草木も眠る丑三つ時。森の中で星灯りはほとんど届かない。闇夜で頼りになるのは、目ではなく耳だ。
必然的に旅をしていると物音に敏感になる。そして、ごそごそと物を漁る音が私の意識を覚醒させた。
耳を澄まして音の出所を探ると、それは愛車の方から聞こえてくる。泥棒に気づかれないよう、私はシェラフから慎重に抜け出して背後を取るように近づいた。
泥棒は漁った食べ物を貪るのに夢中になっているようで、こちらに気づく気配はまったくない。悪い子にはお仕置きが必要だ。私は勢いよく泥棒を掴んで両腕で抱き込んだ。大声を出して暴れる泥棒を逃がさぬように、思い切り腕に力をこめる。
「何事ですか!?」
突然の喧騒に飛び起きたブルーは驚いた様子で声を上げた。
「ごめん、起こしちゃったね」
「一体どうしたんですか?」
「夜中にこそこそ漁るネズミを捕まえてただけだよ」
「ネズミ……!?」
ブルーは慌ててランタンを点けてこちらを照らした。そこには、私の両腕から必死に逃れようともがくジャンボの姿があった。
「ああ、なるほど……ネズミはネズミでも、電気ネズミですか」
関心するブルーは車に近づくと、地面に放り出されたソフトチューブ容器を手に取り私に向けた。確認した後、相棒の口元に付着している赤い液体を指で掬って舐める。
「お味のほどは?」
「紛う方なくケチャップです」
それを聞いて、相棒はぐったりと力を抜いた。もう抵抗しても意味がないと判断したのだろう。なんてったって証拠は明らかなんだからな。
抱きかかえていたジャンボを地面に下ろして、向き合う形で私も座り込む。
「何か申し開くことは?」
ありません、とジャンボは沈んだ頭を横に振った。ブルーに調味料が入っているケースを見てもらうと、そちらのケチャップは荒らされていなかった。となると、このケチャップは一体どこにあったものなのか。
一向に視線を合わせないジャンボに向かって、いつもより低い声で私は言う。
「正直に言えば情状酌量の余地はあるぞ」
何も語ろうとしない相棒に、私はポケギアを押し付けた。こちらを恐る恐る盗み見ながら、ゆっくりと文章を書いていくジャンボ。5分ほどかけて、ようやく差し出されたポケギアに書かれた共犯者の名前に私は頭を抱えた。
「なにしてくれちゃってんのさ、おやっさん……」
あれだけ甘やかし過ぎないように口酸っぱく言っておいたのに、全然聞いてないじゃないかあの親父!
猫可愛がりにも程があるぞ、まったく……もう、ため息しかでないよ。
好物が目の前にあるのに、お預け状態を我慢するのは普通に考えて苦行だろう。どう考えても悪いのは、勝手に車を改造して隠し場所を作ってまでケチャップを与えたおやっさんだ。
「ピ~……チュ、ピカチュピ」
「罰として、来月のお小遣いは無しです」
「チャアアア!?」
「当たり前だろうが。お前、次の健康診断でまたジョーイさんから怒られるこっちの身になれよ」
いくら健康状態に問題がない数値とはいえ、塩分過多なのは事実な訳でして。毎度食事についてお小言を頂いております。それでも好きなものを食べたい気持ちはわかるし、できるだけ希望に沿う様に考えて作ってはいるんだ。
それをまあ、人の苦労を知らずに勝手に摘み食いしやがって……可愛さ余って憎さ百倍とはこのことか!
ごめんなさい、と私の膝に縋り付いて泣く相棒を知らぬ目で、私はブルーに改めて謝罪した。
「気にしないでください。それに、突然のアクシデントはいい経験になりますし」
「寝る前に教えたことが、さっそく起きちゃったのは皮肉だけどね」
今回はうちの相棒がやらかしたが、野生のポケモンが人間の持ち物を漁ることは多々ある。それを防ぐために、トレーナーは野宿をする際にはポケモンを必ず一匹は側に置いておくのが望ましい。
「パメラなんて、あれだけの大声を聞いてもぐっすりなんですよ」
苦笑いをして、ブルーは自分のシェラフにくっついて寝ているバタフリーを指差した。
昼間に捕まえた小さなキャタピーは、今日一日育て上げた結果、見事最終進化にまで漕ぎ着けることができた。
生まれたてで体力が少ない上に急激な成長をしたのだ。疲れ果てるのも無理はないだろう。むしろ、よく頑張った方だ。
一件解決したところで、それぞれの寝床に戻る。落ち込んだ様子のジャンボは私のシェラフに入るのを躊躇っていたようだが、もう二度と摘み食いはしないと約束させて腕の中に抱き寄せた。それを見て、隣のシェラフに入ったブルーは微笑む。
「なんだかんだで、やっぱり仲が良いんですね」
「まあ、大事な家族で相棒だしな」
「ピカピ~」
相棒を撫でながら肯定すると、ジャンボは嬉しそうに擦り寄ってくる。打って変わってブルーの方はというと、何やら思案顔だ。どうかしたのかね?
「私もいつかレッドさんのようになれるでしょうか……」
「手本になれるほど出来が良いとは思えないけど」
「そんなことありませんよ! レッドさんは、私の目標なんですから!」
「こんな一介の研究者を目指したところで良いトレーナーにはなれないよ」
軽くかわす私に、彼女はますます熱く語る。
「私、ずっと変わりたいと思っていました。トレーナーになって確かに日常は変化したけど、私自身は何も変わっていなかった。でも、レッドさんに会ってからは違うんです。
昨日の私は、足元ばかり見ていたのが前を向いて歩けるようになりました。今日の私は、トレーナーとしてようやく一歩踏み出せた。ポケモンと一緒に、私も少しず成長している手応えを感じたんです」
そう熱く語る彼女の目は活き活きとしていて、先日の曇り眼を思い出せばそれだけでも変われていると私は思う。
確かに、今日一日だけ見ても彼女の成長は目覚ましいものを感じる。普通の女の子が半日でキャタピーをバタフリーに進化させるなんて土台無理な話だ。それを、ブルーはやってみせた。私という経験者に師事していることもあるだろう、それにしたって彼女の成長振りには目を見張るものがある。
これが主人公補正ってやつですか。やっぱり主人公はブルーで確定? 残念だったなリーフ、チャンピオンの夢は叶いそうもないぞ。その分、雪山篭りをしなくてすむよ。やったね!
脳内でお馬鹿な考察をしているのも知らずに、ブルーはさらに私を褒めちぎる。
「それもこれも、全部レッドさんのおかげです。あの時、夢を諦めなくてよかった。あんなに遠いように思えていたジム戦が、今では待ち遠しいくらい楽しみなんですから」
そんなにヨイショされても何も出ないよ?
あ、スパルタをご希望ですか。それくらいならお安い御用でっせ、喜んでやらせていただきます。
「じゃあご期待に応えないといけないな。明日からはさらに厳しくいこうか」
「よろしくお願いします!」
そして私たちは眠りについた。
翌朝――
「確かに私、言いましたけど……」
地図とコンパスを両手に、木々の中で立ち尽くすブルー。
その背後には、スクーターを運転しているジャンボと後部座席で読書をしている私。
視線で助けを求められたので相棒共々サムズアップでニッコリ応援。
「ニビシティまでファイト~」
「ピッカー!」
「酷い! 酷すぎる!!」
今日からはブルーが先頭に立って進路を取ってもらいます。勿論、野生ポケモンと遭遇した場合も一人で戦ってもらいます。
大丈夫、教えたとおりに進めばちゃんと森を出れるよ。
もしもの時は手を貸す算段をつけながら、暢気に読書に勤しむ。
この調子なら、予定通り明日にはニビシティにつけるだろう。教え甲斐のある生徒を持つと嬉しいな。