雲一つない夜空に見事な三日月が浮かび、闇に包まれた下界を薄っすらと照らしている。
IS学園から遠く離れたこの小島でも、一人の少年・
厳密には、彼が佇んでいるのは島ではない。海底が隆起してできたと思しき、ほぼ円形をした直径8キロメートルはある巨大な岩場であり、ゴツゴツとした表面には生き物の気配がなく、静寂だけが広がっている。さらにいえば、一夏はそこに直接足を着けているわけでもない。
彼が立っているのは巨大な箱の様な物の中であり、前後左右上下が一面モニターになっている。もっとも今そこに映っているのは、自身の最終的な足場である巨大な岩場と、それを囲む闇を映した海原だけである。
そしてそれらを腹の中に抱えているのは、純白の巨大な人型機械である。全長が20メートル近くもあるそれは、直線主体ながらほぼ完全に人の体形を模したしなやかな形であり、月明かりに照らされて輝く白い体色と合わさってどこか芸術品の様な美しさを醸し出している。その左腕は中に納まる一夏同様、肘から先を多機能武装腕・
そして一番目を引くには、やはり頭部だろう。マスクの様な物に覆われた顔の上からは、長く真っ直ぐに伸びる立派な一本角があり、鋭い白い光を反射している。そうした頭部や武装が合わさって、美しさの中にも狂暴な力強さを感じさせる。
「頼むぜ、ユニコーン・
人型の腹部―コクピットに佇む一夏が、モニターや装甲を透過して白い巨人―ユニコーン・白の頭部を幻視しながら呟く。
コクピットの天井中央からは1本の太いケーブルが伸び、白式の背中に設置されたソケットに接続されている。腹の中にいる者に繋がっている線といえば「へその緒」を連想する者が多いかもしれないが、これは対等な者同士の間で成立する言葉―“絆”といった方が適切だろう。
単純だが崇高なる目的のために“力”を欲する少年と、強大な“力”を持ちながらもそれを引き出してくれる乗り手を欲する巨人、そして両者の掛け橋となる鎧、この三者を直接的に繋いでいるのが正にこのケーブルなのだから。
と、白式のプライベート・チャンネルに通信が入る。
(一夏、気分はどうだ?)
「
普段は厳しい姉の珍しく優しげな様子に微笑みを浮かべながら、一夏は白式を介して白の状態の最終確認を行う。
(お前一人を出さなければならないのは辛いところだが、こればかりは仕方がないな……)
「気にするなって。俺もその辺わかってるからさ……!」
直後、白式を介して白の感知機能が捉えた情報が一夏に伝わる。
(どうした?)
「……来た」
若干の心配を含んだ千冬の問いに、一夏は短く応じる。前方に目を凝らす一夏の意思を拾って、白式のハイパーセンサーと連動した白のカメラがその視線の先にあるものを拡大させる。
白式を介して情報が伝わり、白とは異なる白い人型が海上すれすれを飛んでこちらに高速で接近してくる様子が脳裏に直接映される。その両側には静寂が支配する海原を切り裂く様に、二列のさざ波が立っている。
(そうか…………ただ、忘れるな。お前の後ろにはIS学園が……
言い切るや、千冬の方から通信は切れ、一夏は耳に残るその言葉を脳裏に繰り返す。
―その通りだよ、千冬姉。俺の後ろにはみんながいる…………だからこそ、俺はここを退くわけにはいかないし、ましてや負けるわけにはいかない!―
心中に決意を改めた直後、海上を飛んでいた人型が一夏が立っている岩場に着地し、様子をうかがう様に白に視線を向ける。
「……」
同時に、一夏も相手の様子を観察する。月明かりの頼りない明るさではあるが、白と白式の補正機能は相手の細部を鮮明に捉えてくれる。
大きさは10メートル程と白の半分くらいしかないものの、人の形を模した姿や額から伸びる一本角など、全体的なデザインは白によく似ている。一方で装備らしい物は一切着けておらず、2つの目に口に見える線を備えた頭部や、翼のない背中など、白以上に人に近い印象を与える。付け加えるなら、各関節は黒いカバーで覆われており、額の角も白より短く、途中で切れた様な形をしている。背丈こそ低いものの、そこにいるだけでこちらを圧迫してくる様な威圧感を覚えさせ、白に負けない程の狂暴な力強さを感じさせる。
と、相手から通信が入る。
(そこを退いていただきたい。こちらにもやらなければならないことがある)
音声のみのそれは、16歳の自分とそう歳が離れていない若い男の声である。決して強い口調で喋っているわけではないのに、臆する様子のなく白を見つめる緑色の目と合わさって強い意志を感じさせてくる。
しかし一夏も、それで素直に引き下がることはしない。
「悪いがそれは聞けない。俺もここを通すわけにはいかない」
男の様に口調こそ普段と大差ないが梃子でも動かない意志を込めた言葉を返し、白を通して男の白い巨人を見据える。
「何故あなたはIS学園を攻める?あそこには無抵抗の生徒が大勢いるんだぞ」
(オーナーの指示です。僕はそれに従うだけ……強いて言うなら、あそこには強力な“力”が、それこそ使い方を誤れば世界を壊してしまいかねない“力”がたくさんある。それをこのままにはできない)
一夏の問いに、男は物静かな口調で返す。
(今度はこちらから訊きたい。君は何故立ちはだかる?何故その後ろにあるものを守ろうとする?)
「さっきも言ったが、あそこには大勢の生徒が、俺の仲間がいる。みんなが傷付くかもしれない原因を見過ごすわけにはいかない」
男の問いに、一夏は言い切る様に返す。
と、
(その強い意志、崇高な想い……君とは違う場所で会いたかった)
と、男は惜しむ様な声で言う。
(最後に訊きたい……君の名前は?)
「……織斑一夏……あなたは?」
(……とりあえず、『白い犬』、とでも呼んでもらいましょうか。織斑君)
名乗れないことへの悔しさを滲ませた声で応じると、男―白い犬は左脚と拳を握った両腕を前に出し、装甲越しにも伝わってくる戦意を放ち始める。
「!……」
もともとの感覚に加え、白の感知機能を通して伝わってくるその気に、一夏も白い犬を見る目を険しくする。
今、両者が戦わない可能性は消えたのである。
(君に個人的な恨みなどないが、やる以上は全力でやらせていただく。手加減などしません)
「俺だって、負けるわけにはいかない。だから…………全力で行かせてもらいます!」
最後は叫び声で返すや、一夏は白の背部スラスター全基に最大出力を吐き出させて白い犬に接近する。
白い犬も背部の円形の溝を吹かして白に迫り、一瞬後に両者は正面衝突する直前の距離まで近づく。
その一瞬の間に白い犬は右腕を引き、衝突の直前に停まると同時に腰溜めにした右正拳を放つ。
「!」
コクピット目掛けて放たれたそれを一夏は咄嗟に左手で受け止め、反撃に白い犬の頭部へ向けて右拳を出す。
が、白い犬もそれを左手で受け止め、両者の力は拮抗し、互いに押し合う形となる。
―何て!……―
白式を介して腕に伝わってくる相手の押す力に、一夏は戦慄する。が、
「嘗めるな!パワーならこっちが上だ!」
叫ぶと同時に両腕に力を込め、白い犬の腕を押し返す。
しかし、
(押すぞ!ニコイチ!)
白い犬も叫びながら力を込めて一夏の押し返した分を戻し、あまつさえさらに押そうとする。
―馬鹿な!?大きさだけでも倍近くの差があるのに……―
あまりのことに、一夏は再び戦慄を覚える。
が、
「なら……」
その気持ちを振り払う様に左腕に意識を向け、
「雪羅!」
叫ぶと同時に雪羅の掌に装備された荷電粒子砲を放つ。
渾身の力で放たれた一撃は砲口と接触していた白い犬の右腕を襲い、補正機能も追いつかない程の閃光がモニターを塗り潰す。同時に飛散した灼熱の粒子が岩を蒸発させ、それが煙幕となる。
その視界不良の中、一夏は地面を蹴って距離をとり、
「まずは右腕!」
と、ひとまずの戦績を声高く宣言する。
しかし、
(いやぁ、今のは危なかった)
「!?」
冷静な声が聞こえたかと思うや煙が晴れ、五体満足で向かい合っている白い犬の姿に一夏は驚愕する。
―馬鹿な!?くっ付いた状態で撃ったんだぞ?いくら俺でもあんなの外すわけ……!―
動揺しながらも、一夏は白い犬の変化に気付く。
各関節を覆っていたカバーが開いて骨格が露出し、そこから赤い燐光の様なものが輝いている。角も先程よりも伸び、途中で切れた様な形だったのが刀身の先端の様な鋭いものになっている。そして右腕全体が薄っすら赤く光っており、光の膜で覆われている様な感じである。
「その光、シールドか何か?それで防いだのか?」
(その通り。もっとも、あと一瞬判断が遅れたら間に合いませんでしたが)
一夏の推測に白い犬は律義に応じると、右腕を覆っていた光を発散させ、今度は右手に光が集まっていく。
腕の時以上の輝きが右手を覆うと、光は収縮し、赤い刀身の形になる。
(この状態は長く持たないのでね。すぐにやらせてもらう!)
言うや白い犬は先程以上の速度で接近して直前で跳ね上がり、腕一杯に上げた手刀を白の頭部に向けて振り下ろす。
「!」
一夏は左腕を上に出して意識を向け、雪羅からシールドを発生させる。
一瞬後に白い犬の手刀が雪羅を撃つが、シールドに入ったことで右手を覆っていた光は消えてしまう。しかしそれでも、直撃を受けた雪羅の装甲が割れ、白の足元が数メートル陥没する。
(ほぉ!『
「知ってるのか?」
(オーナーから君の機体に関する情報は聞いてますよ)
関心しながらも、白い犬は右手を軸にして浮いた体勢から左蹴りを出そうとする。
「!」
一夏は右手に意識を集中して
切っ先が触れる寸前に白い犬は後退し、両者は再び距離をとる。
直後、
「!」
一夏は雪羅の荷電粒子砲を連射し、白い犬はそれを縦横に避けながら距離を詰めて右拳を腰に引く。
と、
「ここだ!」
一夏は渾身の力で雪片を振り下ろす。
が、
「なっ!?」
(丈夫なのが取り柄でね!)
白い犬はその一撃を上に出した左腕で受け止め、腰溜めにした右拳を白の腹部に入れて吹き飛ばす。
「くっ!」
一夏が背部スラスターを吹かしてその勢いを殺すや、白い犬は再び接近する。
「ならこれは!」
と、一夏は左手を手刀にして白い犬に叩き付ける。
白い犬は光で覆った左腕を出して受けようとするものの、直後に左手の五指の先からエネルギー刃が伸びて大振りな光の剣を形成し、白い犬は慌てて後退する。が、切っ先が左腕をかすり、光の膜を破って腕に達したエネルギー刃が白い犬の装甲を焼く。
距離をとって着地した白い犬は腕にできた切り傷、その合間からのぞく赤い骨格を見やり、その様子に一夏は確信する。
「やっぱり……」
(お察しの通り。コイツは物理的な攻撃にはほぼ無敵ですが、エネルギー系、さっきのような光線系の攻撃には弱いです。だからこその光による防御なんですが、それも無効化されるようでは……)
一夏の呟きに応じつつ、白い犬は再び右手に手刀を形成する。
(しかし、零落白夜もそう長く持たないのでしょう?あとは……)
言うと白い犬は地面を蹴り、
(戦いようです!)
叫ぶと同時に瞬時に白の懐に入る。
「!」
一夏は咄嗟に体を右にずらしながら雪羅のエネルギー刃を突き出し、それが白い犬の左肩をかする。肩を焼かれながらも白い犬は前進し、腹部のコクピットを外したもののすれ違いざまに手刀で白の左脇腹を裂く。
そして白の脇を行き過ぎてすぐ、白い犬は急停止して白の腰に左飛び蹴りを食らわす。
「くっ!」
前に飛ばされそうになるのを何とか堪えると、一夏は後ろを向く。
直後、
「!」
懐に入っていた白い犬の左拳が腹に入り、数メートル吹き飛ばされて地面に倒れ込む。
「うっ!……」
強大な加重が掛かるものの、ISの操縦者保護機能によってなんとか意識を失わずに済む。
が、同時に月を背景に上空からこちらを見下ろす白い犬を直視することになる。
(君の“力”はそんなものか?)
落ち着いた声で訊きながら、白い犬は右腕を腰に引く。瞬く間に腕全体が赤く輝き、特に拳は月明かりさえ霞んでしまう程の強い輝きを放つ。
―来る……のか……―
その禍々しくもどこか美しい光景に、一夏は必殺の一撃を覚悟する。
が、直後、
(仲間を守るんじゃなかったのか!)
「!」
白い犬の叱責が一夏の耳を打つ。
必殺の構えをとった白い犬がゆっくりと迫って見える中、一夏の中に忘れていた想いが―熱が沸き起こり、それと同時に白の装甲の合間から赤い燐光が漏れ出す。
―そうだ。俺の後ろにはIS学園が……みんないるんだ。だから……―「負けるわけにはいかないんだぁ!」
熱は絶叫という形を持って広がり、その広がりを表す様に燐光の輝きが増し、各部の装甲が開いて白の赤く輝く骨格を露わにする。それに合わせて額の角も2つに割れ、マスクが開いてその下に隠れていた緑の目をした人の顔が現れる。
時間にして0.1秒にも満たない間に変化を終えるや、白はスラスターを吹かして離脱し、一瞬後に白がいた辺りに白い犬渾身の右正拳が放たれ、巨大な穴を開けて砂煙が上がる。
(ようやく本調子か)
左手で砂煙を払いながら、直立した白い犬は赤く輝く白を見つめ、
(そうこなくては!)
と、地面を蹴って白に接近する。
同時に、
「雪片!」
一夏は右手の雪片に意識を向け、それと同期した雪片の刀身がくちばしの様に2つに割れる。それと連動して白の右手の雪片も2つに割れ、その間から刀身の形をしたエネルギー刃が放出される。
直後に白い犬が迫り、腰に引いた右拳を放とうとする。が、
「はぁ!」
一瞬早く一夏は雪片を突き出し、直撃はかわされたものの零落白夜の刃が白い犬の左脇腹をかする。
しかし、
「!」
すれ違いざまに白い犬は先程付けた雪羅の割れ目に力一杯の左蹴りを入れ、白式を介して機体異常が報告される。
―手はちゃんと動くが、今ので武器が使えなくなったか……それでも―「雪片が残っていれば充分だ!」
一瞬感じた不安を叫びと共に振り切り、振り返って白い犬と対峙する。
仁王立ちで向き合う白い犬は、よく見れば所々に傷が付き、そこから漏れる赤い燐光と合わさって血を流している様に見える。
―ふっ……他人のことは言えないか……―
同時に改めて機体状況を確認し、所々傷付きこちらも血の様な燐光が漏れている白を見て、一夏は自嘲する。
「お互いに何て
(その通り。しかしお互いよく持ったでしょう?……それも次で最後だ)
どこか誇らしく、最後は静かに応じると、白い犬は左半身を前に出し、右腕を引いて拳に光を蓄える。一夏は腰を落として雪片を腰に引き、鞘から刀を抜く様な構えをとる。
互いを見据える目と目が合った、刹那、
(あさぁぁぁ!)
白い犬は気合いを上げ、その叫びを表す様に頭部の下顎が動いて大口を開けながら白の懐に入り、赤く煌々と輝く右正拳を腹部のコクピット目掛けて放つ。
が、
「!」
一夏は渾身の力で雪片を振り上げ、拳が腹に触れる一瞬前に零落白夜の刃が白い犬の右腕を撥ね飛ばす。
だが、
(アァァァァァァ!)
腕を斬られたのもかまわず、白い犬は雄叫びを上げながら頭部を頭突きの要領で突き出し、赤い光をまとわせた角で白のコクピットハッチを縦一の字に切り裂く。
「!」
モニターを突き破って白い犬の角が侵入してくるが、一夏はかまわず地面を蹴り、スラスターを全力で吹かして瞬時に上昇する。
その一瞬の間に、一夏は相棒たちに語りかける。
―白式!俺は千冬姉を、
腹の底からの絶叫と共に腕一杯に雪片に掲げ、直後に白の体中から放たれる燐光がその刀身に集まり、割れた実体刀とエネルギー刃を包み込んで燃える様な赤い刃を形成する。
「オォォォォォォ!」
三日月を背景に、一夏は絶叫と共にその刃を振り下ろし、同時に全スラスターを全開にして一瞬で眼下の白い犬に迫る。一夏自身の腕の力と白による増強、燐光の補助と運動エネルギー、大切な人たちへの想いを引き受けた一撃は、吸い込まれる様に白い犬の胸部に入り、白と白式を通じて一夏の腕に確かな手応えを感じさせる。
―取った!―
心中に喝采を上げる。
が、一瞬後、
―いや……浅い!―
白い犬は急速に後退して刃が機体の奥へ入るのを寸でのところで防ぎ、勢いに乗った雪片は地面を強く打って巨大な割れ目を入れ、辺りに砂埃を舞い上げる。
体勢を立て直した一夏は左手で砂埃を払い、正面に立つ白い犬を見据える。所々の傷に加えて右腕の肘から先を失い、コクピットがある胸部に深々と切り傷が付いた姿は当初の力強い印象を多少削いだものの、操縦者の意志を引き映した力のある視線は依然こちらを凝視している。
「……」
一夏も白越しに一歩も退かない意志を込めた視線を向けるが、同時に自機の状態に愕然としそうになる。所々の傷に加え、雪羅は使えず、ジェネレーターからのエネルギー供給が追い付かなくなった雪片は元の実体刀に戻ってしまっている。さらには先程の大技が祟った所為かジェネレーターの出力が上がらず、白本体の動きさえままならなく直前まで低下してしまっている。
そして一番の問題は、
「……くっ!……」
一夏自身の体がいよいよ限界を迎えつつあるということである。操縦者の状態を良好に保つISを装備しているにも関わらず、気を抜けば膝を着いてしまいそうな疲労感が体中を覆っている。今でこそ白い犬への緊張感と意地で何とか立っているものの、それも時間の問題である。
と、
「!」
白い犬は左腕を伸ばし、雪片を両手で持った一夏は身構える。
が、
「……?」
白い犬は左腕を横に向けて掌から赤い光を放ち、その先に落ちていた先程斬り飛ばされた自機の右腕を包み、それを左手に引き寄せる。
引き寄せた右腕を左腕で掴むと、先程まで白い犬から放たれていた装甲越しにも圧迫する様な戦意が消え、それと同時に各関節からの燐光が消えてカバーが閉じる。角も縮んで元の長さに戻ると、両腕を高く上げ、割れたコクピット上部が前に迫り出して黒いスーツ姿の男を乗せた座席が出てくる。男も同様に両腕を高く上げている。
と、
(状況が変わりました。もう終わりです。何もしません)
「え?…………」
通信越しの男の唐突な言葉に、一夏は束の間何を言われたのか解らなくなる。そして、
「はぁ!?」
理解が追いついて思わず間抜けな声を上げるや、雪片を量子変換してハッチを開け、そこから身を乗り出して男―白い犬をまじまじと見る。
「何もしないって……」
何を言っているという顔をしつつも、一夏は白式の望遠機能で白い犬を観察する。上着とワイシャツのボタン、黒いネクタイをしっかりと締め、厚レンズのメガネを掛けた姿は、通勤カバンさえ持たせれば若手の営業マンにしか見えず、こうして目の前にいながらも今まで自分と一進一退の激闘を繰り広げた者と同一人物とは信じられない。顔には多分な疲労が浮かんでいるものの、その表情はどこか満ち足りた様な、清々しいものである。
白い犬は静かに応じる。
(オーナーから別命が入りまして。それにこんな状態で行っても、当初の目的は果たせないでしょうしね)
「まぁ、確かに……」
満身創痍の機体を見やりながら、一夏は同意の声を出す。
(……相打ち、と言いたいところですが……僕の負けですね)
「え?」
微笑みながら言う白い犬に、一夏は目を丸くする。
(そうでしょう?君は君の目的を……仲間を守るという目的を果たした。対して僕は、今から行ったとしても、おそらく何もできないでしょうね。どう考えても君の勝ちです)
「……潔いいんですね」
(事実は事実として受け入れる主義なので)
「……」
満足げな顔をする白い犬に、一夏は先程までの緊張感や意地とは違う、どこか柔らかい気持ちを覚える。
と、白い犬は口元を緩める。
(……可笑しなものです。今の敗北宣言といい、さっきの叱責といい、君を相手にするとどうも口数が多くなってしまう)
「え?あ……すみません」
微笑みながら独り言の様に言う白い犬に、一夏は思わず普通に謝ってしまう。
白い犬は自身の両腕を下ろし、
(謝ることなんてありませんよ……可笑しいついでに、もう1つだけ……本当はダメなんですが、敢えて名乗らせていただきます。
と、右手で座席から生えた操縦桿を叩いて示す。
(またの名を、白い犬です!)
よく通る声で言い切ると、白い犬―加藤光秋は機体を浮かせ、ゆっくりと上昇していく。
(縁があったらまた会いましょう。その時は、今日とは違う形で。では。一夏君)
言うと機内に戻ってハッチを閉め、一夏に背を向けて一気に加速していく。
「加藤……光秋……」
遠くなっていく背を目で追いながら、一夏は静かに呟く。
と、
「!?……」
危機が去ったと認識した体から力が抜け、いよいよ限界に達していた両脚が膝を着く。それを引き映す様に白も両膝を着き、その間に燐光が消えて各部の装甲が閉じ、2本になっていた角も1本に戻る。
「はぁー、はぁー……」
崩れる様に両手も着くと、一夏はどっと沸いてきた疲労感に肩で息をする。
と、
(一夏!)
(一夏さん!)
(一夏ぁ!無事なんでしょうね?)
(一夏!大丈夫?ケガはない?)
(奴は撤退したようだが、油断はできんな。後は任せろ、嫁よ)
(一夏!信じてた!勝ってくれるって信じてた!)
(ちょっと簪ちゃん……でも、やったわね!一夏くん!)
「みん、な……」
先程脳裏をよぎった守りたい人たちの呼び掛けに、一夏は何とか上体を上げて後ろを振り返り、IS学園の方向から海上を飛んでくる少女たちを見る。
その間にも、それぞれのISをまとった少女たちは白の正面に周り、開け放たれたハッチの前でISを解除しながらコクピットに入ってくる。
それを見て一夏は、
「俺は……守れたんだな……」
と、安堵の表情を浮かべ、同時にエネルギーが切れて光の粒子となって消えた白式の支えを失った体が前に倒れる。同時に自身と一夏を仲介する白式が消えたことで白も機能を停止させ、モニターの消えたコクピットが暗闇に包まれる。
そんなことをぼんやりとした頭の隅に捉えながらも、すぐに少女たちに体を支えられた一夏は、
「なか、ま……を…………」
と、掠れ声で言ったのを最後に意識を手離す。
激闘を戦い抜いた秘めた強さを持つ少年は、今はただ、大切な人たちの腕の中で穏やかに眠る。
そしてそんな主を見守る様に、ユニコーン・白は白い犬が去った方向を見据え、その一本角に月光を反射させるのであった。
本編の後に補足を掲載します。合わせて読むことで本編をより一層楽しんでいただけるかと思います。