心の永住者   作:黒猫withかずさ派

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第64話/第65話

 

 

 

 夏の太陽光がほどよく入るリビングは、この部屋の持ち主たちの性格をよく反映されていて心地よさを感じられる。いうまでもなく、おもに春希の性格を色濃く反映させているのだろう。

 エアコンで空調管理がされているとはいえ、視覚から得られる涼しさは、穏やかな生活感からくるものなのかもしれない。

 二人だけの生活。きっと冬馬かずさがニューヨークに来た事さえプラスに働いたのだろう。

 この三人がこの先どうなるかなんてわからない。ましてやわたしがどうしたいとか、どうなってほしいかなんて考えた事もない。ただ、春希達が幸せになってくるんなら、それでいいかなと思っている。

 …………悲劇の結末だとしても、それはそれで面白くはあるんだけど、それは春希によくしてもらっているわたしとしては、今の和泉千晶の立場からすれば御遠慮してもらいたい結末ではある。

 本来ならわたしという異物を弾きだしそうな閉鎖的な空間であるはずなのに、わたしがこの二人だけの空間に居心地の良さを感じられるのは、春希が一人で住んでいたマンションの影響もあるだろうが、春希の実家での生活が春希らしさを感じ取ってるからなのかもしれない。

 春希が電話でも言っていたが、今日は自宅で仕事をしているようだ。げんにリビングには二人分のパソコンといつくかの資料が置かれている。

 そしてわたしをリビングまで案内してくれた春希とはいうと、すでにぐったりとした様相で、ペットボトルの水を飲んで一息ついていた。

 

「なあ千晶。最初から千晶がくるってわかっていたら、わざわざ急いで部屋を片付ける必要なんてなかったんだぞ」

 

「ひっどぉ~い。わたしだったら汚い部屋でも出迎えてもよかったっていうの?」

 

「そうじゃないって。見ての通りここで仕事をしていたんだけど、部屋の隅に積んである資料は、夏目ジュリアさんがくるっていうものだから急遽片付けたものなんだよ」

 

「べつにいいじゃない。和泉千晶ちゃんが来てあげたんだから」

 

「わかってないようだから言っておくが、わざわざ仕事を中断したってことをお前に伝えようとしていてでだな……」

 

「それは悪かったって思っているわよ」

 

「それにな、千晶が来るってわかっていたら軽く食べるものくらいは用意していたと思うぞ」

 

「ほんとっ? 春希の料理って久しぶりだからなぁ……。春希のことだから料理の腕もあげてるんでしょ?」

 

「それはどうだろうな? 自分では手際が良くなったくらいしかわからないから」

 

「じゃあわたしが審査してあげるって」

 

「できればそう願いたいところだったんだが、誰かさんは玄関を開けるまでニューヨークに来る事を黙っていたから、食事の準備なんて全くしてない」

 

「え、えぇ~……」

 

「お前が悪いんだろ?」

 

「そうだけど、そうだけどさぁ」

 

「それに、事前にニューヨークに来る事を教え得てもらえていたら、仕事だって終わらせていられたかもしれないんだぞ。空港にだって迎えに行けたかもしれないし」

 

「だってされじゃあ面白くないじゃない」

 

「仕事をかき乱される方のことも考えろと言いたくてだな」

 

「春希、もういいじゃない。仕事のほうも一息つこうと考えていたところだし、もう使わない資料を片付ける事ができたと思えば悪い事ではないわ。和泉さんだって春希を驚かせようとしただけでしょうし……。ただ、春希がどう反応するかを読み違えただけよ」

 

 ちょっとぉ、麻理さん。わたしを助けてくれるのは嬉しいんだけど、さりげなく私の方が春希のことを知ってますって自慢してない?

 おそらく本人は無自覚なんだろうけどさ。

 

「そうですか? 麻理さんがそういうのなら……。とりあえず千晶も飛行機疲れただろ。荷物はここに置いておくからソファーに座れよ」

 

「ふぁ~い。でも、仕事の邪魔しちゃったのはごめん。春希たちの仕事の姿勢知ってるのに」

 

 わたしが演劇にのめり込むように春希達も仕事にのめり込んでいる。幾分わたしののめり込み具合は常軌を逸していると声が上がってはいるけど、春希達も人には迷惑はかけてはいないだけで、わたしと似たようなものなのよね。

 だから、仕事を邪魔されて嫌な気持ちになることはすっごく理解できてしまう。

 

「大丈夫よ。本当に休憩をしようと思っていたところだから」

 

「ほんとに?」

 

「麻理さんがいう通り、いつもなら休憩に入る時間帯でもあったから気にしなくていいぞ」

 

「そっか。じゃあ気にしない」

 

「いつまでもうじうじしているのは千晶らしくないから、今みたいにふてぶてしい方が扱いが楽だしな」

 

「わたしが明るい方がいい理由については再考を求めたいんだけど、まっいっか」

 

「それはそうと、なにから聞いたほうがいいんだろうな?」

 

「そうね。千晶さんには聞かなければならない事が多すぎて困ってしまうわね」

 

「とりあえず、その髪の毛の色は染めたのか? よく似合っていてはいるとは思うぞ。化粧のせいとあるとは思うけど、モニターから見た画像だと千晶だとはわからなかったからな。玄関まで来て直接見たらどうにかわかるくらいだったし」

 

「そうね。私はいつもモニターでしか会った事はなかったけど、和泉さんだとはわからなかったわ」

 

 春希たちの反応はこんなものかな。もっと盛大に驚いては欲しいけど、春希と麻理さんに求めてもしょうがないか。こういうのは劇団の団長とかにやるのが一番面白いのよね。

 さて、見たいものはみられたし、かぶり物はとるとしましょうか。

 

「あっ、かつらだったのか」

 

「ブルネット、よく似合うわね。……目の色は、色つきのコンタクトかしら? ちょっと色素が薄いわよね?」

 

 麻理さんは興味深げにわたしの目の覗きこんでくる。同性だし恥ずかしい気持ちなんてないけど、こうも真っ直ぐに見つめられるとこそばゆくはある。

 

「元々髪の色素も薄くて茶色っぽくもあったから違和感なかったんだと思うよ。まあ、春希が言う通りメイクしたり、雰囲気を作ったりもしていたからわたしだって気がつかなかったんじゃない? 一応これでも役者だしさ。あと、この服もカツラも日本から用意してきたんだから、その辺の苦労はねぎらってほしいところね」

 

「無駄な所は頑張るんだよな……」

 

「無駄じゃないって」

 

「どこがだよ?」

 

「こうして春希と麻理さんを驚かせることができたじゃない」

 

「それが無駄な努力だっていうんだよ」

 

「えっ、そう? 麻理さんも?」

 

 わたしの問いに麻理さんも春希と同じような苦笑いを浮かべてしまう。

 しょうがないか。天才が考える事はいつの時代でも凡人には理解できないのよね。ここはわたしのほうが折れるかな。

 

「あと、夏目ジュリアってなんなんだよ?」

 

「夏目ジュリア? 誰それ?」

 

「千晶が俺に名のった名前じゃないか。わざわざ偽名まで使って……」

 

「あぁそれね。適当に思い付いただけだよ。夏目っていうのは今が夏だったからで、ジュリアっていうのは、空港でわたしが電話するときに隣で抱き合っている巨漢カップルの女の方の名前かな。すっごく濃厚な抱擁で、さすがアメリカって思ったものね」

 

「それでジュリア……?」

 

「……うん? まあそんなかんじかな。それとも他の名前がよかった? 名前なんてわかればいいんだし、適当でいいんじゃない?」

 

「千晶がそれでいいんならそれでいいと思うぞ。俺の方からは何も言わないよ」

 

「そう?」

 

 まだなにか言いたそうだったけど、別にいっか。どうせ使い捨ての偽名だし、気にするようなものでもないしさ。

 きっと春希の事だから、アメリカサイズの太り過ぎた女性の名前でいいのかってことを気にしているんだろうけど、偽名を使ったらわたしが太るわけでもないんだから気にする必要ないんじゃない?

 

「名前はわかったけど、綺麗な英語を話すのね」

 

「麻理さん、ありがとう。英語を覚えるのはけっこう苦労したのよね」

 

「千晶って、大学での英語の成績は悪かったよな?」

 

「よくはなかったかな」

 

「だよな。じゃあ俺がニューヨークに行った覚えたのか?」

 

「そういうことになるかな。英会話自体はすぐにできるようになったんだけど、発音のほうが苦労したかな? 苦労ってほどでもないか? なんていうか訛りが混ざらないようにするのをチェックするのが面倒だったっていうか、話す事自体は問題なかったんだけどねぇ」

 

「それにしてもほんとうに綺麗な英語ね」

 

「その頑張りを大学でも発揮してくれればと思わずにはいられないな。ほんの少しでも頑張ってくれていれば、俺も楽できたんだけど」

 

「大学では英語なんて必要じゃなかったから覚える必要なんてないじゃない」

 

「必要だろ。英語の講義もあるし、ほかの講義でも英語の資料とか使っただろ」

 

「そうだっけ」

 

「そうだったんだよ」

 

 春希は心底疲れたぁって顔をするけど、その顔を見るとほっとしてしまう。

 大学時代、わたしが春希に頼るたびに見せてくれた顔だからかな。

 春希からすれば、面倒事に出会ってしまったときに見せてしまう顔だから、きっと迷惑に思ったに違いないけど。

 

「あっ、そうだ。佐和子よ、佐和子」

 

「佐和子さん?」

 

「佐和子さんならニューヨーク行きのチケットとか用意して貰ったけど?」

 

「違うわよっ。さっき玄関でレディコミがどうのって話になったじゃない」

 

「あぁ……、そんな話もしたっけ」

 

「あなたがしたのよっ」

 

 麻理さんも顔を真っ赤にするくらいなら、話を蒸し返さなければいいのに。春希の方もその辺の事情がわかっているみたいだから何も言わないみたいだけど。

 

「で、どうなのよ?」

 

「麻理さんって、けっこう根に持つタイプなんだね」

 

「誰のせいよっ」

 

「まっ、いっか。じゃあ話してあげるからソファーに座って落ち着きなって。せめて顔を赤くしているのくらいは鎮めたほうがいいよ」

 

「……もう、誰のせいよ」

 

 こういうのが春希の好みなのかな?

 顔をそらしながらも視線だけは春希に向ける恥じらいを見せる姿っていうの? やっぱこういういじらしくも初々しい女がいいのかな。

 案外春希って典型的な女が好きなんだよね。一見屈折していそうな女であっても、根は女の子っていうの?

 冬馬かずさも風岡麻理もそんな感じかな。

 

「じゃあ、話すね」

 

 

 

 

 夕方ということもあって、人気チェーンカフェの中は人であふれている。運よく手にした二人掛けのテーブル席の一方に荷物を置き、テーブルにはコーヒーではなくドーナツが二つのったお皿が置かれていた。

 別にカフェだからコーヒーを飲まなくてはならないわけでもない。げんにフルーツ系の氷を砕いたジュースを飲んでいる客もそれなりにいる。だから、わたしがコーヒーを頼まなくたっておかしくはない。

 コーヒーの代りにジュースを頼んだのではなく、コーヒーの代りにドーナツを頼んだだけなのだから。

 だからわたしは、コーヒーの香りを楽しみながら本を読んで待ち人が来るのを待っていた。

 一つ目のドーナツがすべて収まった頃ようやく来た佐和子さんからのメールは、仕事で予定よりも来るのが遅くなるとのことだった。

 これだったらドーナツじゃなくてコーヒーにすればよかったと内心愚痴を洩らしそうになってしまう。コーヒーだったら飲み終わってもカップが空かどうかはわからない。でも、ドーナツだと、食べてしまえばお皿が空になってしまうのよね。

 どちらにせよ、長々とカフェの椅子を占領する事には違いはないけど。

 そして、ちびちびと食べていた二つ目のドーナツが半分くらいまで減ってしまった頃、ようやく佐和子さんがカフェに訪れ、本を読んでいたわたしに声をかけてきた。

 

「おまたせぇ……って、なにを読んでいるのよっ」

 

 本から顔をあげ、見上げる先には顔を赤らめた佐和子さんがいる。時計を見ると、約束の時間から1時間半ばかり過ぎ去っていた。

 

「ん? 今度の舞台の参考資料ってところかな? それよりも、走ってこなくてもよかったのに。最初から時間には遅れるかもっていっててくれていたからさ、ちゃんと時間潰す用意してきたから問題ないよ」

 

「遅刻してきた事は謝罪するわ。でもそれよりも和泉さん。なにを読んでいるのよ」

 

「ん? 本だけど?」

 

「本を読んでいるのはわかっているわ。問題はなんの本を読んでいるかっていうことよ」

 

「これ?」

 

「ちょっ! 広げないでよっ」

 

「どうして?」

 

「どうしてって、わかるでしょ?」

 

「ううん、わからないんだけど?」

 

 なにを慌てているんだろ? どうも事態がつかめないんだよね。佐和子さんに会うのはこれで数回目になるけど、いままでは普通の人だと思っていたんだけどなぁ。

 やっぱり春希や麻理さんの知り合いってわけで、普通じゃないのかな? 

 それはそれでわたしとしては面白くて楽しくて愉快なんだけど、そんなことを言ったら春希や麻理さんはもちろん、目の前にいる佐和子さんも怒りそうだよなぁ……。

 

「ほんとうにわからないの?」

 

「ほんとうだって」

 

「一応聞くけど、今読んでいる本は?」

 

「これ?」

 

「そうよ。それと、ページを開かないでくれるとありがたいわね」

 

 もうっ。顔を引きつらせるような事をわたししたかな? 本当にわからないんだけど。

 

「わかったわよ。それよりも佐和子さん」

 

「なにかしら?」

 

「座ったら? 立って大声だしているほうが目立っちゃうよ? あっ、椅子に置いてあるわたしの鞄は適当に床においていいから」

 

 佐和子さんは椅子に置かれているわたしの鞄をやんわりと持ちあげると、丁寧に床に置き、そのまま空いた椅子へと座る。

 そして、手に持っていたコーヒーをテーブルに置くと、一人分のコーヒーとドーナツのセットが完成っと。

 

「座ったわよ」

 

「そうね」

 

「そうねって、それだけ?」

 

「えっと、なんだっけ?」

 

「はぁ……、北原君が言っていたことは本当だったようね」

 

「春希が何か言ってたの? どうせ千晶と関わるとろくな目にはあわないとかでしょ?」

 

「はぁ…………、そうよ、その通り」

 

「盛大なため息は拍手と思っておくね」

 

「もういいわ。そもそも北原君があなたを押し付けてきた事が問題だったのよ」

 

「そうかもね」

 

「今度北原君に会ったら借りを返してもらう事にしておくわ」

 

「そのほうがいいと思うよ」

 

「あなたにいわれたくないわよっ……って、この本よ、この本。なんてものをカフェで読んでいるのよ。しかも人が多いこのカフェで」

 

「この本?」

 

「そうよ」

 

「あぁ、この本は借りたんだ。今度の舞台の役作りでね。そこの鞄の中にも他にも借りた本が何冊か入っているからさぁ、重くて重くて。佐和子さんが来るまでに2冊読んだんだけど、まったく面白くないんだよね。どこが面白いか全くわからないくて。あっ、見てみる? 鞄に入っているの勝手に見てもいいよ」

 

 わたしがそういうと、佐和子さんは仕方がないといった感じを装いながらも私の鞄の中身を確認しだした。

 私とは違って羞恥心があるのか、鞄の中を覗き込むだけで本をテーブルの上に広げたりはしない。

 別にわたしに全く羞恥心がないってわけでもない。テーブルの上に出して読んだとしても、表紙と題名からでは内容はわからない。それに、もし内容がわかるっていうんなら、このレディコミの読者ってことになり、わたしではなくて、わかった本人の方が恥ずかしいってものだ。

 

「けっこうあるのね」

 

「まあ、ね。劇団の女連中の持ち物なんだけど、けっこうみんな隠れて読んでいるみたいね。……でも、何が面白いかまったくわからないのが問題なんだよなぁ。ねえ佐和子さん」

 

「なにかしら?」

 

 わたしの呼びかけに何か勘づいたのか、佐和子さんの返事には警戒心が混じり込んでいる。

 ……その警戒、間違いってわけではないからしゃくだけど。

 

「なにかお勧めない? まったくレディコミを理解できなくても役は演じられそうだけど、それでもわかっているほうがいいわけなのよねぇ。だから……」

 

「私は暇なときに置いてあれば読む程度で、自分から買おうとは思わないから役には立たないと思うわよ」

 

「そっか、佐和子さんはわからないか」

 

「役に立てなくてごめんなさいね」

 

「じゃあ、佐和子さんの友達のお勧めなら教えてもらえるんだよね?」

 

「はい?」

 

「だって、暇なときに部屋に置いてあれば読むって言ったよね?」

 

「たしかにそういったわね。でも、なんで私の友達が持ってるって思うのよ?」

 

「簡単だって。そもそも気を許した相手じゃなければ、こういった本を無造作に置いておくわけないって。まっ、気を許した相手であっても普通は無造作に置いておく事もないだろうから、よっぽどそういう方面に関しては開放的な人か、それとも部屋が散らかっている人になってしまうんだろうけど」

 

「春希君がいう通り、よく人を見ているのね」

 

 私の推理に佐和子さんは驚きを見せるが、すぐに称賛に変化する。ただその称賛も、わたしの次の言葉によって苦笑いに変化してしまったが……。

 

「性分なんで。……でさ、麻理さんが好きな本のタイトルを教えてくれない?」

 

「えっ?」

 

「佐和子さんが読んだ本って、部屋が汚い人が持ち主だよね」

 

「どうしてよ?」

 

「推理とかしたわけでもなくて、ただ単に佐和子さんの友達でこういう本を持っていそうな人が麻理さんしか思い浮かばなかっただけだって。少なくとも誰かの部屋で読んでいるわけでしょ?」

 

「……ごめん、麻理」

 

「大丈夫だって。誰かに言ったりしないから」

 

「それは心配してないわ」

 

「わたしって意外と信頼されてる?」

 

「その逆よ」

 

「逆?」

 

「たしかに人には話さないでしょうけど、麻理には言うんでしょ?」

 

「どうしてわかったの?」

 

「和泉さんにとってそれが一番面白いかなって思っただけよ」

 

 佐和子さんはそう呟くと、つまらなそうに顔を背けた。

 でもさぁ、佐和子さんもそう思ったって事は、佐和子さん自身も面白いと思ったんじゃないのかなぁ?

 

「まっ、いいじゃない。どうせ麻理さんをおちょくることがあったとしても春希がらみだし、そのときは春希がフォローしてくれるって。そうなれば麻理さんも春希に手厚く介抱されて喜ぶと思うよ」

 

「はぁ……。麻理の言う通り、考え過ぎると駄目なのかしらね」

 

「そうそう。気楽に行こうよ」

 

「わかったわよ」

 

「で、一応もう一度聞くけど、お勧めの本ってある?」

 

「えっと……、この本が面白いって言ってたわね」

 

 後で買いに行こうかなって思っていたら、なんてこともない。佐和子さんが示す本、つまりは麻理さんんお勧めの本は、ちょうど私の鞄の中に入っていた。

 

 

 

 

 

「って、感じだったかな」

 

「佐和子のやつぅ……」

 

 ちょっとした小芝居をまじえつつ、当時の事を思い出しながら演じてゆく。

 自分を自分で演じるのは案外難しい。自分を客観的に見ている人なんていないのだから当たり前か。

 春希にとっても和泉千晶はどうみえているのかな? きっと面倒な奴って思っているんだろうけど、まあいいか。それでも面倒をみてくれているんだから感謝しなくちゃね。

 佐和子さんの出来はまあまあかな? 麻理さんも嫌な風にはみていなかったようだし。

 しかし、麻理さんも最初こそは佐和子さんのことを懐かしそうに聞いてはいたが、話が進むにつれて顔を赤めていってしまった。

 春希の方はそんな麻理さんに対してどう接していいのかわからないようで、ただただ沈黙を続けるしかないみたい。それに、ここでわざとらしく春希が介入しても、わたしの餌食になるだけなんだけどね。

 だから春希。なにか面白いことしてほしいなぁ。

 

「佐和子さんも悪気があったわけじゃないし、いいんじゃない?」

 

「あなたが言うかなぁ?」

 

「わたしだからこそだって。それに、佐和子さんと一緒にこの本買ってきてあげたんだから感謝してよね。こっちじゃ売ってないんでしょ? でもほんとうはもう買ってあるとか? わざわざ日本から取り寄せるなんて、よっぽど好きじゃないとできないよね」

 

 そういいながらわたしが差し出したものは、いわるゆレディコミ。

 しかも麻理さんお気に入りのシリーズであり、カフェで佐和子さんと待ち合わせた時に教えてもらった本でもある。

 表紙は、……まあ、ふつうなのかな? よくはわからないけど、見た目だけではそういった内容なのかはわからないと思う。絵柄は綺麗だし、本屋に置いてあってもジャンル分けしてなかったら気がつかないはずかな。

 春希はというと、ぽかんとしながら本を見つめている。内心どきどきなはずだけど、どう対処していいかわからないという点では、今の表情と一致しているかな。

 そして麻理さんはというと、予想通り過剰なまでの反応を見せてくれている。今にも逃げ出しそうなくらい顔を赤く染め、両手を震わせていた。

 

「買ってないからっ」

 

「そっか、買ってなかったんだね」

 

 勢いよくわたしにくってかかってきたのものの、わたしがあっさり引き下がったものだから、麻理さんの体から力が抜けていく。そして一度かき集めたエネルギーをどう発散すべきかと戸惑っているかんじでもあった。

 その一方で春希ときたら何を思ったのか、身を固くして警戒レベルをあげたようだ。

 …………でも正解。

 春希のその反応正解なんだな。

 

「そうよ。私は買ってないわ」

 

「そうだよね。さすがに最新刊は買ってないよね。アメリカじゃあ売ってないだろうし、日本から取り寄せるにしても春希と一緒に住んでいたんじゃ難しいよね。しかも一日中べったりと二人でいる事が多いみたいだから、なおのこと隠し事は困難を極めるよね」

 

「和泉さん?」

 

「素直になろうよ。だって麻理さんがこの本を読んでいるの知ってるんだからさ。それともこの本処分しちゃってもいい?」

 

「かまわないわ」

 

「ほんとうにぃ?」

 

「本当よ」

 

 わざとらしく下から覗きこむように麻理さんを見上げると、さすがに羞恥心が満ち溢れているようで、麻理さんは逃げるようにわたしから視線をそらす。

 そのそらした視線の先には当然のように春希がいるわけで、日ごろの習慣というか、春希を信頼しているっていうか、春希に頼りきっているっていうのがよくわかってしまった。

 まっ、今回は春希にさえも見せたくない事実であったわけで、麻理さんは春希と目があった瞬間、逃げるように視線を自分の膝に移したんだけど。

 

「じゃあ春希読む? わたしは舞台が終わっちゃったからこれいらないし、べつに手元に置いておきたいわけでもないんだよね」

 

「いや、俺は……」

 

「内容としては春希も楽しめるんじゃないかな? 年上の女上司が若い部下と同棲するっていう話だし、親近感もわいて楽しめるんじゃない? もしかしたら今後の参考にもなるかもよ?」

 

「えっと、その……」

 

 さすがに春希も手を出せないか。そりゃそうよね。なんたって麻理さんが今にも泣きそうだもん。

 

「は、春希ぃ……」

 

「俺は読みませんから。ほら千晶。麻理さんも困ってるだろ。ちょっとやりすぎだぞ」

 

「わかったわよ。はい、麻理さん」

 

「え?」

 

 わたしは処分に困っていた本を麻理さんに差し出す。

 麻理さんはその本を目の前に差し出されて困惑しているみたいだけれど、これが最善かな。

 

「わたしが持っていてもしょうがないし、捨てるにしても春希には見せたくはないでしょ? ほら、教育上よくないっていうかんじ? だから麻理さんが処分してくれると助かるかな。わたしが日本に持って帰ってもいいけど、そうすると、いつ春希がこっそりと盗み出して読むかわからないしさ」

 

「俺はそんなことしないって」

 

「ちょっとぉ、春希は黙っててよ」

 

 ほんのちょっときつめの顔を作り出し、春希を会話の外へと追いやる。

 でも、ちょっとかわいそうだったかな。なんだか子犬が飼い主の不機嫌さに脅えているっていうのかな。

 

「わ、わかったって」

 

「で、麻理さん。どうかな? 麻理さんが処分してくれると助かるんだけど」

 

「わかったわ。私が処分しておくわ」

 

 麻理さんは渋々と本を受け取る。なんというか、ちょっとばかりやりすぎたかな?

 ほんとうはもっと軽い感じで冷やかすつもりだったんだけど、あまりにもラブラブすぎてね。しかも、当の本人たちは無自覚だし。

 だから、今回だけは麻理さんをフォローしておいてあげよう。だから春希。許してね。

 

「まっ、内容としては春希の秘蔵コレクションには及ばないマイルドな感じだったかな。過激な描写はほとんどなくて、ストーリー重視だったから、レディコミの中ではおとなしめっていうの? 役作りのために渡されたレディコミのなかでは面白かったと思うよ」

 

「そう?」

 

「ストーリー自体はありきたりだとは思うし、わたしが似たような題材で脚本作れって言われたら見向きもしないで断るとは思うけど、それでもなんていうか、あったかい。そう、ほのぼのした内容だと思うな」

 

「なんだかんだ言っても千晶も読んでいるじゃないか」

 

「だから読んだっていったじゃない。これでも女優よ女優。役作りのためにはなんだってやるって」

 

「すまない」

 

 やばっ。まだ春希に対しては刺々しさを解除してなかったわ。なんだか可愛らしく震えているから、抱きしめてあげたいかも。

 …………自分で虐めて、自分で慰めるって、なんだかなぁ。

 でも、最後の仕上げがあるから、それが終わるまでは許してね。

 

「でもさぁ、過激さっていうの? 女も男も変わらないよね」

 

「千晶?」

 

「だってさぁ、春希秘蔵のコレクションを見た時は、春希も男の子なんだなって思えるような趣味だったけど、女も澄まし顔をした顔の下には春希と同じような狂気があるんだもん」

 

「千晶っ、お前……」

 

「春希っていつもはまじめですぅって感じだけど、やっぱり頭の中はエロい事も考えているわけじゃない? だからさ、人間本質はみんな同じなのかなって」

 

「おい千晶」

 

 春希がなんか言ってきているけど、ここは無視しかないでしょ。

 というか、ここは春希がピエロになってくれないと麻理さんがかわいそうでしょうよ。

 

「でもさぁ……、春希の趣味って変わってるよね。アブノーマルとまではいかないけれど、あれはちょっとひいちゃう人もいるんじゃない?」

 

「おい千晶ってば」

 

 無視ばかりしていたものだから、春希ったら今度は実力行使?

 わたしの両肩をつかみ揺さぶるその姿には、理知的な様相は吹き飛び、いわるゆ年相応の男にしか見えない。

 焦っているし、本人も自分の行動を客観的には判断できてはいないのだろう。

 まあ、後ろめたい事があるからしょうがないかな。

 だってなにも後ろめたい事がなかったんなら、わたしの戯言を突っぱねればいいだけだしさ。そうすれば、ここにはわたしと麻理さんしかいないわけだから、当然ながら麻理さんは春希の主張を信じるはずだ。

 つまり、春希が焦っている時点で、自白しちゃったんだよ、春希。

 

「ん? なにかな北原春希君?」

 

「まずはその憎たらしい顔をやめてくれ」

 

「これはデフォルトだから無理」

 

「じゃあ、その挑発的な発言をやめてほしい」

 

「挑発的?」

 

「そうだろ?」

 

「まっ、春希からしたら挑発的かもね。だって、春希がニューヨークに来る前に日本で証拠はすべて消去しているはずだしね」

 

「千晶?」

 

 わたしの肩を掴んでいた両手から力が抜け落ち、その手のひらはわたしの腕をするするっと滑り落ちていく。そしてすとんと両手が宙に放りだされると、春希の体が一回り小さくなってしまった気がした。

 

「裁判の判決とか雑誌の記事とかだと証拠が大事だよね。裏付けがない情報なんて嘘だってはねつけられちゃうみたいだし」

 

「千晶、さん?」

 

「わたしがパソコンに詳しかったらデータを普及できるかもしれないけれど、そんなのは無理だし、もしかしたらパソコン本体は無理でもハードディスクくらいは交換しているかもしれないのよね」

 

「和泉、さん?」

 

 だんだんと涙声になってきてない? 泣くような事かなぁ? ほら、性欲って人間の三大欲求の一つだし、悪い事ではないと思うよ。

 ………………春希を追い詰めているわたしが言うのはどうかとは思うけど。

 

「でもさ、もし春希の家に寝泊まりとかして、寝泊まりとまでもいかないまでも頻繁に春希の家に行く事があったとして、そして春希がその相手にパソコンを貸してあげたりする事もあったりしたら、どうなのかなぁ? ほら、よくあるデータのコピーとか?」

 

 ………………あっ。

 

「大丈夫だって。いくらわたしでも春希の秘蔵コレクションをコピーしてないわよ。ほら泣かないでよ。ねっ、ねっ、春希ちゃん」

 

 やりすぎちゃったかな?

 床に崩れ落ちるその春希の姿に、さすがのわたしも戸惑いを隠せない。

 このままだとやばくない? 最悪、麻理さんに追い出される気もしないでもないし。

 

「本当に春希の秘蔵コレクションのコピーはとってないから安心してよ。春希がマンションから実家に戻ってくるときに綺麗に消去したじゃないの。だから、ね。ほら。データはないんだよ。春希のマンションでデータを消しちゃったから、もうないの。わかる?」

 

「あのね、和泉さん」

 

「麻理さん、なに?」

 

「それ、全然フォローになっていないわよ。むしろとどめを刺したというのかしら?」

 

「げっ……」

 

 床には死体が…………、ではなくて春希の目から生気が消えかけていた。

 ごろんと床についた両手がみょうに哀愁を語っていて、この私でさえどう対処していいかわからなくなってしまう。下手すれば春希に必要もないトラウマさえ植え付けてしまいそうだ。

 …………なんとかしなくちゃやばい。

 それは麻理さんも同意見だったらしく、麻理さんはわたし以上に真剣に春希のフォローに入ろうとしたいた。

 

「大丈夫よ。春希も男なんだし、エッチなことに興味がない方が不健全よ。だから、そのね。元気出して」

 

「……麻理さん」

 

 こいつぅ。わたしには無反応だったくせに、麻理さんには反応するって、なによ。

 

「そうだよ春希。黒いストッキングが好きだなんて、ちょっと趣味が偏っているように思えるけど、それ以外は普通だよ。うん、SMとかに走っちゃっていない分健全だと思うな。だから春希。落ち込む必要はないから」

 

 わたしもわたしなりにフォローをしたつもりだったのだけれど、わたしの発言を機にふたりの視線は麻理さんの足へと向かう。

 正確に言えば、太ももからふくらはぎかな。

 わたしもふたりの視線につられて麻理さんの脚を見てみたが、これといって変わっている箇所はないと思えた。麻理さんはくるぶしまである靴下にスリッパを履いていて、どこにでもある組み合わせだと思う。

 まあ、今日は自宅で仕事だと言っていたわけだから外行きの服装ではないはずだ。もし外で会っていたらそれなりの服装はしていたはずだけれど。

 …………まさか?

 

「もしかして、麻理さんって普段黒いストッキングを愛用しているとかしてないよね?」

 

 あっ、沈黙。

 でも、麻理さんのはにかんだ笑顔が私の予想が当たっていると結論付ける。

 麻理さんが普段どんな服装をしているかは知らないけど、黒いストッキング愛用かぁ。

 そりゃあ麻理さんは喜んじゃうよね。

 これは麻理さんには言わないけど、言ってしまうと春希をさらに追いこんじゃうわけなんだけど、別に春希秘蔵コレクションは黒いストッキングばかりってわけでもなかったんだよね。

 黒髪ロングの綺麗な人が基本って感じだったかな。

 それで、年上のお姉さんって感じが半分。あとの半分は、目つきがきっついとういか、まあ冬馬かずさ系なんだろうけどさ。

 

「えっとぉ、その。春希、ごめんね?」

 

どうにもおもっ苦しくて面倒な気配が春希から溢れ出てくる。焦燥とでもいうのだろうか。さっきレディコミの時は麻理さんが逃げ出そうとはしてはいたが、あれはある意味パフォーマンスなんじゃないかって勘ぐってしまう部分もある。

 同性の女であるわたしからすれば、ちょっと恥ずかしい事実を彼に見つかってしまい照れているって感じであり、いわば甘えている、とさえ言い変えてしまう事ができる。

 なんていうのか麻理さんがそういった駆け引きができる人ではないとは思うので、ナチュラルでやってしまっているところが末恐ろしくはあるのだが。

 一方春希といえば……、崖の前で立っている自殺志願者? かなり大げさな感じではあるとは思うけれど、どうもこの表現がしっくりしてしまう。

 深刻になやんでいる春希には悪いけど、たぶん麻理さん、喜んでると思ううよ?

 うん、なんていうか…………、うん、死んじゃえ。

 そうしないと、こっちが悶え死ぬじゃないのよ。

 

 

 

 どのくらいの時間を待ったのだろうか。

 何度か二人に声をかけて場の雰囲気を変えようとしてみたものの、どうやらわたしでは力不足だったらしい。わたしが爆弾を投下したわけで自業自得ではあるが、この桃色の甘ったるい空気、じわじわとわたしの精神を削っていく。

 春希も春希で、最初は絶望していますっていう顔をしていたくせに、麻理さんの甘ったるい雰囲気にのまれちゃってさ。だらしがないんだから。

 そんなわけで、わたしは拷問に等しい時間を甘んじて受け入れていた。

 そして、甘い沈黙をやぶったのは当然というか麻理さんであった。

 

「それより春希」

 

「なんです?」

 

「わたしにも水をくれないかしら? 喉が乾いちゃって」

 

「あっ、はい」

 

 麻理さんの要請に、春希は自分が持っていたペットボトルを麻理さんに手渡す。そして麻理さんの方も、最初から春希からペットボトルを受け取るつもりだったのか、一直線に春希の手へと手を伸ばした。

 

「ありがと」

 

「いえ」

 

 短く言葉をかわした麻理さんは、緩く締めてあったペットボトルのふたを開け、そのまま口をつける。そして中に入っていた水を喉に流すことで、ようやく面倒な来訪者の襲来に一息つけたようでもあった。

 

「ん? 千晶、どうかしたか?」

 

「ううん、なんでもない。けっこういい部屋に住んでいるんだなって思ってただけだって」

 

「そうだな。俺が自分の財力だけで維持しなければならないとしたら無理だよな。こればっかりは麻理さんに頼りっぱなしでなさけないよな」

 

「今はしょうがないんじゃない? 春希も頑張ってはいるんでしょ?」

 

「頑張るのは当然だからな。麻理さんも頑張ってるから、俺がいくら頑張ろうとなかなかその差は埋まらないから焦ってしまうときさえあるんだぞ」

 

「たしかに」

 

「春希は自分のペースで成長していけばいいのよ。それに、今年からは春希も家賃を入れてくれているじゃない」

 

「ちょっとだけで申し訳ないと思っているんですけどね」

 

「そんなことはないわ。私の方が……ね」

 

 麻理さんは申し訳なさそうに渋い顔をすると、手に持っていたペットボトルを春希に返した。

 

「わたしも喉が渇いたんだけど」

 

「悪い。今用意するからちょっと待っててくれ。水でいいか? 炭酸がはいってるのもあるけど?」

 

「じゃあ炭酸入りの方で」

 

「わかった、ちょっと待ってろ」

 

 キッチンの方に消えていく春希の後姿を見送ると、わたしは春希が置いていったペットボトルに目を移す。

 たしかにこの部屋はいい部屋だと思う。日当たりも良さそうだし、昼寝をするには最高な場所だとさえ思える。

 だけど、わたしが目にとめていたのは日当たりがいいリビングではない。その部屋に住んでいる北原春希と風岡麻理の関係に意識が向かっていた。

 春希が飲んでいたペットボトルの水を麻理さんがそのまま飲む。

 中学生じゃないんだから、今さら間接キスがどうとか騒ぐつもりはない。

 麻理さんに張り合うわけでもないけど、日本にいた時はわたしも春希の飲みかけの飲み物を奪い取ることはしょっちゅうあった。奪い取らなくても、飲みたいっていえば、新しいドリンクを用意してくれるか、新しいのがなければ飲みかけのものをくれることもあった。

 だけど、今春希と麻理さんの間にあるような自然なやり取りは構築できてはいなかったと思う。

 大学在籍時代にわたしと春希が付き合っていると宣言したとする。たぶんうちの学部の人間だったら、やっぱり付き合っていたのか。ようやく付き合う事にしたのかなど、わたしと春希が付き合っていると「思ってくれる」だろう。

 もちろん大学の外でわたしが春希にじゃれついているところを他人が見れば恋人だと勘違いしてくれるとは思うが、春希と麻理さんの関係はわたしと春希の関係の上をいっていた。

 今リビングでドリンクの受け渡しをしたような春希と麻理さんの関係を見れば、春希たちのことを知らない人間であっても春希と麻理さんが付き合っていると「思ってしまう」だろう。さらには夫婦であると「思ってしまう」人間も少なくないはずだ。

 恋人に近い関係と恋人そのものの関係には大きな差がある。別に麻理さんに嫉妬しているわけではない。

 ただ、こうも近すぎる麻理さんと春希の関係は、冬馬かずさと春希のことを少なからず知るわたしとしては、麻理さんに多大な心配を抱いてしまう。

 演劇でよく陥ってしまう錯覚。恋人を演じた役者が本当の恋をしてしまったと錯覚して実際に付き合ってしまうというあの現象。

 わたしは役にのめり込む方だけど、劇は劇だと割り切っている。でも、付き合ってしまう役者がいても悪い事ではないと思ってはいる。まあ、他人事だから気にも留めないっていうのが実情だけど、これで二人がうまくやっていけるのなら問題はない。

 もちろん別れてしまったのなら、やっぱり劇が陥らせてしまった錯覚だったんだなって思うだけ。

 でも、麻理さんと春希は、そんな劇が演出する錯覚の上をいっている気がしてしまう。もうすでに夫婦とか恋人とか。嘘ではない事実になっているような……真実。

 だからわたしは麻理さんを心配してしまう。北原春希と風岡麻理、そして冬馬かずさの真実をあらためて突き付けられた時、麻理さんは大丈夫なのだろうかと、心を痛めずにはいられなかった。

 

 

 

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