夢を見ていた。 私は大空を舞う一塵の花粉であった。
大空は橙色の薄明に沈み、夜の帳が紙の縁のように切り立った峻嶺な山脈の向こう側から溢れだす。
私は見ている。 山々の向こう側を夢見ている。 ありとあらゆるものから自由でありながら、大気の流れの自由にされる卑小な存在を。 その鋭い峰を越え、宵闇に沈むことを。
やがて私は散り散りになり、大いなる山脈の方々へ飛散するだろう。 私が私であることを証明するために。
私は何を考えているのだろう。 私・・・・・・、私とはなんのだろうか。 罪人だ。 神の前に罪を犯した罪人である。
主の救いを信じることのできなかった罪人だ。 自らの犯した罪の重みに耐え切れなくなったのだ。
私は信仰者としてのプライドがあった。 信念があった。 それはただの選民意識だったのだろう。
周りにいる誰も彼もが神に救われることはなく、この集団の中では主を信仰している私のみが救われる。 品行方正は正しくしているし、何よりも周りにいる罪人よりは神を信仰しているといった選民意識。
それが私を殺したのだ。
私が私である故に。 積み重ねてきた信仰者であるという意識は、私が罪を犯した時に私の自意識を裁く。
私が人に対して罪を犯した時、私の中の倫理観がこう叫ぶ。 「信仰者とは何ぞ」
改めて告白しよう。 私は人に対して罪を犯した。 それが第一の罪である。
主は信じるものを救われると仰った。 罪の重みに耐えかねた私はそれにすがり、私の中の罪悪感を殺した。
それが第二の罪である。
それが何故罪になるのか。 第二の罪なのか。
私が被害者に対して向き合わなかったからである。 形だけの謝罪。 形だけの偽善。 形だけの表情。
私は仮面を被り、彼/彼女に向き合うことをしなかった。 逃げ続けた。 逃げて、逃げて、神にすがった。
神に対して不誠実であると共に彼/彼女に対して不誠実であった。 罪である。 贖罪は無かった。
無かったのだ。 無かったのだ。 無かったのだ。
そして歳月が経ち、罪の大きさを認識した私はアイデンティティの成長を止めた。 何も考えたくなくなった。
加害者は被害者のことを忘れるといった通念があるが、私にはできなかった。 加害者が何を被害者面しているのだ。
君は死ぬべきだったのだろう。
その安易な考え方こそが君を殺すのだ。
その簡易な手段に頼る思考こそが罪人としたのだ。
人はみな原罪を負うと主は仰せられる。 主の救いを信じる他に道はない。 だとすれば私はどうなるのだ。
私は主の救いを信じることができない。 主を試し続けている。 自分の罪の重さを天秤に架け、錘を載せるのだ。
私は救われたい。 救われない。 無神論者になりたい。 神の救いを私に教えた親が憎い。 背信してもまだ心に残った主の救いを信じる心は消えない。 どうしても消えないのだ。
それでも私は生きねばならぬ。 それは遺伝子の利己的な選択なのか。 それとも神の意思なのか。 外部因子で理由付けとは一体どういうことなのか。 私は一人で生きねばならぬ。 進化論なのか創造論なのか私は今選択することができる。 若しくは両方なのかもしれない。 片方だけなのかもしれない。
君はどちらでもいいと言うのか。 そうなのかもしれない。 所詮今、私の考えていることなんてミランコビッチサイクルに比べたら矮小なことだ。 神よ、もし願いが叶うのなら、あの一瞬を。 どちらでもいい。
罪の時を変えてください。 私が生まれたことが罪なのならば、兄弟達よ、彼らに選択を与えてやってください。
だれでもいい。 私が受精する際に競った仲間達に誕生の喜びを与えてやってください。 彼らならばもっとうまくやるでしょう。 彼らならもっと上手に生きるでしょう。 何故私を選ばれたのですか。 何故私が生まれたのですか。 私でなくてもよかったでしょうに。 何故私に苦しみを与えるのですか。 何故私を選んでくださったのですか。
あなたの選択が重い。 私は生きなければならないのですか。
あなたの期待が重い。 私はあなたの愛に応えることができません。
あなたの導きが重い。 私はこれ以上成長できません。
何故私は今自覚したのだろうか。 何故たったこれだけのことを理解するのにここまで時間がかかったのだろうか。
今私が何者にも成りきれないのは単に逃避しただけのことだったのだ。 私は罪から逃げるために空想の世界へ飛び込んだ。
読書は評価される。 他者から評価される。 他者の評価が怖い。 他者から評価されないと私には価値がない。 勉学に励む私は評価される。 他者から評価される。 他者との評価がされる。
電子世界で私は評価される。 他者から評価される。 私の実態は見えない。 他者から見えない。
罪人の私はそこに居ない。