「はあ……はあ……」
松明で前方を照らしながらがむしゃらに走り続けた。
最優先事項はユクモ村への帰還。
先ほどの轟音が何だったのかはわからないが恐らく、いいことではないだろう。
酸素の足りない脳でも考えることくらいはできる。
と言うか考えることしかできない。
少しでも考えて今起こっている可能性を探れ。
可能性の話をするのならば一番はババコンガだ。
それこそ今は討伐依頼の真っ最中なのだ、ハンターとの戦闘の末に何かが倒壊して起きた音とも考えられる。
これならば危険度はそこまで高くない。
ハンターと対峙している間は、こちらまで被害が来ることはまずないだろうし何よりあの体臭で接近の有無がわかる。
それさえ分かっていればこの闇夜に紛れて逃げることも可能だ。
二番目の可能性はゴア・マガラ。
酒場の看板娘の言っていたゴア・マガラが今だこの渓流付近の森にいて、これもまたハンターと遭遇し戦闘を試みた音と言う可能性もある。
こちらの危険度は非常に高い。
何より狩猟難易度が段違いに高い。遭遇したハンターによっては瞬殺、もしくは逃走するだろうし、この夜と言う環境もゴア・マガラに分がある。
とてもじゃないが突如遭遇して対応できる部類のモンスターじゃない。
場合によってはこちらまで被害が飛び火する可能性をはらんでいる。
遭遇を未然に防ぐ方法も皆無と言っていい。
三番目の可能性は狩猟環境不安定化の煽りで訪れたモンスター。
俺の予測で言えばドボルベルク。
ドボルベルクは巨体だ。
あれくらいの轟音なら簡単に出せるだろう。
これはむしろ危険はほぼないと思っていい。
予測よりも早く訪れたと考えさえすればあり得ない話じゃないし、一番遭遇を察しやすい。
だが、俺の当てが外れドボルベルクとは全く関係のないモンスターの可能性もあるため不確定要素が多すぎる。
そのため、あまり楽観視するべきではないだろう。
「くっあ……はっ……は」
そして四番目の可能性。
もっとも考えられず、ありえない可能性。
それは――。
「ご主人!! 上を見るにゃ!!」
「はは……。笑えねぇなこりゃ……」
月を背にホバリングする漆黒の影。
その影から飛散する鱗粉により蒼白であったはずの月の光は禍々しく黒々と森を照らしだす。
俺はゆっくりとその影から視線を外し、正面を見据える。
ユクモ村に帰るための道を遮るように現れた四足歩行の生物。
もうあいつが纏っている気を禍々しい気(こやし臭)なんて言うことはできそうにない。
正真正銘の禍々しい気を纏ったモンスター。
「狂竜化か……猿なのに」
「ゴア・マガラとババコンガ……しかも狂竜化にゃ……」
四番目の可能性。
「『マガラだよ!! 全員集合!!』ってか?」
『全部の可能性の実現』
これが最も危険な可能性だ。
「タマ!! パターンBだ!! 絶対ババコンガから目を離すな!!」
「パ、パターンBってにゃんにゃ!?」
「くらえぇぇぇぇぇ!!」
俺はそう叫びながら目の前にいるババコンガに向けあらかじめ短刀を持っている右手に隠し持っていた「ある物」を力の限り投げつけた。
「ある物」またの名を――。
「に゛ゃぁぁぁぁぁ!! 目が!! 目がぁぁぁぁぁ!!」
――閃光玉と言う。
「よし!! 目くらまし成功だ!!」
ババコンガは閃光玉の強烈な光にやられ大きく仰け反りひるんでいた。
突然の事態にがむしゃらに暴れ出したが距離がある以上こちらには何の被害もない。
俺は踵を返し今まで走ってきた道を逆走し始める。
クソ!! サンプルとして試しに作った貴重な閃光玉だったんだが使っちまった。
あれでもきちんと売れる商品だったのに……。
仕方ないか背に腹は代えられないし。
「タマ!! お前今、閃光玉の光せいで目が全然見えてないよな!!」
俺はタマの現状を確認すべく問いかける。
走っているせいで自然と声量が大きくなってしまっていた。
「お陰様でにゃ!! これでオイラの視力が落ちたらご主人一生呪ってやるからにゃ!!」
「それだけ憎まれ口が叩けりゃ大丈夫だな。タマ!! 目が見えるようになったら俺に教えろ!! お前とババコンガは同時に閃光玉をくらい視力が落ちた状態!! お前の視力が元に戻るその時はババコンガの視力も元に戻る!! 奴の視力が戻るまでに距離を稼ぎ、タイミングを見て隠れる!! お前はその時間をはかる為の一つの基準だ!!」
「にゃ!? ご主人ふざけていたわけじゃなかったんだにゃ!!」
「こんな時にふざけるわけがないだろうが!!」
「じゃあご主人!! 『パターンB』ってにゃんにゃ?」
「お前……それは。その、なんだ……ちょっとふざけただけだ……」
タマの爪が肩に深々と食い込んだ。
「ぎゃぁぁぁぁぁ!! ごめんなさぁぁぁぁぁい!!」
だがこれで一時的にだがババコンガは無力化できた。
問題は、もう一匹のゴア・マガラ。
ババコンガは俺たちの目の前に現れた以上、この手段を取らざる負えなかった。
しかし、ゴア・マガラの場合は少し状況を見直す必要がある。
早い話、ゴア・マガラは俺たちの存在に気づいていたのかどうか。
気づいていなかったのならばこのまま逃げおおせる可能性が高まる。
ゴア・マガラは目も耳も退化しその代りに鱗粉を使って索敵するモンスターだ。
故に閃光玉は効かない。
だがそれは、逆を言えば気づかれてさえいなければどれだけ強烈な光を発生させようと轟音を出そうと見つかることがないということだ。
まだ俺たちが見つかっていなかったのならば先ほどの閃光玉の光もゴア・マガラには気づくことができない。
これは俺たちの危機が高まるか低くなるかどうかの分岐点だ。
さあ!! 来るなら来い!! とか絶対に思わない!!
来ないで!! お願いだから!!
「あーやっぱりだめか……」
自然に発生した風には決して出すことのできない鋭い風切り音が後方上空から聞こえてくる。
同時に背筋が凍るような叫喚にも似た雄叫びがゴア・マガラの接近を嫌でも理解させられる。
「ご主人……」
そんなタマの不安そうな声。
そりゃ目が見えない状態であんな咆哮を聞いたら不安にもなるわな。
さあ、どうする。
自慢じゃないが俺はケルビにすら負けるほど腕っぷしには自信がない。
とてもじゃないがゴア・マガラに追いつかれれば自力では逃げ出すことなんて不可能だ。
理想は誰かが助けに来てくれることだが相手はあの黒蝕竜ゴア・マガラ。
生半可なハンターでは歯が立たないし、共倒れになる。
都合よく凄腕のハンターが助けに来てくれるものだろうか?
いや、やめだ。
希望にすがるのではなく、今この現状をどうするのかについて頭を使うべきだ。
俺は商人だ。
商人の武器は大剣でもなければ、ボウガンでもない。ましてや当然、何の変哲もない短刀でもない。
俺は俺の武器で戦う。
「はあ……はあ……」
俺は足を止める。
まるで墜落するように勢いよく着地する黒い影。
こちらは物凄い風圧に体勢を崩しそうになっていると言うのに、対する影はあの衝撃をものともせずその姿を現す。
禍々しい黒鱗、爪、牙。
商品として売れば一体どれだけの値が付くのかと考えるのは商人としての性か、もしくは体のいい現実逃避か。
「ご主人……こいつからどうやって逃げるのにゃ」
「タマ……お前、見えるようになったら教えろって言っただろう……」
まあ、もうこうなったら隠れるも糞もないわけだが。
足が棒になったみたいだ。
今まで散々走って逃げていたからと言うのもあるんだろうがそれと目の前にいる凶悪なモンスターに対する恐怖心で足が全く動かない。
ゴア・マガラ。
実物はこんなにも禍々しいとは。
焦るな。
冷静さを欠けば一瞬でやられる。
まずは隙を見て退路の確保を……。
そこまで思考を巡らせた時、俺の視界は一転していた。
「……え?」
体には気持ち悪い浮遊感。
目の前は火花が散ったように妙に明るく。
腹部にはハンマーで殴られたような激しい鈍痛。
そして耳にはタマの叫び声。
意識がはっきりしたころに訪れた背中への衝撃。
「カッハァ……!!」
肺の中の空気が全部吐き出される。
ああ、なるほど。
俺攻撃されたのか。
「やばい……。全然見えないでやんの」
「ご主人!! 大丈夫かにゃ!?」
「おお……タマ。どうやらお前は無事みたいだな」
タマが飛ぶように駆け寄ってくる。
どうやら途中でタマは落っこちたんだろう。
俺はどれだけ吹っ飛ばされた?
駄目だ。目の前がチカチカしてろくに距離感もつかめない。
「恐らくただの体当たりだったんだろうな、外傷がないところを見ると……」
「何悠長に分析してるのにゃ!! 早く逃げるのにゃ!!」
痛みのせいか頭の中は意外にもすっきりとしていた。
追撃がないところ見るとどうやらゴア・マガラの鱗粉網外にまで吹っ飛ばされたらしい。
だけどそれも時間の問題。
奴が索敵範囲を広めればすぐに見つかる。
タマの視力が元に戻ったということはババコンガも行動を再開し始めたということだ。
両方から追われればもう俺たちに逃げ場はない。
「ああ……逃げよう」
……――!!
闇夜にこだまするように響き渡る咆哮。
「ゴア・マガラがババコンガを呼んでるにゃ……」
ゴア・マガラの咆哮?
いや違う。
あれはゴア・マガラとは違う鳴き声だった。
どちらかと言うともっと獣のような。
そう、まるで狼の遠吠えのような……。
「狼……?」
俺の中で今までの事象が一つ一つ繋がりだした。
ババコンガの大量発生。
ドスジャギィによる草食モンスターの減少。
それに伴う狩猟環境の不安定化。
森に溢れんばかりの光虫及び昆虫ども。
「なるほど、そういうことか」
俺は周りを見渡す。
どうやら先ほどから目がチカチカしていたのは頭部への衝撃だけが原因ではなかったようだ。
「行くぞタマ。逃げる方法が決まった」
俺は、いつの間にか消えてしまっていた松明に再び火をともした。
「一体にゃにをするのにゃ……」
「タマ。商人にとっての武器とは何だ?」
場違いな質問だと言うことは重々承知している。
承知しているがそう問いかけるのは一種の見栄だ。
タマはわからないと首を横に振る。
「『情報』だ。ハンターが武器で武装するよう俺たち商人は情報で武装する。それは相手が人間でもモンスターでも一緒だ」
俺は立ち上がりながらタマの頭をなでた。
「『ハンター』をここまで導く手段を思いついた。だけどそれには時間がかかる。だから、それまでもう少しだけ逃げるぞ。あとちょっと頑張れるかタマ?」
タマは今度ははしっかりと頷いた。
「よし。それじゃあ鬼ごっこの再開だ!!」
商人の戦い方ってやつを見せてやる。
***
時間だ。
ここからは時間を稼ぐことが一番重要になってくる。
だがそれが一番難しいと言うことは十分わかっている。
ゴア・マガラの索敵範囲外にこの程度のダメージで逃れられたのは一種の奇跡。
そう何回も起こることではない。
「……よし。多少ふらつくが走る分には問題なさそうだ。タマ、ここからはお前自分で走れ。またさっきみたいに不意打ちを食らえばお前も巻き込まれるかもしれない。いざとなったらお前だけでも逃げられるようにしとけよ。あとこれも渡しておく」
そう言って財布ごとポーチを渡す。
「ご主人……」
「勘違いするなよ。これは少しでも軽くするためにお前に渡すだけだ。俺たちは生きてユクモ村に帰るんだ。だから絶対落とすんじゃないぞ」
財布にはタマ一匹ならしばらくの間くらいなら、生活できるだけの金が入っている。
これがあれば俺に何かあっても数日は食いつなぐことができるだろう。
「さあ行くぞ、タマ」
「にゃ……」
タマはなんだかんだで頭が良い。
先ほどの俺が言ったことの裏の意味くらい察しているだろう。
だから何も言わないし問い詰めもしてこない。
非常に助かる。
「ぐ……!! ゲホッ!! ……ゲホッ!!」
鱗粉を吸い込んだのか……。
ゴア・マガラの野郎、もうここまで鱗粉を広げてきたか。
「急ぐぞタマ!! 今から逃げる場所は水辺が近くにあり見晴らしのいい場所だ!! そこまでだ!! そこまで逃げ切るぞ!!」
俺とタマは全力で駆け出した。
タマは俺を気遣ってか並行するように走り、しきりに俺の方を確認してくる。
やっぱり俺の強がりはばれていたか。
本当はあのダメージが足に来ていて、今は無理やり足を動かしているような状態だ。
だが足を休められるわけもない。
足掻けるだけ足掻いてやる。
「死ぬ気になればできないことなんてない!! そうだ!! 死ぬ気になれば俺だけのハーレムを作ることだってできるんだ!! 俺は諦めんぞタマァァァァァ!!」
「流石ご主人にゃ!! この場面で心配していたことが馬鹿らしくなるようにゃ発言ができるのはご主人くらいなもんだにゃ!!」
「よっしゃ!! まだ冗談が言える!! 冗談が言えるうちはまだまだ大丈夫だ!! うぉぉぉぉぉ!!」
松明の火が消えないよう慎重にだが高速で走る。
この火を消すわけにはいかない。これが消えたら『ハンター』を呼ぶための「あいつら」を集めることができない。
これは俺たちの命綱だ。
後方から木々を薙ぎ払いながら突進してきているのだろう倒壊音が聞こえてくる。
もう見つかったか。
だが振り返ることはしない。
前だけを見て走る、ただそれだけだ。
倒壊音に混じって微かな破裂音と微弱な閃光が木々の影を照らし出していることに気が付いた。
ここまでは考え通りの流れ。
仕掛けの種はまけている。だが肝心の目的地に着かなければすべて意味をなさない。
目的地。
水辺のある開けた場所。
つまり渓流の北部。森を抜けた先にある大きな河川付近だ。
そこに着けば生き残れる可能性が高まる。
あと少し、あと少しなんだ!!
だが、俺は失念していた。
それに気が付いたのはあの風切り音を聞いたその瞬間だった。
「ご主人!! 危ないにゃ!!」
しまった。
振り返ったその瞬間黒い影に生えた五本の鋭利なそれが眼前に迫っていた。
ゴア・マガラはいつの間にかまたも滑空し俺たちを追いかけ、そしてまたもや墜落するような速度で爪を俺に振りかざそうとしていたのだ。
「にゃぁぁぁぁぁ!!」
今度はタマの声。
タマは体ごと俺の顔面に体当たりしてきた。
すでに足がフラフラな俺は抵抗をできるわけなくそのまま横転した。
空を切る死神の鎌。
行き場を失ったその破壊は固い地面を抉った。
「ご主人大丈夫かにゃ!? 五体どこもなくなっていにゃいかにゃ!?」
「ありがとう……タマ」
そう声を出すがもう正直体は動きそうになかった。
松明の火も今のやり取りで消えてしまった。
ゆっくりと俺たちの方に体の向きを向けるゴア・マガラ。
その漆黒の体を幾多もの淡い冷光が皮肉にも幻想的に照らし出していた。
そして、またもやあの狼のような咆哮が聞こえてきた。
ああ……河川までもう目と鼻の先だったのか……。
「ご、ご主人……。オ、オイラが時間を稼ぐにゃ。だからもう少し頑張るのにゃ……」
タマは俺とゴア・マガラの間で震えながらも対峙しようと立ちはだかろうとしていた。
「バーカ……。もういいんだよ……。いいからお前はそこをどけ」
自分でも驚くくらいに声が出なかった。
体全体から力が抜けていっているようだった。
「諦めるにゃよご主人!! 諦めるにゃんてご主人らしくにゃいにゃ!!」
地を蹴るような地鳴りが聞こえてくる。
「……だからもういいんだって。もう俺たちは十分頑張った。だからさ、後は……」
ゴア・マガラは口へ鱗粉を集めブレスを形成し始めていた。
黒い鱗粉はウイルスの塊となり禍禍しく肥大化していく。
ウイルスブレスを放とうとしたその刹那、森から飛び出してきた発光する生物がゴア・マガラの巨体を吹き飛ばした。
「……『ハンター様』にお任せしよぜ? タマ?」
ゴア・マガラを吹き飛ばした生物。
二本の角を有し、翠の甲殻が体中を覆い、その体毛はおびただしくも神々しい雷を身にまとったモンスター。
そのモンスターと共生している『超電雷光虫』の群れはまるで同士を殺された敵を討とうとしているかのように昂っているようだった。
「ご主人……。まさかご主人が言っていた『ハンター』って……」
「テヘッ♡」
「ご主人!?」
『雷狼竜 ジンオウガ』またの名を……。
『狩人』(ハンター)。