無法天に通ず   作:隆 憲太郎

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親炙

 暖かい日々が続いた。

 慶次郎が南陽でお披露目をした翌日である。転入手続きが済んだ後、松風と共に街を一通り突っ走れば、後は気楽なものである。

 

(良いな。好い街だ)

 

 慶次郎は自室で茶を淹れながらそう思った。

 昨日、長くゆったりと街を練り歩き、腰を落ち着かせる街を見た。

 闘士の多くは思春期に入った時期である。

 従って今の南陽は活気に溢れている。血気盛んな年頃の彼らの熱気が、街を包んでいた。

 気に入った。慶次郎は素直にそう思った。かっとなった熱風が、どんな事でも吹き飛ばしてくれそうな雰囲気が、実に慶次郎の好みであった。

 

「うむ、美味い」

 

 慶次郎は淹れたての茶を飲むと、満足げに頷く。彼の茶の淹れ方は型破りだった。自然で、型ではなく感覚で決めていた。慶次郎にとって大切なのは、美味いかどうか。ただそれだけである。飲みっぷりの良さはいかにも美味そうで、見ているだけで人間を良い気分にさせる。一見すると不作法にしか映らないのに、それが正しいのだと勝手に納得してしまう様な(みやび)があった。もっとも本人はそんな事は一々考えもしない。それでも理に適った事だけはきちんとするのだから、小癪な男だった。

 もう一つの湯呑を、目の前の女性に差し出した。

 

「ありがとうございます」

 

 一礼すると差し出された湯呑を持って、くぴりと飲んだ。

 透き通るような白銀の髪が美しい、両目を閉じた美女(ハナ)

 名を、趙雲子龍と言った。

 湯呑から口を離すと、ほぅっと一息吐く

 

「おいしいですね。これほどの茶を飲んだのは初めてです」

「はは。そう言われると悪い気はしないが、照れるな」

 

 笑いあう。恥ずかしさを繕うような雰囲気などない。気持ちのいい空間だった。

 実は二人は昨日会ったばかりである。慶次郎が街を見て回っていた時に、物珍しげに声を掛けてきたのが趙雲だった。今どき公道で馬に跨る男なんて天然記念物に等しいから、大勢から奇異の視線を寄越される事は多々あるが、声を掛けられる事は珍しかった。慶次郎もとびきり珍しくなって、しかも太刀を持った見目麗しい美人に声を掛けられた事が嬉しくて、その場でデートに誘ったのである。趙雲も二つ返事で頷いて、二人は街を巡って回ったのだった。

 自室まで趙雲を誘ったのは、彼女がとある事情で旅をして回っていると聞いたからだ。これに慶次郎は目を子供の様に爛々と光らせた。しまいにはデートよりも、旅の話に夢中になっていた。宿を見つけるのも一苦労だと言うと、泊まっていけばいいと慶次郎が誘ったのだった。この茶は、長く語らせてしまった詫びも含んでいた。

 

「すまんな。子龍の話は面白いから、ついせがんでしまったよ」

 

 そういって慶次郎が頭を下げる。

 

「いえ、私も途中から面白くなってしまいましたから」

 

 初めは趙雲も長く話す気は無かった。それでもここまで着いてきてしまったのは彼女自身、話しをするのが楽しくなったからだが、そうさせたのは慶次郎のせいだった。彼は聞くべきところは静かに聞き入って、盛り上がると感心の声を上げて話題を引き出したのだ。生来の聞き上手である。事実、いつもは落ち着いて口数が少ない趙雲まで、慶次郎が反応を返すと、それがとても面白くなって、わっと話が盛り上がってしまう。そのためにここまで着いてきてしまったのだ。趙雲からしてみれば、お互い様である。

 そのお蔭でこうして宿も見つかったので、趙雲も悪い気はしなかった。むしろこうして頭を下げられる事に申し訳なさを感じてしまう。

 そんな趙雲の心情を知ってか知らずか、慶次郎はがばっと顔を上げると、ニカッと笑った。

 その表情が何故か面白くなって、趙雲もころころと釣られて笑った。しばらく部屋には、二人の楽しそうな笑い声が木霊したのだった。

 

 

 ―壱―

 

 

 外から甲高い嘶きの声が届き、次いで鈍い音と悲鳴が上がった。

 嘶きの主は慶次郎が愛してやまない捍馬、松風の物である。悲鳴の主は、松風にちょっかいを出して蹴られたに違いない。

 気持ちの良い時間を邪魔された事に腹が立ったが、いい気味である。慶次郎はにたりと笑った。

 松風は基本自由にしてある。慶次郎に愛馬を拘束する気などさらさら無いので、繋いでもいなかったし、その気になれば敷地から出るも入るも自由なのである。妙な人間がちょっかいを出せば、当然松風は暴れるし、蹴りが出されるのは決まっていた。

 

(相手は暴徒か盗人か)

 

 どちらにしろ、歓迎すべき客人で無いことは確かだろう。そうでなければ、松風が蹴る訳が無かった。馬であるが、人間の様に頭が切れる松風が蹴るというのは、真剣を抜くのと同じである。

 部屋に立て掛けた朱槍を取って立ち上がった。

 

「友にちょっかいを出す連中が来たらしい。すまぬが少し待っていてくれ」

「いいえ、私も行きましょう」

 

 趙雲も立ち上がった。その手には太刀が握られている。

 その立ち振る舞いに慶次郎も唸る。名前を聞いた時からまさかと思っていたが、どうやら趙雲も一角の闘士らしい。若干不機嫌そうなのは、慶次郎と同じ理由からだろうか。

 心配なさそうだ。慶次郎が頷く。

 松風がいる庭の方へ近づくと、怒号と悲鳴が飛び交っていた。何人かが松風に蹴られたらしい。一体何人がかりで来ているのだ。どうにもきな臭くなってきた時、男が上げた声に慶次郎は愕然とした。

 

「こ、のクソ馬がぁ! 足を折れ、殺してしまえ!」

 

 慶次郎は切れた。殺してしまえだと? 泥棒の方がまだ愛嬌があるわ! 慶次郎が怒りのまま庭へと躍り出た。

 松風を囲むようにして、十数人の影があった。どれも見た事が無い制服を着て、遠巻きに松風を囲んでいた。地べたに何人か倒れているのは、松風が蹴った面子であるに違いない。彼らも同じ制服を着ていた。

 

「お前ら、何の様でここに来た」

 

 慶次郎は怒りを潜めて、出来るだけ静かに問いかけた。その声に気付いた何人かが、ぎょっとした顔で慶次郎の方へ振り返る。

 

「貴様が前田慶次郎か」

「いかにも」

 

 頷いて肯定する。直後、慶次郎の手前にいた男が懐からA4用紙程度の大きさの紙を一枚取り出すと、慶次郎に向けて突き出した。紙には大きな一文字で『勅』とだけ書かれていた。

 

「前田慶次郎、貴様に“勅”の命令だ。悪いが」

 

 そこで男の言葉が途切れた。いつの間にか慶次郎が持っていた朱槍の穂先が、『勅』と書かれた紙を持っていた男ごと斬る勢いで振り下ろされていたからだった。

 男の手から力が抜け、紙がハラリと落ちる。同時に情けない悲鳴が上がった。

 あれだけ飛び交っていた怒号が、たちどころに消えた。慶次郎から滲み出る気迫に息を呑んで、その場から一歩引くのに精一杯になっていた。その光景を見ていた趙雲すらも、例外ではない。慶次郎の静かな怒気に、妖刀村正『斬龍』を握る手が震える。

 

「遊びか、喧嘩か?」

 

 言葉と共に、慶次郎が一歩踏む。さぁっと人垣が割れた。その様はまるで、(じん)を迎えて解くが如く。

 誰かが思った。誰もが思った。

 この男に殺される、と。

 

「この前田慶次郎、喧嘩ならいつでも買うぞ!」

 

 憤怒の表情である。事実、慶次郎は怒っていた。眼光の鋭さは朱槍の刃よりも鋭利で、冷たい。

 男たちの戦意は既に挫けている。逃げ出す者もいたが、逆に襲い掛かる者もいた。恐怖に駆られての行動だった。慶次郎もそれを察していた。怒り心頭といった気持ちではあるが、戦意のない奴に本気を出す気はなかった。朱槍の尖端を返して、石突きで彼らを迎え撃った。

 

「うげぇっ!?」

 

 先頭の男がはじかれたように吹き飛んで、仰向けに倒れた。胸のど真ん中が陥没している。

 迅雷、耳を掩うに暇あらず。その時はもう慶次郎の朱槍が、更に数人の男達を薙ぎ払って、撒き散らしながら飛んだ。

 

「うおおおっ!!」

 

 慶次郎が喚き、また複数人吹き飛ばした。

 ものの数秒で、その場に立っているのは慶次郎と趙雲のみとなっていた。

 強い。圧倒的な強さである。さすがの趙雲も瞠目しっぱなしであった。まさかここまでとは彼女も思っていなかった。強いであろう、とは予想もついていたが。慶次郎に吹き飛ばされた男達の勾玉を見る。やはりDやCランクが多いがBランクも何人かいた。いずれも近辺の界隈ではちょっとした闘士たちである。それを、Dランクと変わらぬように薙ぎ倒すとは。

 趙雲が相手の検分をしていた時、慶次郎は他の事には目もくれず真っ先に松風へと向かっていた。

 

「松風、怪我は無いか?」

 

 逞しい鼻息が慶次郎の顔を襲う。まるで、俺があんな雑魚相手に怪我なんかするかっ! と言ってるようである。

 なんだそうか、心配無かったか。

 そう言って能天気に笑うと、そういう問題じゃあねーだろ、と拗ねた松風が噛み付いた。

 

「痛でででっ、すまん、すまん松風! 失言じゃった。悪かった。反省する! だから離してくれ!」

 

 痛すぎる反撃に、さすがの慶次郎も音を上げた。

 これが先ほどまで趙雲をも震えさせた男の姿とは似ても似つかず、じゃれ合う慶次郎たちの姿に唖然とするのも束の間、彼女はたまらず声を上げて笑った。

 

 

 ―弐―

 

 

 南陽の誰も彼もの度胆を抜いた波乱の平日から、ようやく一日が過ぎた。週末の土日は休日である。

 周瑜は自宅の庭で日課を行っていた。Dランクという低い位置にいる彼だが、れっきとした闘士の一人なのだ。日課というのはもちろん、強くなるための修行である。

 彼が人知れず努力を行っている間、孫策はと言うと、居候先である周瑜の家の縁側にいた。そこに座って、寝ぼけた様な、腑抜けた様な顔のまま、ただじーっと空を見ていた。

 

「……眠たい」

 

 欠伸をしながら、一言。海棠の雨に濡れたる風情とは程遠い姿である。

 彼女をこんな姿を晒してしまったのは、昨日会った慶次郎に原因があった。吹き飛んだ自分を受け止める屈強な身体、清風が頬を撫でた様な柔らかい笑顔、誰もが彼を認めてしまう様な器の大きさ。そして何よりも、楽就との決闘と、その後の名乗り上げに魅せられた。

 彼女の頭の中は慶次郎の事で一杯になっていた。特に名乗りの口上を語る彼の姿は、思い出しただけで興奮に駆られる。凄いという純粋な尊敬と、負けていられないという思いが、孫策を奮い立たせていた。もっとも、そのせいで夜も眠れなかった今の彼女は、太陽が顔を覗かせてから睡魔に襲われていた。

 

「うーん……」

 

 頭がふらふらと上下に揺れ、体は布団を求めている。

 これではいけない。孫策は目を覚めさせるために風呂場へ向かった。お湯に浸かれば眠気も吹き飛ぶだろうと考えての事だった。

 現実はそう上手くいかず、結局風呂場で寝てしまい、しかも先に風呂場にいた周瑜に全裸で鉢合わせてしまうという珍事を起こしてしまい、さらにそれを彼女が寝ぼけていて覚えていないという事態に、周瑜は色んな意味で頭を抱えた。

 だが人知れず動いていた状況によって、孫策と周瑜は更なる脅威に巻き込まれることになる。

 孫策が初めて南陽学院に通う事になった日、彼女と周瑜は走っていた。

 

「あーーもーー!」

 

 いつもより慌ただしい姿である。

 それもそのはず、周囲に孫策たちと同じ制服を着た生徒は一人もいない。

 単純に遅刻していたのだった。

 

「初日から遅刻したら公瑾のせいだかんねっ!!」

 

 本当は孫策が全く起きなかったからなのだが、酷い言い掛かりである。

 その後も彼女は皆勤賞で表彰されるのがどうのこうの、キズモノにされたー等と喚いていたが、周瑜は華麗にスルーする。どう聞いても嘘くさいのと、そんな事を真面目に聞くぐらいなら、走る事に集中したかったからだ。

 その時、周瑜はあっと思い出した。

 

「それより伯符。今日、楽就さんにリベンジなんて子供じみた事、もう考えてないだろーね?」

 

 間。

 

「…………ナ…ナ…イ…ヨ?」

「いや、思いっきし考えてんでしょーが」

 

 だってぇ、と孫策は言う。

 

「昨日、あの人から良い一撃(ヤツ)貰っちゃったもん」

 

 やはりか。周瑜は孫策の言葉を、彼女の口から出るより先に予測していた。この幼馴染は、小学生だった頃から一切変わっていない。頭の中も、体も、全てが“闘う”事に持っていかれているのだ。

 こいつ、本当に子供のまま大きくなったんじゃないか……?

 その時、自然と目が向いたのは自己主張も激しく揺れる孫策の胸であった。

 

「…………(ゴクリ)」

 

 周瑜とて、線は細いが、漢である。

 揺れる胸から目を背ける事は至難だった。

 

「ん? どした? 公瑾」

「へ!? い、いやぁ……別に……うわっ、どわぁーーっ!?」

 

 目を逸らして言い訳を考えていると、小石に足を引っ掛けて盛大に転んだ。アスファルトに打ち付けた足が地味に痛い。

 

「ハイッ、一人消えたーー!」

 

 その隙に孫策は、さっさと一人で走って行ってしまう。起きるまで待つ、という選択肢は彼女の中には無いらしい。酷い幼馴染である。そこが孫策らしいのであるが。

 痛む足を庇いながら、周瑜も孫策の後を追った。

 それが、今までの日常を早く終わらせてしまうとも知らずに。

 

 

 ―参―

 

 

 左慈元放が洛陽学園に現れたのは、慶次郎の名乗りからすぐのことである。

 例によって目的の人物がいる場所に当りを着けると、関係者に許可も取らず中に入って行き、スイカ畑へと出た。十七歳の若さなのに、煙草を咥えている。

 スイカ畑で黙々と収穫作業していた少年は、そんな左慈の姿を見ただけで、何かあったのだと悟った。

 

「機嫌が良いね、左慈くん。何かあったのかな?」

「面白い男が現れてね」

 

 じらすようにして、左慈は多くを語ろうとしない。そのことがスイカ畑の少年に少しだけ関心を示した。左慈は一流の闘士だが、口舌も一級品の策士である。大抵の相手を騙す事の出来る特技を持っていた。左慈の()()()姿()を知る少年からすれば、この言葉は十分警戒するに値した。

 

「なかなか厄介そうな人だね」

「ああ、厄介だと思うぜ。あんたの南陽学院弱体化の計画、ちょっとばかし難しくなるかもな」

 

 いかにも他人事のように左慈は言う。

 

「いやいや、君が頼りなんだから。頑張ってくれないか?」

 

 少年はスイカの芽を鋏で切り、再び作業をし始めた。左慈は適当に言葉を返しながら、作業する少年をじっと見つめている。せわしなく動かしている手はいつも通り平静だった。手早く芽を切っていく。いささかの乱れも無い。これがあの男、慶次郎と出会った時にどう変わるか。きっと夢中になるに違いない。左慈には確信があった。その時の様を一人想像して、ふっと笑みを浮かべる。痛快の笑みであった。どうやら左慈も慶次郎の熱に当てられたらしい男の一人らしい。少年は左慈に背を向けていたから、その笑みに気付く事はなかった。

 

「それで、その厄介な人の名前は?」

 

 手を止めず、興味も無さそうな風を装って左慈に問うた。

 左慈は少しだけ溜めたあと、少しだけ声を大にして言った。

 

「前田慶次郎利益」

 

 最後の芽を切り終えて、スイカ畑に佇む少年――――董卓(とうたく)仲頴(ちゅうえい)は、このとき初めて前田慶次郎の存在を知った。

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