬が置いてある。もしぼくが捕まったら──そのとき(・・・・)のために用意していた、最後の薬だ」

 

 使う日が来ないことを願っていた、それほどまでに強力な薬物。

 睡眠病から肉体を騙し、フレイの戦闘力を極限まで引き出すための指定薬物(ドーピング)

 

「効果は二時間。今まで服用していたよりも、遥かに強力な覚醒剤だ」

「……そう……」

 

 ありがとう──とは、云わなかった。

 大切なものを捨て去ってでも、フレイは戦場に赴かねばならないのだ。

 

「もう何も云うことはない、これが、ぼくからの最後の指示だ」

 

 そうして彼は、きっぱり告げた。  

 

「──心のままに、戦って来い」

 

 

 

 

 

 

 

 月基地より出動した地球軍艦隊の中には、超大型の空母と思しき艦艇がある。

 それは、ドレイク級やネルソン級よりも悠に巨大。それでいて、モビルスーツはおろか、大型のモビルアーマーすらも多く収容できることから「移動基地」と云った風であった。

 艦隊の最後方に構えている〝それ〟は、新たにサンクシア級──〝ナルデール〟と名称される超弩級戦艦である。

 

 〝ナルデール〟は艦内に複数のリニアカタパルトを搭載し、次の瞬間、カタパルトから大型のモビルアーマーを次々に吐き出した。

 数にして五機。大西洋連邦が極秘に開発した新型MA、TSX-MA717(ペルグランデ)である。

 上下合わせて六つのパーツと中央のコアから構成された独特のボディは、顕微鏡を覗いた先にある細胞のような形状をしている。そんな〝ペルグランデ〟最大の特徴は、Nジャマーキャンセラー併設型核反応炉を用いることで漸く実用可能となる地球連合で初めてのドラグーン・システムを搭載していることだ。系列的には〝ガンバレル〟を発展応用させたものであり、事実上は〝メビウス・ゼロ〟の派生機に相当するものだが、当然ながらパイロットには高い空間認識能力を持った強化人間──それも一機につき三名程を必要としていた。

 パイロットの素性については、ここでは詳しく言及するものではない。説明できることがあるとすれば──〝ペルグランデ〟を操っているのは、ある特殊な生体手術を施された強化人間達──ということだろうか?

 

〈〝ペルグランデ〟出撃完了。新型モビルアーマーの力、存分に見せつけてやれ!〉

〈前方〝ドミニオン〟より、〝カラミティレムレース〟の出撃を確認〉

 

 オペレータの声と共に、強力な火力支援装備を装着した〝レムレース〟が前線の〝ダガー〟隊と合流。数秒後には会敵し、ザフト軍との交戦状態に入った。

 

〈続いて〝ピースメイカー〟隊発進します! 目標はプラント群〉

 

 折を以て、アガメムノン級より〝メビウス〟の大群が発進してゆく。

 既に最前線で戦闘を行っていたプラント防衛部隊──イザーク・ジュールにディアッカ・エルスマンらは、早くも襲来するそれら〝メビウス〟の軍勢に気が付いた。

 

「あれは、核か!?」

「くそッ、やらせるかよ!」

 

 血相を変え、二人は〝メビウス〟の群れに追い縋ろうとする。だが彼らの前にすぐさま〝フォビドゥン〟と〝レイダー〟が立ち塞がる。

 地球軍なんぞに! ──イザークはよもや地球軍兵士に後塵を喫するとは思わず、即座に〝レイダー〟を出し抜こうとしたが、逆に出し抜かれ──背後を取られ、鉄球(ミョルニョル)の直撃をその身に受けていた。凄まじい衝撃に突き飛ばされたが、それは致命傷とはならなかった。さりとて、それは〝デュエル〟のPS装甲だからこそであったが……。

 一方で〝バスター〟も〝フォビドゥン〟へビームを応射し、しかし〝ゲシュマイディッヒ・パンツァー〟に防がれ、軌道を曲げられ、実弾やミサイルを放つもTP装甲に弾かれた。そしてこの他に攻撃手段を持ち得ない〝バスター〟は、結局のところ〝フォビドゥン〟に対しては本当に無力であった。

 

「──ウゥ! アスランッ!」

 

 背に腹は代えられず、イザークは同僚の手を求めた。

 自分達を助けて欲しいのではない。ただ〝プラント〟に向かう〝メビウス〟を止めて欲しかった。その応えに気付いたように、深紅の機体は矢の如く〝メビウス〟の群れへ飛んでいく。

 

「あのミサイルを落とすぞ! もう二度と〝プラント〟をやらせるわけには──!」

 

 迎撃部隊が、アスランの号により展開していく。

 ──オレが力を求めたのは、このときのためだ!

 今度こそナチュラルの思い通りにはさせない──その思いで核攻撃隊への距離を詰めるアスランであったが、そのときコクピッド内にアラートが響き、彼は咄嗟に機体に急制動を掛けさせた。

 その判断は正しかった。一拍置いて、彼の鼻先を光の奔流が薙ぎ払う。凄まじい火力、その色彩の洪水とも云える砲火の濁流に思わず目をむいた。

 ──この火力、は……!?

 ハッとして視線を上げ、そこに見憶えのある敵モビルスーツを認める。全身を墨汁で塗り潰されたように黒々しく、禍々しい風采。深紅の審官と全く同じ、赤黒い面妖を浮かべた暗黒の亡霊。

 

「〝レムレース〟……!」

 

 深淵の闇に包まれた宇宙空間では、暗黒色の機体などそうすぐに判別がつくものではない。しかし、アスランはしっかりとその視覚に捉えていた。まるで幻影のように質量に欠け、それでいて強烈な存在感を放つ亡霊の影を。

 

(──それだけじゃない!?)

 

 砲撃戦装備の〝レムレース〟を捉えた直後、アスランは四方から電波のように飛び交う殺気を肌に感じ取った。嫌な予感に突き動かされるように、彼はフットペダルを強く踏み込み、〝ジャスティス〟を様々な方向に回頭させる。

 と、一拍置いて光の網が〝ジャスティス〟に襲いかかった。

 

「な、なんだッ!?」

 

 最初は何に襲われているのか理解が追いつかなかった。全方位から、しかし何もない空間から放たれているようにしか思えないビームは、確実にアスランを(すなど)るように襲って来たのだ。

 ──いや、見憶えならある。

 それは〝クレイドル〟が扱っていたものと同じ、遠隔操作の誘導砲塔システム。だとすれば、それは周囲一帯に張り巡らされた、ドラグーンによる波状攻撃だ。

 アスランは辛うじてすべての火線を捌き、狂気を感じる方へと顔を向けた。そこには見慣れない大型モビルアーマーの影がある──どうやら〝アレ〟が、ドラグーンの使い手らしい。

 

「クッ……!?」

 

 立ちはだかるは〝レムレース〟および〝ペルグランデ〟──

 地球軍の誇る絶対戦力に阻まれて、アスランは身動きを封じられた。

 

「どうせ最期なのよ。終末くらい、私と一緒に踊りましょう、アスラン・ザラ!」

「くそッ、またキミか──!?」

 

 深紅の〝ジャスティス〟と暗黒の〝レムレース〟が、ふたたび戦場で激突した。

 核攻撃隊は、着々と〝プラント〟に迫っている。

 

 





 ザフトのガンダムて、光源を変えるだけで偉い悪人面になると思うんですよ。フリーダムですら悪魔的なシルエットなのに、ジャスティスとかヒーローサイドじゃなかったら、全身に刃物を隠し持った殺戮者に見えると思うんですよ。

 説明不足があると思いますので、何か納得のいかない・疑問に思うことがあれば随時感想で受け付けています。引き続き宜しくお願いします。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。