心の永住者   作:黒猫withかずさ派

5 / 24
~coda 3

 

 

 

千晶 3月11日 金曜日

 

 

 

眠い・・・。静かに朝日が昇り始めたころ、私はようやくレポートの最終チェックを

終えることができようとしていた。

途中風邪をひくっていう私らしくもないハプニングもあったけど、

日頃の行いがいい私は、どうにかレポートを期日までに提出できそうである。

これもまるで春希のような修行僧生活をやってきたおかげね。

その修行生活での唯一の楽しみっていたら、春希が作ってくれる食事かな。

この生活が今後ずっと続くのだったら、いっそのこと本当に出家したほうが

ましだと思うのだけれど、春希の手料理を知ったからには出家なんてできないか。

さて、お~わりッ。レポート終わったぁ・・・。

窓の外にみえる朝日が、私を祝福しているようね。本当に私ったら、やればできるじゃない。

これもひとえに春希のサポートのたまものね。

と、一応テンプレコメントを思い浮かべてから、

私の横で気持ちよさそうにベッドで寝ている春希の上に飛び乗った。

 

春希「うっ! げほっ、げほっ・・・。なんだっ? え?」

 

千晶「お~きろ。ご飯の時間だって。春希言ったよね。

   レポート終わったら、私の好きな物を作ってくれるって言ったよね。

   ほらっ、お~きろ。ねえ、起きて、起きて、起きてって」

 

私のけたましい目ざましによって起きた春希は、若干涙目で、胸のあたりを痛そうに

していたけれど、ばっちし起きられたんだから問題なし。

もうね、食事の事しか考えられないのよ。

娯楽に飢えた私にとっての唯一のお楽しみタイム。

朝起こされたら普通は食事でしょ。

それなのに、この数日は朝起こされたらレポートの直しよ。

少し寝ぼけている頭に春希のお経みたいな呟きが頭に叩き込まれるんだから、

たまったものじゃない。

春希がバイトに行った後も健気にレポートに取り組んだし、春希がバイトから帰って来ても、

まだまだレポートをやっていたのよ。

この囚人生活もこれでお終い。

本日無事に釈放されるんだから、やっぱり好きな料理を食べたいじゃない。

 

春希「とりあえず俺の上から降りてくれないか?」

 

千晶「朝から、可愛い女の子が馬乗りになってあげてるんだから、

   男としたら喜ぶ場面じゃないの?」

 

春希「たしかに、好きな女の子に馬乗りに起こされたのならば喜ばしいかもしれないけど、

   俺は節操なしじゃないからな。特定の女子の以外は遠慮してもらいたいものだ」

 

千晶「え? 特定の女の子って私? もう、春希ったら、朝から強きねぇ」

 

春希「どこをどう解釈するば、お前の事を指すんだよ。断じて違うからな」

 

千晶「もう、冗談だって。わかっているわよ、冬馬かずさでしょ」

 

私のうまぁい流れからの指摘に春希は顔を背けてしまう。

う~ん・・・ちょっと強引だった? でも、事実だと思うんだけどなぁ。

 

千晶「冬馬かずさの実家のスタジオを自由に使えて、あの冬馬かずさの音源を手に入れて

   いるんだから、いくら私だって気がつくって」

 

本当は高校の学園祭ライブから知っていたし、最近の春希の変化は、

冬馬かずさの演奏の録画を見たときに気がついていたけどね。

あれ見たら、あぁやっぱりねって事情を少し知っていれば、誰だって気がつくもんよ。

 

春希「いつから気がついていたんだ?」

 

春希のお腹の上に馬乗りになっている私を見上げるその顔には、一点の曇りもない。

なにか無理やり閉じ込めていた思いを解放させたような決意がみなぎっていた。

 

千晶「高校の学園祭ライブのときからかな」

 

春希「はぁ? そのころってたしか、そのライブで初めて俺達の事を知ったって言ってたよな。

   以前俺に話してくれた話さえも嘘だったのか?」

 

千晶「嘘じゃないよ」

 

春希「でも・・・」

 

千晶「あぁ~、春希」

 

春希「なんだよ?」

 

千晶「あの時私、本当の事を話そうか真剣に悩んで、一大決心をえてようやく話したんだよ。

   しかも、あのとき春希に話しているときなんて、どんな舞台の上でも味わったことが

   ないほどの緊張感で、心臓がばっくばくいってたんだから。

   あの真剣な顔をした和泉千晶を見て、春希は疑っちゃうんだ?」

 

私はずいっと春希に顔を寄せると、なにやら後ろめたいのか、すすすっと春希は

私から視線を外した。

 

春希「・・・ごめん」

 

千晶「いいって。私は、それだけの事を春希にしてきたって自覚しているから。

   春希が最後の最後で私の事を疑ってしまうのも納得しているから大丈夫だって」

 

春希「ごめん。・・・でも、今すぐ無条件に和泉の全てを信じ切られるかって問われると

   躊躇してしまうのは事実だけど、そうであっても、和泉は俺にとって

   大切な友達だから。友達だから、今回みたいな事だって無条件で手伝ってるんだからな。

   ごめん。こんなこというのは卑怯だよな。ごめん、忘れてくれ」

 

千晶「ううん、忘れない」

 

春希「和泉ぃ。お前って、根に持つタイプだったんだな」

 

千晶「ううん、それも違うよ。私は、春希が言いたいことがなんとなくわかっただけ。

   だから、忘れてあげない。こう見えても、高校3年の学園祭の時から

   ずっと春希を見てきたストーカーなんだよ」

 

春希「ストーカーにしては、俺になつきすぎだな。なんだか餌付けまでされているしさ」

 

千晶「そうよぉ。なついちゃったんだから、最後まで世話しなさいよ」

 

春希「わかったよ」

 

千晶「うん、・・・・・・あっ、それで、いつから春希が冬馬かずさのことを好きだって

   知ったことなんだけどさ、高校の学園祭ライブを見てたら、なんかぴぃんと

   きちゃったわけ」

 

春希「直感みたいな?」

 

千晶「それもあるけど、あのライブで、あの3人の目線っていうの?

   一つ一つの仕草や息遣い。そういう動作をじぃっと見ていたら、

   あぁ、北原春希は冬馬かずさが好きなんだなって。

   そして、冬馬かずさも北原春希が好きだって、わかちゃった」

 

春希「あのころからかずさが俺の事を好きだって、あとになって俺も知ったけど、

   お前はあのライブを見ただけで理解したっていうことなのか?」

 

千晶「うん、まあね。あと、小木曽雪菜が春希に恋心を抱いていたのもわかっていたよ。

   そうね、冬馬かずさと小木曽雪菜の恋心は、お互いの恋心を知ってたみたいだけど、

   知らないのは想い人たる北原春希だけだったみたいだけど」

 

春希「はぁ・・・。当の本人が知らない事を、こうもあっさりと看破するだなんて

   和泉ってすごいやつだったんだな」

 

千晶「なにその無駄な能力もってるんだなっていう目は。

   さっき私の事を大切な友達だって言っていた人だよね?」

 

春希「そんな目はしていないだろ」

 

千晶「そうかなぁ?」

 

私は、さっき春希に詰め寄ったとき以上に顔を接近させると、うろたえる春希をにらみつける。

鼻と鼻とが触れるくらいまで詰め寄り、じぃっと春希の瞳を覗き込んだ。

小刻みに揺れ動く春希の眼球は、春希の動揺を如実に表していた。

だから、私は・・・。

 

春希「うわぁっ!」

 

春希の鼻筋をつつつぅっとぺろりと舌でなめ上げると、春希は私がのっかっているので

逃げられないってわかっているのに後ろに逃げようとする。

 

千晶「なになに? かんじちゃった?」

 

春希「んなわけあるか。いきなり何やってるんだ」

 

千晶「あまりにも春希が緊張しちゃっていたから、少しほぐしてあげようかなって」

 

春希「緊張を和らげるんだったら、他にも効果的な方法がたくさんあるだろ」

 

千晶「例えば?」

 

春希「例えば・・・・、えぇっと・・・・」

 

千晶「ないじゃない」

 

春希「今はパニクって思い付かないだけ。和泉が俺の心をかき乱したせいで

   冷静な判断ができないだけだ」

 

千晶「意外と春希もうぶなのねぇ。いやいや、見た目どおりうぶなのか」

 

春希「俺の事はどうだっていいだろ」

 

千晶「それもそうね」

 

春希「ふんっ・・・」

 

ちょっとは緊張は解けたかな?

やっぱり冬馬かずさと小木曽雪菜のことを話すと、春希は身がまえちゃうんだね。

私のお尻の下にある春希の腹筋が強張っちゃったんだよね。

あと、顔の筋肉もやや重みを増して表情が堅くなったしさ。

でも、若干拗ねちゃったみたいだけど、これなら話を続けても大丈夫かな。

 

千晶「で、さ・・・。学園祭ライブの事は、もういいの?」

 

春希「あぁ、あとはこの前話した事に繋がる感じだろ。

   俺達のライブを見て脚本を作っていた。

   その為に俺に近づいてきた。・・・・・・だろ?」

 

千晶「まあね、そんなとこ。

   でも、私が春希に手篭めにされるだなんて思ってなかったけど」

 

春希「手篭めになんかしてないだろ。いつ俺が和泉に手を出した?」

 

千晶「手篭めにしたじゃない。おもいっきり餌付けして、離れられないようにしたくせにぃ」

 

春希「だったらリハビリも兼ねて、今すぐリリースしてやる。

   レポートも終わった事だし、今日からは自分で食事を用意するんだな。

   そうすれば、2,3日もすれば俺の食事も忘れられるさ」

 

千晶「そんなのは、む~り~・・・。お腹すいてもう動けないぃ。

   ご飯作ってくれないんだったら、このまま春希の上から動かないから」

 

春希「このまま和泉が俺の上にのっていたら、ご飯作れないぞ。

   それでもいいのか? 俺は和泉との約束を守る為に、昨日材料も買ってきて

   あったんだけどな」

 

千晶「ほんとにっ?」

 

私が春希に詰め寄る振動で、春希のお腹のあたりを強く押してしまった為に

春希は低く唸ったような気もしたけど、気のせいようね。

うん、気のせい。なかったことにしよう。

というわけで、私は素直に春希の上から退去することにした。

 

千晶「で、何を作ってくれるの?」

 

春希「まずは俺を踏んづけた詫びを入れることが大事だろ?」

 

千晶「べ~つにいいじゃない」

 

春希「よくない」

 

千晶「だって、春希って、尻に敷かれるの大好きじゃない」

 

春希「断じて違う。強く抗議するぞ」

 

千晶「そうかしら?」

 

春希「そうなんだよ」

 

千晶「で、何を作ってくれるの?」

 

春希「お前ってやつは・・・。もういいや。ナポリタンと親子丼だよ。

   和泉が俺のところに無理難題を持ちこんだ朝に食べたいって言ってただろ?

   あの時はナポリタンだけだったからな。

   だから、今回は両方作ってやるよ」

 

千晶「まじで? 春希って、実はいい人?」

 

春希「いい人がどうかはわからないけど、ここまで面倒すぎ和泉千晶にとことん付き合って

   やっている人間を、俺はいい人だと評価するよ。

   まあ、いい人っていうよりは、人がいいというか、苦労症なだけかもしれないけど」

 

千晶「そんな小さな事はどうでもいいって。

   さ、さ。早くご飯作ってよ。朝ご飯が私を待ってるんだから」

 

春希「でも、ほんとうに二つとも食べるのか?

   量を少なめにして二つとも食べるか?」

 

千晶「ううん。両方とも大盛りでいいよ。朝ご飯はしっかりと食べないとね」

 

春希「食べ過ぎてレポート提出に行けなくなっても知らないからな」

 

千晶「はぁ~い。気をつけますって」

 

私はうきうき気分で春希の着替えを手伝おうとしたんだけど、

春希のズボンに手をかけてあたりで部屋から追い出されたのは、どうでもいい話ね。

春希の下着姿なんて見たってなんともないのに。

それよりも、早くご飯にしろ~。

 

 

 

 

 

 

 

3月の上旬ともあって、大学構内に学生の影はない。

大学に来る途中に、サークルに所属していると思える一団が大学から去っていくのを

見たのが最後で、今この構内には私と春希しかいないんじゃないかって思いさえある。

ま、正門のところには守衛さんもいたし、さっきまで教授にもあってたんだから、

春休み中といっても、わりとたくさんの人が大学で活動しているのだろう。

あっ・・・、そういや劇団の方も公演前で忙しいって言ってたから、

今も徹夜続きで頑張っているかも。

きょろきょろと学内を見渡していると、春希はさっさと先をいってしまうから

私は春希に追いつくべく、てててっとその横まで駆け寄った。

日は頂点に昇りつつあり、3月のまだひんやりとした空気が肌を撫でる中、

太陽のやんわりとした温もりも感じ取れる。

すかっとする空気と、ぬくぬくぅってするまどろみがうまい具合に配分されているって

感じられてしまうのも、レポートを無事に提出出来たからに違いなかった。

風邪から復帰した火曜日から、私も春希も顔をあわすことがあっても

ほぼすべての時間をレポートに費やしていた。

もちろん春希はバイトもあるし、私の食事を用意しなくてはならないわけで、

私以上にやつれているようにも見える。

まっ、それも今日でお終い。

教授も、この分なら進級できるって言ってたし、あとは結果が出る今度の月曜日まで

待つしかないか。

あのおじいちゃんが一応は大丈夫だって言ってくれているんだし、問題ないよね?

春希も、問題があるんだったら、教授がレポートをざっとだけど確認した時に

なにか言っているって言ってたし。

というわけで、レポートを無事に終わらせた事を祝って、打ち上げだね。

もちろん会場は春希宅。

 

千晶「ねえ、春希」

 

春希「ん? なんだ?」

 

千晶「これから打ち上げパーティーするんだから、スーパーに寄ってから帰ろうよ」

 

春希「何を言っているんだ?」

 

千晶「なにって、レポートが終わったら、打ち上げパーティーしようって

   言ったじゃない」

 

春希「たしかにそんな事も言ってたと思うけど、俺は午後からバイトだぞ。

   だから、このままバイトに行く予定なんだけど」

 

当然の事を聞くなよっていう顔をしないでよ春希。

バイトなんて聞いてないわよ。

このうきうき気分、どうしてくれるのよ。

一応朝食を食べて満足はしているけれど、打ち上げパーティーは別バラでしょ。

私ががっくりと肩を落としているっていうのに、春希は私の事など眼中にないようで、

すたすたと私を置いて駅へと向かおうとしていた。

 

千晶「ちょっと待ってよ」

 

春希「用があるなら歩きながらでいいか?」

 

千晶「わかったから、そんなに早足で行かないでよ」

 

私の悲鳴に確認した春希は、私の歩幅に合わせるべく、歩く速度を緩めてくれた。

このまま腕にしがみついてやろうかしら。

なんて考えてはみたけど、駅の改札口をくぐる瞬間まで腕にひばりついて抵抗しても

春希の事だからしれっとした顔でバイトに行ってしまうんだろうな。

だったらここは次につなげる行いをすべきか。

 

春希「レポートも無事に終わったんだし、打ち上げするにしても今日じゃなくても

   問題ないだろ。急いでやるよりも、たっぷり時間があるときにした方が

   楽しめるんじゃないか?」

 

千晶「たしかに、たしかに春希の言う通りだけどさ・・・、打ち上げって今ある感動を

   分かち合うものじゃないの?」

 

春希「十分朝食の時に感動していたじゃないか。

   レポートが無事に終わって、バクバク俺の分まで食べていたのは、どこのどいつだよ」

 

千晶「それは、私の燃費が悪いのが問題なだけ。

   いくら食べても燃費が悪過ぎて、すぐにエネルギーが空になっちゃうのよね」

 

春希「和泉が空にしてしまうのはお腹だけじゃなくて、その頭もだろ。

   きっと今回のレポートの反省も、新年度が始まったころには忘れているんじゃないか?

   そして6月ごろになったら、また俺に泣きついてきそうだな」

 

千晶「それはないから大丈夫だって」

 

春希「どこにその根拠もない自信があるんだよ」

 

千晶「根拠がある自信がしっかりとあるにきまっているじゃない」

 

春希「へぇ・・・」

 

なによそのまったく信じていませんっていう目は。

あまりにもひどくない?

しかも、もうこの話は終わりって感じで興味を失って、歩く速度を若干あげてるし。

 

千晶「根拠ならあるんだから」

 

春希「はい、はい。わかってるって」

 

千晶「わかってないって。だって、春希が私の事をしっかりと面倒見てくれるんでしょ。

   だってだって、教授達にも私の進級条件として、春希の監視が含まれていたんだから」

 

数歩先を歩いていた春希は急に歩く速度を緩めたかと思うと、

唖然とした顔つきで私を見つめていた。

いくら三月でまだまだ寒いからといって、

顔の筋肉を凍りつけるほどは寒くないと思うよ、春希っ。

 

春希「そうだった。一番の面倒事を忘れていた」

 

千晶「なによそれ」

 

春希「事実だろ」

 

千晶「この前、私の面倒を見る事は、いやいややってないって言ってたじゃない。

   私が側にいる事も、春希にとってプラスに働いてるって言ってたよね」

 

春希「たしかに、そんなことを言ったと思う。

   たしかに、いやいややっているわけではないけど、一番の面倒事には変わりないだろ?」

 

千晶「まあ、たしかに面倒事には違いないか」

 

春希「だろ?」

 

千晶「それは、悔しいけど認めるしかないか」

 

春希「だったら、レポートも終わったんだから、俺を気持ちよくバイトに行かせてくれよ」

 

千晶「わかったわよ。でもなぁ・・・」

 

春希「なんだよ?」

 

千晶「本当に私って燃費が悪いのよねぇ・・・」

 

春希「だったら、なにか食べていけばいいじゃないか?」

 

千晶「わかってない。わかってないよ、春希さん」

 

春希「何がだよ?」

 

千晶「私の脳は、春希の食事を食べたいって悲鳴をあげているの。

   だから、他の食事じゃ満足しないの」

 

春希「散々合宿中に食べていたじゃないか」

 

千晶「レポートやってたんだから、食事だけに集中できていなかったのよ」

 

春希「その割には美味しい、美味しいって、毎回お代わりしていたじゃないか」

 

痛い所を突くわね。このままでは時間切れになってしまう。

大学から駅まではそれほど離れてはいないから、あと数分もかからないうちに

春希は改札を通り抜けて電車に乗ってしまうだろう。

さすがに電車に乗ってまで追いかけていく気力も作戦もない。

そもそも力づくで詰め寄っても、春希は首を縦には振らないだろうしなぁ。

 

千晶「それは、春希の料理が美味しいからしょうがないじゃない」

 

春希「そこまで誉めてくれるのは嬉しいんだけど、また今度な」

 

千晶「えぇ~。本当にお腹すいちゃってるのにぃ・・・。

   いくら食べてもすぅぐエネルギーが消費されちゃって、すぐに空になっちゃうのよね」

 

春希「その割には健康そうな体をしているじゃないか。

   レポートも終わったおかげで、顔色も絶好調そうだぞ」

 

千晶「むむ・・・」

 

もう改札口は目の前だった。

もう打ち上げパーティーは無理だってわかっている。

だけど、だけど最後に春希の鼻を明かしたい。

だって、なによその澄ました顔。

その顔をゆがめなきゃ、空になったお腹が報われないじゃない。

私は春希の前に躍り出ると、後ろ向きで歩きはじめる。

すると春希は、お優しい事に歩く速度を遅くする。

この辺の気遣いが春希らしいんだけど、今回はそれを使わせてもらうかなね。

 

千晶「そうなのよねぇ。燃費が悪いのって、この胸に栄養が流れていっちゃうからなのかな?」

 

春希「え?」

 

春希の意識が私の胸に固定されて、春希は歩くのさえ忘れてしまう。

私が胸を強調すべく両手で胸を寄せ上げると、ただでさえでかい私の胸は、

目の前にいる春希に突き出すような形で存在感を醸し出してしまったから。

 

千晶「ねえ、春希」

 

春希「なんだよ?」

 

赤くなっちゃって。顔を背けないことが最後の抵抗かしらね?

くすりと笑みを漏らしてしまいそうになるのを、必死で抑えて隠すのがやっとだった。

 

千晶「春希の食事をここ数日、ずぅっと食べていたじゃない」

 

春希「そうなだな」

 

千晶「だったら、春希が与えてくれた栄養は、どのくらい胸を成長させてくれたのかな?」

 

あっ。見事な赤面・・・。今までは女らしい武器は使わないようにしていたけど、

案外使ってみると楽しいわね。

ちょっとうぶすぎるって気もするけれど、これはこれで楽しいからいっかな。

 

千晶「ねえ、触ってみる? どのくらい成長した確かめてよ?」

 

ん、ん? 固まっちゃった?

やりすぎたかな?

 

春希「そんなの知るか? たった数日の食事で、劇的な変化をするわけないだろ」

 

そう負け犬のごとく捨て台詞を早口で言いきると、

春希は私の事を見ないように改札口の中に消えていった。

やっぱりやりすぎちゃったかな?

ごめんね春希。

新しい私と春希の関係って、うまくコントロールできないや。

駅のホームから聞こえてる電車の音が聞こえる。

この電車に春希はかけのったのだろか。

春希のてれまくった顔のまま電車に乗る春希を想像して、笑みを浮かべてしまう私であった。

 

 

 

 

 

 

 

3月11日。かろうじてだけど、今日はまだレポートを提出した金曜日だった。

それもあと数分で12日になっちゃうけど。

深夜という事もあって、マンション内はおろか、マンションの外であっても物静かな

時を進み続けている。

その静寂は、ほんのわずかな金属がこすれる音がしたとしても私の耳まで届けてしまう。

異変を察知した私は、足音を消し去って玄関前まで忍び寄る。

玄関の鍵が回され、ゆっくりとドアが開かれると、

私の前には呆れた顔をした春希が出迎えてくれた。

ううん、出迎えたのは私の方か・・・。

 

千晶「おかえり、春希っ」

 

春希「なんで和泉がいるんだ?」

 

千晶「なんでって、ここが春希のマンションだから?」

 

春希「そりゃあ、俺が住んでいるマンションなんだから、俺がここに帰ってくるのは

   当然だろ」

 

千晶「だから、ここが春希のマンションだから、私がいるんだって」

 

春希「待て待て。意味がわからない。もうレポートは終わったんだから、

   ここにいる理由はないだろ」

 

千晶「理由ならあるって。それもすっごく重要な理由がね」

 

春希「だったら、俺が納得できるような理由をお聞かせ願おうか」

 

なんだか春希、機嫌が悪い?

顔色もちょっと優れないように見えるし・・・。

 

千晶「だって、打ち上げパーティーやろうって決めたじゃない。

   だから春希が帰ってくるのを待ってたんだって」

 

春希「待ってたのはわかるけど、どうやってここに入ったんだよ?」

 

千晶「それは、合鍵貰ってるからに決まってるじゃない」

 

ちょっとちょっと、本当に春希大丈夫?

合鍵なんてレポートを春希んとこでやるからって合鍵もらったじゃない。

それを忘れるだなんて、よっぽどお疲れなのかな?

 

春希「そうだったな。でも、打ち上げは後日って事にしただろ。

   悪いけど、今から食事なんて作る元気はないぞ」

 

千晶「大丈夫だって。私が用意したから」

 

私は、大きな胸を突きあげるように胸を張って、私が作った料理を披露する。

そんなに広い部屋ってわけじゃないんだから、テーブルを見れば食事が用意されているのが

わかるっていうのに、春希ったら何を見てたんだろ。

それとも私が食事を用意したなんて思いもしなかったかい?

 

春希「これ全部和泉が買ってきたのか?

   これだけの量のを買ってきたんだとしたら、けっこうな金額になったんじゃないか?」

 

それはちょっと失礼な発言じゃない?

そりゃあ普段から金欠の私からしたら、こんな豪勢な食事を用意したとは思わないだろうけど

それでも少しは喜ぶとか、びっくりするとか、プラス方面の反応を先に示すべきでしょ。

それなのに最初に出てきた言葉がお金って・・・、春希も大概ね。

 

千晶「買ってきたんじゃなくて、私が作ったんだって。

   調味料とかは春希んとこのを使ったし、

   量はあってもお金はそれほどかかってないから安心してね」

 

春希「は?」

 

見事な間抜けっ面ね。人間、理解の範ちゅうを超える事象に直面すると

思考をストップさせちゃうのかしら。

こんな馬鹿っぽい春希って、初めて見るかも・・・これはある意味貴重なシーンかも。

 

千晶「伊達にエプロン付けてないって。

   で・もっ・・・、春希は裸エプロンじゃないと許せない人だった?

   だったら、今からでも準備するよ」

 

春希「いや、やめろ。服は着たままでいい。

   うん、似合っている。そのエプロン姿、似合っているから服は脱ぐなぁ」

 

春希ったら、慌てちゃって。手を小刻みに振りながら私を止めようとしなくても、

服なんて脱がないって。・・・だって、寒いじゃない。

裸になった私を温めてくれる人がいるんなら別だけどさぁ。

 

千晶「そぉお? だったら脱がないけど、でも脱いでほしかったらいつでも言ってね」

 

春希「思わないし、言わないから忘れてもいいぞ。

   それにしても、これ全部和泉が作ったのか?」

 

千晶「そうだって言ってるじゃない」

 

春希「でも、和泉って料理できたのか?

   いつも食事をたかってくるのは見ているけど、作っているは見たことないからさ」

 

千晶「あっ、やっぱり?」

 

春希「じゃあ、やっぱりこれは出来あいのを買ってきたのか?」

 

千晶「違うって、本当に私が作ったの」

 

春希「どう見たって、俺より料理の腕があるだろ、これって」

 

千晶「それは食べる人によるんじゃないかな。

   好みとかってあるし」

 

春希「そうかもしれないけど、見た目からして、相当な腕前だぞ」

 

千晶「そう? だったら、早く手を洗って着替えてきて、実際食べてみて

   確かめてみればいいじゃない」

 

春希「そうだな」

 

千晶「うん、春希が着替えている間に、料理温め直しておくね」

 

私は、笑みを浮かべながら手を洗いに行く春希を確認すると、

とりあえずスープを温めるべくガスの火をつけるのであった。

揚げ物類は食べる直前に揚げようと思っていたので、

春希が着替え終わっていても終わる事はなかった。

本当は春希にはテーブルについていてほしかったんだけど、

手伝ってくれるっていうんだから、一緒にやったほうが効率的。

それに、一人でもできるけど、二人でやったほうが楽しいっていうのもあるかな。

二人してテキパキとテーブルをお皿で埋めていき、

短時間で温もりに満ちた食卓を用意できたと思える。

とはいうものの、私の財布事情からして、いくら自分で作るとしても高級食材を

使う事は出来ない。

まっ、低予算で美味しいものをたくさん食べるのにだけは自信があるんだから、

今回の出来も我ながらなかなかのものだって自負している。

 

千晶「どうかな?」

 

春希「うん、美味しいよ。和泉にこんな隠れた才能があったなんてな」

 

春希は、春巻きを一口食べると、珍しいものを見るような顔をして

食事の感想を述べてきた。

春希は私の事をいったいどう認識しているのよ。

ただ食べるだけの怠け者って思っているの?

でも、どうやら私の不満が顔に現れていたらしく、素早く春希のフォローが入った。

 

春希「そんなに不機嫌そうな顔するなよ。わるかったって。

   でも、俺に食事作ってくれってねだるより、自分で作ったほうが美味しいんじゃないか?

   どうみたって俺が作るよりうまくできてると思うぞ」

 

千晶「どうお世辞言ったって、春希が私の事をぐぅたら女だって思っているって事には

   違わないんじゃないかなぁ・・・」

 

春希「そこまでひどい事はいってないだろ」

 

千晶「でも、顔に出てた・・・」

 

私が疑り深い目で見つめちゃったものだから、春希ったら慌てちゃって。

ほんと素直なんだから。普段から素直だったら、なおさら扱いやすいんだけど、

こればっかりは春希だからしょうがないのかな。

融通が効かないのも春希の魅力って言えるのかしらね。

 

春希「もう言うな」

 

千晶「照れちゃって」

 

春希「照れてないって。でも、本当に俺より料理上手だって。

   そもそも俺が料理を始めたのだって最近なんだから、そんなにうまくないだろ?」

 

千晶「それはそうかもしれないけど、温もりっていうの?

   春希らしい実直さが料理にもにじみ出ていて、安心できる味っていうのかな?

   ・・・うん、何度も食べたくなる味って感じかもね」

 

春希「自分じゃ、人に食べさせるには勇気がいるレベルなんだけどな」

 

千晶「春希の自己評価、間違っちゃいないわよ」

 

春希「はぁ?」

 

千晶「だから、自信満々に手料理を披露するレベルじゃないってこと」

 

春希「貶すのか誉めるのか、どちらか一方にしてくれよ」

 

千晶「うぅ~ん・・・、だからさぁ、春希を知らない人が食べたら、

   まあ、食べられなくもない普通の料理ってこと。

   でも、春希の事を知っている人が食べたら、美味しいって感じられるっていうか」

 

春希「身内評価による甘々採点ってことか?

   それでも、だいぶ緩く採点してもらえてると思うぞ」

 

千晶「それもちょっと違うかな」

 

春希「もっとわかりやすく言ってくれよ」

 

千晶「まっ、今後も料理を作っていれば、わかってくるかもしれないって」

 

春希「はぁ・・・」

 

なんか納得していませんって顔ね。

しょがないじゃない。自分から話をふっておきながらなんだけど、

これを春希に伝えるのは、私が恥ずかしすぎるんだから。

たぶん春希に、冬馬かずさが春希の手料理を食べたのならば、

大喜びするでしょって言ったら、春希はきっと理解するんだろうけど・・・。

 

千晶「お茶淹れてくるね。緑茶でいい?」

 

春希「あぁ悪いな。緑茶でいいよ」

 

千晶「OK~」

 

私は、逃げるように席を離れると、いそいそとお茶の準備に取り掛かる。

気持ちを落ち着かせるにはちょうどいいタイミングだったかな。

自爆発言なんてしちゃうなんて、まだ本調子じゃないのかも?

ううん、ちょっとずつだけど、私も変わってきているのかな?

さてと、気持ちも切り替えたし、春希んとこに戻るかな。

 

千晶「はぁ~い、お茶準備できたよぉ」

 

若干浮つきすぎた声色に自分自身驚きながら席に戻る。

二人分の湯飲みにお茶を注ぎながら春希の出方を伺おうと気配を探ってみたのだが、

あまりにも静かすぎる。

そういえば、私がお茶の準備をしているときも気配が消えてなかったっけ?

自分の浮ついた心を鎮めようと躍起になっていたけど、今思い返すと春希が食事をする気配

すら感じることができなかった。

これが広い家だったならば別だけれど、春希のマンションは、

学生がちょっと無理をして頑張れば借りられるくらいの家賃だ。

だから、キッチンとリビング兼寝室はくっついているわけで、

気配を感じないことなんてありえないはずだった。

 

千晶「春希?」

 

私は不安になって春希がいたはずの席を見ると、そこには一応春希はいた。

いたんだけど、いたんだけど、・・・いたんだけど。

 

千晶「春希っ!」

 

春希はテーブルにつっぷして倒れいた。

春希がさっき一口食べた春巻きは、床に箸とともに落ちている。

物音をたてないで倒れるなんて、あんたは忍者かなんかなの?

違うって、私が浮かれ過ぎていたんだ。

浮かれた心を春希から隠そうとしたから駄目だったんだ。

もっと春希に心を開いていたんなら、こんな事態になる前に気が着ていたはずなのに。

以前の和泉千晶だったなら、全神経をつかって北原春希の詳細を把握していたのに。

今の和泉千晶は無力だ。自分で自分が制御できていない。

和泉千晶を演技できていないんだ。

 

千晶「ねえ、春希。春希ったら」

 

倒れている人間を揺さぶったりしちゃいけないって、わかっているのに、

・・・わかっているのに、目の前にいる春希にすがってしまう。

すがってしまうから、春希に助けを求めてしまう。

弱い。弱過ぎじゃない、私って・・・。

 

春希「なぁに、泣きそうな顔をしてるんだ?」

 

春希は顔だけを横に向け、力ない言葉を吐く。

 

千晶「春希ぃ・・・」

 

春希「みっともない顔するなよ。って、みっともない姿なのは俺の方か」

 

千晶「そんなことないって」

 

春希「悪いけど、せっかくのご馳走食べられそうにない。・・・ごめんな」

 

千晶「いいって。また作ってあげるからさ」

 

春希「それは楽しみだ」

 

千晶「いつから体調悪かったの?」

 

私は、春希のおでこに手をあてて熱を測る。

なんとなくだが、私の体温よりも熱く感じ取れた。

体温計で測らないと正確な体温はわからないが、それでも春希の体温が

異常に熱いって事だけは判断できた。

 

春希「いつからと聞かれても、よくわからないな。

   さっきまで風邪だとか思わなかったし、体も動いていたし。

   ・・・そうだな、緊張してから動いていただけかもな」

 

千晶「家に戻って来て、気が抜けたってこと?」

 

春希「おそらく」

 

千晶「だったら、私が春希んちで待機していてよかったね」

 

春希「不幸中の幸いってところだな。でも、料理食べられなくてごめんな」

 

千晶「いいって、何度も謝らないでよぉ。

   今日作ったのは、私が食べればいいし、明日も私が食べるから問題ないって。

   それよりも、春希のことだから、今日はろくなものを食べてないんだろうから、

   風邪薬飲む前に何か食べないと」

 

春希「あんま食欲ないんだ・・・」

 

千晶「さすがに揚げ物メインのこってりメニューは、病人食にはならないか。

   でも、さすがになにか食べないとね。・・・・・・・なに笑っているのよ?」

 

私、なにか笑いをとるようなこと言ったかなぁ?

私もつい最近風邪をひいて、本調子じゃない部分もあるから、

自分でも気がつかない失敗でもしたかな?

 

春希「ごめん・・・。でも、なんだか和泉が頼りになるっていうか、

   まじめだったもので、な」

 

千晶「なぁに言ってるのよ。ヴァレンタインコンサートのときだって、

   これでも春希の役にたったって、ちょっとは自信持って言えると思えるんだけど」

 

春希「怒るなよ。その節は大変お世話になりました。

   だけどさぁ、普段のお前をよく知っている俺からすると、

   今の和泉は意外って気がするんだよ。

   ・・・・・・・だから、睨むなよ。ごめんって」

 

千晶「まあ、心優しい私だから、・・・風邪をひいている病人相手に

   怒ってなどいないけど」

 

春希「それを怒っているっているんだ」

 

千晶「はぁ?」

 

春希「ごめんなさい」

 

さすがに凄味をきかせた睨みは恐怖しかあたえないか。

それに病人なんだしぃ、それに私は怒っていないんだしぃ、それに優しくしないとだしぃ。

 

千晶「リンゴすったのなら大丈夫?」

 

春希「ん? あぁ、それくらいだったら」

 

千晶「うん、じゃあ春希は薬の用意をしておいて。

   もしなかったら、あとで買ってくるから・・・、あぁ今の時間帯じゃあやってないか」

 

春希「常備薬なら、ちゃんと用意してあるから、風邪薬くらいあるから大丈夫」

 

千晶「さすが春希ってとこね」

 

春希「それ、誉めてないだろ?」

 

千晶「どうかしらね?」

 

私は、にっこり笑みを春希に送ると、すぐに視線を外してリンゴの用意に取り掛かる。

ほっとしている自分がいる。

春希がただの風邪でよかったと喜んでいる私がいる。

もちろん、病院に行ったわけではない素人判断だけど、

春希の自己申告と今の状態から判断すれば、風邪なのだろう。

だけど、春希に無理をさせて体を弱らせてしまった原因は私だ。

私の風邪をうつしたとは言えないかもしれないが、それでも、体力をすり減らさせ、

風邪をひきやすい状態にしてしまったのは私に原因がある。

連日のレポート、そして、寝不足のまま激務のバイト。

それを一週間以上やっていたら、春希だって体調を壊してしまうわよ。

なにやってるんだろ、私。

こんなはずじゃなかったのに。

春希が風邪だってわかって気が緩んだのか、それとも自分が情けなかったのか、

はたまた自己分析できていない理由かもしれないが、

私は春希に見つからないように目元の涙をぬぐった。

 

 

 

 

 

 

 

千晶 3月12日 土曜日

 

 

 

加湿機なんていう文明の利器がない春希宅においては、

風邪ひきがいようと容赦なく乾燥が忍び寄る。

なんて大げさな物言いをしてしまったが、この辺は濡れタオルでもかけておいて代用。

一応私が春希の看病しているんだし、出来る友人を演出しないとね。

 

春希「なにをやっているんだ?」

 

千晶「あっ、起きた? どう調子は?」

 

春希「だから、なにをやってるんだって聞いているんだけど、和泉千晶さん」

 

千晶「なにって、お粥は作り終わったし、昨日春希が脱ぎ散らかした服をたたんで、

   あとは部屋をちょっと片付けた程度だけど?」

 

春希「ありがとう・・・」

 

千晶「いいって、私が風邪をひいたときは春希が私の看病してくれたんだしさ」

 

春希「ギブ、アンド、テイクってとこか」

 

千晶「別に見返りが欲しくてやったわけでもないし、春希だって私の看病してくれたのも

   見返りが欲しくてやったわけじゃないんでしょ?」

 

春希「まあ、そうだな」

 

私が、にかっと頬笑みを浮かべると、春希はなんだか照れくさそうに返事をした。

 

千晶「で、どう? 風邪の方は。・・・はい、熱測ってみて」

 

体温計を差し出すと、春希は素直に脇に挟んで測定を始める。

なんだか、素直に動く春希って、ある意味新鮮かも。

普段からこのくらい素直だと扱いやすい・・・、訂正、可愛げがあるのに。

 

春希「熱は、38度5分か」

 

千晶「なかなか下がらないか。今日もバイトあったんでしょ?」

 

春希「あったけど、風邪をひいている俺がいっても迷惑にしかならないからな。

   ここは、素直に休んでおくとするよ。ただ復帰後は、色々な不平不満と共に

   病気だったやつをいたわる気持ちなど全くない仕事量を押しつけられそうだけどな」

 

千晶「それは仕方がないんじゃない?」

 

春希「休んだ分はしっかりと働けって?」

 

千晶「ううん。だって、病気だったのは確かだけど、

   病気が治ったから仕事に行くわけなんだし、それなのに病気あけっていう理由を

   言い訳にして仕事をさぼられたら、周りから見れば迷惑にしかならないでしょ」

 

ん? あれ? 春希が固まっている・・・。

なんだかわからないけど、フリーズしちゃったぞ。

あ、そうか。今の春希は風邪をひいているわけなんだし、

いつまでも私と話しているべきではないか。

 

千晶「ほらほら、春希はまだ熱が高いんだから、しっかり寝ないと」

 

私は、春希がベッドに横になるようにと、掛け布団をかけてあげようとしてあげたのだけれど、

春希はまだフリーズしたままだった。

正確に言うならば、春希の目だけは私を追っかけてきていたから、

完全に動きを止めたわけではないみたいだった。

 

千晶「どうしたの春希?」

 

私が優しく語りかけると、春希ったら口を大きく開けて、あごの骨でも外れたの?

 

千晶「春希?」

 

春希「ふぁあ~」

 

大きな息をいきなり吐くものだから、びっくりするじゃない。

いったいどうしたっていうのよ。

 

千晶「春希、どうしたの?」

 

春希「どうしたのは、こっちの台詞だ」

 

千晶「はぁ?」

 

春希「だから、いきなり和泉が正論いうものだから、びっくりしたんだよ」

 

千晶「正論って?」

 

春希「だからぁ、病気の時の病人はいたわる必要はあるけど、

   病気が治って仕事に復帰した人間には、病気の時みたいに気を使う必要はないってこと」

 

千晶「あぁ、そのことね。当然じゃない?」

 

役に立たない劇団員ほど迷惑な存在はない。

私ってぇ病気だったしぃ、病み上がりだからぁ、ちょっと見学していますぅ。

・・・死ね! もう来るな!

実際うちの劇団にこんなバカみたいなことを言う奴なんていないけれど、

病み上がりだろうと、劇団に参加しているんだから、いつも通りに行動してもらわないと

周りに迷惑がかかるじゃない。

いつも周りに迷惑かけまくっている私が言うのは変だけど、いらつくのよね。

自分の弱さを免罪符にして、優しくしてもらおうとしてくる奴が。

 

春希「当然だけど、和泉がいうものだから、驚いたんだよ」

 

千晶「どうして?」

 

春希「どうしてって、今までの和泉の行動パターンを見ていたら、驚くに決まってるだろ」

 

千晶「なるほどね」

 

春希「だろ?」

 

千晶「ううん、30%くらいは当たってるかもしれないけど、あとの70%は外れてるかも」

 

春希「どういう意味だよ」

 

春希ったら、納得していないっていう顔をいているか・・・。

ある意味、春希の困惑は当然かもしれない。でもね、春希。

春希が私の事を全部知っているって思っている事自体、間違ってるんじゃないかな。

 

千晶「うんとねぇ、春希が知っている和泉千晶は、大学での和泉千晶でしょ」

 

春希「そうだな」

 

千晶「だとすると、大学以外での和泉千晶は、春希は知らないってことにならない?」

 

春希の顔から困惑が消えていく。

呑み込みが早い春希で助かったよ。これだけの説明で、うまく伝わったみたいね。

 

千晶「春希がバイト先でどんな風に働きまくっているかを私が知らないように、

   たとえば、劇団での私のことなんて、春希知らないでしょ?」

 

春希「たしかに」

 

千晶「でも、バイト先ので春希は、私の想像通りの北原春希だと思うけどね」

 

春希「どういう意味だよ?」

 

睨みつけないでよ。だって、春希の事だよ。見ていなくてもわかるに決まっているじゃない。

 

千晶「春希のことだから、大学での北原春希と同じように

   面倒見がよくて、仕事が早くて、やらなくてもいい厄介事をしょいこんで、

   年上相手だろうがずばずば意見を言っちゃうんでしょ?」

 

春希「おおむねあっているから否定できないのが辛いな」

 

千晶「だって、春希だもの」

 

春希「なんだか馬鹿にされているみたいで、面白くないな」

 

千晶「馬鹿になんてしていないって。むしろどこにいても春希は春希ってことで、

   安心したかな」

 

春希「そうか?」

 

千晶「そうだよ」

 

春希「まあ、そういうことにしておくか」

 

私達はどちらからとなく笑みを浮かべ、

私はちょっと照れくさそうに春希に布団をかけてあげた。

春希も春希も戸惑い気味に、私の促す通りにベッドに横になった。

 

春希「って、違うから!」

 

いきなり大声出すものだから、驚いたじゃない。

ほらぁ、喉も腫れているんだから、急に大声出したら咳こむに決まっているじゃない。

さすがに熱があるから起き上がる事は出来なかったみたいだけどさ。

 

千晶「どうしたのよ? 水飲む?」

 

春希「いや、大丈夫。

   和泉が正論言うのも変だけど、その前に、お前が着ている服はなんなんだ」

 

千晶「なんなんだって聞かれても、困っちゃうんだけど」

 

春希の熱い眼差しに、思わず身をよじってしまう。

じっくり見たいんなら、見てもいいけど、そういう雰囲気でもないか。

 

春希「困っているのは、俺の方だ。なんだってナース服を着ているんだ。

   しかも、なんでミニスカートなんだよ。

   どこの風俗だ、どこの」

 

千晶「春希が喜ぶと思って?」

 

春希「首を傾げるな。言っている事が理解できませんって顔をするな。

   病人の俺につっこみをいれさせるな」

 

もう、春希ったら、息が切れているじゃない。

病人なんだから、もっと自分の体をいたわったほうがいいよ。

 

千晶「春希が勝手にかっかかっかしているだけじゃない」

 

春希「誰のせいだ」

 

千晶「勝手に熱くなっている春希のせいじゃないの?」

 

春希「お前のせいだ。お前の・・・。で、なんでナース服なんだ」

 

あ、立ち直りが早い。その辺は、病気をしていても春希なんだね。

 

千晶「だから、春希が喜ぶと思って着ているだけじゃない。

   わざわざ部室まで行って調達してきたのよ」

 

・・・まあ、この衣装は団長の個人的コレクションみたいだったけど、

団長には着させる相手がいないんだから、私が有効活用したほうがこのナース服も

喜んでいるはず。

 

春希「いらんことをするな」

 

千晶「えぇ~」

 

春希「いやそうな顔するな。だだをこねるな。

   看病してくれるなら、もっと普通にしてくれよ」

 

千晶「ふつうって?」

 

春希「食事の用意をしてくれたり、掃除してくれたりだな、

   ・・・身の回りの世話をしてくれることかな」

 

千晶「だったら問題ないじゃない」

 

春希「はい?」

 

千晶「だから、問題ないって言ってるの。食事の用意もしてあるし、

   掃除だって春希に迷惑かからないように静かにやったし、

   トイレだってつきそってあげたじゃない」

 

春希「え?」

 

春希ったら、高熱があるはずなのに、顔から熱が消えていく。

少し赤みがかかった顔色が、いまや青白く変色していた。

 

千晶「どうしたの春希? やっぱ体調悪いんだから、もう少し寝たほうがいいよ。

   でも、その前に食事する? 薬の時間には少し早いけど、

   食事できるんなら食べた後の方がいいし、少しくらい早くてもいいかな?」

 

私が時計とにらめっこをしていると、ふいに春希に腕を掴まれる。

弱々しい顔色なんだけど、その掴む手はしっかりししていた。

 

春希「トイレって、どういう事だ?」

 

千晶「あぁ、またトイレいきたいって事? だったら肩を貸すからちょっと待ってね」

 

私は、春希が立ちあがりやすいようにと、自分の肩を春希の肩に寄せようとした。

 

春希「トイレはいい」

 

千晶「え、違うの?」

 

春希「トイレにつきそったって、どういうことだ?」

 

春希ったら、照れちゃって。

春希は、私から逃れるように顔を背けると、弱々しい口調で私に質問してきた。

 

千晶「あぁ・・・私が春希の下半身を見たと思ってるのね」

 

春希「だから、いくら和泉だからといって、女性がそんな発言するなよ」

 

なるほどね。そういうことか。

春希があまりにも恥ずかしそうにするものだから、

私は笑いを抑えることができなかった。

 

千晶「安心して。何も見てないから。私は、春希をトイレまで連れて行っただけ。

   だから、何も見てないよ」

 

春希「笑うなよ。こっちは意識が朦朧としていて、記憶がはっきりしていないんだから」

 

千晶「ごめん、ごめん、春希。なんだか春希が可愛らしくて」

 

春希「だから笑うなって」

 

千晶「ごめん、それは無理」

 

笑いのつぼにはまった私は、春希が不貞腐れて狸寝入りを励んでも、

しばらく笑いを止めることができなかった。

だって仕方ないじゃない。こんなにも可愛すぎる春希を見たのは初めてだったんだから。

そういう意味では、私にも、まだまだ知らない北原春希の部分がたくさんあるんだなと、

すっごく嬉しくなってしまった。

                            

千晶「それはそうと、バイト先に休むって連絡いれるんじゃないの?」

 

ひとしきり満足するまで笑い疲れると、冷静さが蘇ってくる。

私に背を向けて寝たふりをしている春希のつむじを見つめながら、

ふといつもの春希だったらすでに行っているだろう行動を思い浮かべてしまった。

 

春希「そうだった。・・・まだ8時か。今の時間帯なら、浜田さんは出社前だけど、

   鈴木さんなら、そろそろ着ているかな」

 

未だに私の方に振り返らない春希は、壁に向かって呟く。

 

千晶「は~るきっ。まだ怒ってるの?」

 

返事はない。おそらく、停戦のタイミングがつかめてないのだろう。

私の方は、いつだって気持ちを切り替える事が出来るけど、

さすがにさっきはやりすぎだったかな?

だったら、春希が次の行動をしやすいように手を打つべきか?

私は、しばし手元にあるツールを操作して、目的のものを見つけ出す。

 

?「もしもし? 朝早くから北原君から電話なんて、なにかトラブルでもあった?」

 

千晶「私、北原春希を看病している和泉と申しますが、

   本日は北原が病欠することをお伝えしたく電話いたしました」

 

鈴木「え? 北原くん病気なんですか?」

 

私の、事務的であり、なおかつ、いかにも甲斐甲斐しく世話をする女性らしい声色を

聞いた春希の同僚は、電話の向こうで息を飲む。

それと同時に、こっちの部屋では春希が布団が弾き飛ばして

手足をばたつかせる音が盛大に鳴り響いていた。

春希ったら、電話しているんだし、静かにしなさいよ。

しかも、相手は友達じゃなくて、仕事先の同僚でしょ?

だったら、しっかりと礼儀正しく伝えないといけないじゃない。

そんなんわけで、私は春希の反抗を抑えるべく、春希の上に馬乗りになって

強制的に黙らせた。さすがに風邪ひき中の春希は、抵抗する力がないらしく、

せめてもの反抗として、鋭い視線を私にぶつけてきた。

ごめんね、春希。こっちは電話中なのよ。

 

千晶「はい、風邪をひいてしまいまして、熱もなかなか下がらない状態なのです。

   ですから、申し訳ありませんが、風邪が治りきるまでは、

   ご迷惑をおかけしますが、休ませていただきたいのです」

 

鈴木「それはかまわないですよ。むしろ、北原君にはいつも頼りっぱなしで、

   風邪をひいた時くらいは、編集部の事を忘れて、

   ゆっくり休んでもらいたいほどですよ。お大事にと、伝えておいてください」

 

千晶「ありがとうございます。では、失礼します」

 

鈴木「はい」

 

電話を切ると、先ほどまでうるさいほどに聞こえていた春希の反抗は

すっかりなりをひそめていた。

いや、けっこう早くから反抗するのをやめていたかな?

無理に反抗して、電話先の鈴木さんって人に不審がられるよりは、

私が無難に電話連絡したほうが被害が少ないって考えたのかもしれないか。

 

千晶「どうしたの、春希? すっごく不機嫌そうな顔をして」

 

春希「まずは俺の上から降りてくれないか」

 

千晶「あっ、ごめん」

 

私は、素直に謝るとともに、春希の上から降りて、ベッドの横に座り込んだ。

 

春希「なんで勝手に電話なんかするんだ」

 

千晶「だって、春希。鈴木さんって人に電話してバイト休む事伝える予定だったんでしょ?」

 

春希「そうだけど、和泉が電話することはないだろ」

 

千晶「だって春希が私の事を無視したのがいけないんじゃない。

   春希って、案外心が狭い所があるよね」

 

春希「俺は堅物で、融通が効かない男だからな」

 

春希は、そう言い捨てると、再び私に背をむけて、布団の中に引きこもってしまった。

あらら、拗ねちゃったか。

う~ん、風邪をひいてることも考慮しないと駄目かぁ・・・。

いつもの感じだともうちょっと食いついてきてくれるよに。

これは私の判断ミスかな。だったら、私の方から謝らないとね。

 

千晶「ごめんね、春希・・・。私、ちょっと調子に乗りすぎちゃったみたい。

   でも、春希の看病をしたいのは本当だから。

   さっきの電話だって、春希の事だから、なにか編集部で問題あったら

   風邪を隠して仕事に行ってたでしょ。

   それだけはどうしても阻止したかったっていうのもあるんだ。

   でもさ、春希が嫌がることしちゃって・・・、ごめんなさい」

 

私は、ベッドの布団に頭をこすりつけるように頭を下げる。

はた目から見ればちょっと馬鹿っぽい格好だけれど、まあ、しゃ~ないかな。

勢いっていうのもあるしね。

しばらく布団に顔を埋めていると、私側のベッドのスプリングがきしみ

春希が振り返ってくれた。

 

春希「もういいよ。俺の方も言いすぎた。

   鈴木さんへの連絡も、無難にやってくれたしな。

   勝手に電話するのは今後はやめて欲しいけど、

   俺の体調を気遣ってくれた点については感謝しているよ。

   和泉の言う通り、編集部で問題あったら、風邪を隠して駆けつけていたと思うしな。

   でも、和泉は俺の事を買い被りすぎだぞ。

   俺は、編集部では下っ端なんだからな」

 

千晶「春希ぃ」

 

顔をあげると、ベッドに横になったままの春希の顔が目の前に迫っている。

熱でやや赤みがかかった春希の顔が、なんだか頼もしく思えてしまう。

春希はなんだか他にも編集部での自分の立ち位置を力説しているみたいなんだけど、

頭になんか入ってはこない。

なんだかぼぉっとして、ちょっと熱っぽいかも。

・・・やばっ!

もしかして、また風邪ひいちゃったのかな?

 

春希「和泉、聞いているのか?」

 

千晶「ん? ごめん、ちょっとぼ~っとしちゃってたかも」

 

春希「おい、和泉。顔が赤いぞ。もしかして俺の風邪がうつったんじゃないか?

   熱測って、うがいして、風邪薬飲んだ方がいいぞ。

   お前は、風邪が治ったばかりなんだし、マスクしておいた方がいいのに

   マスクもしないで俺の看病なんかするからいけないんだぞ」

 

春希は、いつのも説教モードに切り替えると、布団の中から手を出すと、

そのまま私のおでこを触れようとしてきた。

 

千晶「んっ」

 

ぐいぃっと迫りくる手のひらに、私は思わず身を引いてしまい、

豪快に尻もちをついてしまった。

私自身意識して起こした行動ではなかった為に、目の前で驚いている春希以上に

私の方が驚いていまう。

 

春希「おい、大丈夫か?」

 

千晶「うん、大丈夫。ちょっと考え事っていうか、意識が他に向いてただけ。

   急に春希の手が伸びてきたんで、びっくりしただけだから」

 

春希「そうか? 悪かったな」

 

千晶「ううん、春希は悪くないって。大丈夫、大丈夫・・・、うん。

   でも、よかったじゃない。休みがゲットできて」

 

春希「どうだかな。休みを取ったしても、最近では、休んだ分だけ休み明けには

   いつも以上の仕事を渡されるんだよ」

 

ナイス私。とっさの判断としては、話の流れを変えるには、いい話題なんじゃない?

 

千晶「そうなの? でもそれって、春希の頑張りが認められたって事じゃないの?」

 

春希「どうだかな。いいように使われているだけっていう部分もあるんだろうけど、

   どんな仕事であれ責任があるわけだから、その点を考慮すれば認められたって

   ことなのかもな」

 

千晶「よかったじゃない。おめでとう」

 

春希「あ、ありがと」

 

千晶「さてと、なにか温かい飲み物持ってくるね」

 

春希「ありがと」

 

千晶「うん、ちょっと待っててね」

 

やばかった。なにがやばかったかって、それは、何がやばいか私自身がわかっていないことが

非常にやばかった。

もうアドリブしまくりで、なにがなんだかわかったものじゃない。

さすが北原春希の為に作り上げた和泉千晶ってことかしら?

簡単じゃない。でも、簡単じゃないからこそ、やりがいがあるんだけれど、

こういう関係っていうか、私自身が操縦しきれていない和泉千晶。

なんだかいいかもしれないかな。

さて、春希の為にホットアップルジュースでも用意しますか。

マグカップに100%のリンゴジュースを入れ、電子レンジで加熱する。

そこに数滴柚子を絞ったものを加えるのがポイント。

100%リンゴジュースをただ温めてだけでは酸味が出てしまい、

冷えている時と比べて数段甘みが落ちてしまう。

だから、そこに柚子またはレモンをほんの少し加えると甘みが復活して

冷やして何も加えないで飲むとき以上に甘みを感じることができる。

もちろん柚子を入れ過ぎてしまうとすっぱくなってしまうので加減が重要。

今回レモンじゃなくて柚子を使ったのは、季節を考慮して選んだだけだった。

私は、これに蜂蜜を加えて、さらに甘々にして飲むのも好きだけど、

春希はあまり甘すぎるのは苦手かなと思い、やめておいた。

本当は体力を回復させる為にもハチミツも食べさせてあげたほうがいいんだけど、

食事は楽しまないとね。だから、今回はビタミンCだけでもって感じかな。

一応お粥も用意してあるんだけど、春希食べられるかな?

お粥とホットアップルジュースって、組み合わせ的にはどうなのって思うかもしれない。

私はOKだけど、春希は風邪引いているし、組み合わせよりも栄養だよね。

まあ、食後のデザート的な飲み物だって思えば問題ないか。

 

 

 

 

 

 

 

千晶 3月13日 日曜日

 

 

 

千晶「ねぇ、春希~。これは、ここのタンスでいいの?」

 

よく晴れた3月の昼。外はまだ肌寒いけれど、

部屋の中の日だまりでぬくぬくぅっとしていると、あくびが出てしまいそうになる。

洗濯物を畳みながら陽を浴びていると、洗濯ものを畳んでいる最中だっていうのに

寝てしまいそうになってしまう。

私があくびを噛み殺すたびに春希が笑みをこぼすものだから、

最後にはなんだか無性に恥ずかしくなって眠気など吹き飛んでしまった。

 

春希「その段でいいよ・・・って、それ下着じゃないか。

   あとで洗うからまとめておいてくれって言っておいたじゃないか」

 

千晶「もしかして春希。私の洗濯物と一緒だと嫌とか言うタイプ?

   やっぱ私の下着と一緒じゃ、気持ち悪いよね・・・」

 

なんて、ちょっと頬を染めながら、しおらしいふるまいをみせてあげよう。

 

春希「それ逆だから。むしろ和泉が俺に言うセリフだろ」

 

千晶「だったら問題ないねっ。ってことで、洗濯物は終了っと」

 

春希「なんだか、お前のペースがこの数日でわかるようになってきたよ。

   これは、俺にとって喜ばしい進化というべきなのか、

   無理やり受け入れさせられた日常というべきなのか判断に困るところだ」

 

千晶「そんなの決まっているじゃない。

   私だったら進化って答えるけど、春希なら、受け入れてしまった残念な日常って

   答えるに決まっているじゃない」

 

春希「お前にそう断言される事の方が、残念な事態な気がするよ」

 

千晶「そう?」

 

私は、笑顔で答えると、毛布を一枚ひっさげて、この部屋で一番日当たりがいい場所で

ごろんと横になって休憩に入った。

さすがに働きづめで疲れたかも。

自分の部屋であっても、こんなにも働いた事はなかったかもしれななかった。

食事、洗濯、掃除に春希の看護。

ナース服だけは、春希の激しい抗議もあって現在は動きやすい春希のジャージを着用中。

本当は、もっと嫌がる春希を見て楽しんでいたかったけど、

お湯が出る蛇口とシャワーの切り替えをうっかり忘れていて、

お風呂掃除中にシャワーのお湯を頭からかぶってしまった。

だから、ナース服は、先ほどの畳んだ洗濯物の中に含まれていた。

 

千晶「ほら、春希は動かない。明日からバイト行くつもりなんでしょ?

   だったら今日いっぱいはベッドで寝ている事」

 

春希「なんだか、いつもと立場が逆じゃないか」

 

千晶「それは、春希が病人だからじゃない」

 

春希「そうなんだけどさ・・・。でも、和泉って料理とか掃除なんかの家事が

   しっかりと出来たんだな。全く出来ないものだと思っていたよ」

 

千晶「普段はしないわよ」

 

・・・なによ、その沈黙。そして、納得しましたっていう顔は、なんだか失礼じゃない?

 

千晶「普段は忙しいからいいじゃない。こういうときに出来れば問題ないと思うんだけど」

 

春希「その認識は間違ってるぞ」

 

千晶「どうしてよ」

 

春希「その和泉の感性が和泉らしくて安心できるんだけど、そもそも家事っていうものは

   毎日するもので、休みなんてないんだよ」

 

千晶「休みも何も、私の場合はやらないんだから、休みなんて概念はないかな」

 

春希「笑って言うセリフじゃないだろ。だったら、和泉の家事は休みでもいいけど

   その代わり食事も休みだからな」

 

千晶「食事は、毎日三食食べないと健康に悪いじゃない。

   不規則な食事は、春希が大好きなお勉強にも悪影響がでるんだってよ」

 

春希「お前に正論を語られると、すっごく頭が痛くなるのはどうしてだろうな?」

 

そのわざとらしく頭を抱えるのはやめてもらえないかしら。

いかにも三流役者っぽくて、蹴りを入れたくなるじゃない。

でも、これが北原春希という役どころと考えたのならば、問題ない、かな?

 

千晶「バファリン飲む?」

 

春希「・・・いや、いい」

 

そんな疲れ切った目をしなくてもいいじゃない。

わかってるって、春希が言いたいことくらい。

 

春希「俺が言いたかった事は、家事をやらなければ食事だってできないだろってことだよ」

 

千晶「わかっているわよ、そのくらい」

 

春希「だったら、初めからそう言ってくれよ」

 

千晶「春希が言いたいことがわかっているからこそ言ったのよ」

 

唖然とする春希に、私は悪びれもせず会話を続ける。

 

千晶「こうやって冗談や悪態をつくことができるようになったってことは、

   春希の体調もだいぶ良くなったって事でしょ。

   春希の健康状態を確かめるには、春希の言葉を信じるよりも、

   こうやって会話からくみ取ったほうが正確なのよ。

   だって、春希って、いつも隠れて無理するでしょ?」

 

今度こそ春希は沈黙してしまった。

けれど、どこか嬉しそうな顔をしているのは気のせいだろうか。

でも、今回春希を無理させちゃったのは、私のせいだよね。

春希に私が隠してきた事を打ち明けはしていたけれど、それでも春希を

騙してきたって部分があって、今回のレポートの事を相談できなかったのよね。

本当なら、ここまでの面倒事になる前に春希に相談すべきだった。

だけど、後ろめたくて、いくら図太い神経の持ち主の私であっても無理だった。

3月1日の朝、春希に電話したときだって、隠しとおす事は出来たと思うけど、

実際はドキドキしまくりで、辛かった。

脚本の為に春希を観察していただけだった。

でも、なんか春希って、知れば知るほど興味が沸いて、なにか胸に芽生えてしまった。

その芽生えた物が何かは、今もわかっていない。

これからも、わかる事はないんだと思う。

一緒にいるほど、触れ合うほど、春希は春希なんだなって思えたんだけど、

これだけは絶対春希には打ち明けることはできないと思った。

 

 

 

 

 

 

 

春希 3月14日 月曜日

 

 

 

普段の俺からしたら考えられない睡眠時間を頂戴して、かえって体内時計が狂いそうな

気もしたが、目覚まし時計がなくとも体が覚えてしまった時刻に目が覚める。

ベッドの下を見渡すと、芋虫のごとく丸まった和泉が寝袋の中で今も寝入っていた。

こいつから電話があった時は疫病神だと思ったけど、最後は助けられたからよしとするか。

この合宿生活も今日で最後だな。

さてと、朝一で教授に進級結果を聞きに行くとして、その前に朝食だな。

合宿の最後くらいは豪勢な朝食にしてやるか。

といっても、昨日までろくに食事もしてこなかった俺の方がお腹が空いているんだけどな。

俺は、和泉を起こさないように部屋から抜け出すと、

今日から再開するであろういつもの日常の準備に取り掛かった。

 

春希「これで無事進級だな」

 

千晶「だね」

 

さすがの和泉も進級が確定してほっとしたのか、顔が緩んでいる。

そんな和泉を冷静に観察している俺だって、和泉の進級を喜んでいた。

なにせ二週間近くも寝食を共にした、いわば仲間である。

これが一方的に俺が面倒見るだけだったら、ここまでの感動はなかったかもしれない。

それに、今まで謎すぎた和泉千晶の生態を、ほんの少しだけれど知ることができたのは、

大きな成果といえるだろう。

いや、待てよ。踏み入れてはいけない領域に一歩足を進めてしまったとも言えないか?

これが末吉となるか、大凶となるかはわからないけれども、

ほんのわずかな可能性しか残っていない大吉に化けることを祈っておくとするか。

 

春希「今度は卒業ができないって騒ぎを起こすんじゃないぞ」

 

千晶「それは春希次第だって」

 

春希「新学年が始まる前から他人任せっていうのは、どうかと思うぞ」

 

千晶「だって、春希は私の保護者なんだから、これはいわば春希の活躍次第ってやつでしょ」

 

春希「だから最初から俺をあてにするなって」

 

千晶「でも、最初からサポートはしてくれるんでしょ?」

 

和泉は俺の方に一歩近寄ると、腰を少しかがめてから俺の顎の下から見上げるように呟いた。

 

春希「サポートだけだからな。あくまで俺は補助であって、俺が活躍する事はよろしくない。

   それに、俺が補助している事に甘えるのも、本当はよくないんだからな」

 

千晶「わかってますって。私が怠けないように監視するだけなんでしょ?」

 

春希「そうだ」

 

千晶「でも、監視と一緒にヒントとかもくれると助かるんだけどなぁ」

 

春希「それは、和泉の頑張り次第だ。俺だって頑張っている奴は応援したくなる」

 

千晶「その応援を受ける為にも、日ごろから頑張れってことね」

 

さっき一歩近づいてきたときでさえ、俺と和泉の距離は近すぎるって思ったのに、

和泉はさらに踏みこんできて、俺の顔を真下からじろじろと覗き込む。

なんだっていうんだ。ちょっと近すぎないか?

でも、ここで俺がそのことを指摘したら、和泉の事だから、俺の事をからかうんだろうな。

だったら、ここは無言でスルーするしかないか。

 

春希「そういう事だ」

 

ちょっと声が上擦ってしまう。きっと和泉の事だから気が付いているのだろう。

一瞬だけど、和泉の目が細くなったのを俺は見逃す事はなかった。

 

千晶「はいはい、了解です」

 

春希「本当にわかっているのか?」

 

千晶「それは、これからも私をしっかりと観察して春希自身で判断してよ」

 

そう言って和泉の頭が俺の胸に軽く押しつけられると、

ふっと、その幻でも見たかのようにその感触は消え去った。

すでに和泉は俺の背を向けて歩き出している。

どこに向かっているんだ? 駅でもないし、俺の家でもない。

 

春希「どこいくんだよ?」

 

千晶「ん?」

 

振り返ったその顔に、俺はどんな言葉をかければいいか戸惑ってしまう。

いつも、いつの間にかに隣にいる猫のような和泉千晶であるはずなのに、

初めて見た女性がそこにはいた。

どこか危なげで、掴みどころがないところはいつもの和泉と同じなんだけど、

今の俺には表現できない和泉千晶が存在していた。

俺は、まじまじとその和泉千晶を見つめてしまう。

なにか大切なものがそこにはあるんじゃないかって、探してしまう。

もう手が届かないってどこかわかっているのに求めてしまう。

そんな俺をからかうように、いつもの和泉が俺に笑顔とともに手を大きく振ってきた。

 

千晶「じゃあね、春希。ほんと、助かったよ」

 

春希「あぁ」

 

千晶「新学期からもよろしくね。あと、春希に困ったことがあったら

   恩返しってわけでもないけど、いつでも連絡してね」

 

春希「その時は頼むよ」

 

千晶「りょ~かいっ」

 

もう一度ニッと白い歯を見せると、再び背を向けて、今度こそどこか遠くへ行こうとしていた。

・・・そんな気がしてしまった。

 

春希「和泉っ!」

 

千晶「ん? なに?」

 

和泉は振り返らない。ゆっくりとした歩調のまま、俺の声に応じる。

 

春希「えっと・・・、その、4月から大学くるよな?」

 

千晶「当たり前じゃない。その為に苦しいレポートをやったのよ」

 

春希「そうだよな。馬鹿な質問してごめん」

 

千晶「ほんとだよ。これで進級もしないのにレポートやっていたとしたら、

   それは真正の馬鹿じゃない」

 

春希「だよな」

 

千晶「そうだよ」

 

ゆっくりだけれど、歩幅は小さいけれど、俺と和泉の間の距離は遠のいていく。

話しているんだから、止まってくれればいいのに、

けれど俺はそれを望んではいけない気がした。

 

春希「じゃあ、またな」

 

千晶「うん、またね」

 

ちらりと俺に横顔を見せると、和泉は今度こそ大きな歩幅で歩きだす。

その後ろ姿を見ながら、一瞬見せてくれた和泉の横顔を必死に心に刻もうとしてしまう。

俺が知らなかった和泉千晶の横顔。

きっと俺が気がつかなかっただけで、

今までも俺の側にいるときにもみせてくれていたのかもしれない。

けれど、俺は気がつく事はなかった。見ようともしなかった。

その和泉千晶は、俺の手のひらからこぼれ落ちてしまった気がした。

 

 

 

 

 

 

 

風邪をひいて休んだからといって、久しぶりに着た編集部ではないというのに

なんだか懐かしさがこみあげてくる。

浜田さんは、気を使って一声かけてくれた。

松岡さんは、相変わらず仕事を押し付ける為に声をかけてきた。

その方がいつもの松岡さんらしくて気が楽だ。

それに、休んだのは一日だけだし、気を使われた方がかえって俺の方が気を使ってしまう。

木崎さんは、俺が出社したときにすれ違っただけだったが、

相変わらず活気に満ちた編集部を匂わせてくれた。

俺とすれ違った時に、軽く手で挨拶してきてくれた事から、

俺が風邪をひいた事を知っていたのだろう。

そして、最後に鈴木さんなんだが、俺は風邪をひいていた時の出来事ともあって

すっかり忘れていた厄介事が待ち受けていた。

そういや浜田さん達も、なんだがほんの少しだけれども俺を見る目が違っていた気がした。

そう、今回の和泉千晶騒動最後の置き土産を編集部で受け取るとは、思いもしなかった。

 

春希「鈴木さん、おはようございます。きっちり休養をとったので、

   ガンガン仕事をまわしてくださっても構いませんよ。

   むしろ休んでいた分、

   勘を取り戻す為にも仕事をまわしてくださった方がありがたいです」

 

鈴木「風邪で土日休んだだけじゃない。

   それくらいの休みで勘を取り戻さなくちゃいけないんなら

   まっちゃんなんて年がら年中勘を取り戻さないといけなくなるじゃない」

 

春希「仕事の勢いみたいなのが欲しいだけですよ。

   一回休んでしまうと、今までの流れが途切れてしまうから、それを補いたいだけです」

 

鈴木「そぉお? 北原君だったら、そんな勢いとか気にしないで、

   いきなり最高速度で突っ走っていきそうな気がするんだけどな」

 

春希「いくらなんでもそれは無理ですよ。たしかに気持ちの切り替えは出来ますけど、

   休んでいた分の仕事の進捗具合とかわからないですから、

   どうしてもリズムが狂ってしまうんですよ」

 

鈴木「そんなこと言ってたら休めなくなるじゃない。

   休暇をとる事も、仕事のうちよ」

 

大いに呆れ果ててしまっていますという顔を俺に見せる。

鈴木さんも仕事が嫌いなわけではない。

むしろ誇りを持って取り組んでいることを強く示している。

けれど、仕事に誇りを持っていたとしても、プライベートを全て犠牲にするほど

仕事と向き合っているわけではない。

仕事は仕事。プライベートはプライベートとして、その二つのバランスをうまくとって

どちらも充実したものにしようとしている。

ただ、うちの編集部の傾向としては、若干プライベートを犠牲にして

仕事の方に力を入れてしまう伝統があるみたいだが・・・。

さすがに麻理さんクラスのワーカーホリックはなかなかいないけれど、

仕事を最優先にしてしまうのは、仕事の性質上仕方がない事かもしれなかった。

 

春希「自分なりの区切りをつけてから休みたいって事ですよ」

 

鈴木「たしかにそれはあるかも」

 

と、ちょっとばかり俺に同意してくれる鈴木さん。

こんなとりとめもない会話も、

鈴木さんなりの体調を崩すほど仕事をするなっていう忠告なのだろう。

しっかりと鈴木さんの忠告を胸にしまった俺は、

そろそろこれ以上の立ち話もなんなので、仕事に戻ろうとした。

けれど、鈴木さんは俺を引きとめようと俺に歩み寄り、

小さな声で俺に尋ねてきた。

 

鈴木「それはそうと、この前電話してきた和泉さん。

   もしかして北原君の彼女?」

 

春希「はい?!」

 

それは突然の質問であり、予期せぬ事態に見舞われたわけで、

俺は盛大な返事をぶちまけてしまった。

すると活気に満ちていた騒々しい編集部といえども、異変に察知した編集部員の皆さんは

何事かと俺達の方を注目してしまう。

だから俺は、頭を何度も下げて詫びを入れたのだけれど、

鈴木さんだけは素知らぬ顔で俺を見つめていた。

 

春希「突然どういう事ですか?」

 

鈴木「私が言った言葉の通りだけど。

   それともなにか隠された意味でも含まれているのかな?」

 

春希「そんなものは含まれていませんけど、いきなりすぎてびっくりしただけですよ」

 

鈴木「私としては、北原君が誰とお付き合いしても構わないのよ。

   でも、麻理さんの元部下としては麻理さんに報告する義務があるわけ」

 

春希「そんな義務はありませんって」

 

鈴木「じゃあ、義務じゃなくていいわよ。・・・そうねぇ、たんなるお節介?」

 

春希「それも、はた迷惑だからやめていただけると助かります」

 

鈴木「だったら私の好奇心?」

 

春希「もっと迷惑だからやめてください」

 

鈴木「それなら・・・、麻理さんの元同僚として応援したいからにしとくわ」

 

俺は沈黙で答えるしかなかった。

それを見た鈴木さんは、どう判断したか正確な所はわからないけど

おそらく俺が了解したと受け取ったのだろう。

 

鈴木「で、彼女なの?」

 

春希「違いますって。和泉は大学のただの同級生ですよ」

 

鈴木「ただの同級生が風邪の看病してくれる?」

 

春希「なりゆき上そうなっただけです」

 

鈴木「しかも、ただの同級生を下の名前で呼び捨てって」

 

春希「和泉ですか? 苗字ですよ。鈴木さんも和泉が電話した時に聞いているじゃないですか。

   職場に電話した時に名乗る場合、下の名前を名乗る変わり者なんていませんよ」

 

まあ、和泉が変わり者じゃないって言いきれないところが痛いけど・・・。

 

鈴木「たしかにそうね。・・・わかったわ。もう仕事しないといけないし、

   詳しい事は昼休み、ランチを取りながらにしましょう」

 

春希「話すことなんて、もうありませんよ。本当に和泉のレポート手伝っていて、

   その時に俺が倒れただけなんですから」

 

鈴木「ほら、話すことがまだあるじゃない」

 

春希「もう勝手にしてください」

 

鈴木「そう? だったら、私の主観と想像を交えて麻理さんには報告しておくわ」

 

春希「それは、ねつ造っていうんですよ」

 

鈴木「どこかの新聞社みたいに、国の威信を貶めるねつ造じゃないんだから問題ないわよ」

 

春希「俺の品位を暴落させるじゃないですか。

   しかも、ジャーナリストとして、ねつ造はどうかと思いますよ」

 

鈴木「わかったわよ。その辺も含めて、ランチでゆっくり、じっくり、

   根掘り葉掘り聞かせてもらうとするわ。

   一応快気祝いとして、ランチ奢ってあげるから、楽しみにしていてね」

 

そう言うと、鈴木さんは自分のデスクへと戻っていく。

楽しみにしているのは、鈴木さんだけですよって、言ってやりたかった。

でも、これ以上の損害は回避すべきか。

俺はその後ろ姿を見ながら肩を落とすしかなかった。

ここは腹をくくって全て説明するしかない。

俺に後ろめたいことなんてないんだし、きっちり全部言えば、

鈴木さんも納得してくれるだろう。いや、納得してください。

・・・ふと視線を感じて顔をあげると、松岡さんが俺の事を見つめている。

俺がそれに気づくと、松岡さんはすぐに目をそらし、自分の仕事へと戻っていく。

・・・・・・わかりましたよ。ランチは松岡さんも含めて三人でしましょうか。

こうして長かった和泉との共同生活は、幕を閉じたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

春希 4月7日 木曜日

 

 

 

千晶「じゃあさっ、とっとと学食行こっ」

 

ようやく午前最後の授業が終わり、学生達は学食へと向かっていく。

なるべく早く行って席を確保しようとする者以外は、のんびりと行って空いている席を

探す事になるだろう。

比較的のんびりとした校風でもある峰城大学であっても、

昼の学食はある意味戦場だった。

それでも大きな騒ぎや怒声が飛ばないあたりは日本人の特色だといえよう。

ここにいる和泉千晶も日本人であるはずなのに、どうも謎めいているのは

それが和泉千晶であるからなのだろうか。

 

春希「俺は弁当用意してあるからいいや」

 

俺は、鞄に忍ばせてあった弁当箱をつまみ上げて掲げる。

そう、今日から今年度の授業が始まったが、それにあわせて昼は弁当を持参することにした。

これは麻理さんに料理をふるまうためなのだが、

春休みの出来事を思い出すと、どうも和泉の次の行動が予想でき過ぎて

顔が引きつってしまう。

 

千晶「え? お弁当用意してきてくれたの? さっすが春希。

   飲み物だけ買ってくればOK?」

 

ほら、俺の予想通りの台詞がきた。

春休みの和泉との共同生活で、どんなわけか和泉を餌付けしてしまったらしい。

料理覚えたての俺の料理に惚れ込むなんて、和泉の舌はちょっと特殊なんじゃないかって

疑った事もある。

けれど、和泉が作ってくれた料理を食べたら、その考えは撤回せねばならなくなった。

これも春休みの共同生活での出来事であったが、和泉の手料理を食べる機会があった。

率直に言って、とてつもなく料理がうまい。

掃除だってしっかりできるし、片付けだって細かいところまで気をまわしてくれた。

そう、和泉千晶が最高の家事を毎日続けられるのならば、

お嫁さんにしたいランキング上位に食い込む事間違いなしの家事能力と言ってもいい。

だが、あいにく和泉のランキングは圏外からさえも大きく外れている。

なにせむらっ毛があって、いつも家事をしてくれるわけではない。

俺が美味しい手料理にありつけたのは、風邪をひいたおかげだったのだから。

 

千晶「え?」

 

和泉は、肩にかけていたバッグをすとんと床に落とし、表情さえも床にぶちまけてしまう。

さっと影がかかった顔色を見せたと思ったら、烈火のごとく俺に掴みかかってきた。

 

千晶「どういうこと? もしかして自分だけ美味しいお弁当を食べようって魂胆なの?

   ねえ? 春希ったら」

 

俺の両肩を大きく揺さぶってくるので、やんわりとその手を抑え込んで、

俺は事情を説明する。

 

春希「弁当作ろうって思ったのは、ついこの間なんだよ」

 

千晶「でも、私が春希の料理食べたいっていうの知ってたよね?

   もし私が春希のお弁当見たら、春希だったら私がどう反応するかわかってたよね」

 

おっしゃる通りで。今目の前に俺の予想通りの和泉千晶がいらっしゃいます。

 

春希「ごめん。俺の方も色々忙しくて、和泉のこと、すっかり忘れていた」

 

千晶「春休み、一緒に暮らしていたっていうのに、あんまりじゃない」

 

春希「あんまり誤解を生むような発言はよしてくれよ。

   もうみんな学食行って人が少ないと言っても、まだまだ人はいるんだからさ」

 

千晶「でも、でもぉ」

 

春希「わかったよ。これ食べていいから」

 

千晶「ホントに?」

 

俺の提案を聞くと、ぱっと笑顔を咲かせる。

俺があげないって言っても、絶対聞き入れてくれなかっただろ。

俺も俺で、そんな和泉に甘いから、餌付けを続行してしまう。

 

春希「そのかわり、和泉は俺が食べるパン奢ってくれよ。

   弁当は一人分しかないんだからさ」

 

千晶「そのくらいまっかせなさい」

 

春希「まかせなさいって、これはいわば物々交換だっての。

   あと、パン買いに行くついでに飲み物も買いに行こうか」

 

千晶「おっけ~」

 

今度こそ和泉は、教室の外へと歩き出す。

もちろん弁当を大事そうに抱え込んでいる事は、言うまでもなかった。

一方で、俺はそんな後姿を見て、微笑ましくなってしまった事は、

絶対和泉には言うわけにはいかない。

俺は、急いで鞄を掴み取ると、和泉に追いつくべく小走りで机と机の間をぬっていった。

 

 

 

 

 

千晶「はぁ~、美味しいぃ。最高ね、このお弁当」

 

春希「和泉は、あい変わらす俺の料理の採点は甘々だな」

 

先にパンを食べ終えた俺は、

ちびちびとコーヒーを飲みながら和泉の食いっぷりを観察している。

俺の料理を喜んでくれることは、作ったかいもあってうれしい。

けれど、どうも和泉の評価基準はどこか偏っており、俺の料理に関しては採点が緩かった。

 

千晶「だって美味しいんだもの。美味しいものを美味しいって言って何か問題ある?」

 

春希「ないけどさぁ・・・」

 

千晶「だったらいいじゃない」

 

すっかり空になった弁当箱を満足げに見つめながら宣言する千晶を見ていたら、

もうなにも反論できなかった。

いや、うれしいんだけど、和泉が絶賛するほど自己評価は下がっていく気がしてしまう。

 

春希「弁当は家で食べる食事と違って、弁当箱に詰めないといけないからな。

   その辺の色合いとかも考えないといけないし、あと、これから暑くなってきたら

   食中毒とかも注意しないといけないし、弁当も簡単じゃないな」

 

千晶「お弁当でそこまで細心の注意を払って作っている人なんていないって。

   むしろ昨日の夕食の残りを適当に突っ込んでいる人が大多数じゃない?

   あとは冷凍食品とかも便利なのが増えてるし、下手したら包丁さえ使わないで

   お弁当作っちゃってる人もいると思うよ」

 

春希「俺だって残りものを詰めたりもすると思うよ。

   だけど、ただ弁当を食べる為というよりは、料理を覚えたいから作っているわけで、

   少しはこだわりを持って作っていきたいんだよ」

 

千晶「まあ、そういうところは春希らしいかもね。

   で、これからも作るって事は、私もそのおこぼれをもらえるんだよね?」

 

和泉は、俺が座っている方へお尻を動かすと、俺が逃げられないように腰のあたりのシャツを

掴みながら覗き込んでくる。

なんだか最近、女の武器も使うようになってないか?

それでいて、その使い方が男っぽいから対応に戸惑ってしまう。

だけど、そんな新たな和泉千晶に戸惑いを感じつつも、どこか心に馴染んできて、

いつの間にかに心地よい関係が築きあげられている事に気がつかないでいた。

 

春希「わかったよ。降参」

 

俺は、わざとらしく両手を小さくあげて降参の意思表示を示した。

すると、それを見た和泉は、形が整った唇の口角をあげて喜びを表現する。

そんなちょっとした演技のやり取りだっていうのに、

三流以下レベルの演技につきあってくれる和泉の演技は、どこか様になっていて、

凸凹コンビの片割れの演技を二流まで持ちあげてくれる。

 

千晶「やたっ。じゃあ、作ってくれるんだよね?」

 

春希「作るよ。今日昼になって、弁当を鞄から出した時に気がついてしまったよ。

   だから、ばっちし覚悟もしていたから安心しろ。

   でも、お前が期待するような弁当は出来ないかもしれないからな。

   俺はあくまでも料理の練習でやってるんだから、

   そこのあたりをしっかりと理解してほしい」

 

千晶「わかってるって」

 

春希「あと、しっかりと料理の評価もしてほしい」

 

千晶「いつも美味しいから問題ないって」

 

春希「そうじゃなくて、和泉って料理うまいだろ。

   春休みに俺が風邪をひいたときに作ってくれたけど、相当腕があると思った。

   だから、料理上級者として、俺の料理の問題点というか、

   味付けとかの採点と改善点を教えてくれると助かる」

 

俺が真面目な顔でいうと、さっきまでニコニコ笑っていた和泉の顔が引き締まる。

どこか挑戦的で、上から目線なのは気にかかるが、料理に関しては和泉が上なんだから

反抗はできない。

 

千晶「いいよ。お弁当代として支払ってあげる。

   でも、味の評価は出来るけど、改善点を口で教えるのは難しいんじゃないかな?

   作っているところを隣で見ていれば、教える事は出来るけど、

   私もプロの料理人ってわけでもないから、春希のお弁当を食べただけじゃ

   改善点を教えるなんてできないわよ」

 

春希「たしかに」

 

それはそうだな。和泉に演劇に関してのアドバイスを聞けば、

プロ顔負けのアドバイスを貰えるかもしれない。

だけど、料理に関しては畑違いもいい所だ。

 

千晶「じゃあさ、春希がバイトない時に春希んとこにいって料理教えてあげるよ。

   それだったら私でも出来るし、なによりも春希の手料理が食べられる」

 

あまりにも千晶らしい提案に、俺は苦笑いとともに、惚れ惚れと感心してしまう。

いかにも自分の欲求に忠実なやつだ。

だからこそ和泉っていうわけで。

 

春希「和泉がそうしてくれるんなら、それでいいよ。

   むしろ俺が頼みたいくらいだよ」

 

千晶「なら決まりね。さっそくだけど、今週末なんてどう?

   私は当分劇団の方の予定ないし、週末は暇なのよ」

 

春希「暇って事はないだろ。授業も始まって、予習に復習。それにレポートだって

   出るに決まっている。

   あと卒論もやらないといけないし、暇なんて言ってられないぞ」

 

そういえば和泉って、卒業後どうするんだろうか。

あまりにも和泉の就活が想像できなくて、乾いた笑いさえ出てこない。

そうだな、和泉がスーツを着ているなんて、絶対に想像できないし、

そもそも似合わないだろうな。

だとすれば、このまま演劇の世界に身を置くのだろうか?

俺は、演劇については素人同然だけれど、やはりいくら才能があっても

その道で生活していくのは大変だという事だけは理解できた。

 

千晶「はいはい。その辺は、しっかり春希が監視してくれるから問題ないって」

 

春希「だから、最初から人に頼るなって」

 

千晶「わかってるってぇ・・・」

 

ちょっと拗ねた千晶は、俺の腹をつつきながら不満を訴えてくる。

けれど、そのぶすくれた顔もすぐに霧散した。

ほんと切り替えが早い奴だ。

 

千晶「週末春希のところで料理教えて、その後勉強会ひらけば問題ないでしょ?」

 

春希「そうだな。それが一番妥当な線だ。

   でも、今週末は無理なんだよ」

 

千晶「バイト?」

 

春希「いや、バイトは金曜まであるけど、他の予定がな」

 

千晶「彼女にでも会いに行くの?」

 

和泉の何気ない一言に、心臓を鷲掴みにされる思いに晒される。

きっと観察眼が鋭い和泉のことだから、

小さな違和感が一つでもあれば気がついてしまう。

けれど、今回ばかりはけらけら笑いながらだし、からかっているだけかもしれない。

そんな気休め程度のお守りにすがることなんてできないか。

こいつは立派な女優だしな。

 

春希「彼女に会いに行くんじゃないって。

   NYに、編集部でお世話になった人に会いに行くんだ」

 

千晶「どんな人なの?」

 

春希「今はNY支部に異動したんだけど、とても大事にしてもらって、

   いつか隣に立ちたいって、無謀な夢を抱いてしまうほどの人かな」

 

千晶「春希にそこまで言わせるなんて、相当すごい人なんだね」

 

春希「すごいって表現が一番合うかもな。

   幾重にも言葉を連ねても、あの人のすごさは表現できないっていうか。

   だから、すごい人って表現するのが一番しっくりくるかもしれない。

   まあ、俺の表現力の限界ってやつで、・・・底が浅いんだよ、俺は」

 

千晶「ふぅ~ん。で、いつまでいってるつもり?

   春希じゃないけど、お前大学始まったばかりなのに、なに休んでるんだよって

   言っちゃうよ」

 

いや、似てないだろ。どうせ俺の真似したんだろうけど、似てない。

断じて似てないからな。

 

春希「急に決まってさ。忙しい人だから、会うにもしても向こうの予定を優先しないと

   会う事も出来ないんだよ。

   そもそも、俺の方が会いたいって言って押しかけていくんだしな」

 

千晶「ふぅん」

 

どこか気のない返事に、やはり全てを見通されている気がしてまう。

こいつに隠し事をしたって結局は知られてしまうんだろうなと、

諦めている部分もあるわけで。

しかし、その諦めさえもどこか心地よくて、こいつには絶対教えてなどあげないが、

頼りになる友人だと思うようになってきていた。

 

千晶「まっいっか。また今度ね」

 

なにがまた今度なのかは、わからない。わからないけど、想像だけは出来た。

だから俺は、しらじらしく返事を返す。

 

春希「また今度な」

 

千晶「じゃあさ、・・・はい」

 

先送りにしてくれた見返りなのか、和泉は右の手のひらを差し出してくる。

どこか見たことがある光景は、デジャブだろうか? いや、デジャブにしてください。

 

春希「はいって?」

 

千晶「だから、また春希んちの合鍵貸してくれないと困るかなって。

   だって、料理教えるのは春希んちでやるわけだし、それに、

   春希ってバイトとかで時間が不規則になることがあるじゃない。

   どうせ私と約束しても、バイト優先になるだろうしさ」

 

春希「俺は約束の時間には、いつも10分前には着くようにしているぞ。

   約束の時間を守らないのは、和泉の方だろ」

 

千晶「たしかに、なにかしらの約束をしたのならば、

   ほぼ確実に春希は約束の時間を破らない。

   もし時間に間に合わないようだったら、電話なりして遅刻する事を早めに伝えて

   くるだろうしね」

 

春希「当然の行動だ。人としての当たり前のマナーだろ」

 

千晶「かもしれないけど、これが心を許した相手になると変わってこない?

   例えば、バイトと料理教室を天秤にかけて、この料理教室の先生を

   紹介された誰かに頼んだのだったら春希はバイトと同列に見るはずでしょ」

 

春希「バイトは仕事だから途中でぬけにくいけど、料理教室の先生をお願いしたのなら、

   あらかじめバイトの方で時間の余裕をとって、料理教室の方で迷惑かけないように

   色々対策を練っていたかもしれないな。

   でも、料理教室はプライベートだし、バイトと天秤にかける事はしないと思うぞ。

   まあ、和泉が言いたい事は、なんとなくわかったけど」

 

千晶「そだね。

   でも、春希が誰かに迷惑をかけないように立ち振舞っていることはたしかでしょ」

 

春希「そうかな? けっこう迷惑かけまくってるとは思うぞ」

 

千晶「それでも自分でなんでもやってしまおうとはしているでしょ」

 

春希「そう言われてしまうと、そうかもしれないけど」

 

千晶「だからさ、私には気を使わなくてもいいから。

   バイトがあるんなら、とことんバイトしてきていいよ。

   そのほうがすっきりするしね。

   その代わり、私も春希に対して気を使わない。・・・・・ねっ?」

 

すっごく大胆な事を言っているはずなのに、和泉の言葉がすぅっと心に染み込んでいく。

和泉の表情にも、いつもの人をからかうような軽い印象は見受けられなかった。

こいつなりに考えて言った言葉なのかもしれない。

そうだな。こいつとなら今までとは違う女友達を築いていける気がする。

俺が求める都合がいい女友達ではなくて、お互いが求めあう友人関係。

きっとこれから少しずつ軌道修正していって、しっくりくる形でおさまるのだろう。

 

春希「お前は今までだって俺に気を使ってないだろ」

 

だからつい俺の方が軽口を言ってしまう。

俺の照れ隠しだって、俺も、目の前にいる親友も、気が付いているはずだ。

こいつはいつだって俺に気を使ってくれていた。

細心の注意を払って、俺が傷つかないように守ってくれていた。

それが和泉なりの目的があったにしろだ。

 

千晶「それは酷い言いがかりだよぉ。

   そりゃあさぁ、春希には迷惑かけているし、ご飯も奢ってもらっているし、

   最近でもご飯まで作ってもらっているけどさぁ・・・」

 

ほら。名女優でもある親友は、俺の状態を俺以上に把握している。

だから、俺が話しやすいように場を和ませてくれている。

 

春希「俺にたかりすぎだろ」

 

千晶「そうかなぁ。使えるものは、なんだって使い倒さないとね」

 

春希「使い倒して、ボロボロにだけはするなよ」

 

千晶「わかってるって」

 

さて、和泉には言わないとな。

もちろん今すぐ全てを話せるわけではない。

けれど、話せる範囲で、俺の今後の事を伝えなければならない。

和泉との約束は、守れそうにないな。

こいつが無事卒業できるようにサポートするって、約束したのに。

ごめんな、和泉。

それでも、前期日程だけは、全力でサポートするよ。

後期日程は、側にいる事は出来ないけど、出来る事は全てやってから日本を離れるつもりだ。

 

春希「なあ、千晶」

 

千晶「ん?」

 

春希「千晶が俺の友達でいてくれて、本当によかったよ」

 

千晶「好きでやってる事だし、問題ないんじゃない?」

 

俺が書き変えた台詞に気が付いているはずなのに、

千晶はそれが初めからそう書かれているみたいに演じ続けてくれる。

こんなどうしようもない俺につきあってくれるなんて、千晶はどこまでお人よしなんだよ。

普段は俺の事をお人よしだって言ってるくせに、千晶の方がお人よしじゃないか。

 

春希「そっか・・・」

 

千晶「まあね」

 

春希「なあ、千晶」

 

千晶「ん?」

 

春希「俺は、後期日程からNYへ研修にいくつもりなんだ」

 

千晶「そっかぁ。・・・ん、わかった」

 

春希「驚かないのか?」

 

千晶が驚かない事に、俺は驚いてしまう。俺にパラサイトしているあの千晶が。

拠り所となる俺がNYへ行くんだぞ。

最近では俺の手料理をねだってくるが、それはこの際問題ないとしても、

大学の講義の方は大丈夫なのか?

卒論なんか、ギリギリまでやらないんじゃないかって不安になってしまう。

 

千晶「なにかあるとは思っていたけど、想定範囲内かな。

   さすがにNYは驚いたけどね」

 

春希「卒業を全力でサポートするって言ったのに、途中で投げ出す事になってごめんな」

 

千晶「ううん。どうせ春希の事だから、

   前期日程で、やることはすべて叩きこんでいってくれるんでしょ?

   なら、あとは私が実際にやるだけだし、春希がやることなんてほとんどないと思うよ」

 

勘のいい千晶は、俺の不安をすぐさま読み取り、

しかも、俺の背中を押そうとまでしてくれる。

こいつって、こんなにもいい女だったのか。

側にいすぎて気がつかないって、こういう事をいうんだろうな。

 

春希「もちろん俺がやれる事は全てやってからNYへ行くつもりだけど、

   千晶は、それでいいのか?」

 

千晶「春希が決めたんでしょ? 

   寂しくなるけど、しょうがないから笑顔で送り出してあげるっ」

 

春希「ありがと」

 

千晶「どういたしまして。・・・となると、このマンションはあと半年ってところか。

   寂しくなるなぁ」

 

春希「そのことなんだけど、今週末には実家に引っ越す予定なんだ」

 

千晶「はぁ? いくらなんでも急すぎない?」

 

さすがに俺が当事者じゃなかったら、千晶と同じ感想を持つよ。

しかし、当事者としては、それなりの理由があるわけで。

 

春希「後期日程からNYに行くからな。それまで、出来る限り節約しようと思って。

   あっ、でも、弁当の事は気にするなよ。

   そのくらいの余裕はあるし、料理の勉強でもあるんだからな」

 

千晶「さすがの私でも、いきなり自分のお弁当を気にしたりしないって」

 

春希「でも、他の重要事項が解決したら、弁当の事も騒ぎ出すんだろ?」

 

千晶「当然」

 

ほら、そこ。胸を張っていばらない。

それが千晶らしくて落ち着くから、いっか。

弁当に限らず、優先事項上位だけを解決していくだけじゃダメなんだよな。

いくら下位であっても、それは俺の日常の一部であり、

それらすべてによって俺が成り立っている。

後回しにしたとしても、見ないふりをして日本に置いていくことなどできやしない。

 

千晶「それじゃあ、料理教えるのは、春希の実家でいいの?」

 

春希「うぅん・・・。たぶん問題ないと思うけど、

   一応母親に使っていいか聞いてみてからだな。

   俺の立場としては、NYへ行くまで置いてもらう身だかな。

   でも、この前会った時の感じとしては、大丈夫だと思うぞ」

 

千晶「前から思っていたけど、春希の親子関係って、めんどくさそうね」

 

春希「そうはっきりと言われると釈然としないけど、事実だから言いかえせないのが痛いな」

 

千晶「でも、親と話してみたりすると、あっさりしたものなんじゃないの?

   自分だけ深く思い悩んでいて、実際行動に移してみると、あっさりすぎるほど

   するっと解決しちゃってさ」

 

春希「そうかもな」

 

千晶「え?」

 

千晶に相槌を打ったというよりは、自分で確認したかっただけだと思える。

母に実家に戻ると伝えに行ったあの日。

実際千晶が言う通りあっさり事が進んだ。

しかも、想定以上にあっさりすぎるほどするっと解決してしまった。

そのために、俺の方が戸惑ったほどだった。

 

春希「前に話したか覚えていないけど、・・・どうだったかな、親に頼らないように

   暮らしているってくらいは話したか?」

 

千晶「うん、そうだったかも」

 

春希「まあ、よくある擦れ違いって奴で、親が離婚した後、母親に引き取られたんだけど、

   お互いの距離感がうまく取れなくなって、そのうちお互い干渉しなくなり、

   そして関心もなくなった。

   で、今に至ると」

 

千晶「あっさりすぎる説明すぎない?

   険悪な関係ではないけど、お互い興味がないから無関心ってところ?」

 

春希「まあな」

 

千晶「ふぅん」

 

春希「ふぅんって、あまりにもあっさりすぎる反応だな」

 

同情してもらいたいわけではないけれど、それでもその反応、軽過ぎじゃないか?

・・・俺は、千晶に慰めて欲しかったのか?

違うな。もっと踏み込んで欲しかったのかもしれない。

千晶は、踏み込まない、な。その辺の距離感をよくわかっている。

俺が踏み込んでほしい時、その時になって初めて土足で踏み込んでくるはずだ。

まあ、覚悟しておかないとな。容赦ないからな、この親友さまは。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。