花妖怪と青年 作:TKI
「そうね、ここは私の畑。私は風見
幽香(かざみ ゆうか)。花妖怪よ。よろしくね、人間さん、下手な行動をすると殺すわよ」
そう翠の彼女は獰猛な笑みを浮かべながらこちらを射抜く。美人なのだが、その笑みを見ると恐怖という感情を抱くのがピッタリだろう。向けられているのはただの日傘。なのにそのただの日傘が俺にとってはライフルの銃口にも槍の穂先にも感じられる。
ただ彼女が引き金を引くだけで、ただ穂先を刺すだけで、容易に俺の命は散るだろう。妖怪ならば、一般人の俺の命程度散らすのは赤子の手を捻るように簡単なはずだ。人情を捨て人事を疎うたところで長年、人であったことには変わりはないし、人である事を辞める訳にはいかない。その人である根本的な部分、本能や無意識と呼ばれる部分が自身に警鐘を鳴らす。彼女はこの場に於いて圧倒的に強者であると。
だが、しかし本能的に畏怖の感情を抱いたとしても恐れることは何もない。元よりこの旅は非人情の旅であり、人事を捨て去り第三者の視点に立つためのただの道楽である。それに帰る当てなんか元よりない。ならば、その旅の終わりは俺が飽きるか、死ぬかのどちらかしかない。死ぬにしても、病気や事故で死ぬよりかは妖怪に殺された方が冥土の話土産にもなりいいだろう。
「妖怪か……」
なるほど、妖怪であるならこの浮世離れした風景に調和するのも頷ける。人間ならば、無理な調和も人でなしなら調和できる。なるほど、先ほど感じた人ではない匂いは妖怪だからだったか。
自分の考えに自分で納得をする。
「そう妖怪よ。この太陽の畑の管理者であり、貴方を殺すかもしれない花妖怪よ。どう怖い?」
これまた物騒なものいいである。
それと同時に俺を殺すのに何の悪意も感じないのであろうな、とも思った。
「特に怖くとも何もないさ」
そう言うと彼女に背を向け、キャンパスに筆を戻す。
ここで殺されるにしても、何かの時の運で生き残るとしてもどちらでも構わない。死んだら死んだ時である。生きていれば幸運だ。その程度だ。それに、彼女が言った通りこの黄金の原の管理者であり、花妖怪であるのならここで害されることはよっぽどのことがない限りないだろう。
「あら、以外と肝が座っているのね。大抵の人間は、こう脅すとガクガクと震えながら逃げ出すか、命乞いをするかのどちらかだけど、貴方は命が欲しくないの?」
「命は惜しいが、どうせ逃げ出したところで捕まるのは目に見えている。なら、この風景を死ぬ間際まで楽しみ、キャンパスに書き写していた方が何倍も有意義だろう。それに君がこの黄金の原の管理者ならここでどうこうすることは少ないと思うしね」
彼女の圧力が強くなる。勝手に背中から冷や汗が流れるが、そんなものは無視をする。ただ、ありのまま風景を書くことだけに集中するのみだ。
「へぇ、それはどうしてかしら?」
彼女がここで俺を襲わない理由。
それは至って簡単だ。
「君が本当にこの向日葵を管理しているのなら、ここで俺を殺してこの風景を穢すような無粋な真似はしないだろう、ただそう考えたまでだ。それに、この向日葵は元気に優しく咲いている。愛されて育ててこられたんだろう。ならば、その花を穢さぬ限りに於いて君は何もしない、そうだろ?」
ただの推測でしかないが、俺の理論はこんなものだ。これがあっていようが間違っていようがどっちでもいい。どっちでもいいのだが、せめて殺す時には向日葵に無粋な紅い血が飛び散らないようにして欲しいものだ。死んでまでこの風景を汚したくない。
「へぇー、人間のくせに色々やるじゃない。この子たちが変わった人間が来たって言ってたけど本当にそうだったわね」
圧力が一気になくなる。ふぅ、と一つ肩をなで下ろす。どうにか首の皮一つの猶予はもらえたみたいだ。
それにしても、花と話せるか。
それも妖怪ならば頷ける話だ。今更、花と話せたところで驚きはしない。
「それは褒めてもらったと思っていいのか?」
「そうね、人間の中では嫌いじゃないわ。その根性に免じて殺すのは勘弁してあげる。まぁ、この子たちに害を加えるなら速攻で首をはねるけどね」
「ふむ、それなら安心だな。花は見て楽しみ、描いて楽しむものであって花に害を加えるのは無粋だからな」
「……そう。なら、貴方の描いている絵を見てていいかしら。暇なのよ」
「あまり上手くないが、それでいいのなら勝手に見てればいいよ」
「そうなら勝手にしてるわ」
そう言うと俺の後ろに立ってキャンパスを覗き込む。彼女の影で日陰になる。俺としては太陽の光が当たらなくなったことでより一層集中出来る。後、もう少しだ。
「うん、出来た」
完成した絵を見る。お世辞にも上手いとは言えない絵。それもそうだ、俺の本職は画家ではない。どちらかと言えば芸術は苦手な部類だ。
「あら、やっぱり貴方、絵は上手くないのね」
後ろで観察していた彼女も同じ意見らしい。どうやら妖怪も人間に似た感性をお持ちのようだ。
「俺は画家じゃない。絵はただ道楽で描いているだけだ」
「そう。でも、気持ちがよく伝わってくる絵ね。嫌いじゃないわよ」
丹精は画架に向って 塗抹せんでも五彩の絢爛は自から心眼に映る。俺の心の中ではこの絵はどんな絵よりも輝いて鮮やかに見えるのだ。なら、それでいい。見る人が見れば同じような気持ちになってくれるはずだ。
「そうかい、こんな美人に褒められたら男冥利に尽きるね」
カバンから缶を取り出しタバコを取り出すと火をつける。しばらく、忘れていたニコチンが体をめぐり、緊張で疲れた精神を癒す。強い煙草のため、一瞬だけクラっとした。
「あら、煙草を吸うのね、貴方」
「タバコは嫌いか?」
「いえ、別に嫌いじゃないわ。ただ、その火が花に付いたら問答無用で殺すわよ」
「そうかい、これは気をつけるよ。それに煙草も吸えば、酒だって呑む。酒は飲めるかい?」
「ええ、もちろんお酒は飲めるわ」
そう翠の彼女は柔らかく微笑む。やっぱり、美人の笑顔はこうでないと。
「それは吉報。どうだい、花妖怪さん。一献傾けてはみなかい?」
そう言ってカバンから酒瓶を取り出す。非人情の旅には酒と煙草は必需品だ。
「あら、外の酒が飲めるなんて良いわね。昼間から酒を呑むのはどうかと思うけど。たまには悪くないわ。でも、貴方はいいの? 殺されたかもしれない相手よ」
彼女はそう言うと俺の横に腰を降ろす。
「うまい酒は、大勢で呑むに限る。酒を呑むのに恨みや怒りは関係ない。ただただ酒を楽しめればいいのさ」
「やっぱり、貴方は変わっているわね。そこまで言うなら頂いていいかしら?」
「コップはないから盃でいいか?」
良い酒を呑むならいい器で呑まなければ損だ。安っぽいコップじゃ酒の品位も落ちるっていうものだ。
「ええ、構わないわ」
俺から盃を受け取る彼女。そんな彼女の盃に並々と酒を注ぐ。彼女の日傘が影を作り、水面に翠の髪が写る。
自分の盃に酒を注ぎ、持ち上げて彼女を見る。
「それじゃあ、この幻想的な風景に乾杯」
「乾杯」
盃を合わせると一口仰ぐ。少しの甘みが喉を通り抜ける。米の匂いが鼻腔をくすぐる。やはり、いい酒はいつ飲んでもうまい。それにこの風景を前にすればその旨さは格段と上がるのだ。
「あら、美味しいわね」
感性も人間に近いなら、味覚もどうやら人間側らしい。妖怪でもうまい酒はうまいようだ。
「妖怪もうまい酒はうまいと感じるのか」
「そうね、まぁ見た目通り人間には近いから感覚もほとんど、人間に近いわ。それにさっきも言ったけど私は風見幽香よ。幽香と呼んでもらって構わないわ」
確かに、人間に似た容姿なら味覚も感覚も人間のそれに近いのは頷ける話だ。
「そうか、じゃあ幽香と呼ばせてもらうことにするよ。改めて乾杯、幽香」
「ええ、乾杯。人間さん」
お互いに七部目くらいまでに減った盃を夏の太陽の下もう一度合わせる。
これがこれから先、意外と長く続く俺と風見幽香との出会いであった。
酒を呑む俺たちを向日葵は優しく微笑みながら、見守っていた。