異変とは、妖怪が妖怪であるためのものであり、妖怪を妖怪足らしめるのに最適なものである。人を襲うのが妖怪であり、人の信仰から生まれるのが妖怪である。
人を見下し、人を食い物にする妖怪が実際のところ人から生まれるというのは皮肉なものだ。
異変が頻繁に起こっていた時代があった。
その時代に異変を起こすのは妖怪であったり、神であったり、天人であったり。どの異変にも共通するのは異変が人間によって起こされたことはないということだ。
異変を解決するのは誰か。当然、人間だ。
異変を起こした妖怪は人間に退治される。それが幻想郷と呼ばれる秘境の摂理であり、真理であった。
異変解決を生業とする巫女がいた。
不思議な少女だった。誰にも興味がないようで、妖怪でも受け入れる懐の深さ。
吹けば飛ぶような儚さを持つくせに、戦えば大木のように揺るがなかった。
博麗の巫女と呼ばれた彼女の下には、多くの妖怪が集まった。なぜか妖怪は退治する人間の下へ集まったのだ。
まるで魅入られたかのように。
異変が起こらなくなって十数年、彼女の周りには妖怪たちが集まらなくなっていた。
彼女自身がそれを寂しいと感じているのか、嬉しいと感じているのかは誰にもわからない。
ただ、博麗神社はとても静かに、時が止まったかのように動きがなくなった。
きっとその原因は――博麗 霊夢が親になったからなのだろう。
◆
金髪の少女が博麗神社の裏手にある池の周りを箒で掃いていた。
いまの季節が秋ということもあり、博麗神社は落ち葉による侵略を受けている。
さて、この金髪の少女は霧雨 魔理沙なのか、という問いには否と答えておこう。
彼女は金髪で箒も持っているが、彼女の髪は短く、服は腋が丸出しの変わった巫女服を着ているのだから。
では、何かの間違いで髪を染めた博麗 霊夢なのか。それもまた違う。
金髪の彼女の巫女服は白黒で、紅白を好む霊夢とは趣向が違っていた。
この霊夢と魔理沙を足して二で割ったような少女の名は冴月 麟だ。
彼女は二カ月ほど前から博麗神社の厄介になっている。
麟がなぜ博麗神社の落ち葉掃きの手伝いをしているかと言うと、彼女が生真面目で誠実な性格だからだろう。
博麗神社の厄介になっている身で、彼女が博麗神社に対して何もしないというのは彼女自身の良心が許さなかったのかもしれない。
彼女は嫌々落ち葉を掃いているわけではなく、恩返しの気持ちから喜んでやっているのだ。
終わりの見えない落ち葉掃きをやりながらも、彼女の口元には薄く笑みが浮かんでいる。
この少女は根っからの善人なのだ。
善人が不幸な目に会うという話はありがちな話だ。
幻想郷という秘境に朝の占い番組というものがあったとしたら、彼女はきっと「水難注意だ」と宣告されていただろう。
この日彼女に起こった不幸は、池から飛び出してきたずぶ濡れの亀が彼女の巫女服に引っ付いたことである。
「え、なになに!?」
いきり立つ彼女の問いに答えてくれる者は誰もいなかった。
掌サイズの亀は麟のことをジッと眺め、彼女の服に張り付いたまま動かない。
麟は先ほどまでの笑みを忘れてなんとも言えない表情を浮かべながら亀の甲羅を掴んだ。
それに対して亀の返答は殻に籠るならぬ、甲羅に籠ることだった。
手足が引っ込んだことで服への吸着力がなくなった亀は重力に従って落下する。
麟はそのまま落下する亀をキャッチして池へと優しく放り投げた。
この時の彼女の表情は如何にも良いことをしてやったという顔で、亀を腹いせに虐めたりしないあたり彼女の善性が伺えた。
麟の顔が突然驚愕の表情に変わったのはその直後である。
なんと、亀が宙に浮いている。
亀が宙に浮くという事態を目の当たりにすればどんな胆力を持つ人物でも、いまの麟のような表情を浮かべるのではないだろうか。
亀は宙に浮いたまま麟の下までふよふよと移動した。
自分に近づく不気味な亀に対して、麟は手に持った箒を振り回すでもなく受け入れた。
「あなた、水の中に入らなくても大丈夫なの?」
幻想郷で空を飛べるのは大抵が神魔妖怪の類である。
人の言葉が通じると思ったのか、麟は亀に話しかけていた。
麟が例え美少女だとしても、動物に話しかけるというのは痛々しい行為である。
本来なら少女の黒歴史として刻まれるはずの亀への問い掛けは、亀がしっかりと首を縦に振ったことで刻まれずに済んだ。
そもそも、亀は陸上でも十分に活動できる生物なのだ。
麟は亀に対して何か勘違いしている可能性がある。
麟は亀からの返答が得られたことに再び驚いたが、今度は亀を拒まなかった。
「あなたのお家はその池?」
麟はどこか寂しそうに聞いた。
亀は首を横に振って頭を伏せた。
その様子は落ち込んでいるようにも見える。
「あなたも帰る場所がわからないの?」
今度は亀が首を縦に振った。
麟はそれを聞いて嬉しさと悲しさが入り混じったような表情を浮かべる。
矛盾しているが、本当にそんな表情を浮かべたのだ。
「じゃあ、私と一緒だね。おいで」
亀はまた首を縦に振って、麟の肩に乗った。
麟は亀の頭を一撫でしてから池を後にした。
彼女の服は濡れたままで、秋の風は冷たい。
秋風が吹いているが、風が彼女の髪や服をはためかせることはなかった。
まるで風が彼女を避けているかのようである。
麟が博麗神社の裏手から境内の方に出ると、もう一人の少女がいた。
少女は手に箒を持ち、先ほどの麟と同じく落ち葉を掃いている真っ最中だ。
麟とは違い、その少女は紅白の巫女服を着ている。
では、彼女こそが博麗 霊夢か。それは否である。
彼女の髪は霊夢のように完全な黒髪ではなく、薄く緑がかった黒髪だ。そして何より、彼女の巫女服は腋が出ていなかった。
「麟、何よその恰好。それにその亀」
「さっきこの子が神社の裏にある池から飛び出してきたの。そのおかげでビショビショよ」
麟の恰好を見た少女はやや釣り上がっている目を更に釣り上げ、口をへの字に曲げた。
彼女は謎の亀を睨みつけて凝視するが、箒を動かす手は休めない。
少女の問いに麟は苦笑する。
「池からねえ……まあ、風邪引くから着替えてきなさい」
「うん。その後お茶にしようね!」
麟はニッコリ笑って神社の中へ消えて行った。
それを見て少女は溜息を吐く。
「あの子って動物好きだったのかしら」
誰に問いかけるでもなくそう呟いた。
この少女と麟はまだ出会って二ヶ月程度の関係なのだ。麟について知らないことも多い。
少女はもう一度大きな溜息を吐いてから掃除を再開した。
そこに、一人の女性が現れる。
女性は美しかった。
赤と白の柄の和服に身を包み、頭には大きなリボンをつけている。
和服とリボン、なぜかこのミスマッチしそうな恰好がその女性にはとても似合っていたのだ。
少女はその女性の見慣れた美貌に見惚れるでもなく、麟に対して吐いた溜息を超える大きな溜息を吐いた。
まるでその女性に対して見せつけるかのようにオーバーなリアクションである。
「魅子、お茶にしましょうよ」
女性は透き通るような声で少女の名を呼んだ。
巫女服を来た少女の名前が“ミコ”だなんて、おかしな話である。
その名前を名づけた親がどんな考えで名づけたのか問いただしたいものだ。
「母さん、私はいま境内の掃除で忙しいの。後にして」
少女、魅子の名前をつけたのはその女性であった。
魅子は母に対して向けるような視線ではなく、まるで働かない夫を見るかのような目で睨んだ。
母は娘の不躾な視線を注意するでもなく、それに対して傷ついた様子もない。
お茶の誘いを断られたのが不満なのか、少しだけ唇を尖らせて足元の小石を蹴っ飛ばした。
その小石は魅子が朝からかけてかき集めた落ち葉に当たり、落ち葉が辺りに散らばった。
「あっ! 何するのよ!」
「わざとじゃないわよ。それより、落ち葉なんて集めてもキリがないからやめなさいよ」
「母さんはそうやってすぐ楽をしようとする。お茶を入れるのだって私じゃない。手伝ってよ」
母の暴挙に魅子は声を大にして抗議したが、反省する様子はなかった。
それどころか娘の努力を誉めるでもなく、作業を中断してお茶を淹れるよう促す。
ここまでの話を聞いてわかると思うが、母よりも娘の方がしっかりしているのだ。
怠惰な母を見て魅子は目頭を押さえて上を向いた。
まるで仕事に疲れた中年のようである。まだ十代前半の少女であるというのに。
「さ、お茶にしましょう」
「あ、待って! いや、離して!」
怠惰な母は勤勉な娘の腕を掴んで尋常ならざる力で神社の方まで引っ張って行った。
魅子は振りほどく努力をしたが、如何せん母の力は強すぎた。
暴れる魅子を見ても母は表情を変えない。だが、母の言葉は魅子を大人しくさせた。
「今日は私がお茶を入れてあげるわよ」
「えっ?」
魅子はその言葉を聞いて途端に大人しくなった。
母のお茶というのが魅力的なのか、それとも珍しいことを言った母に驚いて固まったのか。
魅子が大人しくなった理由は彼女にしかわからない。
娘が借りてきた猫のように大人しくなったことをいいことに、母はそのまま腕を引っ張って縁側まで連れて来た。
そこには既に先客がいた。
「うぉ~い。なんだぁ? 魅子が珍しく大人しいや」
顔を赤らめた先客の少女は、いつになく大人しい魅子を見て火照った顔を捻った。
捻った先の腕に自身の角が突き刺さり、縁側でもんどりうつ。
それを見た母はクスリともせずにお茶を入れに奥に消えた。
「萃香……さん。大丈夫ですか?」
「萃香でいいって何度言えばいいんだい? 私は大丈夫だよ。鬼がこのくらいで傷つくわけないだろう?」
萃香と呼ばれた少女は胸を張ってそう答えた。誇らし気に、小さい体に反して凄みのある声で。
魅子はその覇気のある声に一瞬体を震わせたが、すぐに何でもないよう取り繕った。
そんな彼女の一連の行動を見て少しだけ萃香は微笑んだ。
「笑わないでくださいよ……わかりました。萃香って呼べばいいんですよね?」
「敬語も無しだ」
萃香は意地悪く笑う。
魅子は敬語も禁止され、困ったように俯いた。
まだ知り合って半月しか経ってない相手で、しかもそれが大妖怪の鬼ともなれば恐縮してしまうのも仕方ない。
だが、萃香が呼び捨てを強制し、敬語を禁止するのは訳があった。
「博麗の巫女が妖怪に敬語なんて使ってたら笑われちまうよ?」
「うっ……」
そう、そうなのだ。この魅子という少女は博麗の巫女である。
半月ほど前に先代の博麗の巫女、博麗 霊夢から正式に博麗の巫女を継いだのが博麗 魅子、博麗の巫女なのである。
そうして魅子が萃香から厳しくも正しい指導を受けていると、魅子の母がお茶と茶菓子を持ってやって来た。
「霊夢、遅かったじゃないか」
「あんたにはやらないわよ、萃香」
しれっと萃香に厳しいことを言うこの美しい女性こそが魅子の義理の母親にして歴代最強の博麗と呼ばれた博麗 霊夢だ。
博麗の巫女として活躍していた当時より見た目も力も成長した霊夢は、娘に後を継いだのだ。
まだ現役として十分すぎるほど働ける霊夢がなぜ未熟な魅子に巫女の役目を明け渡したのかは誰にもわからない。
そのことについては霊夢の友人である萃香にも、娘である魅子にもわからなかった。
萃香は三人分用意されていた茶菓子を見てニヤニヤといやらしい笑みを浮かべた。
霊夢は何だかんだ言って萃香の分を用意してくれていたのだ。
「意外と可愛いところがあるじゃないかー、れいむぅ」
「気持ち悪いわね。ほんとにあんたの分じゃないってば」
ニヤニヤとした笑みを浮かべたまま霊夢ににじり寄る萃香を、彼女は鬱陶しそうに引き剥がした。
じゃれ合う二人の後ろから、足音が聞こえた。
萃香が音に気づいて振り向くと、そこには麟がいた。
「この茶菓子はあの子の分よ」
「そんなあ……」
あんまりな仕打ちに、萃香の笑みが消えて涙目に変わる。
これこそ、鬼の目にも涙である。
自分の能力で霧になるという芸で悲しみを表現していた萃香は、ある“異変”に気づく。
「あれ、これって……」
萃香が実体化して空を見上げる。
それに釣られてその場にいる全員が上を見た。
さっきまでの青い空は消え失せ、代わりに血のように赤く染まった不気味な空が広がっていた。
「何よこれ……」
「え、私が着替えている間に何かあったの?」
魅子は眼前に広がる信じられない光景を見て呆然とする。
麟は空の異変に気づき身を震わせ、魅子に尋ねるも彼女自身事態を把握していない。
魅子と麟が突然の事態に慌てているのに対して、霊夢と萃香は神妙な顔で目を合わせた。
霊夢は実体験として、萃香は人伝に知っていたのだ。この“異変”を。
幻想郷で数々の異変を解決してきた博麗の巫女、博麗 霊夢が最初に解決した異変。
この空は紅霧異変で起きた現象と酷似していた。
「霊夢、これはあの吸血鬼の仕業か?」
「こんなことするのはあいつしかいないでしょ」
先ほどまでの柔らかな表情から一変して、萃香が剣呑な表情を浮かべて霊夢に尋ねる。
霊夢はこの異常事態にもマイペースを崩さず、萃香の質問に答えた。
魅子は以前から人里で母の偉業を耳にしてきた。
そのおかげか、彼女は得心がいったかのように手を叩いた。
赤い霧、吸血鬼。その二つの単語が魅子の頭の中である異変の存在を示唆する。
麟は未だ何もわからないのか、目を白黒させたまま肩の亀をそっと撫でた。
「これは紅魔館に住むという、吸血鬼の仕業ね! 母さん?」
「コーマカン?」
魅子は母に対して指を突き立て、目をギラギラさせてそう尋ねた。
麟は紅魔館という単語に聞き覚えがなかったのか、オウム返しのように聞き返した。
娘から指を指された霊夢は、それを咎めるでもなく厳かに頷いた。
それを見て魅子が宙に浮かび上がった。
この場にいる誰もが、その現象を見ても驚かない。
亀が浮かぶのに驚いた麟も驚かない。幻想郷で少女が空を飛ぶのは、当たり前の事なのだ。
そして、魅子はそのままみんなに背を向けて飛び去ってしまった。
飛び去る刹那、萃香が何か魅子に飛ばしたが、彼女はそれに気づいていないようだった。
「え、魅子はどこに……?」
一人事態についていけてない麟が萃香と霊夢の顔を交互に眺めた。
霊夢はこの霧が立ち込める空の下、落ち着いてお茶をすすり始めた。
萃香は目を閉じ、瞑想するように座禅を組み始める。
つまり、麟の問いに答えてくれる者はいない。
「――ねえねえ、さっきみーちゃんが飛んでくの見たんだけど、どうしちゃったの?」
麟の問いに答えてくれる者はいなかったが、麟に問いかけてくる者ならいた。
麟が声のする方を振り向くと、そこには白黒の魔法使いがいた。
トレードマークのトンガリ帽と箒、黒いドレスに白いエプロン。恰好だけなら人間の魔法使い、霧雨 魔理沙そっくりだ。
霧雨 魔理沙との違いと言ったら、女性にしては高めの身長に豊満な胸、櫛が引っかからずに通りそうなロングの金髪だろうか。
彼女の名は、霧雨 魔理亜という。
魔理亜は困惑して固まっている麟の近くまでよると、彼女の小さい頭を撫で始めた。
その手つきは子供に対するそれであるが、子ども扱いされたことを麟が怒ることもなかった。
実際、魔理亜の方が麟よりも年上である。
魔理亜の手のおかげか、それとも時間が解決してくれたのか。麟は我に返ったように目を見開いた。
「あ、あのね、魅子が赤い空を見て急に飛び出して行ったの。コーマカンがどうとか言って」
「ああ、紅魔館ね。紅い魔の館と書いて紅魔館。この赤い空もそこに住む吸血鬼の仕業よ」
魔理亜は冷静に、この赤い空を眺めながら淡々と言った。
確かに、魅子は紅魔館に住む吸血鬼の仕業だと言っていた。
妖怪の仕業だとすれば、博麗の巫女の出番である。
それはここ二ヶ月博麗神社で暮らしてきた麟にも当然理解できるはずなのだが、彼女は釈然としない表情を浮かべていた。
「その吸血鬼は空を赤くしただけなんでしょ? まだ退治するには早いんじゃない?」
悪さをしてない妖怪を退治する必要はない。麟はそう言いたいのだろうか。
その甘さは彼女の善性を証明してくれるが、その善性は弱さである。
魔理亜は子供に答えづらい質問をされてしまったかのように困った笑みを浮かべた。
その手はまだ麟の頭上にある。
「事件が起こってからじゃダメなのよ。妖怪の悪事を未然に防ぐこと。それも博麗の巫女の務めだと思うわよ?」
魔理亜は指を立て、口元に当ててニッコリ笑った。麟を諭しつつ、霊夢の方をチラリと見て。
麟はそれでもまだ納得できていないのか、腕を組んで体を傾けた。考えごとをしているせいか、口がへの字に曲がる。
魔理亜はそんな麟を見てまた笑うと、空に向けて手をかざした。
すると空に舞う赤い霧が彼女の手に集まり、球体上に形を為す。
その赤い霧の塊を麟に差し出した。
「この霧は無害ってわけじゃないわ。霊力と魔力、両方を操れるりんちゃんならわかるわよね?」
麟はその霧をジッと眺めた。目を凝らし、睨み付けるようにして霧の球体を眺め続けた。
やがて何かを理解したのか、霧から距離を取った。
その顔はしかめっ面で、少しばかり嫌悪感が露わになっていた。
「この霧、嫌な魔力が籠ってる……」
目を凝らして麟は何を見たのか。彼女の表情から察するに、この霧が人体に悪影響を及ぼすということは想像に難くない。
魔理亜は教え子が難問に正解したかのように、人里に住む寺子屋教師のようなたおやかな笑みを浮かべた。
そして、手の中にある霧を消滅させる。
「みーちゃんは博麗の巫女としての使命を果たしに行ったのよ……でも、吸血鬼の相手はまだ早いんじゃないかしら――ねえ?」
魔理亜はそう言って、お茶をすする霊夢を見た。
姉と同じ金色の瞳はやや濁り、穏やかな表情に反して体から強大な魔力が漏れ出していた。
一瞬だけ瞑想する萃香の体がぶれる。麟も魔理亜の魔力に気づき、顔を強張らせる。
各々反応を見せるが、霊夢だけは変わらずお茶をすすっていた。
そして一息ついてから霊夢はお茶を縁側に置く。
「なら、あんたたちが魅子について行けばいいんじゃない? 異変を人間が解決する分には、博麗の巫女である必要はないわ」
魔理亜、麟の両名に電撃が走った。
表向きでは幻想郷で異変を解決してきたのは博麗の巫女となっている。
異変解決に関わった魔法使いやメイド、庭師、現人神の名が文献に出てくることは驚くほど少ない。
魔理亜は姉の魔理沙が異変に関わってきたことを深く知っているが、姉の名前を文献で見ることはなかった。
いつも新聞や本では博麗の巫女が崇められ、讃えられていた。
魔理亜が姉にそのことについて尋ねると『私は霊夢にちょっかい出してただけ』と言うだけなのだ。
故に、先代の博麗の巫女から異変に関わることを勧められるのは、魔理亜にとって想定外だった。
魔理亜は唇を震わせた。
「私やりんちゃんが異変を解決したとして、新聞にはどう載るのかしらね」
「さあ。そんなの新聞屋気取りの天狗が好きなように書くだけでしょ」
麟は異変解決に向かうことが恐ろしいのか、面倒くさいのかはわからないが憂鬱な気分になっていた。
気分の悪さが表情にありありと現れ、この場で魔理亜が霊夢に喧嘩腰でいることが居心地を悪くしていた。
そわそわとする麟に気づいたのか、魔理亜はいつも通りの温和な笑顔を取り戻す。
そして、手に持っていた箒に腰を掛けた。空中で横向きになった箒は、魔理亜のやや安産型な尻を受け止めて静止している。
「りんちゃん、行きましょう。みーちゃんを追いかけるのよ」
「え、うん……えっと、霊夢さん、行ってきます」
麟は状況に流されるままに頷いてしまった。彼女の心境を考えると行きたくない気持ちが大部分を占めていただろう。
麟は肩に乗った亀を腰のポーチに入れると、先に飛び去った魔理亜を追って宙に浮かび上がった。
二人が去り、またお茶をすすり始めた霊夢は何もない後ろを振り返った。
「紫、私はまだ納得してないからね」
隣で瞑想する萃香はもちろんのこと、霊夢の言葉に答える者は誰もいなかった。
◆
先走って博麗神社を飛び出した魅子は、真っ直ぐ紅魔館に向かっていた。
魅子はいつも冷静沈着というわけではないが、年齢の割に落ち着きのある子だ。
そんな彼女をこうまで焦らせ慌てさせる原因はなんだろうか。
魅子が顔を上げると、空を包む赤い霧は先ほどより大きく、濃くなっていた。
この異変を起こしている吸血鬼を野放しにしていると、やがて空だけでなく地上まで霧に覆われてしまうだろう。
急がなくてはならないと焦る気持ちが魅子を急かす。
紅魔館に向かって飛行を続ける魅子が、空中で体を捻った。
何かに頬っぺたを抓られたのだ。
「痛い!」
「こら、慌てるんじゃない」
魅子は耳元で声がしたことに驚き、飛行速度が減速した。
手で顔の横あたりを探ると小さな物体にぶつかる。
指で摘まんで、顔の前までその物体を持ってくるとその正体は見慣れた人物だった。
普段から小さい背丈だが、この時は掌に収まるほど小さくなっている。
伊吹 萃香という鬼が小鬼になって魅子に引っ付いていたのだ。
「何してるんです……だ?」
「未熟なお前が失敗しないようについて来てやったんだよ!」
魅子はまた危うく敬語を使いそうになり、慌てて修正したおかげで滑稽な言葉遣いになってしまった。
魅子に摘ままれたまま胸を張るという器用な芸当をした萃香はキーキー声で喚いた。
体が小さくなったせいか、いつもより甲高く耳障りな声を発する萃香を迷惑そうに睨んで魅子は巫女服のポケットに入れた。
「何をする!」
萃香が抗議の為ポケットの内側で暴れ出すが、魅子のしっぺにより大人しくなる。
小ささ故、威厳も小さくなる。魅子は臆することなくしっぺを放った。
昔ならいくら小さくなろうが鬼の膂力でポケットを破るくらいの芸当はできたのだが、いまの萃香にはそれができない。
妖怪は長い平和により人間から恐れられなくなり、弱体化しているのだ。
よって萃香は未熟な魅子のしっぺで大人しくなるしかなく、仕方なくポケットの中で静かに酒を飲んだ。
魅子が鬼を連れ、順調に紅魔館への道中を進んでいると行く手を阻む者がいた。
二人の人影が魅子を遮るようにして立ちはだかる。
それを見て魅子は慌てて止まる。突然のブレーキにポケットの中で萃香が酒を零してしまった。
「ここを通りたければあたいたちを倒して行きな!」
「うん……ここは通さないよ」
一人は青いワンピースを来た可愛らしい女の子。
背中から生える羽を見る限り、彼女は妖精だ。
もう一人は金髪で白黒の服を来た女の子。麟のような格好だ。
しかし、その瞳は麟のように黒くはなく、血のように赤かった。
元気そうな相方に比べると体調が悪そうに見える。
萃香はポケットの中から顔だけ出して外の様子を伺った。
彼女にとって、二人は知った顔だったのだ。特に、妖精の方は特にである。
「チルノとルーミアじゃないか」
「あれ、萃香? あんたちっこいのね!」
妖精の方がチルノ、金髪の方がルーミアである。
ポケットからひょっこり顔を出して声をかける萃香に対してチルノは元気に答えたが、ルーミアは顔色を悪くしたまま答えない。
魅子は二人と面識がなかったが、そんなのは彼女に関係ない。
立ちふさがる相手は倒すだけだ。
もちろん倒すと言っても武力行使をするつもりは彼女にない。
幻想郷で異変と言えばみんなご存知のスペルカードルールである。
「異変時のルール、わかってるわね?」
「博麗の巫女だぞー? 怖いぞー?」
凄む魅子に対して、茶化すように萃香がキーキーと喚く。
魅子は毒気を抜かれたような顔をするが、すぐに持ち直してスペルカードを構えた。
スペルカードとはあらかじめ設定された技を放つためのカードである。
命名決闘法と呼ばれるスペルカードルールはカードを掲げて弾幕を放つ攻撃側、それを回避する防御側に分かれて交互に勝負を行うのが通例だ。
スペルカードは弾幕ごっことも呼ばれる幻想郷で最もメジャーな決闘法を行うにあたって必須になるカードだった。
「わかってるよ!」
「……うん」
チルノとルーミアも、互いにスペルカードを取り出す。
お互いにすぐにでもカードを宣言しそうな勢いである。
「待ちな」
ここで勝負を始めようとする三人に萃香が待ったをかけた。
萃香は真剣な表情を浮かべてポケットから身を乗り出し、体の小ささに反して大きな声を発する。
「お前ら、二人がかりとは卑怯なんじゃないかい?」
「私は構わないけど」
萃香は小さくなっていて戦いには参加できそうにもないので、この場は魅子一人で戦うことになる。
萃香は勝負に口出しするのを嫌う一方で、一対一、正々堂々の勝負を好む鬼でもあった。
余計なお世話だったのか、魅子は口を尖らせて萃香の頭を小突いた。
頭を小突かれた萃香は手で患部を押さえるが、本当に痛みを感じているのかは怪しいところである。
わざとらしく頭を押さえる萃香はこう続けた。
「それでも、だ。お前らはそれぞれ、スペルカードを半分にして戦え。魅子が二枚なら一枚ずつ、四枚なら二枚ずつだ」
萃香は頭を押さえながら丁寧に勝負方法を提案した。
萃香が丁寧に、ゆっくりとスペルカードの枚数について説明するのは目を回して計算を行うチルノの為だろう。
計算のせいで熱くなる頭を自身の能力で冷やすチルノを見て、隣ではルーミアが疲れたような溜息を吐いていた。
ともかく、チルノとルーミアは萃香の提案に了承した。
相変わらず魅子は不服そうで不快そうであったが、彼女も渋々頷く。
この場を取り仕切る萃香はさながら審判のようでもある。
「じゃあ、スペルカードは二枚ね。すぐに決めてやるわ」
「さあ、弾幕ごっこの開始だよ!」
妖精と覇気のない木端妖怪が相手だからか、魅子は挑発的な物言いを放つ。
チルノはそれに苛立つでもなく、元気よく勝負の鬨を上げた。
スペルカードの枚数も決まった。魅子が二枚、チルノとルーミアが一枚ずつだ。
萃香の掛け声で両者が動き出す。
先手を切ったのはチルノだ。
「行くよ! 氷符『アイシクルフォール』」
誰よりも先にスペルカードを掲げたチルノ。
弾幕ごっこのルールは隅から隅まで明記されておらず、抜けているところも多い。
スペルカードを交互に繰り出して被弾した方が負け、というのが一般的なルールである。だが、これに反して格闘や変則的な弾幕を用いて弾幕ごっこを行うこともある。
今回は両者ともに一般的なスペルカードルールにて決闘を行うつもりだが、魅子は相手を信用していなかった。
博麗の巫女を任される前から妖怪退治を経験してきた魅子は、変則的なルールや妖怪の身勝手な行動に付き合わされてきたのだ。
相手がどんな行動に出ようとすぐに対処できるように気を張っている。
さて、そんな懸念はいまどうでもいい。チルノの弾幕がどういったものなのかが気になるところだ。
勝負の勝ち負けよりも美しさを第一とする弾幕ごっこらしく、チルノのスペルカード『アイシクルフォール』もキラキラと輝く美しい弾幕だった。
チルノから次々に飛び出すつららは規則性を持って相手に放たれていく。
つららは光を反射して輝き、光の屈折で虹ができていた。
光の発信源は、チルノの背中から放たれる黄色の弾幕である。
この黄色い弾幕は攻撃の目的よりも、弾幕の美しさを際立たせるためのおまけみたいなものだった。
魅子はこの弾幕の美しさに一瞬見惚れたが、すぐに頭を切り替えて動き出した。
まずは弾幕の法則を見極めるために、魅子は油断なくつららの動きを観察しながら飛行し続ける。
スペルカードはあらかじめ設定された行動をする弾幕なので、相手によっては弾幕の傾向を把握することが可能なのだ。
チルノのスペルカードが始まってから数分、魅子が笑みを浮かべた。
「あんたのスペルカードは見切ったわよ。単純な弾幕じゃない!」
魅子は言葉通り、弾幕をスイスイ避けて行く。
つららの軌道がわかってるかのような淀みない動き。チルノのスペルカードは始まって数分で知り尽くされてしまった。
弾幕を観察する魅子とは違い、ポケットの中で萃香はチルノを観察していた。
単純一途、短絡的な思考回路を持つチルノだとしても、この弾幕はあまりに簡単すぎる。
萃香はそこが引っかかっていた。
チルノはあれでも十年以上弾幕ごっこを続けてきた戦歴がある。
例え物をすぐに忘れる妖精でも長年やり続けてきた弾幕ごっこなら進歩があってもいいはずなのだ。
その時、チルノは笑っていた。彼女らしからぬ、静かな笑みを浮かべている。
「かかったわね!」
突如、チルノのスペルカードが変化を遂げた。
先ほどまでチルノの正面付近の弾幕は手薄だった。そこに魅子はつけこみ、回避の容易な正面を陣取っていた。
それが一変、正面から大量のつららが降り注いできたのだ。
光を浴びてキラキラと輝くつららは魅子に襲い掛かる。
突然の事態に魅子はバランスを崩し、つららの一本が巫女服を掠める。
「なっ……」
「へへん、相手が弾幕に慣れたところで変化を加えると最強だって魔理沙が言ってたもんね!」
萃香はチルノの策略に大変感心していたが、ただの受け売りだと知るやガックリと肩を下した。
だが、受け売りだったとしてもチルノの作戦は魅子に精神的な打撃を与えた。
魅子は正直、チルノを嘗めていたのだ。
妖精なんかが自分に適うはずもない、と。
魅子は油断しきっていた自分に苛立ち、更に動揺から飛行を乱してしまった。
安全地帯のなくなったフィールドで、魅子は無様な避け方で弾幕を危うげに回避する。
彼女の表情には焦り、苛立ちが浮かんでおり、時間が経つごとに彼女の動きは精密さを欠いていく。
ここで、一発の弾が魅子の体を捉える。
魅子は自分がスペルカードの弾幕に被弾してしまったのかと思ったが、そうではない。
「私だっているよ」
ルーミアが掌を魅子に向けて構えていた。
いまのはショットだ。スペルカードルールでは、ショットを相手に五発命中させなければ撃墜にならない。
魅子は焦りと苛立ちから集中を欠いていたことを悔やみ、それが更に悪感情を生む。
妖精に翻弄され、博麗の巫女としての任も全うできない魅子。
彼女の歯がギリギリと音を立てた。
いつもの動きができないこと、博麗の巫女としての責任、プライド。様々なものが魅子の重しとなって、弾幕ごっこにも影響を及ぼす。
チルノの猛攻は続き、ルーミアも微力ながらショットで援護を行う。
魅子は何とか、それ以降一発ももらわずにチルノのスペルカードを攻略することができた。
次は魅子の番だ。
彼女は散々やられた仕返しにと、ありったけの敵意を込めてスペルカードを掲げた。
「宝符『陰陽行列』」
魅子がスペルカードを唱えると、彼女の巫女服の袖から次々に小さな陰陽玉が現れた。
陰陽玉は多彩な光を帯びており、三人を取り囲むように辺りに散らばる。
妖精であるチルノにはピンと来なかったが、ルーミアは陰陽玉の光を浴びて顔をしかめた。
「この光……妖怪には毒だよー」
ルーミアは自らの能力で黒い霧を出した。
霧はルーミアを光から守るように彼女の体を包む。
どうやらこの霧は、妖怪に害のある陰陽玉の光を遮ってくれているようだ。
魅子はその能力を見て舌打ちした。
彼女のスペルは陰陽玉の光で弱体化した妖怪を更に弾幕で追い詰めるという攻撃性の高いものなのだが、弱体化の光が通じなければアドバンテージを一つ失う。
チルノは妖精なので光が通用しない。よって魅子は苛立ちから舌を打ち鳴らしたのだ。
だが、彼女は知らないし気付かない。昔のルーミアを知らない、完全な暗闇を作り出せた彼女の事を知らない。
現在の弱りきったルーミアを見て萃香が陰のある表情を浮かべた。
「ルーミア、この中に入って」
チルノは真剣な表情で、氷でできた棺桶を作り出した。
そこにルーミアを手招きする。
ルーミアは素直にチルノの言葉に従って棺桶に入った。
「それは狡いんじゃない?」
魅子が抗議の声を上げる。
確かに、このままでは氷の棺桶を壊さない限りは弾幕をルーミアに当てることができない。
先を急ぐ魅子にとって、この行為は完全に時間稼ぎにしか見えなかった。
チルノは悪びれる訳でもなく逆に胸を張った。
それどころか魅子に指を突きつけて高らかに声を上げて笑う始末である。
「はっはっは! 卑怯でも狡くても、勝てばよかろうなのだ!」
「……そう、容赦はしないわよ」
声と体勢を低くして、魅子が腕を振るう。
彼女がそこまで徹底的に反論しなかったのは、スペルカードルールの曖昧さ故だろう。
弾幕ごっこが一般的になった幻想郷では、あくまで一般的なルールは存在する。
それはあくまで一般的なルールなだけであり、気まぐれで自分勝手な妖怪は度々好き勝手にルールを改変していた。
魅子は妖怪退治の度に変則的な弾幕ごっこに付き合わされてきており、このくらいのズルは慣れっこだった。
魅子が腕を振るうことで、陰陽玉の行列に変化が起こる。
実は、三人の周りを囲む陰陽玉は規則正しく陳列している。
円系に並ぶ陰陽玉の列は二列あり、内側と外側に分かれている。
内側と外側では陰陽玉の光り方にも違いがあり、内側は暗色、外側は明色の光を帯びていた。
陰陽玉は魅子の振った腕に反応してか、内側の陰陽玉が弾幕を放ち、外側の陰陽玉が内側の陰陽玉の周りを回り始めた。
つまり、内側の陰陽玉が遠距離攻撃の役割を果たし、外側の陰陽玉が直接攻撃を行うのだ。
早くはないが大量に現れてくる弾幕に、不規則な軌道で高速移動を続ける陰陽玉。
小手調べや相手を観察するために放つスペルカードではない。
魅子は最初から全開に飛ばしていた。
苛烈極まる魅子のスペルカードを前にして、チルノは笑みを絶やさない。
ランダムに放たれる遅い弾幕を避けながら、暗い光を放つ陰陽玉の周りを回る明るい陰陽玉に服を掠めていく。
服を掠めながらも、体には一度も直撃しない。
それどころか、時間が経つごとにチルノは弾幕を服に掠めることなく避けるようになった。
チルノが魅子のスペルカードの規則性を発見したのか。
それは否だ。
チルノという妖精は頭が悪い。
友達の魔理沙にはよくからかわれているし、チルノ自身もそれは自覚している。
そもそも、妖精は総じて頭が悪い。
チルノの友人に一人だけ、妖精でありながら聡明な妖精もいる。
だが、それは例外だ。
チルノは通例通り、頭が悪い。
チルノは十年以上弾幕ごっこを続けてきた。
記憶力がなくても体に染みついた経験は語ってくれる。
チルノに囁いてくれる。
経験が安全な空域、迫りくる弾幕の軌道を教えてくれるのだ。
弾幕ごっこにおける魅子とチルノの決定的な違いは経験だけではない。
魅子がチルノのスペルカードを攻略していた時を思い出してほしい。
彼女はチルノのスペルカードを観察し、分析して数分で攻略してしまった。
それはチルノの策略で、単純なスペルカードに慣れてしまった魅子は突然起きた弾幕の変化について行けずに苦戦を強いられた。
この時彼女が浮かべていた険しい表情は、決してチルノの弾幕を楽しんでいる様子はなかった。
いまのチルノはそんな彼女とは違い、心から彼女のスペルカードを楽しんでいる。
複雑で、不規則で、先が読めない難しいスペルカード。
それをチルノは楽しんで攻略していく。
――弾幕ごっこは楽しんだもん勝ちだぜ!
とある魔法使いは言った。
その通りなのかもしれない。
――こりゃあ、魅子じゃ敵わないかもしれないね。
萃香はポケットの中で、心の中でそう考えた。
魅子は弱くない。
いままで妖怪退治を続けてきた経歴があり、魅子は退治してきた妖怪たちと弾幕ごっこを続けてきた。
実戦経験がないわけではない。
弾幕ごっこは、ごっこ遊びなのだ。
幻想郷でメジャーな決闘法だったとしても、弾幕ごっこはごっこ遊びでしかない。
楽しめない奴が、勝てるわけがない。
「クソッ」
魅子が悪態を吐く。
彼女の心に影響され、弾幕が揺らぐ。
一瞬の間を逃すチルノではなかった。
「うわっ」
チルノの放った氷のつぶて、ショットが魅子を捉えた。
これで計二発。魅子は残り三発で撃墜されてしまう。
被弾したことで更に動揺したのか、本来もう少し続くはずの弾幕が掻き消える。
あらかじめ設定されている弾幕が心に影響されるというのもおかしな話だが、弾幕の維持にはそれなりの集中力を要するのだ。
周囲に満ちていた妖怪を害する光が消え、ルーミアが氷の棺桶から出てくる。
彼女は懐からスペルカードを取り出して、震える手でカードを掲げた。
「月符『ムーンライトレイ』」
ルーミアが手を横に広げ、彼女の体が十字架になった瞬間からその弾幕は始まった。
体から三百六十度、全ての方向に放出される青白い弾幕。
そして、彼女の両手から魅子に向けて突き進むレーザー。
この弾幕はチルノの時と違い、全方向に向けて弾幕が放出される。
魅子だけでなくチルノもルーミアの弾幕を避けなければならなかった。
しかし、全方向に放出される弾幕は大して脅威ではない。
チルノは友人の弾幕を楽しみながら、時折魅子に向けてショットを打ち続けた。
魅子は青白い弾幕とチルノのショットを避けながら、彼女を狙うレーザーの動向に気を配っていた。
ルーミアの手から伸びるレーザーは手の動きに連動している。
弾幕ごっこでは美しくないという理由から、完全な追尾弾が撃たれることはない。
追尾弾が撃たれても、時間制限で消滅するものが一般的だった。
だが、ルーミアのレーザーは常時発動型であり、本人の自由な意思で動かせる。
レーザー自体の動きがあまり早くなく、避けやすいように配慮はしているようだが、多少反則的な代物だった。
チルノのショット、撒き散らされる弾幕、レーザーの猛攻に魅子は苦戦を強いられる。
氷のつぶてを避け、不気味に青白く光る弾幕を躱し、迫りくる二本のレーザーには体を翻して回避する。
普段の魅子なら問題なくこなせただろうこれらの回避行動を、彼女は焦りと苛立ちから失敗してしまった。
避けられない弾幕を作ってはならない。それはスペルカードルールにも明記してある。
正確には、スペルカードによる弾幕には隙間を作れと提唱されているのだ。
だが、弾幕には絶対に避けられないゾーンも存在する。所謂、デッドゾーンだ。
隙間があるところもあるが、まったく避ける余地のない空間もある。
そこに入り込まないようにして弾幕を避けていくのがセオリーだ。
デッドゾーンに魅子は入り込んでしまった。
普段の観察眼なら、いつもの彼女なら入り込まない死地。
二本のレーザーは彼女の頭上まで迫っている。
喰らうよりはマシだと、魅子がスペルカードを取り出した瞬間。
「ううっ……」
レーザーはルーミアの呻き声とともに、か細くなって掻き消えた。
魅子はレーザーがなくなったことによる隙間に潜り込んで事なきを得た。
スペルカードを懐にしまうと同時に、隙だらけのルーミアにショットを撃ちこんだ。
金髪の少女に撃ちこまれた緑色の弾は彼女の体を揺らし、そのまま落下させた。
「ルーミア!!」
ルーミアから放たれていた弾幕は既に収まり、チルノが焦燥の表情を浮かべて彼女を抱きかかえる。
チルノの腕の中でルーミアは荒い呼吸を上げた。心なしか顔も青い。
魅子は予想外の収穫に口角を上げた。
ショットは基本的にダメージを与えるものではない。
目の前の妖怪は余程弱っていたのか、たった一発のショットで弾幕を維持できなくなってしまったのだ。
「そんな調子じゃスペルカードは使えないわね。今度は私のターンよ」
「わかった……ルーミア、またこの棺桶の中で休んでて」
魅子がスペルカードを取り出し、チルノは宙に氷の棺桶を作り出した。
そこにルーミアを押し込んでから、魅子を見据える。
魅子の周りには色とりどりの光弾が浮かんでいた。
「行くわよ。霊符『夢想封印』!」
紛れもなく、博麗 魅子の最強の技。
博麗の技として最も有名なスペルカードである。
当然チルノもそのスペルカードを霊夢から受けたことがあり、警戒の色を強める。
無数の光弾は多彩な光を放ちながらチルノに迫る。
この弾幕はチルノを追尾しているかのように彼女を追いかける。
『夢想封印』は決して追尾するスペルカードではない。
そう思えるほど、巧みなスペルカードということだ。
チルノはこの巧妙なスペルカードに対しても笑みを浮かべる。
この少女はどんなスペルカードにも恐れを抱かない。
畏れは抱く。相手を尊敬し、敬愛はする。
だから彼女はこんなにも自由に空を飛び続けることができるのだ。
チルノが見事に『夢想封印』を掻い潜る様子を見て、魅子は内心でヤキモキしていた。
異変が始まってからそれなりに時間が経過している。
博麗の巫女として、木端妖怪と妖精如きにここまでの時間をかけていいはずがなかった。
チルノは見事に『夢想封印』を攻略しているが、動きには苦しいものが多い。
服を掠めながら無理をして、加速と減速を繰り返しながら避け続けている。
チルノの顔には大量の汗が浮かび、笑顔こそ崩れないものの飛行が不安定になっていた。
羽も小刻みに揺れ、ショットを撃つ余裕もない。
魅子の弾幕はチルノを追い詰めている。これは事実だ。
追い詰めている者が苦悶の表情を浮かべ、追い詰められている者が楽しそうに笑みを浮かべる。
おかしな話だった。
おかしな話は終わりを告げる。
段々と光弾が小さくなり、チルノを追いかけていた光の数々は掻き消えた。
「スペルカード、ブレイク!」
チルノは汗を拭い、嬉しそうに笑った。
魅子は顔を伏せているため、その表情を伺い知ることはできない。
彼女の手は強く握られ、かろうじて見える口元は真一文字に結ばれている。
「……引き分けだけど。あんたはそこを退く気、ある?」
「ない!」
低い声で尋ねた魅子に対して、チルノは快活に返事をした。
引き分けでチルノがその場を退く気がないとなれば、もう一度弾幕ごっこを行うしかない。
魅子は静かにスペルカードを取り出した。
勝負は一回区切りがついたので、先手を取った方が先行となる。
「スペルカードは二枚。いいわね?」
「うん」
「魅子!!」
今まさに、魅子がスペルカードを掲げようとしたその時だ。
麟と魔理亜が魅子に追いついた。
◆
時は魅子が博麗神社を飛び出し、麟と魔理亜が飛び立った後まで遡る。
空は不気味な赤味を帯びていて、辺りは暗くなってしまっていた。
この世の終わりだと言われたら納得してしまいそうである。
その世界の終末を迎えそうな空の下を飛翔する二人の少女がいた。
片方の少女は箒に腰かけ、もう片方の少女は何も乗らずに空を飛んでいる。
両者の共通点と言えば、金髪であるのと白黒の服を着ていることだろうか。
麟は隣を並走ならぬ、並翔する魔理亜を横目でチラリと見た。
――魔理亜って、何考えてるかよくわからないんだよなあ。
魔理亜は麟の内心を知らず存ぜず、前を見て飛行を続けている。
麟にとって魔理亜という存在は友人である魅子から紹介された知人であり、そこまで親しい存在ではない。
そもそも、麟は博麗神社にお世話になってからまだ二ヶ月程度しか経っていないのだ。
それ以前の自分の記憶は麟に存在せず、彼女の交友関係は博麗神社に住む三人と魅子から紹介された魔理亜だけだ。
腰に付けたポーチの中でもぞもぞと動くものがあった。
麟がそこに目を向けると、亀の首がポーチの口から飛び出して彼女のことをジッと眺めていた。
麟はそれを見て苦笑し、亀の頭を撫でる。
「そうだった、あなたともさっき仲良くなったもんね」
麟に頭を撫でられて機嫌を良くしたのか、亀がポーチに戻った。
魔理亜は麟の一連の行動をずっと見ていたのか彼女にわかるように笑った。
亀に話しかけているのを見られて恥ずかしくなったのか、麟は顔を赤くする。
麟は恥ずかしさを誤魔化すように、魔理亜に話を振った。
「ねえ、魅子が空を見て慌てて飛んで行ったけど、これってそんなに焦るような事態なの?」
これというのは、空を赤く染め上げている霧の事である。
麟はこの霧が有害なものだということは博麗神社でよくわかった。
しかし、霧が地上までやって来るのにはまだ時間があるように思えたのだ。
徐々に空を赤く染め上げてはいるが、それだってゆっくりとした緩慢な動きである。
霊夢が出した茶菓子を食べるくらいの時間はあっただろう、と麟は思っていた。
魔理亜は指を振ってその意見を否定した。
「みーちゃんが慌ててたのは、この霧が危険だからってわけじゃないわ」
「そうなの?」
そもそも、論点が間違っているのだ。
魅子が飛びだして行ったのを霧が危険だから、幻想郷を守るためだからと考えている麟は視点が違う。
魔理亜の視点では霧を晴らすのも、幻想郷を守るのも魅子にとっては手段でしかない。
魅子が欲している結果は別の所にある。
「みーちゃんは異変を解決したいだけなのよ」
「それはそうでしょ? 博麗の巫女なんだし」
「そう、そこよ。博麗の巫女だからこそ、異変を解決したいの」
魔理亜はそこまで言ってから麟の事情に気付いたのか、申し訳なさそうに目を伏せた。
「そっか。りんちゃん、あなたは確か記憶喪失……だったかしら」
「え、うん。そうだけど、それって何か関係あるの?」
「幻想郷で異変っていうのは大きな意味を持つのよ。ただの妖怪退治とは違うわ」
麟は博麗神社にいる間、正確には萃香と出会ってから異変のことについて聞かせれた。
萃香は酒が入ると昔の話をしたがるのだ。
面倒くさがりな霊夢や、大妖怪の萃香を敬遠する魅子は話に付き合ってくれない。
そこで、萃香はお人好しの麟に絡んで昔の話を強制的に聞かせ続けた。
その中に出てきたのが“異変”という単語である。
麟が聞いた限りではお祭り騒ぎのようなもので、最後は博麗の巫女に異変の首謀者の妖怪が退治されて宴会で締めくくるのが通例である。
そう聞いていた。
「博麗の巫女は人里でも尊敬されているわ。数々の異変を解決してきた……博麗 霊夢の功績でね」
少しだけ表情に暗いものを織り交ぜながら、魔理亜は苦々しく博麗の巫女を語る。
麟は黙って聞いていたが、それは既に萃香から聞かせれてきたものだった。
麟の中では博麗の巫女がこなしてきたという異変は幻想郷の史実でしかなく、情報でしかない。
そこに個人の感情を考慮に入れないから、麟は魅子が飛びだして行った理由がわからないのだ。
魔理亜は麟を穏やかな眼差しで見つめた。
そして、こう続ける。
「みーちゃんが博麗 霊夢を尊敬しているのは知っているかしら? あの子が何よりも、どんなものよりも母が好きか知っているかしら?」
その言葉で麟はハッとなった。
脳にフラッシュバックするのは数少ない記憶の一つ。
初めて見る魅子の泣き顔と、初めて見る霊夢の巫女装束。
そして、血まみれで鬼を担いで帰ってきた霊夢に抱きつく魅子の姿が麟の脳裏に浮かんだ。
少し考えればわかることだった。
博麗の巫女になり、以前よりも外に出て妖怪退治に明け暮れる魅子の姿を麟は見てきた。
人里に博麗の巫女の代替わりを伝えた時、里人の不安そうな顔を見て歯を食いしばる魅子を麟は見ていた。
まだ幼い少女には重い責任と母がこなしてきた功績。
それらが魅子に圧し掛かっていたのを、麟はわかっていたはずだった。
生真面目な魅子が異変を解決しようと躍起になるのも理解できる。
「今回起きた異変は博麗 霊夢が最初に解決した異変と同じ現象が起きているわ。きっと首謀者も同じ妖怪でしょうね」
「そっか……魅子はだからあんなに慌てて出て行ったんだね」
たった二ヶ月の付き合いだが、それでも魅子は麟にとって親友だった。
シンパシーと言うのだろうか。麟は魅子と初めて会った時から、どこか懐かしくて尊敬する気持ちを感じていた。
魅子も同じ気持ちだったらしく、二人はすぐに仲良くなる。
今では昔からの親友のように仲睦まじくしていた。
麟は友人の気持ちがわからなかったことが悔しく、それを意の一番に助けてやれなかったことを後悔する。
俯いて顔を暗くする麟を見て、魔理亜は微笑んでから彼女の頭を撫でた。
「そんな気に病むことはないわよ。これから助けてあげればいいじゃない」
「魔理亜……うん、そうだね」
魔理亜の慰めを素直に応じた麟は顔を上げた。
そこで弾幕ごっこらしき光を目にする。
麟が目を凝らして目撃したのは、見覚えのある色とりどりの光弾だった。
あそこで魅子が戦っているのを、二人は確信した。
「魔理亜、急ごう!」
「ええ、急ぎましょう」
麟と魔理亜が飛行速度を上げる。
二人の目に映る景色は映ってすぐ後ろに行き、どんどん流れて行く。
小高い山を越え、小さい林を抜けた先で魅子の姿を見つけた。
「魅子!!」
麟が声を上げる。
魅子はスペルカードらしきカードを掲げようとしているところで、麟の声を聞いて止まった。
振り返った魅子の目はいつもより釣り上がり、麟を睨みつけるかのような鋭さだった。
気圧された麟が少しだけ後ろに下がる。
「何よ麟。私はこれからこの妖精と妖怪を退治しなくてはならないの」
魅子が目をチルノに向ける。
ルーミアももう氷の棺桶から出てきており、いくらか回復しているようだった。
魅子の前に魔理亜が出る。
突然自分の前に出てきた魔理亜を魅子は睨み付けるが、彼女はどこ吹く風で自らもスペルカードを取り出した。
それを見た魅子が魔理亜の肩を掴む。
「魔理亜、これは私の戦いよ。手を出さないで」
「ここは私が請け負ってあげるわよ。みーちゃんとりんちゃんは先に行きなさい」
「でも……」
いきり立つ魅子だが、幼いころから面倒を見てもらっている姉貴分にこう言われては弱い。
勢いが弱まるも、魅子は自分の中の感情を押さえられなかった。
博麗の巫女に泥を塗った、牙を向いた妖精が憎いという気持ちがあったのかもしれない。
未だスペルカードは魅子の手に握られている。
「魅子、異変を解決するんでしょ! こんなところで立ち止まってちゃダメだよ!」
「っ……麟」
麟が魅子に喝を入れた。
異変を解決するのに、ここで妖精や野良妖怪を懲らしめても意味がない。
そう、魅子の目的は異変を解決することなのだ。
油断なく構えるチルノを睨みつけ、魅子はスペルカードを懐にしまう。
「わかったわよ。ここはお願いね、魔理亜」
「任されたわ。安心して行ってらっしゃい」
魅子はチルノを一瞥して先を進んだ。
麟も後に続く。
チルノやルーミアに飛び去る二人を止める様子はなかった。
スペルカードを構える魔理亜を見つめている。
そんな二人の様子を見て、魔理亜は穏やかに微笑む。
「あら、二人を止めないのね。なら私も行っていいかしら?」
「ダメだよ。あたいの目的はあんたと勝負することだったんだから。霧雨 魔理亜」
「ふふ、久しぶりね」
二人は面識があった。
魔理沙と仲の良いチルノと魔理沙の妹である魔理亜に面識がないはずなかった。
魔理亜は寺子屋に通っていた経験もあり、その経緯でチルノとも面識がある。
だが、姉と仲が良いからと言って妹とも仲が良いとは限らない。
魔理亜を見つめるチルノの表情は険しく、チルノを微笑んで見つめる魔理亜の目は笑ってなかった。
「私と勝負がしたいっていうのはどういうわけなのかしらね?」
「姉も倒したし、妹も倒しておこうと思ってさ!」
姉、つまり魔理沙のことである。
チルノが魔理沙を倒したというのは本当なのか。
これは事実でもあり、虚構でもある。
魔理沙に真実を確認すれば肯定するだろうが、戦績を確認すればチルノは負け越している。
負け越しているチルノだが、勝ったことがあるのもまた事実なのだった。
普通の魔法使いに勝利したことがあるというのは誇らしく、大妖怪であっても称賛する功績である。
妖精如きが、と認めない者もいる。
その功績を認めない者の一人が魔理亜である。
「姉さんを倒したと周りに吹聴しているそうね」
「ふいちょーってのが何なのかわからないけど、本当の事だよ!」
チルノを見る魔理亜の目が濁る。
ここで初めて、魔理亜はいままで貼り付けてきた笑顔を崩した。
吹き出す魔力を感じ取ったルーミアが震える。
自分の肩を抱き、魔理亜を見ないように顔を伏せてしまった。
――魔理沙の妹だって聞いてたけど……似ても似つかないな。
ルーミアも魔理沙と面識がある。弾幕ごっこもしたことがある。
そこで感じた魔理沙の印象と、いま目の前に在る魔法使いの印象が違いすぎるのだ。
チルノは恐れず、退かず、スペルカードを取り出した。
そしてルーミアを振り返る。
「ルーミア、ちょっと下がってて。あたいは一対一でやる!」
「あら、二人同時で構わないわよ――でも先手はもらうわね」
余裕たっぷりに笑って、魔理亜が旋回した。
チルノはルーミアに気を取られていたため、一瞬だけ魔理亜を見失う。
チルノが魔理亜の居場所を把握した時にはもう彼女はスペルカードを構えていた。
「恋符『マスタースパーク』」
大規模な魔力の奔流がチルノを襲った。
物量、スピードともにトップクラスの魔理沙の得意技。
何度も見たその攻撃を、チルノが避けられないはずなかった。
魔理亜は攻撃を相手に躱されたにも関わらず、笑みを崩さない。
その笑みに何かを感じ取り、チルノが首を傾げた。
「弾幕はパワーよね……後ろのお友達は、大丈夫?」
「えっ……ルーミア!!」
魔理亜が旋回した理由は、チルノの視界から消える為ではなかった。
チルノとルーミアを射線上に並べたのだ。まとめて吹き飛ばせるようにするための旋回だった。
マスタースパークを受けて気絶したルーミアは重力に従って落下する。
この高度から落下すれば、妖怪でも怪我は免れない。弱体化したルーミアでは更なる危険も考えられる。
チルノは魔理亜から目を離して、落下するルーミアを追いかけた。
羽根を精一杯広げ、自分の最高速でルーミアの下まで向かう。
すぐに気付いたおかげで、ルーミアはチルノに抱きかかえられて事なきを得た。
「恋符『マスタースパーク』」
二度目の巨大光線がチルノたちを襲った。
莫大な力の奔流はチルノとルーミアの体を覆いつくし、地面に風穴を開けた。
一度目に放ったものよりも多くの魔力が込められた光線はもちろん、魔理亜が放ったものだ。
形だけのスペルカード宣言。連続で宣言を行っている時点でルールを破っている。
光線が収まると、氷の壁が現れた。
中にはルーミアを抱きかかえるチルノがおり、魔理亜を剣呑な眼差しで睨みつけている。
羽は震え、怒りからかチルノの顔はりんごのように赤く染まっていた。
「何をする! 連続でスペルカードを使うなんて!」
「ふふふ、相手が二人いるから二回使ったのよ。私は二人同時で構わない、そう言ったはずよね?」
とんでもない理屈だ。
非常識が服を着ている現人神ですらそんなことはしなかった。
魔理亜はチルノに咎められても気にした様子はなく、それどころか機嫌良さそうに自らの髪を撫でていた。
「……そうか、ルールを守らないならあたいにだって考えがあるよ」
「あら、妖精の足りない考えって何かしら? 気になるわ」
俯いたチルノにまったく興味なさそうな声音で魔理亜が尋ねる。
チルノはそれに答えず、ルーミアを氷の棺桶に入れた。
「少しここで待ってて」
そして、チルノが魔理亜を真っ直ぐに見つめる。
チルノの羽根が大きく震えた。
一回、二回……羽が震える度に気温が下がって行く。
いまは秋の中ごろ。肌寒くはあるが、雪が降るなんてことはない。
魔理亜の目の前をひらひらとした塊が飛んだ。
それが彼女の鼻に当たると、彼女は冷たさに目を閉じた。
赤い空の下、白い雪が降り注いでいた。
これには魔理亜も目を見開く。
「冬を呼んだわね……妖精如きにできる芸当じゃないと思うのだけど」
魔理亜の目に幾何学模様が浮かぶ。
魔法使いにとって、場とは重要なものだ。
七曜の魔法使いと呼ばれる魔法使いが幻想郷にはいる。
彼女はいろいろな属性の魔法を扱えるが、何処でも同じ効果で魔法を起こせるわけではない。
水の多い場所では水の、火のあるところでは火の、自然が多い外では地の魔法が使えるのだ。
雪が降る冬には、冷気が強くなる。
場所と能力の関係性は魔法使いに限った話じゃない。
自然の権化である妖精も例外ではないのである。
「自分の得意な環境を作り出す。まるで魔法使いね。どこでそんな力を?」
「レティに教えてもらった。あたいはいま、あんたより強いよ」
チルノは落ちてくる雪を掴んだ。すると、手の中から氷の剣が現れた。
それを見て魔理亜が口笛を吹く。
「弾幕ごっこで勝負するんじゃなかったの?」
「あんたが謝るならあたいはそれでもいいよ」
「悪いことをしてないのに、謝るのもねえ」
悪びれた様子もなく、魔理亜は空中で器用に頬杖をついた。
そして、指先をチルノに向けた。
スペルカードの宣言もなく放たれた魔力弾はチルノの頬を掠める。
流れる血は瞬時に凍り、凍った血が砕けるとそこに怪我の痕はなかった。
いまの魔理亜の行為に、チルノは激昂する。不意打ちを怒っているわけではない、スペルカードを宣言しないその行為に怒っていた。
「お前は……何をするんだ!!」
「何って、攻撃よ。弾幕ごっこじゃないんならスペルカードの宣言はいらないわよね?」
チルノが大声で抗議しても、魔理亜は素気なく返答した。
「必要だ! 幻想郷に住んでいるなら、スペルカードを使うのは必要なことなんだぞ!」
「はいはい。じゃあ、ショットってことにしといてちょうだい」
チルノの意見を聞き流し、魔理亜は面倒くさそうに頭を振った。
洞察力がなく、頭も悪いチルノだが、魔理亜が真剣に自分の話を聞いていないのはわかった。
「ルールは守らなくちゃいけないんだぞ! ルールは、守るためにあるんだ!」
「立派ね。立派だけど、正しくはないわ。ルールはあくまで目安であって、絶対じゃないのよ?」
いくらチルノが訴えかけても、魔理亜には届かない。
チルノが声を上げる度、気温が下がって行く。熱くなるチルノに反して、周囲の気温は下がる。
魔理亜は小声で防寒の魔法を唱えた。
そして、服の袖からいくつかの人形を取り出した。
人形はどれも同じ容姿をしており、無機質で無表情である。
人形が無機質で無表情なんて当たり前の事だが、チルノはその人形たちを知り合いの人形遣いが愛用しているものと比べて見るとどうも違って見えた。
心を持った人形を作ろうと研究する健気な魔法使いが持っている人形たちと比べると、どうも冷たく感じた。
氷の妖精であるチルノを以ってして、魔理亜の人形は彼女が冷たく感じるほどに冷たく作られていた。
「ちょっと本気を出すわね」
「望むところだ! お前なんか、矯正してやる!」
こうして、熱い氷精と冷たい魔法使いは激突した。