久しぶりに見る笑顔に、つい私も笑顔になってしまう。
いつものように彼があの子の手を引っ張ってくるのかと思いきや、あの子も落ち着いてきたのか、しっかりと彼の腕につかまって、しとやかに歩いてくる。
あぁ、私も年を取ったのかなって思ってしまうが、それもしょうがないか。
「母さん、久しぶり。……って感じもしないか。なんだかんだ言って、声だけは聞いているんだし」
「なにその第一声。久しぶりの親子の対面で、しかも、なかなか日本に帰ってこない親不孝者の娘が、やっとのことで帰ってきたというのに」
「文句を言うんなら、べつにあたしは……」
「ねぇ聞いた、春希君。この親不孝者の言葉」
「いえ、かずさも本音では今回の帰国は喜んでいましたから」
「そう?」
さすがの私も片眉を上げつつも、義理の息子の言葉を信じないわけにはいかない。
その息子の片割れの様子を見ると、どうやら本当のようだ。
「なぁにその初心な反応。お母さんに会いたかったんなら、そこでもじもじしていないで抱き着いてもよかったのに」
「……うるさいっ!」
「曜子さんもその辺で。店員も困っているようですし」
「ん? ……そうね」
二人の後ろを見ると、水を持ってきたのであろう店員が、ちょっと困った顔をして私たちを見ている。
周りに見られていたのを意識してしまったのか、さらに顔を赤くしたあの子の姿を見て、ことさらに微笑ましくなってしまったのは、私の心の中にだけしまっておくほうが、これからの話をなるべくスムーズに(私基準ではあるけれど)すすめるためにはいいのだろう。
「すみません。えっと、コーヒー二つお願いします」
「あっ、春希。あたしはこの前のケーキも」
「じゃあ、一つは本日のケーキセットでお願いします」
「はい、わかりました。では、コーヒーをお一つに、本日のケーキセットをお一つ。奥様のコーヒーはカフェイン抜きでよろしいでしょうか?」
「それでお願いします」
「しばらくお待ちください」
そう言ってキッチンに戻っていく店員の後姿は、さっきまでの戸惑いはうかがえない。
さすが格式あるホテルといったところかしらね。店員の教育が行き届いているところじゃないと、最近のこの子の活躍を思うと、この子たちと会うにも苦労しちゃうのよね。
「すみません、遅くなってしまって」
「いいのよ。今の私には時間だけはあるから」
「そうだぞ、春希。この人の老後の楽しみと言ったら、あ・た・し・たちの活躍をテレビ越しで見ていることしかないんだからな」
「なぁにいっちょまえに世界で私、活躍していますって顔、してるのよ」
「事実だろ?」
「事実だけど、私も復帰してからは、ちょこっとだけだけどコンサートやってるのよ」
「……そ、そうだけど」
「お世話になった病院に、ちょっとでもお返しできたらって思ってやってるだけよ。だからあなたも、そんなにうろたえるんじゃないわ」
「ちがうってば」
ほんと、丸くなったわね。すっかり感情が表に出て。
これも春希君のおかげかしらね。
「かずさも時間が空いているときは、病院で演奏するようになったんですよ」
「そうなの?」
「…………」
「ねえってば?」
「…………そうだよ」
「うん、いいことじゃない?」
「まあ、さ。ほら、いろいろとあるだろ?」
「そうね」
どうもこの話題になるとしんみりしちゃうのよね。私も素直になったっていえるのかしら。
いくら病気が治っても、病気を経験すると性格も変わってしまうみたいね。
「えっとぉ、こんにちは?」
「美代子さん、こんにちは。あっ、もちますよ」
と、両手いっぱいのコンビニ袋を持った美代ちゃんこと、今でも私のお世話をしてくれる美代ちゃんが、空気も読まずにやってきてしまう。
そういう空気を読めないところが今でも結婚できない要因の一つだと、いつになったら自覚できるのかしら。
「ありがとうございますぅ」
「いえいえ。どうせかずさに頼まれたものですよね?」
「えぇ、まあ」
「やった! だから大好きだよ美代子さん」
「いえいえ」
現金なもので、どうせ中身はお菓子か何かなのだろう。
春希君よりも遅く反応しても、こういったお菓子類だったら最速の行動で獲物を捕りに行ってしてしまうのが、悲しき定めの我が娘。
……とコンビニ袋に突進すると思っていたら、場所をわきまえたのか、席を立たずに受け取っている。
うんうん。春希君もうまい具合に調教、もとい、しつけをしてくれているみたね。
「この前コンビニはしごしたときは、まったく売ってなくってさ。……っと、誰だよ、こんなにもおいしいお菓子を買い占めているのは」
「たぶん、かずさみたいなやつだと思うぞ。それと訂正するけど、コンビニをはしごしてまで探し回ったのは俺だからな。あと、まったく売ってなかったわけではなく、二個は買えたから」
「まあ、かずささんがインタビューの時に絶賛していたからだと思いますよ。あの放送後からコンビニから商品が消え、増産も追いつかないそうで」
「だとしても、……だとしても、あたしが買う分まで買うやつがあるかっ。こうしてヒットしたんなら、尊敬の念を抱きつつ、あたしの分は残しておくべきだ。うん」
「それは、まあ、かずささんが後ろにおられたら、買うのを控えてくれるかもしれませんが」
「それはそれで、騒ぎになると思うぞ」
「ですよねぇ……」
「うぅっ……」
ほんと、どこにいてもこのほのぼのさがいいわね。見ていて飽きないし。
ただ、やっぱり場所をわきまえて居られないのね。
「でも、でも、さっきのスポンサー契約で、お菓子をあたしを優先的に供給するっていう条項をいれたからな」
「ほんとですか、春希さん?」
「えぇ、まあぁ、その、なんというか、かずさが珍しく張り切って契約についてきているなと思ってたら、そういうわけで」
「だから、遅れてきたと」
「というわけです。すみません、曜子さん」
「んっ? べっつにいいわよ」
「そうそう、母さんには迷惑かけていないって」
「かけているわよ。げんに遅れてきたじゃない」
「違うって。道路工事してたから、それで遅れた分もあるから」
「いつまでも子供みたいなことを言わないの。あなた、どこで今の会話を聞いている人がいるかわからないのよ?」
「別にいいよ、そんなの」
「別にって? 春希くんが恥をかくわよ?」
「うぅ……」
「でも、ほんとうに工事は多いですよね」
「美代ちゃんも、あまりこの子をあまやかさないでいいの」
「そういうわけでもないですから、大丈夫ですよ」
「そうかしら? ……まあ、工事は多いわね。ちょうどうちの隣も建て替えなのか、工事中だし」
「そうですね。一応そのもう一軒隣も取り壊して、三軒分で一つの家を作る予定ですね」
「そうなの?」
「はい」
春希君のことを疑っているわけではないけれど、美代ちゃんに確認の視線を向けると、どうやら正しい情報のようね。
さすが春希くん?
実際家に暮らしていなくても、こっち情報は美代ちゃんからしいれているのかしら?
新しい家か。うちも古くなってきたし、建て替えてもいいかもしれないわね。
「というわけで、おばあちゃん。あたしを産んでくれてありがとう。この子もかわいがってくれるとうれしいよ」
………………なにがというわけよ。
見えにくくなった視界を閉じると、熱いものがこみあげてくる。
悪くはない。というよりは、最高にハッピー?
だけど、だけど、だけど……・・・・・・ねぇ?
「ちょっと、母さん」
「えっと、曜子さん。まだ確定ではなかったですし、いろいろと問題もあったので、すべてが片付いてから話そうといったのは俺のほうで」
ほんと、二人にはやられたわ。美代ちゃんも入れて三人かしら?
でも、いいサプライズね。
震える瞼の裏には、今ではまったくといって思い出すことなくなったこの子が生まれてくるときのことが浮かんでくる。
別に産んだことは後悔なんてしたことはない。
育て方を間違ったことは、一時かなり後悔したけれど、今ではいい思い出ね。
ただ、この子には世間では当たり前のことが与えられなかった。それだけは、ほんのちょっとだけ、心残りかもしれない。
でも、あの時とは違う。
瞼を開けると、笑顔に満ちた家族がそろっているんですもの。