花妖怪と青年 作:TKI
そんな作品に出来るかなぁ
目を開ければ何時もとは少し形状の異なる木製の天井が目に入った。辺りは既に日が落ちたのか部屋は薄暗い。
寝起きのせいかよく分からぬが、ボンヤリと深謀できない頭で、これまたボンヤリと天井を見る。瞼も重く、今直ぐにでももう一度寝てしまいたいのだが、何故かそうする訳にもいかぬような気がした。
この幻想郷にはライフラインと呼ばれる物は存在しない。電気やガスなんて言う物は勿論なければ、水道も存在しない。電気がないため、夜になれば月明かりか蝋による灯火しかない。普段だと薄暗くあまり周りも見えないのだが、今日は天井が見えるまでに明るい。
なるほど、そう言えば今宵は満月に近くなるんだったな。太陽の畑とその頭上の満月を思い浮かべる。夜風に吹かれ、揺れる向日葵に真円の大きな月。そこに虫の音も加われば、想像するだけで詩も出来るし、句にも詠める、画にもなる。
そんな風景ならば、筆をとっても、ペンをとっても楽しかろう。あるいはカメラでもいいかも知れぬ。いや、やはりカメラはこの幻想郷には合わんだろう。ならば、やはり筆かペンか。
グッと体を起こせば急にくる眩み。横になっていた時には感じなかった気だるさが一気に俺を襲う。思わず右手で額を抑え、目をつぶる。
貧血いうものに生まれてこの方なった試しはないが、もしこれが貧血ならば中々にしんどいものだ。
そんな時だった。右より障子が引かれる音がした。気だるさを抑え、その方に目をやる。
月明かりの逆光の下、見えたのは特徴的な背中の翼。顔や体は逆光によりよく見えぬが、漆黒の翼だけは抽象ではなく具体に存在する。
名は確か、射命丸 文と言ったか。
彼女と目が合う。昼間、あった時は赤い目だと思ったが、この夜の帳が下りた後ならば俺と同じく黒の瞳に見えた。
やぁ、と一つ愛想を振っておく。ここでどんな顔をすればいいのか検討もつかぬからだ。
「えっ……」
鴉天狗はそう呟くとまるで放心したように手に持っていたタオルを落とす。濡れているのか湿った音をだして床に落ちたタオル。
鴉天狗の目が少し水気を帯びてくる。少しの間時間が止まったように感じた。それが数秒間か、数分間かは分からぬ。鉛のような重い頭ではそこまで感じることは不可能だった。それにもしかしたら、止まっていなかったのかも知れない。
「良かったああああああ! 生きていたんですね!」
高い声と共にトンと胸に感じる軽い衝動。目に涙を浮かべた鴉天狗が胸に飛び込んでいた。あの時にも思ったが、鴉天狗とは情に流されやすいらしい。智に働くのが天狗とばかり思っていたがそれは俺の間違った偏見だったようだ。
「うっ……ぐすっ……死んじゃったと思いました……」
小さな嗚咽と共に話す彼女の翼が生えた背中をさすりながら、夢であって欲しかったことが現実であったと確信する。鴉天狗にばれぬように脇腹を押さえてみたが、少し痛む程度だった。
なるほど、さすがは幻想郷。人の世とはいい意味でも悪い意味でも違う。少なくとも人の世であれば俺はすでに三途の川の向こう岸にたどり着いているはずだ。
俺はただ何も言わずに背中を撫で続ける。何も言わないのではない、何も言えないが正しいか。
空いた障子から入る月明かりを遮るかのように人の影がさす。シルエットだけで誰か分かる。……花妖怪だ。
彼女は俺と鴉天狗がいる布団まで近づくとその横に黙って座る。俺も黙って、その様子を見る。辺りには鴉天狗のすすり泣く声だけが響く。
「……そう、起きたの」
花妖怪は短くそう言った。
「……あぁ」
対する俺も短くそう返す。それ以上の言葉は要らない。お互いが少ない間、共に生活してきた上でわかっていることだった。
「……ぐすっ……なんで、なんで私を庇ったんですか! あれは、遊びの延長上に過ぎないのに! 私にもし当たっても私なら怪我はしなかったのに! 人間の貴方が受けると私たちなら笑っていられることでも、貴方は生死を彷徨うことになるんですよ!」
俺の胸に顔を埋めながら、鴉天狗は吐露する様に吐き出す。その語尾は強かった。
その言葉に理に働く俺の頭が少しばかり苛立ち、思わず反論しそうになったが、情に棹さすもう一人の俺が、鴉天狗は心配してくれていたのだと、自身に自制をかける。おかげで、喉元まで出かけた理不尽な言葉を飲み込むことができ、次に話すべき言葉を頭の中で吟味することも出来た。
「……すまない、心配をかけた」
その言葉は鴉天狗にも花妖怪にも伝えたかった言葉であり、俺にはこれ以上に伝える言葉を持たなかった。
「……本当に貴方はバカな人間です」
鴉天狗は俺にだけ聞こえる小さな声でそう言った。言われるまでもない、俺は馬鹿だ。馬鹿だが、満足はしている。満足な豚より、不満足な愚か者の方がよく、満足な愚者より、不満足なソクラテスの方がいい。俺は知識人ではない。ならば、満足な愚者に慣れたのなら俺は十分だった。
それから、しばらく月明りがさす部屋には虫の声と鴉天狗のすすり泣く声だけが響いた。その間、俺も花妖怪も一言も音を発しなかった。
いつの間にか嗚咽は聞こえなくなり、部屋には虫の声だけが聞こえる様になった。
泣き疲れたのかどうかは定かではないが、鴉天狗は俺の胸でスヤスヤと穏やかな寝息を立てていた。
怠い身体を押して花妖怪と一緒に布団をひき、そこに鴉天狗を寝かせる。
そこでようやく、花妖怪と一対一で向き合うことが出来た。
「……」
「……」
お互いにないも言わない。何も話さない。俺は花妖怪の出方を伺い、花妖怪は切り出し方を伺っているようだった。
「三日三晩、貴方を寝ずに看病したのよ、彼女。それと医者の家まで貴方を飛んで届けたのも彼女。彼女がいなければ貴方、死んでたわよ」
「そうか、それは迷惑をかけたな。後で礼を言わないとな」
三日三晩と言うと、あれから結構な時間がたったのか。もう、満月は逃してしまったのかも知れん。それは非常に惜しいことをした。まぁ、生きていればこれから先も見る機会はあるか、と心の中で納得する。
鴉天狗には悪いことをしたな。勝手に意地を通した俺が勝手に死にかけただけだと言うのに苦労をかけて。
そう思うのと同時に花妖怪も三日三晩寝ずに看病してくれていたんだろうなと核心に似た考えを抱く。
「ええ、そうしておくといいわ」
それと……彼女はそう続けると、改めて座り直す。正座をしたまま花妖怪は手を自分の前の床につく。そして、そのまま頭を……。
「ちょっと待った!」
少しばかり強く大きな口調でそれを止める。非人情の旅に出て、さらに死ぬ思いまでして意地を通したのだ。ことさら、この件に対しては意志を曲げるつもりなんかほどほどない。俺は花妖怪のイメージを崩したくはない。イメージは大切だ。イメージは抽象だ。具体化させるわけにはいかぬ。
只のエコ、自己満足。ただそれだけのためだけに、彼女の決意を踏みにじる。人でなしの国にまで来て世を憚る術は必要ではないのだ。
「いくら室内に籠り、筆を取る日々が続いていたとは言え、熱中症で倒れるとは我ながら情けない。改めて迷惑をかけたな、幽香」
そう仰々しく言う。花妖怪はすこし目を見開いた。
「何を言っているの? 貴方は熱中症なんかじゃ……」
「いやー! やっぱ男子として熱中症は恥ずかしいな! 次からはない様に心がけるよ!」
少し強くなった彼女の言葉を俺はさらに大きな声でかき消す。少しばかり脇腹が痛むが泣き言は言ってられない。どうせ、鴉天狗は鴉という名に似合わず、タヌキ寝入りを決めて聞き耳を立てているのだ。少しばかり大きな声をだしても許されよう。
「何を言ってるの! 貴方、脇腹に穴が空いたのよ!」
「はて、何のことだ? 俺が知っているのは熱中症で倒れたひ弱な青年を三日三晩寝ずに看病してくれた花妖怪と鴉天狗がいたということだけだが……」
そう一つ仰々しくとぼけて見せる。これでいい、これでいいのだ。自分の維持で起こったことなら自分の意地を貫くまでだ。人の世でできないことでもここなら出来るだろう。
「……そう、貴方はそうしたいのね……」
花妖怪は小さく、諦めたようにつぶやくと続ける。
「……それも人間の意地というものなの?」
「あぁ、俺自身の意地だ」
これは俺が俺であるがために必要な意地だ。人でなしの世にいるのなら人であることを忘れぬためにこの意地だけは貫かねばならぬ。人でなしの国へ越したとしても、人を辞める気はない。非人情の旅に出たとしても、人情を捨てるわけにはいかない。これは俺の命よりも大事な問題だ。
「そう、分かったわ……」
花妖怪は理解したかのように話すと、真面目な顔を崩す。
「全く、情けないわね。熱中症で倒れるなんて。そこの鴉天狗が見つけなかったら死んでたかも知れないわよ、貴方。一応、しばらくは休んでいいけど、治ったらちゃんと水やりの仕事しなさいよね」
「あぁ、本当にすまなかった」
鴉天狗が何か口を挟むかと思ったが、タヌキ寝入りを決め込んだままだ。ならば、この話を聞いた上で理解したと受け取ってもいいだろう。
「それじゃあ、今日はしっかり寝なさい」
花妖怪は立ち上がり、月明かりに向かって歩く。部屋から出る時に呟いた言葉は生暖かい夜風に乗り、俺にだけ届いた。