「暇っすねぇー」
「そうねえ]
そうマスターがいつもの決まり文句を吐く。まあやること、行くべきダンジョンはしっかりとあるので本来なら暇ではないはずであるが、エキドナはもちろんのことメタトロンも徐々にだらけたムードに毒されてしまっているようである。
「何かすることないかなあ」
「うーん…難しいわね」
それどころかダンジョンに行くことも提案しないので、いよいよパーティとは何だったのか、まで問いただしたいところである。
まあまだヴァルキリーがいれば話は別かもしれないが、あいにく今は自主トレに行っているため小屋にはいない。
「そうだ」
エキドナが小さく呟き、メタトロンの近くに歩み寄る。
「ねえメタトロン、ちょっと耳かして」
「何かしら」
「………………!…………!!」
「………………!!」
「…………!………………!!!」
自分には聞こえないまでも2人が何かを話し合っている状況に、マスターはいじっていたスマホから視線を2人へと移す。まあ女子同士の会話なので口出しはしないわけだが。
「ねえマスター」
「ん?」
どうやらひそひそ話は終わったらしい。何を話していたかは別に気にならないので特に聞くことはしなかった。
「ちょっとやりたいことがあるんだけど」
「おお!なになに」
おそらくこのことについて相談していたのだろう。それでようやくまとまった的な。ダンジョン以外でやることを探していたマスターにとっては嬉しい限りであった。
「実はマスターにやってもらいたいことがあってね」
「おう、なんだ」
「じゃあまず手順を説明するね、まずマスターにはソファに寝てもらいます」
「寝ていいの? 昼寝的な?」
「あー正確には寝たふりをしてもらいます」
「ほう」
「そしてそこにヴァルキリーがきます」
「はい」
「そこでマスターに『ヴァルキリー…』と本人の名前を呟いてもらいます」
「寝言か」
「終わり」
「はい?」
エキドナがやりたいことの手順?を聞いていたが、やることが少ない上に結局何をしたいのかが全くマスターには伝わらなかった。
「何それ、名前を言えばいいってこと?」
「そうよ」
「じゃあヴァルキリーが帰ってきた時に直接言えば良くない?」
そう行った瞬間エキドナが「ぶふっ」と吹き出した。
「帰ってきた時って、あんたバカねえ。それじゃあ普通じゃない、意味ないわよ」
よく飲み込めてない上に知らないけどバカと言われ、理不尽な扱いを受けるマスター。エキドナが声を出して笑っている後ろでメタトロンもクスクスと笑っていた。
「面白いことを言うじゃない」
「いやだから狙いはなんなんだよ。寝てるふりをしてまで言う理由は」
そんな2人の様子に若干マスターはイラっとする。
「うーん…強いて言うなら…」
エキドナは顎に手を当て、少し間をおいてから言う。
「彼女の気持ちが少しは分かるかもしれない、かな」
「ヴァルキリーの気持ち?」
「うん、だって………」
そこまで言いかけて止める。先ほどの発言からも明らかであるように、おそらくマスターはヴァルキリーの気持ちに気づいていない。
彼は鈍感である。ヴァルキリーがいったいどんな反応を示すか分からないが、自分自身で気づいて欲しい。
だからこそ今言う必要はないとエキドナは思った。
「だって?」
「いや、やっぱりなんでもない!まあきっと面白い反応するから!ドッキリよ!ドッキリ!」
「なんだそりゃ、でも面白そうだからやってみるか!」
「決まりね」
そんなわけで唐突なドッキリ企画が始まった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「ただいま帰りました〜」
自主トレを終えたヴァルキリーは小屋に帰宅し、扉を開く。特に返事がなかった。
「みんなどこか行ってしまったのかしら」
そう言ってリビングに向かうとソファに横になって寝ているマスターの姿があった。
「あ、マスター…ってお昼寝してるんですね…起こしてしまうのも悪いですしそっとしておきましょうか…」
ヴァルキリーはマスターの向かいのソファに
腰をかけて、紅茶を飲む用意をする。
ダンジョンに入り浸っている訳でもないので疲れはないはずだから、この昼寝ただの自堕落生活の一面ではあるが、彼女も慣れっこであった。
「…………………………」
それでも最近はエキドナやメタトロンが一緒に居るので2人きりというのは久しぶりである。なんだか出会った当初に戻ったかのような懐かしさを感じながらヴァルキリーは紅茶を啜る。
「……………………」
にしても静かである。太陽の光が部屋の一部に差し込む昼下がり、彼女はマスターをじっと見つめていた。
何かしたいけど邪魔は出来ない。もし眠りが浅かったらどうしよう。そんなことを彼女は考えていた。
「…………………」
「…………ま、マスター、寒くないですか? 毛布をお持ちしましょうか?……」
気に障らない程度の内容を小声で言ってみる。一瞬体がわずかに動いたが、すっかり寝ているようだった。
「……一応かけておきますね」
そう言ってヴァルキリーはマスターの元に歩み寄り毛布をかける。そうすることで近くに寄れる、彼女なりの理由づけだったのだろう。
「……………マスター……」
彼女からしてみたら、今は突如現れた願ってもないチャンス。この間の海で出来なかったことを今なら大丈夫。2人もまだ帰ってくる気配はないので今しかない。
そう思った彼女は徐々に唇を近づけていく。
「(ちょっとだけ、軽くなら大丈夫なはず!)」
「……………」
そんなあと少しまできたその時。
「う、うーん……」
「!!?」
ヴァルキリーは思わず仰け反る。
「………ヴ…ヴァルキリー……」
「!!ひゃい!ご、ごめんなさい!」
マスターは起きていたのだ!だから私が顔を近づけたことに気づいていた。そう思ったヴァルキリーは即座に謝る。
「も、申し訳ありません! これは…その…つい…出来心であって………本当にごめ……」
そこまで言いかけて、ちらっとマスターの方に顔を上げたヴァルキリーは不思議の念に駆られた。
マスターはすやすやと寝息をたてて寝ているではないか。では今の自分の名前を呼んだのは何だったのか。
「ま、ますたー?」
おそるおそる呼びかけてみる。返事はない。寝ている。
じゃあ今のって……
「………………」
しばらくまた静寂が続く。
すると寝ているマスターがおもむろに口を開き
「…ヴァルキリーよくやった……」
「!!!!」
途端に彼女の疑問は確信へと変わった。マスターは今、私といる夢を見てるんだ!と。
「あ、ありがとうございます/////」
ついお礼の言葉が出てしまう。ヴァルキリーの顔は溢れんばかりの笑みで満たされていた。
となるともう一つの疑問が。
「…そこにはマスターと私の2人だけですか?」
ヴァルキリーは寝ているマスターに質問する。
「………ああ…」
「!!!//////」
ということはマスターと今も夢でも2人きり。それを想像して、ヴァルキリーは天にも登ってしまうようだった。
今考えると、寝ている人が返事をするおかしな状況を作ってしまったマスターの失態であるが、今の彼女の気にしていない様子を見るに結果オーライだったのかもしれない。
彼女はうっとりとした表情を浮かべて彼を見続けていた。
「!!」
ヴァルキリーは大事なことを思い出した。今だったら!今の状況だったらあれを聞けるかもしれない! 聞くしかない!と。
一息深呼吸をして間を置く。
「………マスターは私、ヴァルキリーのことをどう思っていますか?」
言った! 言い切った! そのマスターの返事を聞くだけ!彼女は次の彼の発言に全力で耳を傾ける。
「……俺は……」
「俺はヴァルキ「ただいま!!」
それは突如遮られた。扉を開けたのは外出していたエキドナとメタトロンだった。
少しの沈黙。
「……………エキドナさん…メタトロンさん……お帰りなさい…」
「ふう…い、いやー…最近ヴァルキリーが自主トレ頑張ってるからさ! うちらも頑張ろ!って思ってね! ね、メタトロン!」
「あ、ああ…」
「………それは…お疲れ様です」
「あれ?マスターまだ寝てるの?ほら起きて起きて!」
今回の企画のエキドナは寝ているフリをしていたマスターの体を叩いて起こす。
「……ん? お、おう」
「………………………」
その場に流れる微妙な雰囲気。そして沈黙。
「さーてそろそろ晩ご飯の準備でも…「エキドナさん」
「今、ちょうど帰ってきたのですか?」
「……ええ、そうよ」
「私の目を見て言って下さい。今、帰ってきましたか?」
「………………」
エキドナは黙って俯く。
「…………聞いていたのですか………前みたいに………」
「……………………」
「………見ていたのですね……前みたいに……」
「……………そしていいタイミングで出てきて邪魔しようとした」
「ち、違うわ。そうじゃ…「そうじゃないですかああー!!!」
エキドナの声を遮り、ヴァルキリーの悲痛混じりの声が響き渡る。
「……どうしてっ………」
「…………………………」
「……どうして邪魔をするのですか………」
「応援してくれるんじゃなかったのですか………」
「………どうして…………」
「…………見損ないました……」
彼女は泣いていた。それはマスターにもしっかり見てとれた。
直後、ヴァルキリーが出ていく音だけが小屋に響いた。