花妖怪と青年 作:TKI
ある日の黄昏の時間帯。蝉の合唱も今日の部は終えようとしているのか昼間のようなボルテージはなく、ただ心地よいBGMへと変わっていた。もうすぐで夜の虫とバトンタッチをする頃合いなのだろう。
視線を上へと向ければ、空は赤と黒が混じり合い、遠くの山に日が今か今かと落ちようとしている。
日はまだあり、夜の帳はまだ落ち切らない。なんとも中途半端な時間と言える。その中途半端さに風流人は風流を感じ、詩人はそこに句の境地を見る。俺個人としてもこの時間帯と言うのは物語をどう転ばすにしろ都合の良いターニングポイントとなるこの黄昏時は嫌いではない。
職業人としてではなく、純粋にただの人してだけ見ても夕暮れ時と言うのは心に響く。未だ終わっておらず、かといってもう先があるわけでもない。終わりの刹那の時間帯。
線香花火はその身が落ちる時ほどよく輝くと言う。なら一日のその落ち際であるこの時間帯は一番輝き、人々の心に何かを残すにはぴったりだと言うことだ。
夕暮れ時という言葉で一つ思い出したことがある。あれは確かいつのことだっただろうか。詳しいことはイマイチ覚えていないが、とある雑誌の記事を見たことがあった。
何でも夕日に心を打たれるのは日本人特有なのだとか。海外では日本人のように夕日を見て心を打たれることは少ないと書かれていた。それが嘘か真かは海外に行ったこともなければ、外国人の友人もいない俺にとっては何とも判別出来ぬことだが、その時の記事の理由が面白かった。
西方浄土。この言葉は意味する通り西には浄土があるということを指している。何でもその記事によると日本人は夕日に浄土を見ているのだとか。
きっと、その記事は間違っているのだろう。だが、その理由付けは嫌いじゃない。浄土があるから夕日に思いを寄せる。なんともペンでも持てそうな話題だ。物書きとしての俺は多いに賛成な理論だ。
さてと、そんな怪しげな根拠のない理論は置いておき、視線を横へと少しずらす。
場所はいつのも縁側。少し早めの夕食を食べ終えた後のこと。まるで何処かの完成された絵のように花妖怪は縁側に腰を掛けていた。手には酒の入った杯を一つ。うっとりとまるで酒ではなく夕日に酔っているような姿は、長く一緒に暮らしている俺ですら一瞬鼓動が跳ね上がる気がした。
何もかもが違いすぎる。人の身では絶対に調和しない風景に調和をしている。この風景を書き表すのにピッタリの言葉はない。長年文に親しんで来たとは言え、思いつかないし、これからさきペンで飯を食って行っても書き表すのは不可能に感じる。ペンで書き表せない。一回の物書きにとってみればこれ以上にない屈辱だ。物書きはペンで飯を食う。そんな人間が書き表せない事象など早々にない。
だが、この風景を実際に見ている俺にはその屈辱すら心地よく感じた。逆なのだ。きっと、この風景を描写出来るにしろそれはしてはいけない。文章で書き表した時点でこの神聖な一介の風景は俗物が闊歩する俗世に落とされるのだ。
同じく絵でも無理だ。絵でも無理なものなら写真ならばもっと無理だ。この風景の調和はここに居なければ分からないだろう。
まったく非人情旅に出てこのような調和に出会えるのならここで死んでも俺は構わない。
「あら、どうかしたの?」
そんな俺の内心を知らない花妖怪は涼しげな笑みを浮かべながら首を傾げる。
「いや、何もない。ただ綺麗な夕日だなぁと思ってな。それと少し飲みすぎた」
まさか見とれてたとも言えずに慌てて視線を逸らす。
「ふふ、そうね。綺麗な夕日ね。そういえば今日は文の新聞に貴方が書いた物語が始めて乗る日ね」
そう今日いつもいるあの騒がしい鴉天狗は来て居ない。
「そうだな」
「どうかしら、購買数増えるかしら?」
「どうだろうな。俺の作品にそこまで期待されても困るがな」
「それでも、全力は尽くしたのでしょ?」
「あぁ、期待には応えたいからな」
「そうなら大丈夫よ。私が言うのだから間違いないわ」
どこにも根拠はないはずなのだが、彼女は何が可笑しいのか、うふふと笑う。まるで自分は間違っていない。そんな笑みだ。
あぁこれだ。この笑みが俺は好きなのだ。世界は自分で回っている。そんな笑みだ。決して人には出来ない。力のあるこの花妖怪にしか出来ない笑み。
「そうか、それじゃあ後は文次第だな」
「彼女に何を言ったの? やけに昨日張り切っていたけど」
「なに単純なことだ」
俺が鴉天狗に言ったことは至極簡単だった。
「ただ単純に多くの部数を擦って多くの人に配れと言ったんだ。今回はお金を取らずにな」
「へぇー、それはなんでなの?」
「純粋な話だ。まずは知ってもらわないことにはどうしようもない。最初の一部は配ればとりあえず知ってもらえる。知ってもらった上で次に買ってもらえるかどうかは文と俺の力次第だけどな」
知ってもらえたところで面白いと思わなければ次は買ってもらえない。ここから先は俺と文の書く文章次第だろう。
「なるほどね。次の販売が楽しみだわ」
「あぁ、そうだな」
俺の答えに満足したのか花妖怪は杯を傾ける。
「あら、お酒が入ってないわよ」
「あぁ、すまない」
とくとくと言った音を立て俺の杯に酒が継がれる。米の香りが一面に広がる。
「それじゃあ改めて。文の新聞の成功を祈って」
「「乾杯」」
ゆっくりと俺と花妖怪は杯を合わせる。夜の帳はもうすぐ落ちる。