ゆったりと風が舞い、細やかな雨粒を運んでくる。新緑をめいっぱい広げた木々からこぼれる雨粒は、今日も湿気をまとわりつかせ不快にさせる。
でも、エアコンが効いたこの部屋の中だったら関係ないのだけれど。
「ねえ春希ぃ。ヨーロッパにいこっ。フランスでいいからさ」
「何言ってるんだよ、かずさ」
「ピアノは湿気に弱いんだって。音だって悪くなる。しっかりとしたレッスンをする為にはフランスがいいって」
「だったら曜子さんがいるウィーンでいいんじゃないか?」
「…………いや、フランスでいい」
「はいはい。また喧嘩したんだな。早く仲直りしておけよ」
「うっ……」
「それに、明日も先生のレッスンがあるだろ?」
「だったら先生も一緒にフランスに行けばいいじゃないか。先生も最近フランスに帰れないでいたし、ちょうどいい。なっ、そうだ。だったら今から飛行機のチケットをとってよ春希」
「どうせ逃避行をするんだったら、飛行機のチケットくらい自分でとるくらいの努力はしような」
「と、とれるって! 飛行機のチケットくらい。…………たぶん」
湿気を含んだ長い黒髪は、いつもに増して艶やかさを醸し出している。重く暗い黒髪であっても、マイナスの雰囲気は一切ださない。
これが冬馬かずさだと言わんばかりのオーラが、梅雨の憂鬱ささえ色気へと変換させてしまう。
「はぁ……。わざわざフランスから日本にきて、かずさのレッスンをしてくれる先生を失望だけはさせるなよ?」
「レッスンはしっかりしてるよ。日本に残って春希と一緒にいる選択をした時はピアニストとしては母さんに勝つことは諦めはしたけど、……でもさ、先生があたしのピアノを聴いてレッスンしてくれるって言ってくれた時はどうにかなるかもって思ったんだ。だから、ピアノだけはしっかりやるよ」
「でも、よくかずさが先生を受け入れたな。俺はてっきり曜子さんがよこした人だと思っていたから無理だと思ってたんだよな」
「あっ。それだったら最初からその線はないってわかってたから」
「どうしてだよ?」
「だって、母さんと先生は昔っから仲が悪い事で評判だからな」
「そうなのか? だったらよく曜子さんが許したな」
「たしかに仲は悪いんだけど、ピアノに関しては尊敬しているらしいよ」
「それでも曜子さんがかずさを任せるなんて意外だな」
「まぁ、あたしがへたな演奏したら先生に皮肉をたっぷりと言ったりするからなぁ」
「は、は……。かずさも大変だな」
「たしかに大変かもしれないけど、あたしが選んだ道だから」
「…………かずさ」
「……春希」
女らしさを極限まで具現化された肉体が絡みつく。
うっとりと潤んだ目はゆっくりと閉じていき、吐息が混ざり合う距離まで重なってゆく。
「………………うっ、ごっほん」
「千晶っ?」
「あっ、ごめん北原。私も起きてた」
「麻理さんまでっ?」
「えっと、私も起きてます。すみません」
「杉浦まで?」
私も麻理さんに続いて名のりあげる。
うっすらと瞼を開けてラブシーンを見ていたのは、どうやら私だけではなかったようだ。
「まっ、仕方がないんじゃない? おあついお二人は、梅雨んなんで関係なしに真夏に突入だもん」
「いってろ」
「はぁ~い。言ってますよぉ」
「はいはい。どうやら俺は真夏にいるらしいから夏休みって事なんだろうな。てことは、レポートもテストも終わってるから、千晶の手伝いも終了しているはずだな」
「…………はっ!? 春希。今は梅雨だよ。うん、今も雨降ってるし」
「はいはい、わかったよ。だったらお前も今出ているレポートやろうな」
「ううぅ……」
今日もいつものように北原先輩のマンションに集まって、いつものように五人でのんびりしている。
かずささんは北原先輩の彼女さんだから当然として、千晶さん、麻理さん、そしてこの私はお邪魔虫であったりするんだけど、ふたりとも出て行けとは言わないでいてくれる。
きっとみんなこの雰囲気が好きなんだろう。
…………まっ、かずささんは、北原先輩を自宅に連れていってるときにめいっぱい甘えているんだろうけど。
だから、この北原先輩のマンションだけはみんなかずささんに遠慮なんてしないでいられる。
彼女だろうと、大学の同級生だろうと、バイト先の上司だろうと、大学の後輩だろうと、みんな北原先輩の友人であり、大切な仲間である。
……………………でもでも、この格差社会はなんなんだろう?
テーブルの上で、どんっ、て自己主張している3人の大きな胸。テーブルの上にのっけなくてもいいじゃない。
ちらりと下を向き、小さいながらも自己主張している儚いふくらみを両手で触れてみるが、やはり虚しくなるだけだよね。
顎を下げたまま目線だけあげてみると、かずささんがいつものように北原先輩の腕に自分の存在をこすりつけている。しかもそれほど大きくはないテーブルの一辺に二人が収まっているせいで密着度がかなりきわどい。…………これはいつものことだから、いっか。
仕方がなく視線をテーブルの真向かいに移動させると、麻理さんが今日も羨ましそうに北原先輩たちを見ていた。
「麻理さぁ~ん。寂しいんなら私がなぐさめてあげよっか?」
「和泉さん。いつも余計なお世話だって言ってるじゃない。黙っていてくれると助かるかな」
「そぉお?」
「そうよっ!」
いつものように千晶先輩が麻理さんをからかっているけど、私が介入するとこっちまで被害出るんだよね。だから麻理さん。ごめんなさい。
…………でもいいよね。だってそんなにも大きなお胸を持っているんだもん。
上着を着ていないせいか、…………しかもわざとかもしれないけど、黒のセクシーなブラが白いシャツから透けてるんだよね。
千晶さんも千晶さんで、絶対これ、ブラ付けてないよね?
「いたっ。いたいって、かずさ」
「ふんっ」
あぁ、やっぱりこうなるんだよね。いくら真面目な北原先輩でも、あの揺れ動く欲望には勝てないよね。
でもなぁ、なんで私だけ小さいんだろ。
…………はぁ。
テーブルの上に乗っけることなんてできない胸しかない私は、仕方がないから顎をのっけてため息をつくしかない。
「どうした杉浦? ため息なんてついて? なにかレポートでわからないところでもあったか?」
「いえ、大丈夫です。今のところは順調に進んでいますから」
「そっか。でも行き詰ったら聞きに来いよ。俺のレポートのデータを参考にしたっていいんだし」
「あっ、あぁぁ~。わたしもぉ、わたしも春希のデータ欲しいっ」
「なっ、何言ってんだよ千晶。お前の場合はレポートに取り掛かる前からデータ欲しがってるだろ」
「べっつにいいじゃない」
「全然違うからな。杉浦の場合は自力でやって、どうしてもわからない場合になってからしか助けを求めないから、千晶の他力本願の性格とはまったく違うんだよ」
「それでもいいじゃない。私のレポートがすばやく片付くんだし」
「それだとお前の為にならないだろ」
「ふぅんだ。なんだかんだいっても春希は助けてくれるから、いっかな」
「おまえなぁ」
「杉浦はこんな駄目な先輩みたいにはなるなよ。まあ、杉浦なら大丈夫か」
千晶先輩って、いっつも北原先輩と一緒だけど、うまい具合に甘えられていいなぁ。私はやっぱりかずささんがいるから、自然には甘えられないんだよね。
「…………あの、やっぱりレポートでわからないところがあるんで教えてもらえませんか?」
「ん? かまわないぞ。提出期日はどのくらいある? 時間がないんなら徹夜で手伝ってもいいんだからな」
「大丈夫ですよぉ。先輩に教えてもらう時間くらいの余裕はとっておいてありますから」
「そうか? でも、無理はするなよ?」
「はいっ」
北原先輩の手が私の頭をふわりと撫でる。
ちょっとしたスキンシップだけれど、甘えた吐息が漏れそうになるのを必死で抑えなければならなくなる。
それでも、口元がゆるんじゃったけど、このくらいはお愛嬌だよね。
ただ、前方からいつものように三つの冷たい視線が降り注いでいるようだ。
でも、もうすぐ夏が来るここでは関係はないよね。
end