湿原駐屯所を後にした俺らの運行はそれこそ軽快そのものであった。
ギメイの施してくれた整備は文句なく完璧で地面のぬかるみを全く意に介さず、皇帝閣下の足をぐんぐん前に進ませていた。
だがその順風満帆な進行とは裏腹に俺には気を揉む点が二つあった。
一つは当然天候の問題。
今でこそこの順調な進行ではあるがその毛色も雨が降っていないが故の事柄。
これが雨に降られようものなら鈍行化は免れず、なおかつ商品であるユクモの木の状態にも影響を及ぼす。
雨避けで耐水性の覆いがなされているといってもあくまで凌げるのは一時的でしかなく、長時間の降水には耐えることができないだろうことは明白。
商品が商品である以上、完璧な状態でたどり着きたい。
そうでなければ、せっかく質のいいユクモの木を仕入れたにも関わらず値をたたかれかねない上、湿原地のママイト村を小売り先に選んだ意味がなくなってしまう。
商談の結果を左右する大事な部分だ。
安全第一ではあるが早く到着できるのならばそれに越したことはない。
そして二つ目。
もう一つの気を揉んでいる点。
それは……。
「……はぁぁぁ」
この曇天と同じくらいどんより曇った俺のテンションである。
「なんでや……なんでなんや。ちょっと、ほんのちょっと遊んだだけやないか……。それだけやのに、なしてそないなことするんや……」
俺はうな垂れていた。
そして口調も変わっていた。
そんな俺の独り言に対しタマは完全無視を決め込み、アシューは気まずそうに俺に視線を向けないよう明後日のほうを見ていた。
「ちょっと、暇だっただけやん……。ただのお遊びやないか……」
そう、俺は暇だったのだ。
手綱を握らない運転席はすることがなく暇だった。
暇だった俺は仕方なく皇帝閣下で遊ぶことにした。
具体的には、サングラスを皇帝閣下に無理やりかけさせ、その姿を見て一人爆笑していた。
そう、カンタロスの羽で作られたあのサングラスをである。
そしてその結果。
結論だけを言ってしまえば、そう……。
――サングラスは皇帝閣下に食べられた。
「なぁ……? 自分、なんでなん?」
俺は皇帝閣下に問いかけた。
バシャバシャと水けを含んだ土を蹴る音とゴトゴトと揺れ木材同士のぶつかる音だけが耳に返ってくる。
当然、誰からの返事もない。
誰も一言も発しない虚しい時間がこの場を支配し、息が詰まるような静寂が続いた。
この空虚な時間が延々続くかと思われたその時、タマが口火を切った。
「……どう考えてもご主人が悪いにゃ」
「だって!! だって暇だったんだもん!! 俺だけやることないんだもん!! いいじゃん少しくらい遊んでもさ!! それをこいつあのサングラス一個作るのがどれくらい大変だったかも知らずにムシャムシャって、ムシャムシャって……」
「あれは貴殿お手製だったか。……うむ。確かにあの羽は薄くて破れやすい代物。加工が大変だったろうことは想像するに難くない……。苦労して作ったということはよくわかる。だから、な? もう泣き止むがよいダンディ公……」
「ア、アシューの姉御ぉ……」
俺がアシューの優しさに心打たれたその時。
「ゲェップ……」
ご満悦そうな皇帝閣下のげっぷ音。
再び舞い戻る気まずい空気。
刹那。
俺の中で何かが弾けた。
「きぃぃぃぃぃ!! この鳥野郎がぁぁぁ!! てめぇだけは絶対に許さねぇぇぇぇぇ!!」
と言って俺が飛び掛かろうとした瞬間、見計らったかのように急に速度を上げた皇帝閣下。
勢いに負けた俺の体は慣性が働いたことにより座席の腰掛に後頭部を強く打ち付けた。
「……おぉぉぉ。首が……首がぁぁぁ!!」
のたうち回る俺の姿は正に「哀れ」の一言に尽きた。
なぜだ……。
なぜ俺はいつもこいつに勝てないのだ……。
「しかし、ここまで猛々しいガーグァも珍しいものだな。基本的にこやつらは臆病な生き物だったはずなのだがな」
俺の悶絶をよそにそんな感想を述べるアシュー。
平素。すっごく平素。
もう全然心配そうに声かけてくれない……。
うぜぇ? 俺ってそんなにうぜぇ?
「にゃあ。確かに皇帝閣下は勇猛果敢にゃところがあるにゃ。この間にゃんてジンオウガが集まっていた渓流で雷光虫を食い漁って平然と戻ってきたりもしたにゃ」
「……それは何というか、凄まじいな」
俺は打ち付けた頭をさすりながらのっそりと座りなおし、会話に混じった。
「……こいつ、帰巣性が強いみたいで一度訪れた場所なら自力で戻って来れるんですよ」
だからこそ、あの時も壊れた荷車の場所に戻って来れたのだろう。
「へっ!! どっちかというと勇猛果敢よりこいつには放蕩無頼の方がお似合いだけどな!!」
荷車が大きく揺れた。
「ごめんなさい」
いやだからなんで、今のが悪口だってわかるんだよこいつ。
「にゃ、アシュー」
不意にタマが何かに気づいたように呼び掛けた。
「アシューの言ってた近道の洞窟ってあれの事かにゃ?」
そう言うタマの視線の先にはそこそこ大きく、万が一にも崩落することのないよう補強がなされた洞穴があった。
まさに見るからに人工の洞窟だなあれは。
「うむ、あれがその洞窟だ。念のためもう一度聞くがどうするダンディ公よ。雨の心配があるのならば早く着いた方が貴殿もいいだろう? ギメイ殿の話では今はイーオスの数も減ってきているそうだが。どうだ? 心変わりはないか?」
時間を取るか、安全を取るか。
時間を取ればモンスターとの遭遇率が上がり荷物の損傷率と生命に対しての危険度が上がる。
安全を取れば遭遇率は下がるもののもしも降水に見舞われた際、荷物の商品価値が下がるばかりか場合によっては地面のぬかるみが酷くなり泥にはまるという危険性もはらんでいる。
何かのトラブルに見舞われ足止めを食らえばどちらの道でも結局リスクは一緒。
ならば……。
「変わらず通常ルートでお願いします」
「承知した」
さぁて、鬼が出るか蛇が出るかってか?
***
一体どれだけの時間が刻まれたのか。
曇り空というのはなんとも時間の経過が計りずらいもので、俺たちはいったいどれだけの間揺られているのか全く分からなくなっていた。
地面のぬかるみを見ても予想しいていた通りの地質となっていた。
アシューもずっと歩きっぱなしだ。
休憩を進めても「慣れているから大丈夫だ」とやはりやんわりと断られたりもした。
何が起こるかわからないというのはそれだけでも恐怖だ。
頼むから何も起きないでくれ。
「ダンディ公よ。見えたぞ、あそこがママイト村だ」
なんて考えていたらアシューがそう告げてきた。
って、あれ?
結局、本当に何も問題なく着いちゃった。
危惧していた雨にも降られることなくモンスターに襲われることなく平平凡凡に滞りなく到着してしまった……。
いや、何も起きない方がいいに決まっているんだけど、なんか変に意気込んだ分肩透かしを食らった感が否めない。
折角、アシューに護衛してもらっていたのに襲撃にあったのはあのドスジャギィの時だけ。
こういったらなんか悪いがアシューにはやりがいのない依頼になってしまったかもしれないな。
そんなこんなでママイト村を目視で確認できた場所からだんだん近づくにつれ地面の変化に気づく。
というのも地盤が多少なりとも固く、今まで通ってきた道に比べるとそれこそ雲泥の差と言っていいほどにしっかりしたものになっていたのだ。
まあ、当然と言えば当然か。生活する場所なのだから家が建てられるような地質の良い場所に集落を作るのは当然のことだよな。
モンスターに襲われなかったのも案外そういう環境地に集落を作っているからなのかもしれない。
もしもそうだとしたら先人の知識のたまものに脱帽ものである。
それからしばらくして、俺たちはとうとう目的地であったママイト村へと到着した。
タマは皇帝閣下を村の入り口の前で止めさせた。
「それでご主人? これからどうするのにゃ?」
そんなタマの質問。
「そうさなぁ。大体ならまずは商会に話を通すのが礼儀じゃあるんだが、こんな小さい村に商会があるわけないからなぁ。まあ最初は村長に話を通すのがこの場合の筋の通し方ってところかな。だからまずは村長にあいさつしに行こう」
「ならば村長の家には我が案内しよう。村長とは多少顔なじみだ。貴殿がいきなり出向くよりは警戒されぬはずだ」
「すみません、お願いしてもいいですか?」
アシューの厚意に甘えることにした。
ここからは商いの話になってくるがその第一段階としては相手側の警戒心を解くことが大事になってくる。
言ってしまえば俺はよそ者だ。
よそ者が持ってくるおいしい話ほど胡散臭いものはない。
一度疑いの目を向けられればどんないい商品であろうとそれは粗悪品と何ら変わらない扱いをされてしまう。
逆にここで良好な関係を築ければ村長を通して民に話が行き渡り、商いをしやすい環境が出来上がる。
俺たちの商品であるユクモの木を欲している村民にも話が行き渡り村長を経由しての商売が今後も可能になってくるはずだ。
つまりは第一印象である。
というわけで俺は荷車から降り、外面営業モードに心を切り替えた。
「タマ、お前も荷車から降りろ。目線の高さも印象の一つとして重要だ。乗ったままの高さだと高圧的に見られてしまい印象が悪くなるぞ」
「了解にゃ」
タマが運転席から降りるのを待ってからアシューは確認するように俺を見てきた。
「……では、参ろうか」
そう言ってママイト村内に足を踏み込んでいった。
俺は皇帝閣下の手綱を引きながら誘導しつつアシューの後をついていく。
ママイト村内を何気なしに見渡す。
村民は時間帯もあるのだろうが女性が多く目立ち、突如訪れた一行に警戒しているようでもあった。
やはり、俺たちは目立つことこの上ないのだろう。
もしかすると、商人が訪れること自体珍しいのかもしれないが。
しかし思ったよりママイト村が豊かそうな雰囲気が漂っていることが意外だった。
人間の生活には衣食住が必須である。
そしてその衣食住を見ればその地域の栄え方もはかり知ることができる。
「衣」は近しい過去。
「食」は現在。
「住」は遠い過去とそれぞれの当時の環境を知ることができる。
特に「衣」に当たる服装は数年前から現在にかけての貧富を表しているといっても過言ではない。
要するに村民の身なりが奇麗なのである。
このことからママイト村は数年前から豊かな生活を送ってきたということがわかる。
俺は頭の中で『これならいい値でユクモの木を買ってくれそうだな』とそろばんの球をはじいた。
なら後は、友好的関係。
これがネックになってくるということだ。
皮算用で終ってちゃ笑い話にもならないからな。
しばらくしてアシューは一つの民家の前でその足を止めた。
民家の大きさからしてそこまで大きいというわけではないが他と比べると一回り大きく建てられている。
つまりここがママイト村の村長の家なのだろう。
やはり、家の作りを見る限り栄えだしたのはここ数年か。それまでは楽な生活ではなかったのだろうというのが読み取れた。
何をして栄えたのかは知らないが一つご教授願いたいものだ。
いい関係を築けたら村長に聞いてみるのも悪くないな。
そんな俺の思考をよそにアシューは村長宅の戸を数回ノックした。
だが、屋内からの反応は見られなかった。
その後も幾度となくノックを繰り返したが、扉が開かれることはなかった。
留守か……。
と諦めかけた時、俺たちから死角になっていた民家の陰からいかにもという老人がひょっこりと顔を出してきた。
「おぉ。誰か客人が来たと思ったらアッシュちゃんじゃったのか。最近あまり顔を見せないものじゃから寂しかったぞ。ほっほっ」
「翁、いつも連絡なしで訪問してしまい済まない。それと不躾で申し訳ないのだがその『ちゃん』付けはやめてもらってもよいだろうか……? 我ももうそんな年ではないもので羞恥心に耐えれそうにないのだ……」
「ほっほ、それは悪なんだ。して、アッシュちゃんよ。そちらの客人はどちら様なのかの?」
「……今回の我の依頼主だ。ママイト村までの護衛を任されたので案内したのだが、訪問理由は、まあ本人の口から聞いた方がよいだろう。翁よ、話をお手柔らかに聞いてやってくれ。――ではダンディ公」
我が手伝えるのはここまでだ。
と言ってアシューは一歩下がり交代するように俺は前に出た。
俺があいさつをしようと手を出そうとしたときママイト村の村長に一言「あんた名前の割にはダンディじゃないね」と微笑まれてしまった。
その言葉に俺の笑顔は引きつった。
「ほっほっほ」と面白そうに笑う村長。
「この村には何用で参ったのかね? 観光……っていうほど見どころがある村じゃないんだがねぇ」
そう言って俺がしようとしていた握手を促すように手を差し伸べてきた。
俺も一拍遅れてその小さい手を握り挨拶をした。
握り返したその村長の手は小さいわりにはしっかりしていて傷だらけであった。
気丈にふるまっているがこの手を見ればわかるほどこの人は、今まで苦労をしてきたのだろう。
「ご謙遜を。見る人が見ればこのママイト村の栄えようはそれだけでも見ごたえがありますよ。一商人としてどんな魔法を使ったのかご教授願いたいほどの手腕です」
「わしは何もしちゃおりませんよ。魔法なんて大層なものもお目にかかったことはありませんなぁ。村民全員でより良い生活を目指した結果ですわ。魔法というならこれこそ魔法なのやもしれませんがね」
「ロマンチックな魔法ですね。そんな魔法を使えるようになるなら私も魔法使いを目指してみるのも悪くないかもしれないですね」
「目指さなくても人間いずれはわしみたいな魔法使いになれるもんですじゃ」
「と言いますと?」
「わしと同じいずれ髭と杖が似合う老いぼれになれますわい」
「違いありませんね」
そこまで話して俺と村長は二人して笑った。
「いや、やはり商人と話すのは楽しいのぉ。村民の男どもは脳筋ばかりでユーモアのセンスがない。頭を使わんとボケが早まりそうじゃわい。あやつらはわしを早くボケさせたいと見える」
この村には商談をしに来たのだろう?
と雑談もそこそこに本題に入った。
正直手応えはあった。おそらく好印象を得られたはずだ。
これは期待してもいいんじゃないかな?
「はい。今回ご入用があればと思いユクモ村から伺わせていただきました」
「それは遠いところからわざわざご苦労だったね。じゃが、悪いけど今は特にユクモの木を必要としている村人はいなかと思うがね。つい最近そこら辺の物は一新したばかりなんじゃよ。遠いところから来てもらって悪いんじゃがね」
俺はその一言に衝撃を受けた。
今何と言った? ユクモの木を必要としていない?
後方から『話が違うじゃにぃか』と言っているようなタマの視線が俺の背中に突き刺さった。
「いえ、ご入用がないのであれば仕方がありません。その代りと言っては何ですが今日一晩どちらか宿を貸してはいただけないでしょうか? 今夜雨が降るそうですので商品が濡れないよう止んでから発ちたいと思っているのですが。どこか都合はつかないでしょうか?」
「そうですなぁ、わしもこのまま帰すのは心苦しいかったところじゃ。どうぞよければわしの家に泊っていってくだされ。大したおもてなしも出来んがくつろいでいってくだされ、ほっほっほ」
「お気遣いいただきありがとうございます」
こうしてタマの心配そうな視線を横目に俺たちの商談は見事に失敗に終わったのだった。
***
「どうするのにゃ、ご主人」
その日の晩、村長の家の一室に招かれた俺は言われた通りにくつろいでいた。
そんな俺を見かねたタマはそう問いつめてきた。
因みにアシューは今ここにはいない男女を一緒の部屋にしないようにと村長の気使いでもう一部屋貸してくれたのだ。
「ユクモの木無駄になちゃったにゃよ。これからどうするつもりなのにゃ……」
「なあ、タマ。お前俺と村長の会話であることに気付かなかったか?」
「にゃ? 何のことだにゃ?」
「俺はさっきからそれが気になって仕方がないだがな」
「にゃから一体何の事なのにゃご主人」
「なんで村長、俺の商品が『ユクモの木』だって知ってたんだろうな……。俺は『ユクモ村から来た』としか言ってない。『ユクモの木を売りに来た』なんて一言も言ってないんだがなぁ」
「にゃ? そんにゃの荷台を見れば一目瞭然じゃにゃいか。ユクモ村から来た奴が木材を積んでたら誰だってユクモの木だってわかるにゃ」
「確かに。だがそれは俺の商品が木材だと分かればの話だ」
「にゃからさっきから言ってるじゃにゃいかそんにゃの荷台を見れば一目瞭然……」
そこで気付いたように「……あっ」と呟く。
「そうなんだよなぁ。あの時ユクモの木には雨避けのズワロポスの皮で覆ってあってあそこからじゃ絶対に何が積んであるかなんて見えないはずなんだ。にも関わらず村長ははっきりと俺の商品がユクモの木だと言い当てた」
「それは確かに不自然にゃけど、でもそれだけじゃにゃいか。一体にゃにをそんな心配してるのにゃ」
「それが大問題に繋がるかもしれないんだよ」
俺たちがユクモの木を何も覆わず進行していたのは駐屯所以前まで。それ以降は雨除けにより外部からの確認ができないようになっていた。
つまり……。
「つまり俺たちは少なくともユクモ村から駐屯所までの間このママイト村の関係者に監視されていたことになるんだ」
監視されていたこと自体はこの場合問題ではない。
旅行者を監視しなければならないような事柄がこの村にあるということが問題なのだ。
そう考えるとここ数年で栄え始めたことにも何かしら裏があるのかもしれない。
結果俺が出した結論は漠然としたもの。
「――この村、何かあるな」
旅行者の監視。
数年での繫栄。
村内の男の不在。
そしてギメイの言っていたイーオス減少。
もしもこれが全部関係があり俺の予想が正しかったりすなら、これは下手すると……。
「村一つ無くなってもおかしくないぞ」