あれからすぐに移動した私たちは、目的地のトキワ中央公園へと来ていた。
大きな噴水が見える広場にはたくさんのベンチが設けられており、その一つへと腰掛ける。
冷めかけた昼食を二人と一匹で分け合うと、ブルーが神妙な顔つきで口を開いた。
「改めて言わせてください。先程は助けていただいて、本当にありがとうございました」
そう言って彼女は深々と頭を下げる。気にしないで、と一言告げると、下からおずおずと覗き込まれた。
「レッドさんは強いですね。私とあまりかわらない年頃に見えるのに」
「そんなことないよ。君もポケモントレーナーなんだし、これからたくさん学んで強くなれば、その内あんな奴らに怖気づくことなんてなくなるさ」
「強く……ですか」
どこか遠い目をして呟く彼女からは不安しか感じない。こういう時に、ついお節介を焼きたくなっちゃうのは悪いことなのだろうけど。
ブルーの落ち込んでいる頭をポンポンと叩いて、あえて気安く声をかける。
「大丈夫だよ。誰だって最初は不安や戸惑いを感じるものだ。それに、君はもう一人じゃないだろ?」
ブルーの肩掛け鞄に付いているモンスターボールを指差す。
すると、ようやく彼女の表情が明るくなった。
「好きなんだね、ポケモン」
「はい!」
聞けば昔からポケモンが好きで、どうしてもトレーナーになりたかったブルー。そんな彼女と違い、両親は普通のサラリーマンに主婦で、ポケモンにあまり理解がない人たちらしい。
幼い頃から押し付けられた勉強漬けの毎日に不満を感じていて、家を抜け出しては親に内緒でオーキド研究所に行きポケモンたちと触れ合っていたそうだ。
「いつか絶対にトレーナーになって、あの家を出るんだってずっと心に決めていたんです」
「よかったね。夢が叶ったんだ」
「でも、現実はやっぱり厳しいですね」
ブルーは胸の内を静かに語った。
親の反対にあいながらも、トレーナー講習に通って必死に資格を取った。旅の道具も費用も、こつこつとお小遣いを貯めて頑張って用意した。
それでも、誰の支援も無く旅を続けるのは、10歳の子供にとって肉体的にも精神的にも辛いものだった。
「まだ旅立って一週間も経っていないのに、もう挫けそうなんです。あんなに夢見てた一人立ちなのに、今まで勉強してきたことが何一つ役に立たない。
私は何も知らない子供だったんだなって、実感しました」
無理もないと思う。いくらポケモン世界に生きているからといって、町の中で普通に暮らしていれば野生のポケモンなど滅多に見かけることはない。旅の知識も実践となれば勝手が全く違ってくるだろうし、経験で覚えていくしかできないことだって山ほどある。
この世界の科学水準は前世と違い抜きん出ている。しかし、それは街中に限ること。人里から一歩出れば、野生の王国がこの世界なのだ。
最近では、10歳でポケモントレーナーになる子供たちの約7割は出戻ると全国統計データが出ている。それ程、旅とは厳しいものだ。誰もが夢見る旅立ちは儚い思い出となり、パートナーポケモンはいつしかペットになる。それがこの世界での通過儀礼となりつつある現状だ。
彼女も今まで生きてきた自分の世界とは桁違いである未知の世界を体験したといえよう。その不安、恐怖に後ろを振り返りたくてもできない、家を飛び出した自分には誰も頼る人がいない。追い詰められた状態で、精神が不安定になっていても仕方あるまい。
そんな矢先に先ほどの事件だ。正直この歳で泣かないだけでも十分すぎるくらい、相当この子のは我慢して頑張っていると思う。
暗い影を落とす彼女に、相棒も心配してよしよしとブルーを慰める。
「あはは、ありがとう」
「ピカチュ」
「この子、すごく優しいですよね」
「自慢の相棒だからな」
「チャ~」
ジャンボと戯れるブルーは傍目から見ていても凄く楽しそうなのが伺える。
これだけ極限な状況だろうとリタイヤを選ばないのは、ひとえに彼女のポケモンに対する愛ゆえだろう。同じトレーナーとして、尊敬の念を抱く。
「レッドさんは、これからどうするんですか?」
「お月見山に用があるんだ。方角としては、ニビ方面かな」
「ニビシティって、ジムがありますよね」
「んー……どうだろう。挑戦するかは今のところ未定」
下手に原作通りに進まれては困るんだよ。命の危険的な意味で。秘密組織に狙われるとか、凍死の恐れとか。
でも、母さんから好成績を修めろって言われてるんだよなぁ……。だとすると、バッジくらいは取っておいてもいいかもしれない。要はセキエイリーグに行かなければいいんだよな!
思案する私に、ブルーも当初の目的を語る。
「私も最初はニビシティを目指していたんです。トレーナーになったからには、バッジを一つでもとって親を見返してやりたくて」
その言い方は、聞きようによっては彼女の今後を勘繰ることができるものだった。
それを悲しいと感じるには、まだ私たちの関係は薄い。
だが、ここで知り合ったのも何かの縁だろう。私はブルーに一つの提案を持ちかけた。
「もしよければ、ニビシティまで一緒に行かないか?」
「えっ」
「君さえよければ、だけど。これでも旅の経験は多いほうだから、道中色々教えれると思う」
「でも、ご迷惑になりますし……」
戸惑うブルーを見て、なんとなくわかった。この子は、人を頼ることが苦手なのだろう。今まで一人で何でもやってきたせいか、差し出された手を取ることに躊躇いを感じているのだ。
「まだ諦めるには早いんじゃないか。せっかく叶った夢なんだろう?」
そう聞けば、彼女は固まること数秒、突然両目から静かに涙を流し始めた。
なんで!? 今の発言のどこにNGワードがありましたか!?
おろおろする私は目の前の少女以上に、相棒からの威嚇が怖い。違うんだジャンボ、わざとじゃないんだ。私に女の子を泣かす趣味は断じて無い。
「ごめん、言い過ぎた……無理強いはしないから、嫌なら止め」
「嫌じゃないです!!」
全部言い切る前に、大声で拒否された。あれ、じゃあこれって承諾なのか?
とりあえず、ブルーの止まらない涙のためにハンカチを渡す。
ぐずりながらこちらを伺い見る彼女の顔は真っ赤で、ようやく年相応の女の子に見えた。
「私、まだトレーナーの道を諦めなくていいんでしょうか」
「当たり前だろ。君はまだまだこれからなんだから、絶望するより期待に胸を膨らませておきなさい」
「ふふっ、なんだかレッドさんて面白い言い方しますね」
始まってすらいないのに諦めるのはバカのやることだ。まずは一歩、そしてまた一歩。とりあえず10歩は歩いてから考えなさい、とは偉大なる母の言葉である。さすがです母上、伊達にジムバッチ制覇しているわけありますね。
こうして私たちは、ニビシティまで一緒に旅をすることとなった。旅の同行者が増えたことに、相棒は素直に喜んだ。ポケモン好きのブルーは連れ歩くジャンボとの触れ合いに味を占めたのか、さっそくベッタリだ。一人仲間外れな気もしないが、ここは精神年齢年上の私が譲るしかあるまい。さ、寂しくなんてないんだからな!