ぼく よく だいすきなひとに ぶたれたね。
必死に母親に殴られながら謝る幼い頃のカネキ。
これが自分の本当の母親。カネキは冷たい眼で幼い頃の自分と母親を見つめてる。
(あぁそうだ。これが僕の弱さの始まり)
カネキは振り返ってまた別の記憶を見つめる。
『あなたの母親は『優しくて立派な人』……本当にそうかしら?』
『……どういう意味?』
ヤモリの拷問を受けた影響でリゼが自分の精神に現れた時のことだ。
このリゼは僕が生み出した虚像に過ぎない。言い換えれば、僕の全てを知っていたのだーー自分に嘘をつき続けていた僕よりも。
母さんが死んだあの後……
カネキの記憶に思い浮かぶのは優しい母親の姿……と
パチン パチン
『お母さんごめんなさい。もう欲しがりません。ごめんなさい……』
(違う……)
浮かんでくるのは殴られていた自分の姿ばかりだった。
(違う違う違うチガウチガウチガウチガウチガウ、こんなの僕のお母さんじゃない)
(どうしよう……僕の中の理想のお母さんが壊れていく)
(やだ、僕の優しい母さん。消えて欲しくない、僕だけの母さん!)
【麻痺性構音障害(ショックで声が出なくなる)、記憶喪失、人間の心は酷く脆い。人間の精神的なダメージは心だけでなく体にも影響を及ぼしてしまう】
(ヤダヤダヤダヤダヤダ……ヤ、ダ)
【しかし稀に脳はそれを防ごうと働くことがある。それはーーエピソード記憶の変換。単語のように繰り返し記憶するものと違い、1回の出来事(すなわち、エピソード)で記憶する、例えば運命の人との出会い、大切な人との死別、これは何度も起きるわけではない。しかしその様な印象的な出来事はシッカリと記憶されている。これがエピソード記憶である】
一時の出来事であるにも関わらず人々の頭の中に残り続け、後の自分に大きな影響を与えることとなる記憶。当時、まだ幼く現実を直視出来なかったカネキにこの記憶はーー邪魔でしかなかった。
(だから僕はこの記憶を『捻じ曲げたんだ』自分の意志と関係なく……それは僕が本当の意味で弱かったから)
現実を受け入れることのできない僕のまま成長していき、あの事件に巻き込まれた。あれは悲劇なんかじゃない……
ーー《運命》だったんだ
受け入れろ。喰種であることを。自分が弱かったことを。自分が出来なかったことを。
それを乗り越えろ。そうする度に僕は強くなれる。
運命は変えられる……でも弱かったら何もできない。僕が強ければ店長たちを助けられた。強ければあの時、万丈さんを……今だってトーカちゃんを危険にさらすこともなかった。
「もう…逃げない」
僕の未来は僕が決める。僕の大切な人は僕が守る。他でもない自分のために。だからーー
「…僕の身体は僕のものだ」
意識という湖に沈んでいた僕は赫子で僕の意識に表出化していた人物を引き摺り下ろすように貫き振り下ろした。
リゼさんは驚いた様子でこっちを見ている。いつも僕に…どんな意味であれ笑顔を見せていたあの人が見せた初めての顔だった。
「リゼさん、あなたは僕の一部です。だから僕に話しかけたりするのは構いませんがーー」
「お前の様なゴミと僕を重ねるな。僕は僕だ」
そして僕はリゼさんを蹴り落とす様にして湖を抜け出そうとした。するとリゼさんは叫び始めた。
「嫌だ! カネキくん、コッチを見て! あなたの強さの源がここにはあるのよ!! カネキクゥン!!!」
これがリゼさんの本性だった。今なら分かる、リゼさんは甘い言葉で僕に擦り寄り僕を利用したにすぎなかった。『生きるというのは他者を喰らうこと』リゼさんは僕を喰おうとしていたのだ、そして僕は喰われかけた。
「あなたを生み出してしまったのは弱かった僕のせい、あなたをここまでつけあがらせてしまったのも弱かった僕のせい。だから……」
カネキは暗い意識の底を見つめた。
「『一緒』に堕ちろよ」
リゼさんと僕に何かを叫び続けている『弱かった僕自身』を一瞥して僕は戻って行った。
*
「夢はいつか終わる。そしてもう終わりにしなきゃいけない。もう僕は人間じゃない。人間ではいられない。あの時、弱かった僕では……僕はーー喰種だ」
カネキはトーカが負っていた傷の深い脇の部分を軽く殴った。トーカはカネキの腕を強く掴み、弱々しい瞳でカネキを見つめる。
「な…んで」
そう言い残すとトーカはその場に崩れ落ちた。カネキはそのまま立ち上がり、先ほどまで対峙していた喰種を睨みつける。
「舐められたものだな。赫者になって有利になり、そんで調子に乗って元に戻りやがったのか?」
「そうじゃないことは君も分かってるはずだよ」
「!」
「さっきまでの僕は僕じゃない。よくある言い方をすれば僕はどうかしていた」
それを聞いて不敵な笑みを浮かべるもう一人のカネキ。
「面白いこと言うな。そんじゃ続けようぜ、戦いを」
「いや、その必要はないよ」
「は?」
「意味がないんだよ、この戦いに。君はさっきから僕と比較するようなことばかり言ってるけど筋違いなんだよ。僕は君じゃないし、君は僕にはなれない。君は僕と違うんだ、そんなことしても意味はない」
「意味はあるさ」
「!」
「……少し落ち着かせてもらうよ。昔話がしたくてね。僕の父さんは医者でね臓器手術のスペシャリストだったんだ。テレビで紹介されるほどの凄い人だった。そんなある日、すぐに心臓移植をしないと死んでしまう患者がやってきた。勿論、その手術も父さんがやった。そしてその患者さんは偶然にも有名企業の社長だったんだ。父さんは大きな名誉を手にするはずだった。
だけど手柄は院長の息子に全部奪われた。息子が手術したことになったんだよ。これだけならまだいいさ。だけどあの手術で行われた悪事が問題になったんだ。移植を待っている患者はいくらでもいる、つまり移植手術を受けるにも順番待ちがあるんだよ。だけどその順番を無視してあの手術が行われたことが発覚した。それでどうなったと思う? 報告書に『あの手術を元々、担当する予定だった俺の父さんの独断による決定事項』って院長が書きやがったんだ。抗議しようにも相手の院長は医療界の元トップと言ってもいい人間、無理だったんだよ。そして父さんは自殺した」
「……………」
「その後、母さんも後追い自殺。僕は一人になってしまった。しかも何人もの移植待ちの患者の命をないがしろにした親父の息子として周囲から冷たい目を向けられた。父さんは本当に医者としての能力が高い人だった。だけど名誉、名、肩書き、看板、それらを持ったあのクソ家族には勝てなかった。
だからこそ僕には…俺にはいるんだよ。アンタみたいな喰種の高みにいる奴の肩書き、看板がな」
カネキは黙って聞いていたが、冷たい目で彼を見つめながら口を開いた。
「そんなくだらないものの為にこんなことしてるの?」
「持っているお前には分からないだろうよ。だけど持ってない奴はそんなくだらないものの為に必死に足掻かないといけない奴もいるんだよ」
「……その名誉やら看板は自分で作るものだよ。しかも作ろうとして出来るものじゃない。その人がやってきた行為に対して後からついて出来るものだ。君のように誰かの名誉を奪ったり、結びつけても意味はないんだよ。それに名誉や看板は誰かを利用して作るものじゃない」
「何とでも言え。全てを持ってたお前には分からないさ。それに意味はあるのさ。これからな……」
カネキは静かに自分の赫子を出現させた。その赫子はさっきより不気味な雰囲気を放っている。
「どうやらこの戦いにも少しは意味があったようだね……君の名誉とか看板とか、そういうのは確かに僕には分からないよ。それに僕にそんなものはいらない。だけど僕にも譲れないものがある。自分が存在する証明となるものーー『金木研』は一人でいい」
「珍しく意見があったな」
「終わりにしよう。このくだらない事件も……このくだらない戦いも!」
カネキともう一人のカネキの赫子がぶつかり合ったのはほぼ同時だった。
次回、最後の戦いが完結!