原点にして頂点とか無理だから   作:浮火兎

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 会場に戻ると割れんばかりの拍手が巻き起こっていて、まるで英雄の帰還を称えるかのような大仰な出迎えだった。

 何やら興奮しているらしい司会があれこれと騒ぐ中、仮面の男が周りの雰囲気から切り取られたかのような静寂を纏い、ゆっくりと壇上に上がってくる。小包を抱えているところを見ると、どうやらあれが賞品らしい。

 中身なんて気にする余裕もなく、私はひたすら顔を見られまいと俯き、帽子の庇に隠れるように目を伏せた。

 

「それでは勝者、伊藤海司君にホールマスターから賞品の贈呈です!」

 

 男の表情は動かない。無表情のままに、緩やかな動きで小包を差し出してくる。

 

「おめでとう、君は本当に面白い役者だった。年甲斐もなく、久々に興奮してしまったよ」

 

 なんだろう。何故こいつは、こんなにも私を見ている? いや、状況的にはおかしくない。私はこのイベントに勝ち、主催者である彼はただその景品を渡すと言うだけのこと。だと言うのに、その視線はどうしても、私を――私の奥底を見透かしているかのような、それを観てほくそ笑んでいるかのような。

 震える手つきで受け取ろうと腕を伸ばした刹那、男はぐいと顔を近づけ、耳元で囁いた。

 

「その高貴な戦い振り、このまま埋もれていくのは実に惜しい。なぁ――レッド君」

 

 こいつ――なんで私の名前を!?

 私は戦慄し、ほとんど反射的に一歩身動いだ。その驚きをまるで予見していたとでも言うように、仮面の男は静かに笑う。しまった、これじゃ全部バラしてるのと同じじゃないか。慌てて目を逸らし、下手とは知りつつ無理矢理に誤魔化す。

 

「……レッドって、誰のことですか? 僕は伊藤海司です。人違いだと思いますよ」

「おや、舞台を降りたら随分な三文芝居じゃないか。まさか、気付かれていないつもりだったかね? まぁ、それも間違いではない。私以外は確かに、上手く騙せているとも。ああ、しかし協会には顔馴染みがいてね。君の事は調べてもらったらすぐにわかったよ。何もかも、ね」

 

 背骨が一瞬にして凍りついた鉄棒のように硬くなり、冷え切る。

 てっきり上手く切り抜き遂せたものだとばかり思っていた。今になってみれば、なんて子供じみた考えだったんだろう。そんなわけじゃないじゃないか。仮にも相手はこの国で最大規模のマフィアだと言うのに。協会にだって、警察にだって、もっと他の組織にだって黒い繋がりがあっても、おかしな話ではない。

 相棒に連絡した時点で、安心し過ぎていた。ロケット団による黒い圧力の存在まで気が回らなかった。いくらジャンボが駆け回ったとして、もしそこで警察が動かなければそれっきりだ。誰一人、助けなんて来やしない。

 もう喝采や賞賛の声なんて聞こえない。ただ目の前の男が何故私を泳がせているのか、その計り知れない真意ばかりが私の脳髄を突き刺してくる。

 

「残念だ。我々は君如きを知るのに足る理由があると言うのに、立場というものが邪魔をするよ」

「……仰っている意味がよくわかりません」

「今回のゲーム()楽しんで頂けたろう? これも我々の貴重な遊びだったのだが、仕方あるまい。また次の遊びを作るとしよう」

 

 どうする? ――逃げるか。

 どうやって? ――この衆人環視の中から全く構造を知らない建物の、しかも地下から?

 倒せるか? ――武装した黒服は場内にいるだけで二十人はいる。素手で勝てる見込みなんてない。

 どうにも――ならない。

 

 一人、押し寄せる絶望感に苛まれる中、仮面の男はつまらなさそうに言い捨てる。

 

「今一つ、残念なのは……私には時間が残されていないことか」

 

 それが言い終わるのとほとんど同時に、どこからともなく警官隊が雪崩れ込んできた。場内は一瞬で騒然となり、怒号と悲鳴が飛び交う戦場と化す。

 目眩く逮捕劇の中、男は背を向け、仮面を脱ぎ捨てた。そして肩越しにほんの少しだけ私を眇め見ながら、狡猾な笑みを浮かべた。

 

「では、私はそろそろ失礼するとしよう。次は君を知る――いや、相対する機会が得られることを願うよ。さようなら、勇ましいお嬢さん(・・・・)

 

 そして右腕の端末を操作すると、男は消えた。おそらく、あれもテレポーターだったのだろう。

 目の前に対峙する者がいなくなっても、鼓動は早鐘を打ったまま、私はホールのど真ん中で立ち尽くしていた。エキシビジョンマッチを見るための特等席は今や、この壮絶な逮捕劇を望む最前席だ。そこで人々が争う様を、まんじりともせず見る。

 それぞれてんでに抵抗する群像が他人事のように、その中ではあの剽軽な司会や、天然で優しそうだったお姉さんも取り捕まっているのが映っていてさえ、思考は停止していた。決して、他人の他所事などではない。ここにいる私とて同じ賭博の嫌疑がかかる立派な容疑者の一人だ。逃げるなり弁明するなりしなければならない。それでも、私はたった一歩さえ、動くことができなかった。

 言い様のない焦燥と衝撃に頭を占拠されて判断力を失っていたその時、後ろから聞き慣れた声が届いた。

 

「ピカピー!」

 

 見慣れた黄色い姿が荒れ狂う人並みの間を稲妻のように駆け抜け、真っ直ぐに胸の中に飛び込んできた。

 その衝撃で私は床に尻餅をついたが、同時に感じる温もりで一気に緊張の糸が解ける。心配と怒りで悲痛な唸り声を上げる相棒の視線に心痛を感じつつも、掌からしんしんと伝わってくる柔らかな感触で、私はようやく現実感を取り戻した。

 ジャンボの後を追ってきたらしい増田ジュンサーも手を差し伸べ、力強く私を引っ張りあげてくれた。

 

「怪我はないか!?」

「だ……大丈夫です、ありがとうございます」

「まったく、君は無理無茶にも限度があるぞ! どうだ、走れるか!?」

「はい、なんとか……」

「よし、すぐに出るぞ! 君は僕が個人的に内偵調査を頼んだ民間の協力者だ! この事件については何も知らないし、施設の内容だって知らない、いいね!?」

 

 見たこともない剣幕でがなり立てる増田ジュンサーに手を引かれ、頷くか頷かないかのうちに人並みを掻き分けて走った。その後ろから相棒が周囲を警戒しつつ、素早くついてくる。

 そこからはあっという間の出来事だった。

 無心に走った私は導かれるままにエレベーターで地上へ上り、混乱でどよめく客達を押し退けるようにして店内を駆け抜け、外へ出た。時間としてはきっと一時間も経っていないはずなのに、まるで何十年ぶりに地下から這い出したディグダのような気分だ。

 そのまま増田ジュンサーの部下らしい人に引き渡され、パトカーの後部座席でようやく人心地を取り戻した。そこで初めて汗で全身がぐっしょりと濡れていることに気付き、思った以上に緊張していたのだと知った。

 閉め切られた車内は程よく周囲の音を遮り、先程までの大騒ぎがもう遠く感じられる。座席で隣り合って座る相棒がこちらを覗き込み、心配そうな視線を投げかける。

 

「大丈夫だよ、大丈夫……」

 

 口ではそう言い繕いつつ、頭の中ではまだあの男の仮面姿と、低く響く声で囁かれた言葉がぐるぐる回っていた。

 

 ――相対する機会が得られることを願うよ。

 

 いつか、いや、きっとそんなに遠くない未来に、あの男は私と戦うことを予言した。いつでも殺せる状況において、全てを知り尽くした相手を眺め、それでいてなお正面からの対戦を望む。それは、トレーナーが持つ正々堂々だとか、バトルの挟持だとか、そういう清々しい誠心さから産まれてくるものじゃない。

 仮面の奥底に見えた暗い光。底なしの沼が望んでいたのは、真正面から完全に、完璧に己の力を見せつけ、陵辱した上で、叩き伏せること。前後も礼儀も知らない無作為な暴力とは訳が違うし、柔で制せる愚かな剛でもない。ただ目の前の敵を一直線に殺す銃弾と同じ性質のもの。あるいは暗殺者で言えば、相手の首元で振るう直前の刃と同じか。

 殺意――。

 彼が何故、そこまでの感情を私に向けたのかはわからない。けれどあれが絶対的な不可避なのは確かで、何かの間違いであることも、冗談であることでもない。

 いつか、きっとそんなに遠くない未来。あの男と斬り結ぶ視線があるのだとしたら。

 その時、私は果たして、生きているのだろうか。

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