~夢見る少女の転生録~   作:樹霜師走

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『ファイナル・ウェーブ』A

 

 

 命令が下されれば、従うのが軍人の責任だ。そこに拒否権はなく、あったとしても、それは個人的な判断の許で行使していいものではない。受け取った命令が如何にその者の信義に反するものであっても、命令である以上は従う。

 だからこそ、評議会や軍本部からの指令や判断を常に〝正しい〟と信じることが、自身に課せられた使命であるとアスランは考えた。迷いのある状態で戦う者と、正しいと信じる旗の下で戦う者の間には、明確な〝差〟が出るはずだ。軍人は私心を捨てて国家の利益のために戦う──であるなら、アスランのような兵士は、必然的に後者になる必要があった。

 

 ──戦士としての〝力〟を、失いたくなかった。

 

 悩むこと、迷うことを放棄した瞬間、アスランは絶大な戦闘力を獲得した。それは友を超越し、当時の妹を守り抜いた戦士としての〝力〟──

 そしてその〝力〟たるものが、彼にとってはあまりに気持ちの良いもの(・・・・・・・・)であったから、彼は一度でも手に入れた〝それ〟を段々と手放せなくなっていった。暴力的で、その禁断の心地よさを、みずからの手で捨てることができなくなっていった。

 戦場に身を置きながら、常に悩み、迷い、場当たり的で曖昧だった以前の自分。焦りに突き動かされるまま行動するだけで、何を信じて戦っているのか分からない──そんな昔の自分に戻ってしまうことを、アスランは何よりも恐れていた。しかし──

 

『わたし、は……間違って、いたのだなッ……』

 

 息を引き取る直前になって、パトリック・ザラは己の人生──その来し方に誤りがあったことを、みずからで認めてしまった。

 ──誰よりも、ナチュラルへの復讐心に燃えていたはずなのに……。

 最後の最後で、振り上げた手を引っ込める決心がついたらしいパトリック。そんな彼は今、アスランの腕の中、どこか安らいだ風に永劫の眠りに就いている。ステラに見守られながら。

 思うにそれは、どう見ても志半ばで斃れた者の表情ではなかった。

 

(でも、だったら! 遺されたおれはどうすればいいんですか、父上……!)

 

 ──いったい、今までおれがやって来たことは何なのだ?

 母を奪い、妹を辱め、たったいま、父もを撃ち殺したというナチュラル達──連中を滅ぼすことが正義と信じ、身を粉にして戦って来た。

 ──なのにそれが過ちだったとしたら、これから先、おれは何を信じて生きればいい?

 父上はたしかに、満ち足りた表情で逝ったのだろう。しかし、それに取り残された自分は──?

 

「おれは、どうすればいいんだ……っ」

 

 枯れた声で、絞り出すような声を吐くアスラン。その目には、弱々しくも確かな光が宿っていた。

 そんなアスランに宿った、小さな目の輝き──生気とも呼べる光──を見て、

 ──アスランが(・・・・・)帰って来た(・・・・・)

 ステラは、胸内でそう云っていた。

 ビクトリアの指令室で、光を失くしたアスラン。その彼が光を取り戻したのは、奇しくも〝ヤキン・ドゥーエ〟の指令室だった。硬質なライトに照らされ、周囲のコンピュータが機械音を鳴らし続けるこの空間は、ステラの中に名状しがたい物懐かしさを齎していた。

 

「おれが今までやって来たことは、いったい、何だったんだ……」

「アスラン……」

 

 以前、ステラはアスランのことを「仮面をつけたネオと一緒」という表現で指摘したことがある。アスランは自分の感情を押し殺し、他人の言葉や理屈でみずからを着飾っていた節があった。それはステラに対し一切の本音を語らなかったネオ・ロアノークの性格とよく似ていたし、今になって思えば、あながち間違った表現ではなかったのかも知れない。

 少なくともステラには、理屈を武器として振り回すアスランが、次第に自分を見失いつつあるように見えていた。

 仮面の下を覗いてみたら、実は空っぽ(・・・)の人間──ネオと同じ。たとえば、彼の中で急加速的に発達していったナチュラルへの攻撃性と加虐性も、結局は何もない(・・・・)自分を埋め合わせるための虚勢。自信のなさ(・・・・・)を誤魔化すための虚像。アスランはそうした〝虚像〟を、本当の自分だと言い張っていただけに過ぎない。

 攻撃的でなければ、彼は彼自身のアイデンティティを保てず、加虐的でなければ、アスラン・ザラという人間は本当に空っぽ(・・・)になってしまう。自分のことすら騙し続けて来た生き方を、間接的とはいえ、パトリックに否定されてしまったのだ。

 

「教えてくれ、ステラ……! おれはこれから、どうすればいいっ……」

 

 今にも血を吐きそうな面持ちで問うて来たアスランに、ステラは決して同情しなかった。

 それについては、人に尋ねて解答を得られるようなものではないと思ったのだ。

 だから彼女は、何も云わない。

 

「そうか──そうだよな……っ」

 

 答えを出すのは、いつだってアスラン自身でなければならない──

 ……そうではないか? 闇雲に人の意見を求め、それに付和雷同するのでは、アスランはきっと同じことを繰り返す。だから彼女は何も云ってくれないのだし、沈黙こそが彼女の答えなのだと、アスランは理解してしまった。無人になった指令室、ひとりの父親の遺骸を挟みながら、兄妹の間に気鬱な沈黙が流れてゆく。

 ────と、そのときだった。

 二人の沈黙をついて、ふと、傍にあったコンソールが喧しいアラートを発し始めた。ステラとアスランは突然の警報に耳を突かれ、機器に視線を向ける。互いに目を向けたとき、かしましく響き出したコンソールのディスプレイは赤と黄の警告色に発光していた。やがてその画面上に、

 

〈1248 second〉

 

 黒い数字が大写しになり、やがてカウントダウンを刻み出す。

 まるで、何らかのタイムリミットを宣言するかのように。

 

「──えっ……?」

 

 ステラは、きょとんとした。

 ──1248秒……?

 それが何を示すタイマーであるのか、俄かには想像の及ばないステラであった。

 

 

 

 

 

 

 緑がかったライトに、薄く照らされた〝ヤキン・ドゥーエ〟の通路──

 ニコルは壁面にもたれ、彼の目から見て、気風の良さそうなザフトの武装兵ふたりに囲まれていた。囲まれていた、と云っても、囚われているわけでも、監視されているわけでもない。このときニコルは、そんなザフトの保安要員達に怪我の手当てを受けていて、どちらかと云えば、ニコルが彼らを付き添わせている状態なのだから。

 それもこれも、ニコルが身に着けているパイロット・スーツの恩恵である。彼は赤色──かつザフト製のパイロット・スーツを着ていることを裏付けに、みずからをザフト(レッド)と仮定し、保安要員達の注意を外に向けていた。自分に猜疑の目が向くのを遅らせていた、と云ってもいい。幸い、ザフトにおける『赤』はエリートを表す代名詞であり、その認識は保安要員達も共有するものだから、そう簡単にニコルを疑ってかかることはないのだ。

 

(パイロット・スーツって、着ているだけで所属を(かた)れるんだな?)

 

 パイロット上がりのためか、今まで防護服程度にしか認識する機会のなかったスーツ。しかし、云われてみれば身分証めいた使い方だってできるはずだ──あくまで視覚的、一時的な効果しか見込めないものの。

 なるほど、こういう邪な使い道もあるのかと感心すると同時に、今になって気付いたことを口惜しく思う。

 

(初めから気付いていたら、ステラさんにも『赤』を着せたろうに)

 

 元はクルーゼ隊の一員だったステラも、ザフトのパイロットスーツを持っている。

 ──と云っても、本当にそう、持っているだけだ。

 オーブに合流してからの彼女は、地球軍製の薄紅(ピンク)色のスーツを着用するようになり、ザフトレッドのスーツはロッカーに眠らせる状態が続いた。本人の名誉のために補足しておくが、勿論それはニコルが女子更衣室に忍び込んでステラのロッカーを勝手に覗き回ったわけではなく、あくまで本人の口から聞いた話であるのだが。

 三隻同盟は正規軍ではないから、服装に関しては個人の自由が許されていたし、どこの陣営の服を着ていようと、そのことで指摘されるようなこともなかった。しかし今回に限って云えば、ステラにはザフトのスーツを着用させるべきだったのではないか? しかし、それこそ今さらな話であろう。

 結局のところ、ニコルはこれについても途中で考えるのをやめていた。考えたところで先立たぬ後悔だと思ったし、そもそも〝ヤキン〟に直接的な潜入工作を図るなど、段取りの中に含まれていなかったからだ。

 ──数々の不便と不利の中で、それでも彼女は〝ヤキン・ドゥーエ〟の最奥まで辿り着いた。

 いくら混乱に乗じたとはいえ、普通の人間には真似できないことだ。途中で足を挫かれた自分など良い例だろうが、今はただ、そんな彼女の無事を祈るしかない。

 

「おうし、応急処置は終わったぜ。……血も止まったろ?」

 

 手当てをしてくれたザフト兵が云う。

 ニコルはハッと現実に引き戻された。

 

「ああ! ええ、ありがとうございます」

「立てるか?」

「立てます」

 

 云われるままに、ニコルは立ち上がった。その拍子に、やはり銃撃を受けた脇腹と左肩に、灼けつくような痛みが走った。

 しかし存外、耐えられないほどではない。無論、今はアドレナリンが体中を駆け巡っているはずだから、それで耐えられるだけだ。冷静になったら悶えるほど痛いに違いない。

 

(あまり、無茶はしない方が良いかもな)

 

 ニコルはそんな風に自分を戒めた後、傍らで始まった保安要員達の会話に耳を傾けた。

 

「すっかり置いていかれちまった、状況がまるで分からん。地球軍の侵入者は、ちゃんと撃退できたろうか?」

 

 違和感を与えないように、相槌を打ったりして、出来るだけ彼らの言葉に同調を示すニコル。

 勿論、そんなものは振りだ。内心ではまったく真逆のことを考えている。

 

(ステラさん、お父上とうまく話ができたのだろうか)

 

 そうしてニコルが心配に思っている矢先のことだった。状況を誰かに訊こうと歩いていると、薄暗い通路の向こうでガヤガヤと人声が響き始めた。なまじ視覚があてにならないだけに、聴覚は過敏にそれに反応していた。

 ──なんだ? 作戦中だというのに? 

 すると遠くから、ひとりのザフト兵が駆け寄って来た。緑服に身を包む管制官と思しき人物だ。男は息を切らし、性急な様子で云う。

 

「おっ、おい、聞いたか!?」

「何が!?」

 

 管制官の男は、原則的に着用を義務付けられている緑の軍帽(グレンガリー)を、右手にむしり取っていた。

 それで、ニコルは真っ先に只事ではないことを察した。指令室から彼は──いや、大勢の話し声が聞こえたということは、彼らは──よほど急いで出て来たのだ。「何かあったんですか……!?」ニコルが尋ねた先に、返って来たのは想像を絶する言葉で、

 

「──ザラ議長が殺された!」

 

 ニコルは耳を疑い、それは左右にいる現役のザフト兵達も同じだった。

 

「〝ヤキン・ドゥーエ〟はもう終わりだ! あんたらも、早くずらかった方がいい!」

「ちょ、ちょっと待てよ! ザラ議長が殺された、って……敵兵に!?」

「他にいるかよ!」

 

 怒鳴り声に、思わず萎縮する保安要員達。

 

「地球軍の女に射殺されたんだ──薄紅(ピンク)色のな!」

(ステラさんが、パトリック・ザラを殺した……!?)

 

 云ってから、いや、そんなはずは……! とかぶりを振る。確証などないが、ニコルはそうして告げられた事実を、信じたくなかったのだ。

 ザフト兵は、一気に青ざめた表情になっていた。

 

「議長が死んだなんて……! ザラ派の連中が黙ってねぇよ……!」

「おっ、おれ違うよ! あいつらほどじゃない……」

 

 突然のこと。ザフト兵達は、ニコルには不明瞭な言葉で騒ぎ出した。

 ニコルがそれを疑うより早く、管制官はそそくさと港口方面に逃げ出してしまった。これ以上の面倒ごとは勘弁してくれ、と云わんばかりに。

 混乱に飲まれた武装兵ふたりも、釣られたように及び腰になっている。

 

「……!」

 

 ニコルは煮え切らない思いに駆られ、地を蹴った。ザフト兵を突き放すようにして跳び、「どこ行くんだよ!?」と怒鳴られた。

 とは云え、追いかけられはしなかった。一拍置いて振り返ると、そこにはもう彼らの姿はなかった。管制官達と同じように港口へ逃げることを選んだらしい。だが、賢明な判断だとニコルも思った。

 ──何が、起きてるんだ……?

 ニコルは異変を感じ、何が起きているのか真実を確かめに向かった。目指すのは指令室──大きく出遅れたとはいえ、ステラ達がまだそこにいる可能性は充分にある。

 そうして道を進む途中で、スピーカーから緊急放送が鳴り響いた。

 

〈自爆装置起動。爆発まで残り十二〇〇秒です──総員、すみやかに施設内より退去してください〉

 

 無機質、無感情の女性めいた人工音声だ。

 ニコルはぎょっとした。

 

「自爆装置!?」

 

 なぜ、そんなものが〝ヤキン・ドゥーエ〟に仕掛けられているのか?

 ……いや、それだけではない。時を重ねるように明かされたパトリック・ザラの訃報──これらの悲劇が同時発生しているのは、決して偶然ではあるまい。

 

「なんだ……!? いったい何に巻き込まれてるんだ、アスラン達は……!」

 

 ニコルが少し開けた通路に出た途端、今の警報を聞き、パニックになったザフト兵達が人波になって押し寄せて来た。

 誰も彼もが、我先に出口へ──港口へと、ニコルの目指す方向と真逆に向かって邁進している。施設の奥を目指す身としては、さながら人波が自分めがけて突進して来るようにも映った。

 

「うっ!」

 

 ニコルは慌てて細い通路に跳び、大勢の士官達が嵐のように通り過ぎるのを待った。

 ──ステラか、アスランを捜さなければ……!

 特にステラは、異邦の服装に身を纏っている。どこかに紛れていれば、すぐに見つかるはずだ。

 やがて辺りが静まると、ニコルは再び大きな通路に出て先を急いだ。みずからの怪我などどこ吹く風と云った様子で、ひたすら指令室を目指して、走り出したのだった。

 

 

 

 

 

 

「〝ジェネシス〟の発射シークエンスに、〝ヤキン〟の自爆が連動している──」

 

 指令室の中で、その事実に気付いたアスランは、悄然とした。

 さっきから要塞の全域に人工音声が流れ出し、無機質で女性めいたその声は、二〇分後に訪れるであろう〝ヤキン・ドゥーエ〟の自爆をひっきりなしに警告していた。ステラにとってすれば、その警報は一応、ありがたいもののようにも思える──この警報(アラート)を聞けば、内部にいた者達は軒並み、危機を察して逃げ出すだろう。

 ──バンッ!

 安堵した手前、それは後方にいたアスランがコンソールを乱暴に叩きつけた音だった。

 

「どういうことだ……! 『地球を撃って戦争を終わらせる』──それが父上の望みだったはずなのに」

 

 アスランの疑念はもっともだ。

 ──なぜ〝ジェネシス〟の発射と同時に、〝ヤキン〟を自爆させる必要があるのか……?

 キーボードを叩きながら、アスランは疑心に駆られる。ステラは瞬時に声を返していた。

 

「ちがうよアスラン……! これは、このひとの望みじゃない……!」

 

 このとき、ステラは素早くキーボードに指を奔らせ、要塞の自爆シークエンスを解除しようと試行錯誤を繰り返していた。が、そうして様々な工程を進める内、彼女は〝ヤキン〟と〝ジェネシス〟を繋ぐ不自然な連動に、ある男の悪意を嗅ぎ取りつつあった。

 用意周到に計算し尽くされた自爆プログラムの配置──巧妙に暗号化されたパスワード──たった二〇分という時間の中でシークエンスを解除・中断させるのは、誰であっても不可能に思えるレベルで構築された。

 今でこそ時限式で稼働している自爆装置は、しかし、そもそも〝ジェネシス〟の第三射に連動して起爆するように設定されていたこと。

 それらあらゆる事実に気付いたとき、ステラの脳裏にはっきりとラウ・ル・クルーゼの嘲笑する顔が浮かんだ。それはきっと、偶然なんかではないはずだ。

 

「これは、戦争を終わらせたくない人の望み──」

 

 裏でこっそりと、仕掛けらた罠。

 

「父上は、誰かに踊らされていた……?」

 

 驚愕に駆られたアスランは、いよいよキーボードを叩く手を止めてしまった。

 結論から云えば、パトリック・ザラという男は、悪意ある者に操られた傀儡に過ぎない。復讐心に突き動かされるまま彼が地球を撃ったとき、彼もまた、滅びるように第三者によって仕組まれていたのだ。

 アスランはいよいよ、打ちのめされた気分になる。父が思い描いた世界──地球を撃ち、ナチュラルを封殺することで手に入れる平和──そんなもの、やはり幻想に過ぎなかったのだ。必死になって〝ジェネシス〟を止めに来たステラ達こそが、正しかった。 

 ──おれもまた、間違っていたんだ……。

 そのときになって、ようやく気付く。

 自分達はただ戦争を望む者達の掌で転がされ、戦争をさせられていただけだ(・・・・・・・・・・・・・)ということを。

 

「おれは、馬鹿だ……! 今まで、何にも……ッ!」

 

 血を吐くように紡いだその声は、涙声のように震えていた。

 

「おれが父上の祈りだというのなら、もっと早く気付くべきだった──」

「アスラン……」

「戻れぬところにまで行ってしまわれる前に、おれが父上を止めなきゃならなかったんだ……!」

 

 打ちひしがれるアスランを見つめ、ステラ達の間に、どれほどの沈黙が流れたろうか?

 ……いや、正確にはそう時間は経っていない。自爆タイマーがカウントダウンを刻み続けている以上、彼女達の立つ場所だって、いつ崩落を始めるか分からないのだ、呑気に時間を費やすだけの暇は、今の彼らになかった。

 ステラがハッと心づいたとき、アスランはどこか不思議な目を浮かべていた。とても近くを見ているようで──ずっと遠くを見ているような目。やがて口元がわずかに動き、

 

「後始末は、オレがつける──」

 

 ぼそり、とそう云った。並々ならぬ覚悟が、彼の目に灯っているように見えた。

 アスランは出し抜けに踵を返し、稲妻のように指令室から出て行ってしまう。

 

(アスラン……!?)

 

 そのときのステラは、アスランが急いで部屋を出た理由が、なんとなく分かる気がした。

 自爆装置が作動している要塞は、できるだけ急いで脱出する必要がある。広すぎる〝ヤキン・ドゥーエ〟の中でも、指令室は最奥に位置しており、ステラ達は悠長に構えてなどいられないのだ。

 この規模の要塞であれば、要人を逃がすための隠し通路のひとつやふたつ用意されていて不思議はないが──その要人(パトリック・ザラ)が夭逝した今、その在処はステラには分からない。大人しく、来た道を引き返すしかない。

 一分一秒を争う事態の中で、それは巨大な焦りを生む要因になるだろう。それと加えて、アスランが部屋を出していくとき残した言葉──その不明瞭さが、ステラにとって気分の悪いもので。

 ──アスランは、夭逝した父を見ようともしなかった。

 

「──まさか」

 

 ステラが彼の意図に気付いたのは、そのときだ。慌てて後を追おうとした、次の瞬間──

 ──ゴゴウッ!

 指令室が、激震に揺れた。

 

 

 

 

 

 

 〝ヤキン・ドゥーエ〟から、戦艦や脱出艇が次々と離脱してゆく。近隣で戦闘を行っていた〝エターナル〟や〝クサナギ〟からも、その様子は垣間見ることができた。

 事態を図りかねたラクスとバルトフェルドは互いの顔を見合わせ、改めて視線を向けた。要塞の港口からは、艦艇だけでなく〝ジン〟等のモビルスーツも続々と飛び立っており、中にはワイヤー線のようなケーブルを握っている機体も確認できる。そのケーブルには、船外作業服を身に着けたザフト兵が何人もしがみ付いており、ザフト兵達の必死になって逃げる様が、ひしひしと伝わって来るようだった。

 

(何が起こってる……!?)

 

 バルトフェルドは当然のように疑問に思うが、どうやら、状況を掴めていないのは彼だけではないらしい。

 現に〝ヤキン・ドゥーエ〟を守備しているザフト兵達──彼らもまた、この不可解な事態に動揺していた。兵団全体の迎撃が甘くなり、隙を見てこれを突破した〝アークエンジェル〟が、程なく〝エターナル〟の後方に追いついて来ていた。

 

〈バルトフェルド艦長、これはいったい……! 〝ヤキン〟は放棄されるのですか……!?〉

 

 合流するや、マリューもまた同じような疑惑を抱く。

 只事ならぬ事態だが、だからこそなのかも知れない、バルトフェルドは努めて軽く返す。

 

「分からん、だが、中で相当な騒ぎがおっ始まってるらしい」

 

 根拠がないわけではない。

 〝ヤキン・ドゥーエ〟はザフト軍の指令塔として機能し、一方では、少なからず収容所としての役割も果たす軍事拠点だ。機動兵器はともかく、ああも巨大な要塞に収容できるのは人──この戦闘で傷ついた怪我人などを搬入する、ある種の野戦病院のような側面を持っていて不思議ではない。

 にも関わらず、内部の人間が──傷病者も含めて──形振り構わず脱出し始めたとなれば、中でよほどの緊急事態(・・・・・・・・)が起こったと判断するのが妥当だろう。そういう考察を行っていたから、バルトフェルドはこのとき、剽軽な口調ほどに陽気な顔はしていなかった。

 

「アマルフィ達からの連絡もない……。こいつは只事じゃないぞ」

〈え? ニコルくんが、あの中へ?〉

「ステラお姉ちゃんも一緒だよ!」

〈ええっ!?〉

 

 付け足されたマユの言葉に、たじろいだのは〝ストライク〟だった。

 ──今のはキラの声だったような気もするが、なんでアイツが〝ストライク〟に乗ってるんだ?

 咄嗟のことでバルトフェルドが訝しむが、状況が状況だけに、声に出しては触れなかった。

 

「ひとつだけ確かなのは、ザフトは撤退を始めたということです」

 

 ラクスが毅然とした表情で云う。

 ──それにしても、あまりに不自然だ……。

 地球軍は月基地や核攻撃隊を失い、旗艦や空母まで次々に撃沈され、既に潰走寸前の状態。現実的に見れば、ザフトの勝利は確定したも同然ではないか。

 にも関わらず、このタイミングで〝ヤキン・ドゥーエ〟を放棄する必要が何処にあるのか? 懸念していたのはラクスも同じだったが、そんなとき、ダコスタが安堵を顔に浮かべて云った。

 

「〝ジェネシス〟の指令室(コントロール・ルーム)は〝ヤキン〟の中にあるんですよ? それが放棄されるってことは、もう地球が撃たれる心配はないってことですよ!」

「……そう簡単なら、いいのだがね……」

 

 状況が分からないから──

 彼らは要塞の外で、仲間達からの連絡を待ち続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 闇に近いブロック、非常灯がほのかに道を照らす通路を、アスランは移動していた。〝ヤキン〟の中は常に半重力帯に設定されているはずだが、まるで無重力のように身体がふわふわと浮いてしまう。となれば、設備に何かしら故障が出ている証拠だろう。

 要塞全体が揺れている──まるで、地震のような揺れだ。

 暗くて視界も悪いが、少なくとも、辺りに動くものの気配はない。このブロックにいたザフト兵は、ほとんど脱出したのだろうか。各所から濃い目の噴煙が流れ出して来ているから、余計に見通しが悪くなっているようだ。

 

「アスラン!」

 

 ステラの声が、背後から追って来る。

 重力があれば、おそらく立っていることも出来ないであろう震動の中──自分を追いかけて来たらしい。

 アスランは唇を噛み締め、振り返った。追いつかれる前に、あくまで端的に云った。

 

「要塞全体の空気が薄くなって来ている……きみはニコルと共に脱出しろ!」

 

 云うと、ステラはそこで止まった。その顔には、驚きと不安が同量入り交ざった色が浮かんでいる。

 ──ニコル……!?

 当惑するステラを尻目に、アスランは諭すように続ける。

 

「あいつは無事だ! あの服だからな……ザフト兵に手当てをさせていたんだ」

 

 あの服というのは、ザフト製の赤いスーツのことだろう。

 アスランが、ニコルを助けてくれた……? その事実を知り、意外に思ったステラである。しかし、なるほどパイロット・スーツにはそういう使い方もあるのかと、感心する方が強かった。

 

「でも、アスランは……!?」

「おれも脱出するさ……! いや、そうじゃないな……」

「え……?」

「おれのことは、気にしなくていい……」

 

 ステラは、唖然とした。視線の先には、ひとつの感情や決意に凝り固まって、今までとは違った意味で冷静さを損なっていそうなアスランの顔があった。

 ──その目に宿った危険な色を、ステラが見落とすと思うのだろうか……?

 案の定、彼女はその色に気付いてしまったから、表情を硬くした。まさかとは思う──が、アスランは。

 

「アスラン? アスランはひょっとして──」

「きみはもう、おれなんかに構わないでいいんだ!」

 

 その先を見透かされるのが怖くて、アスランはステラの声を遮るように、言葉を被せた。

 

「おれだって、もう、きみに迷惑をかけたくない……」

 

 本心だった。

 紛れもない、それはアスランの本心だった。

 アスランは伏し目がちに、言いようのない遠い目を浮かべている。

 

(おれは、嘘が下手だから)

 

 自分は目が口ほどに物を云う気質だから、きっと今何を考えているのかステラには筒抜けていることだろう。

 そして、気付いているからこそ、彼女は自分を引き留めようとしている。アスランにとって、確かにそれはありがたいことだ。妹が家族揃って、戦いのない世界で生きていたいと思っていることも、父の最後の言葉に従い、自分を幸せにしたい──いかせたくない(・・・・・・・・)と思ってくれていることも、このときアスランは全部分かっていた。

 分かった上で、アスランはそれを振り払うしかなかった。だって、そうして自分に向けられた温情すら、今の彼には地雷であり、屈辱を与えるものでしかなかったから。

 

「もうこれ以上、おれを惨めにさせないでくれ……!」

 

 ステラには、頼もしい仲間がいる。ニコルやラクス、そしてキラ──それは彼女と志を同じくし、彼女と共に戦ってくれた同盟軍の仲間達。圧倒的寡兵でありながらもこの戦争に抗い、自分の代わりに彼女のことを支えてくれた──そんな彼らと共にいれば、きっとこの先も大丈夫だ。

 ──そいつらに比べて、おれはどうだったろうか……。

 妹を守ると云いながら、ずっと彼女の足を引き、心労と迷惑を与え続けた。挙句、勝手な理屈と正義を振りかざし、大勢の人間を闇雲に討って来た、殺して来た。今になって気付いて、来た道を振り返った先にあったのは、みずからが手をかけて積み重ねて来た死屍累々だ。無論、戦争という現実の中で戦うことを強いられるのは兵士の宿命だ。そんな中でも無益な殺生を厭い、兵士であろうとしたステラと違い、アスランはただの破壊者だった。そんな自分が、何より許せなかった。

 ──おれのような〝破壊者〟は、アイツと共にいる資格はない……!

 そしてもう、生きている価値も……!

 

「そんなこと……!」

 

 ステラは、喉奥から言葉を紡ごうとして、出来なかった。

 再び、要塞が激震に揺れたのだ。

 あまりの震動にふたりは態勢を崩し、アスランがハッと心づいたときには、通路の壁はメキメキと嫌な崩壊音を響かせた。その音は壁面から天井に向かって迸り、よく見ると隔壁ブロックの表面に亀裂を走らせているようだ。

 

「……!」

 

 それを目敏く見つけてしまったばかりに、アスランは捨て台詞のように、矢継ぎ早に云った。

 

「きみは純粋で、綺麗な心を持っている。戦争なんて忘れて、しあわせになるんだ!」

「アスラン……!?」

「その資格が、きみにはある……!」

「……!? 待ってっ!」

 

 静止の声も聞かず、アスランはステラに背中を向けて駆け出した。

 後を追おうと、ステラもまた前に出る。足を踏み出すや、目の前で天井が崩壊した。大きめに砕かれた瓦礫の山がステラの進路に崩れ落ち、彼女は衝撃の余波に後退せざるを得なかった。

 

「────!?」

 

 床に激突した岩塊は凄まじい衝撃を発生させ、辺り一帯を濃い煙で包み込んだ。立ち込める噴煙が晴れたとき、ステラが辿ろうとした道は瓦礫で封鎖されていた。捜し求める兄の背中は、その岩塊山の向こう側。

 ──アスラン……!

 ステラは息を呑み、失調する。これも自爆シークエンスの影響なのか──退路を塞がれた以上、別の経路から迂回して港口を目指すしかない。

 ──止めなきゃ……っ!

 そうまでしても、ステラはこの要塞から脱出しなければならないし、何より、アスランを止めなければという強迫観念に突き動かされていたのだ。

 瞬時にその道を諦めた彼女は、別の脱出ルートを捜すため、急ぎ踵を返した。

 

 

 

 

 

 

 要塞内の自爆シークエンスは、それからも続いていた。至るところで大きな震動と凄まじい爆風が襲って来る──まるで少女を追いかけるかのように。

 衝撃を避けつつ脱出経路を捜しているとき、ステラは周辺の哨戒も怠らなかった。安堵すべきかどうか微妙ではあるが、どのブロックにも人影はない──やはり、すべての兵士が既に脱出しているようだ。そのとき憶えた圧倒的な孤独感は、不覚にも少女心に辛かった。しかし一拍遅れて、いや……とも思う。それが最善ではないか──既に明確な退路すら把握できない今、逃げ遅れた者がいるとすれば、それはステラだけであるべきだ。

 ニコルについても安否が気になるが、こちらはあまり懸念はしない。アスランが云ったように、付き添いの兵がいるなら、深く心配する必要もないはずだ、少なくとも、それだけは信じたかった。

 薄闇の廊下を進んでいると、ひとつの鉄扉を発見した。開放しようとノブに手をかけてみたものの、あまりの硬さに舌を巻いた。力づくで開けようとすれば、ゴウンッ! と嫌に大きい衝撃音だけが響くのだ──何度か粘って見たものの、どうやら鋼板そのものが歪んでいるらしく、それはドアではなくただの壁になっていた。

 

「あかない……っ」

 

 すぐに諦め、別の道を捜そうとする。

 ────そのときだった。

 彼女は廊下の向こう側、暗闇に飲まれた空間の奥に、不自然な発光が浮かび上がるのを見た。

 ────いや、違う。

 それは「発光」などではない、正確には、砲口に浮かぶ「発火炎(・・・)」──

 ステラが見たのは、真っ暗闇の中を流れる一筋の光──

 暴力的なまでにその輝きを増しながら、少女に向かって飛来する。

 

(えっ)

 

 反射的──ほぼ反射的に、ステラは壁を蹴っていた。

 彼女から見て「右」──通路が細くなっている小路へ飛び込んだのだ。

 ────次の瞬間、世界が閃く。

 視界が真っ白に塗りつぶされると同時に、彼女の立っていた地点が衝撃をもって爆破されていた。左方向より襲い来る爆風と激震──軽すぎる少女の体はその爆圧に押し飛ばされ、岩肌と鉱床が剝き出しになった壁の窪みに激突して跳ね返った。

 強く悲鳴を上げ、彼女がそれでも庇ってたのは、ヘルメットのバイザーだ。こればかりは破損させるわけにいかないという咄嗟の判断だったのだが──その感覚は正しいと云えた。

 

(……! 今のは……!?)

 

 痛みを堪えつつ、すぐに体勢を立て直すステラ。兵士としての勘が告げているのか、それとも危機察知能力が刺激されたのか、その手は本人の意思と無関係にホルスターの拳銃に伸びていた。彼女の精神はこのとき、既に対人戦・銃撃戦の用意をしていたのである。本人としても、それはまったく自覚のないことだったが。

 

 ──今のは、爆発? 

 ──いやちがう、爆破の光!

 

 おそらく、バズーカの類──遠くでパッと閃光が瞬いたあと、ステラのすぐ傍で火柱が炸裂した。彼女は咄嗟に右に跳んでいたが、一秒でも遅れていれば、朱色い光渦に飲み込まれていたかも知れない。

 ──狙われている……でも、誰に!?

 次の瞬間、場に銃声が響き渡った。短機関銃(サブマシンガン)が連射される轟音──ステラが逃れた通路の壁面、怒濤の銃弾が撃ち込まれ、幾つもの跳弾が火花となって散った。

 その輝きは、断続的に闇を照らす。無数の弾丸が、みずからを狙ってのものだと判断するのに、彼女はそう時間を必要としなかったが……

 

「キサマかぁ! 地球軍の侵入者というのは!?」

 

 中年? ──少なくとも、少年や青年ではない──の、男達の割れるような声が響く。

 ステラが物陰から声の方角を視認する──と、そこには武装したザフト兵が並んでいた。緑色のパイロット・スーツに身を包む──数にして、四人近くいるだろうか? ……いや、暗くて見えないだけで、正確にはもっといるかも知れない。そのうちのひとりは、肩掛け式の長大な射出筒を抱えており、たった今噴進弾を撃ち込んで来た者で間違いなかった。

 ステラは、絶望感に息を呑んだ。崩落中の要塞でバズーカを使うなど、彼らはいったい何を考えて──というより、正気なのだろうか……!? 一歩でも間違えば、彼らまで生き埋めになるかも知れないのに……!

 それに……。

 

(……!)

 

 ようやく、ステラは自分の手許に視線を落とした。そこで彼女は、初めて自分が拳銃を握り締めていることに気が付いた。

 ──いつの間に……?

 そして、拳銃を握った手──それを覆っている自分のパイロット・スーツが、薄紅色のカラーリング・デザインをしていることも、同時に自覚した。だからこそ、なぜ自分が狙われているのか──素朴な疑問の答えに辿り着いてしまった。

 彼らは、まさか。

 

「薄紅色の地球軍兵がァ!」

「よくも……! よくもザラ議長をぉッ!」

 

 男達の正体は、何かを知り、何かを勘繰った(・・・・)極右派。

 要塞が自爆するのにも構わず、この危険地帯に居残り続けた復讐の鬼。

 パトリック・ザラを、心より信奉していた者──

 

「逃がしはせん、逃がしはせんぞぉ!」

 

 いわゆる「ザラ派」──

 指導者を殺されたと知り、怒りや悲しみを、憎しみに昇華することしか出来なかった者。怨嗟に満ちた言葉を吐き捨て、凄まじい闘志を露に、ステラの前に立ちはだる。

 

「貴様だけは、絶対に生きて返さん!!」

 

 ──たとえ己が身が亡ぶとも、その者(・・・)だけは道連れに。

 闇の中から現れたパトリック・ザラの亡霊が、少女の行く手を阻むのだった。

 

 




 ザラ派の男達をイメージしたいときは、脳内にサトーさん召喚すれば違和感ないかと思います(丸投げ 

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