花妖怪と青年 作:TKI
伏して……伏してお詫びします!
それは俺がバラバラになった原稿を順番に並び終えた時だった。
灼熱と言うのにふさわしい暑さを感じ額に汗をうっすらと滲ませながらバラバラに無造作に、無秩序に机の下に放り投げてあった原稿を大雑把に分類して、最後の一枚を一番後ろに持ってきたその瞬間。
どこか爆発音に似た大きな音を上げ、庭の砂が粉塵を上げて巻き上がる。
茶色の煙は風がないせいか、まっすぐ上りしばらく晴れそうになかった。
横に腰かけていた花妖怪の顔色を窺えば、警戒した面持ちというよりも、どちらかと言えば呆れたような顔色をしている。俺にはさっぱり状況がつかめない。人の世であれば、いきなりこのように庭の一部が爆発すればとうとう最近動きがきな臭かった隣国との戦争が始まったのかと身構えたりするなりなんなりするだろう。間違いなく、いきなり庭が爆発なんかすれば緊急事態で間違いない。
しかし、この人でなしの国ではどうだ。ここで暮らし、早しばらくの時が経つが、未だにどのような場所かいまいち検討がついていない。いや、別に検討なぞつけなくてもよい。ここはここである。Here is here。ここには向日葵の黄金の原があり、現実ではありえない美しさを持つ花妖怪がいる。これ以上に望む情報はなく、これ以上の情報を望んだところで意味もない。
この非人情の旅において一番重要なところはそこにある。見るもの全ての風景をただありのままに感じ見ることに尽きる。怖いものも只怖いものそのままの姿と見れば詩になる。凄い事も、己を離れて、ただ単独に凄いのだと思えば画になる。単に客観的に眼前に思い浮かべれば失恋すら芸術の題目となるのだ。
そんなものでも芸術になりえるのだ。それではもともと芸術的な美しさを持つ花妖怪と黄金の原はどうなるのだろうか。もう何度も語っているため、いまさら語るまでもなかろう。
唯ありのまま客観的にみることで俗物に着物を何枚も着せ芸術に昇華出来る。この世の中で能という芸術から受けるありがたみも似たようなものだ。
能のやっていることも有体にかみ砕いて言えば、下界の人情をよくそのままの上へ芸術という着物を何枚も着せて、世の中にあるまじき悠長な振る舞いをすることである。だからこそ能楽は少し前の日本では爆発的な人気を誇った。
俺がこの非人情で求めているものはその能や芸術のありがたみをそれ抜きにして得ることにある。非人情の旅とは言うが、まるで人情を捨てるわけにはいかない。人は人であることをやめてはいけない。
人の世であれば行き交う人を、出会う人を――若い男も、若い女も、お役所仕事の頭の固い警察官も、爺さんも、婆さんも――悉く大自然の点景として描き出されたものとしてして仮定して見ればいい。しかし、ここで一つ注意点がある。
人の世で行き交う人々は総じて皆生きている。そうなれば画中の人物と違って、おのがじじ勝手な真似をする。生きていれば思いのまま動く。
この時にペンをもつ人のようにその勝手な真似の根本を探って、心理作用に立ち入ったり、人事葛藤の詮議立てをしてしまえば、その瞬間にそれらの風景は俗になる。
動いても構わない。画中の人物が動くと見れば差し支えない。画中の人物はどう動いても平面以外に出られるものではない。平面以外に飛び出して立体に動くと思えばこそ、此方と衝突したりするのだ。
だからこそ、俺は人の世を旅する時に飯を食っていた道具であるペンを持つことはなかった。俺はペンで飯を食べてきた。ペンを持てば職業柄、出会う人の心理や内心を己が知らずうちに勝手に勘ぐってしまう。それでは画中の人物と衝突してしまう。だからこそ、俺は筆こそ持てぞペンを持つことはついぞ一回もなかったという訳だった。
しかし、と、ここで改めて、ここで俺が迷い込んだ人でなしの国について一つ思い返してみる。
ここは人でなしの国にふさわしく、人の国ではありえない美しさや心奪われる絶景がある。
花を操る花妖怪もいれば空飛ぶ天狗もいる。そんな、最早人の世では芸術よりもその上を行っているものを、ただありのままに感じれば、それは芸術を越え神秘になる。神秘になれば筆をとってもペンをとっても、能や歌舞伎などのありがたい芸能でも人にその神秘をそのままの形で伝えることは出来ないだろう。
人の身では神秘を神秘のままにすることができないのだ。ある方法があるとすればそれは沈黙をする他ない。
例えば俺がもし無事に人の世に帰れたとして、そこでこの黄金の原や花妖怪、そして鴉天狗のことをペンをもって人々に伝えたとする。その瞬間、この人でなしの桃源郷は神秘のベールを剝がれ俗物という地に落とされ、ここはもはや桃源郷でも楽園でもなくなる。かの地では人の世の芸術は全くの逆に働くのだ。なるほど、どうしてなかなか面白いじゃないか。さすが神を殺した人間の芸術だけはある。神秘には全くの真逆の力が働くとなれば人の芸術とは中々に滑稽だろう。
そこまで俺のとりとめない考えが漂流した時に、花妖怪はあきれ顔のままゆっくりと座り直した。どうやら立ち上がったり、近寄ったりはしないようだ。花妖怪がこのような態度をしめすのだがら俺は何をしなくてもいいだろう。危険があればまっさきに花妖怪が動くだろう。その、花妖怪がこの態度だ。なら俺は何も気にすることも考えることもない。
花妖怪がここまで無警戒ということは俺にもある程度この現象の原因というか大本と言えばいいのか、とにかくその辺りに心辺りが出てくる。花妖怪はその凶暴性とその力をもってしてこの人でなしの国で一定の力というか権力を持っているらしかった。そんな一目置かれている花妖怪の屋敷を攻撃しようとするやからは大馬鹿者に違いなく、そんな奴は皆無だ。好奇心は猫をも殺すのだ。例え人でなしでもこの断りはさけられまい。
ともすればこれは悪意をもった攻撃ではないと言うことになる。となれば、どうなるか。
横目で花妖怪を視界にいれれば未だにあきれ顔で座っている麗人と言って差し支えない翠髪の妖怪が一人。そう、妖怪だが一“体”ではない、一“人”だ。妖怪でありながら、その姿は人そのもの、いや、その美しさは明らかに人なざらる。病的でどこか人をも殺しかねない美しさを持っているのだ。ただ人間では美しさで人を殺すまでには至らなかろう。あるとすれば美しさに情という部品やパーツを何重にも付け加えなければ、人を殺すまでには至らない。
絶世の美女とうたわれ未だに後世の世に名前をはせているクレオパトラや楊貴妃、小野小町でさえ、多少なりとも情という部品をつけなければ人を殺すまでには至るまいし、部品なしでは人の世ではありえないような絶景に何の違和感もなく馴染み、あまつさえ、その絶景をさらに上の神秘までに引きあげることなどありえはしまい。
だからこそ、彼女は一体などではなく一人と数えるべきだ。少なくとも俺はここで過ごした日々の中でこの花妖怪のことを一体などという無粋な数え方で数えたことはなかった。
閑話休題。花妖怪の美しさなどこれまでにとうに語りつくしている。これ以上の描写は蛇足以外の何物でもないだろう。多すぎる形容詞は時として害でしかないのはペンを持つ俺以上に読み手の方が詳しいはずだ。
まぁ、俺がここで言いたかったことと言うのは単純明快だ。彼女がこんなあきれ顔をうかべており、誰かしらの攻撃ではないとすると答えはおおよそ一つしかない。元より、この世界で俺が出会ったのたったの二人だ。おそらく、花妖怪も俺を除けばソイツしかここ数日会ってないはずだ。
風がないとはいえ空に舞い上がった粉塵は徐々に薄くなる。ある程度薄くなればその中の影が出来る。
その薄くなった茶色の霧の向こう黒い影が浮かび上がる。黒い影は徐々に人型を作る。人型だが人ではない。その背には羽のようなものが出来ている。ここまで来れば俺の予感が正解だったということが分かる。
「げほっ……げほっげほっ! あぁー着地失敗してしまいましたね、これ……」
少し高い少女のような声をだしながら影は手を服をパンパンとはたく仕草をする。
「文、いきなりの御登場ね」
花妖怪はあきれ顔のまま話し出す。粉塵が晴れた向こうには茶色にそまったいつもの女子高生の制服を着た鴉天狗がいた。
その鴉天狗の足元にはクレーターらしき凹みができていた。
元来、天狗という生き物は物凄い速さで移動できる生き物だという、その速さは音をも追い抜くという。そんなスピードで地面に着陸すれば地面に穴が空くのも頷ける。
「あははははは……。申し訳ないですね」
天狗という種族にも愛想笑いという文化があるのか鴉天狗はばつの悪い笑みを浮かべながら服についた砂を落とす。
「こんなに急いでどうかしたか? 文」
俺の言葉に鴉天狗はハッと思い出したかのような表情を変えると、
「そうだ! 伝えたかったことがあったんですよ!」
一瞬のうちに部屋の上がり、原稿を持ったままの俺の前に正座で現れた。移動したのではない、現れたのだ。動体視力がいい方ではないただの人間の俺の目には瞬間移動したかのように移った。ちなみに靴はいつの間にか脱いであった。おそらく花妖怪を恐れてのことだろう。
「どうしたの文。昨日は確か、新聞の発売日だったはずよね」
「そうなんです! そうなんです!! 『文々。新聞』の発売日だったんですよっ!!!」
普段から明るい鴉天狗だが今日は何故かいつもより数段上を行く。見る人が見れば明るいというよりうるさい、といったイメージを抱くだろう。
花妖怪は鴉天狗のその声を聞いてあきれ顔を柔らかい顔に変える。
「そうか」
俺はそっけなくそう言う。察しが悪いとよく言われた俺ですら、この上ずんだ声を聞けば大体の予想がつく。まだ短い付き合いだが、この鴉天狗には基本的に基本的に分かりやすい。いや、分りやすくふるまっているといえばいいのか……。明暗は表裏の如くという、分かりやすい人物ほど裏には深い深い闇があるのは語るまでもないだろう。
だが、今回に限っては裏を勘ぐる必要はないようだ。
「聞いてください! 『文々。新聞』始まって以来の増版! 完売です! 感謝感激あめあられ! ですです!!」
ほれみろ。
「そう、それはめでたいわね。今夜はちょっと豪勢に飲みましょうか」
と花妖怪は柔らかい笑顔で続けると、
「でも、その前に庭の穴を埋めてもらえるかしら」
「あっ」
その笑顔は怖かった。